ロックンロール世界紀行 Transit06

【珍しくタイムリーにちょっとだけ来日記念特集】

ROCKHURRAH WROTE:

ROCKHURRAH RECORDSが使っているサーバーでPHPのヴァージョン7.1が使えるようになったので早速試してみようと思った・・・などと書いてみても興味ない人の方が圧倒的に多いに違いない。
そういうのに興味ある人はウチのブログなんか読まないだろうからね。

PHP: Hypertext Preprocessor(ピー・エイチ・ピー ハイパーテキスト プリプロセッサー)とは、動的にHTMLデータを生成することによって、動的なウェブページを実現することを主な目的としたプログラミング言語、およびその言語処理系である。

うん、ROCKHURRAHも特に興味はないんだけど、これを新しくすることによって処理速度が速くなるなんて言われるとどうしても弱いんだよね。
がしかし、確かな知識を持ってなくて過去に致命的なエラーを起こした事もあり、この手の更新は慎重になってしまう。
手始めに仮想環境で同じことしてみたらやっぱり画面が真っ白けになってしまったので、もう少し調べるまで本番ではやめておこう。
何だ、やってないならこんな事わざわざ書くまでもなかったな。
というわけで今回のテーマは「真っ白」・・・というのは真っ赤なウソ。

さて、全然関係ない前フリだったが、今回は久しぶりの更新となるこのシリーズを書いてみようか。
最後に書いたのが何と2015年8月。書いてる本人にも忘れ去られてるシリーズだな。

世界の国名、都市名がついた歌をどこかから見つけてきて、それについてどうでもいいコメントをしてゆくだけというトホホなこの企画。
語呂がいいからつけただけで、内容は別にロックンロールでも世界紀行でもないよ、という詐欺めいたタイトルなんだけど、ほとんどが70年代パンクと80年代ニュー・ウェイブに関する曲ばかりを選んで聴かせるという姿勢だけが今の時代には珍しいかも。

マリブ・ビーチは米国カリフォルニアにあるビーチでサンタモニカとも割と近場、なんて事をわざわざ海辺が似合わないROCKHURRAHが言わなくても誰でも知ってるに違いない。

確かにもし、有り余るだけの財力があり、近隣のセレブ達と会釈するほどになったとしても、個人的にはこの辺に住みたいとは全然思わないだろうな。

好みと趣味の問題で合わない人とは永遠に合わないのは仕方ないが、旅番組とか見てても海辺のリゾートはイマイチと思ってしまう。
たぶん海が嫌いなワケじゃなくて、こういう番組で「今流行りの」とか言って紹介されるマリンスポーツにあまり興味ないからなんだろう、と自分を分析するよ。
そういう遊びやスポーツが流行る前(つまり子供時代)の海水浴は好きだったから。
その点、SNAKEPIPEとは好き嫌いが(たぶん)合ってて良かったよ。

大昔、社員旅行でマリンリゾートを満喫出来る島に行った時も、場違い甚だしいパンクな服装で通して海辺にも行ってない。傍から見たらおかしい人みたいに思われたかも知れない。日焼けも嫌いだし夏の服、本当に持ってないからなあ。

まあそんな好みは抜きにして、海辺でキャッキャするのが大好きな人にとっては憧れのいい場所なんだろうね。
一番最初の「猿の惑星」のロケで使われたなどと書いてあったが、あれはマリブ自体じゃなくてニューヨークの未来の景色として使われただけじゃないかな。マリブ要素は全然ないぞ。

そんなマリブビーチの魅力(?)をふんだんに伝えるのはこの曲しかない。
ハノイ・ロックスは1981年にデビューした北欧フィンランドのバンドで、ベトナムともカリフォルニアとも関係ないと思われるが、フィンランドっぽさも特にないと思えるので、まあ無国籍なロックンロール・バンドという位置でいいのかな?
ニューヨーク・ドールズやグラム・ロック、ハードロック、パンクを適度にミックスして80年代風にしたようなルックスと音楽で、80年代初期には大人気だったバンドだ。
マイケル・モンローやアンディ・マッコイのキャラクターはジャンルの垣根を超えて幅広く支持されていたな。

モトリー・クルーのメンバーが飲酒運転する車に同乗していたハノイ・ロックスのドラマーが事故死(事故を起こしたヴィンス・ニールは生き残る)という悲惨な出来事により解散してしまう不遇なバンドだったが、この手のバンドをあまり良く言わないROCKHURRAHでさえ知ってる曲を何曲も残している。
中でも一番好きでノリノリになれるのが「Motorvatin’(炎のドライビン)」とこの曲「Malibu Beach Nightmare(マリブ・ビーチの誘惑)」 だ。

まあ誰が聴いても単純明快にポップでキャッチーな曲。若くて突っ走った感じはパンクにも通じるものがあるようにも、決定的に違うようでもある。何じゃそりゃ?説明になってないぞ。
同じ曲をラモーンズやハートブレイカーズがやったとしてもこうはならなかっただろう。何と言うか、小気味いいけど混沌が足りないんだよね。
しかし久々にシリーズのタイトル「 ロックンロール」要素はあるから、まあいいか。
もうとっくの昔に解散してしまったけど、大好きでライブにも通った日本のサイコビリー・バンド、ROBINもこの曲をカヴァーしていたね。このカヴァーの方が原曲よりずっと好きだったよ。
ROBIN、再結成したら真っ先に駆けつけるのになあ。

コンスタンティノープルは今の地図にはない都市名だが、15世紀にオスマン帝国の攻撃によって陥落した東ローマ帝国の首都だったそうな。
うーん、社会と言えば日本史専攻で世界史は苦手だった覚え(地名・人名が覚えられない)があるが、その日本史も別に得意だったわけでもなく漢字が多少読めたから選んだだけ、我が家はSNAKEPIPEと共に歴史オンチだと断言されても仕方ない。
こないだの「読めん!」といい、書けば書くほど頭悪そうになってしまう窮地。
都市名はなくなっても場所としては今のイスタンブールの事だね。

「飛んでイスタンブール(庄野真代、1978年)」や「異邦人(久保田早紀、1979年)」「イスラエル(スージー&ザ・バンシーズ、1980年)」を例に出すまでもなく、1970年代の終わり頃の日本はなぜだか知らないが中東あたりがブームだったような気がする。
その時代の写真雑誌とかではシルクロードや中東、アフリカなど当時の一般的な日本人があまり行けないようなところを見聞してきたような紀行文が多かったもんね。この頃はまだ中近東と言ってたな。イスタンブールは中東なのかヨーロッパなのかイマイチわかってないんだが、まあ雰囲気的にね。

