映画の殿 第22号 ハッピーボイス・キラー

【本物の首はどれだ?】

SNAKEPIPE WROTE:

通勤時間に読書をするのが習慣である。
活字中毒とまではいかないけれど、「ここ」ではない別の世界に身を置くことで不快な時間をやり過ごしたいから、かもしれない。
最近は「どうしても」の場合を除いて、ほとんどはスマートフォンに入れた電子書籍を読んでいる。
どうしてもの場合というのは、書籍でしか手に入らない本ってことね。
近年出版された本は電子書籍化されているようだけど、過去の作品に関しては本の形でしか読めないからね。
もちろん過去の作品でも電子書籍化されているものもある。
例えば敬愛する江戸川乱歩の作品とか、ね。(笑)

代表作はほとんど読んでいるはずだけれど、短編小説の中には忘れている作品もあり、再読して益々ファンになっているSNAKEPIPE。
先日読んだ「白昼夢」(1925年)は、乱歩の初期の作品である。
浮気癖のある妻を殺し屍蝋にして、「これでもう妻は私だけのものだ」と満足気な様子で語る男。
そしてその屍蝋にした妻をショーウィンドウに飾っている、と告白するのである。
その後の乱歩の作品に度々登場する、死体をマネキンのように展示する手法の始まりが「白昼夢」だったのかもしれないね?
1925年にこんな作品を完成させているとは!
さすが、乱歩だよね!(笑)

「白昼夢」を連想した映画が「ハッピーボイス・キラー」(原題:The Voices 2014年)である。
イラン出身のマルジャン・サトラピという女流監督の作品である。
フランスで活動しているバンド・デシネ(漫画)の作家でもあり、自身の作品をアニメ化した作品も監督しているようだね。

ジェリー・ヒックファンはバスタブ工場に勤める、風変わりな青年。
しゃべるペットの犬と猫に唆されながら、裁判所が任命した精神科医ウォーレン博士の助けを借り、真っ当な道を歩もうとしている。
彼は職場で気になっている女性フィオナに接近する。
だがその関係は、彼女がデートをすっぽかしたことをきっかけに、突如殺人事件へと発展してしまう。

オフィシャルサイトからあらすじを転用させてもらったよ。
シリアルキラーになってしまう、主人公の頭の中を映像化しているところがポイントなんだよね。
映画のキャッチコピーが「キュートでポップで首チョンパ!」なのは、その映像部分を表現しているからだろうね。

主人公・ジェリーを演じたのはライアン・レイノルズ。
精神科医の治療を受けているシーンで、ジェリーには何か問題があることが分かる。
映画の途中でトラウマになる幼少期の出来事が出てくるまでは、何が原因で「声」が聞こえてしまうのか不明なんだよね。
そう、ジェリーには他人には聞こえない「声」が聞こえてしまうのである。

聞こえるだけではなく、会話も成立しているんだよね。
一緒に暮らしている猫のMr.ウィスカーズと犬のボスコが人間の言葉を喋るのである。
邪悪な道へ導こうとするMr.ウィスカーズに対して、人道的な道を説くボスコ。
その2人(2匹?)と会話しながら、次々と殺人に手を染めてしまうジェリー。
精神科医から処方された薬を服用した途端、Mr.ウィスカーズとボスコと会話ができなくなってしまう。
つまり、薬が効くと妄想の世界から追い出されてしまうってことなんだよね。
精神科医からは絶対服用を言いつけられているけれど、妄想世界のほうが楽しい!と服用を拒否するジェリー。
ボスコとMr.ウィスカーズの声が聞こえなくなると、SNAKEPIPEも寂しくなってしまった。
いつも「動物と会話できたらどんなに楽しいだろう」と考えているので、その夢が映画の中で叶っているからね。(笑)
SNAKEPIPEも妄想の世界に浸りたいタイプなのかも?

