【忘れちゃならないこのバンド。え?読めん?】
ROCKHURRAH WROTE:
前回、中途半端で終わってしまった頭悪そうな企画、その第二弾を書いてみよう。
読めないバンド名特集、とかいうのがネットに色々出てたりもするんだけど、当て字を使いまくった最近の日本のバンドとか字体そのものが読みにくいバンドとか、ウチがやるものとは主旨が違う。こちらは何と発音するのかROCKHURRAHの学力でわからなかったようなのを挙げてるだけなんで、読める人には一目瞭然、トンチも要らないものばかりなのだ。
何の勉強もせずに言語が最初から読める人はいないわけで、今のROCKHURRAHがその状態なのに読めんと言ってるのはバカバカしい話だとは思うよ。しかしそんな生真面目な事を言ってたらこの企画が成立しないので、そういう事はある程度無視して進めてみよう。ゆるいなー。
前回のWirtschaftswunderもそうだったが、ドイツやロシアなどのバンドをここに持ってくるのはある意味、反則という気がする。予備知識なしで読めるはずがないからね。
だがROCKHURRAHは古くから、ほとんどリアルタイムでドイツのニュー・ウェイブを追っかけてきたので、「読めん!」というバンドがこの国に数多く存在していたのは確かな記憶だ。がしかし、追っかけてきたんなら読めるようになっとけよ、という気もするけどね。
読めないバンドを必死でどこかから探して来たわけじゃなく、この記事を最初に書き始めた時からドイツ物が多くなるのは予想していたこと。
うーむ、言い訳で数行も使ってしまったよ。
さて、そんなROCKHURRAHがデビュー当時から読み方に頭を悩ませていたのがPalais Schaumburgだった。一般的にはどうか知らないが個人的ノイエ・ドイッチェ・ヴェレの知名度ランキングではDAF、デイ・クルップス、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン、デア・プランに続くくらいの位置付け、まあベスト5に入るって事か。
Einstürzende Neubautenなんてのも普通のレベルじゃ「読めん!」になってしまうけど、まあこの手のバンドの中では知名度高いと思ったので今回の特集では見送ったよ。
このバンドが出た当時は周りのみんながノイバウンテンと言ってたのを思い出す。「ン」は一体どこから読み取ったのか、永遠の謎だなあ。
話がそれてしまったが、実はPalais Schaumburgの読み方は今でも人によってマチマチだと思える。
多くの人がこう呼んでて記事にも書かれてるのがパレ・シャンブルグ、これが正解でいいのかね?
当時のロックマガジンという雑誌でドイツまでノイエ・ドイッチェ・ヴェレを取材に行った(と記憶してるが詳細不明)阿木譲が、この雑誌で書いてたのはパライス・シャウンブルグという読み方。
他に参考にする記事がこの当時にはなかったから、ROCKHURRAHも最初の頃はずっとそう呼んでた。
ノイエ・ドイッチェ・ヴェレなんてマイナーなものを特集するのは80年代初頭にはこの雑誌かフールズ・メイトくらいしかなかったもんね。
しかし、シャウムブルクという同じ綴りの地名がドイツにあるから、ますます惑わされてしまうよ。そこには本当にシャウムブルク城があるらしいから、特に何のヒネリもないバンド名だと思える。
アメリカ読みすればシャンバーグ(イリノイ州にある村)だと。和風シャンバーグとかありそうだね。
うーむ、こんなにありふれたバンド名についてここまで悩んでるのはROCKHURRAHくらいのもんか?
