佐藤可士和展 鑑賞

20210328 top
【毎度お馴染みの構図で看板を撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

「すごく有名な人なんだよ。知らないの?」
長年来の友人Mの発言である。
現在、国立新美術館で開催されている佐藤可士和展についての会話なんだよね。
SNAKEPIPEは佐藤可士和という人物を全く知らなくて。 
せっかくなので、経歴を調べてみようか。 

1965年 東京生まれ
1989年 多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン科卒業後、博報堂に入社
2000年 独立し、株式会社サムライ設立
2007年〜 明治大学客員教授
2008年〜 多摩美術大学客員教授

博報堂に入社して独立とは、エリート中のエリート!
ROCKHURRAH RECORDSではグラフィックやタイポグラフィに関する記事を書いてきているつもりだったけれど、佐藤可士和は全く知らなかったよ。(笑)

気温が上昇し、初夏の陽気になるという快晴の日、六本木に向かう。
なんとこの日、SNAKEPIPEに珍しく待ち合わせに遅刻してしまったんだよね!
1時間勘違いしていたことが原因なんだけど、友人Mはショップ巡りをして優雅な時間を過ごしていてくれたので良かった。
もちろんランチをご馳走して、お詫びしましたとも。(笑)
桜が満開で、とてもキレイ!
会場である国立新美術館を撮影してみたよ。 

国立新美術館は、コロナ対策のため予約制が原則とのこと。
事前に友人Mが手配してくれたので、距離をとって列に並ぶ。
入場を待っている客層は、全体的に若いよ。
SNAKEPIPEが命名した「国立系(高齢者のアート好き)」とは 違うことに気付く。

いよいよ入場となる。
人数をカウントしている係員の指示に従って入ったけれど、会場入口から密な状態になっていた。
今回の展示は、ほとんど全て撮影オッケー。
そのためスマホを片手にしたお客さんが立ち止まるんだよね。
佐藤可士和が手がけたパルコの広告(2000年)がこれ。
今年の1月に鑑賞した石岡瑛子展で目にした石岡瑛子版を彷彿させる作品だよね。

佐藤可士和が手がけたロゴマークの一部。
セブンアンドアイ、ツタヤ、ユニクロ、そして会場となっている国立新美術館もあったよ。
これらのロゴは1mくらいの大きさで、壁にかけられていたんだよね。
そんなに大きくしなくても。(笑)
あまりに有名過ぎて、撮影することに躊躇してしまうほど。

その他のロゴが一覧になっている。
どこかで目にしたことがあるロゴもありそうだけど、企業名と一緒に展示していないので、謎のロゴも見受けられるよ。
四角4つが横並びとか、横棒2本は、どんな会社なんだろう?
正解は、会場でもらったマップに記されているよ。
見ただけで全問正解の方はいるかな?(笑)

セブンイレブン商品のパッケージ・デザインもやっているんだね。
佐藤可士和の名前を知ったのも初めてだけれど、「クリエイティブ・ディレクター」という肩書も初耳だよ。
コンセプトを開発し、アイデアを具現化するための指針を決定する責務を担い、各分野の専門スタッフを指揮する中心的な立場の人物(wikipediaより)を指すという。
トータルプロデュースする人、という理解で良いのかな。

順路に従い歩いていくと、大きなパンダを発見!
これは「佐藤可士和展オリジナル お買いものパンダ」だって。
かわいいものには目がない、10代くらいの4人組女子が、かわるがわるパンダと一緒に撮影している。
時間がかかりそうだから、次に行こうとすると
「写真撮りたい」
と4人組女子が立ち去るまで待つという友人M。
そうだった!
友人Mが大のパンダ好きだったことを失念していた!(この記事参照)
女子達を待っていると
「撮影お願いしても良いですか」
と声をかけられてしまった!
SNAKEPIPEが快く応じ、パンダと女子4人をパチリ。
喜んでもらって良かった。(笑)
友人Mも思い切りパンダの撮影ができて良かったね。

展覧会のポスターになっている作品「LINES」。
上のパンダが着ているTシャツも赤白青のボーダーだよね。
このボーダーの太さが変化したり、格子状になったりして様々なパターンがあったよ。
この作品はムービーだったけれど、動画撮影は禁止されていたので画像で記録したよ。

「LINES」が有田焼になって展示されていた。
とても美しくて、販売されていたら欲しかったなあ!
きっとかなりの高額になるだろうけど。(笑)
飾皿としても良いけど、実際に使用するお皿だったら素敵だよね。
一体どんな料理を盛り付ければ良いのか考え中!(うそ)

現代の日本を代表する企業名が揃い踏み!
今まで目にしていたロゴ・デザインが、佐藤可士和の手によるものだったと知り驚く。
現代日本の消費を促す立役者、ということになるのかな。
客層が若いのも納得だよ。
確かに友人Mの言う通り「有名な人」だね。(笑)

大人社会科見学—国立歴史民俗博物館—

20210321 top
【国立歴史民俗博物館入り口を撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

何年も前からROCKHURRAHが「気になる場所」として挙げていたのが、佐倉にある国立歴史民俗博物館だった。
同じ佐倉にある川村記念美術館には、小旅行気分で数回通ったことがあり、その頃から話題にのぼっていた博物館なんだよね。
何年越しに実現したのか分からないくらい、念願だった博物館行きを決定!(おおげさ)
よく晴れた風の強い日、佐倉に出かけたのである。

