SNAKEPIPE MUSEUM #42 Wael Shawky

【NYのMOMAで2015年に開催された個展の映像。人形の動きがすごい!】

SNAKEPIPE WROTE:

「SNAKEPIPE MUSEUM」は、SNAKEPIPEがアート作品をコレクションしているという仮想美術館である。
英語にするとバーチャル・ミュージアム、略すとバチャミか。
別に略さなくていいか。(笑)
今までかなりのアート作品を収集してきて、様々な国のアーティストを紹介してきたと思うけれど、この国はお初だね。
今回紹介するのはエジプトのアーティストだから!
エジプトというと、真っ先に思い出すのはピラミッドやツタンカーメン、ミイラなどの古代エジプト文明だよね。
古代エジプトについてもそこまで詳しくないけれど、現代のエジプトについてはもっと知らないなあ。

たまたま目にした画像は、今まで観たことがないタイプの人形だった。
キャプションに書かれているのはEgyptian Artist Wael Shawky。
エジプトのアーティスト?
ワエル・シャウキーと読んでいいのかな。

分かる範囲でシャウキーの経歴をまとめてみよう。
1971年エジプト、アレクサンドリア生まれ。
2000年にアメリカのペンシルバニア大学でMFA(修士号)取得。
映像の中でインタビューに答えるシャウキーが、とても流暢な英語を喋っている理由が分かったね。
恐らく20代前半からアメリカに留学してたことになるもんね。
その後エジプトにあるアレクサンドリア大学でBFAを完了しているというから、30代を越えても学生でいたってことかな? 
これは単なるSNAKEPIPEの推測だけど、エジプトのお金持ちというと、桁外れの大金持ちじゃないかと思うんだよね。
きっとシャウキーはお金持ちのボンボンに違いないよ。(笑)
2004年にはアメリカ・センター財団助成金も授与され、2005年以降は数々の賞をもらっているみたい。
世界中で作品を展示する機会にも恵まれているようだね。
そして冒頭に載せたように、2015年にはニューヨークのMOMAで個展を開催している。
2017年の横浜トリエンナーレにも出品予定という情報もあったので、まさに国際的に活躍している新進気鋭のアーティストなんだね!

シャウキーの作品はパペットの制作と、そのパペットを使った映像になるみたいね。
パペットと書いたけど、いわゆる操り人形のこと。
ガラスや粘土を素材にした人形なんだけど、かなり不気味な印象。
人の顔になっていないように見えるものもあるし。
どうやら設定を十字軍の遠征の時代にしているとのことなので、第1回十字軍の1095年から第9回十字軍の1272年までの間ということかな。
そのため人形の服装や装備が、当時のものを模しているんだね。
うーむ、十字軍なんて世界史の授業で聞いたことがあるくらいで、あまり詳しく分からないなあ。

Wikipediaで調べてみると

十字軍とは、中世に西ヨーロッパのキリスト教、主にカトリック教会の諸国が、聖地エルサレムをイスラム教諸国から奪還することを目的に派遣した遠征軍のことである

とのこと。
結局のところ宗教絡みのお話だったんだね。
シャウキーの映像は、その十字軍の戦いを描いているらしいんだよね。
だから右の画像の字幕が「神からのお告げを賜った」なんだね。
宗教について詳しくないSNAKEPIPEが語ることは難しいなあ。
しかも映像を観てないし!(笑)
意味について理解しなくても、人形を使ったアートという見方で良いんじゃないかな?
もちろん理解するほうが良いんだろうけど…。

人形劇というと、日本では例えば辻村ジュサブローの「新八犬伝」を思い出すけど、あの人形は顔が固定で目や口が動くわけじゃないんだよね。
目や口が動く人形といえば、やっぱり「サンダーバード」か!
操り人形だし、シャウキーと全く同じ条件だよね。
シャウキーの人形も負けないくらい良い出来で、動いている人形の表情の豊かさは見事!
「教えてくれ!真の十字架はいずこに?」
と問いかけているこの男性もさることながら、背景も素晴らしいよね?
どこからどこまでがシャウキーの手によるものなのか不明だけど、この映像は観てみたいなあ。

