時に忘れられた人々【25】ゴージャス音楽の宴編

【ゴージャスさを勘違いして意味不明な画像】

ROCKHURRAH WROTE:

食欲の秋、などと言われていてもこのところ、皆さん知っての通り、野菜がバカ高くて困ってしまう。
見た目や書いてる記事からは想像も出来ないだろうが、毎日SNAKEPIPEと2人で献立に悩んでいるのだった。

自分に当てはめて考えるとバブル景気なんて全く実感した覚えがないけど、それでも80年代は今よりもずっと暮らしやすかったなあと、いい記憶ばかりが思い出される。
消費税なんてまだなかったから少なくとも「ふんだくられてる」感覚は買い物の時になかったからね。
ROCKHURRAHやSNAKEPIPEに限らず、80年代にまた戻りたい病の人はたくさんいるはず。まあ全然反響はないけど。

さて、本日はいかにも80年代的にゴージャスな音楽特集というROCKHURRAHには似合わない企画で書いてみよう。
もちろん、ウチの記事はパンクや80年代ニュー・ウェイブに限ってしか語らないという点で一部有名。
その後の時代の、いわゆる普通のゴージャスな音と誰もが思えるようなのはたぶん全部すっ飛ばすと思うよ。

ROCKHURRAHは今までの人生でゴージャスな体験を全然した事がないというくらい、贅沢も豪華も無縁の生活をしてるけど「どんな服を着てもそれなりのいい品に見えてしまう」と言われる点だけが少しは誇れる部分かな。SNAKEPIPEも300円で買った高価そうな服とか着てるしね。二人揃って只者じゃないオーラがあるってことかな(笑)。
関係ないがゴージャスというと真っ先に思い出すのが泉昌之の「かっこいいスキヤキ」に収録のこれ。いかにも80年代的な笑いのツボに溢れた漫画だったな。

「パンクや80年代ニュー・ウェイブに限って」などと書いてはみたものの、そもそもパンクやニュー・ウェイブにゴージャスなものはあるのか?

上流の家庭に生まれ何不自由なく暮らしていた若者が突然パンクに目覚めて、というシチュエーションも今だったらなくはないだろうけど、オリジナルの70年代ではあまり聞いたことない。
例えそういう経歴だったとしてもたぶん隠すだろうしな。
やっぱりパンクは労働者階級の音楽じゃないと格好がつかない気がする。当時は労働者どころか失業者がメインだもんな。無論ゴージャス要素はそこにはない。

親が汚い仕事で儲けた有力者の御曹司、親の不正、巨悪に気付いてからはアナーキストへの道を進んでパンクの世界に入ってゆく。
これまた三流映画ではありそうだが、そういった人は敢えてゴージャスを引きずらないのが当たり前。たとえ生まれは良くても堕ちたい願望があるだろうからね。
だからパンクとゴージャスを結びつけるのは難しいな。
スキッズのリチャード・ジョブソンなんかは元々の生まれ育ちが悪くて、スキッズで儲かったから徐々に品のあるブリティッシュ・トラッドな紳士に変身していった。これは逆のパターンで珍しい上昇志向だね。

80年代のニュー・ウェイブになると少しは状況が違ってきて、ニュー・ロマンティックのように着飾った華やかなスタイルが流行した時期もあった。がしかし、これもたぶんパッと見だけの華麗な世界。
やってたバンドは金持ちになったろうしゴージャスな生活も可能だとは思うが、その聴衆は大半がただの一般人。着飾った男がクラブから帰った家は安アパートとかそんなもんだろうよ、と想像する。

これからコメントしてゆくのも泉昌之と同じで何となく服装が豪華に見えるとか、曲がゴージャスに聴こえるとか、シャネルの支店前でプロモ撮ったとか、その辺の短絡的なものなので本当の上流階級的なものは想像しないでね。

80年代的にゴージャスを感じる音楽というと真っ先にこのバンドを思い浮かべたのはROCKHURRAHだけではあるまい。
好き嫌いは抜きにして誰もが認めざるをえない「メローな」「ソフィスティケートされた」「ゴージャスな」という三拍子が最も似合うのがこのブロウ・モンキーズだろう。
R&Bやソウル、ブルースなどブラック・ミュージックなら何でもござれというレコード・マニアの真髄で、3万枚ものレコードを所持していたというDr.ロバートによるバンドだ。
マニア過ぎてレコード屋の上に住んでた噂があるが、すぐに買いに行けるという以上のメリットはなさそう。せめてレコード屋ごと買った、くらいの爆買いエピソードが欲しかったよね。

数多く聴けば偉いのか?という事はなかろうけど、より多くを知れば多くのものが見えてくるのは確か。造詣ばかり深くて自分でやってみたらヘッポコ、というパターンは多いけど、彼らはちゃんと見事に消化してるのが偉いな。
ブラック・ミュージックが苦手で個人的にはこの路線にはあまり興味が持てないけど、またしても「好きじゃないならコメントするなよ」と言われてしまいそう。
とても冷酷そうな顔だし、すぐに裏切られそうなところが超ビッグ・ネームにならなかった原因か?

映像の方はサイズ間違ったんでないの?というほど巨大なダブルのスーツに目を奪われるが、これは30年代のギャングが着用してたズートスーツのヴァリエーションのひとつなんだろうな。PACHUCOと呼ばれたメキシコ系のメチャメチャ悪そうな若手ギャング(予備軍)とかでも有名になったスタイルだな。
ギャングが人一倍ラグジュアリーなものを好むのは世界共通だから、このスタイルでゴージャスと感じたのは特に間違いではなさそう。良かった良かった。
ゴージャス要素の定番、黒人コーラス隊とサックス、華麗なダンスまで披露して完成されすぎだな。投げたギターを片手でキャッチしたり、イヤミなまでの二枚目ぶり。特撮なしでそれくらい特訓しろよ。
「どこまでカッコつけとんねん」と関西方面からのツッコミはなかったのか?

