時に忘れられた人々【07】グラム・ロック編 side B

【グラム集大成、とも言いがたい。さて、この曲をやってるのは誰でしょう?】

ROCKHURRAH WROTE:

二週連続で書くだけの気力がなかったので間があいてしまったが、予告通り今回はグラム・ロック編サイドBを書いてみよう。読んでない人はA面から読んでね。
グラム・ロックが流行したほんの短い間だけに音楽活動を集約させたバンドはありそうで実はあまりない。だからグラム・ロックのみで語られるバンドというのも非常に少ないわけで、この記事で取り上げたバンド達も「昔ちょっとグラムやってまして」程度のものばっかりだが、まあそれは仕方ないと思って許して。

男が女っぽい格好したり過剰なまでの化粧したり、代表的なグラム・ロックにはそういう部分が多いが、このスレイドはヴォーカルがモミアゲにヒゲ男で普通の意味でのグラムっぽさはない。がしかし、イギリス伝統のタータン・チェックを多用した衣装や派手で陽気なステージなど、グラムを感じさせる部分も多く持っていて人気があったな。
この曲はクワイエット・ライオットがカヴァーした事でハードロック&ヘヴィメタル界では有名。You Tubeとかで気軽にいつでも映像が見れるようになる前の時代では、むしろスレイドの原曲の方に馴染みがないという人が多かったのじゃなかろうか。その後はオアシスとかもカヴァーしていたな。
個人的にはスレイドはグラム・ロックの時期よりも80年代のヒット曲、スキッズやビッグ・カントリーの推進したスコットランド民謡+応援歌風の「Run Runaway」が好きだ。かくいうROCKHURRAHも応援団出身という意外な過去があるし(笑)。これは関係ないか。

70〜80年代に大活躍したロック界一のダンディ男(?)、ブライアン・フェリー率いるロキシー・ミュージックもグラム・ロック出身の大物バンドだ。後期エルヴィス・プレスリー、シャナナ、そしてゲイリー・グリッターなどに共通するキンキラのスーツに「浮浪雲(ジョージ秋山)」のような長髪リーゼント(笑)、そして非常に好き嫌いの分かれる粘着質のいやらしい声を武器に登場したのが71年。後の「大人のダンディズム」というバンドのイメージとは大違い・・・ああいやらしい。
当時のロキシー・ミュージックは見た目のインパクトも音楽も革新的。その主人公ブライアン・フェリー以上に派手だったのが後にアンビエント・ミュージックの創始者となるブライアン・イーノだ。ウィンドウズ95の起動音作曲者としても有名だが、この時代はまだグラム真っ只中。この人の異色なきらびやかさとクジャクのような衣装には誰もが圧倒される事間違いなし。
この初期ロキシー・ミュージックの名曲「Re-Make/Re-Model」は一般的なロックの世界でシンセサイザーやサックスなどのノイズ的演奏を楽曲に取り入れてヒットしたという、当時としてはかなり先駆的な作品。やっぱりイーノはいいのう。
ロキシー・ミュージックはROCKHURRAHごときが語るまでもなく、後の時代にもスタイリッシュなヒット曲を数々と出して有名になってゆくバンドなんだけど、やっぱり初期のイーノがいた頃の音楽的まとまりのなさ、キワモノっぽさが一番だと思う。
何か「初期」「当時」という表現が多いな。

