時に忘れられた人々【05】エレポップ

【テコの原理を応用してSNAKEPIPEが作成したテクノ画像(ウソ)】

ROCKHURRAH WROTE:

今どきじゃない人々に毎回焦点を当てる不定期連載「時に忘れられた人々」シリーズも五回目を迎える事となった。好評なのか不評なのか全然わからないけど、ROCKHURRAH RECORDSの基本ポリシーがそこにあるので、これからも続けてゆきたい。
ちなみに前にポジパン特集書いた後はウチのポジパン在庫がゴソッと売れてウハウハ状態(死語?)だったものよ。
さて、今回取り上げる旬じゃない者どもはテクノポップ、あるいはエレポップと呼ばれた音楽を操るバンド達だ。1970年代後半に始まったニュー・ウェイブの中の1ジャンルとして発生した音楽なんだが、要するにこの時代にはまだ目新しかったシンセサイザーを音作りの中心に据えたバンドがウヨウヨ出てきたのが70年代後半というわけだ。それまでにもプログレッシブ・ロックやユーロ・ロックと一般的に呼ばれてるジャンル、特にジャーマン・ロックなどはいち早く電子的な音楽をロックの世界に取り入れたんだが、誰でも知る親しみやすい音楽とは言い難かった。それをポピュラーの世界に持ち込んだのがエレポップというわけ。テクノポップもエレポップも括りとしては大体同じようなものだが、微妙なニュアンスの違いもあるにはあるので、その辺は言葉と言うより感覚でわかってもらうしかない。

まあポジパンの時にも書いたが発生や歴史といった部分まで書くと長くなり過ぎるから自分の知ってる範囲で順不同、敬称略でテキトウに書いてゆこう。

<註:リンク文字は全て音が鳴ります>

Kraftwerk

誰でも知ってる元祖といえばドイツの巨匠、このクラフトワークだろうか。1970年から活動していて最初は電子楽器によるインプロビゼーション的な割と実験的作風だったが70年代半ばから非人間的ヴォイスと極端に無機的な音作りを会得してから、この手の音楽としては奇跡的とも言えるヒットを放った。真っ赤なシャツにネクタイ、そして耳の横の鬢をスパッと切り落としたテクノ刈りなど音楽以外にもさまざまな分野に影響を与えたところが他のジャーマン・ロックよりも目新しかった部分かな。江口寿史の漫画でもパロディ化されたりしたなあ。

Bill Nelson

日本ではあまり一般的ではないが、元々は74年にデビューしたビー・バップ・デラックスを率いていた人。デビュー当時はグラム・ロック寄りのハード・ロックといった路線だったが40〜50年代の人が考えたB級SF的近未来、という個人的趣味を大々的に取り入れたコンセプトの音楽を発表し続けた功績は大きい。ビー・バップ・デラックス解散後にソロとなってYMOのツアーにもギタリストとして参加したり驚異の一発屋フロック・オブ・シーガルズを見出したり日本人の奥さんを娶ったり多方面で活躍したが、最も好きだったのは79年のビル・ネルソンズ・レッド・ノイズ時期のエレクトリック・パンクな頃だ。映像はオフィシャルなものではないがビル・ネルソンという人が目指したものが一目瞭然でわかる構成となっていてヘタな文章よりは説得力があるもの。

Yellow Magic Orchestra

テクノと言えば真っ先に誰もが思い浮かべるのが外国のどのバンドよりもこのYMOだろう。クラフトワークの持つコンセプトを東洋に置き換えてさらにわかりやすく大ヒットさせたという功績は大きい。欧米と違いヒットチャートも音楽番組も歌謡曲中心、ロック出身者にとっては不利だった当時の日本でほとんど歌なしの「テクノポリス」や「ライディーン」がヒットした現象もたぶん前代未聞。