ゴージャスの重要な要素である「金ピカ」。金ピカと来れば即座に思い浮かべるのがこのバンド、ABCだ。
別にマツケンサンバでも(うーん、微妙に古い)いいじゃないか?と言われそうだが、あくまでも80年代で語りたいのでこれに決めた。
80年代前半に大流行したニュー・ロマンティックとファンカ・ラティーナという二大潮流の狭間で見事に大ヒットしたバンドだ。

元々は地元シェフィールドで活動してたヴァイス・ヴァーサというバンドを母体としてるんだけど、これがABCとは似ても似つかぬ音楽のもの。ダークでポップ性があまりないエレクトロニクス主体の音楽だけど、ソフトセルから売れ線の要素を取り除いたかのような方向性だった。
そこに後のABCのヴォーカルとなるマーティン・フライが加わってどういった経緯でかはわからんが、1982年くらいには華麗な転身を遂げて、ABCとしてたちまちヒットチャートを賑わすバンドとなった。

マーティン・フライは音楽ジャーナリストだったという話だが、パンク初期にサブタレニアンズをやってた音楽ライター、ニック・ケントとか「Sniffin’ Glue」というファンジン(パンク初期にあった私設音楽雑誌)を出してたオルタナティブTVのマーク・ペリーとか、評論→バンドへの転身はそれほど珍しくない経歴なのかも。
上記の二人ほど骨はないに違いないが、音楽情勢に詳しいという強みを生かしてヒットを連発したところだけは見事?

彼らの代表曲「ルック・オブ・ラブ」 などはいまだにGoogleの予測変換で「るっくお」と入力した時点で候補にあがるくらいに大ヒットしたし、プロモで使われていたからカンカン帽も流行したな。

この時代はカルチャー・クラブやウルトラヴォックス、ピッグバッグにジョン・フォックス、エレクトリック・ギターズ、シンプル・マインズなどなど、日本のCMにもニュー・ウェイブ系の音楽が続々と使われて、使われたバンドは間違いなく有名になるという傾向があったが(ん?エレクトリック・ギターズだけが例外的に完璧な一発屋だったな)ABCもそのパターンだったね。
ロキシー・ミュージックをもう少し若い世代で80年代風にしたらこういう感じ、というコンセプトなんだろうけど、ブライアン・フェリーよりは役者向け、映画のワンシーンみたいなジャケットも有名だね。

上の映像も大ヒットした数曲のうちのひとつだけど、いや、お恥ずかしい。単に金ラメのスーツ(金の推定含有率0%)を着てるというだけで短絡的にゴージャス部門にしてしまったよ。確かにこの服装で成金っぽく見えないのはワンランク上の着こなしだね。ストーカーっぽく女優につきまとってるのに最後になぜか成就してるっぽいのも謎の展開。

関係ないがROCKHURRAHの出身地、福岡には成金饅頭という巨大などら焼きみたいなおみやげがあるのをふと思い出した。
やたら重いからおみやげとして買ったことはないけど、一人分に個装されてないから割と不親切な部類のおみやげだったなあ。

ゴージャス特集、自分にその要素とブラック・ミュージックに対する造詣が全くないもんだから既に企画失敗の自覚があるが、何とか先に進めてみよう、トホホ。何でこんな特集考えてしまったんだろう?

マリー・アントワネットを例に挙げるまでもなく、女性の盛り上がった髪型は古今東西、ゴージャスの重大な要素だったのは間違いない。80年代ニュー・ウェイブの世界で最も盛り上がった女性と言えば必ず思い浮かぶのがこのビーハイブ(蜂の巣)・ヘアをトレードマークにしたマリ・ウィルソンだろう。
それより前の70年代にアメリカではB-52’sがこの髪型で鮮烈なデビューをしていたから目新しいものではなかったが、今回の括りが髪型自慢ではなくゴージャスなので、マリ・ウィルソンの方に焦点を当ててみよう。

思いっきり60’sのガールズ・スタイルとこの髪型でショーダンサーやコーラス隊を引き連れた「大物風」ステージだから、いかにもアメリカンな感じがするが、れっきとしたイギリス人によるフェイクなもの。

70年代パンクの時代にAdvertisingというパワーポップのバンドがあったんだが、そのメンバーだったトット・テイラー。彼が80年代になって作ったインディーズ・レーベルがコンパクト・オーガニゼーションというもの。ちなみにこのAdvertisingにいたサイモン・ボズウェルは後に映画音楽の作曲者として有名になり、ホドロフスキーの「サンタ・サングレ」なども手がけているな。

コンパクト・オーガニゼーションからデビューした中で注目された歌姫の筆頭がこのマリ・ウィルソンとスウェーデンのヴァーナ・リントだが、このどちらもトット・テイラーの60年代好きが反映されている。
ヴァーナ・リントの方は架空のクールな北欧女スパイというイメージ(諜報機関で通訳してたという噂もあり)で音楽もそれ風。後のエル・レーベル、そして”渋谷系”と呼ばれたクルーエル・レコードやトラットリア・レコードなどに影響を与えた(たぶん)ような感じかな。何と世界的に有名なリンツ・チョコレートの令嬢、との事だがスイス生まれのメーカーなのになぜスウェーデン?なところが詳細不明で、またミステリアス。
対するマリ・ウィルソンの方はモータウンとかの歌姫の再来を目指した音楽と見た目でかなりヒットした記憶がある。ん?マリ・ウィルソンについて書こうとしてるのにマリ・ウィルソン部分が異常に少ないな。まあいいか。
そしてこのどちらの歌姫も本格派ではなく、エレクトロニクスをうまく使って「それ風」に仕上げたイミテーションなもの、というのがポイントだった。

