窓展/MOMATコレクション 鑑賞

20200105 top
【窓展の入り口を撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

SNAKEPIPEが担当する2020年初のブログだね!
今年もよろしくお願いいたします。

今回は2019年の最後に書いた「パラサイト/パッション20 鑑賞」 の続きを紹介していこう。
国立近代美術館工芸館で「パッション20」を鑑賞した後、その足で国立近代美術館に向かった友人MとSNAKEPIPE。 
歩いて10分程度の場所に美術館があるので「はしご」ができるんだよね。(笑)
それにしても映画から始まり、工芸館の鑑賞後にもう一つの展覧会を回るとは、ハードスケジュールだよ!

少し北風が強まってきた中、北の丸公園を散策しながら工芸館へ。
もう少し気温が高くなったら、ゆっくり散歩したい公園だね! 
前回、国立近代美術館に来たのは2016年9月の「トーマス・ルフ展」だったっけ。
あの時は友人MとROCKHURRAHという「あやしい3人組」だったね、などと話しながら到着。
館内に入り、チケットもぎりの場所で撮影について尋ねる。
一部撮影禁止の作品があるとのこと。
「トーマス・ルフ展」の時には、ウェブにアップする際には作品名や「国立近代美術館」という記載をする必要があったけれど、そういった規制もないみたい。
外国人観光客も多いし、インスタグラム等SNSが流行している現在、3年前とは状況が変わったんだろうね。

それでは早速気になった作品を紹介していこう!
と書きたいところだけど…気になる作品のほとんどが撮影禁止だったんだよね。
マルセル・デュシャンの「フレッシュ・ウインドウ」やリキテンシュタインの「フレームIV」など観たいと思っていた作品を画像でお伝えできないのが残念!

撮影できた作品で気になったのは、林田嶺一の「とある日用雑貨店のショーウインドーケース」。
1933年旧満州生まれの林田が、子供時代に見た戦争の記憶をもとに作った立体作品とのこと。
ロシア文字が並んでいるかと思うと、和服の女性が描かれていたりして、旧満州の雰囲気が表現されているみたい。
調べてみると、林田の作品はポップアートとして位置づけられているみたい。
確かに戦争の悲惨さを訴えるというよりは、純粋に子供だった頃の記憶や見たままを再現しているようで、とても可愛らしいんだよね。
SNAKEPIPEは少女時代に夢中だった「文化屋雑貨店」を思い出したよ。(笑)
現在87歳になる林田は、今でも絵を描いているというから恐れ入る。
「窓展」で初めて名前を知ったアーティスト。
鑑賞できて良かった!

山中信夫の「ピンホール・ルーム1」 は20枚を1組とした作品なんだよね。
この作品について説明されている文章を探してみると、「針穴を通して入り込む光を壁に貼られた複数のフィルムに収め、感光したフィルムはコンタクトプリントで原寸のまま焼かれ、写真はフィルムを並べた時と同様に再現され展示されるという作品」とのこと。
どうやら山中は自宅の窓を全て塞いで真っ暗にして、5円玉の穴から差し込む光を印画紙に露出させ、作品を制作していたようなんだよね。
およそ2.5mの正方形に近い大型作品というせいもあり、非常に重厚な印象を受けた。
山中は1948年大阪生まれ、69年多摩美術大学油絵科に入学する。
82年にパリ・ビエンナーレに出品し、個展が決定したパリとニューヨークの下見をするための渡米中、敗血症のため客死したという。
写真を現代アートの素材として使用する日本人の先駆けだったんじゃないかな?
34歳という若さで亡くなったのが惜しいアーティストだね。

国立近代美術館は常設展が素晴らしいんだよね。
前回までは「撮影禁止」だったはずだけど、念の為に確認してみる。
なんと、一部を除いてオッケーとのこと!
いろんな規則が変化してるんだね。 
やったー!可能な限り撮影していこう!(笑)

村山知義の「コンストルクチオン」は1925年の作品。
20年代の日本にダダっぽい作品があるとは驚き!
木片、紙、木、布、金属、皮が使用されているという。
どうやら右上に貼られているのは、ドイツのグラフ誌らしいよ。
村山知義は1922年にベルリンで様々なアートに出会っているというから、当時のヨーロッパを実際に体験した人物ということになるんだね。
1924年には構成主義についての本、1925年にはカンディンスキーについての著作があるというので、バウハウスを直接現地で知っていたんだろうな。
なんとも羨ましい境遇!
20年代の日本でも、かなり進歩的だったことがわかったよ。
村山知義は非常に興味深い人物なので、もう少し調べていきたいと思う。