戦いということで、こういったシーンも登場するんだろうね。
血糊の表現や人形の表情に、残虐さがよく出ていると思う。
バービー人形を使った「SNAKEPIPE MUSEUM #40 Mariel Clayton」や、まるで犯行の戦利品として人体パーツ収集しているような作品を制作した「SNAKEPIPE MUSEUM #30 David Altmejd」などに比べると「常識的な範囲」の殺戮現場になるけどね。

どうやらシャウキーの映像作品は今まで3作作られているみたい。 
・The Horror Show  2010年 
・The Path to Cairo 2013年 
・The Secrets of Karbala  2015年 
3作ともに十字軍の話なのかは不明だけど、左は3作目からの画像のようなので
「我慢なさい、明日こそが裁きの日になるのだから」
と予言めいた字幕がついているところからみても、宗教絡みの話に間違いなさそうだね。
それにしてもこれは人間の顔なんだろうか?(笑)
十字軍や宗教関連の映像、という断片的な情報だけを仕入れて書いているけれど、シャウキーのテーマは何だろう?
実際に鑑賞しないと分からないよね。
観ても分からないかもしれないし。(笑)

冒頭のMOMAの映像の中で、生き生きとした人形たちを観ることができる。
かなり細やかな動きや表情を確認してびっくりしてしまうほど。
エジプトでは古代から彫刻技術が発達していて得意分野だとは知っていたけど、日本の人形浄瑠璃みたいな丁寧なこともできるとは!
映像は起承転結のあるストーリーではないようだけど、動いている人形を観てみたいよね。
横浜トリエンナーレでは映像作品も鑑賞できるのだろうか?
今からとても楽しみだ!(笑) 

俺たちバーニング・メン

【ROCKHURRAH制作、タイトルそのまんまなバーニング映像。】
ROCKHURRAH WROTE:

前に単発で記事を書いたものとまたまた同じような題材にしてしまったので、いっそのこと新しいシリーズ記事にしてみることにした。題して「俺たち○○シリーズ」。

世代的に「俺たちひょうきん族」を模したと思われるかも知れないが、そういうつもりは全然なくて、これはSNAKEPIPEと共に大ファンであるウィル・フェレルの「俺たち〜」シリーズにあやかってるつもりなのだ。
「俺たち〜」シリーズなどとひとまとめにされてはいるが、これは同じ監督で同じシリーズを作ってるわけではなくて、単にウィル・フェレルが出てる映画が(たぶん)配給会社の垣根を越えて「俺たち○○」という邦題になってしまっただけの話。
実際は「俺たちニュースキャスター」以外はまるでシリーズではないけど、知らない人は全部シリーズだと思ってしまうよね。
しかもウィル・フェレルが出てなくても便乗して「俺たち〜」とタイトルがついた関係ないものも多数。「俺たちフィギュア・スケーター」がまさかの大ヒットをしたから、間違って観る人狙いの商法。
イオンのトップバリュ商品が人気のある食品にそっくりのパッケージで作って、敢えて隣に陳列するというやり方みたいなもんだね。

まあそんなわけで、由緒正しくないタイトルにROCKHURRAHも便乗してみたというだけ。それだけで長々と前置きを書いてしまったよ。
で、何をやってるかと言うと実はROCKHURRAHが書く他のシリーズ記事と構成はほぼ一緒・・・。トホホ。
同じような語句をタイトルに入れた曲ばかりを無理やり集めてみただけ、というお手軽記事なのだ。

さて、二回目の今日は何について書こうか?と悩んだ末、タイトルにあるようにバーニングをふと思いついた。日本語に訳すと「燃焼」だと。この言葉も一回目のライオットと同じで、日常的に使っているのはボイラーマンかガス屋、ダイエット中の人くらいかな?ライオットよりは日常的かね?