博物館へはJRもしくは京成佐倉駅からバスで行かれるという。
車を所持していないROCKHURRAH RECORDSは、公共交通機関を利用して移動するので、徒歩かバスで行かれるかどうかは非常に重要なんだよね。(笑)
佐倉駅に到着すると、運良くバスが待っている。
なんと2人だけの貸し切り状態!
博物館に行く人たちは、マイカー族なのかもね?
最近ではマイカー族って使わないか。(笑)

バス停から博物館までは、長い急な上り坂を歩くことになる。
強い風に飛ばされないよう帽子を押さえながら進む。
上り切ると、大きな建物と広大な城址公園が見えてくる。
もう少し風が弱かったら、公園内も散策するのも楽しかったかもね。

開館時間を1時間程過ぎた入場だったせいか、そこまでお客さんは多くない。
チケットを買うために並ぼうとすると、「入館者確認票」の提出を求められる。
氏名と住所、何名にて来館したのかを記名し、提出しないと入館できないという。
体温を測るのはもちろんだけれど、確認票を書いたのは初めてかも。
国立の機関だから余計に厳しいのかな。
コロナ対策だから仕方ないよね。 

すべての条件をクリアして、いざ入場!
展示は第1展示室から第6展示室まで区分けされている。
まずは第1展示室の「先史・古代」から観ていこう。
まるで日本史の授業を受けているように、石器時代人の生活、縄文文化や稲作の開始などに関する物品や復元模型が並んでいる。
この展示室で最も興奮したのが、縄文土偶と土器!
以前より土偶には興味津々で、ミニチュアの土偶をデスクに飾り、可愛がっているSNAKEPIPEなんだよね。(笑)
画像には、複数の土偶が並んでいるけれど、これらはもちろん複製。
複製だからこそ、こうして一堂に会することができるってわけだ。 
調べてみると展示されていた「縄文のビーナス」などは、国宝に指定されている土偶だったんだね。
今から4500年以上前に作られた土偶や土器には、なんともいえない迫力があるよ。
右に載せた土器の画像、斬新だよね!
あの岡本太郎が、この土器を観て「なんだ、コレは!」と叫んだのは納得。
実際に使用するために作ったとしては、デコラティブで不思議なデザインだもんね。
この土器を作った人は、アーティストに間違いないよ!(笑)

観た瞬間に「ねじ式!」と叫んでしまった土偶。
腕の押さえ方と顔立ちが似て見えるんだよね。(笑)
今から3000年前の作品とのことだけど、この頃にすでに「ねじ式」の原型があったとは!

こちらはお目々ぱっちりの「みみずく土偶」ちゃん!
まるでキャラクター用にデザインされたような愛らしさ。
本当に4000年前の物なのかと疑ってしまうよ。
極端にデフォルメされた顔がみみずくに似ていることから、その名がついたという「みみずく土偶」ちゃん。
やっぱり愛称は「みみちゃん」かな。(笑)
あまりの可愛らしさに、レプリカが欲しくなったSNAKEPIPEだよ!

弥生時代のものとされる鏡。
なんでしょうか、この精巧な造りは!
正確に円を描き、更に正方形が刻まれている。
丸いビスが、まるでスタッズみたいでカッコ良いよ。
ぐるりと囲んだ円には、漢字とおぼしき文字まであるし。
この鏡は恐らく中国産で、日本に輸入された物だと思うけど詳しい説明はされていなかったよ。

「有鉤銅釧」とキャプションが書いてあるけれど、これだけだと意味が分からないよね。
下に英語で書いてある説明でやっと何のための物か分かったSNAKEPIPE。
これはブレスレット!
とがった部分がまるでパンクじゃないの。(笑)
元々は貝を切ってブレスレットにしていた名残で、このようないびつな形が一般的になった、ということは帰宅後調べて知った事実。
とがった部分に関しては、不明とのこと。
きっとパンクなトゲトゲ好きがいたに違いないという説は認められないかな。(笑)

第1展示室での縄文時代に興奮し過ぎて、鑑賞にかなりの時間を費やしてしまった。
まだまだ先は長いのにね!
第2展示室は「中世」とのこと。
平安時代半ばから戦国時代までを中世とするらしい。
第1展示室が5000年以上のスパンで構成されていたので、中世は1000年分にも満たないってことになるのかな?

土偶や土器のあとに現れたのが、この「ひとがた(人形)」だった。 
どんどん歩き進めていくうちに、「とほほ」な展示を探していることに気付いたSNAKEPIPE。
抜けた表情だったり、ぞんざいな作りになっている展示物を発見すると夢中で写真を撮ってしまう。
「とほほ」物には目がないからね。 (笑)
8世紀から9世紀頃の物とされる「ひとがた」は、一体何のために制作されたんだろうね?
まさかと思うけど、愛玩用の人形じゃないよね?