誰が写真撮って書いたのかは全然覚えてないが、ROCKHURRAHもそういう雑誌などで異国への闇雲な憧憬を持っていた。
今みたいにネットのない時代、調べてもよくわからないものは大概、想像で補ってたもんな。何事もロクに調べなかったROCKHURRAHはなおさら断片的で歪んだ海外のイメージ持ってたに違いない。当時は「普段はあまり知らない国の情報」への興味があったというわけだろうね。

ちなみに「異邦人」はタイトルと曲調がそれ風だっただけで、実は国立駅前の風景より作られた曲だったとの事だが(笑)、イメージ戦略により「何か中東っぽい」と思ってしまうね。

そんなコンスタンティノープルの魅力を余すところなく伝えてくれるのが今年、何と32年ぶりの来日をするレジデンツだ。しかも何でブルーノート?
特集企画でもないこんな場(今回の記事)で語るのも難しいくらいのキャリアを持つアメリカのバンドだが、60年代後半には既に実験音楽を作り始めてて、1972年にレコード・デビュー。以後、実験的でヘンテコ(たまにはちょっとポップ)な音楽を作り続けている謎の音楽集団なのだ。
目玉おやじがタキシード着たようなヴィジュアルだったり素顔を晒さない、メンバーも不明という匿名方針を長らく貫いてて、見てきた人でも「よくわからん」存在なのは間違いない。
現在までにどれだけ謎と呼ばれたバンドがいたのかは知らないが、音楽性のルーツも含めて謎が多い、その草分け的な存在がレジデンツなのだ。

ROCKHURRAHは昔々、雑誌「ロックマガジン」の記事でペル・ユビュとレジデンツを知り、その後着々とレコードを集めてきた。
どちらもジャケットから音楽性が想像出来ない雰囲気のバンドだったので、出会う前は色々な想像をしていた事を思い出す。
レジデンツの場合はジャケットが割と不気味カラフルだったからジャケ買いだったね。出してるRalph Recordsのイラストを多用したアートワークやレーベル・マークもハイセンスでそそられたもんだ。
「The Third Reich ‘n Roll 」や「Duck Stab! / Buster & Glen」などなど、まだ少年だった頃に聴いてた音楽は今でも鮮明に覚えてるよ。
前衛的で不安感に満ち溢れてて不協和音だらけではあるが、全編ノイズだらけのバンドや静けさが大半のレコードよりは個人的には聴きやすくて好きなバンドだったよ。

既存のパンクやニュー・ウェイブに飽き足らなくなって、オルタナティブとかアヴァンギャルドとかの方面を模索していた時期にちょうど重なったわけだから、この手の音楽は個人的な需要にぴったんこだったんだろうな。

引っ越しが多かったROCKHURRAHだが、レジデンツのレコードの中に入ってたファンクラブの入会申込書をどの家でもずっとピンナップのように壁に貼っていた。今は見つからないが、たぶん今住んでる家にも捨てずに持ち込んでるはず。
「Join or Die」というベンジャミン・フランクリンの有名な言葉が引用されてて、クー・クラックス・クラン(白人至上主義の秘密結社)の頭巾を被った四人が並ぶという不吉なシロモノ。
アメリカの私書箱に送金してファンクラブ会員になる、などという事はなかったけど、もし会員になってたら一体どのようなものが送られてきたんだろうか?それが知りたい・・・。

ん?曲について何も書いてなかったな。この曲はレジデンツの中で最も好きだった78年のアルバム「Duck Stab / Buster & Glen」に収録。
この時期までのレジデンツの中では最もニュー・ウェイブっぽい曲調でヴォーカルもノイズなバンドに通じるような歪み具合でカッコイイね。
コンスタンティノープル要素はたぶん特になし・・・。

ROCKHURRAHには珍しい来日記念特集第二弾でこれも書いてみるか。

京都は日本に来るような外国人だったら誰でも知ってる土地なのは間違いない。同じ古都でも奈良よりはメジャーな名前なんだろうか?統計取ったわけじゃないからその辺は不明だが、古くは「京都の恋(ベンチャーズ&渚ゆう子)」など京都にちなんだ曲もパッと思い出すもんね。

ROCKHURRAHはSNAKEPIPEと知り合う前に四年間くらいだが京都市民だった事があって、その時は右京区あたりを住処としていた。
特に何もないところだったけど、自然も近くにあって京都を満喫するにはいい場所だったかな。

坂がなくて道もわかりやすかったから自転車で割と広い行動範囲だったのを思い出す。
同僚が住んでた遥か北の船岡山(大徳寺近く)まで夜に自転車で出かけたり、今だったら絶対に出来ないくらいの行動量だったよな。調べてみたら7キロもあったよ。
太秦くらいは近場、軽く自転車で出かけてたからね。

京都時代は街が、と言うより個人的な趣味で仏像に興味あって、そのために色々出かけてたのだ。見た目や雰囲気からは全然そんな趣味は垣間見えて来ないけどね。
太秦は弥勒菩薩で有名な広隆寺があったので、そこを目指して出かけてたわけだ。
SNAKEPIPEと知り合った頃、禁じられてる自転車二人乗りで東寺まで行ったのもいい思い出。
ものすごく暑い時で大変だったし、途中でパンクしてしまったっけ?

旅行に行くたびに、とてもいいところだけど実際に住んでみたらどうなんだろう?といつも思ってしまう。
世間で観光地と呼ばれるところ(の近場)に初めて住んだのがこの京都時代だったけど、文化も歴史も自然もちゃんとあって生活にも不便はない。それがただの観光地と観光都市の違いってヤツかな。これから先、観光地に引っ越す予定はないが、住む基準はやっぱり生活と文化のバランスだろうな。当たり前の事言ってるなあ。

人にとってはどうでもいい回想になってしまったが、そんな京都の魅力を隅から隅まで伝える曲がこれ(?)、スラップ・ハッピーの「Heading For Kyoto」だ。
京都に向かう食堂車の中でどうのこうの・・・というような歌詞はたぶん何てことなさそうだが、1972年の1stアルバムに収録の曲。
上のレジデンツは32年ぶりって事だが、このスラップ・ハッピーも16年ぶりの来日だという。
このブログを投稿した日にはすでに過去の出来事になってるんだけど、書いてる時はまさに来日真っ盛り。日本では特に盛り上がりそうだね。

