篠田桃紅展 鑑賞

20220529 top
【毎度おなじみの構図で看板を撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

毎週日曜日にNHKで放映されている「日曜美術館 アートシーン」は、15分という短い時間にも関わらず、展覧会情報を知るのに最適な番組なんだよね!
範囲は全国にまたがっているため、例えば山口県立美術館で開催されている展覧会に興味を持ったとしても、行くことは難しいけど。(笑)
全く知らなかったアーティストや文化について学べるので、楽しみにしているんだよね!
先日の放送された展覧会で、観た瞬間から「これ!行きたい!」と叫んだのが、東京オペラシティアートギャラリーで開催されている「篠田桃紅展」だった。

SNAKEPIPEには初耳だったアーティストだけど、1950年代から有名な方のようで。
まずは篠田桃紅の略歴をまとめておこうか。(東京オペラシティアートギャラリーサイトより抜粋)

1913 中国大連に生まれ、翌年父の転勤で東京に移る
1940 銀座鳩居堂で初めての書の個展を開催するが、「根なし草」と酷評される
1947 この頃より文字に囚われない抽象的な作品を制作しはじめる
1954 サンパウロ市400年祭の日本政府館(設計・丹下健三)に壁書を制作
ニューヨーク近代美術館「日本の書」展に出品。
1955 ベルギーの画家ピエール・アレシンスキーの映画「日本の書」撮影のために制作を実演
1956 単身渡米
主にニューヨークを拠点に2年にわたり活動、全米各地およびパリで個展を開催
1958 帰国し大田区田園調布に住む
日本で制作して海外で精力的に発表しながら、独自の抽象表現に取り組んでいく
1965 国立京都国際会館(設計: 大谷幸夫)のためにレリーフと壁画を制作
ベティ・パーソンズ画廊(ニューヨーク)で個展(以後複数回開催)
1974 増上寺(東京)のために壁画と襖絵を制作
2003 関市立篠田桃紅美術空間開館
2021 東京都内で逝去

昨年107歳で亡くなっているんだね。
番組内では100歳を超えても、作品制作に取り組む様子が映し出されていた。
1956年に40歳を過ぎて単身渡米とは、勇気あるよ!
ちなみに草間彌生の渡米は1年後の1957年だったようなので、先輩にあたるんだね。
海外での評価も相当に高かったことが、年表からも分かる。
建築家とのコラボも多かったようで、もしかしたら知らないうちに篠田桃紅の作品を目にしていたのかもしれない。
パワフルな活動をしていた篠田桃紅だけれど、制作中も着物姿というのが、なんとも粋じゃないの!
日本女性の気高さや気丈さを体現していたように感じたよ。

アートシーンを観てから、およそ2週間後にROCKHURRAHとオペラシティギャラリーに行く。
前回オペラシティを訪れたのは2022年3月の「ミケル・バルセロ展」なので、つい2ヶ月前のこと。
あの時は服装を失敗して寒かった記憶があるけれど、出かけた日は25℃を超える夏日の予報。
冷房対策したほうが良い気温になってるよね。

オペラシティアートギャラリーは、予約の必要がなく、会場でチケットを購入するシステムを採用している。
万が一混雑した場合には待たされるというシンプルさ!
今まで何度か訪れた経験では、そこまで混み合うことがなく、ゆったり鑑賞できるギャラリーだという認識を持っていた。
開場時間である11時少し前に着くと、今までとは違う光景を目にして驚く。
チケット購入のために列ができているじゃないの!
およそ20名程度の後ろに並び、観客チェックを始める。
ROCKHURRAH RECORDSと同じようにアートシーン効果なのか、以前より篠田桃紅を知っていてやってきたのか?
どちらかというと年齢層高めの観客が多い印象だよ。

いよいよ開場。
通常と違っていたのは観客の多さだけではなく、撮影が禁止だったこと。
白髪一雄やミケル・バルセロの展覧会では、一部のみ撮影禁止はあったけれど、すべてダメというのは初めてだよ!
作品一覧に印をつけておくためのペンもなく、本当に鑑賞するだけになってしまったよ。
それでは感想をまとめていこう!

書家を目指していた篠田桃紅が、初個展で酷評されたのは、伝統にとらわれない自由な書を発表したためらしい。
確かに一般的な書道とは大きく違い、感情の吐露と激しさが伝わってくる作品だよ。
パンクな感じがして好きだけど、1940年代に女性がこの表現を見せたら驚かれただろうね。

続いても書の作品。
万葉集に収められた大津皇子が詠んだ歌が書かれている。
「あしひきの山のしづくに妹待つと 我立ち濡れぬ山のしづくに」
原稿用紙に似せた格子に、一文字ずつ書き連ね、最後の一枡に小さく「大津皇子」と書かれているんだよね!
これを観てROCKHURRAHがフフッと笑っている。
篠田桃紅の遊び心が伝わってくる作品だよね!
画像奥には、また別のパンクな書が見える。
上の作品、大津皇子の作品、奥のパンクの書と比べてみただけでも、桃紅フォントの違いが分かるよね。