いきなり戦国時代の画像になっているけれど、この間にも興味深い展示はたくさんあったよ。
写真の下のほうにある鉄砲は、その装飾に目が釘付け!
この鉄砲は使用するためのものだったのか、それともインテリアだったのかは謎だけど、非常に美しかったよ。
燧石銃というフリントロック式の銃だそうで。
こういう銃もその時代には、日本にあったんだね。

キリシタン大名の洗礼名が載っていたよ。
印鑑だったのか、シンボルだったのか不明だけど、まるでロゴマークに見える図が秀逸で驚いてしまう。
「フランシスコ」を「FRCO」と略し、更に「F」と「R」を重ねて1文字に見せているところが現代的だよね!
右下の黒田長政、NAGAMASAをNGMSと母音を抜いて表記しているのも見逃せないよ。

第3展示室は「近世」。
16世紀末から19世紀半ばの人々の生活に焦点が当てられている。
NHKの番組「浮世絵EDO-LIFE」を観て、江戸時代の庶民の暮らしぶりを知ったROCKHURRAH RECORDS。
江戸時代は、思っているよりもずっと進んでいて、様々な楽しみをたくさん知っていたみたいなんだよね。

裕福な女性の衣装として展示されていた着物。
まるでパッチワークのように、複数の別の模様が組み合わされていたり、下の柄に合わせて、リボンが立体になっていたりと驚くような技巧が凝らされている。
オーダーメイドでしつらえているのか不明だけど、これは作るのに相当な技術が必要じゃないかな?
お値段がいかほどだったのか、そしてどのくらいの頻度で着物を買い替えていたのか気になるわ〜!

江戸時代には旅行が大ブームだったらしい。 
「お伊勢参り」をはじめとする観光旅行が好まれ、温泉に入ることやお土産を買うなど、現代と変わらない旅を楽しんでいたという。
SNAKEPIPEが気になったのは、そんな旅の途中で旅人が食べていた食事を紹介した展示だよ。
上が中山道にある宿の夕食で、ご飯と汁と魚と豆腐だって。
粗末、と書かれているけど、どうだろう。
下は東海道にある宿の夕食。
びっくりなことに鰻が出てるんだよね!
これはかなり豪華だと思うよ。
江戸時代の人は、美味しい物食べて旅行してたんだね。

第4展示室に到着する頃には、もう13時近くになっていた。
すっかりお腹はペコペコ!
縄文時代に興奮し、時間配分を間違えたみたいだよ。(笑)
あともう少しだから頑張ろう、ゴールは目の前だ!とROCKHURRAHと励まし合う。

第4展示室は「民俗」。
ここで注目したのは「妖怪の世界」の展示。
河童や海に現れる妖怪の絵などを見ることができる。
画像は「化物行灯」という明治時代の物。
平面に描かれた展開図を切り抜いて立体的に組み立てる玩具だという。
複製で販売して欲しいくらい気に入った逸品だよ!

「狐の窓のつくりかた」は、指を交差させ隙間から覗くと異界が見えるというもの。
ROCKHURRAHと一緒にやってみたけれど、この形にするのは至難の業。(笑)
誰もができるような易しい方法で見える、というのは面白くないもんね。
他にも異界を見るための方法がいくつか載っているので、知らない世界を知りたいと願い人が多かったことが分かるね。

第5展示室は「近代」。
19世紀後半から1920年代までを特集している。
大正から昭和の初め頃の浅草を再現した風景を歩くことができる。
ちょっといかがわしくて猥雑な雰囲気を味わえるよ。
この時代といえば、思い出すのは江戸川乱歩!
きっと乱歩はこんな場所を歩いていたに違いないね。(笑)

当時使用されていたマッチの展示もあった。
ROCKHURRAH RECORDSでは「ビザール・グッズ選手権」というカテゴリーの中で、 日本を含めたマッチのパッケージ・デザインについて特集したことがある。
小さな箱を彩る凝った意匠に魅了されるんだよね!
今回展示されていたのは、メーカーやショップが宣伝用に作成していたものなのかな? 
「味の素」や「シャチハタ」の文字が見えるよね。
じっくり観ていると、「とほほ」なデザインもあって嬉しくなってしまう。 
もっと接写で撮ればよかったな!

第6展示室は「現代」。
1931年の満州事変から1970年代までを特集していたよ。
もうこの頃には14時近くになっていて、お腹と背中がぺったんこ状態!
展示はもちろん鑑賞したけれど、ランチにありつきたい気持ちが優先してしまった。
画像は館内にあるレストラン「さくら」で注文した「古代カレー」だよ。
古代米を使用しているとのこと。
プチプチした食感が面白かった。

歴史の教科書を総ざらいしたような感じで、興味深い展示に満足した。
広範囲に渡る展示なので、特別驚くことはなかったけれど、充分楽しむことができたよ!
一番興奮した縄文時代は、改めて好きだということを実感。
先日行った岡本太郎記念館でも同じ感想を持ったけれど、縄文時代の土偶や土器にも強いパッションを感じるんだよね。
ほとばしる情熱とでもいうのか、技巧ではない魂の叫びというのか。(陳腐!)
下手のほうがいいんだ。笑い出すほど不器用だったら、それはかえって楽しいじゃないか。」
という岡本太郎の言葉が良く分かった気がするよ。
またROCKHURRAHと、お出かけしましょ!(笑)

時に忘れられた人々【33】情熱パフォーマンス編5

20210314 top

【何だかよくわからぬ情熱に溢れたファイター達】

ROCKHURRAH WROTE:

元旦以来全くブログを書いてなかったROCKHURRAHだが、実に久々の登場となるよ。
病気だったわけでもなく何か別の事に奔走してたわけでもないけど、3ヶ月もぼんやりしてたわけだ。
SNAKEPIPEがクリエイティブな事(ブログを書くのがそうらしい)してる間にお菓子を焼いたり(ウソ)家事をしたり、なんて家庭的な人なのだろう。

久々のブログで何を書こうかと思ったけど、今回はROCKHURRAHが長くしつこく続けてる「情熱パフォーマンス編」でいってみようか。初めて書いたのが2011年らしく、10年間でたった5回だけしか記事を書いてないけどね。

ROCKHURRAHが書くのはパンクや80年代のニュー・ウェイブに限ってなんだけど、ロックの誕生前から色々なジャンルの音楽で歌い手はいて、その人なりのパフォーマンスを演じてきたことと思う。

本人はごく自然に歌に込めた思いや情熱を表現してるつもりでも、ごくたまに、傍から見るとすごく変な動きにしか見えないものがある。
そういった一瞬を捉えて何だかそれなりのコメントをいいかげんに書いてゆく、というのがROCKHURRAHのいつものパターンなんだよ。
では早速見てみようか。

【道化る!】
Vertigo / Screamers

「おどける」という言葉はあっても日常的に「どうける」とはあまり言わない気がするが、そういう言葉もちゃんとあるらしい。
似たような言葉で「ふざける」というのもあるが、漢字で書くと「巫山戯る」と一気に難しくなって、とてもふざけては書けないなあ。

まずはLAパンクの中でも変わり種として名前が残っているバンド、スクリーマーズから。

1970年代半ばにはすでにシーンを確立していたニューヨーク・パンクの連中がいて、そこからの影響で70年代後半にロンドン・パンクが生まれたのはパンク好きだったら誰でも知ってるはず。
アメリカ各地でも当然パンクは伝染して独自の進化をするのも当たり前だけど、ニューヨーク以外の大都会でも続々とパンク・バンドが登場してシーンを形成していった。
ロサンゼルスも色々とバンドが登場して注目されていたが、ROCKHURRAHはイギリス物を漁るのに忙しくて、アメリカのパンクにはあまり関心を持たなかったという過去がある。
個人的にかろうじて知ってるのは後にニッターズ(Knitters)という本格的カントリー、ブルーグラスのバンドとなってファンを驚かせたXやヴォーカリストがジョン・レノン射殺の前日に自殺したジャームス(Germs)くらいか。
詳しい人だったらLAパンクだけで食っていける(何の商売かは不明)ほど豊富な人材を誇るジャンルだと思うよ。

そんな中で地元シーンでは有名、ただし世間ではほとんど知られてなかったのがこのスクリーマーズだ。
1977年から1981年頃まで活動していたロスのバンドなんだけど、何しろ活動中にまともなレコードは一枚も出してないので、例えば音楽雑誌でその名前を知った人でもリアルタイムで聴いた事ある人はほとんどいないという状況。
後に発掘音源みたいな形でリリースされて初めて知られる存在になったという。
YouTubeで手軽にビデオを見れる時代になるまでは「LAに行って観てきた」って人じゃない限り、どんなバンドなのかもわからなかった、都市伝説みたいなバンドだったに違いない。
ロクにレコード出してなかった割には動いてる映像はかなり多数残されていて、彼らの活動はある程度は知る事が出来る便利な世の中になったものよ。

このバンドが変わり種というのはギターもベースもなく、ドラムとキーボードのみでちょっと奇抜なパンクをやってるというバンド構成。
エマーソン、レイク&パーマーというギター無しのバンドもそれ以前にはあったから珍しいというほどのもんでもないけど、大体ギターが中心のパンク界では希少種には違いない。
ROCKHURRAHが勝手に似た印象のバンドとして思い出したのがイギリスのスピッツエナジーだ。
スピッツオイル、アスレティコ・スピッツ80などレコード出すたびに名前を変えるB級SFパンク・バンドなんだけど、初期では何とヴォーカルとエレキ・ギターのみでレコーディングしてた(ちゃんと売られてた)という、アマチュア・バンドにも劣る構成の変バンド。四畳半フォークならまだわかるけど、その言葉も現代では古語かもね。
スクリーマーズはそれに比べりゃずっとマトモにバンド形態なんだけど、途中で入るブレイクのような音の奇抜さがスピッツと似てると思った次第。

そんな彼らの情熱パフォーマンスはいかにもパンクといった顔立ちのヴォーカリストによる突然のコミカルな仕草が真骨頂。
情報がないから定かじゃないが、「昔ちょっと道化師をやってまして」とかそういうタイプだったのかね?
この曲だけでなくどこでもちょっとだけ奇妙な動きが入るのが絶妙で、思わず目が釘付けになってしまうよ。
派手に堂々とじゃなくて本人もちょっと恥ずかしいのか、小刻みで控えめなところがいいね。