グラム時代にはちょっと遅れすぎの1974年にデビューしたビー・バップ・デラックスは元々ソロ・シンガー&ギタリストだったビル・ネルソンによるバンド。デヴィッド・ボウイやクイーンといった大物がやっているような音楽的世界をよりB級に展開しただけという見方もあるけど、好きな人にとってはこのB級加減がたまらない魅力でもある。ROCKHURRAHも若年の頃、最初に自分で気に入って全部買い揃えたバンドがこのビー・バップ・デラックスなので、後の自分の音楽的人生に方向性を与えてくれた師匠のような存在だ。個人的にコックニー・レベルと共に最も思い出深い。
さて、このバンドはセミアコ・ギターの形をしたドクロというインパクトのあるジャケット「Axe Victim」でデビューしたが、初期は濃い目の化粧でグラム度も高かった。デヴィッド・ボウイやT-Rexなどと比べるとかなりマイナーな存在なのでこの初期の映像はほとんどないのが残念。ビル・ネルソンの美学に溢れた流麗なギターとメロディアスで未来的な音楽、売れる要素はたっぷりだったのに日本ではさっぱり人気なかった。しかし映像(初期とはメンバー総入れ替えとなった75年の2nd時期)を見ればわかるように70年代ヤクザが好んで着ていたような幅広襟の白いスーツにパンタロン。そしてビル・ネルソンは後のウルトラヴォックスのジョン・フォックスとも相通じるようなおばちゃん顔、ギター持ってなかったら良く見ても演歌歌手、とてもロック・ミュージシャンには見えないよ(笑)。ルックス面でかなり損をしてたバンドだなあ。これで何故にグラム特集で取り上げたの?と突っ込まれる事必至だな。単に書きたかったから。わかってくれる人もいるじゃろうて。
しかし彼らの事を書いてたらキリがないので短いコメントになってしまったが、きっと何かの形でまとめて書きたいとは思っている。

それまでロックをあまり聴いた事がない婦女子や子供でもファッションや見た目の面白さから音楽を聴くようになる。そういう通俗的な部分でグラム・ロックや後のパンクが果たした役割は大きいはず。そのグラム・ロックの中でもピカイチに金ピカだったのがこのゲイリー・グリッターだ。過剰なまでの光具合とステージ・アクション、後のロックに与えた影響云々、というよりは、にしきのあきらや西条秀樹が目指したものと見事に呼応する世界だろう。しかしゲイリー・グリッターのキワモノさもこの時代には充分カッコイイものだったのは確かで、グリッター・サウンドの継承者もいる。80年代初頭に大流行したアダム&ジ・アンツ(アダム・アント)は間違いなくニュー・ウェイブ世代のグリッターだったし、サイコビリー界の大御所クリューメンはこの曲を見事にサイコビリー風にカヴァーしている。サイコビリーがサイコビリー風にカヴァーしてるのは当たり前だが・・・。2行程度に5回もサイコビリーと書いてしまったROCKHURRAHは尋常じゃないが・・・。この映像のギンギラ衣装もすごいが、ゲイリー・グリッターはグラムが廃れた後でもずっとグラムな事やってて、「北斗の拳」もしくは「マッドマックス」の悪役みたいな衣装だったり、継続は力なりという言葉を見事に体現した類まれなロック・スターだったと言える。

有名な音楽プロデューサー、ミッキー・モストが設立したRAKレコードで、スージー・クアトロなどと共に人気だったのがこのバンド。前にA面でも書いたマイク・チャップマン&ニッキー・チン(Sweetの項)が手がけた大ヒットが「Tiger Feet」だ。見るからに軽薄そうなメンバーの振り付けはともかく、この曲の光り輝くポップさ(何じゃこの頭悪そうな表現?)は素晴らしい。圧倒される。A面B面通して今回のROCKHURRAHは圧倒されまくっているな(笑)。この曲はまたしてもサイコビリー・バンドのグリスワルズがサイコビリー風にカヴァーしている事で一部のサイコビリー界では有名。しつこい?なんかグラムのカヴァーしてるのはサイコビリーばかりのような書き方だなあ。
しかしそもそもMud、この見た目で本当にグラムなのかという疑問が生じるな。まるで池沢さとしの漫画に出てきた、スーパー・カー乗り回してるプレイボーイの御曹司みたいなヴォーカルの風貌を見てふと思った次第だ。
つまりグラムというのは音楽でもきらびやかな見た目でもなくて、我々の心の中にある固定観念なのかも知れないね。というのは大ウソだから信じないように。