で、まだ認めたわけじゃないが(笑)一般的に言うパレ・シャンブルグ、これは後にソロで有名になるホルガー・ヒラー、後のThe Orbに参加するトーマス・フェルマンなどによるハンブルグのバンドで1980年にデビューした。
後にメンバーが有名になったからちょっと神格化されたりもしてるらしいが、ノイエ・ドイッチェ・ヴェレという括りの中では割とオーソドックスな編成のバンドだった。
これでロックと言えるの?と思えるバンドが他にウヨウヨいた中で、ちゃんとギター、ベース、ドラムという基本的なロック・バンドの構成だったからね。ラッパ系も入ってて他のドイツのバンドと比べると電子楽器度合いが低いね。この記事でも書いてたか。
これは1981年に出た1stアルバムに収録の曲で、おそらくTV出演のパフォーマンスだと思うけど、パレ・シャンブルグというバンドの個性が最もよくわかる映像だと思う。
この当時のホルガー・ヒラーはパッと見には頭の良さそうな美少年という感じ。曲はアヴァンギャルドでフリーキーなのに見た目や踊りがアイドル風というギャップがすごいね。
先ほど書いた5大バンドの中でもDAFのガビは極太眉毛の脂ぎった顔つき、クルップスのユーゲンは不気味で冷酷そうな顔つき、デア・プランのピロレーターはますます不気味で危ない目つき、ブリクサは美形だが人間離れした顔つき。
こんな中ではホルガー・ヒラーのルックスが一番まともに見えてしまうね。
上の曲「Deutschland kommt gebräunt zurück」などはどこかの部族の音楽みたいだが、ここに奇妙で調子っぱずれの効果音や歌が入るところがこのバンドの真骨頂。調和してないけど絶妙にポップな部分があるんだよね。
ポップなものとイビツなものが同居するというと美術におけるダダイスムを思い浮かべてしまうが、パレ・シャンブルグの音楽はROCKHURRAHにとってはそういう感じ。
まあこれに限らず、ドイツの音楽にはやっぱりアートの影響を感じるものが多いね。
お次はこれ、まるでポジパンか?というようなジャケットで有名なフランスのJacques Higelin。読めん、ではないけど・・・。
これ以上バカな逸話を書きたくはないんだが、パンクやニュー・ウェイブばかりを追い求めていた若き日のROCKHURRAH。
このジャケットを見て実際にフランスのポジティブ・パンクのレコードだと勝手に思い込み、買って帰ったという思い出がある。
しかもROCKHURRAHの知る参考文献なども当時はなかったので、これをずっとヒゲリンだと思いこんでたもんだ。当時周りにいた友達の中ではROCKHURRAHが一番音楽に詳しかったから、周りの人間もずっとヒゲリンだと思ってたに違いない。ゴブリンがあるならヒゲリンもありだよね。
フレンチ・ミュージックを聴いてるような人には説明不要の大物だけど、ジャック・イジュランという異端シンガーがこの人。なーんだイジュランかよ、どう見てもヒゲリンだよね(笑)。
そういう関係の音楽をあまり知らなかったし、ROCKHURRAHが読んでるような音楽雑誌にも出てくるはずがない人だから、これは間違えても仕方あるまい(←偉そう)。
若い頃はフランス映画にいくつか出演していてそれから音楽家、というキャリアは去年亡くなったピエール・バルーとも通じるが、実際そのバルーのレーベルからもレコードを出していたようだ。
ブリジット・フォンテーヌやイザベル・アジャーニとのデュエットでも有名。
そのイジュランの1979年作「悪魔のシャンパーニュ」が間違って買ったレコードだったんだが、これは従来のフレンチ・ミュージックにあまり馴染まなかったROCKHURRAHにでもわかりやすい、ロックっぽい要素がある音楽だった。
退廃的で背徳的、演劇とシャンソン、そしてロックとのハイブリッド。
当時好きで聴いてたコックニー・レベルのスティーブ・ハーリィが好きだったらこの曲も好きでしょう、というような曲もあったし、いくつかの曲はニュー・ウェイブっぽくも感じた。ポジパンではなかったけどね。
上の曲もフランス語だからわからないけど邦題は「強姦罪」。さすがフランス(←意味不明)。
さて、これは冷静に読めば軽く読めてしまうんだが、馴染みのない言語ということで挙げてみた。Brygada Kryzysというポーランドのバンドだ。
これがポーランド語なのかどうかも知らないし、ポーランドのロック事情もよくわからん。まあ本当はそんな状況で書くべきではなかったんだろうね、と数行で後悔してるよ。
ポーランドと言えば世界的に見ても他所の国に侵害された、とか分割されまくった、とか苦渋の歴史ばかり目につくような国だと勝手に思っていた。そういうところをあまり語れないのでROCKHURRAHには深みがないんだろうが、どんな国であっても若者は勝手に育って、そしてロックを知る。うん、強引だな。
実はこのバンドもカタカナ読みで書いたサイトがほとんどないんだが、レコード盤にちゃんとバンドの英語読みが書いてるという親切さ。それによるとBrygada Kryzys=Crisis Brigadeという意味らしい。エキサイト翻訳してみると危機旅団、まあ意味はわかるかな。
ポーランド音楽を日本に紹介しているサイトによるとブリガダ・クリジスと読むんだな。
このバンドが結成されたのは1981年、まだポーランドが共産主義で戒厳令が敷かれていた頃だった。
バンドがどういう主義を持ってやってたのかは知らないが、戒厳令下でちゃんと活動出来たのか謎だ。
何時どこにでも地下世界があるという事でいいのかな?
