時に忘れられた人々【18】小栗虫太郎 第1篇

【黒死館ってこんな感じ?不吉さを強調し過ぎて詳細不明なこの暗さ】

ROCKHURRAH WROTE:

この「時に忘れられた人々」という企画は2008年の12月に初めて書いたところから始まっている。我がROCKHURRAH WEBLOGの中でも歴史の長いシリーズなんだが、これを始めた時にいくつか書きたいものがあって、ずっと前に下書きに着手。しかし長い間書けずにいた未完の記事の続きを何年ぶりかで今回書いてみようと思う。

タイトル見ればわかるように今回の題材は小栗虫太郎。
これは難題なのは間違いない。書き始めてわずか数行で後悔し始めているのが情けないが、まあ難しい小説家の難しい評論は無理なのでごく簡単にさらりと書き流すことにする。
このブログがROCKHURRAH RECORDS運営者二人の趣味や興味ある事を書き綴ったもので、専門的な事柄を深く掘り下げた内容のものではないから、などと書くと言い訳っぽいな。

小栗虫太郎の作品を熟読して完全に理解しているマニアやファンは少数でも存在しているだろうし、読み始めて途中で挫折してしまった人々も上記のマニアよりも遥かに多く存在しているはず。万人にオススメ出来る作家とは絶対に言えないしROCKHURRAH自身もこの人の事を全般に語れるはずもない。だから何か鋭い切り口の感想などを期待した人は読まない方がいいかもね。

小栗虫太郎は昭和初期に活躍した小説家で、おおまかに言えば戦前の探偵小説と呼ばれる分野で著書を残している。
しかし色々な点でこの時代のどの作家とも違った方法論を貫いて小説を書いた、「異端の作家」と評されるのももっともな作風が特徴的だ。

説明するのも難しいが、何か殺人事件が起こって探偵らしき人物が出てきて解決したようなしてないような、という展開までは大雑把に探偵小説と言える。が、小栗虫太郎の最大の特徴はこのプロットに実に難解な文章や引用や会話、大げさとも言える大道具小道具が無数に出てきて物語の進行を妨げる点にある。とにかく平凡を嫌う作者らしく、異常な舞台設定で異常な物語が進行してゆくのが虫太郎作品の黄金のパターンだと思える。その特異性の集大成が代表作「黒死館殺人事件」という事になる。
1ページを埋める文章の多くは読むのが難しい漢字や当て字、その大半にルビが打たれていて現代人にとっては読みにくい事極まりない。しかも異常とも思えるほどセンテンスが長かったり、これを読み解くのはかなり大変、というのが虫太郎の文章の特徴となっている。

難しい事を誰にでもわかるように書く、という文章作法とは真逆の方針で全編貫かれていて、故にどの時代でも虫太郎は「悪文家」というレッテルを貼られてきた。しかしこういう文章にまたとない魅力を感じる者も世の中にはいて、熱烈なマニアも数多く存在するのは確か。

ROCKHURRAHが少年時代から最も興味を持って読んでいたのが主に戦前の探偵小説と呼ばれる分野だ。ミステリーや推理小説のルーツと言えるものだが、それだけではなく、例えば冒険小説とかSFみたいなものまで含まれる幅広い娯楽小説をひっくるめてなぜか「探偵小説」というくくりにしていた大らかな(いいかげんな)時代だったらしい。あ、断っておくが探偵小説をリアルタイムで読んだ世代じゃないからね。そんな人間だったらゆうに100歳は超えてるもんな。

詳しく書いてたら夜が明けてしまうから省略するが「新青年」という雑誌のプロモーションがうまくて、探偵小説はこの時代の一大ブームとなって栄えてゆく。その頂点にあったのが誰でも知っている江戸川乱歩なんだが、作品の質と量で乱歩に匹敵する作家は当時いなくてそれよりも小粒の作家が周りにうようよいた、という印象。
横溝正史はデビューは乱歩と大体同じ頃だが、金田一耕助を主人公に大ヒットした大作は全て戦後の作品であり、この当時は乱歩ほどには大活躍はしていなかった。
その周辺の小粒作家たちにも魅力はあってROCKHURRAH好みのマイナーな活躍はしているんだが、それはまた別の機会に語ってみよう。
また出たよ、ROCKHURRAH得意の「別の機会に」 。一体いつ語る気なんだろうね?
そんな中、個人的に大好きだったのが本格探偵小説ではなくて、同時代に活躍した奇妙な作風の作家たちだった。ROCKHURRAHにとって愛すべき御三家は夢野久作、久生十蘭、そして今回書こうとしている小栗虫太郎という事になる。乱歩も横溝正史も大好きな作家で大変な影響を受けた。でも彼らにはない他の魅力を持ったのがこの三人というわけだ。特に小栗虫太郎の特異性は好き嫌いは抜きにして、誰もが認めざるをえない唯一無二の作風だと言えるだろう。

