ROCKHURRAH WROTE:
ROCKHURRAH RECORDSが使っているサーバーでPHPのヴァージョン7.1が使えるようになったので早速試してみようと思った・・・などと書いてみても興味ない人の方が圧倒的に多いに違いない。
そういうのに興味ある人はウチのブログなんか読まないだろうからね。
PHP: Hypertext Preprocessor(ピー・エイチ・ピー ハイパーテキスト プリプロセッサー)とは、動的にHTMLデータを生成することによって、動的なウェブページを実現することを主な目的としたプログラミング言語、およびその言語処理系である。
うん、ROCKHURRAHも特に興味はないんだけど、これを新しくすることによって処理速度が速くなるなんて言われるとどうしても弱いんだよね。
がしかし、確かな知識を持ってなくて過去に致命的なエラーを起こした事もあり、この手の更新は慎重になってしまう。
手始めに仮想環境で同じことしてみたらやっぱり画面が真っ白けになってしまったので、もう少し調べるまで本番ではやめておこう。
何だ、やってないならこんな事わざわざ書くまでもなかったな。
というわけで今回のテーマは「真っ白」・・・というのは真っ赤なウソ。
さて、全然関係ない前フリだったが、今回は久しぶりの更新となるこのシリーズを書いてみようか。
最後に書いたのが何と2015年8月。書いてる本人にも忘れ去られてるシリーズだな。
世界の国名、都市名がついた歌をどこかから見つけてきて、それについてどうでもいいコメントをしてゆくだけというトホホなこの企画。
語呂がいいからつけただけで、内容は別にロックンロールでも世界紀行でもないよ、という詐欺めいたタイトルなんだけど、ほとんどが70年代パンクと80年代ニュー・ウェイブに関する曲ばかりを選んで聴かせるという姿勢だけが今の時代には珍しいかも。
マリブ・ビーチは米国カリフォルニアにあるビーチでサンタモニカとも割と近場、なんて事をわざわざ海辺が似合わないROCKHURRAHが言わなくても誰でも知ってるに違いない。
確かにもし、有り余るだけの財力があり、近隣のセレブ達と会釈するほどになったとしても、個人的にはこの辺に住みたいとは全然思わないだろうな。
好みと趣味の問題で合わない人とは永遠に合わないのは仕方ないが、旅番組とか見てても海辺のリゾートはイマイチと思ってしまう。
たぶん海が嫌いなワケじゃなくて、こういう番組で「今流行りの」とか言って紹介されるマリンスポーツにあまり興味ないからなんだろう、と自分を分析するよ。
そういう遊びやスポーツが流行る前(つまり子供時代)の海水浴は好きだったから。
その点、SNAKEPIPEとは好き嫌いが(たぶん)合ってて良かったよ。
大昔、社員旅行でマリンリゾートを満喫出来る島に行った時も、場違い甚だしいパンクな服装で通して海辺にも行ってない。傍から見たらおかしい人みたいに思われたかも知れない。日焼けも嫌いだし夏の服、本当に持ってないからなあ。
まあそんな好みは抜きにして、海辺でキャッキャするのが大好きな人にとっては憧れのいい場所なんだろうね。
一番最初の「猿の惑星」のロケで使われたなどと書いてあったが、あれはマリブ自体じゃなくてニューヨークの未来の景色として使われただけじゃないかな。マリブ要素は全然ないぞ。
そんなマリブビーチの魅力(?)をふんだんに伝えるのはこの曲しかない。
ハノイ・ロックスは1981年にデビューした北欧フィンランドのバンドで、ベトナムともカリフォルニアとも関係ないと思われるが、フィンランドっぽさも特にないと思えるので、まあ無国籍なロックンロール・バンドという位置でいいのかな?