上の映像で出てるジャケットのレコードはROCKHURRAHも見かけた事あったけど、これはジョニー・サンダースを出してた事で知られるイギリスのジャングル・レコード傘下のフレッシュ・レコードからリリースされていた。
フレッシュの方もUKディケイやファミリー・フォッダーなど、クセのあるバンドをリリースしていたな。
ジャケットからすれば共産党のポスターっぽいし「ワルシャワは燃えているか」などと勝手な邦題をつけたくなるような雰囲気だが、音楽は意外な事に割とキャッチーで、スカやレゲエの要素があるパンクでビックリ。 軽いとか言われそうだけど、この時代の英米のパンクにも決してひけを取ってないと思ったよ。
この曲「Telewizja」はテレビジョンの事でこれまた盤面に英語読みが書かれていた。バンドかレコード会社か知らないがとっても親切だね。ここまでわからせたいんだったらバンド名も曲名も英語にすれば?という声が聞こえてきたが、きっとどこかの米国かぶれだろう。
最後もまた読めん大国、ドイツに戻ってきてしまったが、これはどうかな?
ジャケット見れば書いてあるからわざわざ書くまでもないがDie Zimmermännerという、これまたノイエ・ドイッチェ・ヴェレのバンド。
実はこれもまたPalais Schaumburgと同じで、決定的な正解の読み方がないと思えるバンド名なんだよね。単に単語が長いから読めないと錯覚してるだけで、よく見れば読めそうなもんだ。
ディスク・ユニオンではディー・ツィマーメナーと書いてあってこれが多くのサイトでも使われてるけど、個人的には何かしっくり来ないんだよなあ・・・。
ROCKHURRAHは根拠は不明だがデイ・ツィマーマンナーと呼んでたよ。
Zimmerは単体では「ゴムのキャスターまたは車輪とハンドルの付いた軽い枠組みの器具(商標名ジマー)」などと書かれていたが一体何の事か?台車みたいなもんか?
同じ綴りで映画音楽の有名な作曲家ハンス・ジマーというのもいたな。がしかし本名にはツィマーと書かれていて不可解。どっちなんだよ?
Zimmermannになるとドイツ人の名字になり、これまたジンマーマン、シメルマン、ツィンマーマン、ツィンメルマン、チンメルマンなどと訳者によって解釈は色々。もうどうでもいいとさえ思える。
宇宙からやって来た正義の使者チンメルマン。悪党をシメるために地獄の底から蘇ったシメルマン・・・。
絶対にスーパーヒーローにはなれない名前だな。
このDie ZimmermännerはTimo Blunckという、これまた読めん人のやってたスカファイターというバンドが改名してこんな読めんバンドになったとの事。確かに初期の曲はスカっぽかったな。
Timoはパレ・シャンブルグのメンバーでもあったから、今回のブログの主旨「読めん」においては最重要人物と言える。
で、やってるのがこの当時のドイツでは滅多にないお洒落で涼しげ、ネオ・アコースティックな音楽。
ネオアコの本場、チェリーレッド・レコードでも出してたからお墨付きのもんだったんだろう。
当時はどんな音楽やっててもドイツ産であればノイエ・ドイッチェ・ヴェレという風潮があったけど、このバンドはそういう枠を超えて洗練されたものだったな。
その後大ヒットした話も聞かないから、英国に進出してもやっぱりバンド名が悪かったんだろうと推測するよ。いくらお洒落っぽくしててもチンメルマンじゃなあ・・・え?違う?
というわけで読めんバンド特集の二回目も無事に終わってメデタシ。
次もあるかどうかを一句詠んでみたがひどい出来。
三回目、ないとは言い切れないトレス(Tres)。
それではまた、Que te vaya bien.(スペイン語で「元気でね」)