ROCKHURRAHは中学、高校時代に虫太郎が大好きで教養文庫版のシリーズをバイブルとしていたのを思い出す。拙い国語力で毎晩のようにベッドの中で読んで、理解したのかしてないのか不明だが、自分では人と違う難解な本を読んだ、などといきがっていたものだ。
その後、何度も引っ越しをしてなくなった事に気づいてまた買い直し、後でどこからか出てきて・・・というような繰り返しでいつの間にかこれらの本を何セットも持っていたりする。「黒死館殺人事件」に限らず「ドグラ・マグラ」も「神州纐纈城」も乱歩作品も何度も買い直したものだ。特に意味は無いしその時どうしても読みたいから買ってるんだろうが、この辺のROCKHURRAHの偏愛ぶりもまた怪奇。

小栗虫太郎が世に出た出世作は昭和8年の「完全犯罪」。
かの横溝正史が病気で倒れた代役として「新青年」誌上でメジャー・デビュー(実際には別名でこの前から活動はしていたが)したのがこの作品だ。
1930年代、舞台は中国奥地。苗族(びょうぞく)共産軍なる革命軍の指揮官がその宿舎となった西洋館で殺人事件を解決するというのが大筋だが、これはその後の虫太郎作品と比べるとわかりやすく破綻してない、独特の雰囲気もあるので好きな人も多い作品なのではなかろうか?

さっきも書いたが小酒井不木や江戸川乱歩が火付け役となって大正末期から昭和初期に大流行した探偵小説というジャンル。虫太郎がデビューした頃にはその主要作家たちは出揃っていたにも関わらず、その筆力や題材の特異性、スケールの大きさから超大物新人というような扱いを受けたのも当然だろう。簡単に言えば「何だかわからんがとにかくすごい!」と多くの人々が興奮したというわけ。
前置き長かった割には紹介が簡単すぎ?

そしてそのわずか一年後にこの「黒死館殺人事件」の連載が始まる。小栗虫太郎の代表的作品とは言っても作者の経歴の初期に作られたものなのだ。
先の「完全犯罪」と比べると格段に難解な作品であり、これを一般的にわかりやすく解説出来るような人も少ないに違いないなあ。これは困った。
表面だけをかいつまんで話すとするか。

「ボスフォラス(ヨーロッパとアジアを分け隔てる海峡)以東にただ一つしかないというケルト・ルネサンス式の城館」それが通称黒死館でありこの物語の舞台となる建物だ。
黒死病というのはペストの事で中世ヨーロッパでは最も恐れられた伝染病だ。その黒死病患者を詰め込んだプロヴィンシア繞壁を模して作られた城館だから黒死館、という説明なんだが「ふーん」としか言いようがない。
そもそも建築様式についての知識が皆無なROCKHURRAHにはそれがどのようなモノかもさっぱり判らないんだが、とにかくこの当時の神奈川県にはあり得ないような重厚で豪壮、そして陰気(ここが一番大事)な建造物だったのだろう、というくらいの推測はつく。
そんなものすごい館に住むのが「臼杵耶蘇会神学林(うすきジェスイットセミナリオ)以来の神聖家族という降矢木(ふりやぎ)一族」。
とは言っても物語に登場する降矢木姓の人間はわずか2人のみ。
あまり詳しく書くようなものでもないが天正遣欧使節をルーツとする家系らしく、その末裔がこの黒死館の当主、降矢木算哲というわけだ。しかしこの小説が始まった時にはすでに算哲は死亡していたし、そもそも当主算哲は一日も黒死館には住んでない。などと軽くあしらう作者。
何じゃそりゃ?
過去に黒死館では何度か変死、殺人事件などがあり、もうとにかく不吉で近所の人誰もが忌み嫌うようなお城だったんだろうね。
降矢木算哲は明治時代にドイツで医学を学んで帰国した医学博士なんだが、同時になぜか魔術、古代呪法を極めて日本に持ち帰ったという謎の人物だ。しかも医学界で大した働きもしてない様子なのになぜかこんなとてつもない城館を建てるほどの超大金持ち。この辺から最後まで突っ込みどころが数百はあるくらいの作品だから、いちいちあげつらうのは無粋、素直に虫太郎ワールドを楽しもう。

