俺たちモダーン党

【モダーンなスタイル変遷を描こうとしたが、かなり偏ってしまったなや】

ROCKHURRAH WROTE:

新企画を作ってはみたものの、ROCKHURRAHがいつも書くような記事と全く変わり映えがしないと書いてる本人が断言しているのがこの「俺たち○○シリーズ」だ。
音楽のタイトルやバンド名にこだわった記事も他のシリーズにいくつもあるので、あまり意味なしだと思えるよ。
毎回趣向を考えるのが大変なので、こんなインスタントな記事でごまかしてるのがミエミエだね。

さて、今回はModernという単語がタイトルについた曲を駆け足で紹介してゆこう。
いちいち訳すまでもないけど「近代的」という意味の言葉。
個人的にはこの言葉が大好きでROCKHURRAH自身もかつてはモダニストだったと自負していたもんだ。今は時代遅れの寵児かも知れないが。
モダーンとかモダンとかさまざまなモノの名前についてるのは間違いないし、そういうのがもてはやされた時代もあったのは確か。1920年代などはまさにモダーン旋風が吹き荒れてた時代だもんね。
でも今、この時代にはあまり使われてないように感じるし、語感からしてモダーンより後のポスト・モダンなんて言葉さえ今時はあまり聞かなくなって久しい。
モダン焼きも好きな人は多かろうが、みんな本当にこれを近代的な食べ物と思ってるわけではなかろうしね。え?関係ない?
モダーンが憧れではなく「古臭い懐古趣味」みたいに思われる風潮はイヤになるね。
人々の暮らしも文化もモダーン以上なのは間違いないけど、ROCKHURRAHの世代でセンスがいいと思っていたようなものがどんどん廃れてゆき、世の中がつまらないもので満たされてるような感じがするのは寂しくなるよ。

そういう世の中の流行にはなるべく逆らって生きてゆきたい、それがROCKHURRAH RECORDSをやり続ける事の意義なんだろう。
おやおや、またしても底の浅い三流文化論調になってしまったから先を急ごう。

ROCKHURRAHが一番好きな70’s〜80’sのパンクやニュー・ウェイブの時代もModernな曲やバンドが色々あったから、今回はそれを集めてみたよ。

モダーンと聞いてROCKHURRAHの世代だったら多くの人がシーナ・イーストンの「モダン・ガール」やデヴィッド・ボウイの「モダン・ラブ」を思い出すんじゃなかろうか?まあ連想するのは人それぞれなんだけど、ROCKHURRAHは真っ先にこの曲を思い出したよ。

ペル・ユビュの1977年作「The Modern Dance 」は1stアルバムのタイトルでもあり収録曲のタイトルでもある。この曲はシングルにもなってたようだがオリジナル盤は超コレクターズ・アイテムなので、同時代にアメリカで買ってきたなどという羨ましい身分の人以外はおそらく誰も持ってなかったんじゃなかろうか。
ROCKHURRAHも当然シングルは持ってなくて、イギリス盤の1stアルバムしか所有してない。
後に「Datapanik In The Year Zero」という入手困難シングルをひとまとめにしてくれたレコードでこの曲の元ネタみたいなヴァージョンが入っていたが、アルバムと共に聴きまくっていたもんだ。 

ちなみにこの時代の地方都市の輸入レコード屋では本国がアメリカのバンドでもイギリス盤の方が入手しやすかったという覚えがある。アメリカ盤で新譜が手に入るのはいわゆる大手レーベルから出てたようなバンドばっかりだったような気がするが、そんな事ないのかな?

