80年代世界一周 西班牙編

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【80年代に戻ってこのムーブメントを体験したかった】

ROCKHURRAH WROTE:

夏が苦手なROCKHURRAHとSNAKEPIPEは毎年のように「今年の暑さは異常」などと決まり文句を言ってるけど、先週は特にひどかった。ピークは過ぎたと言うものの本当に毎日危険なくらいの暑さで早くもウンザリしてるよ。これがまだ一ヶ月以上も続くかと思うと気が遠くなるな。

ウチのエアコンは何かに祟られていたのか?全く涼しくならない、下から水がボタ漏れ、慌てて拭こうとしてROCKHURRAHが指を大怪我、交換したにも関わらずボタ漏れが全く解消しない・・・などという苦難が続いて数年の間に三回も取り替えたといういわくつきのものだが、それ以降は快調でとても効きがいい。
前の効かないまんまじゃ今年の夏は乗り切れなかったろうな。

さて、そんな猛暑の中、また尻切れトンボになりそうな新企画を考えてみた。
題して「80年代世界一周」ってのはどうだ?
小学生の頃にジュール・ヴェルヌ作品をいくつか読んだ記憶はあるが、タイトルは知ってても内容は覚えてないくらいだから、個人的にあまり感銘を受けなかったのかもね。子供の頃から王道嫌いだったもんな。
でもタイトルだけはしっかりパクってみた。

書こうとしてる事はROCKHURRAHの場合ほぼ不変で、要するに(主に)英米以外のパンクや80年代ニュー・ウェイブを国ごとのくくりで取り上げてみようというもの。ROCKHURRAHがやってる他の企画と構成はほとんど一緒だな。
おそらく2、3回書いたら飽きてまた書かなくなりそうだと予感してるけど、企画倒れでもいいから思いついたら一応実行してみるよ。ちなみにROCKHURRAHの似たシリーズ企画で「ロックンロール世界紀行」というのもあるんだけど、これも一年以上も記事を書いてないなあ。

記念すべき最初の回はどの国にしようかな?と考えてみたけど、やっぱり何年もウチの中でブームが続いてるスペインにしよう。西班牙と書いてスペインというのはこの記事でも書いたね。
80年代ニュー・ウェイブを数多く聴いて英米以外のレコードも見つけては買い漁っていたROCKHURRAHだが、なぜかスペイン物にはほとんど目もくれず無視していた。
たぶんその頃聴いてた暗い音楽とスペインの情熱的なお国柄が全然マッチしてないと思い込んでて、勝手に敬遠してたんだろうね。
そういうわけでスペイン物についてはほとんど知識もないまま進めてみるという無謀な今回の芸当、かなり無理がありそうだよ。
あと、外人の名前やバンド名をカタカナ表記する事が多いROCKHURRAHだが「読めん!」という場合が多数なので、 このシリーズ企画ではそのまんま書くことにするよ。調べるほどの時間がなかったのじゃ。

まずはちょっと前にSNAKEPIPEが記事を書いたペドロ・アルモドバル監督のデビュー作「ペピ、ルシ、ボンとその他大勢の娘たち」、この映画でボン役として脚光を浴びたアラスカ。
スペインのパンクやニュー・ウェイブについてほとんどわかってないROCKHURRAHにとっては数少ない知った顔(ごく最近知ったばかりだが)がアラスカなのだ。
スペインではなくメキシコ生まれだとの事だが芸名アラスカとはこれいかに?
活動してたのはマドリードなのでスペインのバンドでいいよね。

映画の中ではパンク・バンドのぽっちゃりパンク娘という役で実際に歌うシーンもあったけど、本人も70年代後半、何と14歳の頃からからKaka De Luxe、Alaska y los Pegamoides、Alaska y Dinaramaなど色々なバンドで活動していた模様。

「Horror en el Hipermercado(ハイパーマーケットの恐怖:by Google翻訳)」は1980年に出たAlaska y los Pegamoidesのデビュー曲でいかにもスペイン産B級パンクといった路線。スーパーマーケットを舞台にしたコミカルでキッチュなビデオもいいね。マルジャン・サトラピ監督の「ハッピーボイス・キラー」を連想してしまったよ。
バンド名をGoogle翻訳してみると「アラスカとペガモイデス」で訳すまでもなかった。
で、ペガモイデスって何よ?と思って調べてみたらもうひとりの女性メンバーAna Curraの別名(?)がAna Pegamoideだという事。この人も歌うし色々な楽器もこなす、スペイン・パンク界のスターなんだね。

