好き好きアーツ!#14 貴志祐介 part1

【貴志祐介の作品「黒い家」にちなんで作ってみたよ。黒過ぎ?(笑)】

SNAKEPIPE WROTE:

特に選んでいたわけではないのに、作品一覧を見て初めてその作家のほとんどの作品を読破していることに気付く。
えっ、こんなに読んでたの?と自分で驚いてしまったSNAKEPIPE。
それはきっと好みの作家、ということになるんだろうね?
今回の好き好きアーツはそんな作家、貴志祐介について書いてみたい。

初めて手にしたのは、貴志祐介の処女作「十三番目の人格 ISOLA」(1996年4月 角川ホラー文庫 / 1999年12月 角川書店)である。
ダニエル・キイスの著作「24人のビリー・ミリガン」などでお馴染みの(?)多重人格を扱っているというのはタイトルからも一目瞭然!
そして気になる「ISOLA」という単語。
Wikipediaにも謎解きに関する記述があるので、今更ネタバレにはならないと思うから書いてしまうけれど、上田秋成作「雨月物語」に登場する怨霊・磯良と幽体離脱実験で使用する「ISOLATION TANK」の最初の5文字の両方にかけた単語なのである。
江戸時代の怪異小説である「雨月物語」そして「幽体離脱」更に「多重人格」とくれば、面白そうだと思うよね?(笑)
当時は鈴木光司の「らせん」や「リング」が人気で、ちょっとしたオカルト・ホラー系小説ブームのような現象が起きていたように記憶している。
SNAKEPIPEも鈴木光司の小説は良く読んでたなあ。(笑)
そのため、この頃は貴志祐介と鈴木光司の区別がはっきりしていなかったと思う。
二人共作品が映画化されているあたりも似てるんだよね。
映画「ISOLA 多重人格少女」は、実はつい最近鑑賞した。
小説を読んだのがかなり前のことだったので、詳細についてはすっかり忘れていたSNAKEPIPE。

確かこんな話だったよな、と思いながら鑑賞。
以前「好き好きアーツ!#10 Fernando Meirelles」の「BLINDNESS」の時にも「それにしてももう少し演技力のある俳優はいなかったのか、と日本人俳優のキャスティングに少し不満を感じた」と書いたけれど、どうも木村佳乃の演技がイマイチなんだよね。
もう少し違うキャスティングがされていたら、映画の印象も変わったかもしれないね?

次に読んだのは「黒い家」(1997年6月 角川書店 / 1998年12月 角川ホラー文庫 / 1999年11月 【映画版】角川ホラー文庫)である。
生命保険会社の営業マンがお客さんの家に呼ばれて行くと、その家の子供の首吊り死体を発見してしまうところから物語は始まる。
その子供には多額の保険金が掛けられており、自殺とも他殺とも言い切れない不自然な状態から、その自殺した子供の両親である夫婦についての調査が始まる。
保険金殺人の疑惑アリとされたその夫婦の正体とは…?
読んでいながら映像が目に浮かんでくる、とても現実的にありそうな話だから余計に怖いんだよね!
この小説で第4回日本ホラー小説大賞受賞っていうのは大いに納得!
映画化もされて、またこの映画が全く小説の印象を損ねることがない秀逸な作品だった。

夫婦役の大竹しのぶと西村雅彦が見事!
特に西村雅彦が少し知的に障害を持ち、同じ言葉を何度も繰り返し、相手が弱ってしまう粘着質な役を本当に嫌らしく演じきっている。
ROCKHURRAHは観ながら「西村雅彦、こわい」と何度も繰り返し呟いていたよ。(笑)
あとから調べて分かったけれど、貴志祐介は実際に生命保険会社に勤務していた経験があるんだね。
きっと小説と同じような「ちょっと怪しい」出来事が日常茶飯事だったんじゃないかと推測。

そして西村雅彦みたいな粘着質タイプのお客さんも実際にいたんじゃないのかな?
あ、西村雅彦本人が粘着質みたいに書いてしまった!(笑)
映画の中の人物って意味ね!
そういう人間の裏側というか、いやらしい部分を存分に体験したからこそ出来上がったリアリティにあふれた小説のような気がするよね。