それはともかく、工場地帯をバックに工場労働者がバレエを舞ってるというとても変なジャケットのアルバムでレジに持ってくのが恥ずかしかったが、忘れもしないKBC(九州朝日放送)の電波塔があったタワーレコードKBC(「レコード・プラントKBC」だったような記憶があるが)で買ったのを、昨日の事のように覚えてる。この辺の話はこっちの記事でも書いてるな。

多感な少年時代、しかもまだ洋楽ロックを聴き始めて数年くらいしか経ってない入門者の頃にこのアルバムに出会ってしまったのがROCKHURRAHの運命を変えたとも言える。まあペル・ユビュに限らずこの時代のパンクやニュー・ウェイブに衝撃を受けまくってて、衝撃の大安売り状態だったのが若き日のROCKHURRAHだったな。

米国オハイオ州クリーブランドのバンドで、70年代半ばにRocket From The Tombsというパンクの原型のようなガレージ系バンドがあったんだけど、そこのピーター・ラフナーとデヴィッド・トーマスが作ったのがペル・ユビュだった。などと今では軽く書けはするけど、同時代にはそんな事誰も知らなかったはず。それくらいマイナーなバンドで情報なんかどこにもなかったよ。

アヴァンギャルドでフリーキーな曲を得意とするが、時にユーモラスで時にカッコイイ瞬間もあり、一筋縄ではいかない複雑さが魅力だった。狂気を感じるほどの素っ頓狂なデヴィッド・トーマスの高音ヴォーカルと百貫デブ。見た目のインパクトも抜群ですごいバンドだと囁かれてはいたが、パンクがやっと始まったくらいの時代には早すぎたからか、当時は日本盤も出てなかった。
ようやく日本盤が出たのはイギリスのラフ・トレードが徳間ジャパンと手を組んでジャンジャン日本盤をリリースしてた80年代になってからの事だ。

さて話は戻るが1977年に出た「The Modern Dance 」は初期ペル・ユビュの曲の中では最も聴きやすい部類の曲だ。
プリマドンナの友達が皆無なROCKHURRAHが知る機会はなかったが、クラシックなバレエなどに対してもっと自由で前衛的な表現方法までも取り入れたような踊りをモダン・ダンスと呼ぶようだ。
アルフレッド・ジャリの「ユビュ王」に由来するバンド名なんだけど、その「ユビュ王」の冒頭の「merde!(くそったれ)」をこの曲のバック・コーラスでも連呼しているし、曲の合間にホールのざわめきのような環境ノイズがミックスされていて素晴らしい出来。
なお、ビデオの映像はプロモとかライブの模様とか、要するにマイナーなバンドだった彼らには残された当時の映像がないので、たぶんファンの誰かが作ったこれを選んでみた。
「Satan en prison」という1907年のフランス映画(?)が元ネタみたいだが、20世紀初頭の映像マジックを駆使して作られていて、観客はビックリしただろうな。ペル・ユビュの方じゃなくて元の映画の方ね。要するに額縁を壁に投げつけたらピッタリ壁面に収まってしまう、などの手品的なものを映像編集の力によって実現した実験的なもの。
うーん、これこそ確かなモダーン。

続いてのモダーン党はこちら。70〜80年代のモダーンな曲で思い出すランキングの上位にきそうなのがジャムの「The Modern World」だろう。これまた1977年に出た2ndアルバムのタイトルでもありシングルになった収録曲のタイトルでもある。

10年以上にも渡ってパンクやニュー・ウェイブのブログを書き続けているROCKHURRAH(その割には担当記事数が少ないが・・・)だが、ジャムについて書くのは初めてかな?
もちろんロンドン・パンクを語る時に忘れちゃならない重要バンドなのは間違いないし、彼ら以降に沸き起こったネオ・モッズといったムーブメントのパイオニア的存在でもあった。

しかし実はROCKHURRAHは彼らの主要曲は大体知っててもアルバムやシングルをほとんど所有してなくて、とても「ファンです」などとは言えないし語れないのだった。
パンクを通過したモッズという点では評価してる(偉そう)し声も演奏も素晴らしいエネルギーに溢れてるのは間違いないけど、なぜか熱中して追いかけるまでには至らなかったんだよね。

