映画の殿 第29号 パラダイス3部作

20180415 top
【左からパラダイス「愛」「神」「希望」の主演女優の3ショット】

SNAKEPIPE WROTE:

2週前に「マイク・ケリー展 デイ・イズ・ダーン 鑑賞」について書いた後、思い出した映画がある。
それはウルリヒ・ザイドル監督の「パラダイス3部作」だった。
先日鑑賞したマイク・ケリーの展覧会は、トラウマをテーマにしたビデオ作品だったことはブログ内で記載済だね。
「パラダイス3部作」は心の問題をテーマにしているので、雰囲気が近いと言えるのかもしれない。
それが「パラダイス」を連想した原因かな?
「パラダイス3部作」を鑑賞したのは随分前のことだ。
かなりインパクトが強かったので、今回まとめてみようと思う。
本当は鑑賞した時すぐに書いておくべきだったんだろうね。(笑)

「パラダイス」を観るきっかけはレンタルDVDに入っていた予告映像だった。
「ジョン・ウォーターズが絶賛」のような文言に惹かれたように記憶している。
ただしジョン・ウォーターズが選ぶ今年のベストとされる映画は、その基準がよく理解できないことが多いんだよね。
それでも観てみたいと思ったのは、ヨーロッパの映画に興味があったから。
例えば「映画の殿 第21号 さよなら、人類」で特集したのはスウェーデンの監督ロイ・アンダーソンだったし、「リザとキツネと恋する死者たち」はハンガリーのウッイ・メーサーローシュ・カーロイが監督していたね。
「籠の中の乙女」や「ロブスター」はギリシャのヨルゴス・ランティモス。
ブログに何度も登場しているようにスペイン映画も大のお気に入りだし。
ROCKHURRAH RECORDSの好みに合った映画はヨーロッパに多いんだよね。
そこで「パラダイス」にも期待したってわけ。(笑)
3部作なので、まずは1作目を鑑賞して、それから次を観るかどうか決めようと思ったのである。

まずは監督のウルリヒ・ザイドルについて簡単に書いておこうね。
1952年オーストリアのウィーン生まれ。現在65歳。
ウィーン大学でジャーナリズムとドラマを学び、ウィーン・フィルム・アカデミーで映画製作を学ぶ。
卒業から2年後最初の作品「The Ball」を制作。
初期は主にドキュメンタリー映画を制作。
2007年「インポート/エクスポート」がカンヌ国際映画祭のパルム・ドールにノミネートされる。
2012年には「パラダイス」がカンヌ、ヴェネチア、ベルリンの世界三大国際映画祭で上映される。

オーストリアの監督のためなのか、あまり詳しい情報が載っていないんだよね。
ドキュメンタリー映画は新聞配達員、2流のモデル、地下室でフェティシズム行為をする人、アフリカの動物のツノや毛皮を集めるハンターである老夫婦などを追った作品だという。
SNAKEPIPEはほとんどドキュメンタリー映画って観たことないんだけど、ウルリヒ・ザイドル監督の作品はちょっと気になるね。(笑)

まずは「パラダイス」のトレイラーを載せてみよう。

トレイラーは3つまとめてあるけれど、「愛」「神」「 希望」という3つの映画なんだよね。 
※ネタバレしていますので、未見の方はご注意ください。
まずは3部作の1つ目「パラダイス:愛」から書いていこうか。 
あらすじはこんな感じね。 

テレサはヴァカンスで楽園のようなケニアのビーチリゾートにやってくる。
そこでは現地の黒人青年が、白人女性観光客に「愛」を売っていた。
テレサもまた、甘い言葉を囁くビーチボーイたちとの「愛」にのめり込んでゆく……。

「パラダイス:愛」の主人公はテレサという50歳のシングルマザー。
映画の冒頭で姉であるアンナ・マリアの家を娘のメラニーと共に訪れるシーンがある。
その時の様子がブログの最初の画像で、3ショット写真を撮影している場面ね。
娘を姉宅に残し、テレサはバケーションへと旅立つ。
自閉症施設で働くテレサにとっては、日常を忘れて開放感を味わうことができる素敵な旅に違いない。

テレサと同じようにバケーションを楽しむ同世代の女性達と意気投合。
彼女達はあっけらかんとケニアの若者とのアヴァンチュールを楽しんでいる。
それは完全にお金を介した関係だけれど、「今が良ければそれで良い」と割り切っているから成立している。
昔言われた言葉だと「リゾラバ」になるのかな?(古い!)
「あなたも楽しみなさいよ」
なんて言われちゃったものだから、テレサもナンパされて付いて行っちゃうんだよね。 
恋愛ごっこなんて何年ぶり? 
私もまだまだイケるかも?なんて少し乙女心が芽生えてきちゃって。
テレサは最初のうちは戸惑い、男性とホテルに入っても羞恥心から関係を拒んでいる。