ニューヨーク・ドールズやグラム・ロック、ハードロック、パンクを適度にミックスして80年代風にしたようなルックスと音楽で、80年代初期には大人気だったバンドだ。
マイケル・モンローやアンディ・マッコイのキャラクターはジャンルの垣根を超えて幅広く支持されていたな。
モトリー・クルーのメンバーが飲酒運転する車に同乗していたハノイ・ロックスのドラマーが事故死(事故を起こしたヴィンス・ニールは生き残る)という悲惨な出来事により解散してしまう不遇なバンドだったが、この手のバンドをあまり良く言わないROCKHURRAHでさえ知ってる曲を何曲も残している。
中でも一番好きでノリノリになれるのが「Motorvatin’(炎のドライビン)」とこの曲「Malibu Beach Nightmare(マリブ・ビーチの誘惑)」 だ。
まあ誰が聴いても単純明快にポップでキャッチーな曲。若くて突っ走った感じはパンクにも通じるものがあるようにも、決定的に違うようでもある。何じゃそりゃ?説明になってないぞ。
同じ曲をラモーンズやハートブレイカーズがやったとしてもこうはならなかっただろう。何と言うか、小気味いいけど混沌が足りないんだよね。
しかし久々にシリーズのタイトル「 ロックンロール」要素はあるから、まあいいか。
もうとっくの昔に解散してしまったけど、大好きでライブにも通った日本のサイコビリー・バンド、ROBINもこの曲をカヴァーしていたね。このカヴァーの方が原曲よりずっと好きだったよ。
ROBIN、再結成したら真っ先に駆けつけるのになあ。
コンスタンティノープルは今の地図にはない都市名だが、15世紀にオスマン帝国の攻撃によって陥落した東ローマ帝国の首都だったそうな。
うーん、社会と言えば日本史専攻で世界史は苦手だった覚え(地名・人名が覚えられない)があるが、その日本史も別に得意だったわけでもなく漢字が多少読めたから選んだだけ、我が家はSNAKEPIPEと共に歴史オンチだと断言されても仕方ない。
こないだの「読めん!」といい、書けば書くほど頭悪そうになってしまう窮地。
都市名はなくなっても場所としては今のイスタンブールの事だね。
「飛んでイスタンブール(庄野真代、1978年)」や「異邦人(久保田早紀、1979年)」「イスラエル(スージー&ザ・バンシーズ、1980年)」を例に出すまでもなく、1970年代の終わり頃の日本はなぜだか知らないが中東あたりがブームだったような気がする。
その時代の写真雑誌とかではシルクロードや中東、アフリカなど当時の一般的な日本人があまり行けないようなところを見聞してきたような紀行文が多かったもんね。この頃はまだ中近東と言ってたな。イスタンブールは中東なのかヨーロッパなのかイマイチわかってないんだが、まあ雰囲気的にね。
誰が写真撮って書いたのかは全然覚えてないが、ROCKHURRAHもそういう雑誌などで異国への闇雲な憧憬を持っていた。
今みたいにネットのない時代、調べてもよくわからないものは大概、想像で補ってたもんな。何事もロクに調べなかったROCKHURRAHはなおさら断片的で歪んだ海外のイメージ持ってたに違いない。当時は「普段はあまり知らない国の情報」への興味があったというわけだろうね。
ちなみに「異邦人」はタイトルと曲調がそれ風だっただけで、実は国立駅前の風景より作られた曲だったとの事だが(笑)、イメージ戦略により「何か中東っぽい」と思ってしまうね。
そんなコンスタンティノープルの魅力を余すところなく伝えてくれるのが今年、何と32年ぶりの来日をするレジデンツだ。しかも何でブルーノート?