その頃は個人的に買うほどじゃないけど聴いてみたいようなレコードは図書館を利用して聴いていたのを思い出す。
小倉(福岡県北九州市)の図書館にあった視聴覚室でリクエストしたレコードをヘッドフォンでソファに座りながら聴けるというサービスがあった。そこでジャムの1stやこの「The Modern World」など、他にも色々なレコードを毎日のように聴いていたものだ。
図書館のお姉さんがパンク好きの気さくな人だったので迷惑も顧みずいつも長居してばかりだったな。
その頃一緒に遊んでいた友達がどうしょうもない不良ばっかりだったけど、パンクやニュー・ウェイブを聴くROCKHURRAHの横でちゃんとおとなしく矢沢永吉やクールスを聴いていたのが懐かしい。
何かメチャメチャな時代でパンク好き集団とアイビー野郎たちとDCブランドかぶれとヤンキーどもがみんな一緒に小倉の街を闊歩してたような感じ。
モダニズムの時代、フランスのカフェでシュルレアリストが集っていた文化的交流とは程遠いけど、これはこれでリアルな地方都市のモダーンな風景だったのかもね。

モダーンな曲で思い出すランキングには決して入らないとは思うし興味ない人も多かろうけど、どうしてもこれだけは挙げておきたい。
ビー・バップ・デラックス1976年の4thアルバムのタイトルであり収録曲でもある「Modern Music」だ。モダーン党としてこれを語らなければROCKHURRAHではないと言える選曲。
要するに子供の頃から特別ひいきにしていたアーティストだというわけ。
モダーンと聞いて真っ先に思い出したのがペル・ユビュだと最初に書いたけど、ビー・バップ・デラックス、これほど「モダーン」というニュアンスを体現したバンドは滅多にいないだろう。

1971年に恥ずかしいほどかわいい系のイラスト・ジャケット「Northern Dream」でソロとしてデビューした英国ヨークシャー州出身のビル・ネルソン。この時はギターや歌に冴えたものはあったものの、よくある70年代ロックのシンガー・ソングライターに過ぎなかった。
が、ソロとして需要があったにも関わらず本人はバンドとしてやりたかったようで、1974年にビー・バップ・デラックスとしてようやくデビューする。
最初はグラムっぽい部分が見え隠れするハードロックというような路線で他のグラム・ロックに比べるとギターの比率が高いバンドだった。
1978年までに6枚のアルバムを出して解散したが、徐々にトータルなアンサンブルを重視するようになってギター・ソロも短くなっていった。
代わりにその頃から普及し始めていたシンセサイザーを重要視する楽曲が多くなり、ニュー・ウェイブへの橋渡しをしたような曲も残している。
大して詳しくは書いてないが前にこちらの記事でも特集したな。
ROCKHURRAHはビー・バップ・デラックスをリアルタイムで聴いたわけではないけど、最後のアルバムが出た後くらいで順不同に入手したよ。

4thアルバム「Modern Music」はロンドン・パンク元年の1976年に出たが、まだそういうものの影響を受けたり取り入れたりはしてない時代の未来派ロック集大成みたいなものだった。
ビル・ネルソンの思い描く未来は1950年代くらいのB級SF映画が描いたような子供っぽくて本当のSFファンから見たら陳腐な世界観だったろう。でも、その辺のレトロ・フューチャーな感覚がROCKHURRAHにとってはとても好ましいものだったよ。
このアルバムは確かビー・バップ・デラックス初のアメリカ・ツアーと前後して発表されたもので、このバンドとしては異例なくらいにアメリカナイズされた楽曲が目立つ作品だった。
前の3枚のアルバムよりもギター・ソロの比率が低くなり、この時代のポップなロックとしてヒットしてもおかしくない要素が詰まってはいたが、いかにも英国産な初期の感じをこよなく愛する人からは落胆されるような内容だったかも知れない。ROCKHURRAHはこの時代のビー・バップ・デラックスも大好きだけどね。
特にB面の大半、曲がつながっていて組曲みたいになってるところは諳んじる事が出来るくらい聴いたものだ。あまりにも聴きすぎて修学旅行の時(大昔の話)にずっと頭の中で流れていて、思い出の全てのBGMが「モダーン・ミュージック」になっているほど。