【成り上がる!】
Holiday In Cambodia / Dead Kennedys

ロサンゼルスが出たから同じカリフォルニア州のサンフランシスコを代表するパンク・バンド、デッド・ケネディーズも挙げておこうか。
全米パンク界でもかなりな有名バンドでパンク好きだったら知らない人はいないくらいだろうね。
甘乃迪已死樂團として中国でも知られてる模様。何じゃそれ?
サンフランシスコ市長選にも出馬した事があるという上昇志向の強いジェイロ・ビアフラを中心としたバンドで、日本でも割とリアルタイムでレコードが出たから知名度も高いしファンも多かったな。
オルタナティヴ・テンタクルズというレーベルを立ち上げて数多くのパンク・バンドをリリースし、世に広めた功績は大きい。

ROCKHURRAHはあまり政治的なメッセージ性が好きじゃないのと独特のヴィヴラートした声が苦手なので、みんなが「デッケネ(通称)」と熱狂してる時も冷ややかに通過したけど、それでも「Holiday in Cambodia」や「Kill the Poor」「Nazi Punks Fuck Off」などは愛聴していたものだ。

その代表曲「Holiday in Cambodia」は何種類かのジャケットがある事で知られているシングルだが、ROCKHURRAHが持っているのは青と朱色みたいなヴァージョンだった。
単に空爆か何かのイラストだと思ってたら、調べてみると「バーニング・モンク・スリーブ」との事。よく見たら確かにモンク・イズ・バーニングだったよ(意味不明)。

1975年から79年までカンボジアの政権を握ったのがポル・ポト率いるクメール・ルージュ(ポル・ポト派)で、たったの4年間にカンボジア人口の4分の1の人が虐殺されたという恐ろしいまでの黒歴史。
そんなに大昔じゃなくてこんなに恐怖の政権があったのかと思うと、思い上がった人間の身勝手さに誰もが怒りを覚えるだろう。
たぶんその事についての強烈な批判が歌詞に込められていると勝手に想像したんだが、英語が苦手なROCKHURRAHにはよくはわからん。

ビデオは他のメンバーがクールに決めてるところに緑色のゴム手袋して明らかに挙動不審なビアフラ登場。怪人かよ!
この変な動きと顔芸でそんなシリアスな歌を歌うか?というふざけっぷりにこっちや後ろのメンバーが心配になるよ。
歌ってる時の表情がたまにE・YAZAWAに似てると思ったのはROCKHURRAHだけか?
やっぱりBIGになる人間には共通したものがあるのか。

【妨げる!】
Young Savage / Ultravox

昔から自己顕示欲が低くて、前に出る事が少なかったROCKHURRAH。
個人主義でリーダー的気質はたぶんないにも関わらず、周りに関羽とか張飛的な存在が大体いて支えてもらってたから、自分で思うよりリーダーになる場面も多かったな、と回想する。それが人徳ってもんか。
だからというわけじゃないが「妨げる」という行為が嫌いで、邪魔しない男としてずっと生きてきた。
最近は何するでも迷惑かける邪魔な人間が多くて困るよね。

続いてはヒステリックなおばちゃん顔で有名なジョン・フォックス率いる初期ウルトラヴォックス。
去年11月の記事で書いたばかりだが、よほど好きと思われても仕方ない頻度で書くな。

1970年代に出た3枚のアルバムでヴォーカルを担当し、80年代にソロとなってからは物静かなインテリといったイメージのジョン・フォックスだったが、最初の頃はかなりアグレッシブで危ない男だったようだ。

釘を打つようなリズムと乱暴な早口ヴォーカルはロンドン・パンクの代表的なスタイルと見事に一致してたし、もっと評価されて良かった時代にはちょっと不遇な扱いのバンドだったね。早すぎたニュー・ウェイブと言うべきか。
元ビーバップ・デラックスのビル・ネルソンやチューブウェイ・アーミーのゲイリー・ニューマンと共に未来派パンクの先鋒としてシンセサイザーの効果的な使い方を(ロック的に)世に知らしめた、その功績は大きい。

ブライアン・イーノ、スティーブ・リリーホワイト、コニー・プランクという最高級プロデューサーの力を得て作った3枚のアルバムはどれも先進性に溢れた傑作だったな。パンクの名盤として挙げる人も多いはず。
にも関わらず商業的には成功せず、ジョン・フォックスが脱退した後でリッチ・キッズやヴィサージで活動していたミッジ・ユーロが加入した途端に、メキメキ人気バンドになっていったという経緯がある。
SNAKEPIPEもジョン・フォックス在籍時のウルトラヴォックスは知らなかったという。完全に別物バンドだもんね。

後に初期ウルトラヴォックスのマネしたようなチューブウェイ・アーミーが「先進的」と言われバカ売れしたり、先進的な事を始めたから話題になって売れるわけじゃないという現実をイヤというほど味わったのが本家ジョン・フォックスだろうね。

ウルトラヴォックスは確かな演奏力を持ったバンドでレディング・フェスティバルの出演経験(シャム69やジャムも出てた豪華な顔ぶれ)もあるが、ドイツのTV番組で悪ノリし過ぎた映像がこれ。
どうせ歌も演奏も口パクなのはわかっちゃいるが、ジョン・フォックスのハメを外しすぎな態度にメンバーから苦情続出間違いなしだよ。
演奏してるのも構わず無理やり肩を組みコーラスさせたり完全に寄りかかったり、狭いステージなのに暴れまくってもう大迷惑な男。これがちゃんとしたライブだったら音はメチャクチャになるだろうし「あっち行けよー!」と言いたくなる。

