【コンストラクテッド・フォトをSNAKEPIPEが制作。】
SNAKEPIPE WROTE:
今回は好き好きアーツとして日本を代表する写真家・東松照明氏を取り上げたいと思う。
とは言っても東松照明写真論として何冊も本が出ているので感想、のような書き方が無難だろう。
東松照明氏を知ったのは随分前のことだ。
以前にも書いたことであるが、SNAKEPIPEの父親は写真家である。
そして父親が東松照明氏の大ファンだったのである。
父親がいつもカバンの中に入れている写真がある。
取り出すと嬉しそうに顔をほころばせる。
それは東松照明氏と父親が一緒に写ったスナップ写真である。
先日のHELL-RACERとの記念写真に嬉々としているSNAKPIPEと同じように、父親にとってのアイドルは東松氏のようだ。
恐らく東松氏の偉業と実物とを知らない人は、「誰この人?」と中年男性二人が写った写真を怪訝に思うことだろう。
そう、東松氏は偉業を成し遂げた写真家、父親から見れば神様的な存在なのである。
実際にそのことに気付いたのはSNAKEPIPE自身が写真を撮り始めてからのこと。
どんな世界でも同じだろうけれど、その道に踏み込まないと「良し悪し」や「すごい!」の基準が解り辛いからだ。
東松照明氏の簡単な略歴を書いてみよう。(Wikipediaを参照)
1930年 愛知県名古屋市生まれ 1954年 愛知大学法経済学部経済学科卒業
「岩波写真文庫」のカメラマンスタッフになる1956年 フリーとなる 1958年 日本写真批評家協会新人賞受賞 1959年 奈良原一高、細江英公らと写真家集団「VIVO」設立
(東松氏が「イネ」を集団名に考えていた話は有名である)1961年 「hiroshima-nagasaki document 1961」
(第5回日本写真批評家協会作家賞)1963年 アフガニスタンを取材 1972年 沖縄に移住 1974年 「New Japanese Photography」展
(ニューヨーク近代美術館)
荒木経惟らと「ワークショップ写真学校」を開講1975年 写真集「太陽の鉛筆」で日本写真家協会年度賞
翌年芸術選奨文部大臣賞1984年 「SHOMEI TOMATSU Japan 1952-1981」展
(ウィーン近代美術館など)1992年 「SAKURA +PLASTICS」展(メトロポリタン美術館) 1995年 紫綬褒章受章 1998年 長崎に移住 1999年 「日本列島クロニクル―東松照明の50年」展
(東京都写真美術館)日本芸術大賞受賞2000年 「長崎マンダラ展」(長崎県立美術博物館) 2002年 「東松照明展 沖縄マンダラ」(浦添市美術館) 2003年 「東松照明の写真 1972-2002」展
(京都国立近代美術館)2004年 「Skin of the Nation」展
(ワシントン、サンフランシスコを巡回)2006年 「愛知曼陀羅-東松照明の原風景」展
(愛知県美術館)2007年 「東松照明:Tokyo曼陀羅」展(東京都写真美術館)
SNAKEPIPEが観に行った写真展が1999年の「東松照明の50年」展である。
この展覧会は「50年」と銘打ってあるだけに観ごたえ充分!
こうして全体像をみせてもらわないと、同じ写真家が撮った写真だとは分からないほどに多様なシリーズが展開されていた。
東松氏はいくつもの顔を持つ写真家なのである。
それぞれのテーマについて書いてみよう。
ドキュメンタリー写真として一番有名なのは「長崎」だろう。
戦争の傷跡を刻名に、冷静な目で描写している写真群。
原爆が落ちてから16年経った1961年から撮影を開始した、とのことであるが、文章にはできない写真が雄弁に長崎を伝える。
あまりにも有名な止まった時計の写真や溶解した瓶の写真は言いようもない独特の雰囲気を出している。
他には「チューインガムとチョコレート」の横須賀や「太陽の鉛筆」の沖縄、といった地名シリーズがある。
どのシリーズも長崎と同じように冷静でシャープな視線で事象を追いかけている。
アート系写真と呼びたい写真群もある。
海に流れついた漂流物を撮影した「プラスチックス」。
電子部品を自然物と混ぜて撮影したコンストラクテッド・フォト「ニュー・ワールド・マップ」や「キャラクターP・終の住処」もある。
「アスファルト」「廃園」「ゴールデンマッシュルーム」などはまるで実験映像のような感じ。
これらはすべて構図、色彩共にバッチリの素晴らしい仕上がり!
コマーシャル・フォトの先駆けとも言えるだろう。
悔しいくらい真似たくなるようなカッコいい写真ばかりである。
ネイチャーフォト、と言ってもいいシリーズもある。
長崎の諫早湾を撮った「ブリージングアース」。
千葉、和歌山、静岡などの岩場を写した「バイオ・バラエティ」。
岩場、とタイトルになければ宇宙写真のように見えてしまう不思議な写真群である。
東松氏の手にかかるとネイチャーフォトもまた違った趣きになってしまう。
非常にカッコいい。
これもまた真似たくなる写真だなあ。(笑)
ここまで顔を使い分け雰囲気を出すことができる写真家はそうそういない。
東松氏はバランス感覚、美的感覚共に非常に優れてるんだなあ、と感心。
そしてこれだけ多くの人物写真を撮れるのは、人格的にもバランスがいいからだと推測できる。
沖縄の人を撮るのに実際移り住み人々に慣れ親しんでから撮影を始めた、というエピソードを聞いたこともある。
ものすごい情熱!
意思の強さ!
うーん、3拍子どころか7拍子以上揃っちゃうんじゃないかね?(笑)
SNAKEPIPEが写真を撮り始めてしばらく経ってのこと。
今からもう10年以上は前のことだ。
その当時東松氏は千葉県の上総一ノ宮に住んでいたのである。
「東松さんのところに遊びに行って、ついでに写真を観てもらう?」
なんてアイデアを父親が口にしたことがあった。
そ、そんな!SNAKEPIPEみたいなド素人の写真を雲の上の写真家の方に観て頂くなんて恐れ多いにも程がある!
しかも遊びに、なんて気軽には行かれない!
そんなの無理、無理!と即座に断ったSNAKEPIPE。
今となっては
「あの時、行く!と言っておけば良かったな」
と後悔している。
偉大な写真家に会える機会なんてそう多くはないからだ。
そしてきっと父親もSNAKEPIPEをダシにして、本当は自分が神様にお目にかかりたかったのに違いない、と。
御年78歳の東松氏、ずっと元気で新作発表をお願いしたいところである。
2007年に写真美術館で開催された「Tokyo曼荼羅」は行かれなかったけれど、次回の写真展には是非足を運びたいと思う。
きっとまた「こんな写真が撮りたい!」と悔しい思いをするんだろうな。(笑)