特集企画でもないこんな場(今回の記事)で語るのも難しいくらいのキャリアを持つアメリカのバンドだが、60年代後半には既に実験音楽を作り始めてて、1972年にレコード・デビュー。以後、実験的でヘンテコ(たまにはちょっとポップ)な音楽を作り続けている謎の音楽集団なのだ。
目玉おやじがタキシード着たようなヴィジュアルだったり素顔を晒さない、メンバーも不明という匿名方針を長らく貫いてて、見てきた人でも「よくわからん」存在なのは間違いない。
現在までにどれだけ謎と呼ばれたバンドがいたのかは知らないが、音楽性のルーツも含めて謎が多い、その草分け的な存在がレジデンツなのだ。
ROCKHURRAHは昔々、雑誌「ロックマガジン」の記事でペル・ユビュとレジデンツを知り、その後着々とレコードを集めてきた。
どちらもジャケットから音楽性が想像出来ない雰囲気のバンドだったので、出会う前は色々な想像をしていた事を思い出す。
レジデンツの場合はジャケットが割と不気味カラフルだったからジャケ買いだったね。出してるRalph Recordsのイラストを多用したアートワークやレーベル・マークもハイセンスでそそられたもんだ。
「The Third Reich ‘n Roll 」や「Duck Stab! / Buster & Glen」などなど、まだ少年だった頃に聴いてた音楽は今でも鮮明に覚えてるよ。
前衛的で不安感に満ち溢れてて不協和音だらけではあるが、全編ノイズだらけのバンドや静けさが大半のレコードよりは個人的には聴きやすくて好きなバンドだったよ。
既存のパンクやニュー・ウェイブに飽き足らなくなって、オルタナティブとかアヴァンギャルドとかの方面を模索していた時期にちょうど重なったわけだから、この手の音楽は個人的な需要にぴったんこだったんだろうな。
引っ越しが多かったROCKHURRAHだが、レジデンツのレコードの中に入ってたファンクラブの入会申込書をどの家でもずっとピンナップのように壁に貼っていた。今は見つからないが、たぶん今住んでる家にも捨てずに持ち込んでるはず。
「Join or Die」というベンジャミン・フランクリンの有名な言葉が引用されてて、クー・クラックス・クラン(白人至上主義の秘密結社)の頭巾を被った四人が並ぶという不吉なシロモノ。
アメリカの私書箱に送金してファンクラブ会員になる、などという事はなかったけど、もし会員になってたら一体どのようなものが送られてきたんだろうか?それが知りたい・・・。
ん?曲について何も書いてなかったな。この曲はレジデンツの中で最も好きだった78年のアルバム「Duck Stab / Buster & Glen」に収録。
この時期までのレジデンツの中では最もニュー・ウェイブっぽい曲調でヴォーカルもノイズなバンドに通じるような歪み具合でカッコイイね。
コンスタンティノープル要素はたぶん特になし・・・。
ROCKHURRAHには珍しい来日記念特集第二弾でこれも書いてみるか。
京都は日本に来るような外国人だったら誰でも知ってる土地なのは間違いない。同じ古都でも奈良よりはメジャーな名前なんだろうか?統計取ったわけじゃないからその辺は不明だが、古くは「京都の恋(ベンチャーズ&渚ゆう子)」など京都にちなんだ曲もパッと思い出すもんね。
ROCKHURRAHはSNAKEPIPEと知り合う前に四年間くらいだが京都市民だった事があって、その時は右京区あたりを住処としていた。
特に何もないところだったけど、自然も近くにあって京都を満喫するにはいい場所だったかな。
坂がなくて道もわかりやすかったから自転車で割と広い行動範囲だったのを思い出す。
同僚が住んでた遥か北の船岡山(大徳寺近く)まで夜に自転車で出かけたり、今だったら絶対に出来ないくらいの行動量だったよな。調べてみたら7キロもあったよ。
太秦くらいは近場、軽く自転車で出かけてたからね。
京都時代は街が、と言うより個人的な趣味で仏像に興味あって、そのために色々出かけてたのだ。見た目や雰囲気からは全然そんな趣味は垣間見えて来ないけどね。
太秦は弥勒菩薩で有名な広隆寺があったので、そこを目指して出かけてたわけだ。
SNAKEPIPEと知り合った頃、禁じられてる自転車二人乗りで東寺まで行ったのもいい思い出。
ものすごく暑い時で大変だったし、途中でパンクしてしまったっけ?
