好き好きアーツ!#10 Fernando Meirelles

【3作品のポスター】

SNAKEPIPE WROTE:

今回の好き好きアーツはブラジルの映画監督、フェルナンド・メイレレスについて特集してみたいと思う。
アメリカやヨーロッパの映画には馴染みがあるけれど、南米の映画監督で即答できるのはアレハンドロ・ホドロフスキくらいだろうか。
アジアの監督についても有名人くらいしか知らないし。
意外と範囲が狭いSNAKEPIPEなんだね。(笑)

簡単にフェルナンド・メイレレスについてご紹介。
フェルナンド・メイレレスは1955年サンパウロ生まれ。
消化器病学者の父と一緒にアジアや北アメリカなどに赴き、様々な文化や土地に触れる。
12歳の時にプレゼントされたムービー・カメラで映画を撮り始める。
サンパウロ大学で建築を学んだ後、テレビ局で働き、CMディレクターになる。
1997年にパウロ・リンスの本を読み、映画化する。

ということで、メイレレスはずっとテレビの広告業界にいたみたい。
映画監督としては2002年がデビューだけど、ずっと映像の仕事をしてたんだね。
これを知ってなるほど、と納得。
その頃の経験がメイレレスの映画の特徴になっているように思えるからね。
メイレレスは今まで3本の映画を監督している。
順番にまとめてみようか。
※ネタバレの部分があるかもしれないので、未見の方は気を付けて下さい。


メイレレス監督の処女作は「シティ・オブ・ゴッド」(原題:Cidade de Deus 2002年)。
前述したパウロ・リンス原作の同名小説の映画化で、リオ・デ・ジャネイロのストリートチルドレン達の実話を基に描いた作品である。
映画の印象としてはデニス・ホッパーが監督した「カラーズ」(1988年)や2pacが出演していた「ジュース」(1992年)の雰囲気に近いかな。
スラム街で生まれた子供が成功するためには悪事に手を染めるしか方法がない、という物語。
盗む、騙す、脅す、殺しても奪う。
しくじったら自分が殺されるだけの短い人生。
本当だったら小学校に通うような年齢の子供が銃を手にする。
麻薬に手を出し荒稼ぎをする。
縄張り争い、仲間割れ、殺し合い、と権力を手中に収めた後も抗争は続く。
また新たな子供達が同じことを繰り返し、その歴史は絶えることがない。

「シティ・オブ・ゴッド」が単なるギャング系の映画ではないユニークな点は、そうしたギャング達だけに目を向けたのではなく、フォトジャーナリストを目指していた子供(ブスカペ)が主役になっているところである。
子供の頃に殺された少年を撮影している場面に出会い、それ以来カメラの虜になってしまうブスカペ。
新聞社に入り下働きをするブスカペにチャンスが訪れる。
ブスカペが撮影したギャング達の集合写真が新聞の一面に採用されるのだ。
観ていてとても誇らしい気分になり、嬉しくなってしまった。(笑)
自分の撮影した写真が認められたような感じがしたからね!
最後にブスカペは感情を殺し冷酷な目で、殺害現場の撮影を続ける。
ブスカペもプロのフォトジャーナリストになったのかな、と考えさせられるシーンだった。

この映画がメイレレス監督の処女作だけれど、元CMディレクターという経歴の持ち主だけあって、スピード感のあるカットやストップモーションが新鮮だった。
CM制作って短い時間の中で鑑賞者に商品の説明をして購買意欲を高める、という職業だもんね。
その技術が生かされていたせいか、映像がとても解り易くて観客に親切な映画なんだよね。(笑)
悲惨な話の中にもユーモアを感じることができたのも、もしかしたらこのカメラワークのおかげかもしれない。
制作費が少なくても、出演者に大物俳優が起用されていなくても、こんなにパワーのある映画ができると証明してくれる監督って素晴らしい!
ロバート・ロドリゲス監督の処女作を観た時と同じくらいの衝撃を受けてしまった。
メイレレス監督に興味が湧いたので、2作目も鑑賞することにする。


