【何だかよくわからぬ情熱に溢れたファイター達】
ROCKHURRAH WROTE:
元旦以来全くブログを書いてなかったROCKHURRAHだが、実に久々の登場となるよ。
病気だったわけでもなく何か別の事に奔走してたわけでもないけど、3ヶ月もぼんやりしてたわけだ。
SNAKEPIPEがクリエイティブな事(ブログを書くのがそうらしい)してる間にお菓子を焼いたり(ウソ)家事をしたり、なんて家庭的な人なのだろう。
久々のブログで何を書こうかと思ったけど、今回はROCKHURRAHが長くしつこく続けてる「情熱パフォーマンス編」でいってみようか。初めて書いたのが2011年らしく、10年間でたった5回だけしか記事を書いてないけどね。
ROCKHURRAHが書くのはパンクや80年代のニュー・ウェイブに限ってなんだけど、ロックの誕生前から色々なジャンルの音楽で歌い手はいて、その人なりのパフォーマンスを演じてきたことと思う。
本人はごく自然に歌に込めた思いや情熱を表現してるつもりでも、ごくたまに、傍から見るとすごく変な動きにしか見えないものがある。
そういった一瞬を捉えて何だかそれなりのコメントをいいかげんに書いてゆく、というのがROCKHURRAHのいつものパターンなんだよ。
では早速見てみようか。
【道化る!】
Vertigo / Screamers
「おどける」という言葉はあっても日常的に「どうける」とはあまり言わない気がするが、そういう言葉もちゃんとあるらしい。
似たような言葉で「ふざける」というのもあるが、漢字で書くと「巫山戯る」と一気に難しくなって、とてもふざけては書けないなあ。
まずはLAパンクの中でも変わり種として名前が残っているバンド、スクリーマーズから。
1970年代半ばにはすでにシーンを確立していたニューヨーク・パンクの連中がいて、そこからの影響で70年代後半にロンドン・パンクが生まれたのはパンク好きだったら誰でも知ってるはず。
アメリカ各地でも当然パンクは伝染して独自の進化をするのも当たり前だけど、ニューヨーク以外の大都会でも続々とパンク・バンドが登場してシーンを形成していった。
ロサンゼルスも色々とバンドが登場して注目されていたが、ROCKHURRAHはイギリス物を漁るのに忙しくて、アメリカのパンクにはあまり関心を持たなかったという過去がある。
個人的にかろうじて知ってるのは後にニッターズ(Knitters)という本格的カントリー、ブルーグラスのバンドとなってファンを驚かせたXやヴォーカリストがジョン・レノン射殺の前日に自殺したジャームス(Germs)くらいか。
詳しい人だったらLAパンクだけで食っていける(何の商売かは不明)ほど豊富な人材を誇るジャンルだと思うよ。
そんな中で地元シーンでは有名、ただし世間ではほとんど知られてなかったのがこのスクリーマーズだ。
1977年から1981年頃まで活動していたロスのバンドなんだけど、何しろ活動中にまともなレコードは一枚も出してないので、例えば音楽雑誌でその名前を知った人でもリアルタイムで聴いた事ある人はほとんどいないという状況。
後に発掘音源みたいな形でリリースされて初めて知られる存在になったという。
YouTubeで手軽にビデオを見れる時代になるまでは「LAに行って観てきた」って人じゃない限り、どんなバンドなのかもわからなかった、都市伝説みたいなバンドだったに違いない。
ロクにレコード出してなかった割には動いてる映像はかなり多数残されていて、彼らの活動はある程度は知る事が出来る便利な世の中になったものよ。
このバンドが変わり種というのはギターもベースもなく、ドラムとキーボードのみでちょっと奇抜なパンクをやってるというバンド構成。
エマーソン、レイク&パーマーというギター無しのバンドもそれ以前にはあったから珍しいというほどのもんでもないけど、大体ギターが中心のパンク界では希少種には違いない。
ROCKHURRAHが勝手に似た印象のバンドとして思い出したのがイギリスのスピッツエナジーだ。
スピッツオイル、アスレティコ・スピッツ80などレコード出すたびに名前を変えるB級SFパンク・バンドなんだけど、初期では何とヴォーカルとエレキ・ギターのみでレコーディングしてた(ちゃんと売られてた)という、アマチュア・バンドにも劣る構成の変バンド。四畳半フォークならまだわかるけど、その言葉も現代では古語かもね。
スクリーマーズはそれに比べりゃずっとマトモにバンド形態なんだけど、途中で入るブレイクのような音の奇抜さがスピッツと似てると思った次第。
そんな彼らの情熱パフォーマンスはいかにもパンクといった顔立ちのヴォーカリストによる突然のコミカルな仕草が真骨頂。
情報がないから定かじゃないが、「昔ちょっと道化師をやってまして」とかそういうタイプだったのかね?