「Just What I Always Wanted(マリのピンクのラブソング)」という情けない邦題で世間を湧かせた曲が最大のヒットなんだが、プロモの方はROCKHURRAHが個人的に唯一シングルを持ってた懐かしさで「(Beware) Boyfriend」にしてみた。
どっちもトット・テイラーの作詞作曲なんだが、何かのカヴァーなのかと思うくらいに60年代満載の出来。元New Musikのトニー・マンスフィールドがプロデュースで、この手のフェイクとしては抜群の完成度だな。
日本ではフィリピンのジャズ・シンガー、マリーンが歌った「ボーイフレンド」のカヴァーの方が有名だったけど、ゴージャスさではこの巨大な髪型には到底太刀打ち出来ないね。

ゴージャスとかリッチとかに無理やり当てはめて今回は書いてるが、ニュー・ウェイブの音楽は大まかに言えばロックの範疇にあるもの。しかし生粋にロックだけのものではなく、やっぱりR&Bとかソウルとかモータウンとか、ブラック・ミュージックを取り入れた音楽の方がよりゴージャスに見えてしまうという結果になってしまった。単にROCKHURRAHがあまり考えもせずにセレクトしただけかも知れないけど。

髪型とか金ピカとか、雰囲気だけでゴージャスをいいかげんに書いてきたが、最後のこれは見た目じゃなくて本物のゴージャスな音楽だ。
何度も当ブログで書いてきた80年代リヴァプールだが、エコー&ザ・バニーメンのイアン・マカラック(今は違う発音するみたいだが、80年代的に書けばマカラック)、ティアドロップ・エクスプローズのジュリアン・コープと共にバンドを始めたのがピート・ワイリーだった。
そのバンド、クルーシャル・スリーは世に出ることなく、3人ともメンバーを取っ替え引っ替えした結果、上記のバンドが生まれるが、ピート・ワイリーは70年代末にワー!ヒートを結成して本格デビューする。

3つのバンドともにネオ・サイケと呼ばれた分野で活躍するけど、本格派正統派のエコー&ザ・バニーメン、色んなものを盛り込み過ぎて何がやりたいのかよくわからんティアドロップ・エクスプローズ、そしてハードだが抽象的なギター・サウンドとメッセージ性が強い(推測)ヴォーカルのワー!ヒート、という具合にそれぞれ特徴あるアプローチで支持されていった。

ピート・ワイリーの場合はその情熱が一般的には理解されにくいタイプだったからか、日本では特に知名度は低いが、レコード出すたびにちょっとだけバンド名を変えるという変なこだわりもマイナス・ポイントだったかな。Wah!Heat、Wah!、Shambeko Say Wah!、J.F.Wah!、Mighty Wah!、Wah! The Mongrelなどなど、列記したどこからどこまでがひとつのバンド名なのかわからん。他の人にとってはどうでもいい部分だね。

初期は甲高い声でエモーショナルな歌唱と暗めの曲調を得意としてた(シアター・オブ・ヘイトあたりと似た感じ)バンドで「Seven Minutes To Midnight」などは個人的にとっても思い出に残る曲なんだが、82年あたりから音楽性をガラッと変える。
「Remember」や「Story Of The Blues」「Hope」、この三部作がゴスペルとかR&B要素をロックにうまく取り入れた大傑作となっている。
元々黒人ベーシスト、ワシントン(プロモのバーテン役)が初期からの重要なメンバーだったのでブラック・ミュージックへの傾倒は当然と言えるが、ここまで珠玉の名曲をモノに出来るほど大成するとはデビュー当時思ってもいなかったのでビックリしたもんだ。

ビデオではゴージャス要素が全然見えないが、車に水しぶきかけられてもハートは錦だよ、というような意気込みが精神的なゴージャス。むむ、苦しいか?

「Story Of The Blues」は本来はパート2まである超大作なんだけど、ビデオは前半部分のみ。サビの壮大な盛り上がりはニュー・ウェイブの歴史に残る名曲だな。

この後、マイティ・ワー!になってやっと日本で本格的にリリースされたけど、84年のシングル「Come Back」も壮大路線を受け継ぐ力強い傑作。まあこの時期の彼らの全てがこういう傾向ではなく、ちゃんとロックな曲も多いしアフロ要素まで見え隠れする。シングルとアルバムできっちり両方とも披露してるのが「かぶれ」じゃないところか。

この前後にワイリーのパートナーとして大活躍した美女、ジョシー・ジョーンズは残念ながら2015年に亡くなったが、日本ではその情報さえ皆無に等しいのが悲しい。いかにも80年代ニュー・ウェイブを象徴する服装とルックスで気に入ってたのを思い出す。まさにファビュラスだったよ。
リヴァプール御三家の中でROCKHURRAHが最も熱心に集めていたのがピート・ワイリー関連だったが、ウチのブログでは何かの記事のおまけでチョロチョロ書いてるだけだったので、珍しく熱弁をふるってみたよ。

うん、苦手と言いながらも何とかここまで書けて良かった。やっぱりROCKHURRAHにはゴージャスな音楽は向いてないね。次回はルンペンプロレタリアートからロックスターに上り詰めた人物特集にしてみるか(ウソ)。

ではまた、До свидания(ロシア語でさようなら)。

収集狂時代 第6巻 Louis Vuitton編

20161015 top【Louis Vuittonの代名詞!モノグラムは有名だよね!】

SNAKEPIPE WROTE:

イタリアからの輸入品を扱う店で働いていたことがある。
キテレツなデザイン、見たことがないような色のレザー!
すっかり虜になったSNAKEPIPEは、店員なのにお得意様になってしまったくらい!(笑)
個性的なバッグや靴は鑑賞するにはもってこいだったので、多くのお客さんが来店した。
ヴィトンのバッグ持ってるお客さんは、イタリア物買わないですよ」
お客さんが帰った後、店長が耳打ちする。
店長曰く、ルイ・ヴィトンのモノグラムを持っている女性というのは、冒険しないタイプだというのである。
そう聞いてから観察してみると、確かに店長の言葉通り!
モノグラム系は「見てるだけ〜」の人ばかりである。
この時以来、SNAKEPIPEの中で「モノグラム=手堅い」の構図が出来上がってしまった。
その認識が崩れることになるとは…。(大げさ)