2回で書き終わる予定だったグラム・ロック特集だが、まだ少し書き足りないところがあるなあ。「シルバーヘッド忘れてねー?」とか「アメリカのアリス・クーパーやニューヨーク・ドールズは?」などと不満もいっぱいだろうね。しかしこのブログの続きを熱望する人もいないだろうし書いてる本人もさすがに飽きてきた。
次をやるかどうかは未定だけど、気が向いたらまたまとめてみたいと思う。

Transformation鑑賞

【東京都現代美術館サブエントランス付近を撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

木場にある東京都現代美術館のページを観ていたら、ちょっと面白そうな企画が開催されている模様。
「トランスフォーメーション」と題された企画展で、「変身-変容」がテーマらしい。
ポスターにマシュー・バーニーの写真を持ってきているのも気になるところだ。

「変身-変容」と聞いてまず初めに思うのは「変身願望」、ファッションだったり化粧だったり。
今風の言葉で言うならばコスプレ、とか?
「○○みたいになりたい」と思うのって老若男女問わず持ってる願望だよね?
もしくはカフカの「変身」みたいな不条理世界を思い浮かべる人もいるかな。
恐らく様々な角度から「変身-変容」を捉えアートの領域に持っていった企画なんだろう、と勝手に解釈していたSNAKEPIPE。
「この展覧会は、『変身-変容』をテーマに人間とそうでないものとの境界を探るものです。」
なんて書いてあるし!
どんなアートに出会えるんだろうと楽しみに、終了1週間前に慌てて行ってきたのである。

良く晴れた、ここ最近にしては暖かい日。
木場駅から歩いて15分くらいかかるので、天候が悪い日にはなるべく行くのを避けたい美術館なんだよね。(笑)
天気が良い日には公園の中を散歩しながらブラブラ歩くと気持ちのいいコースになる。
今回は「大陶器市」が公園内で開かれていて、横目で見ながら歩いてみた。
近くにこんな公園があったらウォーキングやジョギングにいいだろうね!

そしていざ美術館へ。
会期終了間際の割には人が入っていたかな。
ここの美術館は企画によって1Fから3Fまでを使用して展示することがあるんだけど、今回も1Fと3Fで展示。
順路は3Fから、とのこと。
わくわくしながら行ってみる。

一番初めに目にしたのは、パトリシア・ピッチニーニという作家の作品。
この作家は以前「医学と芸術展」でゲームボーイで遊んでいる現物そっくりの子供(老人?)2人、という作品を観たことがあったな。
ブログに作品の感想も書いてあるし。(笑)
今回の作品は動物(カモノハシだったらしい)と人間を合成させた新生児をシリコンみたいな素材で作った作品。
とても解り易い「変容」で安心。(笑)
ところがホッとしたのもつかの間、同じ作家による次の作品はなんと映像作品。
説明を読むと、どうやら「海で溺れた少女にいつの間にかエラが発生する」作品らしい。
映像作品って鑑賞するのが難しいよね。
椅子がない場合が多いし、何分かかるのか分からないし。(笑)
大抵の場合、映像作品はチラッと観て立ち去ることが多いSNAKEPIPE。
ピッチニーニには悪いけど、次に行かせてもらうね!(笑)

と次々に作品を観て歩いていると、今回の展示は映像がほとんどだったんだよね。
チラ観ばっかりになってしまった。
今回の展示の最大の目玉はマシュー・バーニーの「クレマスター3」の映像を流すことだったんだろうけど、その方法がひどい!
関連する彫刻作品と写真も同時に展示していて、なんと映像は小さい薄型テレビ2台を天井付近から吊るして流しているのである。
椅子もない部屋で、地べたに座って上を見上げて鑑賞するお客さん達。
3時間あるっていう映像をあの姿勢で観なければいけないとは!
しかも画面小さ過ぎ!
首が痛くなっちゃうよー!
実はSNAKEPIPE、2002年(?)に東京都写真美術館で上映した「クレマスター3」観てるんだよね。
当たり前だけど、椅子に座って、大画面で。(笑)
今回も、もっとちゃんと観たかったよね!

