【ROCKHURRAH RECORDSにならなかったらやってみたかったもの】
ROCKHURRAH WROTE:
(「其の一」を未読の方はそっちを先に読んで下さい)
何だか毎年恒例のような気がしないでもないが、SNAKEPIPEは先週のブログを書いた後に何年ぶりかのひどい風邪でダウン、今も寝込んでいるような状態だ。
それに加えてROCKHURRAHの愛機iMacなんだが、Snow Leopardのヴァージョンを10.6.2にアップデートしたとたんにメニューバーの表示がおかしくなってしまい、しかたなくMac付属のTime Machineというバックアップ・ソフトでアップデート直前の状態に復帰。
と思ったらバックアップ用にしていた外付けハードディスクが壊れてしまい、何度やっても復帰失敗という悲惨な状況となってしまった。結局新たにOSをインストールし直してもう一台あった外付けから何とかデータや設定は引き継いだものの、これで二日間も費やしてしまった。今も完全に元通りにはなってない状態。今週のブログには間に合ったが、直前までてんやわんやの修羅場だったのが実情だ。
さて、SNAKEPIPEとROCKHURRAHの二人が敬愛しているミステリー作家、鳥飼否宇先生本人(もう呼び捨てには書けません、そして本当にありがとうございました。)から何とありがたいコメントを頂戴したという栄誉ある記事「昔の名前で出ています、か?」の第2部を書いてみよう。
前回はROCKHURRAHの故郷である福岡のレコード屋についての思い出を語ったが、今回は上京後の事。
すんごいローカルな話で申し訳ないがROCKHURRAHが生まれたのは陶芸で有名な福岡の山の中、物心ついた時にはかつて米軍ベースキャンプがあった基地の町にいた。なぜか米軍ハウスの払い下げ住宅なんかに住んでカッコいい身分だったんだが小学生の時に自分の不注意でちょっと実家燃やしちゃって、それが元で北九州に移り住む。そして上京するまでの間が前回の福岡レコード屋あたりの話だ。(「其の一」参照してね)
それで結局、その当時の北九州の荒涼とした雰囲気が嫌で東京に行く事にした。文化も音楽もやはり日本の最先端だからね。
上のような感じで自伝風に書いてみようとしたが、前書きも長かったし、たぶん長くなり過ぎるのでこの当時の東京レコード屋MAPをピンポイント殺法で紹介しよう。
<西新宿>
上京した最初、自分の部屋を探すまでの間は友人の部屋に少しの間、居候していた。それが新大久保、というか歌舞伎町の裏手の方(笑)。いきなり東京の右も左もわからない貧乏な田舎者がよりによってディープな場所に住んでいたものだ。そこからは西新宿のレコード屋通りまで歩いて行けたのが唯一良かった事。
その当時よく行っていたのはUK EDISONと新宿レコードあたりかな?
まだ本格的にレコードをコレクションする前の時代であり、貧乏であり、そもそも自分の部屋もないのにレコード集めてどうすんの?という状況だったな。風呂もトイレもない6畳一間のアパートに友人カップル+自分という絵に描いたような若気の至りの生活してたあの頃。「俺たちの朝」じゃあるまいし。
UK EDISONは当時流行りの若者文化であるパンクやニュー・ウェイブをいち早くメインにした輸入レコード屋の老舗というべきか?実はこの後下北沢に移り住んで少し行った事がある程度で、最も早く足を運ばなくなったレコード屋のひとつがここなのだ。だからあまり思い出もないし、その後この店がどうなったのかも全く知らないときている。おや?福岡にはまだ実店舗あるのか?思い出と言えばいつ頃だったか、大晦日にオールナイトのセールをやるという事で張り切ってパンクな正装で一晩中東京レコード屋巡りをしていたものだ。
通称ジュクレコで知られる新宿レコードは前編で書いたベスト電器のような感じで普通のレコード屋、なのに一角で輸入盤も扱っていて貴重な委託盤なども置いていた。どちらかというとメタル系メインの店なんだろうけど当時はパンクやニュー・ウェイブも扱っていたという記憶がある。80年代はレコードを身上潰すほど(笑)買いまくっていたもんでレコード袋コレクションも膨大だったんだが、この店の袋があまり記憶にないという事は買ってなかったんだろうね、きっと。覚えているのは近くにあったとんかつ「にいむら」の味だけ・・・。
しかし西新宿がレコード・コレクターの聖地だった時代に最も有名だったのは上記の店ではなく、ウッドストックや現在も活躍しているVINYLなどが代表的な店だろう。