会場を進んで行くと、書から次第に抽象絵画に展示が変化していく。
「カッコいい!」
構図と色彩とデザイン。
すべてがバシッと決まってるんだよね。
陳腐な言い方だけど「和モダン」の先駆者なんだろうな。
墨の濃淡と赤色という非常にシンプルな色だけを使用しているのも特徴のひとつ。
日本画における間の使い方に似た構図は、篠田桃紅の場合アメリカの抽象絵画に近いのかもしれないね?
経歴には、家庭環境や少女時代についての記述が少ないので、どうしてこのような表現が生まれてきたのか謎だよ。
1950年代の日本といえば、前述の白髪一雄も参加していた「具体美術協会」などの前衛芸術まっさかりだったことを思い出す。
その当時、篠田桃紅と「具体美術協会」の接点はなかったのかな?
想像すると面白いよね!

1960年代になって、フィラデルフィア美術館から来日した刷師のアーサー・フローリーの勧めにより、リトグラフ制作を始める篠田桃紅。
この時の年齢47歳くらい?
40歳を過ぎてから渡米できる女性なので、年に関係なく新しいことにチャレンジするんだね。
リトグラフの作品も素晴らしくて、ロシア構成主義やバウハウスっぽい雰囲気で、ROCKHURRAHとSNAKEPIPEはよだれがダラダラでたよ!(笑)
ジャポニズムミーツバウハウスだね。
とてもスタイリッシュだったよ。

まるで佐倉にある川村記念美術館のロスコルームか、といった部屋もあったよ。
真ん中に椅子が置いてあったので、座ってじっくり鑑賞してみる。
四面ある壁、それぞれに大型の作品が展示されていたんだよね。
これはもう桃紅ルームでしょ!(笑)
岐阜県関市や新潟県に篠田桃紅の美術館があるというので、是非この部屋を作って欲しいよ。
SNAKEPIPEが知らないだけで、もうすでに桃紅ルームあったりしてね?
およそ120点という相当な展示数を鑑賞できて、大満足の展覧会だった。

2階のフロアでは、篠田桃紅にちなんで「1960-80年代の抽象」が開催されていた。
こちらは撮影オッケー!
やったーと思ったのもつかの間、ガラスに反射してキレイに撮影できないよ。
写真の出来はいまいちだけど、一応載せてみようか。

韓国のユン・ヒョンクン(尹亨根/Yun Hyong-keun)の「Umber-blue ’77」。
ピンク・レディー「カルメン’77」の時代ってことね!(古い)
マーク・ロスコかバーネット・ニューマンか、といった感じだけど、実際70年代にニューヨークで触発されたらしい。
韓国の伝統的な水墨画を思わせる抽象絵画は、篠田桃紅の韓国版といったところかな。
黒色の濃淡や、ベージュの縁が淡くもやっとしているところにグッとくるよ。
最近は抽象絵画に心を惹かれるんだよね!(笑)
ユン・ヒョンクンも知らなかったので、記憶しておこう!

長年来の友人Mなら「あ!かずおちゃん!」と駆け寄るに違いない、白髪一雄の作品も展示されていたよ。
キャンパスからはみ出んばかりの迫力は、観間違わないね。
2020年2月に鑑賞した「白髪一雄 a retrospective展」でも観ているはずだけど、他のアーティストの作品と並んでいると、その特異性が際立つよ。
日本人離れした大胆さ、やっぱり最高だね!(笑)

「マーク・ロスコじゃないの?」
思わず声に出したSNAKEPIPEにタイトルを見るように促すROCKHURRAH。
「More Tragic! More Plangent!…More Purple! Rothko’s Chapel 1」 という作品名で、アーティストはなんとマイク・ケリー!
2018年4月にワタリウム美術館で鑑賞した「マイク・ケリー展 デイ・イズ・ダーン」は衝撃的で、今でもたまにあの時の映像が頭をよぎることもあるくらい。(笑)
画像が斜めで分かり辛いと思うけど、マイク・ケリー風のおふざけなのか、ロスコ風の作品を制作したんだろうね。
思わぬところで知った名前に出会えて嬉しかったよ!

100歳を超えても作品制作に取り組んでいたという篠田桃紅。
作品も素晴らしかったし、その生き様にも頭が下がる。
観客の年齢層高めだったのが、うなずけるかも。(笑)
2015年に出版された「一〇三歳になってわかったこと」がベストセラーになったという記事も見つけたので、いつか読んでみよう!

行って良かった展覧会だったけど、展覧会図録が手に入らなかったのが残念。
最近多いのは、図録完成が遅いこと。
鑑賞したら購入したいと思うのが普通なので、もっと早くショップに並べて欲しいよ。
どうかお願いします!

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