天使の囀り」(1998年6月 角川書店 / 2000年12月 角川ホラー文庫)は、アマゾン探検隊に参加したあと人格が変貌、ついには自殺してしまった恋人の死の真相を探るべく調査を開始した精神科医が主人公の小説である。
アマゾン探検隊の話、「地球の子供たち」という自己啓発セミナーのHPとセミナーに集う人達の話、精神科医が勤める病院の話など様々な場所が舞台になっている。
最終的にそれぞれの話は繋がるんだけど、舞台ごとの話だけで捉えてもなかなか興味深い。
アマゾンではカミナワ族の民話に関する部分が興味深かった。
まるで「ドグラマグラ」のチャカポコの部分みたいに、実際に人が喋ってるように記述されてるんだよね。
素朴な語り口なのに、内容を読む進めていくと、とても恐ろしい話になっていく。
その民話が謎を解く鍵になっていて、民話を挿入したのは効果的だね!
「地球の子供たち」というセミナーには、不安やストレスを抱えたどこにでもいるタイプの人達が参加していて、この部分が一番リアリティがあったかな。
HPから入って、チャットに参加、そしてオフ会に行くなんていうのは2000年以前にインターネットやってた人にとっては「よくある話」だと思うし?
実際SNAKEPIPEも写真関連の「オフ会」とか「オフミーティング」には行ったしね。
「地球」に「ガイア」をルビを振るあたりも、「いかにも」で良い感じ。(笑)
どうしてもパソコン関連の記述があると、年代を感じてしまうことが多いのは仕方ないのかな。
例えばハードディスクの容量や記録媒体とかね。(笑)
小説に明確な時代設定をしないのであれば、もしかしたら作家の方は記述方法考えたほうが良いかもね?(余計なお世話か)
結局、恋人自殺の真相について解決はするんだけど…。
いろんな人が感想やレビューに「気持ち悪い」って書いているように、この手のバイオホラー系は想像するだけでもゾッとすることが多いよね。
一般的には良く知られていない研究を「まことしやか」に語られるから余計に怖いんだよね。

クリムゾンの迷宮」(1999年4月 角川ホラー文庫 / 2003年2月 角川書店)は前作の「天使の囀り」に出てきたゲームオタクの部分を拡張させたような小説で、バーチャルではなく現実的に主人公がゲーム世界の中に登場させられているのである。
目覚めたら見知らぬ光景が広がっていた、というところからスタートする。
「火星の迷宮へようこそ。ゲームは開始された。無事に迷宮を出て賞金を勝ち取れ」
というゲーム機に映し出されたメッセージにより、強制的にプレイヤーにさせられる主人公。
小型のゲーム機を手に、生きるか死ぬかの極限状態で同じようにプレイヤーにさせられた他8名とのゼロサム・ゲームが始まるのだ。
全く状況が把握できないまま、デスゲームに強制参加させられてしまうところも怖いけれど、一番怖かったのは人間の変貌ぶり。
極限状態における心理の変化や生きることへの執着で、今までには考えられなかったような人間であることを放棄するような行動に走る人々。
SNAKEPIPEは、ゲームの主催者や関係者の非情さよりも、その点が一番怖かったな。
この小説を読んでいる時にはよく悪夢にうなされたものよ。(笑)
「バトル・ロワイヤルに似ている」
「映画SAWに似ている」
と、多くの人が感想に書いているよね。
確かにそうなんだけど、「クリムゾンの迷宮」のほうが、戦時下に近いようなリアリティを感じるんだよね。
ラスト部分はオチとして必要だったのかもしれないけれど、もしかしたら最終章はなくても良かったのかもしれないね。
でもなかったら「オチがないのが不満」って言うんだろうけど。(笑)

4冊分の簡単な感想と考えて書き連ねていたら結構な長さになっちゃったね。
次回に「貴志祐介part2」を書くことにしようかな。
それでは皆様来週をお楽しみに!(笑)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です