英国ケント州カンタベリー周辺で起こったカンタベリー・ミュージックと呼ばれる音楽の一派がかつてあった。後に名を成すプログレッシブ・ロックの数多くのバンドがこの地の出身で、メンバー間の交流が盛んだったので何となく(たぶん)ひと括りにしたもの。
ここの出身者ではないけどスラップ・ハッピーはヘンリー・カウ(靴下ジャケットで有名)と一時期一緒にやってた事によって、カンタベリー・ミュージックの一派として取り上げられる事が多いかな。

ピーター・ブレグヴァド、アンソニー・ムーアというボヘミアンな男二人とダグマー・クラウゼという歌姫がドイツで結成したのがこのトリオだ。米英独の友好同盟ね。
クラウト・ロックの先鋭的音楽集団ファウストやRock in Oppositionという主義の反体制バンド、ヘンリー・カウとの共作で知られるが、スラップ・ハッピー自体は聴きやすくて好きなバンドだった。その後、ヘンリー・カウに吸収合併されてしまうのが残念。最終的にダグマー・クラウゼを略奪されたような感じがしてイヤん(イオンとマイカルの関係みたいなものか?)なんだよね。
その後のアート・ベアーズやソロ作品で歌唱スタイルを確立(?)したという点では評価する人も多いだろうけど心情的にね。

まあ説明下手のROCKHURRAHなんかがいちいち言わなくても、熱烈なファンが多いバンドなのであまり書くような事がないんだけど、時代を先取りした音楽だったのは確か。
アヴァンギャルドな部分とか見え隠れはしても、時にノスタルジックでポップ、和める曲も残したバンドだったな。
今回の主旨とは違うから語らないけどROCKHURRAHは「I Got Evil 」や「The Drum」「Everybody’s Slimmin’ 」などが好き。

で、この曲のビデオは2016年にケルンで行われたライブより。
「うーん、当然ながら老けたなあ」と思って見たが、デビュー時から親交のあったファウストのメンバーと一緒にやってて、ファンならば感涙間違いなし。ダンボールとボンベみたいなのを叩いてパーカッションにするというのは「これぞ即興」という感じで昔からある手法だが、地面にそのまま置いててひざまずいて叩く姿勢が辛そう。もう少し叩きやすい、いい場所なかったのかな?

京都と言えばこちらも忘れちゃならない、キュアーのそのものズバリ「Kyoto Song」。
その後もやってはいるものの、やっぱり80年代のイメージが一番強く、ある種の人によっては80年代を象徴するバンドかも知れないね。

キュアーは元々オリジナル・パンクの時代に出てきたバンド。
1977年にデビューしたイージー・キュアは80年代初頭の暗くて内向的なイメージはなくてパンクっぽい、かなりの個性とクオリティを持っていた。などと見てきたように書いたけど、もちろんこの頃は無名でレコード契約もまだしてないようなバンドだったと思う。イージー・キュア名義の音源がレコードになったのはずっと後になってからだろう。
キュアー博士じゃないからハッキリは知らないが。

で、キュアーとバンド名を短縮した後の79年に本格デビューするんだけど、個人的にROCKHURRAHにとっては第一印象があまり良くなくて82年くらいまで敬遠していたバンドなんだよね。
ファンならば知ってるだろうが1stの一曲目が時計の針カチカチでなかなか演奏に入らない。たかが20秒程度なんだけど気が短い若者だったのでそれがかったるかったんだろう←バカ。
ロバート・スミスの特徴的な歌い方もこの時代にはまだ理解出来なかった。
まだまだROCKHURRAHも青かったんじゃろうて。
まあ誰にでもある完全な「聴かず嫌い」だと言えるが、タダでどんな曲でも試聴出来る時代とは違ったから、好みのバンド以外を買ってまで聴かなかったというだけ。
この頃の明るい名曲「Boys Don’t Cry」などは今聴いてもノリノリになれるんだけどね。

その後、キュアーは暗黒度合いを増していって「首吊りの庭」「血塗られた百年」「幻影地獄(乱歩かよ)」などと不吉なタイトルの曲(邦題が勝手放題なだけだが)や白塗り顔にドギツイ化粧、髪はボサボサというロバート・スミスの方向性によって、その手のバンドのイメージを決定付ける。暗黒仲間のスージー&ザ・バンシーズのギタリストとしても活躍したね。
同時代のネオ・サイケ、ダークサイケ、ポジパンと呼ばれる音楽はキャッチーな要素があまりないにも関わらず、英国では結構もてはやされたブームだったからね。

しかしロバート・スミスの不気味な見た目、ちょっとぽっちゃりした体型などからシリアスというよりは逆に笑える存在としても名高く、漫画にも登場するくらい。 どこが発信源なのかは知らないが日本ではロバオなどとあだ名が付けられていたなあ。
ショーン・ペン主演の「きっと ここが帰る場所」もロバスミをイメージしたんじゃないかな?

80年代初頭はそんなだったキュアーも80年代半ばくらいからは何かの呪縛から脱出したようで、明るくポップな曲調や奇妙なテイストを持った曲をモノにして、メジャーなヒットを連発してゆく。
確かにいつどこで聴いても即座にわかる声の持ち主で、好きとか嫌いとか抜きにして言えば、曲も演奏もビデオも他にはない個性を持ってたバンドだと思えるよ。

おっとまた曲について何も書いてなかったな。「Kyoto Song」は彼らの6枚目のアルバム「The Head on the Door 」に収録されていた。 琴の音みたいなのがそれっぽくはあるけど歌詞はやはりとっても暗く死に彩られたようなもので、京都要素は特になし。
どこで思いついた曲か知らないが、旅行中にこんな事考えてたら(歌詞もよくわかってはいないんだが)救いようがないぞよ。

あーあ、今回もまた世界紀行とは程遠い内容になってしまったな。ROCKHURRAHが好きで聴いてるような音楽と旅情が全然一致してないって事なんだな。
それでもやめずに続けてゆこう。

ではまた、ホシュ チャカルン(トルコ語で「さようなら」)。

好き好きアーツ!#44 鳥飼否宇 part18−激走&T-REX失踪−

【今回のブログ用にROCKHURRAHがプロモビデオを作成(意味不明)】

SNAKEPIPE WROTE:

大ファンであるミステリー作家、鳥飼否宇先生の作品を再読し、感想をまとめていく「トリカイズム宣言」!
前回は鳥飼先生の綾鹿市シリーズより「逆説的」を書かせて頂いた。