この曲だけでなくどこでもちょっとだけ奇妙な動きが入るのが絶妙で、思わず目が釘付けになってしまうよ。
派手に堂々とじゃなくて本人もちょっと恥ずかしいのか、小刻みで控えめなところがいいね。
【成り上がる!】
Holiday In Cambodia / Dead Kennedys
ロサンゼルスが出たから同じカリフォルニア州のサンフランシスコを代表するパンク・バンド、デッド・ケネディーズも挙げておこうか。
全米パンク界でもかなりな有名バンドでパンク好きだったら知らない人はいないくらいだろうね。
甘乃迪已死樂團として中国でも知られてる模様。何じゃそれ?
サンフランシスコ市長選にも出馬した事があるという上昇志向の強いジェイロ・ビアフラを中心としたバンドで、日本でも割とリアルタイムでレコードが出たから知名度も高いしファンも多かったな。
オルタナティヴ・テンタクルズというレーベルを立ち上げて数多くのパンク・バンドをリリースし、世に広めた功績は大きい。
ROCKHURRAHはあまり政治的なメッセージ性が好きじゃないのと独特のヴィヴラートした声が苦手なので、みんなが「デッケネ(通称)」と熱狂してる時も冷ややかに通過したけど、それでも「Holiday in Cambodia」や「Kill the Poor」「Nazi Punks Fuck Off」などは愛聴していたものだ。
その代表曲「Holiday in Cambodia」は何種類かのジャケットがある事で知られているシングルだが、ROCKHURRAHが持っているのは青と朱色みたいなヴァージョンだった。
単に空爆か何かのイラストだと思ってたら、調べてみると「バーニング・モンク・スリーブ」との事。よく見たら確かにモンク・イズ・バーニングだったよ(意味不明)。
1975年から79年までカンボジアの政権を握ったのがポル・ポト率いるクメール・ルージュ(ポル・ポト派)で、たったの4年間にカンボジア人口の4分の1の人が虐殺されたという恐ろしいまでの黒歴史。
そんなに大昔じゃなくてこんなに恐怖の政権があったのかと思うと、思い上がった人間の身勝手さに誰もが怒りを覚えるだろう。
たぶんその事についての強烈な批判が歌詞に込められていると勝手に想像したんだが、英語が苦手なROCKHURRAHにはよくはわからん。
ビデオは他のメンバーがクールに決めてるところに緑色のゴム手袋して明らかに挙動不審なビアフラ登場。怪人かよ!
この変な動きと顔芸でそんなシリアスな歌を歌うか?というふざけっぷりにこっちや後ろのメンバーが心配になるよ。
歌ってる時の表情がたまにE・YAZAWAに似てると思ったのはROCKHURRAHだけか?
やっぱりBIGになる人間には共通したものがあるのか。
【妨げる!】
Young Savage / Ultravox
昔から自己顕示欲が低くて、前に出る事が少なかったROCKHURRAH。
個人主義でリーダー的気質はたぶんないにも関わらず、周りに関羽とか張飛的な存在が大体いて支えてもらってたから、自分で思うよりリーダーになる場面も多かったな、と回想する。それが人徳ってもんか。
だからというわけじゃないが「妨げる」という行為が嫌いで、邪魔しない男としてずっと生きてきた。
最近は何するでも迷惑かける邪魔な人間が多くて困るよね。
続いてはヒステリックなおばちゃん顔で有名なジョン・フォックス率いる初期ウルトラヴォックス。
去年11月の記事で書いたばかりだが、よほど好きと思われても仕方ない頻度で書くな。
1970年代に出た3枚のアルバムでヴォーカルを担当し、80年代にソロとなってからは物静かなインテリといったイメージのジョン・フォックスだったが、最初の頃はかなりアグレッシブで危ない男だったようだ。
釘を打つようなリズムと乱暴な早口ヴォーカルはロンドン・パンクの代表的なスタイルと見事に一致してたし、もっと評価されて良かった時代にはちょっと不遇な扱いのバンドだったね。早すぎたニュー・ウェイブと言うべきか。
元ビーバップ・デラックスのビル・ネルソンやチューブウェイ・アーミーのゲイリー・ニューマンと共に未来派パンクの先鋒としてシンセサイザーの効果的な使い方を(ロック的に)世に知らしめた、その功績は大きい。