今回の展示で興味深かったのはヤン・ファーブルの胸像シリーズ。
鹿とかヤギ、もしくは架空の動物の角を付けた作家本人がモデルになった胸像を18種類展示していた。
単純明快な「変身-変容」だったし、観ていて楽しかった。
SNAKEPIPEだったらどの角にしようかな、と考えるのも面白かったし。(笑)
「ファーブル昆虫記」を書いたジャン=アンリ・ファーブルが曽祖父なんだって?
それで昆虫をモチーフにした作品も制作してるみたいね。

もう一人あげるならばシャジア・シカンダーというパキスタンの作家も興味深かった。
アラビア文字を使ったり、インクをにじませて描いたようなドローイングは色使いがキレイだった。
わざとなのか、拙い技法を使ったビデオ作品も紙芝居的な面白さがあった。
どこかインド的な、中国的な不思議な感覚は新しく思えるね。

今回の「トランスフォーメーション」は企画する側と鑑賞する側に温度差があったような気がする。
期待して出かけただけに残念。
でも上にある宣伝観たら、面白そうだって思わない?(笑)

映像作品を作る作家には是非、5分以内で終わる作品に仕上げて欲しいと思ってしまった。
そうでなければせめて何分の作品なのか知らせてもらいたい。
SNAKEPIPEとROCKHURRAHがせっかちなのかもしれないけどね。(笑)

時に忘れられた人々【07】グラム・ロック編 side A

【グラマラスな野郎ども】

ROCKHURRAH WROTE:

時代の徒花と書くと大げさ過ぎるが、今の現役とは言えないような人々に焦点を当てた、割とどこにでもある企画「時に忘れられた人々」も随分久しぶりの更新となる。最後に書いた(【06 ヴィンテージ漫画篇】)のは2010年の正月くらいかな?

今回はこれまた割とどこにでもある特集だが70年代グラム・ロックに焦点を当ててみよう。このジャンル出身の人気スターも数多く生まれたし、音楽やファッションとしても後の時代に与えた影響が大きかった。そういう意味ではパンクと並んで1970年代に最もインパクトのあった音楽がグラム・ロックだったと言っても差し支えないだろう。

発生についてはROCKHURRAHがとやかく語るようなものではないので、もし知らない人がいて興味あるようだったら各自ネットとかで調べて欲しいが、グラマラスなロックだからグラム・ロック、と実にわかりやすいジャンルである事は間違いない。

簡単に言えば1970年代初頭にケバケバしい化粧をした男達が女装、またはラメのような派手っちい格好してやってたロックの事だ。少し他の音楽ジャンルと違うところは、グラム・ロックが特定の音楽的特徴を持ったロックではなく、その見た目に対して付けられたものだという事。派手でギンギンの(死語)ロックンロールだろうが地味で眠くなるような音楽だろうが、化粧さえしてればこの時代はみんなグラム扱いされてたというような風潮があったらしい。おおらかな良き時代かな。

これから書くコメントと映像を見てもらえば、たとえグラム・ロックなど全く知らなかったような人々でも何となく「こういうのか」とわかるに違いない。

ROCKHURRAHがまだ洋楽ロックを聴き始めたくらいの頃。 たまたま好きだったバンドがどうやら初期にはグラム・ロックの仲間だったと判明したから、何となくグラム寄りのバンドに好きな傾向が含まれているのを悟り、テキトウに聴いてただけで、この手の音楽が何でも好きなわけではない。ついでに女装趣味なども全くない。そんな人間だからグラム・ロックにどっぷり浸かってるような人みたいにディープに紹介など出来っこないのは承知だが、まあ書き始めたわけだから無理やり進めてみよう。

しかしざっと思い出しただけでも意外と層が厚いぞ、このジャンル。とても一回では書ききれそうにないなあ。というわけで今回はそのA面と題して半数くらいを書き綴ってみよう。