ジョン・フォックスがなぜ脱退したのかは知らないが、周りの事を考えないワンマンっぽい雰囲気があるし(勝手な想像)、叩き上げのミュージシャンっぽいメンバーとは合わなかったのかもね。
などと言うよりも上の映像みたいなふるまいをしてたら、そりゃ追い出されてもするわな(完全に想像)、と思ってしまうよ。
「クワイエット・マン」などと歌ってる割には何をするでも俺様中心、騒々しそう。

【開き直る!】
Aubade a Simbad / Jad Wio

次はフランス産、どぎついアングラ感満載のデュオ、Jad Wioだ。
カタカナ表記した日本のサイトがほとんどなく、正式にはよくわからないが、ROCKHURRAHは当時はジャド・ウィオと呼んでいたよ。ジャド・ヴィオとも書かれているな。

その昔、フランスのOrchestre Rougeというバンドに大変のめり込んでいて、それをきっかけにフランス産のネオサイケ、ポジパンなどのダークな音を探してレコード屋巡りをしていた時期があった。
いや、レコード屋巡りはそのフランス産に限らず、パンクの頃もサイコビリーに凝ってた頃も日課のように各地に出没してたよ。
当時、世田谷代田に住んでたが、色んなレコード屋をはしごして必死で目指すレコードを入手していたもんだ。
新宿のヴィニール、渋谷のZESTやCSV、明大前のモダーン・ミュージック、下北沢のエジソン、高田馬場のオパスワンなどなど、足繁く通った店もあれば一回こっきりしか行かなかった店もある。安く掘り出し物を見つけたいからディスク・ユニオンやレコファンなどの中古屋などにも数日周期で通ってたな。

そんな中で知った数多くのバンドもあったけど、L’Invitation Au Suicideというフランスのレーベルが個人的にはお気に入りで、そこのレコードを見つけると優先的に買っていたもんだ。レ・プロヴィソワールやペルソナ・ノン・グラータなど質の高いバンドをリリースしてたからね。
Jad Wioもそこから出していたので知ったバンドだった。
バウハウスのピーター・マーフィーっぽいヴォーカルにダークな音作り、その当時のポジパンやゴシックと呼ばれる音楽の理想形に近かったが、メンバーのヴィジュアルも不明だったし「これ!」という個性、決め手がなかった。
だからその後、熱心に追いかける事もなくROCKHURRAH個人的にもダークの時代が終わりつつあった。

この二人組がレコードを出したのが84年くらいからで、ポジパン時代のピークをやや過ぎてなので日本ではそこまで話題にもならなかったもんね。どこの土地でも入手出来るわけじゃないフランス物だったからなおさらね。
うーん、Jad Wioの思い出ってほどの事もないくせに十数行も書いてしまったな。

そしてずっと後になってYouTubeで偶然に映像を見て仰天したのが上の姿。
こんな二人でやってたのか、まるでコミックバンドじゃん。
全盛期のラッキィ池田を思わせるようなクネクネの動きで、歌い踊る変態ヴォーカリストと楽器担当の自己陶酔感が満載のビデオでヴィジュアルとしてのインパクトは圧倒的。二人とも病気のような細さだね。
ここまでじゃないがROCKHURRAHもレコード屋通いしてた昔はやせ細っていたな。食うものも食わずレコードに費やしてたわけじゃないけど一生太らないと勝手に思ってたもんだ。が、今では・・・。

この二人は変でイビツな自分たちをちゃんと肯定するところから始まって、それでずっとやってきているのが偉いね。
普通だったらこの顔とスタイルに生まれてきて、こんなつながった眉毛描かないよな。

【供える!】
Tapetto Magico / The Wirtschaftswunder 

多くは生まれ育ちの環境によるもので個人の資質(?)や敬虔さとは関係なく、ROCKHURRAHは神仏とは縁のない暮らしをしてきた。父親が死ぬまでは家に仏壇もなかったし、物心ついてからじいちゃん、ばあちゃんと呼べる存在も身近にいなかったし。
だから何かを供えるという行為をした事もないし法事とも無縁の生活をしてたよ。

家が金田一耕助シリーズに出てくるような旧家だった、とか先祖代々住んできた家だったとか、そういう家庭に育った人ならばお供えくらいは日常的にしたことあるだろう。
宗教がもっとぐっと身近にある海外ではそんな罰当たりな子供はいなくて、誰でも先祖や神を敬う機会くらいはあるのだろう。

さて、最後に紹介する情熱パフォーマンスはこれだ。
ドイツ産ニュー・ウェイブであるノイエ・ドイッチェ・ヴェレの中でもパイオニア的存在であるのも関わらず、かなりイビツなバンドゆえに、メインストリームからやや外れてしまった感があるのがこのWirtschaftswunderだ。
読めん!編」 でも書いた通りなかなか読めんバンド名だが、ヴィルツシャフツヴンダーとROCKHURRAHは呼んでいたな。
日本語に訳せば「第二次大戦後の(ドイツの)急速な経済復興の奇跡」という意味らしいが、これがひとつの単語だと言うのが驚くべきドイツ語。