「綾鹿市シリーズ」で、まだまとめていないのは「本格的」と「官能的」だね。

と最後に書いていたけれど、今回は鳥飼先生の「ノンシリーズ」から2作品について書いていきたいと思う。
「ノンシリーズ」とはシリーズの名前ではなく、シリーズ化されていない=単独作品という意味なんだよね。
「ノンシリーズ」では例えば「昆虫探偵」や「異界」など、鳥飼先生の世界観を満喫できる素敵な作品があって、以前感想をまとめさせて頂いている。
鳥飼先生の「ノンシリーズ」も大好きで、どの作品も続編を待ち望んでいるSNAKEPIPEなんだよね。
はっ、続編ができたとしたらもう「ノンシリーズ」とは言えなくなるのかっ! (笑)

では「 激走 福岡国際マラソン」から始めようか。
2005年に発売された時には副題として「42.195キロの謎」が入っていたけれど、文庫化された2010年には現在のタイトル「激走」になっているようだね。

2007年師走、福岡国際マラソン。
トップランナーの思惑、ペースメーカーの野望は交錯していた…。
マラソンを舞台に駆け巡るノンストップ・ミステリー。

販売しているページから簡単なあらすじを引用させてもらったよ。
福岡国際マラソンの間に事件が起こるなんて、前代未聞のミステリー小説だよね。
テレビ中継もされているし、沿道には人が大勢いる場所で?
そんなあり得ないような状況を舞台にしたのが「 激走」なんだよね!

ちなみに左の画像が「福岡国際マラソン」のコース。
昔ROCKHURRAHが住んでいたという姪浜や、SNAKEPIPEも多少は知っている地名が並んでいるね。
きっと鳥飼先生にも馴染みのある場所がたくさんあることでしょう!

SNAKEPIPEは学生の頃から運動が苦手で、できれば体育の授業は見学していたいタイプだった。
子供の頃から読書や絵を描くのを好む、いわゆるインドア派!
そんなSNAKEPIPEが唯一(?)運動で賞を獲ったことがあるのが、マラソンだった。
SNAKEPIPEが通っていた小学校では、毎年冬にマラソン大会が行われていた。
完走するのが目的の、心身を鍛えるのが目的の恒例行事だ。
何故だか覚えていないけれど、その年のSNAKEPIPEはアイデアがあった。
スタートの合図でダッシュし、先頭のチームに入り、そのままゴールまで走る作戦である。
走り続けるのは誰にとっても苦しいもの。
途中からスパートをかけて先頭集団に追いつくのは難しいけれど、最初から先頭にいれば多少の遅れは取り戻せると考えたのである。
結果は10位以内に入る自己ベスト!(笑)
家の中にいるのが好きな子にしては、上出来だよね。

子供だったSNAKEPIPEが考えついた作戦だけれど、実際に同じように考えるランナーもいるようだ。
「激走 」はマラソンを題材にしたミステリー小説だけれど、SNAKEPIPEが感じた一番の醍醐味はランナー達の思惑だった。
自分の体調とペース配分のバランスを取りながら競争相手との駆け引きを考える。
それぞれのランナーが考えていることが文章化されているのが、非常に興味深かった。

テレビのアナウンサーがランナー達の状況を伝える。
実際にレースを観戦しているような気分でページをめくっていく。
思惑を覗かせてくれるのは市川尚久、ペースメーカーとしてレースに参加している。
「激走 」を読むまでペースメーカーの存在を知らなかったSNAKEPIPE。
「高水準かつ均等なペースでレースや特定の選手を引っ張る役目の走者のこと」とWikipediaに書いてあるように、先頭を走る目的で採用されているんだよね。
もちろんそれなりの実績がないと採用されないし、そのまま走って優勝しても良いらしい。
ペースメーカーの市川は「ある思い」を持って走っている。

2人目は小笠原寛明、日本期待の優勝を狙うランナーである。
この小笠原は学生時代にアイアンマスクと影で呼ばれていたほどの冷酷無比な人物だ。
自分のことしか考えない利己主義な性格のため、どんな手段を使っても他人を蹴落とし自分の利益を優先させる。
この小笠原の思惑も描かれていて、こうした人物の物の考え方を知るのは興味深かった。
これくらい強気じゃないと世界に立ち向かえないだろうな、と思ったよ。

ここまで利己主義を全面に打ち出す日本人は少ないし、かなり極端な例だから全面的に賛成するとまでは言わないけれど、実はSNAKEPIPEは小笠原の気持ちが分かるんだよね。
例えば駅伝だったら、メンバー全員の総力で100にしようと考える日本人が多いんじゃないかな?
小笠原の考えでは各メンバーがそれぞれ100を出し合って、総計で600にしようとする「個人の力」重視なんだよね。
チームプレーの考え方自体が違うので、小笠原が浮いてしまうのは理解できる。
そしてSNAKEPIPEもROCKHURRAHもこのタイプなので、幼少期から単独行動派!
個人作業を好む傾向にあるので、「みんなで頑張ろう」のようないわゆる日本人的な集団とはソリが合わないことが多いかも。(笑)
何年か前にサッカー選手の本田圭佑が似たコメントを話していたように記憶しているけれど、本田圭佑の意見に同意できない人が多数いたもんね。
小笠原や本田に共感できる人は、なるべく個人で行動したほうがベターだろうね。
小笠原は駅伝をやめて正解だったみたいね。(笑)

日本人選手の中では他に優勝候補として、ナルキッソス化粧品の二階堂公治がいる。
まるでアイドルのようなルックスで、女性ファンが多いらしい。
ちやほやされる様子は、他の選手には苦々しくうつっている。
福岡出身、地元の谷口鉄夫にも声援が多い。
全国的には二階堂ファンが圧倒的に多いだろうけれど、さすがに地元では谷口が優位に立っている。
「谷口、男ば見せちゃらんね」
さすがに博多らしい応援だよね。(笑)

市川尚久の後輩である在日韓国人の洪康彦も良い位置で走っている。
国籍の問題で、日本でも韓国でも差別やいじめを経験してきたらしい。
どこの国の人間か、なんて問題じゃない。
「俺は俺なんだ」というアイデンティティも欲しかっただろうし、市川尚久への憧れもあり、洪は厳しい練習に耐え実力を付けて福岡国際マラソンに臨んでいるのである。