言わずと知れたグラム・ロックの代表みたいな超有名曲。80年代くらいまでは常に時代の寵児であり続けたデヴィッド・ボウイだが、何と1964年のデビューというからその活動歴の長さにも驚きだね。確か最初の頃はモッズ風の髪型と服装だったように記憶する。 ボウイがグラム・ロックの中心だったのかどうかはよくわからんが、この人がやり始めたからグラム・ロックは栄え、この人がやめたからグラム・ロックが衰退して行ったという部分があるのは間違いない(と思う)。1972年に出たアルバム内容は「ジギー・スターダストという宇宙からやって来たロック・スターの栄光と衰退」をデヴィッド・ボウイが演じるという、その当時では珍しいコンセプトのものだ。この映像でもわかる通りの派手なメイクにモンチッチ風(古い)の髪型はハード・ロックだのプログレだの、当時の地味な見栄えのロックを聴いていた者たちには衝撃的だったのではなかろうか?違う?

デヴィッド・ボウイの場合はグラム時期以外の活動の方が長いわけだし、そもそも今回のタイトルに反して全然「時に忘れられ」てないわけだが、このジャンルでボウイをすっ飛ばすわけにもいかないからなあ。

まあ何はともあれグラム・ロックで本当に今見ても通用するヴィジュアルのミュージシャンはデヴィッド・ボウイだけ・・・と思ったが、誰がどう見てもミニスカートのワンピースで太もも丸出し、ニーハイ・ブーツ履いた中性的な男じゃ、いくら美しくても気色悪さ半々か(笑)。

これまた王道過ぎる選曲で申し訳ないが、やっぱりこの曲が一番好きだから仕方ない。彼らも60年代から活動していたけど、T-Rex名義になってからはグラム・ロックの代名詞として君臨する。最初に王道と書いたものの、音楽的には結構特殊な部類に入ると思う。笠置シヅ子やダウンタウン・ブギウギバンドでもおなじみ(?)のブギーを好んで取り入れたり、パーカッションを非常に効果的に使ったり、それ以前のロックバンドにはあまり見られなかったようなスタイルのバンドだった。そしてマーク・ボランのフニャッとした歌声とルックス、惚れる要素はかなり多いね。どんどん新しい試みを始めてその都度スタイルがガラリと変わってしまうデヴィッド・ボウイとは違って、グラム・ロック最盛期の短い期間に活躍したわけだから、より「グラム・ロックの帝王」度は高い。亡くなった後で神格化もされたしね。

そのグラム・ロックは74年くらいにはもう下火になってしまったのだが、それを聴いて育ったパンク、ニュー・ウェイブのアーティストが後の時代にT- Rexから影響を受けたような音楽をやって、それを聴いた世代がまた新しい世代のグラムを始める。というように音楽はずっと輪廻転生を続けている。しかしこれから行き着く先にオリジナル以上のものはないだろうな。

ボウイやT-Rexよりは少し遅れて登場したのがスティーブ・ハーリィ率いるコックニー・レベルだ。デビューは73年で74年の「Psychomodo(さかしま)」くらいまでがいわゆるグラム・ロック期にあたる。それ以降はメンバー・チェンジをして普通にポップなロック・バンドに転身してしまったのでグラムっぽさは全然なくなってしまう。その辺も好きではあるんだが今回のテーマとは違ってくるので、今はこの初期コックニー・レベルについてだけ書くことにしよう。

彼らの音楽は典型的なグラム・ロックとは異なり、キーボードやヴァイオリンを多様したクラシカルで耽美的なもの。ケバさも控え目。70年代初期に蔓延っていたプログレッシブ・ロックと、スティーブ・ハーリィが個人的にやっていたボブ・ディラン風の字余りソングが無理やり合体して出来上がった、ややイビツな音楽。ただしそれはある種の人間にとっては魅力的で心地良いものだった。ロンドン下町の労働者に由来するコックニー訛りの歌い方(sayをセイではなくサイと発音するような感じ)も充分に個性的。このいやらしい&圧倒的にエモーショナルな歌い方を武器にコックニー・レベルは独自路線を突き進めてゆくが、日本ではあまり人気なかったなあ。やっぱり見た目のせい?