旅行に行くたびに、とてもいいところだけど実際に住んでみたらどうなんだろう?といつも思ってしまう。
世間で観光地と呼ばれるところ(の近場)に初めて住んだのがこの京都時代だったけど、文化も歴史も自然もちゃんとあって生活にも不便はない。それがただの観光地と観光都市の違いってヤツかな。これから先、観光地に引っ越す予定はないが、住む基準はやっぱり生活と文化のバランスだろうな。当たり前の事言ってるなあ。
人にとってはどうでもいい回想になってしまったが、そんな京都の魅力を隅から隅まで伝える曲がこれ(?)、スラップ・ハッピーの「Heading For Kyoto」だ。
京都に向かう食堂車の中でどうのこうの・・・というような歌詞はたぶん何てことなさそうだが、1972年の1stアルバムに収録の曲。
上のレジデンツは32年ぶりって事だが、このスラップ・ハッピーも16年ぶりの来日だという。
このブログを投稿した日にはすでに過去の出来事になってるんだけど、書いてる時はまさに来日真っ盛り。日本では特に盛り上がりそうだね。
英国ケント州カンタベリー周辺で起こったカンタベリー・ミュージックと呼ばれる音楽の一派がかつてあった。後に名を成すプログレッシブ・ロックの数多くのバンドがこの地の出身で、メンバー間の交流が盛んだったので何となく(たぶん)ひと括りにしたもの。
ここの出身者ではないけどスラップ・ハッピーはヘンリー・カウ(靴下ジャケットで有名)と一時期一緒にやってた事によって、カンタベリー・ミュージックの一派として取り上げられる事が多いかな。
ピーター・ブレグヴァド、アンソニー・ムーアというボヘミアンな男二人とダグマー・クラウゼという歌姫がドイツで結成したのがこのトリオだ。米英独の友好同盟ね。
クラウト・ロックの先鋭的音楽集団ファウストやRock in Oppositionという主義の反体制バンド、ヘンリー・カウとの共作で知られるが、スラップ・ハッピー自体は聴きやすくて好きなバンドだった。その後、ヘンリー・カウに吸収合併されてしまうのが残念。最終的にダグマー・クラウゼを略奪されたような感じがしてイヤん(イオンとマイカルの関係みたいなものか?)なんだよね。
その後のアート・ベアーズやソロ作品で歌唱スタイルを確立(?)したという点では評価する人も多いだろうけど心情的にね。
まあ説明下手のROCKHURRAHなんかがいちいち言わなくても、熱烈なファンが多いバンドなのであまり書くような事がないんだけど、時代を先取りした音楽だったのは確か。
アヴァンギャルドな部分とか見え隠れはしても、時にノスタルジックでポップ、和める曲も残したバンドだったな。
今回の主旨とは違うから語らないけどROCKHURRAHは「I Got Evil 」や「The Drum」「Everybody’s Slimmin’ 」などが好き。
で、この曲のビデオは2016年にケルンで行われたライブより。
「うーん、当然ながら老けたなあ」と思って見たが、デビュー時から親交のあったファウストのメンバーと一緒にやってて、ファンならば感涙間違いなし。ダンボールとボンベみたいなのを叩いてパーカッションにするというのは「これぞ即興」という感じで昔からある手法だが、地面にそのまま置いててひざまずいて叩く姿勢が辛そう。もう少し叩きやすい、いい場所なかったのかな?