ブライアン・イーノ、スティーブ・リリーホワイト、コニー・プランクという最高級プロデューサーの力を得て作った3枚のアルバムはどれも先進性に溢れた傑作だったな。パンクの名盤として挙げる人も多いはず。
にも関わらず商業的には成功せず、ジョン・フォックスが脱退した後でリッチ・キッズやヴィサージで活動していたミッジ・ユーロが加入した途端に、メキメキ人気バンドになっていったという経緯がある。
SNAKEPIPEもジョン・フォックス在籍時のウルトラヴォックスは知らなかったという。完全に別物バンドだもんね。
後に初期ウルトラヴォックスのマネしたようなチューブウェイ・アーミーが「先進的」と言われバカ売れしたり、先進的な事を始めたから話題になって売れるわけじゃないという現実をイヤというほど味わったのが本家ジョン・フォックスだろうね。
ウルトラヴォックスは確かな演奏力を持ったバンドでレディング・フェスティバルの出演経験(シャム69やジャムも出てた豪華な顔ぶれ)もあるが、ドイツのTV番組で悪ノリし過ぎた映像がこれ。
どうせ歌も演奏も口パクなのはわかっちゃいるが、ジョン・フォックスのハメを外しすぎな態度にメンバーから苦情続出間違いなしだよ。
演奏してるのも構わず無理やり肩を組みコーラスさせたり完全に寄りかかったり、狭いステージなのに暴れまくってもう大迷惑な男。これがちゃんとしたライブだったら音はメチャクチャになるだろうし「あっち行けよー!」と言いたくなる。
ジョン・フォックスがなぜ脱退したのかは知らないが、周りの事を考えないワンマンっぽい雰囲気があるし(勝手な想像)、叩き上げのミュージシャンっぽいメンバーとは合わなかったのかもね。
などと言うよりも上の映像みたいなふるまいをしてたら、そりゃ追い出されてもするわな(完全に想像)、と思ってしまうよ。
「クワイエット・マン」などと歌ってる割には何をするでも俺様中心、騒々しそう。
【開き直る!】
Aubade a Simbad / Jad Wio
次はフランス産、どぎついアングラ感満載のデュオ、Jad Wioだ。
カタカナ表記した日本のサイトがほとんどなく、正式にはよくわからないが、ROCKHURRAHは当時はジャド・ウィオと呼んでいたよ。ジャド・ヴィオとも書かれているな。
その昔、フランスのOrchestre Rougeというバンドに大変のめり込んでいて、それをきっかけにフランス産のネオサイケ、ポジパンなどのダークな音を探してレコード屋巡りをしていた時期があった。
いや、レコード屋巡りはそのフランス産に限らず、パンクの頃もサイコビリーに凝ってた頃も日課のように各地に出没してたよ。
当時、世田谷代田に住んでたが、色んなレコード屋をはしごして必死で目指すレコードを入手していたもんだ。
新宿のヴィニール、渋谷のZESTやCSV、明大前のモダーン・ミュージック、下北沢のエジソン、高田馬場のオパスワンなどなど、足繁く通った店もあれば一回こっきりしか行かなかった店もある。安く掘り出し物を見つけたいからディスク・ユニオンやレコファンなどの中古屋などにも数日周期で通ってたな。
そんな中で知った数多くのバンドもあったけど、L’Invitation Au Suicideというフランスのレーベルが個人的にはお気に入りで、そこのレコードを見つけると優先的に買っていたもんだ。レ・プロヴィソワールやペルソナ・ノン・グラータなど質の高いバンドをリリースしてたからね。
Jad Wioもそこから出していたので知ったバンドだった。
バウハウスのピーター・マーフィーっぽいヴォーカルにダークな音作り、その当時のポジパンやゴシックと呼ばれる音楽の理想形に近かったが、メンバーのヴィジュアルも不明だったし「これ!」という個性、決め手がなかった。
だからその後、熱心に追いかける事もなくROCKHURRAH個人的にもダークの時代が終わりつつあった。
この二人組がレコードを出したのが84年くらいからで、ポジパン時代のピークをやや過ぎてなので日本ではそこまで話題にもならなかったもんね。どこの土地でも入手出来るわけじゃないフランス物だったからなおさらね。
うーん、Jad Wioの思い出ってほどの事もないくせに十数行も書いてしまったな。
そしてずっと後になってYouTubeで偶然に映像を見て仰天したのが上の姿。
こんな二人でやってたのか、まるでコミックバンドじゃん。