75年に「Make Me Smile」で大ヒットして華麗なポップ・スターになる以前のコックニー・レベルの映像が少ないから見てきたようには書けないが、初期は目の下だけ隈取りみたいなペインティングをしたりピエロ風の格好をしたり、あとは牧師風とかヒラヒラの純白衣装とか・・・グラム・ロックの見た目としては割と健全で地味目(笑)。しかしこの映像見ても超バギー・パンツみたいな極太のものを平気で穿いていて侮れない。こういう時代だったんだね。

この曲は2nd「Psychomodo」に収録、サーカスとか大道芸とか、そういうノスタルジックなものを思わせる名曲だね。

ここでは紹介しきれなかったがその2ndタイトル曲の「Psychomodo」もギターじゃなくてヴァイオリンによるロックンロールという、意表をついた展開のカッコ良い曲で大好き。

本来はローリング・ストーンズのようなバンドでグラム・ロックの範疇には入らないのかも知れないが、デヴィッド・ボウイやミック・ロンソンなど当時グラム・ロック有名人とも関わっていたので、まあここで書いてもおかしくはないだろう。

今の時代に「誰でも知ってる名曲」とは言い切れないかも知れないが、デヴィッド・ボウイが提供した彼らの最大のヒット曲「All The Young Dudes(すべての若き野郎ども)」は70年代においてはロック史に燦然と輝いていた。こんな名曲をあっさり人のために書き上げるボウイもすごい太っ腹だとは思うが、それだけ惚れ込んでいたという事だろうね。

このバンドの主役イアン・ハンターはマーク・ボランのような(あるいはクリスタル・キングのような)ちりちりのカーリー・ヘアと大きなサングラスがトレード・マークなんだが、サングラスを外したところをあまり見た事がない。絶対に弾きにくいに違いないHの形(ハンターの頭文字)をした特注ギターも有名。しかしこのイアン・ハンター以外のメンバーが似たような見た目ばかりで、人の顔がなかなか覚えられないROCKHURRAHにとってはどれがベースでどれがギターだかよくわからん。せめて色くらい変えてよ。

このバンドには後にバッド・カンパニーに加入するミック・ラルフスなども在籍していたんだが、個人的に思い出深いのはかつて2回ほど目撃、遭遇したキーボード奏者モーガン・フィッシャーだ。レコードでしか知らない海外有名バンドのメンバー相手に普通に接客してたROCKHURRAHもなかなかのものだ(笑)。

スウィートもかなり派手な衣装と70年代アイドル的髪型(全員麻丘めぐみ風)で大人気だったバンドだ。

70年代イギリスの音楽界で屈指のヒットメイカーだったコンビ、マイク・チャップマン&ニッキー・チンの力で大ヒットした曲はどれもポップで馴染みやすいものだが、この曲もグラム・ロックの代表的な名曲で、今でも色褪せる事なくノリノリになれる事間違いなし。

パンクやネオ・ロカビリー、サイコビリーのバンドでも流行りのようにこの「Ballroom Blitz」はしつこいほどカヴァーされた事で有名。ダムドやミスフィッツ、ロング・トール・テキサンズ、オランダのバットモービルにスイスのピーコックス、フランスのワンパスなどなど・・・。おっと忘れちゃいけない。我が日本の誇る美形ギタリスト、エディ・レジェンド(MAD3、ヘルレイサー、エディ・レジェンド・ストーリー)もカヴァーしておりやした(変な日本語)。リズムがノリやすいとか派手で盛り上がりやすいとか、カヴァーしやすいとか色々理由はあるだろうけど、ここまでビリー系の心を鷲掴みにした名曲は他にないとまで言える。