2作目の「ナイロビの蜂」(原題:The Constant Gardener 2005年)はイギリス人作家ジョン・ル・カレの同名小説の映画化である。
黒人男性と白人女性が恐らく夫と思われる白人男性に見送られ、湖で車が横転するシーンから始まるこの映画。
誰がどういう状況で事故に遭遇したのかも分からない。
冒頭に映画途中の映像を持ってくるところは前述の「シティ・オブ・ゴッド」と同じ手法である。
一体あのシーンは何だろう、と考えながら鑑賞を進める。

どんな時でも自分が納得するまで物事を徹底的に追求する意志の強い女性、テッサ。
いくら個人主義が徹底している欧米諸国でも、テッサくらい正義漢丸出しで、はっきりさせないと気が済まない女性は珍しいのでは?
そのテッサに議論をふっかけられたことが元で知り合いになる主人公ジャスティン。
外交官であるジャスティンがナイロビに転勤になる時、まだ知り合って間もないテッサが「私も一緒に連れて行って欲しい」と頼む。
困惑するジャスティン。

場面はいきなり原色が鮮やかなケニアのナイロビになる。
妊娠中のテッサが映り、やっぱり一緒にナイロビに行ったんだなということが判る。
ジャスティンとテッサは結婚し、幸せな家庭を築いているように見える。
が、テッサ宛のメールを偶然見てしまったジャスティンは、テッサが自分の知らない何事かに関わっていることを知ってしまう。
スラムの医療施設を改善する救援活動を行っていたテッサは、2日の日程でナイロビからロキへ旅立つ。
ここでやっと冒頭のシーンになる。
一緒に活動をしている黒人医師アーノルドとテッサを、夫であるジャスティンが見送っていたことがようやく判る。
そして次に車が横転するシーン。
テッサは殺されていたのである。
一体テッサに何が起こったのか?
何故殺されなければいけなかったのか?
妻の死に疑惑を感じたジャスティンは、真相を究明するために調べ始める。
タイトルの「ナイロビの蜂」の意味もここで解るのである。
そこにはある巨大な陰謀が隠されていた…。

「知ったら殺される」という本当にありそうな話でとても怖かった。
どうして夫にだけでも真相を告げなかったのか、と何度も思ってしまったSNAKEPIPE。
夫にも危険が及ぶかもしれない、と考え何も言わなかったのかもしれないけれど、妻が殺害された理由に全く心当たりがない残された夫にとってはたまらないよね。
真相究明に奔走しているジャスティンが、亡き妻との楽しかった思い出を脳裏に蘇らせたり、妻の幻影と会話するシーンはせつなかった。
そしてあのラスト。
他に選択肢はなかったのだろうか?

「シティ・オブ・ゴッド」にもスラムが出てきたけれど、今回の「ナイロビの蜂」にも同じようにスラムの描写がある。
貧困で不衛生な環境なのにもかかわらず、子供たちは元気いっぱいに笑っている。
キラキラした子供たちのキレイな目。
メイレレス監督はスラムの描写が得意ね。
スラムの中で逞しく生きる人間を描きたいんだろうな。

アフリカの現状、夫婦の愛、製薬会社の陰謀などの要素が混ざり合い、「ナイロビの蜂」の映画ジャンルを特定することは難しい。
サスペンスでも、恋愛モノとして観てもいいと思うけれど、どの角度から鑑賞しても考えさせられる重厚な映画だと思う。


メイレレス監督の3作目は「ブラインドネス」(原題:Blindness 2008年)。
ポルトガルの作家ジョゼ・サラマーゴの小説「白の闇」を映画化した作品である。
こうしてみると、メイレレス監督は3作共小説を元に映画を作っているんだね。
どれも原作を読んでいないSNAKEPIPEなので、映画との相違やら表現についての言及ができないのが残念!