「バーニング」と聞くと真っ先に思い出すのが同名のホラー映画(1981年)だな。
「ゾンビ」や「13日の金曜日」などで脚光を浴びた特殊メイクのスーパースター、トム・サヴィーニがメイクを担当したので注目して観たが、あらすじ以外は覚えてないほど。
少年たちの悪質ないたずらによって大やけどを負ったキャンプ場の管理人がどデカいハサミを持って復讐してゆくというような話だったな。原因も目的もハッキリした殺人犯なので「何だかわからんから余計怖い」というホラーの醍醐味がまるでない真っ当なシロモノ。
「13日の金曜日」の亜流扱いされたし、ハサミを振りかざした影絵のポスターはチェーンソー振りかざしたレザーフェイス(「悪魔のいけにえ」)のマネとも思える。
よそのタイトルをパクって使ってるROCKHURRAHだから亜流を批判は出来ないけどね。

今回もROCKHURRAH RECORDSのいつもの約束、70年代パンクと80年代ニュー・ウェイブ限定で書いてみよう。

音楽の方でバーニングと言えばクラッシュの「London’s Burning」がやっぱり代表的なものだろうか。
パンクの洗礼を受けた者としては真っ先にこのタイトルが出てくるよ。
こないだのライオット族でも真っ先にクラッシュだったな。
パンク・ファンにはおなじみの曲なのでクラッシュの代表曲のひとつなんだが、実はシングルにはなってないというのが意外。「Remote Control」のB面にライブ・ヴァージョンが入ってるけどね。
イントロのタカタカタッタッターというドラムで誰もが飛び跳ね、高揚する、ロンドン・パンク屈指のキャッチーな名曲ですな。

いやもう、この当時パンクのカッコ良さに目覚めた少年だったら誰でもジョー・ストラマーやジョニー・ロットン、シド・ヴィシャスやミック・ジョーンズ、ポール・シムノンに憧れたに違いない。
中には「ポール・クックこそパンクの代名詞」「やっぱドラムはテリー・チャイムズ(クラッシュの初代ドラマー)でしょう」というような通好みもいるだろうけどね。

ちなみに三大パンク・バンドのもう一つ、ダムドのメンバーについては全く言及してなかったが、デイヴ・ヴァニアンのカッコ良さは充分に理解していても、あのメイクは普段街を歩いてる時にはなかなかマネ出来ないからね。デイヴ・ヴァニアン化して全然違和感がない日本人は元MAD3、ヘル・レイサーのエディ・レジェンドくらいのものだね。
キャプテン・センシブルも通常ルックスならOKだが、上下モコモコの変身後のスタイルはとても無理だもんな。関係ないが山下和美の初期漫画でもキャプテンっぽい登場人物が出てたのを思い出す。

クラッシュはライブ・バンドとして絶大な人気を誇っていたが、ステージ・アクション(決めポーズ)を重視するあまり、コーラスや演奏がおろそかになったりもする。
ギターをジャンジャカ弾いてる時はあまり動けない、などパフォーマンスの弱点もややあったけども、そんなことお構いなしにエネルギーの全てを放出するその熱さが多くのパンク・ファンを沸かせた。
音楽もロックも随分変わったこの現代でも、全然色褪せてないね。さあみんなでバーニング。

クラッシュやセックス・ピストルズによるパンクの衝撃が全世界に広まったので、日本でもこんなバンドが登場した。当時の本当のパンク・ファンは「何じゃこりゃ?」と思ったかも知れないアナーキー。
何のことはない「London’s Burning」の替え歌なんだが、これでも日本の不良社会に一石を投じたのは確かだろう。
彼らがデビューした1980年。ヤンキーなどという言葉もまだ(たぶん)なかったような時代、この頃は暴走族やツッパリというのがどこの街にもウジャウジャいて、弱いヤツをたかったり、弱いヤツや強いヤツとケンカしたり、シンナー吸ったり、道にツバ吐いたり、事故って死んだりしてたもんだ。
そういう旧態依然とした不良スタイルとは別に、パンクな生き方をするという新しい不良のあり方を提示して「これもカッコイイかも」と思わせたのが、この時代に出てきたアナーキーやめんたいロックなどと呼ばれたバンド達かも知れないね。
この辺のバンド達はパンクというにはちょっと・・・という路線ではあるんだけど。