ここでルイ・ヴィトンについて簡単にまとめてみよう。
1854年、フランスのスーツケース職人であったルイ・ヴィトンが世界初の旅行カバン専門店をパリに創業したのが始まりとのこと。
1896年にはトップの画像にあるモノグラムを発表。
これは日本の家紋をモチーフにしているのは有名な話かな。
1978年に日本にもルイ・ヴィトンのショップがオープンしているという。
今だにその人気が衰えていないのは、道を歩けばモノグラムバッグに当たる、というくらいだもんね。(笑)

面白いネタがないかな、とネットを検索していたSNAKEPIPEの目に飛び込んできたのが左の画像。
こ、これはもしやモノグラム柄のスケートボードでは?
ケース付きのスケートボードとは、なんとも豪華。
遊び心ということなのか、どうしてこの商品を作ることになったのかは不明。
気になるお値段は$8,250、現在のレートで約86万円!(笑)
コレクターだったら是非とも手に入れたい逸品だよね!
汚れないように大事にしないと。

前述した「モノグラム=手堅い」のイメージとはかけ離れた商品を目にしたSNAKEPIPEは、他にも面白い逸品がないか検索することにする。
「最も値段が高いバッグ」の記事で紹介されていたのが「ゴミ」をモチーフにした「Urban Satchel bag(都市の肩掛けバッグ)」(画像右)である。
調べてみると、素材は高級なイタリアン・レザーだというので本物のゴミではないみたい。(笑)
驚くのはそのお値段。
なんと$150,000、日本円で約1620万円!
えーーーっ!
顎が外れそうになるくらい驚くお値段じゃない?
高級なゴミ、というかなりアート的な手法に「やるな、ヴィトン」と呟くSNAKEPIPE。(笑)
ここらへんでヴィトンに対する認識が少し変わってきたよ!

これはテディベアじゃないの?
モノグラムの帽子とコートでオシャレしちゃって。(笑)
カワイイから一つ買ってみようかしら、と値札を見ると、今度は顎どころか腰を抜かすことに!
$2.1 millionって210万ドル?
ということは、日本円にすると2億1860万円!?
億超えのぬいぐるみとは!
どうやらダイヤやサファイヤが使用されていたり、毛皮部分にゴールドが使用されているみたいなんだけど。
それにしても、これはヴィトン・コレクターでもテディベア・コレクターにもなかなか手が出せない金額だろうね。
金額、間違ってないよね?(笑)

草間彌生とコラボしたカボチャ型のバッグも高級品として登場していたよ。
お値段$133,400、日本円で1390万円!
ゴールドや樹脂を素材にしたバッグで、生産されたのは5個のみだって。
これはもうバッグとして持ち歩くというよりは、アート作品だよね。
美術館に展示されているレベル!
ヴィトンはアーティストとコラボした商品も展開してるんだね。
草間彌生より前には村上隆とのコラボもあったみたいだし。

収集狂時代 第3巻」では高額取引された椅子について特集したっけ。
その第4位で紹介していたのがカンパーナ兄弟というブラジルのデザイナーデュオだったんだよね。
パンダちゃんのぬいぐるみがいっぱいの椅子が1000万円超えというお値段で。
そのカンパーナ兄弟がルイ・ヴィトンとコラボしてデザインしているのが「Maracatu Furniture」という旅行用の収納棚(?)である。
素材はレザーのようだけど、持ち運ぶ時には折り畳める柔らかさみたいね。
実用性とデザイン性がマッチした素敵な逸品。
気になるお値段は$51.500、日本円で約536万円!
パンダちゃんの椅子が1000万以上と考えると、そこまでのお値段じゃないのかな。
あれ、だんだん感覚がおかしくなってきてるよ。(笑)

ここまでは実際にルイ・ヴィトンが販売している商品について書いてみたよ!
ここからはヴィトンの許可を得ているのか不明なんだけど、ルイ・ヴィトン定番のモノグラムを使用した逸品について紹介していこうと思う。

ラグジュアリーな人はなんでもリッチでゴージャスにしないとね!
もちろん朝食で頂くワッフルだってハイ・ブランド仕様にしなくちゃ。
ここで登場するのがモノグラム柄に焼き跡が付くワッフル・メーカー!(笑)
これは1983年、ロスアンゼルス生まれのAndrew Lewickiというアーティストの作品ね。
アーティスト本人のHPがなくなっていたので、ギャラリーの紹介ページにリンクを貼ったよ。
既存の商品をおちょくったような作風が多いように感じたよ。
本当にルイ・ヴィトンが売り出したら面白いのになあ!(笑)

今書いている「収集狂時代」は高額のコレクターズ・アイテムを紹介するシリーズなのに、探しているとどうしてもビザールな逸品にたどり着いてしまうSNAKEPIPE。
ビザール・グッズ選手権」というカテゴリーもあるのに、今回のブログでは混ざってしまうけど許してね!
上の画像はルイ・ヴィトンのチェーンソー!
多分オブジェだと思うけど、これを使うリッチな人っていうのも、想像すると面白いよね。
そもそもリッチな人は自分の手を汚さないんじゃないかね?(笑)
Peter Gronquistはオレゴン州ポートランドを拠点に活動しているアーティスト。
HPに詳しい情報が載ってなかったけれど、どうやらこの方が制作したみたいなんだよね。
マルセル・デュシャンみたいにサインだけしたわけじゃなくて、完全に作ったように見えるところが秀逸かな?(笑)

最後も物騒アイテムにしてみよう。
チェーンソーの次はガスマスクだよ!(笑)
ラグジュアリーな方は、毒ガスを防ぐ時にもエレガントに見せないとね!(笑)
1977年生まれのDiddo Velemaというデザイナーの作品なんだよね。
この方プロダクト・デザイナーや広告デザイナーとして活躍している、その業界での有名人みたいね。
現在はアムステルダムを拠点にアーティストとして活動しているようだよ。
コンセプトありき、のデザインというのは現代アートの考え方と変わらないもんね。
手作業のように見えるんだけど、仕上がりがとてもキレイで、コレクションしたくなる逸品だよね!