あらすじに出てきた気になる同僚・フィオナを演じたのがジェマ・アータートン。
イギリスから来た美人という設定で、社内では憧れの的といったところ。
ジェリーがアタックして来るのを、かなりバカにした様子で無視している。
はずみで殺人事件に発展したけれど、恐らくジェリーの内心では怒り心頭だったはずだよ。
ジェリーの味方をするわけじゃないけど、フィオナの態度にも問題あるな、と感じたからね。

現実のフィオナとはうまくいかなかったけれど、フィオナの同僚・リサとはかなり良い感じになっていたジェリー。
リサを演じていたのはアナ・ケンドリック。
そのままジェリーにも幸福が訪れてくれたら、と願っていたけれど…。
なかなかうまくはいかないものだね。
親切心が徒となってしまった。
リサもフィオナと同じ運命に。ゴーン。(合掌)

そして「キュートでポップで首チョンパ!」な場面がこれ!
自分が殺して冷蔵庫に保管(?)している首が生き生きと、笑いながら喋るところなんだよね。
前述したように、映画の大半はジェリーが見えた状態、妄想の世界を映像化しているからね。
猟奇殺人なのにポップ、というアンビバレントが発生する仕組みなのよね。
はっ、またアンビバレントなんて使ってるよ。(笑)

正気を失った人の頭の中を覗く映画で思い出すのは、ターセム・シン監督の「ザ・セル」(原題:The Cell 2000年)かな。
あの映画も映像美が素晴らしかったなあ!
また鑑賞してみよう。(笑)
「ハッピーボイス・キラー」は主人公の脳内映像の映像化に加えて、どうしてシリアルキラーになってしまったのか、というプロセスも描いているのが興味深い。
映画の殿 第2号」で特集したシンディ・シャーマン監督作品「オフィスキラー」も、死体を集めて自分だけの世界を作る話だったね。
主題は似ているけれど、「ハッピーボイス・キラー 」の残忍なのに明るい映像、というのは新しい感じがする。

先日鑑賞した「シリアルキラー展」以来、なるべくシリアルキラー関連の映画を観るようにしているROCKHURRAH RECORDS。(←変?)
そんな映画の中でも、邪悪というよりは明るい「ハッピーボイス・キラー」は異色作だろうね。
机に乗せた首に食べさせているのはシリアル。
シリアルキラーにかけてるんだね!
喋る首に向かって「殺してごめんね!」だし。(笑)

マルジャン・サトラピ監督は、もしかしたらSNAKEPIPEと同じようにデヴィッド・リンチ監督やジョン・ウォーターズ監督のファンなのかな?
リンチの作品にも登場するようなダンスシーン(例えばインランド・エンパイア)が、「ハッピーボイス・キラー」にもあるんだよね。
被害者と加害者が楽しそうに歌い踊るなんて驚きだし、しかも唐突に始まるのには腰を抜かすほど。(大袈裟)

リンチやジョン・ウォーターズが愛する時代、50’s(フィフティーズ)要素満載なのもこの映画の特徴なので、余計に2人の監督の影響を感じてしまうね。
ジェリーが住んでいるのはボーリング場の2階。
50年代にはボーリングが盛んだったらしいからね。
一緒に観ていたROCKHURRAHが「羨ましい」と言う。
ガランとした広い場所で、隣近所に誰もいない環境は確かに憧れちゃうね!(笑)
車じゃないと行かれないような場所、というのも犯行に適していたんだろうね。
ジェリーが会社で着ていた「つなぎ」のピンク色も、いかにも50’sのカラーだし。
劇中で流れる音楽も50年代っぽかったしね。
マルジャン・サトラピ監督はイラン出身でフランスで活動しているのに、アメリカの50’sっぽい、というのが不思議。(笑)

愛する人を殺して、ずっと自分だけの物にしておくという点が乱歩の「白昼夢」と「ハッピーボイス・キラー」の共通項かな。
そしてどちらの殺人者も、事件後とても幸せそうだったのが印象的なんだよね。
きっと「ハッピーボイス・キラー」の映像のように、妄想世界に生きているからだろうね。
もし乱歩が「ハッピーボイス・キラー」を鑑賞したら、どんな感想を持つだろう、と想像すると楽しくなる。
もしや、これも妄想世界か?(笑)

SNAKEPIPE MUSEUM #39 Max Beckmann

【1938年の作品「Bird’s Hell」。鳥は何の象徴だろう?】

SNAKEPIPE WROTE:

「変わった画家がいる」
と教えてくれたのはROCKHURRAHだった。
黒い線が特徴的な、非常に不気味な絵。
いかにもSNAKEPIPEが好きな雰囲気!(笑)
さすがにROCKHURRAH、SNAKEPIPEの好みを熟知してるよね。
この画家は一体誰なんだろう?