尾藤豊の「シベリア紀行」は1958年の作品だよ。
赤、白、緑という3色のみ使用したシンプルだけど、ダイナミックな構図。
潔さが感じられて、気になった作品なんだよね!
尾藤豊について調べてみると、1926年生まれで1943年に東京美術学校建築科に入学だって。
1950年代から60年代にかけて、ニッポン展や日本アンデパンダン展に出品するかたわら、「フォール」や「革命的芸術家戦線」などのグループを次々と結成し、批評的な芸術運動を積極的に展開したというアーティスト。(福岡県立美術館の説明文を一部流用)
ちょっと過激なタイプだったのかもしれないね?

河原温の「物置小屋の出来事」は1954年の作品。
紙に鉛筆だけで描かれているのにも関わらず、非常にインパクトがあるんだよね。
棒状の物体が描きこまれるにつれ、徐々に画面が狭くなり圧迫感が増してくる。
息苦しくなり、不安な気分に襲われる。
塩田千春の展覧会「魂がふるえる」を思い出したよ。
他の作品も鑑賞してみたいね。

中村正義の「源平海戦絵巻」は1964年の作品。
これは小泉八雲原作の「怪談」を、小林正樹が監督し1965年に映画化、劇中で使用された絵画だという。
実はROCKHURRAHとSNAKEPIPE、映画の「怪談」鑑賞してるんだよね!
映画は4つのオムニバスで構成され、その中の「耳なし芳一」に登場した絵画とのこと。
確かに「すごい絵!」と言いながら鑑賞した記憶があるよ!(笑)
絵巻は5部作で、どれも素晴らしいんだよね。
日本画壇の風雲児や反逆の天才画家などと称される中村正義。
その生き方、パンクっぽくて気になるなあ!

最後の作品はこちら!
中西夏之の「コンパクト・オブジェ」は1962年の作品なんだよね。
これはポリエステル樹脂製の卵で、中に様々な物が入っているのが透けて見える。
魚の骨だと思われる物と金属製の何かがあるおかげで、まるでエイリアンの卵だよ。
リドリー・スコット監督による映画「エイリアン(原題:Alien 1979年)」 のデザインを担当したのはH・R・ギーガーだったよね!
ギーガーよりも制作年が早い中西夏之のオブジェが、山手線のホームや車内で行う「ハプニング」用だったと聞いて驚いてしまう。
「ハプニング」とはパフォーマンス・アートのことで、ゲリラ的な行動を起こすアートのこと。
例えば60年代、草間彌生がニューヨークで裸の男女に水玉をボディ・ペインティングする「ハプニング」を行っている。
「ハプニング」は行動なので、写真や動画が残っていないと「やったよ」という宣言だけで成り立つアートなのかどうかは不明。
中西夏之の「ハプニング」について詳細は分からなかったけど、こんな卵を突然見せられたら、ギョッとすること間違いなしだよ。(笑)
日常に突如現れた異物、というコンセプトだったのかなあ。
SNAKEPIPE MUSEUMに陳列したい逸品だね!

エイリアンについて調べてから眠ったせいで、おかしな夢を見てしまった。
教室で授業を受けているSNAKEPIPE。
黒板に先生(教授?)がエイリアン、と白墨で書いている。
先生が誰だったのかは覚えていない。
「いいですか、エイリアンはオスなんですよ。メスは語尾が変わってエイリアンヌになります」
と言いながら「アン」に下線を引き、下に「アンヌ」と書いている。
「そうなんだ、メスはエイリアンヌなんだー」
と感心している、という夢だったんだよね。
久しぶりにトンチンカンな夢を見たなあ!(笑)

SNAKEPIPEのおかしな夢は良いとして。
先にも書いたように、以前鑑賞した時には撮影ができなかった近代美術館の常設展。
今回は、ほとんどの作品が撮影可能で大満足だった。
鑑賞して気に入っていても、作品と作者名を同時に覚えておくことは難しいため、感想を書くことができなかったからね。
今までほとんど知らなかった日本のアーティストについて、調べることができて嬉しい。
様々な展覧会で自由度が高くなると良いね!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です