SNAKEPIPEに珍しく、世界的に有名なブランドをまとめてみたよ!
今回調べたことでルイ・ヴィトンに対する印象は変わったね。
思い込んでいるイメージが変わるのは面白いかも。
また別の企画を考えてみようかな!(笑)

驚きの明治工藝 鑑賞

【毎度お馴染み?公園入り口の看板を撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

テレビ番組は録画しておいて、後から鑑賞することがほとんどである。
好きな時間を選ぶことができるし、 途中で席を外す時には一時停止すれば良いし。
テレビの前に座り続けることがないので、時間を有効に使いたい人には良い方法だよね!
難点としては、実際の放映よりもかなり時期を外してから鑑賞するため、リアルタイムで観て知っていたら行かれたかもしれない美術展を逃すこともある、ということ。

没後100年 宮川香山」もその一つの例だ。
宮川香山とは、壺や椀に本物と見間違うほどの精密な生物を立体的に貼り付けた、独特の作品が有名な陶芸家である。
超絶技巧と言われるほどのリアリティ!
その宮川香山の展覧会がサントリー美術館で2016年2月24日~4月17日に開催されていたことを知ったのはつい最近のこと!
録画を溜め込み過ぎてたってことだね。
情報を事前に知っていれば出かけていたはず!
残念だけど仕方ないね。(笑)

宮川香山の実物を観たかったね、と言い合っていたSNAKEPIPEとROCKHURRAH。
そんな時ROCKHURRAHが気になる企画を発見してくれた。
東京藝術大学美術館で開催されている「驚きの明治工藝」 である。

細密、写実的な表現で近年人気の高い明治時代を中心とした日本の工芸作品。
この「明治工藝」の一大コレクションが台湾にあることはあまり知られていません。
しかもこれらの作品は、すべてひとりのコレクターが収集したもの。
この「宋培安コレクション」から100件以上もの名品を、日本で初めてまとめて紹介します。

展覧会の説明を転用させて頂いたよ。
どうやら戦乱のために使用されていて武具を作っていた甲冑師が、江戸中期には需要が減ってきたために、花瓶や火箸などの民具を扱うようになったという。
これが工芸品製造の始まりなんだね。
それら民具が、今回展示されているような工芸品へと更なる発展を遂げたという。
その技術は外国での評価が高く、ほとんどが輸出されていたとのこと。
「一大コレクションが台湾にある」という上の説明がよく分かるね!
さて、一体どんな驚きの逸品が拝めるのやら?(笑)

小雨は土砂降りに変わってしまい、出かける日を間違えたかと思いながら上野に向かうROCKHURRAHとSNAKEPIPE。
自称「雨男」のROCKHURRAHは「ほら、やっぱり」と言っていたけれど、「和牛ひつまぶし」を食べている間に雨はやんでいた。(笑)
最初は寒いくらいに感じていたのに、雨が上がった途端に湿度が上昇!
雨も困るけど、湿度もイヤだなあ。
上野公園をゆっくり歩いて東京藝術大学美術館に向かう。
実は藝大に美術館があることを知らなかったSNAKEPIPE。
当然ながら初めて行くことになるね!

東京藝術大学の道を挟んだ向かい側に美術館はあった。
どちらかというと「こじんまり」した建物だけれど、なかなかお洒落!
チケット代金大人1300円。
一般的な展覧会と同じくらいの金額だよね。
螺旋階段を使い開催されている地下2階に降りて行く。

1番最初に展示されていたのが、今回の目玉の一つである宗儀の「自在龍」!
少し離れないと全体を把握することができない、3mの大作なんだよね。
「最初にこれか!」
ROCKHURRAHが言う。
確かにこれは、例えばLAUGHIN’ NOSEが1曲目に「Get The Glory」を演奏するような感じだもんね?
えっ、例えが分かりにくい?(笑)

東京藝術大学美術館は一部の作品を除いて、撮影オッケー!
やったー!撮りまくるぞ!(笑)

ここで少し説明をしてみよう。
上の「自在龍」というのは、写実的に製作されている上に、体節・関節を本物通りに動かすことができるんだよね!
ハンス・ベルメールの「球体関節人形」どころではない細密さを持つのが特徴で「自在置物」としてカテゴライズされているという。
えー!あの巨大な龍の胴、手足、首、尾が動くなんて!
これはすごい。
一点目からすっかり驚愕するSNAKEPIPE。

それから先も「自在置物」シリーズが展示されている。
ガラスケースの中にある「自在置物」を夢中で撮影するSNAKEPIPE。
ところが…。あとで確認するとほとんどがピンぼけ!
がーん。撮影オッケーだったのに、何の意味もないよ!
photostudioを名のる資格なし…。(しょぼーん)
仕方ないので1枚だけネットで探してきた画像を掲載させて頂こう。
明らかにトーンが違うけど、許してね!

これも「自在置物」ね。
素材が鉄なのに、ウロコのひとつひとつの細工の細かさったら!
今にも動きだしそうなほどのリアリティ。
ここまでの卓越した技術が手作業で行われているとは。
匠の技ってすごい、と改めて思う。

この「自在蛇」を動かしている動画があるので載せておこうね。

舌まで動くとはね!(笑)

SNAKEPIPEが撮ったピンぼけ写真なんだけど。(笑)
トンボや蜘蛛などの昆虫類ね。
なんとなくの影で分かるよね?
どれも10cmくらいの小ささなんだけど、全部「自在置物」なんだよね!
この小ささを動かす、というのはどれだけの技術なんだろうか?
内部の細工についての展示もあったけど、仕組みがよく分からなかったよ。
こんな置物は外国人ならず、現代人でも驚きに値するよね。

自在置物以外にも様々な工芸品があったよ。
加納夏雄の「梅竹文酒燗器 明治6年(1873)」に目を奪われる。
銀製でピカピカでとてもキレイなんだよね!
六本木ヒルズにある外国人向けの高級な「Made in Japan」 製品が並んでるお店に売っていそうな逸品!
こんな作品を今から約150年前に制作していたとは!
その時代の日本人の美意識の高さって素晴らしいね。