ところが老舗のウッドストックも買った記憶がほとんどない。名前知らないが小さな公園の横にあるという素敵なロケーションだったにも関わらずROCKHURRAH好みのインチキな音楽があまり置いてなく、本気で玄人受けのする店だったからなあ。後年スカやレゲエの店になってからは全然行かなくなったし。
それに対してVINYLの方は西新宿ではダントツによく行ったし買ったものだ。あのピンクの袋コレクションも並べて敷き詰めると東京ドームの面積とほぼ同じ(ウソ)。
最初は一店舗しかなくてそのオープン当初に行った覚えがあるが、店の四隅に防犯見張り要員が立っていてまさに四天王状態。そこまでレコード引ったくり事件が多発してるのか?と思えるほどだ。まあパンク、ニュー・ウェイブ、ネオロカやサイコビリーのレア盤についてはよくぞここまで集めたもんだという充実ぶり。盤質が良いわけでもないし高いし、コメントとかもほとんどなくむしろ不親切な店なんだが、夢にまで見たようなレコードがちゃんと売っているという事が凄かった。VINYL JAPANレーベルのレコードもさすがに全部取り揃えていたし、どのジャンルのマニアも楽しめる店だと思う。休みの日は新宿に出てVINYL界隈からディスク・ユニオンというのが黄金のパターンだった。
<下北沢>
新大久保の友人宅を出て一人暮らしを始めた場所は東北沢だった。当時は駅前に何もなく(今もそうかも知れないが)こじんまりとした静かなところだったが歩いて下北沢にゆけるという点で地の利は良かった。当時の下北沢は演劇や音楽関係者の人々に愛されて街全体に熱気と文化が溢れていて、個性的な人間のたまり場だったものよ。ここでROCKHURRAHは下北沢を訪れた人なら誰でも目にする有名な古本屋、ビデオ・レンタル、CD屋のドラ・・・いや、そのチェーン店の店員となる。今では下北沢に何軒もある大手になっているが当時は古本屋とその向かいのビデオ屋の二軒だけしかなかった。その店で出会った人々もかなり強烈に個性が強かった(ちなみに東京タワーズでいぬちゃんで「ドレミファ娘の血は騒ぐ」のあの人も同じ店の店員だった)が、パンクもテクノもネオ・サイケもガレージもフリー・ジャズもアヴァンギャルドもヘヴィ・メタルもみんな同時代に一緒くたになって酒を飲んで集っていたすごい面子。今はもう誰ともつき合いがないが、彼らとの交流で得たものはきっと今のROCKHURRAHの中にも生きているだろう。
さて、回想だか何だかわからなくなってきたがその店を卒業後、すぐ横にあったアメリカ買い付けの廃盤、カット盤専門店フラッ・・・いや、その有名レコード店にほんのわずかだけ籍を置く。オーナーは長髪にヒゲ、キリストかエル・トポかというような風貌なんだがまあパンクで紛い物大好きというROCKHURRAH、この店の雰囲気に合うはずもなく、ちょっとした事が原因ですぐに脱退してしまう。
この後はこれまた下北、渋谷、吉祥寺などで展開しているレコ・・・、いや、その大手中古レコード屋に潜り込む。ここでは店舗スタッフではなく、非常に珍しい経験なんだが、中古レコードの洗いという仕事を行なっていた。
DJ用ターンテーブルのようなものが2つ並んでレコードを仕掛けるんだが、アームの先はちょうどレコード盤のヴィニール部分を洗うための刷毛になっており中性洗剤ベースの洗浄液でまず全体を洗うという仕組みになっている。その後ビチャビチャの盤面を吸い取るための別のアームをセットして乾かすという工程を経て中古レコードはきれいになる。これを2台でリズミカルにうまくやるのは結構慣れがいる仕事でしかも1枚いくらの出来高制ときた。最初は洗浄液をつけ過ぎて中央のレーベル面(紙)を濡らしてしまったり失敗が多かったものだ。この当時ここで買った中古レコードのレーベルが水濡れ跡のようになっていた方、犯人はROCKHURRAHです。
買い取った中古レコードを一番最初に検分出来る身分で中にはお宝のようなものも当然混ざっている。これは個人的には非常に価値のある経験だったんだが何だか得体の知れない相方(日本人を非常に憎んでる人種)と二人だけ密室で一日中これやってるのも非常にしんどかった。しかも教えてもいないのに正月に自分の部屋訊ねて来られたり、ある意味デンジャラスな経験だったな。
あれ、全然下北沢の過去レコード屋紹介になってないし単なる身の上話、しかも思ったよりもずっと雄弁に語ってしまった。長くなり過ぎたのでこれ以上書く気なかったけど仕方なく「其の三」に続く。本気で続きあるのか?