一般参加の選手もいる。
ペースメーカーを希望したけれど、過去の実績と面接で落選した岡村雪則である。
応募の動機が「目立ちたい」だったという、これまた変わったタイプの日本人。(笑)
人それぞれ何かしらの理由を持って大会に参加していると思うけど、ここまで単純な理由を軽々しく口にするとは!
岡村は我流走法でレースに臨んでいて、走り方に特徴があるという。
苦しそうな顔をして、隣を走るランナーの邪魔になるくらい肘を左右に振る独特のスタイルだという。
この特徴から、ROCKHURRAHが「ザトペック走法」を連想したという。
はしるーはしるー おれーたーちー!(爆風スランプ)
そして「ザトペック」というノイエ・ドイッチェ・ヴェレのバンドの曲をチョイスした、オリジナルのビデオを制作してくれた!
ザトペック走法というのが「人間機関車」と呼ばれていた、というところからビデオにはROCKHURRAHが連想した意味不明の映像も混ざっているんだよね。
ROCKHURRAHの連想だから、「これは何?」と聞いてやっとザトペックとのつながりが分かったシーンもいっぱいだよ!
オリジナル・ビデオ、短時間で良く出来てるよね。
さすがROCKHURRAH!(笑)

日本人選手だけでも、これだけの顔ぶれだけれど、実力が上なのは海外勢だ。
特にアフリカ勢には、過去にも好成績を獲得している最有力候補がいる。
緊迫するレース展開にどんどん引き込まれていく。

「激走 」はミステリー小説として括られているし、実際に事件が起こる。
ミステリー小説は謎の解明と共に犯人探しをするのが目的の場合が多いと思うけれど、この小説に関しては選手それぞれの思惑と、目が離せないレース展開が魅力だ。
もちろんミステリー部分も、ラストの大どんでん返しも見逃せないけどね!

続いては「人事系シンジケート―T-REX失踪」をまとめてみよう。
韻を踏んだタイトルは、まるで1つの決まった単語のように発音しやすい。
そしてそのタイトルが表している通り、主人公はおもちゃメーカーの人事部に所属する物部真治。
入社して3年の、まだ経験の浅い社員である。
人事部に所属しているとはいっても、実際には何でも屋のような仕事がほとんど。
その日も部長に呼び出された物部は、ある指示を受ける。
無断欠勤している総務部の女性社員、田尻優についての調査だった。
その司令が、あんな事件に発展するとは!

大手玩具メーカー・トリストイに勤める物部真治の名刺には、「人事部」としかない。
それは、普通の社員には解決できない特殊事案を「秘密裏に」担当するためだ。
そんな彼のもとに、社の命運を賭けた新商品<ハイパーT-REX>が盗まれたとの報告が!
極秘に捜索を進めるうちに、関係者の1人が謎の転落死を遂げる……

講談社ノベルスのあらすじを引用させてもらったよ。
特殊案件を処理できる能力を保持している物部だけれど、外見的に際立った特徴はないみたい。
人当たりは良いけれど、あまりパッとしない地味な男、という印象を持ったSNAKEPIPE。
物部は福岡県の大牟田の出身だ、というところが鳥飼先生の作品だよね!
不遇な子供時代の影響で、特殊能力が身に付いたらしい。
その物部を自分の部下に抜擢した、人事部の部長峯岸史子の能力もすごいと思ってしまったけどね!(笑)
部長である峯岸はショーカットに縁無しメガネをかけ、正義感に溢れた人物だという。
公正な判断力がある女性の上司というのは、あまり聞いたことがない気がするよ。
どうしても女性の場合は個人的な感情によって、相手に対して態度が変化することが多いようなイメージがあるんだよね。
SNAKEPIPEの偏見かもしれないけどね。(笑)
そんな上司の元で働ける物部は、恵まれていると思うよ。

この小説の魅力の1つは、キャラクター設定だと思う。
物部の先輩であり、社内一の美女とされる坂巻亜季は見た目とは裏腹に短気で勝ち気な性格だという。
凛とした美人というのならハンサム・ウーマンとして評価されるけれど、怒りっぽいだけの女性だと敬遠されちゃうだろうね?
何か心に問題があったり、ストレスを抱えているのかもしれないね?(勝手に分析)

調査対象である田尻優の同僚で、物部の調査に付き合うことになった東郷麻紀も総務部所属だ。
田尻も東郷も物部の一つ後輩にあたるという。
田尻は「令嬢」と呼びたくなるようなお嬢様タイプ、それに引き換え東郷はまるでキャバクラに勤めているような派手な出で立ち。
休日にはコスプレまでしてるという、目立つのが好きなタイプなんだね。(笑)
軽そうな雰囲気だと思っていたのに「人事系シンジケート」の名付け親は、彼女!
物部を中心とした謎の解決に当たるチーム、という意味なんだよね。

派手な東郷の出番が多いのでどんな人なのか良く分かるんだけど、物部がほのかな想いを寄せている今井佳子の登場が少なかったかな?
物部と同期で第二営業部に所属しているセミロングの美人で、高校時代は弓道部だったサッパリした性格、くらいか。
あまり物部には関心がない様子だけど、恋の行方はいかに?って感じだね。

物部の同僚として登場する総務部の常呂政臣はトトロの愛称で親しまれている。
ラグビーをやっていただけあって、背が高くガタイも良いけれど、性格がおっとりしているらしい。
物部のことをモン、と呼んでいて仲の良さが分かるよね。
優しい力持ちだから、どこの会社にも一人いて欲しいと思う人物だよね。
何かお願いしたら、すぐに引き受けてくれそうだもん。(笑)
ROCKHURRAHは「痙攣的 モンド氏の逆説」「このどしゃぶりに日向小町は」に登場するバンド「鉄拳」のメンバーのザッポを思い出したらしい。
体が大きくて面倒見が良いところが似てる感じだもんね!

無断欠勤の話以外に、会長夫人からペットの捜索を依頼されてしまう展開も面白かったね。
ポチという名前のヨークシャーテリアを休日返上で探すことになるんだけど…。
この犬の捜索を手伝ってくれたのは、人事部の物部の先輩で社内一の変わり者と称されている清水竜一。
休日に清水と待ち合わせた物部は、清水のファッションに愕然とする。
鋲ジャン、革パン、ツンツンヘアとくればパンクの正装なんだけど、物部には分からなかったみたいだね。
この清水が良い味出してるんだよね。
清水と物部のコンビが「観察者シリーズ」でいうところのトビさんとネコみたいな関係になるのかな。

鳥飼先生の著作で東京の企業が舞台になっている作品はこれだけでは?
会社員の会話のせいか、普段に比べると生物に関する記述も少なめだったのも特徴だと思う。
おもちゃのメーカーという設定も良かったし、50分の1の大きさで再現されたティラノサウルス・レックスがリモコンで動くおもちゃなんて興味をそそられるよね。
そしてなんとティラノサウルス・レックスもプロモーション・ビデオに取り込んでしまったROCKHURRAH!
様々なレックスが入っているね。
これにより更に意味不明のビデオになったことは間違いないね!(笑)

新作のティラノサウルス・レックスが盗まれだけでなく、無断欠勤の女性社員の話、会長夫人のペットの失踪といった問題が発生するけれど「人事系シンジケート」が活躍するところが見どころなんだよね!
登場人物のキャラクターがはっきりしていて想像しやすかったし、実際にいそうなので親しみを感じやすいと思った。
会社内での事件というのは、まだ他にもアイデアが浮かびそうだし、清水と物部コンビで続編読みたかったなあ!