美意識の高さに驚いた後、グロテスクな一面も目の当たりにすることになる。
木彫の置物「髑髏に蛇」は亮之によるもの。
非常にリアリティがあるため、とても不気味な作品なんだよね。
亮之について調べてみると、泉亮之が正式な名前みたいね。
蛇と髑髏を得意とする彫刻家って、そのまんま!(笑)

泉亮之は得意とする髑髏の研究のため塚より頭蓋骨を掘り出し、寝食を忘れ研究を行ったと伝えられる。

wikipediaにこんな説明文を発見!
これは江戸川乱歩の世界じゃないの!(笑)
ロシアの皇帝に作品を買い上げられたとか、大隈重信が泉亮之の作品がついた杖を愛用していたという記事もあったので、グロテスクだけれど認知され評価されていた、ということが分かるね。
どんな作品だったんだろう?
非常に気になるよね!(笑)

不気味な作品をもう一点。
恵順の「山姥香炉」(やまんばこうろ)だよ!(笑)
置物に「山姥」をモチーフにするセンスってどうなんだろう?
更に焚いた煙が「山姥」の口から出る構造になっていることにも注目!
香炉を使う目的は人それぞれだろうけど、香りを楽しむようなアロマ風の使い方の時に、醜悪な老婆の口からの香りで癒されるのか?(笑)

遠目で観た時には、単なる風景画だと思っていたROCKHURRAHとSNAKEPIPE。
明治の工芸品をナメてました、スミマセン!
近寄ってみて初めてそれが天鵞絨友禅(びろーどゆうぜん)や刺繍による作品だったことが分かる。
染色について詳しくないSNAKEPIPEなので、調べてみることにする。
そもそも友禅染とは何か?
でんぷん質の防染剤を用いる手書きの染色を友禅というそうだ。
ビロードというのは表面がループ状に毛羽立った生地のため、友禅染が非常に難しいらしい。
それを明治時代に京都の西村惣左衛門が可能にして、輸出用の壁掛けが制作されたという経緯があるとのこと。

上の画像は刺繍作品なんだよね。
「瀑布図額」は無銘とされているので、職人さんの仕事の一つだったんだろうね。
迫力のある滝を刺繍糸でここまで表現するとは!
日本にはほとんど作品が残っていない、というのが残念だね。

ここ最近「生誕300年記念 若冲展」や「怖い浮世絵展」などの江戸から明治時代の展覧会を続けて鑑賞しているROCKHURRAHとSNAKEPIPE。
現代アートが好みだと思っていたのに、古い時代の作品に触れてるんだね。(笑)
いやいや、温故知新という言葉通り、驚くような発見が多いからね!
江戸中期からの日本人の匠の仕事には感服してしまう。
オートメーション化が進んだ現代でも、「自在置物」を作るのは難しいんじゃないかな?

シュールな作品を好む傾向にあるROCKHURRAH RECORDSは、例えばリアルに描かれた油彩画にはそこまで反応しない。
ところが今回の工芸品のリアリティには感嘆の声をあげてしまう。
日本の職人技の世界!
「自在置物」、一つ欲しいよね。(笑)
鑑賞できて良かったなあ!

今回の展覧会は台湾の宋培安という人物のコレクションの展示とのこと。
宋培安は漢方の薬剤師で、健康薬品の販売や生命科学の講座を開設し、思想家であるカントを研究しているという人物だという。
道徳の世界へ導くためにも、美を理解する能力が必要であるというカントの精神を大切にしていることからコレクションが始まったようで。
2014年に鑑賞した「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展」も台湾のヤゲオ財団のコレクションの展示だったよね。
台湾にはコレクター多いのかな。
経済的にも余裕があるってことだね。
日本の財団や美術館にも頑張ってもらって、世界に誇れるコレクション集めて欲しいよね!

Naonシャッフル 第4夜

【エフェクトかけ過ぎの鬱陶しいプロモ映像をROCKHURRAHが作成】

ROCKHURRAH WROTE:

3年以上更新してなかったシリーズ企画「Naonシャッフル」を実に久々に書いてみよう。前回の「第3夜」にも

何とこの「Naonシャッフル」のシリーズも一年も書いてなかった事に気付いてしまった。

などと書いていたな。トホホ。

シリーズ名だけでは何なのかさっぱりわからんだろうが、簡単に言えばロックをやってる女性特集(ウチの場合は70年代から80年代のパンクやニュー・ウェイブに限定する)というような記事を思いつきで書いたのが始まり。

今どき現実にナオンなんて言葉使ってる人がいるのかどうかは不明だけど、XTC初期の名曲をパクってつけたシリーズ名だけはなかなか良し(笑)。
読みなおしてみると第1夜はニュー・ウェイブ初期に隆盛を誇ったスティッフ・レーベルの二人の歌姫特集。
第2夜は70年代リヴァプールからパンク、ニュー・ウェイブ初期にたくさんの遺産を遺したデフ・スクール&ビッグ・イン・ジャパンの歌姫特集。
第3夜はポジティブ・パンク、ゴシック方面で活躍した歌姫特集。
うんうん、さすがにROCKHURRAHらしい独自のセレクトで今どき誰も言及してないようなバンドにばかり焦点を当ててる。この微妙なバランス感がいいね(自画自賛)。

さて、今夜は何を特集してみっか?などと考えたが実は記事がアップされるのがおそらく朝か昼間。 全然ライブ的ムードも何もないんだけどね。
考えてみれば大好きだったROBINが解散して以来、ほとんどライブにも出かけてないし、19時過ぎて外にいることがないというアットホームな生活をしてるな(笑)。
かつて京都にいた頃は深夜4時に帰宅という仕事をしてたのになあ。