全盛期のラッキィ池田を思わせるようなクネクネの動きで、歌い踊る変態ヴォーカリストと楽器担当の自己陶酔感が満載のビデオでヴィジュアルとしてのインパクトは圧倒的。二人とも病気のような細さだね。
ここまでじゃないがROCKHURRAHもレコード屋通いしてた昔はやせ細っていたな。食うものも食わずレコードに費やしてたわけじゃないけど一生太らないと勝手に思ってたもんだ。が、今では・・・。
この二人は変でイビツな自分たちをちゃんと肯定するところから始まって、それでずっとやってきているのが偉いね。
普通だったらこの顔とスタイルに生まれてきて、こんなつながった眉毛描かないよな。
【供える!】
Tapetto Magico / The Wirtschaftswunder
多くは生まれ育ちの環境によるもので個人の資質(?)や敬虔さとは関係なく、ROCKHURRAHは神仏とは縁のない暮らしをしてきた。父親が死ぬまでは家に仏壇もなかったし、物心ついてからじいちゃん、ばあちゃんと呼べる存在も身近にいなかったし。
だから何かを供えるという行為をした事もないし法事とも無縁の生活をしてたよ。
家が金田一耕助シリーズに出てくるような旧家だった、とか先祖代々住んできた家だったとか、そういう家庭に育った人ならばお供えくらいは日常的にしたことあるだろう。
宗教がもっとぐっと身近にある海外ではそんな罰当たりな子供はいなくて、誰でも先祖や神を敬う機会くらいはあるのだろう。
さて、最後に紹介する情熱パフォーマンスはこれだ。
ドイツ産ニュー・ウェイブであるノイエ・ドイッチェ・ヴェレの中でもパイオニア的存在であるのも関わらず、かなりイビツなバンドゆえに、メインストリームからやや外れてしまった感があるのがこのWirtschaftswunderだ。
「読めん!編」 でも書いた通りなかなか読めんバンド名だが、ヴィルツシャフツヴンダーとROCKHURRAHは呼んでいたな。
日本語に訳せば「第二次大戦後の(ドイツの)急速な経済復興の奇跡」という意味らしいが、これがひとつの単語だと言うのが驚くべきドイツ語。
ヴィルツシャフツヴンダーはイタリア人とカナダ人とチェコスロバキア人とドイツ人による国際色豊かな4人組として1980年にデビューした。
ちょうど盛り上がっていたノイエ・ドイッチェ・ヴェレのブームに乗って人気バンドとなった・・・というわけにはいかなくて、大半のノイエ・ドイッチェ・ヴェレのバンドと同様、日本では一部の好事家以外には無視されるようなバンドだった。
ヴォーカルはいかにもイタリー系のマフィア顔だし、他のメンバーも誇れるような容姿をしてないというのに、古臭いポートレート風の顔写真ジャケットで買うのが恥ずかしかったり、1stシングルに至ってはひどいとしか言いようがないジャケットだったり、とにかくヴィジュアル戦略がまるでなってなかったな。
音楽の方はいかにもニュー・ウェイブ初期の実験的なもので、かなり奇抜で妙な躍動感と高揚感に溢れたすんごいもの。
これに比べると奇抜と言われてるらしい最初のスクリーマーズなんてかわいいものよ。
聴く人を選ぶがヘンなのを探していて見つけたならフェイバリットと叫ぶ人もいたはず。ニュー・ウェイブの盛んだった時代に多くの人に知られなかったのが残念なバンドだったよ。
このスタジオ・ライブのような映像もすごい迫力でROCKHURRAHの大好きなもの。
「Tapetto Magico」は1982年の2ndアルバムに収録されていた曲。
PILの「Flowers Of Romance」を思わせる中東風なのかアフリカのどこかの民族調なのかわからないが、とにかく名曲。
ヴォーカルも変だが左側のクラリネット男(キーボードもラッパもこなすマルチ・ミュージシャン)のテンションがすごい。どこかの部族で、獲ってきた獲物を神に捧げるかのような力のこもったアクション。顔もモロに戦士だよね。
目が釘付けになってやみつきになってしまうよ。どのビデオ見てもおっちょこちょいそうな小太りギタリストも本当にいい味出してるよ。素晴らしい。
以上、久しぶりのROCKHURRAHがお送りした80年代満載の記事、相変わらずのワンパターンで飽きられてしまうだろうか。
それではまた、ナ スフレダノウ(チェコ語で「さようなら」)。