スペインと言えば悪名高いフランコによる独裁政権が1975年まで続いて色々な弾圧がまかり通っていた時代があった。
それがフランコの死によって民主化へと移行してやっと自由な時代になったんだけど、この頃の反体制的な若者文化をラ・モヴィダ(La Movida Madrileña)と称するらしい。
見てきたわけでないから知った風な書き方はしないが、ニュー・ウェイブとかノイエ・ドイッチェ・ヴェレとかのスペイン版みたいな感じだったのかね?こういう動きの中心的な存在だったのがペドロ・アルモドバル監督やこのアラスカだったらしい。

ラ・モヴィダによってスペインの音楽は劇的に変化して、まあ要するに英米のパンクやニュー・ウェイブ、それらに影響を受けたスペイン産のバンドたちが一気に浸透していったという事だね。
面白いのはスペインの場合、マドリード市長自らこのムーブメントを推進していたというところ。「イマドキの若者は・・・」などと年寄り連中の反発もあっただろうに、若者文化に迎合してたというわけだね。さすが軽薄を恐れない国、スペインらしいね。

そういう自由な雰囲気の中で生まれたスペインのニュー・ウェイブだけど、元々ロックの土壌があまりない国なのでちょっとイビツな発達をしたような印象がある。
アラスカはこのAlaska y los Pegamoidesでは初期はチープなパンク路線(1980年、上の映像)なんだが、もう少し後のAlaska Y Dinarama時代になるとスージー・スーやニナ・ハーゲン、プラズマティックスのウェンディ・O・ウイリアムズを足したようなアグレッシブな見た目になる。がしかしその派手なルックスとは裏腹に音楽はどんどん普通のポップになってゆき、この辺が非常に残念な感じがするよ。 

1986年のこの曲なんて見た目といかにもメジャー路線の音楽のギャップが激しすぎる。
プラズマティックスはチェーンソー持ってギターの解体ショーやって喝采を浴びたけど、似たようなもの持ってるだけで曲もパフォーマンスも中庸なもの。アラスカよりも後ろの変な動きのダンサーの方に目が釘付けになるよ。見た目だけの過激さじゃいかんな。

そのAlaska y los PegamoidesのメンバーだったEduardo BenaventeやAna CurraによるバンドがParálisis Permanenteだ。例によってバンド名をGoogle翻訳してみたら「永久麻痺」との答えが。うーん、絶対なりたくない状態だな。
このバンドも基本はパンクなんだけどAlaska y los Pegamoidesよりはもう少し重厚な部分もあっていわゆるポジティブ・パンク、ゴシック的な音楽性を併せ持っていたように感じたよ。
Alaska y los Pegamoidesの方はヘタの横好きでギターをやりたがるアラスカ(勝手な想像)のせいでバンド全体のポテンシャルが低めだったからね。
アラスカ抜きのこっちは演奏力が上がったのかどうかは不明だけど、見た目も曲も雰囲気も好きな感じのバンドだ。曲によってはバウハウスっぽかったりラモーンズをマイナー調でやったみたいな路線だったり、日本ではほとんど同時代には紹介されなかったバンドなんだろうけど、プロモーションやライブ映像も思ったよりは残ってて本国では人気あったんだろうかね?

「Adictos de la Lujuria(欲望の中毒者:by Google翻訳)」は1982年にリリースされた彼らの唯一のアルバムに収録されていた曲。
ジョイ・ディヴィジョンやバウハウス、スージー&ザ・バンシーズ、UKディケイなどまだポジパンやゴシックなどと言われる前の時代に活躍したパイオニア達の影響を感じて、様式としてまだ完成されてない部分が逆に魅力だとROCKHURRAHは感じたよ。それらほどの迫力は全くないけどね。
個人的にスペインのニュー・ウェイブはスルーしてしまったが、もし同時代に知ってたならこの手のバンドは間違いなく追いかけていただろう。当時に知らなくて残念。

それにしてもこのビデオ、ドラムは「そこまでするか?」というくらい足を投げ出してやる気なさ満開、やる気なさすぎて逆にこの姿勢の方がきついだろうに、と思えるよ。
ベースやキーボードはいかにも80年代のバンドといったヴィジュアルでいいね。
少年っぽいヴォーカルのEduardo Benavente、彼の軟弱な声や見た目も絶妙なバランスでキャラクターの魅力も際立っている。
スペインのニュー・ウェイブは意外とレベルが高いという事がわかったよ。ROCKHURRAHが今この時代にこの年齢になってわかっても「もう遅い」としか言いようがないけど。
残念なことにこのEduardo Benavente、これからという1983年に交通事故で他界してしまったらしい。わずか20歳という若さだった。だからこのバンドもたった1〜2年くらいしか活動してない伝説のバンドだけど、一緒に事故に遭った他のメンバーは無事で、その後も違うバンドで音楽活動を続けているところが偉い。それが一番の供養だよ。