今回はROCKHURRAHには珍しく日本のパンク、ニュー・ウェイブ初期を飾った歌姫特集にしてみよう。

日本のパンクとかニュー・ウェイブの歴史について語るつもりは毛頭ないが、そもそも日本パンクの先駆けと称される「東京ロッカーズ」周辺のバンドが盛んだった頃のROCKHURRAHはまだ地元、北九州の住人だった。とても見てきたようには書けまっせん。
かなりヒネた自信過剰少年だったのでどうせ「俺の方がずっとパンクやけん(小倉弁)」などといきがってたに違いないよ。

日本の場合はストレートでストロングなパンクよりも、鬱屈したノイズやアヴァンギャルド、そしてテクノ系の方がずっと早く発達したという印象を持つ。今じゃなくて一番最初の時代ね。
英米からのパンクの伝来が遅れた分、リアルタイムで訪れたニュー・ウェイブと時期的に一緒になってしまった、と推察してみたが実際はどうなんだろう。
あるいは日本の住宅事情で、大声を出して歌うのも大音量で楽器をかき鳴らすのも、狭いスタジオ内くらいしか自由に練習出来ないというのも、バンドにとっては不利だったかも。ノイズやテクノだったら部屋で一人で作れるようなタイプもなくはないからね。

ROCKHURRAHもパンクのレコードを本格的に集める前の時代にペル・ユビュとかスロッビング・グリッスルとかディス・ヒートとか聴いてたし、その辺に影響を受けて短波ラジオから謎の国の放送を多重録音して、音のコラージュとか作ってたもんな。
兄が8トラックのミキサーを持ってたのに使い方がわからなくて、自分ではダブルデッキによるローファイな重ね録り(音質が非常に悪くなる)とかやってたのが懐かしい。リズムマシーンなんて持ってなかったからカシオのワンキーボード使ってバッキングの音にしてね。
何年後かにドイツのトリオがこの楽器を使ってヒットした時も「こっちの方が早かったのになあ」などと思って舌打ちしたよ。
え?個人的な思い出話なんてどうでもいい?

話を無理やり戻す(しかも上の前フリとは全然関係ない)が、割とインターナショナルな経歴の元祖ニュー・ウェイブ女性シンガーだったのがこのPhewだった。
ソロになる前はAunt Sallyというバンドをやってたな。
「ロックマガジン」の阿木譲が設立した伝説のヴァニティ・レコードよりリリースされたのが1979年の事。オリジナル盤は500枚しか出てなくて、今だったら名前検索してスチャ(マウスクリックする音)で曲を聴く事が出来るが、この当時は知ってる人も少なかったし、レコード所有者も周りにはいなかったな。
84年くらいに確か再発して、これでやっと音源を手に入れた人も多かったことだろう。

メンバーのうち3人が女性という編成、まあ多数決でガールズ・バンドと言っても差し支えなかろう。
斜めにかぶったベレー帽がトレードマークで、そういう写真が音楽雑誌の広告に載ってたから、ROCKHURRAHはどうせ美大生か何かのアート気取りシンガーだと勝手に思っていた。ベレー帽=絵描きさん=美大生という単純回路による連想なんだけど、そもそもこの発想が古いか?
事情通じゃないからPhew個人の事については何も知らないけど、音楽は聴いたというだけの通りすがりに過ぎない。

同時代には世界各国で女性によるニュー・ウェイブ・バンドもぼちぼち出てはいたが、ブレない、媚びない姿勢でひとりよがりの四畳半インディーズとは一味違ったものを作っていたのが見事。
曲によっては「暗い70年代・暗い日本」といった雰囲気も引きずっているが、この曲「すべて売り物」などはまるで和製リチャード・ヘル&ヴォイドイスみたいで文句なくカッコイイ。途中の何だかわからん「がなり声」みたいな部分も外人はよくやるが、この時代の日本のバンドでは珍しい気がする。
「日本語でこういうことやったら恥ずかしいんじゃないか」と思う以前に、原初の衝動で突き進んでいたんだろうな。
病的と言うよりは病気のような歌「フランクに」もすごい歌詞。

物を拾えば吐き気がするし
廊下を歩けば立ちくらみ
鏡を見ると耳鳴りするし
静かになるとノイローゼ気味
地下鉄乗ると気が遠くなる
紅茶を運ぶと不整脈

Aunt Sallyは当時では知る人ぞ知るようなバンドだったが、その後Phewはソロになり、これまた伝説のPASSレコードから坂本龍一との共作を発表したり、ドイツの偉大なプロデューサー、コニー・プランク+CANのメンバーという豪華アーティストがバックを務めるアルバムを出したり、大物との共演が目立つアーティストとなる。
エクスペリメンタル・ミュージック+日本の暗い歌といった路線で、この後の女性ヴォーカリストの多くに影響を与えたに違いない。

インターナショナルな経歴というと忘れちゃならないのがこのIkue Moriだろう。
イギリスでパンク・ロックが盛んになったのが1977年だが、アメリカのニューヨークではその頃はすでにパンク以降の音楽が沸き起こっていて、 音楽も人種もるつぼのような状態。などと見てきたように書いてみた。

ストレートなパンクやロックと前衛的で実験性に富んだ音楽が同じようなシーンでごっちゃになってて、ニューヨーク・パンクに対してNo Waveなどと呼ばれていたな。
そういった一派の音楽をひとまとめにして「No New York」というコンピレーション・アルバムがブライアン・イーノによって編纂されたのが1978年の事。
ジェームス・チャンス&コントーションズ、MARS、リディア・ランチがやっていたティーンエイジ・ジーザス&ザ・ジャークス、そしてDNAという4バンドによるオムニバスなんだけど、これが当時の一般的なロックとはかけ離れたノイジーでヒステリックな実験音楽の見本市みたいなシロモノ。

