マン・レイ展~知られざる創作の秘密

【国立新美術館入り口近くの看板】

SNAKEPIPE WROTE:

中学・高校の6年間、SNAKEPIPEが所属していたのは美術部だった。
中学の時はデッサンをやらされたり、毎年恒例になっている行事や「○○のためのポスター」を描かされたりして自分が本当に描きたいと思って描いたわけではなかった気がする。
高校になっても恒例行事に関する義務的な絵を描くことはあったけれど、中学よりは自由があった。
本当に自分が描きたいと思う題材を好きに描いたように記憶している。
随分後になってから、高校時代に描いていた絵が「シュールレアリスム」だったんだと気付く。
幻想的で夢を再現したような、有り得ない光景。
想像したことを絵で説明したい欲求を持っていたようだ。
10代後半からSNAKEPIPEはやっと「自分が本当に好きな美術」についての勉強を自主的に始める。
美術の授業には「シュールレアリスム」についての項目はなかったからね。
「シュールレアリスム」について調べていくと、かなりの数のアーティストの名前がぞくぞくと登場してくる。
ダリ、マグリット、キリコ…。
絵を描くアーティストのほうが知名度が高いかもしれないけれど、高校時代から写真に興味を持っていたSNAKPIPEが気になったのはマン・レイだった。

「マン・レイって誰?」という方のために簡単に説明しておこうかな。
マン・レイ(Man Ray, 本名:エマニュエル・ラドニツキー Emmanuel Rudsitzky, 1890年8月27日 – 1976年11月18日)は、アメリカのフィラデルフィア生まれのユダヤ系ロシア人。
画家でもあり、彫刻家でもあり、写真家でもある。
映画も撮ってるしね。
アートに関することを全部一人でやっちゃった人なんだよね。(笑)
写真、と一口に言っても実験写真(レイヨグラフ、ソラリゼーションなどの技法を使ったもの)からファッション写真、ポートレイト写真など様々。
今でいうところのマルチ・アーティストって感じかな?
だから「マン・レイって何をやった人?」と聞かれると答えるのが大変。
SNAKEPIPEにとっては写真家としてのイメージが強いけど、ROCKHURRAHには画家として認識されてるしね!

なぜROCKHURRAHがマン・レイの絵を知っているのか訊ねてみると
「Skidsのジャケットに使われていたから」
とのこと。
元々このバンドが大好きだったので、その影響でマン・レイにも興味を持つようになったらしい。
ROCKHURRAHの場合は音楽から入ったパターンだね。
もしこのバンドがマン・レイの写真を使用していたら、写真家として認識していたのかもしれないね。(笑)

マン・レイ展」が開催されているのを知り、興奮した。
今まで何枚もの写真を目にしているし、マン・レイに関する書籍なども所持しているSNAKEPIPEだけれど、展覧会は初めてなのである。
同じくROCKHURRAHも初めてとのこと。
場所は六本木にある「国立新美術館」、ここも初めてなので是非行ってみることにした。

六本木って美術館がいっぱいあっていいよねー!
六本木ヒルズにある「森美術館」、今回行く「国立新美術館」、「サントリー美術館」等々。
森美術館には面白そうな企画の時に何度か足を運んでいるけれど、今回の「国立新美術館」はヒルズとは反対方角に進むこと約10分。
「政策研究大学院大学」という大学なのか大学院なのか判らない名前の学校を左手に見て、新美術館はあった。(笑)
さすがに「新美術」なだけあって、新しくてキレイな建物!
ミュージアムショップに建物のポストカードもあったしね。(笑)
施設内もとてもキレイでピカピカ。
長い傘の持込は禁止、と書いてあるのが今まで行ったことのある美術館にはなかったルールかな!

「マン・レイ展」は活動していた場所と年代で4つのブースに分けられていた。
1:ニューヨーク 1890年~1921年(マン・レイ0歳から30歳まで)
日本でいうと明治23年~大正10年。
生まれはフィラデルフィアだけど、7歳でニューヨークに移ってるらしい。
そのニューヨークで画廊を経営するアルフレッド・スティーグリッツと知り合いになり…って軽く紹介されてるけどさ!
スティーグリッツって「近代写真の父」なんて言われてる大御所中の大御所よ!
その大物写真家と知り合いになるってところで、もう道は拓けてるよね。(笑)
この頃の作品はほとんどが絵画。
SNAKEPIPEが目を引いたのは「飾り文字の習作」と題された1908年の作品。
まだ17、18歳の頃の作品だけど、とてもデザイン的でおしゃれだった。
相当「できる子」だったんだろうな。(笑)
キュビズムにも影響を受けてるようなので、吸収する力もあるんだねえ。