次回の「トリカイズム宣言」は何にしようか?
今度こそ「本格的」かな!(笑)

時に忘れられた人々【28】読めん!編 dos

【忘れちゃならないこのバンド。え?読めん?】

ROCKHURRAH WROTE:

前回、中途半端で終わってしまった頭悪そうな企画、その第二弾を書いてみよう。
読めないバンド名特集、とかいうのがネットに色々出てたりもするんだけど、当て字を使いまくった最近の日本のバンドとか字体そのものが読みにくいバンドとか、ウチがやるものとは主旨が違う。こちらは何と発音するのかROCKHURRAHの学力でわからなかったようなのを挙げてるだけなんで、読める人には一目瞭然、トンチも要らないものばかりなのだ。

何の勉強もせずに言語が最初から読める人はいないわけで、今のROCKHURRAHがその状態なのに読めんと言ってるのはバカバカしい話だとは思うよ。しかしそんな生真面目な事を言ってたらこの企画が成立しないので、そういう事はある程度無視して進めてみよう。ゆるいなー。

前回のWirtschaftswunderもそうだったが、ドイツやロシアなどのバンドをここに持ってくるのはある意味、反則という気がする。予備知識なしで読めるはずがないからね。
だがROCKHURRAHは古くから、ほとんどリアルタイムでドイツのニュー・ウェイブを追っかけてきたので、「読めん!」というバンドがこの国に数多く存在していたのは確かな記憶だ。がしかし、追っかけてきたんなら読めるようになっとけよ、という気もするけどね。
読めないバンドを必死でどこかから探して来たわけじゃなく、この記事を最初に書き始めた時からドイツ物が多くなるのは予想していたこと。
うーむ、言い訳で数行も使ってしまったよ。

さて、そんなROCKHURRAHがデビュー当時から読み方に頭を悩ませていたのがPalais Schaumburgだった。一般的にはどうか知らないが個人的ノイエ・ドイッチェ・ヴェレの知名度ランキングではDAF、デイ・クルップス、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン、デア・プランに続くくらいの位置付け、まあベスト5に入るって事か。
Einstürzende Neubautenなんてのも普通のレベルじゃ「読めん!」になってしまうけど、まあこの手のバンドの中では知名度高いと思ったので今回の特集では見送ったよ。
このバンドが出た当時は周りのみんながノイバウンテンと言ってたのを思い出す。「ン」は一体どこから読み取ったのか、永遠の謎だなあ。

話がそれてしまったが、実はPalais Schaumburgの読み方は今でも人によってマチマチだと思える。
多くの人がこう呼んでて記事にも書かれてるのがパレ・シャンブルグ、これが正解でいいのかね?

当時のロックマガジンという雑誌でドイツまでノイエ・ドイッチェ・ヴェレを取材に行った(と記憶してるが詳細不明)阿木譲が、この雑誌で書いてたのはパライス・シャウンブルグという読み方。
他に参考にする記事がこの当時にはなかったから、ROCKHURRAHも最初の頃はずっとそう呼んでた。
ノイエ・ドイッチェ・ヴェレなんてマイナーなものを特集するのは80年代初頭にはこの雑誌かフールズ・メイトくらいしかなかったもんね。

しかし、シャウムブルクという同じ綴りの地名がドイツにあるから、ますます惑わされてしまうよ。そこには本当にシャウムブルク城があるらしいから、特に何のヒネリもないバンド名だと思える。
アメリカ読みすればシャンバーグ(イリノイ州にある村)だと。和風シャンバーグとかありそうだね。
うーむ、こんなにありふれたバンド名についてここまで悩んでるのはROCKHURRAHくらいのもんか?

で、まだ認めたわけじゃないが(笑)一般的に言うパレ・シャンブルグ、これは後にソロで有名になるホルガー・ヒラー、後のThe Orbに参加するトーマス・フェルマンなどによるハンブルグのバンドで1980年にデビューした。
後にメンバーが有名になったからちょっと神格化されたりもしてるらしいが、ノイエ・ドイッチェ・ヴェレという括りの中では割とオーソドックスな編成のバンドだった。
これでロックと言えるの?と思えるバンドが他にウヨウヨいた中で、ちゃんとギター、ベース、ドラムという基本的なロック・バンドの構成だったからね。ラッパ系も入ってて他のドイツのバンドと比べると電子楽器度合いが低いね。この記事でも書いてたか。

これは1981年に出た1stアルバムに収録の曲で、おそらくTV出演のパフォーマンスだと思うけど、パレ・シャンブルグというバンドの個性が最もよくわかる映像だと思う。
この当時のホルガー・ヒラーはパッと見には頭の良さそうな美少年という感じ。曲はアヴァンギャルドでフリーキーなのに見た目や踊りがアイドル風というギャップがすごいね。

先ほど書いた5大バンドの中でもDAFのガビは極太眉毛の脂ぎった顔つき、クルップスのユーゲンは不気味で冷酷そうな顔つき、デア・プランのピロレーターはますます不気味で危ない目つき、ブリクサは美形だが人間離れした顔つき。
こんな中ではホルガー・ヒラーのルックスが一番まともに見えてしまうね。

上の曲「Deutschland kommt gebräunt zurück」などはどこかの部族の音楽みたいだが、ここに奇妙で調子っぱずれの効果音や歌が入るところがこのバンドの真骨頂。調和してないけど絶妙にポップな部分があるんだよね。
ポップなものとイビツなものが同居するというと美術におけるダダイスムを思い浮かべてしまうが、パレ・シャンブルグの音楽はROCKHURRAHにとってはそういう感じ。
まあこれに限らず、ドイツの音楽にはやっぱりアートの影響を感じるものが多いね。