テレサの水着姿を後ろから写したところ。
色んな好みの方がいらっしゃるので一概には言えないけれど、この画像を観て「声をかけたい」と思う男性は少ないのでは?
ところがケニアではモテモテになってしまう白人女性達。
それはもちろん商売相手として「モテ」てるわけだけど、テレサはだんだん勘違いしちゃうんだよね。
「私やっぱりイケるんだわ、捨てたもんじゃないわよ」
と次からは積極的にリゾラバと関係を持とうとする。

お金でつながった関係に本物の愛を求めてしまうテレサ。
傍からは、見え見えだと分かるくらい下手な嘘にも完全に騙されてしまう。
そしてストーカーばりに相手を追いかける。
財布が底を付けば終わる関係なのに、気づかないんだよね。
仲間の白人女性みたいに「じゃ次いきましょ」くらいドライになれたら良かったのに。
失意のテレサが、単なる失恋した女性にはなっていなかったところも悲劇。
テレサは珍しくモテたためなのか、心の奥底に人種差別的な気持ちがあったのかは不明だけど、ケニアでは白人優位がまかり通ると思ってしまうんだよね。

あまり楽しみのない日常から離れた途端、自分をハリウッドの大スターのように大歓迎してくれる男性に囲まれる。
その差が激しければ激しい程、テレサのような勘違いも起きやすくなりそうだよね。
この映画を観て、「私はテレサみたいにはならない」と言い切れる女性は少ないかもしれない。
特にある程度年齢を重ねた女性は、テレサに共感するんじゃないかな。
ドキュメンタリー映画を得意としているウルリヒ・ザイドル監督だけあって、「パラダイス:愛」はまるでドキュメンタリーを観ているようだった。

「パラダイス3部作」の1作目に興味を持ったので、早速2作目も鑑賞することにした。

「パラダイス3部作」2作目の副題は「神」! 
こちらも簡単にあらすじから書いてみよう。 

敬虔で頑固なクリスチャンのアンナ・マリアの「パラダイス」はイエスと共にある生活そのもの。
毎日の讃美歌、過酷な奉仕、布教活動、それだけで休暇を過ごすには充分だ。
だが、車椅子でイスラム教徒の夫が2年ぶりに家に戻ったことで、彼女の「パラダイス」は夫婦の争いの場と化してしまう。

「神」の主人公は「愛」で主役だったテレサの姉、アンナ・マリアである。
長期休暇を海外で過ごす妹テレサとは違い、アンナ・マリアの休日は布教活動に充てられる。
マリア像を抱え電車に乗り、見知らぬ駅で降りる。
まるで訪問販売員のように、目についた家々のドアを叩く。
無償の布教活動は、同意してくれる人ばかりではない。
映画の中ではアンナ・マリアを罵倒するようなシーンが多く見られた。
その多くは移民だったようなので言葉の問題もあるし、元々信じている宗教が違うということもあるかもしれないね。
アンナ・マリアにしてみると、自分が心底信じているカトリック教が理解されないことが不思議でならないんだろうけど。

アンナ・マリアの信仰は異常に見えるほど。
祈りを捧げる、賛美歌を歌うだけなら想像するクリスチャンの姿だけどね。
アンナ・マリアは自ら体に鞭を打つ。
背中が真っ赤になるほどの回数をビシバシとね!
祈りを捧げながら膝のまま室内を歩き回るのもあったね。
狂信的という言葉以上にアンナ・マリアにとってキリストはアイドル的存在でもある。

SNAKEPIPEは宗教について詳しくないけれど、「神」の中に出てきたキリスト像を使用した自慰シーンは、かなり問題なんじゃないかな?
アンナ・マリアはキリストを思う余り「なんてハンサムなの」「胸がときめくわ」なんて言い始めるほどにキリスト・ラブなんだよね。
そして問題のシーンに続いていく。
信仰心が厚いどころか、その気持ちを性欲にまで発展させるとは本来の意味とは別物になっているように思うよ。

そして「神」の衝撃はこのシーンだけにとどまらず、実はアンナ・マリアには夫がいた、というところなんだよね。
それまで独身の一人暮らしだと思っていたのに。
なんとその夫はイスラム教徒!
キリスト教の狂信者とイスラム教徒という取り合わせだけでもブラック・ジョークなのに、アンナ・マリアは売りにしていた慈悲深さのかけらも夫に示さない。
何故、突然帰ってきたのかは映画で話していたと思うけど覚えてないよ。(笑)

そして夫の帰還から、生活のリズムが狂ったアンナ・マリアのバケの皮が剥がれていくシーンは圧巻だったね。
恋い焦がれるほどに慕っていたキリストを罵倒するんだよね。
こんなに私はあなたのために頑張ってるのに、あなたは私に何もしてくれないじゃないの!と叫ぶのだ。
見返りを求める信仰は本物じゃないよね?
「神」は恐らくキリスト教徒が多い国では、かなりの問題作だったんじゃないかな。
クリスチャンではないSNAKEPIPEにとっても衝撃が強かったからね!

