【国立新美術館前の看板を撮影。ワンパターン!】
SNAKEPIPE WROTE:
7月5日はROCKHURRAHの誕生日!
おめでとうございます!(笑)
プレゼントはもう渡してあるので、当日には何かイベントにご招待してみようかな。
現在開催されている展覧会の中で、面白そうな企画を探してみる。
せっかくなので、今まで目にしたことがない作品を鑑賞してみよう、と提案したのが国立新美術館で開催されている「クリスチャン・ボルタンスキー – Lifetime」である。
SNAKEPIPEは初耳のアーティストだけど、世界的に有名な方のようだね?
1944年 パリで生まれる
1968年 短編映画を発表
1972年 ドイツのカッセルで開かれた国際現代美術展のドクメンタに参加
1990年代以降 大規模なインスタレーションを数多く手がけるようになる
1990–91年 ICA, Nagoyaと水戸芸術館で個展を開催
2010年 「瀬戸内国際芸術祭」(香川)が開かれた折には《心臓音のアーカイブ》を豊島に開館する
2001年 ドイツでカイザーリング賞を受賞
2006年 高松宮殿下記念世界文化賞を受賞
現代のフランスを代表する作家として知られる。 (展覧会HPより抜粋)
1944年生まれというと、今年75歳。
3週間前に書いた「B29と原郷-幼年期からウォーホールまで」の横尾忠則も82歳だし、皆様年齢に負けず現役を通しているアーティストなんだね。
さて、今回のボルタンスキー、一体どんな作品を制作しているんだろうか。
自他ともに認める雨男のROCKHURRAHには珍しく、六本木に向かうROCKHURRAHとSNAKEPIPEは傘をさしていなかった。
この日は風もあり、少し涼しく感じる気温。
夏生まれなのに夏が苦手なROCKHURRAHにとっては、最高のお出かけ日和だったよね。
少し早めの夕食を取り、「おめでとう」の乾杯はスパークリングワイン。
美味しいご飯の後、美術館に到着したのは18時半頃だった。
美術館によっては週末の閉館時間を遅らせているので、夜でも大丈夫なんだよね!
こんな時間から美術館に行くのは、ROCKHURRAH RECORDには珍しいことだよ。
国立新美術館前の看板を撮影するのが定番なので、同じような角度から撮影しておく。
おや?同時開催されているのはエゴン・シーレなんだ?
上野の東京都美術館では、7月10日までクリムト展やってるんだよね。
なにこれ、突然ウィーン・ブーム到来なの?(笑)
それにしてもこれで雨だったら、ヒカシューの「雨のミュージアム」がぴったりだったのになあ!
♪エゴン・シーレのポーズを真似て、首をかしげた〜♪
TOP画像で人物の首が傾いてるの、分かるよね?(笑)
夜のせいか、美術館内は普段よりもずっとお客さんが少ない。
館内の照明が最小限しか点いていなかったため、ガランとした空間が余計にひっそりとしている印象だよ。
受付の女性、怖くないのかな?(笑)
ボルタンスキー展は2階展示会場で開催されていた。
チケット売り場の脇に撮影に関する注意があった。
エリアによって撮影が許可されているらしい。
まずは入ってみよう!
最初に展示されていたのは「L’homme qui tousse」、「咳をする男」という1969年のビデオ作品だった。
本当に延々と咳をしているだけの作品とは!
泥をぬりたくったような顔が、まるでデヴィッド・リンチの娘、ジェニファーが監督した「サベイランス」(原題:Surveillance 2008年)に出てきたのに似てる!
「世界一カルトな親子の作品!Surveillance鑑賞」で確認してちょ。
この作品を観た時、これから先の作品鑑賞に不安を感じたSNAKEPIPE。
果たしてこの予感は正しかったのだろうか?(笑)
撮影ができるエリアは、会場の終盤近くだけだったため、自分で撮影した画像以外も載せているので、よろしくね!
洋服の周りにライトを配置した作品を何点か確認したよ。
遠くから見ると矢印(↑)みたいなんだよね。
この作品で思い出したのは、オノデラユキの「古着のポートレート」。
オノデラユキについての解説を載せておこうか。
モンマルトルのアパルトマンから見える空を背景に、約50点の古着を撮影した初期の代表作品。
古着は、クリスチャン・ボルタンスキーが1993年にパリで開催した個展「Dispersion (離散)」で展示されたもので、来館者は山積みされた古着を10フラン払って袋一杯持ち帰ることができた。
オノデラは、ボルタンスキーが大量死の象徴とした古着を、一点ずつ窓辺に立たせることで、個としての存在に引き戻し、身体なきポートレートとしてまるで空に飛び立つように軽やかに提示した。
ここでつながるとは思ってなかったのでびっくり!
実を言うとオノデラユキの作品がどうして評価されるのか不思議だったんだよね。
今になって初めて意味がわかったよ。(笑)
家に欲しくなるほど気に入った作品がこれ!
