映画の殿 第02号 オフィスキラー

【普通では、なかなか撮れない記念写真】

SNAKEPIPE WROTE:

新作映画でもカルト映画でもない、観た映画を自らの好きな視点からブログにしていこうという企画の「映画の殿」。
今まで鑑賞した映画はかなりの数になっているのにも関わらず、ほとんど記事にしてこなかったからねえ。
こんな企画を考えてくれてありがとう、ROCKHURRAH!(笑)
残念ながら、SNAKEPIPEは「映画の殿」の元ネタである「映画の友」については、全く知らないんだよね。
ま、いいか。(笑)
第2号はSNAKEPIPEが担当させて頂きましょー!

ROCKHURRAHとSNAKEPIPEがDVDをレンタルするのは、皆様お馴染みのTSUTAYAである。
急に場所が変わっていたりして商品が探しにくいという難点はあるけれど、ある程度の映画は借りることができるので、度々利用している。
TSUTAYAでは埋もれた名作を「発掘良品」としてDVD化する試みがあり、毎回興味深くチェックしている。
何故だか毎回多くの人がリクエストしているにも関わらず、復刻されないのがジョン・ウォーターズ監督の「シリアル・ママ」!
SNAKEPIPEも大好きな作品なので、是非復刻して頂きたいと思っているのに、何故か毎回見送り。
版権の問題なのか、倫理規定やR指定系の線引きのせいなのか疑問だけど、もっと過激な作品はたくさんあるだろうに。
例えば、写真家シンディ・シャーマンが初監督した作品「オフィスキラー」とかね?

「オフィスキラー」(原題:OFFICE KILLER 1997年)は当然のように、「あのシンディ・シャーマンが初監督!」という情報を知った時から楽しみにしていた作品である。
2010年に書いた「SNAKEPIPE MUSEUM #4 Cindy Sherman」にもあるように、1996年にはシンディ・シャーマン写真展を観てるしね!
そして実はワクワクしながら観たのにも関わらず「イマイチ!」と思ってしまったSNAKEPIPE。
当時仲良くしていた友達連中も同じ感想だったな。
そのため「シンディ・シャーマンが監督した映画あったよね」程度の記憶しか残らなかった「オフィスキラー」。
16年の時を経て、急に思い立ち再び鑑賞してみたのである。

では、「オフィスキラー」のあらすじに、SNAKEPIPEの感想を交えながら書き進めていこう。
※鑑賞していない方はネタバレしてますので、ご注意下さい。

主人公は出版社で校正の仕事に就いているドリーン(写真)。
勤めて16年と答えていたので、推定年齢は40歳手前くらいというところか。
メガネをかけ、体の線を出さない落ち着いた色合いの服装で、かなり地味な印象である。
そのドリーンは、半身不随のため介護が必要な母親と二人暮らし。
食事の時以外、2階で横になっている母親は、用事がある度に耳障りなブザーでドリーンを呼び付ける。
母親は多少耳が遠くなっているようで、大声で話しかけないと聞こえないようだ。
ここ、大きなポイントね!(笑)

性格は真面目で仕事も正確にこなすドリーンだけれど、社内ではほとんど誰とも喋らず、友達と呼べるような存在も見当たらない。
「何を考えているのかわからない不気味な人」
というのが、社内での評判。
自分に自信がないせいか、いつでもおどおどしているため、気が短い人には余計に嫌われる要因になっているようだ。

ある時、ドリーンの勤めている会社では、業績不振のために大多数の社員をパート扱いにして、自宅にて勤務することが発表される。
大幅な人員削減、いわゆるリストラだよね。
社内に残るのは優秀な社員のみ。
当然のようにドリーンもリストラ組、自宅勤務になる通告を受けるのである。

ドリーンが自宅勤務になる少し前、社内にて残業をしている時にパソコンから異常音がする。
あいにく、夜の社内には人が残っていない。
唯一残っていた上司(写真右)に調査を依頼したドリーンは、全くの偶然で電源を検査していた上司を感電死させてしまう。
これは本当に事故だった。
驚いたドリーンは慌てて911(救急車手配)に電話をするけれど…。
「あなたはとても私に対して意地悪だったわね」
と感電死した上司を見下ろしながら呟き、救急用の電話を切るのである。

そしてドリーンはどうしたのか?
なんと、上司の死体を車に詰め込み、自宅の地下室に運び込むのだ。
そして何事もなかったかのように翌日も出勤するのである。
締め切りに追われていたはずの男が、無断欠勤しているので社内は大騒ぎ。
とにかくなんとしてでも締め切りに間に合わせるために、原稿をでっちあげてでも作り上げるのよ!と女社長から命令されたドリーンは、再び残業することになる。
雷の鳴る、人気のない夜の時間。
今度は女社長を殺害!
恐らく自宅勤務になり、差別を受けていながらも、残務処理には良いように使われていることへの恨みのせいだと推測する。
今までじっと耐えていたためなのか、行動し始めたら堰を切ったように次々と殺しに手を染めていくドリーン。