ここまで観たら当然3部作のラストの作品も鑑賞するよね!
「パラダイス:希望」のあらすじはこちら。 

夏休みに青少年向けのダイエット合宿に参加した13歳の少女メラニー。
軍隊のような合宿は運動と栄養学のカウンセリングの繰り返し。
そのなかでメラニーは、仲間と枕投げをし、初めて煙草を吸い、そして父親ほど年の離れたキャンプの医師に初めての恋をする……。

3部作ラストの主人公は、「愛」の主人公テレサの娘メラニー。
確かテレサは50歳だったはずなので、37歳の時の子供???
テレサの結婚や旦那さんについては何も語られてないんだよね。 
テレサの水着姿から容易に想像できるけど、メラニーもかなりのおデブちゃん!
ダイエット目的で合宿に参加するんだけど、周りも負けず劣らずの立派な体型揃いだよね。
10代でこれでは、先が思いやられるなあ。
ちなみにここに出てる子供達、メラニーも含めて全員素人だって。
ここでもまたウルリヒ・ザイドル監督がドキュメンタリー出身という特性が生かされてるよね。

ダイエットという目的で集まった同世代とは、最初から意気投合したようで、相部屋も楽しく過ごしている。
おデブちゃん達でも、やっぱり10代の関心は恋愛なんだよね。
少しでも大人のフリをしたくてタバコを吸ったり、初体験の話を聞いたり。
どの国でも女の子って基本的には変わらないみたいだね。
それにしても目的のダイエットについては「おざなり」になっているようなので、親が無理矢理参加させた合宿なのかもしれないね?
合宿内で出る食事では足りないのか、夜中に食堂で食べ物をあさったり、化粧して合宿を抜け出してパブに出入りしたり。
全く合宿に来た意味がないことばかりしている姿は、「肥満の人は出世できない」とするアメリカ的な発想の裏付けになりそうだよね。
自己管理ができない証明になってるわけだからね。

そんなメラニーだけれど、合宿中に医者である中年男性に恋をしてしまうのだ。 
父親と娘くらいの年の差があるんだけど、これはもしかしたら父親不在の家庭に育ったことが原因なのかな?
恐らくメラニーの初恋だろうね。
どうしたら良いのか分からないけれど、少しでも近くにいたい思いから、診察室に通う。
そのうち男の後を追うようになっていく。
中年男性も実際には満更でもなかったようなので、もう少しで一線を超えてしまいそうになるんだよね。

おっと危ない!
もう少しで淫行条例に違反するところだった中年男性。 
すんでのところで理性が働いたようで良かったよ。(笑)
10代の少女に一途な目で見つめられて、言葉にしなくても「好きですビーム」を毎日浴びせられてたら、中年男性も少年時代にタイムスリップして恋愛に発展するのかもしれないね。
「愛」では「ある程度年齢を重ねた女性は共感するかも」と書いたけれど、「希望」でも同様に男性の共感を呼ぶかもしれないよね。
その中でもいわゆるデブ専の人なら、激しく同意するだろうね。(笑)
メラニーの初恋は成就しなかったけれど、この結末が最も現実的だよね。
もう少し年齢が上になって、犯罪とは無縁になってから年上に再チャレンジしましょう!
どうして副題が「希望」なのかは、この点なのかな。
若いメラニーにはまだチャンスがあるよって意味のね!
あら、そうすると50歳以上のテレサとアンナ・マリアには救いは訪れないとも言える。
人生長くなっているので、それは少し悲しいかな? 

「パラダイス3部作」は現実社会では手にできない理想的な愛に満ちた「パラダイス」を求め、セックス観光、過激な信仰、ロリコンと、危険な一線を越えてしまう3人の女たちを描いた3つの物語

なんて書いてある解説があったよ。 
確かに3人共それぞれの愛を求めていたけれど、それらは全て幻想に終わってしまったんだよね。
ハッピーエンドの映画ではなかったところにリアリティを感じるし、ヨーロッパ映画らしいなと思う。

SNAKEPIPEは仏教においての「煩悩」だったり、キリスト教においての「7つの大罪」をイメージした。
煩悩の根本にある三毒、貪(とん・必要以上に求める心)・瞋(じん・怒りの心)・癡(ち・真理に対する無知の心)は「パラダイス3部作」に当てはまりそうだよね。
三毒は人間の諸悪、苦しみの根源とされている概念だという。
「7つの大罪」は人間を罪に導く可能性があると見做されてきた欲望や感情のことを指すもので、暴食、色欲、強欲、憤怒、怠惰、傲慢、嫉妬のこと。
これもいくつも当てはまりそうじゃない?
こうして考えると、ウルリヒ・ザイドル監督は「してはいけない」とされてきた人間の愚かな行為をドラマ仕立てにして見せてくれているのかもしれないよね。

ウルリヒ・ザイドル監督の作品「インポート/エクスポート」は未見なので、鑑賞してみたいと思う。
ドキュメンタリー映画もチャンスがあったら是非観てみたいね。

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