調べてみると、マックス・ベックマン(Max Beckmann)というドイツ人だった。
前回のSNAKEPIPE MUSEUMもドイツのアーティストだったなあ。
どうしてもヨーロッパに目が向いてしまうんだよね。

マックス・ベックマンは1884年ライプツィヒ生まれ。
1925年にStädelschule Academy of Fine Art(読めない)のマスタークラスを教えていたという。
そこまでの経歴についての詳細は不明なんだけど、かなり優秀だったんだろうね。
上の画像は1901年の自画像。
計算すると17歳くらいなのかな?
まるでフランシス・ベーコンを思わせる口の開け方!
フランシス・ベーコンの絵については「フランシス・ベーコン展鑑賞」に詳しく書いているので参照してみてね。
ベーコンが参考にしていた映画「戦艦ポチョムキン」は1925年だから、それよりももっとベックマンのほうが早かったね。(笑)

自己愛が強かったのか、1番身近なモデル(?)だったためか、ベックマンはセルフポートレートを多く描いていることで有名な画家だという。
オレンジ色の壁をバックにしている右の絵は「Self-portrait with champagne glass (1919)」である。
35歳くらいになってるのかな。
葉巻を挟んでいる手首の返り方が不自然なほど「ぐんにゃり」曲がっていて、デッサンのミスなのかと思ってしまうほど。(笑)
試してみると同じポーズが取れたけど、もしかしたらベックマンもSNAKEPIPEと同じように「猿腕」だったのかも!
もう一点非常に気になるのがベックマンの後方にいる人物。
メガネをかけて笑ってるんだけど、どうしても藤子不二雄の漫画に出てくるような男性にみえてしまう。
実際に当時のドイツにはこんな人がいたんだろうか?

少し笑いが出てしまったけれど、同時期に描かれたベックマンの代表作の一つが左の「Night(1918)」という作品。
クリックして拡大してみると、この絵、かなり怖いんだよね。
左には絞殺された男性、手を縛られ尻を見せている女性は拷問を受けている最中だろうか。
純朴そうに見える田舎者が結託して残酷な行為を平然と行い、秘密を守り合うことによって更に村人同士の絆を深めているような印象を受ける。
結局は誰もが持っている残虐性について描きたかったのかなと想像する。
僻地の閉鎖的なムードは、例えば横溝正史の作品などからも理解できるよね。
ベックマンは「ヨーロッパの憂鬱」を題材にしていたようなんだよね。

順風満帆だったはずのベックマンだけれど、ナチス・ドイツによって「退廃芸術」と烙印を押されてしまい、1937年にはオランダに移住する。
第二次世界大戦後はアメリカに渡り、生涯を過ごすことになったというからドイツに戻ることはなかったようだね。
「Triptych of the Temptation of St. Anthony (1936-1937)」はドイツを離れた頃の作品ということになるね。
「聖アントニウスの誘惑」は、フランシス・ベーコンでお馴染みの三幅対で表現されているね。

諸々の誘惑を象徴するかのような怪物に囲まれ、苦闘する聖アントニオスの姿は美術の題材として好まれた

聖アントニオスについて調べると、こんな記述があったよ。
1番右に、まるで「20世紀少年」の「ともだち」のような異形がいるのは、怪物だったんだね。(笑)
この絵も拡大すると、かなり怖いのでチェックしてみてね!