「Théâtre d’ombres」、影の劇場とでも訳すのか、 1985-1990の作品である。
インドネシアの影絵芝居「ワヤン・クリッ」のような、ぺったんこのモビールが揺れる作品で、光の当たり方で影に変化が起こる。
1つ1つのモビールが面白くて、観ていて飽きない。
どうしてこのモビールをミュージアム・ショップで販売しないのかなあ。
チープな紙製だったとしても、欲しいと思う人多いだろうけど。
毎度のことながら、ショップには似たようなアイテムが揃っていたよ。
作品の動画があったので、これも載せておこう。
祭壇をイメージしている「Monument」、モニュメントは1986年の作品で、この手の人の顔と電球を組み合わせた作品が続いている。
いくら笑顔の写真が飾られていても、これらの人達が現在も幸せに生きているようには見えないんだよね。
供養しているにも見えるし、猟奇殺人犯が勲章のごとく誇らしげに 戦利品として飾っているようにも思えてしまう。
これはきっとSNAKEPIPEがつい、シリアルキラー系に結びつけてしまうせいだろうね。
人の顔と電球で構成されている作品から感じるのは、強烈な死のイメージ。
最初にも書いたけれど、ROCKHURRAHとSNAKEPIPEは、ボルタンスキーについて何の知識も持たないで作品鑑賞をしている。
そのためボルタンスキーが、ナチスの影に怯えた少年時代を過ごしていたことを知らなかった。
使用されているのは当時の人々の写真なのかな。
たくさんの死者に囲まれている気分がして、なんとも言えない居心地の悪さだよ。
電球のコードが人物の顔にかかっているところが、不気味さを増している。
コードまで含めて作品なんだね。
画像は実際に展示してあったのとは違うバージョンだけど、1996年の「Veroniques」(ヴェロニカ) という作品は、まるで「ツイン・ピークス」のローラ・パーマーみたいだったよ!
ローラはビニールにくるまれていたけど、こちらは薄衣で包まれている死体のようだったね。
ずっとこの調子で展覧会が進行していくんだろうか。
喜怒哀楽でいうと「哀」で、生老病死だったら間違いなく「死」なんだよね。
ずっと照明が落とされた会場を歩いていたので、カラーの大型画面が登場すると、急に目の前がパッと開けた状態になる。
3つの映像で構成される「Misterios」(ミステリオス)は2017年の作品とのこと。
大型スクリーンは撮影可能エリアに指定されているので、ROCKHURRAHがパノラマ撮影してくれたよ。
左には横たわったクジラの骨、中央にボルタンスキーが作成したラッパのようなオブジェ、右には海上の様子が映し出されている。
このラッパのオブジェが展覧会のフライヤーでも使用されていたんだけど、一体何なのか不明なんだよね。
どうやらクジラを呼ぶための装置で、「世界の起源を知る生き物とされている、鯨とのコミュニケーションを図ろうとする試み」だという。
意味が不明でも、巨大ラッパのフォルムの美しさだけで十分アートだと思ったよ!
2013年の作品「Les Esprits」 の邦題はスピリット。
魂、ということで良いみたいだね。
天井から吊るされたヴェールにプリントされた顔は100枚以上とのこと。
これもまた死者のイメージだよね。
「さまよえる霊魂を呼び起こす」と解説に書いてあるし。
撮影可能な作品だったので、何枚か撮影してみたけれど、画像からスピリットを感じることはできるかな?
「白いモニュメント、来世」は、今回の展覧会用に制作されたという。
まあね、思いっきり漢字で「来世」って書いてあるし。(笑)
前に立った時、「プッ」と吹いてしまったSNAKEPIPE。
日本の盛り場で見かけるネオンのようで、「スナック 来世」とかありそうじゃない?
ボルタンスキーが、ウケを狙って制作したとは思えないけど、ROCKHURRAHと笑ってしまったよ。
2012年に鑑賞した「好き好きアーツ!#16 DAVID LYNCH—Hand of Dreams」では、リンチが空中に「愛」と「平和」を漢字で書いている個展を案内する動画があったことを思い出す。
何故外国人が漢字を使用すると、本人がいかに大真面目であっても、コミカルに映ってしまうのか。
不思議だよね?
「来世」を抜けたら「黄昏」が待っていたよ。
ここで撮影をしようとスマホを構えた瞬間、係員が駆け寄ってきた。
「撮影できるのは『来世』までです」
作品名を言っているのは分かるけど、言葉として捉えると変だよね。(笑)
電球が床に置かれた作品で、じっくり観ると消えている電球がある。
ははーん、これは生と死だな、と単純に想像してみた。
あとから解説を読むとその通りだったようで、毎日3つずつ電球が消えるようにしているらしい。
死に向かっている状態を表しているというのは、よく分かった。
電球しか使用していないのに、SNAKEPIPEにも分かる表現だったのは、「黄昏」に至るまでの作品展示だろうね。
ここまで死を意識させられる展覧会を鑑賞したのは初めてかもしれない。
まさにメメント・モリ(死を忘れるな)のオンパレード!
ナチス・ドイツによるホロコーストが作品の根底にあるテーマだと知らなくても、濃厚な気配や深い静寂から死の世界を垣間見た気がする。
それは錯覚だと分かっているけれど、今まで経験したことのない「ぞわぞわ」した居心地の悪さは恐怖だよ。
現代アートを鑑賞して、怖いと思うことは少ないよね。(笑)
こんな作品を制作しているボルタンスキー本人のポートレートが、笑顔だと違和感あるなあ。
ボルタンスキーがフランスを代表する現代アーティスト、というのは何故なんだろう。
強烈な印象を残すことは確かだけど、好き嫌いが分かれるアートのように感じたからね。
フランス人はよくシニカルで気取り屋と聞くし、美の意識が特殊なのかもしれないと思ったことが度々ある。
SNAKEPIPEが知っているのは、マルキ・ド・サドやアルチュール・ランボーのような文学だったり、ゴダールやトリュフォーといった映画監督の作品かな。
学生時代から親しんできたのは、フランスの古典(かな?)なんだよね。
もちろん現代アーティストの作品にも触れているはずだけど、独自の文化を持つ国というイメージがある。
その中にボルタンスキーが入ると、「すんなり」受け入れることができる気がするんだよね。
SNAKEPIPEの勝手な解釈だけど、芸術の許容範囲が広いように思うから。
ROCKHURRAHの誕生日に、「死」を意識する展覧会を鑑賞するとは。(笑)
また色んな展覧会、一緒に行こうね!