今回のYouTube映像は画像が汚いのが残念だが「Modern Music」のツアーの貴重な映像だ。スタジオ録音のものと比べても遜色ない完璧なライブをするという定評のあるバンドだけに、演奏は申し分ないね。最初に「Dance of the Uncle Sam Humanoids」というフュージョンっぽいインストの曲からタイトル曲「Modern Music」へとなめらかに移行してゆく展開はまさにモダーン(現代的ではなくて近代的)という言葉を体現したかのような出来。
後のニュー・ウェイブの元祖的な扱いを受けるバンドではあるけど、興味ない人にとってはかなり古臭い映像かも知れないね。

昔、好きな音楽評論家の誰かが言った言葉で「先に進まなければならない(音楽はどんどん進化していってるというような意味か)のはわかっている。けど、もう少しだけここに踏みとどまっていたい自分がいる」みたいな内容のがあったけど、ROCKHURRAHにとってのビー・バップ・デラックスがまさにその象徴だったんだろうな。
わかってくれる人は少ないだろうけど、これこそがモダーン党の伝えたいニュアンスなんだよ。

伝えたい事はもう終わったのでこれより後は個人的にはどうでもいいようなモダーン残党(?)についてちょこっと語ろう。

「Modern Lovers」と聞くと即座に思い出すのはジョナサン・リッチマンのモダーン・ラヴァーズだろうか?セックス・ピストルズもカヴァーした「Roadrunner」などはROCKHURRAHも愛聴していたもんだ。この時代よりも後の50〜60年代っぽい雰囲気の脱力ソングも良かったね。
あるいはムーンライダーズの「モダーン・ラヴァーズ」を真っ先に思い出すよって人も多いだろうかね?その辺はとっても有名でわざわざウチが書かなくても誰でも語るだろう。
ROCKHURRAHは同時に、80年代に大好きだった漫画家、奥平イラ(衣良)の「モダーン・ラヴァーズ」も即座に思い出したんだが、久保憲司(「クロスビート」や「ロッキン・オン」などで書いてたライター)が同じような事を先に書いていたのでトホホ、完全なマネッコになってしまった。マネはいかんなあ、という事でまあ同じような時代に同じ文化の洗礼を受けた人間だったら同じ連想するのも許してもらいたい。

で、人々がたぶんあまり語ってないこちらを選んでみた。
フェイ・レイという日本人シンガーがいたようだがそれとは全く関係ないし時代が違う。これは1980年にデビューした英国ウェールズのバンド、フェイ・レイの1982年作「Modern Lovers」だ。
フェイ・レイと言えば1930年代の初代「キング・コング」に掴まれ攫われた有名なスクリーミング・クイーン女優の名前だが、こちらはフェイ・レイという人の名前ではなく、シーラ・マッカートニーというウソっぽい名前の紅一点ヴォーカルでバックが全部男という編成のバンド。日本ではほとんど知られてないみたいだね。
同時代にはオー・ペアーズやホーリー&ジ・イタリアンズなど女性ヴォーカリストのバンド達が躍進していた(ってほど知名度はないが)が、このフェイ・レイのシーラ嬢もただの紅一点ではなくギターも弾き歌うというスタイル。
しかし小柄な体型にこのいかにも80年代な服装で、顔立ちもちょっとキツくて微妙な感じ、80年代初頭だったら美女シンガーとして通用したのかな。
曲はいかにも英国風の完全に明るくはなりきれないパワーポップっぽいもので、シーラ嬢の歌もなかなかパワフル、日本で(たぶん)紹介されなかったのが残念な意欲作だ。
野っ原でロケという爆弾魔みたいな映像だが何となく野っ原つながりでネーナを思い出すな。
同時期にシングルになった「Heatwave」という曲でも外のロケだったので、プロモーション・ビデオの収録を使いまわしてて、アウトドア派のバンドという印象があるね。
しかしここまで書いてフト気付いたんだが、ブログのタイトル「俺たち」なのに女性ヴォーカルにしてしまったよ、トホホ。バックのメンバーはたぶん「俺たち」と言ってるだろうから大丈夫かな。