ヴィルツシャフツヴンダーはイタリア人とカナダ人とチェコスロバキア人とドイツ人による国際色豊かな4人組として1980年にデビューした。
ちょうど盛り上がっていたノイエ・ドイッチェ・ヴェレのブームに乗って人気バンドとなった・・・というわけにはいかなくて、大半のノイエ・ドイッチェ・ヴェレのバンドと同様、日本では一部の好事家以外には無視されるようなバンドだった。
ヴォーカルはいかにもイタリー系のマフィア顔だし、他のメンバーも誇れるような容姿をしてないというのに、古臭いポートレート風の顔写真ジャケットで買うのが恥ずかしかったり、1stシングルに至ってはひどいとしか言いようがないジャケットだったり、とにかくヴィジュアル戦略がまるでなってなかったな。

音楽の方はいかにもニュー・ウェイブ初期の実験的なもので、かなり奇抜で妙な躍動感と高揚感に溢れたすんごいもの。
これに比べると奇抜と言われてるらしい最初のスクリーマーズなんてかわいいものよ。
聴く人を選ぶがヘンなのを探していて見つけたならフェイバリットと叫ぶ人もいたはず。ニュー・ウェイブの盛んだった時代に多くの人に知られなかったのが残念なバンドだったよ。

このスタジオ・ライブのような映像もすごい迫力でROCKHURRAHの大好きなもの。
「Tapetto Magico」は1982年の2ndアルバムに収録されていた曲。
PILの「Flowers Of Romance」を思わせる中東風なのかアフリカのどこかの民族調なのかわからないが、とにかく名曲。

ヴォーカルも変だが左側のクラリネット男(キーボードもラッパもこなすマルチ・ミュージシャン)のテンションがすごい。どこかの部族で、獲ってきた獲物を神に捧げるかのような力のこもったアクション。顔もモロに戦士だよね。
目が釘付けになってやみつきになってしまうよ。どのビデオ見てもおっちょこちょいそうな小太りギタリストも本当にいい味出してるよ。素晴らしい。

以上、久しぶりのROCKHURRAHがお送りした80年代満載の記事、相変わらずのワンパターンで飽きられてしまうだろうか。
それではまた、ナ スフレダノウ(チェコ語で「さようなら」)。

対峙する眼/2021年宇宙の旅 鑑賞

20210307 09【岡本太郎記念館の入り口を撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

3月6日は我らが鳥飼否宇先生のお誕生日!
鳥飼先生、おめでとうございます!
SNAKEPIPEも先日、誕生日を迎えましたよ。(笑)

月に一度は、長年来の友人Mと約束をして、何かしらの展覧会を一緒に回っている。
今回はどこに行こうかと相談したところ、
岡本太郎記念館に行きたい」
という提案があった。
岡本太郎の展覧会といえば、2011年に東京国立近代美術館で開催された「生誕100年 岡本太郎展」で感動したことを思い出す。
今から10年も前のことだったとは、月日が経つのは早いものよ。
青山にある記念館のカフェに行ったことはあるけれど、内部は初体験なんだよね!
せっかくなので、表参道のジャイルギャラリーも観ることにする。

夕方からは雨になるけれど、気温は高いという予報の日、ジャイル前で待ち合わせる。
気温が高いは嘘でしょ、というくらいの寒さ。
友人Mも服装を失敗した、と嘆いている。
建物に入れば寒さがしのげるよ、とジャイルに入ろうとすると
「OPEN 11:00」
の看板が出ていて、ドアが閉ざされている。
10時からのオープンだとばかり思っていたのに、勘違いだったか?
岡本太郎記念館を先に鑑賞することに決め、少し早足で歩いて向かうことに。
こちらは10時開館だったからね!

岡本太郎の伝記ドラマ「TAROの塔」を見ているSNAKEPIPEは、アトリエの様子などをある程度は知っていた。
実際に岡本太郎が活動していた場所に足を踏み入れることができるなんて、嬉しい限り!
ドアを開けるとチケット売り場があり、その後方にはグッズが並んでいる。
靴を脱いでスリッパに履き替え、入館する。
そうだよね、ここは岡本太郎の家なんだもんね。

2階の会場へ階段で上る。
まず目に飛び込んできたのは、「太陽の塔」の縮小版彫刻。
そして少し照明を落とした会場に並んでいたのは、「対峙する眼」という展覧会名通り「眼」をモチーフにした作品群だった。
載せた画像は「顔の花」。
まるでメラメラと燃える炎のように見えるけど、花だったんだね。
どの作品も勢いがあって、一目で「岡本太郎だ」と分かるインパクトの強さだよ。

会場の中央に置かれていた作品「愛」。
とても抽象的だけれど、男性(左)と女性(右)だと分かるね。
岡本太郎の顔がない作品をあまり見たことがないような?
それでも特徴的な曲線で、やっぱり岡本太郎だなと気付く。
エネルギッシュな作品が多い中、この「愛」という作品には穏やかな眼差しを感じたSNAKEPIPE。
静と動でいうと、静なんだよね。
岡本太郎の別の側面を見た気がしたよ。

かわいい立体作品群に目が釘付け!
「ひゃーかわいい!」
友人Mと叫んでしまう。
ユーモラスな表情を見て、思わず笑顔になる。
「午後の日」と題された頬杖をついた右奥の作品は、ミュージアム・ショップでペンダント・ヘッドとして販売されていたんだよね。
本気で購入を考えてしまうほど、気に入ってしまった!
ただしシルバー製なので、お値段約3万円ほど。
もう少しお値打ちだったらなあ!
作品の下に敷かれている布も素敵なんだよね。
スカーフにしたいくらい。

