【ソドムの市のポスター】
SNAKEPIPE WROTE:
久しぶりにレンタルDVDでも借りに行こう、と出かけてみたけれど、「新作コーナー」には何ひとつ気になる映画がない。
ROCKHURRAHも同じだったようで、苦労して決めたのが次の2本。
1本は2人共以前に観たことがある「ソドムの市」で、監督別コーナーだったため隣に置いてあった「デカメロン」も追加。
2本だけだけど「パゾリーニ・デイ」と洒落込むことにした。(笑)
「デカメロン」はボッカチオ原作の同名小説から成っている映画だ。
デカメロンは名前は知ってても読んだことがないので調べてみると、イタリア版のアラビアン・ナイトのようなお話らしい。
時は1348年(一体何百年前だ?)ペストを恐れた男女10人が邸宅の中で退屈しのぎに10人が10話ずつ、合計100話の物語を語るお話だとか。
で、今回の映画「デカメロン」ではその中から7話が収録されている。
昔々××村でこんなことがありましたとさ、みたいな寓話や笑い話である。
パゾリーニ自身が高名な画家の一番弟子、という役柄で登場。
「夢の中のほうがうまく描けるのに、何故それでも絵を描き続けるのだろう」
と自問するところが印象的だった。
「ソドムの市」はマルキ・ド・サド侯爵の「ソドム百二十日あるいは淫蕩学校」が原作となっている映画で、1975年に謎の死をとげたパゾリーニの遺作でもある。
大統領、大司教、最高判事、公爵の4人の権力者が己の欲求のために欲望の館を作り、その中で行われる様々な行為について描いている作品である。
「地獄の門」「変態地獄」「糞尿地獄」「血の地獄」という4つの構成で成り立っている。(ダンテの神曲に倣っているらしい)
「地獄の門」でその館を作るまでのお話があり、「変態地獄」からは自らの実体験を話す「語り部女」に触発されながらそれぞれのテーマに沿った話が展開していく。
前述したように「変態」「糞尿」「血」の話なので、およそ考え得る限りの悪行—-背徳的で残酷なシーンが目白押しである。
時代設定を1944年のヒトラー占領下のイタリアとしたために、よりファシズム色が強くなっている。
お、この1944年というのは「4番煎じもおいしい?」「二人の情熱男の物語」の時に書いた「ハンニバル・ライジング」の時代設定と全く同じ!
ヨーロッパにおける1944年というのが、かなり重要な年だということが解りますな。
詳細は専門書に譲りますが。(笑)
「ソドムの市」はどうしても「変態映画」として認識されてしまいがちだけれど、パゾリーニ本人には
「変態・異常性欲・残虐行為を消費社会と現代の暗喩として用い、消費市場主義・快楽主義の後期資本主義社会に無理矢理適合させられている現代人の有様を描き出そう」
という主題を持っていたようである。(DVDの中より引用)
うむ、そう聞けば「成る程!」と思ってしまうSNAKEPIPE。
そしてもう一つ忘れてならないのはイタリア、という場所。
ローマ市内に世界最小の国家「ヴァチカン市国」がある国である。
カトリック教会の総本山、全市民が何かしらの聖職者というキリスト教とは切っても切れない関係にある国だ。
そのためなのかキリスト教の「7つの大罪」(傲慢 嫉妬 憤怒 怠惰 強欲 暴食 色欲)に触れる表現が多い。
「デカメロン」の中で「姦淫は大した罪ではないと神に言われた話」とか「尼僧も男性に興味津々の話」とか「僧侶が人妻をかどわかそうとする話」など、やはりキリスト教と深い関係のある話が多々登場する。
規範、規定や規律のような厳格な約束があるからこそ、破りたくなる輩が出るのか。
日本人は武士道の影響から「恥」を最も悪いことと認識する民族だが、キリスト教徒の場合は「罪」に重い意識を持つようである。
その意識の違いを文化の違いと言ってしまえばそれまでかもしれないけど。(笑)
30年以上前の映画であるが、今観ても充分衝撃的だった。
宗教的アナーキスト(こんな言葉があるのか?)パゾリーニの他の作品も観る機会を持ちたいと思った。