【ありきたりだが今日はこれが限界】
ROCKHURRAH WROTE:
体験した人々にとって、一生忘れる事のない日になったのは間違いない。いつかはこういう日が来るのを誰もが予感してたに違いないが、鳥や動物のように危険を察知したからと言ってすぐに逃げる事が出来ない。自由のない生き物だな、と誰もがつくづく思うだろう。
ROCKHURRAHが働いている場所は自宅からわずか2駅という近場。しかし駅間が長いのと、直線を歩いてゆける道路がない事、そして日常的に車も歩きもそんなに使わないので、いざ歩くとなった時にどこを通れば知った道に出られるかよくわからない。おまけに津波警報も出されてたので海際を歩くわけにもいかない。そんなわけで自宅に帰り着くのに4時間もかかってしまった。これはまだ統計的には幸せな部類だろう。
SNAKEPIPEとはいつまでも電話もメールも繋がらない状態。ただ地震発生直後にメールをもらっていたので、取りあえずの無事だけはわかっていた。
SNAKEPIPEは全く逆方向の都内で働いているし、ROCKHURRAHよりはずっと遠い場所なので、歩いて帰るのは困難と思える距離だ。しかもよりによって前日から足を負傷していて、長時間の歩きは不可能と思える。こういう時に頼りにならない筆頭のJR、最初から「終日運休」と高らかに宣言してしまった。そのJRでしか自宅に辿り着けないSNAKEPIPEは上に書いた理由もあって、ずっと職場待機。ついにそのまま夜を明かす事になってしまった。いつまでも余震が続いていて、揺れてない時間の方が短く感じるほどだったので、こんなペシャンコになりそうな我が家よりはちゃんとしたビルにいた方が安全だという好判断だ。
自宅の一駅前くらいでようやくSNAKEPIPEとメールが復旧して、お互いの無事も確認出来た。しかしここまでの長かった事。
先に自宅に辿り着いたROCKHURRAHだったが冷蔵庫の中身は床に散乱してベトベト、現在使ってない古いiMacは下に落下、いきなり何もやる気が起きない状態。歩き疲れてヘトヘトだったし、地震情報もあまり繋がらない携帯も気になりっぱなし。こんな時に落ち着いて部屋の片付けをする気分にもなれなかった。服を着たままただ地震情報を眺めるだけで夜を過ごした。JRは相変わらずダメだったが、地下鉄は復旧も早くて、違う路線を使えば何とかSNAKEPIPEも近場まで帰って来れる事を知って少しホッとする。
そして翌日の朝、やっと近場の駅に着いたSNAKEPIPEを迎えに行って再会する事が出来た。
まとめも何もあったもんじゃないし、こんな日に予定通り「ネオサイケ編2(前回のブログ記事の続き)」など書く気にもなれないから、通常のブログも一休み。来週にはちゃんとしたものを書けると思うので、今回はこういう簡単な報告だけで許してもらおう。
ではまた来週。