2:パリ 1921年~1940年(マン・レイ31歳から50歳まで)
日本でいうと大正11年~昭和15年。
マン・レイの有名な作品はやっぱりこのシュールレアリスム時代の物が多いかな。
この頃のパリには強い憧れがあるSNAKEPIPE。
物凄く面白そうな時代、面白そうな場所!
カフェのあちらこちらで、後に有名になるアーティスト達がたむろして議論してたり。
人と人との出会いが新たな作品を生む力になったり、企画が出来上がったりしてイマジネーション渦巻くエネルギーに溢れた街だったんじゃないか、と想像する。
タイムワープできたら行ってみたいな!(笑)

パリ時代になると写真の展示が増えてきて、有名人のポートレイトがいっぱい。
モデルで愛人だった「キキ・ド・モンパルナス」の写真があると「マン・レイだなー!」と思ってしまう。
SNAKEPIPEにとってはキキのポートレイトが馴染み深いのかもしれないね。
それにしてもあの有名な「アングルのヴァイオリン」が展示されていないとはびっくり!
fの文字を背中に付けた、女性の丸みを帯びた裸体(キキ)をヴァイオリンに見立てた作品ね。
リトグラフとして後年の作品にあったけど、やっぱり写真で観たかった。

3:ロサンゼルス 1941年~1950年(マン・レイ51歳から60歳まで)
日本でいうと昭和16年~昭和25年。
この頃は戦争の時代。
本当はパリに滞在していたかったマン・レイも仕方なくアメリカに戻ったらしい。
そこで晩年を一緒に過ごすことになる女性、ジュリエットと結婚。
この時55歳くらいかな?
マン・レイというのは女性がいないとダメな人みたいで、女性からインスピレーションを受けて作品作りをしていたようなところがあるよね。(笑)
ジュリエットは今までのマン・レイの愛人でありモデルであった女性達とは、ちょっと違う印象を受ける。
そこが良かったのかな?(笑)

4:パリ 1951年~1976年(マン・レイ61歳から86歳)
日本でいうと昭和26年から昭和51年。
戦争終わった!パリに戻るべ、そうするべ!と夫婦揃ってパリへ。
やっぱりマン・レイにとって居心地がいいのはアメリカじゃなかったんだね。
高齢になっているせいか、あまり出歩かなくてアトリエに夫婦で引きこもり状態だったみたいだけど、なんだか楽しそう!
妻のジュリエットをモデルに写真(カラー・ポジフィルム)撮ったり。
ゆっくりした時間を仲良く過ごしてたんだろうな、と想像する。
そのカラー・ポジフィルムはマン・レイが考案した色彩定着を使っている、というから驚いちゃうよね。
いくつになっても新しいことにチャレンジしてたんだな、と。

かなり展示数が多くて、見ごたえのある展覧会だった。
だけど、2番目のパリ編でも書いたように「マン・レイといえばこれ!」と思われるような作品の展示が少なかったのが残念!
「アングルのヴァイオリン」も「涙」も針付きアイロン「贈り物」もなかったからね!
ジャン・コクトーの写真なんて3CMくらいの円形で、まるで集合写真から切り取られたくらいの小ささ。(笑)
出てはいけない線ギリギリに立って、ズズーーッと前のめりになってようやく見えたくらいだったし。

「マン・レイについて」なんてあまりに奥が深過ぎて、SNAKEPIPEには恐れ多すぎて書けましぇん!
ましてや「ダダとは」「シュールレアリスムとは」なんてことも、その道の評論家の方にお任せしましょ!(笑)
今回の展示を観て一番に感じたのは、やっぱりヨーロッパ(特にパリね)の文化、芸術のレベルの高さ。
マン・レイが一番ノリノリだった昭和15年までのパリでの20年間、日本での芸術ってどんな状態だったんだろう?
日本でもダダイストやシュールレアリストはいたと思うけどね。
SNAKEPIPEが興味を持っている前衛写真家小石清の写真集「初夏神経」出版が1933年。
割とイイ線いってるか。(笑)
この時代の日本のアートシーンについてはもっと調べてみたいと思う。

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