1階に戻り、別の会場に入る。
「ギャッ、びっくりした!」
まさか岡本太郎自身がお出迎えしてくれるとは思っていなかったので、非常に驚いてしまったよ。(笑)
庭に面した明るい部屋には、所狭しと岡本太郎の手によるありとあらゆる物があふれていた。
どれか一つ欲しいと思ってしまうよ。(笑)
こんな部屋で庭を眺めながらお茶を飲んだら、リラックスできるだろうね。

ミュージアム・ショップで散々迷った末、友人Mとお揃いでキー・カバーを購入。
これは「太陽の塔」の顔が裏と表になっているタイプで、とてもかわいい!
玄関の出入りの度にご対面できるのは嬉しいね。(笑)
最後に庭を散策してみる。
大きなバナナの木に負けないくらいの存在感を示す彫刻が、あちらこちらに点在している。
植物の影に隠れているのを見つけるのが楽しい!(笑)
ここにもいるよ、などと声を掛け合いながら作品を鑑賞する。
作品数はそんなに多くなかったけれど、建物内部に入っただけでも貴重な体験だったよ。
今度はまたカフェでお茶も良いな!

ランチ後、再び表参道ジャイルに戻る。
友人Mと約束すると、長い時間歩くことが多いんだよね。
デスクワークのSNAKEPIPEには、良い運動かも。(笑)
今回のジャイルギャラリーは「2021年宇宙の旅 モノリス_ウイルスとしての記憶、そしてニュー・ダーク・エイジの彼方へ」という非常に長いタイトルの展覧会を開催中。
企画はリンチアン(デヴィッド・リンチ愛好家)の飯田高誉さんなので、期待してしまうよ!

タイトルを見て分かる通り、今回の展覧会はキューブリック監督の「2001年宇宙の旅(原題:2001: A Space Odyssey 1968年)」を意識した展覧会なんだよね。
入り口入ってすぐの左手には、ドーンとモノリスが!
もし触ったら、何か変化が起きたのかも?(笑)
展覧会のサイトには、飯田高誉さんが難解な文章で、展覧会の趣旨について説明しているよ。
「人類の膨大な記憶を蓄えた装置」がモノリスだって。
つまりアカシックレコードってことなのかな。

続いてはアニッシュ・カプーア の「Syphone Mirror Kuro」。
このアーティストについては、2008年の「ターナー賞の歩み展」で、感想を書いているSNAKEPIPE。
作品の前に立った時、吸い込まれそうな不思議な感覚になったんだよね!
そして鳥飼否宇先生の「中空」について感想を書いた時、その作品の画像を載せたことがあったっけ。
今回は日本の漆を使った作品だったんだよね。
以前鑑賞した時とは違って、漆の光沢のせいで自分や後方の景色が映ってしまい、幻惑させられることがなかった。
「ターナー賞」の時みたいな感覚に陥らなかったのが、非常に残念だよ!

森万里子の作品「トランスサークル」は、淡い光の色合いがとても美しかった。
時間の経過で色が変化していく。
たまに全く光を発してないこともあるので、写真を撮るタイミングに注意が必要だよ!
縄文と太陽系惑星群の運行や輪廻転生などの説明がされている作品だけれど、そうしたことを理解しなくても、印象に残る作品だね。
森万里子はあの森ビル創設者を祖父に持つ、森一族のお嬢様なので、その出自が羨ましいと友人Mと話す。
お金には全く苦労しないアーティストだろうと想像できるからね!

2019年12月の「未来と芸術展」で印象的だったのは、火星に移住するためのシミュレーション動画だった。
中でも3Dプリンターを使って、住居を組み立てるシーンは、観ているだけでワクワクしてしまったSNAKEPIPE。
3Dプリンターが欲しくなっちゃたもんね。(笑)
ネリ・オックスマンの作品「流離う者たち」も、地球以外の惑星で生活するための人工臓器を3Dプリンターで作成するシミュレーション動画だった。
なんでも作れちゃうんだね!
そしてこのネリ・オックスマンという方の経歴がすごい。
イスラエル出身の女性で、ヘブライ大学医学部、イスラエル工科大学建築学科、英国建築協会付属建築学校、マサチューセッツ工科大学で博士号取得、同大学で准教授として勤務、現在はメディアラボで研究を続けながらアーティスト活動をしているというスーパー・ウーマン!
医学と建築とアートを結びつけることができるんだもんね。
違う作品も観てみたいよ。

プロトエイリアン・プロジェクトの「FORMATA」という作品。
エイリアンを作ってみよう、という企画なんだって。
地球外生命体と聞くと、UFOに乗った宇宙人を作るのかと想像してしまうけれど、それは違うんだよね。(当たり前か)
水や酸素がない実験装置の中で、液状物質の状態変化の観察と考察がテーマらしい。
こうした試みをアートとして発表するのが最近の流行なのかな?
2020年7月に鑑賞した「ヒストポリス」も、飯田高誉さん監修で、似た雰囲気の展覧会だったもんね。
今回もやや観念的な展覧会だったけれど、鑑賞できて良かったと思う。
次はどんな企画なのか、楽しみだよ!