京都と言えばこちらも忘れちゃならない、キュアーのそのものズバリ「Kyoto Song」。
その後もやってはいるものの、やっぱり80年代のイメージが一番強く、ある種の人によっては80年代を象徴するバンドかも知れないね。
キュアーは元々オリジナル・パンクの時代に出てきたバンド。
1977年にデビューしたイージー・キュアは80年代初頭の暗くて内向的なイメージはなくてパンクっぽい、かなりの個性とクオリティを持っていた。などと見てきたように書いたけど、もちろんこの頃は無名でレコード契約もまだしてないようなバンドだったと思う。イージー・キュア名義の音源がレコードになったのはずっと後になってからだろう。
キュアー博士じゃないからハッキリは知らないが。
で、キュアーとバンド名を短縮した後の79年に本格デビューするんだけど、個人的にROCKHURRAHにとっては第一印象があまり良くなくて82年くらいまで敬遠していたバンドなんだよね。
ファンならば知ってるだろうが1stの一曲目が時計の針カチカチでなかなか演奏に入らない。たかが20秒程度なんだけど気が短い若者だったのでそれがかったるかったんだろう←バカ。
ロバート・スミスの特徴的な歌い方もこの時代にはまだ理解出来なかった。
まだまだROCKHURRAHも青かったんじゃろうて。
まあ誰にでもある完全な「聴かず嫌い」だと言えるが、タダでどんな曲でも試聴出来る時代とは違ったから、好みのバンド以外を買ってまで聴かなかったというだけ。
この頃の明るい名曲「Boys Don’t Cry」などは今聴いてもノリノリになれるんだけどね。
その後、キュアーは暗黒度合いを増していって「首吊りの庭」「血塗られた百年」「幻影地獄(乱歩かよ)」などと不吉なタイトルの曲(邦題が勝手放題なだけだが)や白塗り顔にドギツイ化粧、髪はボサボサというロバート・スミスの方向性によって、その手のバンドのイメージを決定付ける。暗黒仲間のスージー&ザ・バンシーズのギタリストとしても活躍したね。
同時代のネオ・サイケ、ダークサイケ、ポジパンと呼ばれる音楽はキャッチーな要素があまりないにも関わらず、英国では結構もてはやされたブームだったからね。
しかしロバート・スミスの不気味な見た目、ちょっとぽっちゃりした体型などからシリアスというよりは逆に笑える存在としても名高く、漫画にも登場するくらい。 どこが発信源なのかは知らないが日本ではロバオなどとあだ名が付けられていたなあ。
ショーン・ペン主演の「きっと ここが帰る場所」もロバスミをイメージしたんじゃないかな?
80年代初頭はそんなだったキュアーも80年代半ばくらいからは何かの呪縛から脱出したようで、明るくポップな曲調や奇妙なテイストを持った曲をモノにして、メジャーなヒットを連発してゆく。
確かにいつどこで聴いても即座にわかる声の持ち主で、好きとか嫌いとか抜きにして言えば、曲も演奏もビデオも他にはない個性を持ってたバンドだと思えるよ。
おっとまた曲について何も書いてなかったな。「Kyoto Song」は彼らの6枚目のアルバム「The Head on the Door 」に収録されていた。 琴の音みたいなのがそれっぽくはあるけど歌詞はやはりとっても暗く死に彩られたようなもので、京都要素は特になし。
どこで思いついた曲か知らないが、旅行中にこんな事考えてたら(歌詞もよくわかってはいないんだが)救いようがないぞよ。
あーあ、今回もまた世界紀行とは程遠い内容になってしまったな。ROCKHURRAHが好きで聴いてるような音楽と旅情が全然一致してないって事なんだな。
それでもやめずに続けてゆこう。
ではまた、ホシュ チャカルン(トルコ語で「さようなら」)。
The ResidentsとSlapp Happy、どちらもライヴに行きましたよ。Slapp Happyのほうは東京マラソンのついで(倍率12倍の抽選に当たってしまったんですよ)って感じでしたが、The Residentsはそれだけのためにわざわざ奄美から上京して。The Residentsがブルーノートで演るってのも不思議でしたが、そのパフォーマンスは最高でした。アングラの帝王の凄みすら感じる圧巻のライヴでした。
鳥飼先生。
お久しぶりです。コメント頂きありがとうございます(同じことばかり書いてますが)。
レジデンツのライブに行かれたのも羨ましい限りです。
彼らの映画「めだまろん」さえも観に行けなかったので近年はどういった音楽をやっているのかわかりませんが、そんなに圧巻なパフォーマンスだったとは・・・。