余談ばかりになってしまったが、このオリジナルのグラマラス具合に肉薄するカヴァーはさすがにないなあ。メインのヴォーカルよりも途中からイナセなシャウトで割り込んで来るベーシストの絡みは本当にゾクゾクするよ。

さて、A面最後を飾るのはジョブライアス。これまでイギリス発祥のグラム・ロックばかりを書いて来たが、これはアメリカ産のグラム・ロックだ。何だかよくわからん活動をしてあっという間に消えて、ロック界で最も早い時期(83年)にエイズで死んでしまった謎の男、タイトルも「謎のジョブライアス」。オリジナル盤はかなり入手困難でしたな。

さて、問題の映像だがこれがなかなかすごい。頭からでっかいシャボン玉みたいなものをかぶって登場、それを手動ではじけさせるチープ&陳腐な演出。そして歌い、踊る仕草は「カッコイイ」を完全に通り越してるよ。踊りはまるでボン・クレーの実写みたいだし、笑われたいのか、それとももしかして本気でバカなんじゃないの?というステージングに圧倒されっぱなしだ。

しかしここまで見て、読んで、ほとんどの人はわかったはずだ。グラム・ロックは知的で芸術的な音楽発表の場ではなく、いかがわしくて紛い物プンプン、バカバカしくもビザールなロックンロール・ショーという側面も併せ持つという事を。わざわざ倒置法で書くまでもなかったか。まあ、そういう意味ではジョブライアスなんかはかなり本格的にグラム・ロックを体現したアブノーマル・アクティビティだと言える。 さてさて、次回もこのグラム・ロック編のB面を書きますので、乞うご期待を。

(つづく)

SNAKEPIPE MUSEUM #07 Francis Bacon

【フランシス・ベイコンの作品。3枚並んだレイアウトがお好みね。】

SNAKEPIPE WROTE:

ずっと欲しいと思いながらも未だに画集を所持していない画家の一人にフランシス・ベイコンがいる。
フランシス・ベイコンと聞いて、まず初めにルネサンス期の哲学者を思い浮かべたそこのあなた!
エライ!ちゃんと世界史の勉強してたんだね。
「知識は力なり」、帰納法。
テストに出たかな?(笑)
今回ブログに書きたいと思ってるのは哲学者じゃなくて画家のほう。
どうやらその哲学者のベイコンとは、本当に血縁みたいなんだけどね。

画家、フランシス・ベイコンを初めて知ったのは高校の美術の教科書だったろうか。
法王シリーズが一枚紹介されていた記憶がある。
解説は特に何も書かれていなくて、絵だけが掲載されていた。
その時には特別な興味を持つことはなかったベイコンに再び出会うのは、デヴィッド・リンチのおかげであった。(←知り合いみたいな書き方!)

90年代初頭に世界的ブームを巻き起こした「ツイン・ピークス」の解説の中にベイコンの絵を発見するのである。
記憶によれば解説を担当したのはリンチ評論家の滝本誠氏。
「ツイン・ピークス」で、牢獄に入れられたボビーが鉄柵を掴みながら雄叫びを上げるシーンがある。
その時に撮られた映像は叫んでいる口のアップ。
滝本誠氏ははその映像とベイコンの絵画との比較について考察していた。
デヴィッド・リンチが好きな画家としてフランシス・ベイコンの名前を即答していることもその時に初めて知る。
そして上述した美術の教科書を思い出したのである。
まるで拷問を受けている最中のような、椅子に括りつけられ、痛みに耐え切れずに叫び声を上げている「あの絵」。
なぜだかその時に
「そうか、そうだったんだ。なるへそ!」
と自分なりに妙な納得をしたSNAKEPIPE。(笑)
一枚しか知らなかったベイコンについて、もっと知りたいと感じた瞬間であった。

ここでベイコンの略歴について書いてみようか。

1909年アイルランド生まれ。1992年没。
27歳の頃から絵を描き始める。
「磔刑図」「教皇」「頭部」シリーズなどが有名。
20世紀を代表する画家の一人である。

