【大竹伸朗展の看板と宇和島駅ネオンサインのコラボ】
SNAKEPIPE WROTE:
ROCKHURRAH RECORDSでは、面白そうな番組をROCKHURRAHがピックアップし、録画予約してくれる。
SNAKEPIPEは録画された番組を観るまで、一体何がセレクトされたのかを知らない。
今から約半年前、2022年6月のある夕食時、録画一覧からROCKHURRAHが選んだのが、NHKBSで放映された「21世紀のBUG男 画家・大竹伸朗」だった。
大竹伸朗って名前だけは以前から知っているけれど、作品については覚えがないかも。
東京都現代美術館のミュージアム・ショップにもグッズが置いてあるのは横目で見ていたけれど。
番組を観ていると、大竹伸朗について語る人物の中に藤原新也が登場する。
そして番組タイトルになっている「BUG男」、と発言していたよ。
命名者は藤原新也だったんだね!
大竹伸朗の作品を80年代から観ていたらしい。
そして大竹伸朗本人がインタビューに答えるシーンに、ROCKHURRAHと共に目が釘付けになる。
とてもアーティストには思えないような喋り方!
話し方も話す内容も面白くて、一瞬でファンになってしまった。(笑)
そして話しながら、作品制作を続ける。
何も考えず、無作為で投げやりに見えてしまうような制作状況が映し出される。
一体どんなアート作品を作っているのか、非常に気になった。
いつか大竹伸朗展、観てみたいなと思っていた矢先、展覧会情報が入る。
それは2022年7月に鑑賞した「ゲルハルト・リヒター展」で手にしたチラシだった。
11月1日から大竹伸朗展と知り、狂喜するROCKHURRAHとSNAKEPIPE!
NHKBSの番組中制作していた作品がチラシに使用されているよ。
リヒターの次に大竹伸朗を企画するとは、東京国立近代美術館もやるねえ!(笑)
ここで簡単に大竹伸朗の略歴を調べておこう。
1955 東京都目黒区に生まれる 1974 武蔵野美術大学造形学部油絵学科入学。
入学後すぐに休学し、北海道の牧場で働く1975 東京に戻り復学する 1977 大学を休学し、ロンドンに滞在する。
ラッセル・ミルズ、デヴィッド・ホックニーと親交する1978 帰国し、復学する。
音楽活動を始める。1980 武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業。
再びロンドンに滞在し、デヴィッド・ホックニーのスタジオに通う。
ノイズ・ユニット「JUKE/19.」結成。1981 「JUKE/19.」としてシングル1枚、アルバム2枚を発表。 1982 東京ギャルリーワタリにて初個展開催 1983 ニューヨーク、香港、ロンドン、ナイロビなどに滞在 1988 妻の実家が所有している、愛媛県宇和島市にある倉庫をアトリエとして使う 1989 前年に開催された個展「キャンヴァシズム 夢と細胞」のカタログが、ニューヨークのADC第3回国際展で優秀賞を受賞
「21世紀のBUG男」の番組内で、大竹伸朗自身が生い立ちから現在に至るまでの思い出話を語っていたので、番組を観た人は分かる略歴だよね。
東京藝術大学に入りたかったのに不合格となり、不本意ながらムサビに入学。
休学して北海道やロンドンに行く話も番組内で聞いている。
1977年にロンドンにいたということは、パンクの始まりを目撃していたかもしれないんだよね!
これはとても羨ましい。(笑)
そして奥様と結婚した時の話にも大笑いしてしまった。
小銭しか持ってない男って、まるでベルベット・アンダー・グラウンドの「I’m Waiting for the Man」に出てくる歌詞みたいだよね。
大竹伸朗展は11月1日から始まっていたけれど、混雑を警戒し、少し時期をズラして鑑賞することにする。
そして1ヶ月経った風の冷たい日、リヒター展以来約5ヶ月ぶりに竹橋に向かったのである。
予想通り、恐らく大竹伸朗展は一段落ついたようで、お客さんはそこまで多くない。
一人で鑑賞している人が半数近くいたので、話し声が気になったり、人の頭で作品が観辛いこともなくスムーズだったのは良かったよ!