DNAは実験的でグチャグチャな奏法を会得したメガネ・ギタリスト、アート・リンゼイによるバンドだ。コードだのリフだのギター・ソロだのという従来のロック的ギターとは無縁の、何だかよくわからない「かき鳴らし」みたいな音が特徴。
アート・リンゼイに限らずこの系列のバンドはみんなそういう感じなんだけど、誰が最初に始めたんだろうね。
そのDNAのドラムが日本人でしかも女性というのに驚いたけど、Ikue Moriは渡米していきなりドラムも素人のままアート・リンゼイにスカウトされて、すぐにレコード・デビューも出来てしまったという稀な例だろう。舞台がアンダーグラウンドな世界であっても、これは快挙だったに違いない。それ以前に海外で活躍した日本のアーティストなんて個人的にはCANのダモ鈴木くらいしか思い浮かばないからね。

人と違う事をやって、それが誰かに認められてチャンスが舞い込んで来る。
パンクの時代は誰でもそう考えたし、実際に楽器を手に取って何かすればどこかの世界に居場所が見つかるような気がしてた。
ROCKHURRAHにとっては理想的な生き方なんだけど、残念ながら自分ではそういう生き方をしなくて、今頃になって後悔してるよ。何であの頃に世に出るような事が出来なかったんだろうなあ、と。もっと行動力があれば人生も変わってたかも知れないね。
え?それ以前に才能がなかった?

Ikue Moriはその後もアメリカに居続けてジョン・ゾーンやフレッド・フリス、ロバート・クイン、キム・ゴードンなどなど数多くの著名なミュージシャンと共演して、自分のソロ活動も続けているが、上の映像は一番若気の至りで輝いていた頃、DNAのライブより選んでみた。トンガッてるね(死語)。
一般的な音楽好きの人からすれば頭おかしい人にしか見えないアート・リンゼイのパフォーマンス、ベースはペル・ユビュの初期メンバーだったティム・ライトか?。その後ろで部族のタイコのような音をクールに叩いてるのがIkue Moriの勇姿。よくこの二人に合わせていられるよ。

割とシリアスなのが続いたから色物系もひとつ選んでみるか。
こちらもインターナショナルなフランク・チキンズ。
1970年代最後の首相だった大平総理の姪だという東大卒のインテリ、ホーキ・カズコを中心にロンドンで結成。今で言うところのDAIGOみたいな経歴か?
1983年に「We Are Ninja」という曲で突如人気となり、日本に輸入という形で紹介されたのがフランク・チキンズだ。
外人でも知ってるスシ、フジヤマ、ゲイシャ、ニンジャなどをモチーフにして海外で大人気、と書けば今の時代だったら「ありきたり」のひとことで済ませられるだろうが、それを体当たりで本気でやって日本をデフォルメした例がこれ以前には(強いて言えばYMOが先駆者なんだろうけど)たぶんなかったんじゃない?

やらない人間はバカらしいとかあまり面白くないとか、何とでも言えるが、海外でちゃんと受けた日本のパフォーマーだった事実は間違いない。
前のイクエ・モリにしろこのホーキ・カズコにしろ、とにかく深く考えずにまず海外に行って、そこから成り行きでバンドを始めただけ、という気軽さが逆に良かったのかも。

「フジヤマ・ママ」はロカビリーの女王、ワンダ・ジャクソンの曲。
ROCKHURRAHの世代ではパール・ハーバーがカヴァーしていてクラッシュの来日公演で一緒に歌っていたのが有名かな。
フランク・チキンズはこれをいかにも80年代風にやってるが、なぜか最後の方が「小原庄助さん、何で身上つぶした、朝寝朝酒朝湯が大好きで」という「会津磐梯山」の民謡になっているという妙なミクスチャー路線。外人には意味不明だろうが今どきは日本人でも知らない人が多い歌だろうな。
他にも木更津が誇る童謡「証城寺の狸囃子」や千葉のチンピラを歌った曲などもあり、和洋折衷の極みだね。

さて、今回のラストはこれまたインターナショナルな活躍をしていたThe 5.6.7.8’sだ。ある程度の年齢の人ならば思い出すに違いない「イカ天」出身のガールズ・ガレージ・ロックンロール・バンドだ。
60年代からある音楽のジャンルなのでガレージについて書いていたらキリがないし、特に詳しいわけじゃないが、ギャンギャンに歪ませたファズ・ギターとかトレモロの効いたギュンギュンな音とか、そういうので奏でる古風なロックンロールというのがひとつのスタイルだろう。
え?その擬音じゃわからない?

今どきはそんな練習あまりしないと思えるが、大昔はロックギターの基本と言ったらブルースかロックンロールか、要するにこの手のスリー・コードを延々と弾き続けてそこに自分なりのソロを展開してゆくという手法でROCKHURRAHはギターに慣れていったよ。

この手の音楽は歌なしのインストも多いし、ただ演奏だけしてても観客がつまらんから・・・という理由かどうかは全然わからないが、なぜかガールズ進出率が非常に高いジャンルなんだよね。絵的にという意味ね。現実にいるかどうかは全く不明だが、豹柄の原始人ガールみたいな衣装のこわもてお姉さんが3ピースでやってるバンドとかがガールズ・ガレージ・バンドの一般的なイメージだと思われる。ん?偏見ありすぎ?

The 5.6.7.8’sはそこまでキワモノではなくて割と正統派でオースドックス、演奏も見た目も健全な印象がある。彼女たちがイカ天以外で最も良く知られているのはクエンティン・タランティーノの映画「キル・ビル」での演奏シーンだろう。90年代には既に海外でもツアーをしていたバンドだったが、タランティーノが知ったのはたぶん偶然だったらしいので、これは降って湧いたかのようなチャンスだったんだろう。音楽を使われるだけじゃなくて演奏シーンの出演だからね。
世間が知らないところで「チッ、あたいの方が」と舌打ちしたガールズ・ガレージ・バンドも数多く存在してるに違いないよ。

書き始めた時は「インターナショナルな活躍をした」などという括りは全然考えてなかったけど、二人目のイクエ・モリを書いた時点でなぜかそういう方向に傾いてしまったの図。相変わらず竜頭蛇尾で構成力のない文章だな。
また出直してきます。
それではDo videnia(スロバキア語でさようなら)