SNAKEPIPEのお気に入りはこれ!
「Journey on the fish (1934)」は、まさにシュルレアリスム真っ只中の時代に描かれているんだよね。
ナチス・ドイツによって迫害される前だった、ということも含めてベックマンがのびのびと自由に描いているように思う。
ベックマンは表現主義や新即物主義として位置付けられているらしいけど、この作品はシュールな感じだよね。

顔なのか面なのか分からないし、うつぶせの人物の頭部がどこにあるのか、じっくり観察してもよく分からない。(笑)
ベックマンの作品には魚が多く登場するんだけど、きっと意味あったんだろうね。
魚に乗って旅行なんて楽しそう!
いや、生臭くなるかも?(笑)

歴史的な事実や思想を絡めてマックス・ベックマンを語るべきなのかもしれないけれど、SNAKEPIPEは作品そのものについての感想にとどめておこうと思う。
1番最初に持った「黒い線が特徴的な不気味な絵」という感想は、観れば観るほど強くなっていった。
人間の持つ残虐性を寓話性を持たせた、少しコミカルなタッチで表現するのは、後のピカソに通じるように思う。
右はピカソの「The Rape of the Sabine Women(1962)」。
とても良く似た雰囲気だよね!

ベックマンの回顧展は日本で開催されていないようなので、全貌を鑑賞してみたいな!

怖い浮世絵展鑑賞

【太田記念美術館前のポスターを撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

情報収集能力に優れている長年来の友人Mや、ROCKHURRAHから勧められたり誘われて展覧会に行く事が多いSNAKEPIPE。
今回もROCKHURRAHから「面白そうだから行こう」とお誘いを受ける。
それは2012年「没後120年記念 月岡芳年展」で訪れたことのある太田記念美術館で開催されている「怖い浮世絵展」であった。
これは楽しみ!(笑)

梅雨が開けて、すっかり陽射しが真夏の原宿。
それでも表参道には「けやき」の木が生い茂っているため、大きな木陰を作っているので涼しく感じる。
自宅近辺より原宿のほうが涼しいとはね!(笑)
歩いて数分で太田記念美術館に到着。
アクセス抜群の場所にあるんだよね!

調べてみると太田記念美術館は1980年にオープンしたという。
ROCKHURRAHもSNAKEPIPEも1980年代には原宿を毎週闊歩していたので、太田記念美術館の前は何度も通っていたんだろうね。
特別浮世絵に興味がなかったからだろうけど、太田記念美術館のコレクションを今まで観ていなかったとは!
その時代から鑑賞していたら、人生形成に何かしらの影響を及ぼしたんじゃなかろうか。(笑)
もしかしたらある程度の年齢になったからこそ、理解できることもあるかもしれないけどね!
さて、今回はどんな「怖い浮世絵」が展示されているんだろう?

前述したように場所は原宿だというのに、太田記念美術館の中は、それほど混雑していなかった。
オープンしたばかりという時間帯のせいだったのかもしれない。
できればゆっくり自分の好きなように鑑賞したいと思っているSNAKEPIPEとROCKHURRAHなので、とても良い環境だよね。
前回も似た状況だったので、太田記念美術館はいつでもこんな感じなのかな。
江戸東京博物館で開催されている「大妖怪展」だったら、大混雑でゆっくり鑑賞することは不可能だっただろうね。(笑)

展示はチャプターで分かれていて、

1 幽霊
2 化け物
3 血みどろ絵

とされていた。
上の画像は「 化け物」にあった歌川国芳の作品、「源頼光公館土蜘作妖怪図」(1842年〜1843年)である。
水木しげるがお手本にしたんじゃないかと思われるほど、妖怪達の賑やかで多種多様な表情が見事である。
ユーモラスな雰囲気もあるところが、怖い表現だけにとどまっていないんだよね。
江戸時代には妖怪は娯楽の対象で、キャラクター化され人気があったというのがよく分かるね!

上の画像は歌川国芳の弟子だった歌川芳員の「新田義興の霊怒て讐を報ふ図」(1852年)である。
妖怪画として興味があったというよりは、直線の使い方が気になったんだよね。
漫画の一コマのような感じもするし、横尾忠則の作品のような雰囲気もある。
もちろん横尾忠則が影響を受けて描いているんだろうけどね。(笑)
月岡芳年の作品にも、後の時代に影響を与えているような劇画チックな作品があったので載せておこう。
右は「羅城門渡邉綱鬼腕斬之図」(1888年)という上下2枚で構成されている作品である。
これも直線を効果的に使用しているんだよね。
右の作品では、右上に書かれているタイトル部分にまで直線が引かれているところに注目してしまう。
なかなかここまで大胆に描いている作品はお目にかかれないのでは?
かなりの迫力で、これもまた漫画の中の一コマのように見えたよ!
今から130年程前に、こんなにも斬新な手法が確立されていたことに驚いてしまうね!(笑)