石井聰互の「爆裂都市」を観るとパンクなのかヤンキーなのかよくわからん集団がいっぱい出てくるけど、あれはその当時の地方都市(例えばROCKHURRAHの故郷、北九州とか)の本当にリアルな姿なんだよね。
よほどマジメに育った人以外は友達の半数以上がヤンキー化するというすごい時代だから、バンドの仲間が暴走族というのは珍しいことでもなかった。

実際にはパンクは不良専門の音楽ではないんだろうけど、ロカビリーやテッズとかが出てきた時もまず不良と結びついたという故事があるからね。
おっとまた得意の三流評論調になってしまったなあ。

特攻服の代わりに(旧)国鉄の作業服を着て天皇批判や団地のオバサン批判をストレートに展開するこのバンド、個人的にROCKHURRAHは日本のバンドはほとんど聴かなかったからいいとも悪いとも言えないが、支持する者も多かっただろうな。さあ、東京でもみんなでバーニング。

わけあってこちらのYouTube画面だけ大きさが違うようだが諸般の事情なので気にしないように。
さて、お次のバーニング・メンはこちら、バースデイ・パーティによる「Sonny’s Burning」だ。

元々70年代末にオーストラリアでボーイズ・ネクスト・ドアというバンドをやってた五人組が、そのまんまのメンバーで改名してバースデイ・パーティとなった事は何度もこのブログで書いてるはず。
最初は割とポップな路線でやってたのが、次第に野性味を帯びた暗黒度の高い音楽に変貌していったのも興味深い傾向だった。同じオーストラリアのサイエンティスツもそういう路線変更があったので、オーストラリアという土壌に何かあったのか?これは80年代ニュー・ウェイブ史を研究してる者とすれば恰好のテーマなんだが・・・そんな人はいないか?

オーストラリアのミッシング・リンク、イギリスでは4ADやミュート・レーベルといったあたりからレコードを出していたが、オーストラリアではあまり受けそうな気がしない音楽性だと思うよ。実際はどうだったんだろうね。

このバンドはとにかくルックスがカッコ良くてファンも多かったに違いない。野生児のようなボッサボサの髪の毛を逆立てたニック警部、じゃなかったニック・ケイブ。堕天使か悪魔か?というほどの退廃した美形なのにノイズ界のジミヘンみたいなギターを弾くローランド・ハワード。堕天使の写真がなかったから一部想像でね。ちんぴらヤクザよりはちょっと格上に見えるミック・ハーヴェイ、そしていつもカウボーイ風のトレーシー・ピュウ、各メンバーの個性が際立っていたね。

彼らの得意とする音楽はどこかの部族っぽいビートに耳障りなギター、そしてニック・ケイヴの荒れ狂う雄叫びのようなヴォーカルというフリー・スタイルなもので、これまでのロック的完成度とは対極にあるような不安定なもの。オルタナティブというジャンルの中でも当時は「ジャンク系」「カオス系」みたいな分類されてたけど、今はそういうジャンルの呼び名はないみたいだね。

活動してた時代としてはネオ・サイケやポジティブ・パンク(ゴシック)あたりと同時期なんだが、この辺とは全然違った路線、でも暗黒面を目指してるという点では一致していて、フォロワーにもどっちつかずのバンドもいて(アウスギャングとか)部外者が理解するのが難しい音楽だったね。