お次はこれ、まるでポジパンか?というようなジャケットで有名なフランスのJacques Higelin。読めん、ではないけど・・・。

これ以上バカな逸話を書きたくはないんだが、パンクやニュー・ウェイブばかりを追い求めていた若き日のROCKHURRAH。
このジャケットを見て実際にフランスのポジティブ・パンクのレコードだと勝手に思い込み、買って帰ったという思い出がある。
しかもROCKHURRAHの知る参考文献なども当時はなかったので、これをずっとヒゲリンだと思いこんでたもんだ。当時周りにいた友達の中ではROCKHURRAHが一番音楽に詳しかったから、周りの人間もずっとヒゲリンだと思ってたに違いない。ゴブリンがあるならヒゲリンもありだよね。

フレンチ・ミュージックを聴いてるような人には説明不要の大物だけど、ジャック・イジュランという異端シンガーがこの人。なーんだイジュランかよ、どう見てもヒゲリンだよね(笑)。
そういう関係の音楽をあまり知らなかったし、ROCKHURRAHが読んでるような音楽雑誌にも出てくるはずがない人だから、これは間違えても仕方あるまい(←偉そう)。

若い頃はフランス映画にいくつか出演していてそれから音楽家、というキャリアは去年亡くなったピエール・バルーとも通じるが、実際そのバルーのレーベルからもレコードを出していたようだ。
ブリジット・フォンテーヌやイザベル・アジャーニとのデュエットでも有名。

そのイジュランの1979年作「悪魔のシャンパーニュ」が間違って買ったレコードだったんだが、これは従来のフレンチ・ミュージックにあまり馴染まなかったROCKHURRAHにでもわかりやすい、ロックっぽい要素がある音楽だった。
退廃的で背徳的、演劇とシャンソン、そしてロックとのハイブリッド。
当時好きで聴いてたコックニー・レベルのスティーブ・ハーリィが好きだったらこの曲も好きでしょう、というような曲もあったし、いくつかの曲はニュー・ウェイブっぽくも感じた。ポジパンではなかったけどね。
上の曲もフランス語だからわからないけど邦題は「強姦罪」。さすがフランス(←意味不明)。

さて、これは冷静に読めば軽く読めてしまうんだが、馴染みのない言語ということで挙げてみた。Brygada Kryzysというポーランドのバンドだ。
これがポーランド語なのかどうかも知らないし、ポーランドのロック事情もよくわからん。まあ本当はそんな状況で書くべきではなかったんだろうね、と数行で後悔してるよ。

ポーランドと言えば世界的に見ても他所の国に侵害された、とか分割されまくった、とか苦渋の歴史ばかり目につくような国だと勝手に思っていた。そういうところをあまり語れないのでROCKHURRAHには深みがないんだろうが、どんな国であっても若者は勝手に育って、そしてロックを知る。うん、強引だな。

実はこのバンドもカタカナ読みで書いたサイトがほとんどないんだが、レコード盤にちゃんとバンドの英語読みが書いてるという親切さ。それによるとBrygada Kryzys=Crisis Brigadeという意味らしい。エキサイト翻訳してみると危機旅団、まあ意味はわかるかな。
ポーランド音楽を日本に紹介しているサイトによるとブリガダ・クリジスと読むんだな。

このバンドが結成されたのは1981年、まだポーランドが共産主義で戒厳令が敷かれていた頃だった。
バンドがどういう主義を持ってやってたのかは知らないが、戒厳令下でちゃんと活動出来たのか謎だ。
何時どこにでも地下世界があるという事でいいのかな?
上の映像で出てるジャケットのレコードはROCKHURRAHも見かけた事あったけど、これはジョニー・サンダースを出してた事で知られるイギリスのジャングル・レコード傘下のフレッシュ・レコードからリリースされていた。
フレッシュの方もUKディケイやファミリー・フォッダーなど、クセのあるバンドをリリースしていたな。
ジャケットからすれば共産党のポスターっぽいし「ワルシャワは燃えているか」などと勝手な邦題をつけたくなるような雰囲気だが、音楽は意外な事に割とキャッチーで、スカやレゲエの要素があるパンクでビックリ。 軽いとか言われそうだけど、この時代の英米のパンクにも決してひけを取ってないと思ったよ。

この曲「Telewizja」はテレビジョンの事でこれまた盤面に英語読みが書かれていた。バンドかレコード会社か知らないがとっても親切だね。ここまでわからせたいんだったらバンド名も曲名も英語にすれば?という声が聞こえてきたが、きっとどこかの米国かぶれだろう。

最後もまた読めん大国、ドイツに戻ってきてしまったが、これはどうかな?
ジャケット見れば書いてあるからわざわざ書くまでもないがDie Zimmermännerという、これまたノイエ・ドイッチェ・ヴェレのバンド。
実はこれもまたPalais Schaumburgと同じで、決定的な正解の読み方がないと思えるバンド名なんだよね。単に単語が長いから読めないと錯覚してるだけで、よく見れば読めそうなもんだ。

ディスク・ユニオンではディー・ツィマーメナーと書いてあってこれが多くのサイトでも使われてるけど、個人的には何かしっくり来ないんだよなあ・・・。
ROCKHURRAHは根拠は不明だがデイ・ツィマーマンナーと呼んでたよ。

Zimmerは単体では「ゴムのキャスターまたは車輪とハンドルの付いた軽い枠組みの器具(商標名ジマー)」などと書かれていたが一体何の事か?台車みたいなもんか?
同じ綴りで映画音楽の有名な作曲家ハンス・ジマーというのもいたな。がしかし本名にはツィマーと書かれていて不可解。どっちなんだよ?
Zimmermannになるとドイツ人の名字になり、これまたジンマーマン、シメルマン、ツィンマーマン、ツィンメルマン、チンメルマンなどと訳者によって解釈は色々。もうどうでもいいとさえ思える。
宇宙からやって来た正義の使者チンメルマン。悪党をシメるために地獄の底から蘇ったシメルマン・・・。
絶対にスーパーヒーローにはなれない名前だな。

このDie ZimmermännerはTimo Blunckという、これまた読めん人のやってたスカファイターというバンドが改名してこんな読めんバンドになったとの事。確かに初期の曲はスカっぽかったな。
Timoはパレ・シャンブルグのメンバーでもあったから、今回のブログの主旨「読めん」においては最重要人物と言える。

で、やってるのがこの当時のドイツでは滅多にないお洒落で涼しげ、ネオ・アコースティックな音楽。
ネオアコの本場、チェリーレッド・レコードでも出してたからお墨付きのもんだったんだろう。
当時はどんな音楽やっててもドイツ産であればノイエ・ドイッチェ・ヴェレという風潮があったけど、このバンドはそういう枠を超えて洗練されたものだったな。
その後大ヒットした話も聞かないから、英国に進出してもやっぱりバンド名が悪かったんだろうと推測するよ。いくらお洒落っぽくしててもチンメルマンじゃなあ・・・え?違う?