歌川芳員の「大物浦難風之図」は1860年の作品だという。
「だまし絵」で有名な人物といえば例えばエッシャーがいるけれど、エッシャーが活躍していたのは1930年以降のようだね。
古いところでは1500年代のアルチンボルドになるのかな?
浮世絵の世界にも「だまし絵」は存在していて、歌川国芳の「みかけハこハゐが とんだいゝ人だ」は有名な作品だよね。
上の歌川芳員の作品にも「亡霊に見える」部分があるんだよね!
クリックすると大きな画像になるので、確認してみてね。(笑)

「幽霊」の章で印象的だった作品はこちら。
歌川国芳の「四代目市川小団次の於岩ぼうこん」(1848年)である。
「東海道四谷怪談」で演じられたシーンを切り取った作品だという。
美しい娘の「お岩」と亡霊の「お岩」がシンクロしている様子を表現しているとのこと。
この「薄ぼんやり」とした亡霊を木版にするってすごいよね!
浮世絵には、透けた布の表現などもあって、技術の高さに驚いてしまう。
若い娘だと思っていたら亡霊だった、というのは上田秋成の「雨月物語」にも似た話があったような?
江戸時代の人はホラーが好きだったんだね。(笑)

「怖い浮世絵」と聞いて最初に思い浮かんだのは、妖怪とか幽霊ではなくて「無残絵」だったSNAKEPIPE。
きっと前回同じ太田記念美術館で鑑賞した月岡芳年を思い出したからだろうか。
最終章である「血みどろ絵」は期待通り(?)無残絵が数多く並んでいた。
芝居の中のワンシーンを切り取った物もあれば、実際に起きた事件を題材にした作品もあった。
右の画像は月岡芳年が「郵便報知新聞」のダイジェスト版に載せた錦絵(1875年)である。
これは離縁した妻に復縁を迫ったが思い通りにならなかったため犯行に及んだという、実際の事件を題材にした作品とのこと。
再現フィルムならぬ、再現錦絵といったところか。(笑)
はっ、前回の記事の中では「報道浮世絵」と書いていたSNAKEPIPE。
似た表現になってしまうのは仕方ないね。(笑)

「血みどろ絵」を得意とする月岡芳年は、赤絵具に膠(にかわ)を混ぜてドロドロしたドス黒い赤で血を表現していたというから、並々ならぬ執着心が伺える。
「月岡芳年といえば無残絵」とイコールで結ばれるほど、芳年と血は密接だからね。
さすがに迫力のある「血みどろ絵」、大いに堪能させてもらったね!

「怖い浮世絵展」を鑑賞して、改めて思うのは江戸時代と現代の感覚にほとんど差がない、ということ。
「幽霊」も「妖怪」も「血みどろ絵」にしても、みんなが見たい物だったから人気があったことの証だよね。
現代でも「残酷」で「グロテスク」な事件に関心が集まるのは、同じ原理だと思う。
科学が進歩しても、人間そのものはそれほど変わっていないんだね。
逆にいえば、江戸時代の人は思った以上に進んでいたんだな、と思う。

世界中の人が驚いたというけれど、日本人でありながらSNAKEPIPEもROCKHURRAHも驚嘆してしまう浮世絵。
絵師に注目が集まることが多いけれど、木版にして刷る技術も素晴らしいよね。
日本が誇れる独自の文化、これからも注目していきたいと思う。

ROCKHURRAH RECORDS残暑見舞い2016


【今年はモノトーン90%で表現してみた

ROCKHURRAH WROTE:

今回、ブログを書く予定だったSNAKEPIPEが急に具合が悪くなってしまい、急遽代理でROCKHURRAHが書いている。
ウチのブログは毎回割と文章量が多いので全然ネタを用意してないとこれだけでパニックだが、今回は一応何かあったのでそれにしてみる。文章をあまり書かなくて済む「ザ・残暑見舞い」編だ。