今回の展覧会は東京で開催される個展としては16年ぶりとのこと。
そのため展示されている作品数は500点だという。
大竹伸朗の個展はもちろん、作品に触れるのも初めてのROCKHURRAH RECORDS。
今回の展覧会についての感想を一度のブログにまとめるのは難しいと判断したので、複数回に分けていこうと思う。
まずは一回目、会場入ってすぐのエリアから順に紹介していこう。
「いらっしゃい」とばかりに出迎えてくれたのは、立体作品「男」だった。
この時には何者なのか分からなかったけれど、どうやらボブ・ディランがモデルみたいだね。
作成されたのは1975年というので、大竹伸朗が20歳の時。
当時はボブ・ディランを聴いていたのかもしれないね?
一番右に配置されているのが、奥様を描いた作品。
今の俺があるのはミチコのおかげ、って言ってたっけ。
フランケンシュタインにROCKHURRAHが反応する。
大のホラー好きだからね!(笑)
初期の作品かと思いきや、図録で確認すると2000年の制作だという。
上段左から2番目は「静物、マティスにならって」というパロディ物!
次週以降に紹介する予定の作品にも、パロディが多く含まれているんだよね。
大竹伸朗が様々な先人達の作品に触れていた形跡が確認できるよ。
「紅茶を運ぶ黄色い天使」と題された1982年の作品。
ヒョウ柄のファーがキャンバスに貼り付けられているところに、白髪一雄の影響を感じたのはSNAKEPIPEだけかな?
そしてそのファーに温泉マークのような湯気が、まるでいたずらのように書かれている。
これが紅茶なんだろうね?(笑)
赤、青、黄色という原色を使用した、不思議な作品。
年表にあった、ムサビを休学して北海道やロンドンに向かった時のスナップ写真が展示されていた。
何気なく撮影されたんだろうけど、やっぱりさすがなんだよね。(笑)
ガラスケースに平置きされていたので、じっくり鑑賞できなかったのが残念だったけれど、図録に載っていて良かったよ。
アーティストは、どんな手段であっても表現できるんだなと改めて感じる。
「残景 14」は、2020年の作品。
今から2年前というと、最近制作されたんだね。
平らだったキャンバスに、今となっては何が貼り付けられているのか不明なほど、厚みがある。
古くて錆びた機械のようにも見える。
SNAKEPIPEは、この色合いが大好き!
意味とか解釈を抜きにして、飾っておきたくなる作品だよ。
今回紹介している作品の中で、SNAKEPIPEが一番気に入ったのはこれ。
幅386mmという大型作品である「サンティアーゴ」は1986年の制作だという。
細かく描きこまれているので、じっくり鑑賞していると様々なモチーフに気付くんだよね。
この画像では分かり辛いけれど、左下方に「DADA」の文字があったり、中央下方にある枠組みだけでできた立方体はゲルハルト・リヒターの作品に似ていたり。
観れば観るほど、新しい発見があって嬉しくなったよ!(笑)
「ナイロビ II」はキャンバスを分割した構成になっている。
1984年の制作だというので、1983年にナイロビを旅した後に描かれていることが分かるよ。
青い扉部分は木材を使用し、立体的に作られていて、多様な素材を貼り付けていくスタイルの原型のように感じられた。
色合いの美しさと構図の面白さが際立った作品だね!
大量の釘が刺さった作品を最初に観た時、強いインパクトを感じたSNAKEPIPE。
巡礼だったり犠牲だったりというような、宗教的な意味か、もしくは強制的に連行された過去を嘆く心を表現しているのかと想像する。
ただ大竹伸朗の、ここまで観てきた作品とは違い、メッセージ性の強さがあるんだよね。
タイトルの「Nail Fetish」を検索すると「Nkondi(ンコンディ)」という言葉が出てくる。
どうやらコンゴ族によって作られた、釘がたくさん刺さった小像のことだという。
村や他の場所を魔女や悪者から守ったりするために使用されたらしい。
元になっているコンゴ族のンコンディ、画像で観ただけでも迫力あるよ。
恐らくその像にインスパイアされた作品なんだろうね。
大竹伸朗展のブログ、第一回目の最後は、2012年の「モンシェリー/自画像としてのスクラップ小屋」。
スクラップというだけあって、小屋の中は雑多な物で溢れていた。
何か音が鳴っていたようだったよ。
「モンシェリー」という看板が掲げられている小屋であれば、壁に何が貼られていても、小屋の内部に何が置かれていても良い仕様なんだろうね。
昭和な雰囲気を感じた作品だったよ!
大竹伸朗展は、すべての作品の撮影オッケー!
SNAKEPIPEもROCKHURRAHも撮りまくり、帰りにはスマートフォンの電池残量が危なくなるほどだったよ。(笑)
次週の続きをお楽しみに!