というわけで読めんバンド特集の二回目も無事に終わってメデタシ。
次もあるかどうかを一句詠んでみたがひどい出来。

三回目、ないとは言い切れないトレス(Tres)。

それではまた、Que te vaya bien.(スペイン語で「元気でね」)

SNAKEPIPE MUSEUM #41 Regardt van der Meulen

【壊れていくところ?作られていくところ?】

SNAKEPIPE WROTE:

SNAKEPIPEに情報を与えてくれる貴重な存在であるROCKHURRAHから
「これ面白いよ!」
と教えてもらったのは、奇妙な彫刻作品だ。
一瞬で気に入ってしまった。
さすがはROCKHURRAH、SNAKEPIPEの好みを熟知してるね!(笑)

それが左の画像、「Weathered(2015)」という作品ね。
直訳すると「風化する」。
そのまんまだったね!(笑)
SF映画に出てくるような、例えば非常に強い光によって人体が消滅していく途中を切り取ったような作品は、残酷さと美しさを感じる。
このアンビバレント(また使ってる!)が作品の特徴なんだろうね。
気味が悪いけど好き、といったような対極にあるはずの感情のミクスチャー。
これはまるで敬愛する映画監督であるリンチが提唱した「Happy Violence」だよね。(笑)

この作品の作者は一体誰なんだろう?
調べてみるとRegardt van der Meulen、うーん読めん!(笑)
アメリカPGAツアーで活躍しているBrandt Snedekerと同じように最後がdtで終わってるので、ブラント・スネデカーに倣ってリガルト、と読んでみよう。
リガルト・ヴァン・ダー・メーレンでどうかな。
日本語で書かれた記事が見当たらなかったので、これで許してね!

更に情報を得ようと海外サイトも調べてみたけれど、
・南アフリカのヨハネスブルグ出身
・2008年にケープタウン大学を卒業した
ことくらいしか載っていなかった。
2008年に大学卒業なら、推定年齢30歳くらいなのかな。
本人のHPにも経歴に関する記述はなし!
秘密主義なのか書くべきことがないのか不明だけど、物足りなさを感じてしまうなあ。(笑)

作品鑑賞に戻ろうか。
右の画像のタイトルは「Unravel(2016)」。
自動詞で「ほどける」や「ほぐれる」という意味なんだね。
英検1級以上合格する大学院レベルの単語らしい。(笑)
SNAKEPIPEは初めて目にした単語だよ。
リガルト・ヴァン・ダー・メーレンは「見たまま」のタイトルをつけるタイプだということが分かるね。
この作品を最初に観た時に思い出したのが「人体の不思議展」。
血管だったか神経だったか、人体を貼り巡っている細い線だけの標本を鑑賞したことがある。
アレに似てるように思ったんだよね。
ほどけていくバレリーナ。
繊細な崩壊美、といった感じか?(やや意味不明)

リガルト・ヴァン・ダー・メーレンにインスパイアされて作品を制作しているアーティストを発見したよ!
おおおっ!流れていくー!
今まさに崩壊している、というシーンの連続再生だね。
スマホの待ち受け画面にしたくなる感じ。(笑)

このアニメーションGIFを制作したのはGeorge RedHawkという盲目のアーティストなんだよね。
えっ、盲目!
驚いてしまうけれど、どうやら「法的に盲目」ということのようなので、作品を制作することが可能みたいだよ。
特別なソフトを使用しているとのことだけど、リガルト・ヴァン・ダー・メーレンの世界観を更に解りやすく表現することに成功していると思う。
GIFアニメーションって簡単にいうとパラパラ漫画なので、この動きを出すのにどれくらいの枚数を使用してるんだろうね?
彫刻に動きをつけるという発想が面白いね!

リガルト・ヴァン・ダー・メーレンに戻ろう。
次もまた不気味な作品!
「Ephemeral(2015)」、直訳すると「短命」だって。
体の半分が骨になりつつある状態だけど、半身から美しい女性だということが分かるね。
バラの花だろうか、人肉を養分にして繁殖しているように見えてしまう。
それではまるで梶井基次郎の「櫻の樹の下には」みたいだね。
モデルの顔に力強さを感じるので、自らの意思で花を咲かせたようにも見えてくる。
素材が鉄なので、逞しくみえるのかもしれないけどね。
これも不気味さと美しさの相反する要素を持つ作品だなあ。

先日、読んでいた江戸川乱歩の「吸血鬼」の中に「殺人芸術論」なる言葉が出てきたのには驚いた!
昭和5年(1930年)から新聞に連載されていた「吸血鬼」で、すでに乱歩はデヴィッド・フィンチャー監督の「セブン」やテレビドラマ版の「ハンニバル」のような殺人をアートにする試みを行っているんだもんね。
「Ephemeral」も死体をアートにする系譜を感じる作品だと思うけど、どうだろう?

上に書いた感想を持ちつつも、やっぱりつい思い出してしまうのは「ターミネーター」かな。
顔の半分が機械の骨組みだから似てるんだよね。
リガルト・ヴァン・ダー・メーレンは「ターミネーター」から着想したのかなあ?(笑)

最後の作品は「Drip(2012)」、直訳すると「しずく」。
はいはい、垂れてます、いつもより多く垂らしています!(笑)
溶けていく人。
この作品を観て一番最初に思い出したのは日本神話にあるイザナミとイザナギの黄泉の国のくだり。
黄泉の国の住人になったイザナミが人の形ではなくなってしまったところね。
「決して見てはいけない」という妻の忠告に耳を貸さなかった夫であるイザナギが「人ではない姿」の妻に驚き、恐怖のあまり逃げていく場面である。
「Drip」は、まだ人の形になっているかな?

もう一つ連想したのはこちら!

ヒカシューの「ドロドロ」ね!(笑)

とろけていくよ
もうドロドロの心臓

というシュールな歌詞が印象的な曲なんだよね。
どうやらファーストシングルである「20世紀の終わりに」のB面だったみたい。
この曲とイザナミを連想してしまったSNAKEPIPEだよ!(笑)

リガルト・ヴァン・ダー・メーレンは作品として発表しているのは2012年からのようなので、まだまだこれからのアーティストみたいだね。
人体が朽ち果て頽廃し、壊れていくプロセスはどこまで続けていくんだろう。
完全に崩壊してしまった後の、風化していくところはどう表現するのか。
今後も注目していきたいね!