お盆休みも夏休みも全然縁がないROCKHURRAH家だが、真夏の華々しい思い出とは無縁の地味な生活が当たり前になってきてるのが少し悲しい。元気と行動力が比例するとは思わないが、炎天下の蒸し暑さが恐ろしくて動けないんじゃ「もう若くない」と言われても仕方ないもんなあ。そう言えばこってり料理もだんだん苦手になってきてるし朝も早起きだし。

見た目からスポーツとは全く無縁だと思われがちなROCKHURRAHだが、かつては走るのも速かったし、泳ぎもまあまあだった。
昔、ビデオ屋でバイトしてる頃には万引き少年を何百メートルも追いかけて捕まえた事もある。
苦手なのが球技などチームでやる種目だった。これはまあ性格で単独行動を好むタイプ、というわけだ。

今年の夏は開催地のさまざまな噂で案外盛り上がってないオリンピックなんだが、普段はオリンピックの話題なんて全然興味ないROCKHURRAHとSNAKEPIPEが、少しだけ楽しみにしている事がある。それは112年ぶりに復帰した種目、ゴルフ競技だ。
実はにわかファンに過ぎないが、最近二人が最も注目しているのがゴルフなのだ。

昔は日曜の昼間とかに延々とやっててどこが面白いのかわからないスポーツだったが、確かに大昔はカメラの切り替えとかもあまりなくて歩いてるシーンばかりが印象に残ってたよ。選手も腹の出たおっさんばかりだったな。
ところが最近のは割とスピーディでドラマティック、そしてファン・サービスを忘れない選手が多くなっているから観てて本当に面白い。先日の全英オープンでのフィル・ミケルソンVSヘンリック・ステンソンは歴史に残る名勝負で、鳥肌が立つほど熱狂した我が家の二人だった。負けたミケルソンもあっぱれ。
かつてのジャック・ニクラス(古い)やタイガー・ウッズほどの絶対的なスターが存在しない現在は、ランキング上位の選手が週替りのように入れ替わり立ち代り、しのぎを削ってる戦国時代でこれもまた面白い。
特定の誰かをひいきにしてるわけじゃなくて、あくまでウチの二人を沸かせるようなプレイをする選手を応援しているからね。

ウチの場合は肝心のゴルフとは関係ないようなところで注目している場合もあるので、根っからのゴルフ好きとは話が噛み合わないかも知れないね。

ベン・クレイン、バッバ・ワトソン、ハンター・メイハン、リッキー・ファウラーという人気ゴルファーで結成したゴルフ・ボーイズのこの曲。古くてゴルフ・ファンからは「何を今さら」と言われそうだが、古いものをメインで扱ってるROCKHURRAH RECORDSだから遅れてるのは全然構わんよ(偉そう)。一流でもこんな茶目っ気を持った個性的な面々、いい味出してるね。
バッバ・ワトソンとリッキー・ファウラーはオリンピックのアメリカ代表で個人的にものすごく応援しているのだ。
しかし極端な自国びいきのTV局はおそらく、優勝なんかはどうでも良くて、日本人がどこまで健闘したかだけを放映するんだろうな。ゴルフ番組でも予選落ちした日本人選手のプレーを振り返るばかりで優勝争いを映さなかったりするもんな。

さて、今回の残暑見舞いは今までに無くぞんざいなものだが、作りこむヒマもなかったしこれで勘弁して。
最初はCinemagraphという、写真だけど一部分だけ動いてるぞというのを作る気だったんだが、そんなに都合の良い素材もアイデアも持ちあわせてなかったので方向性が違ってきた結果、かなり短絡的なのにしたよ。床上浸水を表現したわけではない。
「映像の継ぎ目がヘタ」とか「ありきたり」とか感想は色々だろうが、WEBで公開するだけのポストカードだから、今回は動きのあるものにしたかったのだ。

まだまだ暑い日が一ヶ月以上も続くと思うとゲッソリだが、日陰を歩きながら何とか乗り切ろう。
ではまた、ポ ポバチェンニャ(ウクライナ語でさようなら)。