その算哲は既に不可解な自殺を遂げていて、黒死館に住むのは若き当主、降矢木旗太郎。一応血縁者と呼べるのは彼ともう一人、大正時代の大女優、押鐘津多子のみ。しかしこの女優は現在は結婚していて黒死館の住人ではない。血縁者ではないが父親の算哲がヨーロッパから連れてきた異人カルテットなども住んでいる(養子扱いになってて遺産の相続権あるらしい)。しかも4人とも40年間に一度も黒死館を出た事がない箱入り中年というからこれは驚き。執事や図書係、給仕長、算哲の秘書、そして召使なども数人いるくせにこの館には人が動いて生活している様子をほとんど感じない。

見た事ある人はわかるだろうが「黒死館殺人事件」は大長編小説で分厚い本だ。中で登場人物は確かに動いて会話もしてはいるんだが、その辺のリアルな日常はもはや虫太郎にとっては無意味なものだったに違いない。そういう描写はごく簡単に書かれているのだ。では一体何がこの本を大長編にしているのか?

物語の主人公は探偵である法水(のりみず)麟太郎、日本で最も不可解な探偵であり、物語の大半は彼のわけのわからない引用、論法による脱線しまくりの饒舌により構成されている。
饒舌をするためには相方が必要だから、狂言回しとして検事の支倉(はぜくら)、捜査局長の熊城というトリオが常に一緒に行動する。
法水の饒舌はペダントリー(衒学)と呼ばれるもので、通常の一般人が知らない分野の知識を何の説明もないままにひけらかし、人々を煙に巻いてしまうというようなずるい手法で、これがこの探偵の得意技。
これは法水が世界初のわけではなくて、小栗虫太郎が参考にした探偵小説、ヴァン・ダインの作品に登場するファイロ・ヴァンスという探偵がおそらく元祖なんだろう。ROCKHURRAHも「グリーン家殺人事件」は愛読したものだよ。
しかし法水一人ならばまだしも単なるうんちく野郎で済む話だが、この物語の登場人物は大半が法水の言ったペダントリーを理解して、それに返す気の利いた言葉もちゃんとあるというのが驚き。
世の中は広いし大正や昭和初期の知識層が今よりもずっと高踏的だったのは確かだよ。 しかしこの全てを理解出来る登場人物だらけというのはちょっと無理があるのでは?という展開。絶対にポピュラーではないと思われる書物まで誰もが知っているのが驚き。
しかし「黒死館殺人事件」だけではなく虫太郎の作品に出てくる登場人物は小娘だろうが荷物運びの人夫(「人外魔境シリーズ」)だろうが、みんな驚くほど博学。これこそが虫太郎の特異性のひとつなのだ。

金田一耕助のようにたまたま逗留していた館で事件が起こるわけではなくて、法水は既に殺人事件が起こった黒死館に検事支倉の要請によって赴くんだが、その死体というのが光に包まれた状態で発見されるという異常なもの。しかもそのこめかみには謎の紋章みたいなものが刻まれているらしい。
そこに至るまでの描写で個人的に好きだったのが黒死館の階段両脇にある甲冑。西洋の城館には必ずあるものだが、富貴を表す「Acre」、信仰を表す「Mass」という鎧が持っている旗にまず法水が注目するシーンだ。この旗が左右逆に入れ替えられていて、続けて読むと虐殺を意味する「Massacre」という言葉になる=これが犯人の殺戮宣言だと言うのだ。
このくだりを読んで「うーむ、フレッド・フリス」などと唸ったのはROCKHURRAHと鳥飼否宇先生くらいのものだろう(笑)。
<註:元ヘンリー・カウのギタリスト、フレッド・フリスとビル・ラズウェルらによるこういうバンドがあった>
簡単なアナグラムみたいなものだが、こういうセンスを持った当時の日本人作家は他にいないんじゃなかろうか?うーん、しびれる。