映画はある日本人男性が運転中に突然目が見えなくなるところから始まる。
視界に映るのは白一色だけの世界。
そしてその症状は診察をした眼科医、日本人男性の妻、運転席から男性を助けた通りすがりの人など日本人男性と関わった人々に次々と感染していく。
急激に増える感染者は施設に収容され隔離されてしまう。
感染者が増加しているのも関わらず、施設内にはビデオメッセージが流れるのみで介護の支援もなく、更に人数分の食料すら配給されなくなっている。
そんな時、感染者の中から施設内を支配しようとする男が現れる。
「王」を名乗る人物は食料を管理し、引換えに金品や女性を要求する。
服従するしかない他の感染者達。
しかしその独裁社会は長く続かず、反乱が起きる。
火が回った隔離病棟から逃げ出した感染者達は外の世界に向かうが…。

映画は3部構成になっている。
1:謎の失明疾患の感染が広がる様子
2:隔離病棟内部について
3:隔離病棟外の状況
それぞれのパートごとに恐怖が描かれているのだ。

第1部では、原因不明の失明に恐怖を感じた。
五感のどれを失っても困るけれど、SNAKEPIPEにとってはやっぱり視覚を失うことが一番怖いと思うからね。
急に見えなくなる、と想像しただけで心臓がバクバクするほど。
シャマラン監督の「ハプニング」やダニー・ボイル監督の「28日後」も同じように感染が広がっていく映画だったけれど、「ブラインドネス」は意識や感覚はそのまま残っているところが余計に性質が悪い。
失明を自覚し、受け入れて生きなくてはいけないからね。

第2部、隔離病棟のシーンで怖かったのは人間の欲。
独裁を始める「王」は支配欲、物欲、食欲、性欲とすべて「欲」が付く物を求める。
無法状態になった施設内で欲望の赴くまま行動する「王」とその仲間。
ルールのない世界ではこんな風になっちゃうんだ、と人間の卑しさを目の当たりにすることになる。
秩序や社会性を失い、本能を剥き出しにした悪知恵の働く動物になってるから手に負えないよね。
人が人として生きるとは、と考えさせられる。
隔離病棟内部の話は非常に不快だった。

第3部は隔離病棟から出た外の世界で遭遇する恐怖。
ネタがバレバレになるからここからはあまり書けないんだけどね。(笑)
スーパーマーケットの描写はまるでゾンビ映画!
ワラワラ、ヨタヨタと近寄ってくる人の群れ。
ここでも怖いのはやっぱり人間だった。
自分の生存のことしか考えない、エゴイズムしかない人間達。
ここも隔離病棟と同じ本能の世界になってたんだね。

メイレレス監督は、隔離病棟場面と最後の外の世界を得意のスラム的描写で見せた。
元々はスラムじゃないのに、スラム化しちゃった映像は非常にリアルだった。
人目を気にしなくなると、本当にあんな状態になりそうだもんね。
人から見られることを意識するのは大事なことなんだね。(笑)

「ブラインドネス」には配役の名前がなく、「最初に失明した男性」のような呼称しかないのがユニークだった。
メイレレス監督は「それまでの過去は重要ではなく、目が見えなくなるという状況下で、人物たちが現在進行形で体験することが重要」だったために役名を排除したとインタビューで答えている。
役名を指定しないことで匿名性が生まれ「誰にでも起こることですよ」と言われているような気もする。
この映画に日本人俳優が出演していて、時々日本語が使われていたので余計にそう思ったのかもしれない。
それにしてももう少し演技力のある俳優はいなかったのかな?
日本人俳優のキャスティングに少し不満を感じたSNAKEPIPEだった。

映画は何が原因で失明したのか、どうして眼科医の妻だけが感染しなかったのかなど不明のまま終わってしまう。
この映画にはいくつもの「何故?」「どうして?」が存在しているけれど、そういった謎を解明することが目的の映画ではない。
メイレレス監督は「何かしらの物事が引き金となって、人間が獣のような原始的な本性を露わにする」ことを描きたかったようだからね。

メイレレス監督の次回作は性道徳を問う問題作らしい。
きっとまた「人間の本性」について語られるんだろうな。
新作が待ち遠しいね!

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