スペインのニュー・ウェイブはあまり知らないから軽く書くつもりだったのに、いつの間にか色々調べたりしてしまったよ。これ以降は初心に戻って短く書くことにする。
Radio Futuraもラ・モヴィダの流れで早くから知られたバンドだったらしいが上に書いたAlaska y los PegamoidesやParálisis Permanenteに比べたら見た目の素人っぽさが際立っていて、これを最初に見てたらやっぱりスペインのニュー・ウェイブは英米に比べてかなり遅れてると思ったかも知れないな。
ただしどうしようもない三流バンドにも常に注目していたROCKHURRAH、逆にこのダサさ加減も評価してしまうよ。
1980年に出た初期のシングル「Enamorado De La Moda Juvenil (青春のファッションで:by Google翻訳)」はこの年のヒット曲らしいけどいかにもラテン系パワーポップみたいな雰囲気。前のメンバー4人は学生バンドみたいなのに右後ろのキーボードだけちょっと髪が薄い年長者に見えるけど、この人のダンス・パフォーマンスのハイテンション具合がすごい。あまり目立たない後ろだからやりたい放題やってて、目が釘付けになってしまうよ。

キーボードがハジけてると言えばこの2人も本人たちは大マジメなんだろうけど、妙に気になる。
スペインのクラフトワークかYMOか?というようなシンセポップのAzul y Negroだ。Google翻訳してみると「青と黒」らしい。うーん、それくらい翻訳しなくてもわかるか?

ハビエル・カマラみたいなヒゲおやじ(通称:黒)は何が嬉しいのかわからないが始終にこやかにしてて、妙なノリノリ具合が古臭い楽曲とマッチしているね。そもそも何でニュー・ウェイブやってるの?と訊きたくなる見た目とファッションに目を奪われる。エレクトーン教室の先生とかの方が似合うんでないの?
キメキメのインカム男(通称:青)の方はこれまた80年代にはよくいたタイプだが、イギリスのこの手のバンドに比べると著しくクールさに欠けていて、それがスペインらしさという事かな?

歌うのは1983年に出た「No Tengo Tiempo(私には時間がない:by Google翻訳)」 なんだけどTVでは放映出来ないような空耳に聴こえてウチでは結構前から注目していたよ。

これは見た目と音楽性で一目瞭然、非常にわかりやすいけどスペイン版DEVOを狙ったに違いないAviador Droというマドリードのバンド。他のビデオだと初期レジデンツ風のかぶりものしてたり、これほど堂々と二番煎じの安直さに満ち溢れたバンドは世界にもそうそういないと思えるが、これでいいのか?

ところでAviador Droって何じゃろ?Google翻訳してみると「ドロフライヤー」などという意味不明の回答が出てきた。それが一体何なのか非常に気になる名称だな。

3つ前からのRadio Futura、 Azul y Negro、そしてこのAviador Droに共通して言えるのはメンバー内にパンクやニュー・ウェイブに関係なさそうなルックスの男が含まれてるどころか、実はその人こそがバンドの中心人物らしいという不思議な現象。ラ・モヴィダという流行りに便乗して全然違った事をしていた者までその手の音楽を始めたという事なのか?

スペインという国にはダークなバンドはあまりないとこちらが勝手に思っていたけど、こんなバンドもあったよ。Décima VíctimaはGoogle翻訳によると「10番目の被害者」となったが一体何の事か?
ミステリーの世界で10人もの殺人事件が起きてなおかつ犯人がまだ見つかっていないとしたら相当な大長編かよほどのボンクラ探偵か、と思うけどどうなんだろうか?犯罪阻止率が異常に低いと思われる名探偵、金田一耕助の「八つ墓村」でも10人までは殺されてなかったような気がしたが・・・。

「Detras De La Mirada (見た目の裏側:by Google翻訳)」は1982年に出たシングルで、声質といい音楽性といいジョイ・ディヴィジョンの影響を強く感じるが、ヴォーカルがかなりおっさんくさいところがとにかく残念。会社経営者が音楽の心得ある部下を無理やりバックバンドにさせたというような構図を想像してしまうよ。
ヴォーカル一人だけ座ってるし、無理やり従ってる気持ちがこの暗い曲調に表れてるのかな?(勝手に想像してるだけなので信用しないように)

どうせ知らないから好き勝手書こうとしたが、スペインの80年代がこんなにニュー・ウェイブが盛んだとは思わなかった。まだまだたくさんのバンドがいたんだけど、そろそろお時間となりましたので今日はここまで。

それではノス・べモス(スペイン語で「じゃあ、またね」)!

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