基本的に法水、支倉、熊城という警察チームのトリオは事件解決とか人道的見地とかそういうものはどうでもいいんじゃないか?と思えるほど事件を放ったらかしてあらゆるところで脱線しまくっているアナーキーな奴らだ。被害者ダンネベルグ夫人の発光がどこから来てるものか探るために検死なんて待ってない。自分で死体をグサリと刺して流れでた血を見て「血液には光はない」だってよ。こんな探偵、人としてどうなの?

この小説には至る所におどろおどろしい小道具大道具がたくさん登場していて、そこがまた怪奇ファンの心をくすぐる。
算哲博士の亡き妻テレーズを模して作られた等身大の自動人形、これはかつてROCKHURRAHとSNAKEPIPEが伊豆の博物館で見たオートマタみたいなもので、この館の不吉の象徴とされている。
そして物語の冒頭から会話の中でたびたび登場する古代の魔導書「ウイチグス呪法典」。
死刑囚の手首を切り落として屍蝋化させ、死刑囚の脂身で作ったロウソクを灯す燭台とした「栄光の手(ハンド・オブ・グローリー)」。
そしてそのロウソクを使って大の大人たちが集まった「神意審問会(いわゆる降霊会、こっくりさんみたいなもんか)」。
どこかに隠された秘密の部屋と秘密の迷路。
こんなにわくわくするような非日常的なものが散りばめられてるのが黒死館という建物なのだ。普通に考えても図書係がいる図書室、礼拝堂、殯室(霊安室みたいなもの)、古代時計室まで完備してる民家なんてありえない。その不可能を可能にしてるのが虫太郎の狂的な情熱なのだ。

その不吉なワンダーランドとも言える黒死館で、その後も次々と連続殺人事件が起こってゆく。これが算哲博士自身が描いたという黙示図を元に起きてゆく異常な状態の殺人ばかり。
栄光に包まれて殺されたダンネベルグ夫人はその序章だったわけだ。
この辺は横溝正史あたりと似たパターンだが先にも書いた通り、「黒死館殺人事件」の方がずっと時代が早い。

現在、この作品を読んでいるSNAKEPIPEが途中だから、これ以降は詳しく書かないけれど、法水の得意技である不可解な推理も警察トリオの行動もことごとく的外れだがなぜか犯人を追い詰めてゆく、通常の意味での犯人探し、謎解き要素はほとんどないと思われる筋立てだ。
推理のトリックなどもほぼ全て実現不可能、しかも被害者の身体的な特異体質を利用したような奇抜なもの。法水の解説を読んだところで検事や捜査局長が感心するほどの衝撃は読者にはないだろうと断言出来る。
そして探偵小説史上に残るであろうあっけない幕切れ。

魅惑的な背徳の素材を「これでもか」と言わんばかりに詰め込んで、あとは読者の想像に任せるような不完全な書き方をして終わらせた作者の意図は計算ずくの「確信犯」などではない。本当に興味が表向きの物語ではなく、法水が示したようなこじつけの不可解な論理の方にあったのではなかろうか?と思える。出てくる登場人物がみんな大まじめにこの超現実的な推理に付き合ってるところがバカミスの元祖と言えなくもない。
作品のバランスそのものが異形であり、ギリギリの部分が多いのは確かだろう。しかしそれでもROCKHURRAHはこの不完全な黒死館に魅力を感じて、ずっと好きのままに違いない。こんなに素晴らしいカルトな小説に少年時代に出会えて本当に良かったよ。

やはり想像していた通り「黒死館殺人事件」について軽く書くだけでこれほどの文章量。最初に難題に違いないと書いた通りになってしまったよ。本当はもっと掘り下げて色々書きたかったが時間的にこれくらい書くのが精一杯だった。
「黒死館殺人事件」だけが虫太郎の魅力の全てではないし、他にも個人的に大好きな作品はあるんだが、それはまた別の機会に・・・。
「また言ってるよ、こいつ」などと思わないでね。

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