【異界の場末にて好評営業中のROCKHURRAH RECORDS!】
ROCKHURRAH WROTE;
今週は本業なんだか趣味なんだか、今ではROCKHURRAH RECORDSなどという看板を一応掲げて細々と通販やってるROCKHURRAHがその昔に通っていたレコード屋について語ってみよう。今回はちょっと自伝風。
本当は「あのレコード屋はどこに行っちゃったんでしょうねぇ」というような文章にする予定だったんだが最近レコード屋通いも全然ご無沙汰、つまり消えてしまったところも実はまだ現存するところも知らない状態なので消えたレコード屋特集とはならなかった。おそらく日本一音楽雑誌を読まない現役レコード屋(?)であるROCKHURRAH、自慢にもならないが簡単に言えば情報不足というわけだ。
今でもレコード・コレクターと呼ばれるような人間はいて、各地で掘り出し物を見つけて狂喜している事と思う。ただ可哀想なのは最近ではそういう人々がはしご出来るほどに店の数が多いわけじゃないし一日レコード屋巡りをしても収穫は少ないに違いない。
インターネットが普及した90年代後半以降はコレクターが欲しがるようなレコードの流通価格が平均化してしまい、西新宿で買おうが西大路で買おうが要するに日本全国値段は変わらないというような状況、これじゃあ面白くも何ともないもんだ。時代は加速をつけてつまらない方向に向かっているな。
ROCKHURRAHが音楽に目覚めてレコード屋通いをはじめた頃はまだ音楽も文化も渾沌の時代だ。地元小倉からわざわざ高速バスに乗って福岡のレコード屋まで仕入れに行っていた。東京よりは出島が近いってのに、南蛮渡来の輸入盤屋なんてものは北九州にはロクになかったからだ。
その頃福岡でお目当てのレコード屋とくればレコード・プラントKBCとベスト電器の中にあったサウンド・ベストの2軒だった。当時の天神を知る人は納得してくれよう。知らない人も多かろうから軽く書いてみよう。
KBCは九州朝日放送、つまりテレビ朝日の九州版といった放送局のことで、その電波塔の下で輸入盤屋をやっていたのだ。九州では(たぶん)いち早くタワー・レコードKBCとなった(その後に出来たタワー・レコードとは別物)し、その後にはトラックスという名前で福岡の音楽シーンを盛り上げた伝説のレコード屋だ。その他の年代はスコーンと抜けてるがパンク、ニュー・ウェイブの時期には随分通ったもんだ。
センスの良い展示の仕方と音楽に対する情熱、愛情のこもった店でROCKHURRAHの音楽遍歴のルーツとも言える店。今でも愛聴しているJoy DivisionやThis Heatになぜか同日に巡り合ってしまったのもこの店だ。Pere Ubuとの衝撃的な出会いもここだったなあ。
個人的な付き合いは特になかったけど後のトラックスの店長Tさん(当時はここで働いていた)の事を知らなければ、もしかしたらROCKHURRAHは今のような人生を送ってなかったかも。
サウンド・ベストの方はさすがに記憶もあやふやなんだが、関東方面にもちらほらある家電量販店ベスト電器(福岡が本店)の中のレコード・コーナーがここだった。
どこの家電量販店にもあるCDコーナーみたいなもんか?と多くの人が思うだろうが、それが大違い。売り場主任なのか何なのかよくは知らないが博多弁でまくし立てるその人がなぜか好き勝手にパンク始めました、という風情の店作り、量販店の中でこれは尋常じゃないと思ったものだ。特に当時の福岡ではあまり手に入らなかった7インチ・シングルを多く扱っていたのがパンク的で良かった。
最初は「何この店?変わってるな」という感覚で買ったんだが、レジでいちいち買ったレコードにマニアックなコメントを言ってくれる。量販店の中だから無論店員さんもパンクな髪形でも服装でもない、なのにスピリットはパンクそのもの。そのミスマッチが面白くて通ったものだ。
KBCではニュー・ウェイブをメインで、サウンド・ベストではパンクばっかりという同時進行で音楽を買い漁っていたのが当時の楽しみだった。スタンプ・カードがいっぱいになって最初に引き換えで貰ったのがプラスティック・ベルトランの1stアルバムだというのもいかにもROCKHURRAH的だと思える。
この人は後に独立してセブンティーズ・レコーズという素晴らしいレコード屋をはじめたんだが最初は神社の鳥居をくぐったような怪しい飲み屋ビルの片隅でやっていた。ゴミのような風景に妙にマッチしていてここも大好きな店だったんだが、レコードに付いているコメント、キャプションの類いもローカル色豊かで「こげん凄かレコード、買わな損ばい」などという感じ。博多弁は博多っ子ではないROCKHURRAHがテキトウに書いたのでそういった雰囲気だと想像して。
この店はROCKHURRAHがその後上京して東京で働いている間に火事で焼失してしまったらしい。盆や正月に帰省してセブンティーズに行くのが楽しみだったのに。
その後別の場所で復活したんだが、音楽への熱い意気込みを貫いた尊敬出来る大先輩だと言える。
この後、ROCKHURRAHは永らく東京で生活することになるんだが、長くなりそうなんでその東京編は次回という事にして今回は博多編のみにしておこう。
ごく短い期間ではあったが東京から出戻りだったROCKHURRAHは小倉よりは都会っぽくて住みやすそうな福岡に住んでいた。ここで運命の導きにより(大げさ)前述のレコード・プラントKBCと再会してしまうのだった。去年のブログ「マルワランド・ドライブ」で書いた通り、テキ屋一家に連れられて巡業していた後の話。
縁があってそのKBCが当時やっていたトラックスというレコード屋で働く事となったのだ。トラックス自体はすでにあったんだが、ちょうどその時、天神に新しく出来た大型ショッピングモールのワンフロアまるまる使って巨大レコード屋に生まれ変わろうというリニューアル企画があって、そのオープニング・スタッフとして採用されたのだ。
それ以前にも中古レコード店や輸入レコード店、なぜかレコード洗いのバイト(笑)まで経験していたんだが、どれもこれもアングラ感漂う世界。いわゆるメガストア系でははじめての体験だ。ここは服装も髪形もまるっきりの自由で好きなスタイルで働く事が出来たのが素晴らしい。
オープン前に徹夜で什器やCDの移転作業をやったり、何の因果かエルビス・コステロとトイレで並んでしまったり、短い間でもなかなか充実した日々が送れた。
がしかし、元来のアンダーグラウンド病であるROCKHURRAHなのでやっぱり巨大店舗には向いてないなあと痛感する事もあってこの店から、というより福岡から再び去ってしまった。パンクやニュー・ウェイブに出会った少年時代、そしてパンクな青春を送った日々、その時から比べると時代の勢いが確実に衰えてるのを感じたのもこの頃だ。
なんて、珍しくセンチメンタルな雰囲気で書いてしまったが、この後ROCKHURRAHはどこをほっつき歩いてSNAKEPIPEと出会ったのか?
詳しくは次回の第2部「立志篇」にて、乞うご期待!
突然すみません。
ワタシもタワーレコードKBCでジョイ・ディヴィジョンやディス・ヒートを知りました。スロッビング・グリッスルやレッド・クレイオラやホワイトハウスのレコードもここで仕入れたものです。
自分の名前が出ていたので軽い気持ちでこのブログをのぞいてみたら、あまりにシンクロしすぎて懐かしかったので、発言させていただきました。失礼いたしました。
奄美大島 鳥飼否宇拝