で、またまた女性ヴォーカルのバンドを選んでしまった。「モダーン」にばかり着目して「俺たち」の事は忘れ去っていたな。ブログの構成を完全に失敗してしまったね。

「Modern Girl」という曲名で最も有名なシーナ・イーストンよりもちょっと前、1979年にリリースされたのがこのThe Dadisticsという米国シカゴのバンドの同名曲だ。ダディスティックスでいいのかな?
Audrey Stanzlerという女性ヴォーカリストにバックが全部男という編成も上のフェイ・レイと同じようなもんだが、紅一点のオードリー嬢は上のシーラ嬢よりもさらに微妙な顔立ちでバックもどうでもいいようなメンバー揃えたな。
アメリカにもニュー・ウェイブはあったし先鋭的でスタイリッシュなのも色々いたけど、全体として見るとやっぱりイギリスに比べるとルックス的に垢抜けてないなという印象はあるよ。

オリジナルのレコード・ジャケットは50’sな感じのピンナップ・ガールが写ってて全然違うような音楽性を想像してたんだけど、曲の方はパンクから初期ニュー・ウェイブの感じがする、なかなか頑張った出来のもの。
デブ女ヴォーカルとして有名なロメオ・ヴォイドの「Never Say Never」とちょっと似た雰囲気(こっちの曲の方が早いが)だと思ったのはROCKHURRAHだけかな?

オードリー嬢はこのバンドの後、同郷シカゴのミニストリーのバッキング・ヴォーカルとして最初のライブなどで歌ってたらしいが、旧メンバーとしてウィキペディアにも載ってないほど友達あつかいされてない(想像)。

さて、最後のモダーン党も別にカモメ=トリにしたかったわけでもないけど、この曲にしてみようか。
ア・フロック・オブ・シーガルズの1981年のシングルで1stアルバムにも収録されている「Modern Love Is Automatic」だ。
カモメが羽ばたくさまを表現したかなり奇抜なシーガル・カットという変な髪型とシングル曲「I Ran」が奇跡の大ヒットした事で、忘れ去られた80年代型バンドの中では意外と知名度が高いのがこのバンドなんだけど、多くの人が思うほどの一発屋ではない活動をしていた。

英国リヴァプールでよほどの通じゃない限り誰も知らなかったようなバンド、トントリックスというのがあったんだけど、そこにひっそり在籍していたのが後にシーガル・カットで有名になるマイク・スコアだった。トントリックスは彼以外にも後のアダム&ジ・アンツで有名なクリス・ヒューズ(メリック)やジュリアン・コープのバンドで一部有名なスティーヴ・ラヴェルなど、さりげなく豪華なメンバーだったのにシングルたった一枚だけしか残ってない幻のバンドだ。
ROCKHURRAHは大昔に奇跡の出会いでこのシングルを見つけて今でも所有してるんだけど、売ってる奇特な店もあった。あ、なーんだ、ROCKHURRAH RECORDSだったよ。

ちなみにこのトントリックスの顔だったのが後にハンビ&ザ・ダンスというこれまた日本では知名度が低いバンドのリーダー、ハンビという人。ハンビはよほど自分の容姿に自信があったのかどうか不明だが、知名度ないくせに「俺は大スターだ」と言わんばかりの写真が残っている謎のカリスマ・シンガーだ。結構濃い顔立ちといやらしい歌声だけど、中期のWah!あたりにも通じる地味なテイスト。イギリスじゃ人気あったのかね?