Ultravox

パンク以前から活動していたバンドでビル・ネルソンなどと同様、英国ニュー・ウェイブの元祖的存在がウルトラヴォックスだろう。テクノポップとかエレポップという分野で語るのは少しお門違いかも知れないくらいにエレクトロニクスは多用してないんだが、ちょっとだけ使うのがいいのよん。いかに効果的かは聴いてみるとよくわかる。ジョン・フォックス在籍時の初期は荒々しく性急な音楽性とヨーロッパ的耽美世界がクロスオーバーした音楽で(何じゃこの陳腐な表現は?)まさにこれこそ先駆的、とマニア受けするバンドだったがエラが張ったオバチャン顔のジョン・フォックス(♂)の風貌のせいか一般的な人気にはならなかった。その後のミッジ・ユーロの時期に大ヒットして日本でもサントリーCMなどであまねく知られる存在となった。当然、個人的にはジョン・フォックス時代が好き。このウルトラヴォックスの手法(荒々しい歌と演奏+ちょっとだけキーボード)をうまく進化させたのが少し後に登場したXTCやこの次に挙げる人だと言える。

Tubeway Army

このバンド名で書くよりもゲイリー・ニューマンと言った方がピンとくるか。ニュー・ウェイブ初期にウルトラヴォックスの音楽性を換骨奪胎した幻想アンドロイドが彼だ。タカラの変身サイボーグやSF映画のアンドロイドを思わせる風貌とウルトラヴォックスよりはエレクトロニクスをやや駆使した音楽が受けて数曲大ヒットしたがその後は失速。ROCKHURRAHブログでも前に登場していて(「軟弱ロックにも栄光あれ」)同じような事書いてるな。

Plastics

YMOを元祖とする日本のテクノポップは当時のニュー・ウェイブ・カルチャーの中で浸透してゆき、日本独自の発展をした。音楽一筋の生き方をしてたわけではないカタカナ職業(またしても死語か?)の人たちが集まって遊びのように始めたこのプラスティックスも「こんなのありなんだ」という世界で非常に面白かった。ヴィジュアルも音楽も30年後の今でも通用するクオリティだね。というか音楽もファッションも個性も三流だと思える現代日本のポップス界と比べるのも意味のない行為か。

ヒカシュー

21世紀の今でも彼らの代表作「20世紀の終わりに」を聴いてノリノリのROCKHURRAH一家だ。ヒカシューの場合はテクノポップという分野に演劇、そして奇妙で気色悪いものを取り入れたのが新しいと思える。石井輝男監督の大傑作「江戸川乱歩の恐怖奇形人間」の主役と似た巻上公一のインパクトある顔立ち、そして「ぴろぴろ」に「プヨプヨ」だもんな。一般人にゃとても真似出来ません。

Der Plan

最初の方でも書いたがドイツは80年代には日本と並ぶテクノ先進国だった。本家クラフトワークや脱退組によるノイ!、ラ・デュッセルドルフなどという先例もあったが70年代後半から俗に言うノイエ・ドイッチェ・ヴェレ(ドイツのニュー・ウェイブ)のバンド達が次々と意欲的に活動していたからだ。ただし伝統と言うべきか電子楽器を使ってもどちらかと言うと実験的なバンドが多かった分野なわけだが、その中にあってこのデア・プランは日本のテクノにも通じるわかりやすいエレクトロニクスで人気があった。代表作「グミツイスト」などは歌詞もすばらしくチープなテクノ・クラシックスの名曲。今回は誰でも知ってるようなバンド達が多かったから敢えてここに書いてみた。

Depeche Mode
テクノという自信ありげな響きと違いエレポップというのはいかにも頼りなげで取って付けたかのようなネーミングの軟弱感がある。その辺の微妙な色彩を体現した代表選手と言えばこのデペッシュ・モード(初期)が真打ちだろう。あどけない顔立ちにチェックシャツ、そして吹けば飛ぶようなチープなエレクトロニクスの単音、何と親しみやすいメロディだろうか。特別な才能を持ったアーティストというよりは隣の弟分が作ったハンドメイドの音楽という感じが初期デペッシュ・モードの良さだった。しかしその後には随分と力をつけて独自の路線を見出したようで、逆に素人臭さが抜けた彼らにあまり興味を持てなくなった。あのチェックシャツはどこに行ったんでしょうか?

???

長くなったし書いてる今は午前3時。最後はこの人で締め括ろう。この一曲のみなんだがちゃんとリッパに「テクノ」と明言しているからこれでいいのだ。作曲は「東京ワッショイ」で有名な遠藤賢司、バックを東京おとぼけキャッツが務めているのもマニアックだな。「テクノポップやエレポップでももっと有名なバンドあるじゃないか」などという意見もあるかも知れないが思いついた順なので、時間切れになってしまい申し訳ない。まとめの言葉も何もないけど、ではみなさんおやすみなさい。

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