一体自宅に運び込んだ死体はどうなっているのか、というと…。
それが冒頭の「映画の殿」のカバー写真である。
あれは2体の死体に囲まれた写真なんだよね!
「いやだわ、マイケルズさんったらそんなこと言って」
などと、クスクス笑いながら死体と会話し、その状況を楽しむドリーン。
ドリーンはいつの間にかサイコ・キラーになってしまった。
すでにどこかのネジは緩んでいるみたい。
前述したように、母親は一人では動けないし、耳も遠いためドリーンの奇行に全く気付いていないのだ。

ここからドリーンの暴走は加速する。
そんなに手をかけてしまったら、会社に人がいなくなるんじゃないかと心配になるほど殺しまくるのである。
その代わり、殺風景だった地下室は賑やかになっていた。
「会社に出社できないなら、地下室を会社にしちゃえばいいんだ」
とでも思ったのだろうか。
電話をさせたり、メモを取らせたりして、まるでお人形遊びをしているように、死体で遊ぶのである。

死体で遊ぶ、と行為で思い出すのが坂口安吾原作の「桜の森の満開の下」である。
1975年、篠田正浩監督により映画化された作品であり、主演は監督の奥方である岩下志麻
そして山賊役が若山富三郎という豪華キャスト!
岩下志麻の美しさったら、それはそれは、びっくりしちゃうほどなんだよね。(笑)
「日本のカトリーヌ・ドヌーヴ」と勝手に呼ばせて頂き、昔から大ファンのSNAKEPIPE。
この映画は岩下志麻の妖艶な魅力が堪能できる作品なのである。
写真では小さくて判りにくいと思うけれど、このシーンは、まさに岩下志麻が首遊びをしているところ。
実際に人間の首を使って、人形遊びをする。
山賊である若山富三郎に「美男の僧侶の首が欲しい」、などと命じて首を持って来させるこわーい女性なのである。
やっぱりドリーンと同じように、どこかが麻痺しているみたいで、首を死体とは思っていない様子。
ドリーンにしても、岩下志麻演じる女にしても、鈍感になっているのは鼻だよね。
あそこまで死体がいっぱいあったら、臭いに耐えられないように思うけど?
「桜の森の満開の下」は、とてもシュールで映像の美しい作品だった。
この映画もお薦めだよ!(笑)

次々と殺人に手を染めていく女性という点では、前述した「シリアル・ママ」の雰囲気に近いよね。
「シリアル・ママ」の殺人動機は、
「レンタルビデオを巻き戻さず返す」
「労働感謝の日を過ぎたのに、白い靴を履いている」
などという非常に些細なルールを守らないこと。
怒りを覚えた普通の主婦が、制裁を加える話なのである。
ジョン・ウォーターズらしいブラック・ユーモア満載の「シリアル・ママ」には、大笑いしちゃうシーンがいっぱいあるんだよね。
裁判で自らを弁護し、無罪を勝ち取るシーンは見事だった!
そしてあの大股開きは最高だったよね。(笑)

「オフィスキラー」には、そんな笑いの要素はほとんどない。
死体はリアルな演出がされていて、かなりグロいし、死体をパーツにして遊ぶエグいシーンもある。
「もっと訳の分からないアート作品だと思ったのに、ホラーで面白い!」
とROCKHURRAHが感想をもらしたように、ホラー好きをも唸らせる出来栄え。
ヒッチコック監督「サイコ」へのオマージュと思えるシーンもあったね。(笑)
社内では鈍臭い女と思われていたドリーンが、非常に素早い動きで包丁を使うのは驚きだった。

最後にドリーンは「楽しい自分だけのオフィス」を焼き払ってしまう。
証拠隠滅の意味と、遊びに飽きたことの両方だったのかもしれない。
そしてドリーンは変装して、求人情報を頼りに次の仕事探しに向う。
変装はシンディ・シャーマンの得意分野だもんね!
別人になったドリーンは、シンディ・シャーマン本人なんじゃないかと思うような出で立ちになっていたよ。(笑)
日本で起きた実際の事件でも、変装して何年間も逃亡生活を続けていた女性が、髪型や化粧で別人に見せることができる証明をしてくれたよね。
女は化けるなー!騙されそうで怖いなー!
あ、SNAKEPIPEも性別、女だったんだ。(笑)

もう一つ気付いたこと。
やっぱりこの映画はシンディ・シャーマンらしいな、ということ。
シンディ・シャーマンは映画のスチール写真のような、擬似映画の中の登場人物に自らが成り切って作品にしたシリーズが有名だよね。
「オフィスキラー」の場面を切り取ってみると、それらはまるっきりシンディ・シャーマンの写真なんだよね。
モノクロームにして、作品っぽく加工してみたよ!




映画の中でのメールに関する問題や、警察が全く関与していないことなどは、この際突っ込まないことにしようね。(笑)
16年前には「イマイチ!」と感じたSNAKEPIPEだったけれど、今回改めて鑑賞して思ったのは
「ものすごく怖い映画!」
ということ。
きっとそれは、「本当に起こりそう」だと感じたからだと思う。
16年前には荒唐無稽で「そんなことあるわけない」と思ったのだろう。
ところが現在では「こんな人、いるかもしれない」に変化したんだろうね。
「人間」ということにこだわり、自身の作品を制作していたシンディ・シャーマンだからこそ、将来を予見してこの映画を撮ったのかもしれないね。
ここで教訓!
「大人しそうにみえる人こそ、本当はアブナイ!」

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