話がすっかり他の人になってしまったから無理やりマイク・スコアに戻そう。
トントリックスの後にどういう経緯があったのか知らないが、ア・フロック・オブ・シーガルズがデビューしたのはリヴァプールとは特に関係ないと思えるビル・ネルソン(上の方で書いたな)の主宰するコクトー・レコードより。デビュー・シングルのみそこからリリースしてるんだけど、当然のようにプロデュースもビル・ネルソンがしていた。
この時は後に大ヒットする予兆もまるで感じないようなバンドだったが、そのデビュー曲「Talking」も大ヒットした「I Ran」も傾向としては同じようなものかな。
そんなプレミアもつかなさそうなシングルを売ってる奇特な店もあった。あ、なんだ、またまた自分の店か。
「I Ran」のイントロ付近でカモメの鳴き声みたいなのが入ってて、これがこのバンドの特徴の一部でもあるんだけど、ビル・ネルソンのビー・バップ・デラックスにも「Sister Seagull」という名曲があって、そちらで鳴き声ギターの元祖みたいな演奏が聴ける。影響を受けたのか「これをやれば受ける」と伝授されたのかは不明だけど。

Modern Love Is Automatic」はシングルにもなったが1stアルバムの一曲目だからファンにとっては馴染みの深い曲だ。
見た目からして一発屋っぽいからたまたまヒットしただけだろうと思いきや、意外とライブ映像が残ってるのでライブにも自信を持ってたバンドなんだろうな。自慢のシーガル・カットもライブ後半になると崩れて何なのかよくわからない危険性をはらんでいるのが玉にキズ。
彼らのどの曲の曲調も楽器の使い方も一本スジが通ったシーガル節とでも言えるように統一感があるが、逆に言えばどの曲も似たり寄ったりという意見もある。
まあしかし、今回採り上げた中では最もモダーンな感じがするのがこのア・フロック・オブ・シーガルズと言えるだろう。その前歴といい侮れない重要なモダーン党員だね。

以上、単にタイトルにモダーンのついたものだけを集めてみたが、シンセサイザーなどのエレクトロニクスを使ったバンドが少なかったので、思ったほど想像したようなモダーン感がないのばかりになってしまったな。
モダーンなものに対する不信感、否定的な見方からポストモダニズムが生まれたという。しかしROCKHURRAHは小難しい定義には興味ないので、モダーンだろうがポストモダンだろうが、自分の好きなものはどっちも語ってゆきたいよ。当たり前。
パンクやニュー・ウェイブなんてものも誰もが意識してそうなろうと思った結果ではないだろうしね。
ただ、古いものの再構築ばかりでアッと驚くような全く新しい音楽があまり生まれてないのが残念な状況だと思うよ。80年代に「これから何が生まれてくるのか」ワクワクしていた時代は遠い昔になってしまったけど、そんな時代が再び来れば世の中にもっと活気が戻ってくるのにね。

それではまた、Ka kite ano(マオリ語で「さようなら」)。

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2 Comments

  1. 鳥飼否宇

    ワタシがPere Ubuの”The Modern Dance”を買ったのもKBCだった気がするのですよ。ものすごーく気に入って、それ以降の彼らの作品はほとんどすべて持っています。来日公演にももちろん行きました。David Thomasはテルミン弾いてましたね。

  2. ROCKHURRAH

    鳥飼先生

    ブログにコメント頂きありがとうございます。
    返信が遅くなってしまいすみません。

    ペル・ユビュを知ったのはレジデンツと同時期だったのですが、その手の音楽を聴き始めるキッカケとなったのでとても愛着があります。
    初期の4枚のアルバムはどれも好きなのですが、やっぱりバンドに対する予備知識が全くなかった時に聴いた1stの、得体の知れない魅力こそが最高でした。

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