簡単な説明だとこれだけでいいのかもしれないけど、ベイコンについて書きたいと思う時に忘れちゃならないのがベイコンが同性愛者だったということかな。
それから独学で絵を習得したようで、「~派」というような流派に属していないという点も重要かもしれないね。
だからパロディもやる、通常なら描かないようなモチーフも描く「なんでもアリ」なんだね。(笑)

ベイコンの絵のほとんどには人物が描かれている。
それが単なる肖像画ではなく、ベイコン独自の歪んだ味付けがされているところがポイント。
恐怖、苦痛、叫び、苦しみなど、ハッピーな感情とは逆の部分を表現しているところがベイコンなのである。
現在進行中の映像を一時停止させたような絵。
もしくは動きを連続して見せるために3枚一組にしてワンセット、という表現方法。
ベイコンの絵はまるで写真だったり、映画のスナップみたいな感じなんだよね。

そしてほとんどが室内の絵。
ケージ(檻)の中で椅子に座っている絵も多い。
そしてそこで苦痛を感じている人物。
部屋の中での檻の中にいるということは、ものすごく簡単に考えると肉体の中の精神、みたいな感じかな。
ストレス感じて苦しんでる絵、ってことなのかなと素人のSNAKEPIPEは考えるけど?
えっ、そんなに簡単じゃないって?
じゃ、ま、そこらへんは専門の評論家の方に解説をお願いして。(笑)

評論とか解説などを抜きにして、ベイコンの絵を部屋に飾りたいと思うSNAKEPIPE。
実際ポストカードを数点飾ってたしね。
それにしてもイギリスのテイト・ギャラリーに「ベイコンの部屋」みたいな一室があるというほど、イギリスを代表する画家のベイコンだけれど、ある一部の人にだけ好まれるような画家(画風)のような気がするな。
ドロリとしてるし、窮屈な感じもするし、グロテスクな部分もあるし。
「なんじゃこりゃ」と思う人が多くても不思議じゃないんだけどね?
美術的な評価と鑑賞者の好みがイコールとは限らないかもしれない。
世界中にある、もっと残酷だったり目を覆いたくなるような映像に慣れたせいなのかもしれない。
特殊な画家、とされないほうが画集や情報が手に入りやすくなったりするからいいのかな。(笑)

1998年に「愛の悪魔/フランシス・ベイコンの歪んだ肖像」という映画が公開された。
これはベイコンの伝記映画で、すでに画家として活動していた頃からの半生を描いた作品である。
実はSNAKEPIPE、ちゃんと映画館に観に行ったんだよね。(笑)
一言で感想を言うなら
「ベイコンってすっごい嫌なヤツ!」
である。
かなり性格が悪い。
歪んでいる。
画家じゃなかったら「嫌なジジイ」と言われていたに違いない。(笑)
アーティストだったら偏屈でもオッケー、個性とされることが多いからね。

ベイコン役の俳優さんがベイコンに非常に良く似ていて、嫌なヤツを見事に演じていたのが素晴らしかった。(褒めてるんだよ!)
泥棒に入ってきた男を愛人にしてしまう、という泥棒のほうが驚いてしまう展開。
その愛人と生活を共にするようになるベイコン。
愛人への意地悪、全開!(笑)
この映画を観て、ベイコンの作品について理解を深めることはできなかった。
さっき言ったようなベイコンの人柄について解っただけ。
音楽を坂本龍一が担当していて、思わずサントラ買っちゃったSNAKEPIPEだったな。

画家の性格はさておき。
今回ベイコンについて書いているうちにやっぱり画集が欲しくなってきたよ。
この前本屋で見つけたのは、ものすごい分厚い画集で確か金額が万を超えてたんだよねー。
衝動買いできなかったSNAKEPIPE。(笑)
どこかで展覧会やってくれないかなあ。
大量の現物を目の前で観たいものである。