で、この「Sonny’s Burning」はバースデイ・パーティとしては最後の方の曲なんだけど、全然枯れてなくて相変わらずのズンドコ・リズムが心地良い。後にバッド・シーズとなって大人な曲を得意となってしまうニック・ケイブの一番輝いてたのが、このバースデイ・パーティの時代だと思うよ。
さあみんなで、ソニー(誰?)と一緒にバーニング。燃やしてしまえ。

次はヴィジュアル系ネオ・ロカビリーとして名高いロカッツのそのものズバリ「Burning」。
どこからどこまでがネオ・ロカビリーの時代になるのかは不明だが、アメリカで元タフ・ダーツのロバート・ゴードンがロカビリーを復活させたのが1970年代後半の話。
リーヴァイ&ザ・ロカッツがロンドンでデビューしたのもこの頃なので、まあ元祖と言っても良い存在なのは間違いない。しかしリーヴァイ&ザ・ロカッツはルーツを求めてアメリカへ、逆にアメリカのバンド、ストレイ・キャッツがイギリスにやってきてネオ・ロカビリーはブームとなった。
リーヴァイ&ザ・ロカッツはその世界では成功したものの、古いロカビリーやよりルーツ的なものを求めるメンバーとパンクやニュー・ウェイブも取り入れたロカビリーに挑戦したいメンバー、そういう方向性の違いで解散。

で、色んな物を取り入れたかった方のメンバーが新たに作ったのがリーヴァイ抜きのロカッツというわけ。
何かひと言で説明済んだのに長々書いてしまったなあ。
初期ワイアーのプロデューサーで知られるマイク・ソーンがプロデュースし、これまでのネオ・ロカビリーの常識を覆すシンセサイザーなども取り入れたロカッツ。
クラブヒッツとして名高い「Make That Move」によって全世界で大々的に知られるようになるけど、バンドとしては三大キャッツ(ストレイ・キャッツ、ポールキャッツ、ロカッツ)の中では一番順風満帆ではなかったという印象があるね。
この曲も「Make That Move」の延長線上にあるような曲でウッドベースさえ弾いてない、曲調はまるでビリー・アイドルみたいだし、言われなければネオ・ロカビリーだと気づかないよね。
同じように化粧っ気のあるポールキャッツがロカビリーっぽくない曲のカヴァーなどでニュー・ウェイブのファンまでを虜にしていた時代だけど、こういう異種の音楽のミクスチャーから新たなヒントが出てきて、後の時代に影響を与えてゆくのはいい事だと思うよ。

福岡に住んでいる時にはネオ・ロカビリーやサイコビリーばかりを聴いててサイコ刈りにしていたROCKHURRAHだが、ガスコンロの点きが悪くてカチカチしてたら、急にボッと火が出て前髪が燃えてしまったという恐怖体験(大げさ)がある。ちょっとチリチリでプリンスみたいになってしまったよ。
というわけでリーゼントもサイコ刈りもバーニング注意。

日本であまり使われる事のない言葉だと思っていたが意外なところにバーニング・メンが潜んでいた。
80年代初頭にP-MODEL、プラスチックスと共にテクノポップ御三家として知られていたヒカシューの「何故かバーニング」だ。
テクノポップの元祖とも言うべきYMOは既に一流ミュージシャンだった3人によるものだったが、その後に出てきたこの御三家などはそこまで機材を揃える事が出来なかったのか、テクノとは言っても通常のバンド形態に電子楽器が加わるだけというお手軽な編成。そのチープな具合が逆に効果的に奇妙なテイストを打ち出していた。

ヒカシューの場合は元々演劇や映像の分野で才能を発揮していた巻上公一によるバンドという事で、奇抜さでは際立っていたね。不思議な歌詞に奇妙な旋律とエキセントリックな歌、不気味でグロテスクなのに笑えてしまうところが魅力でもあり嫌われる部分でもあるな。

ROCKHURRAHは前に書いたこの記事に出てきた同級生に借りたレコードによってこのバンドを知った。
熱狂している音楽が他にも多数だったのでそれほど聴いてはいないが、SNAKEPIPEはもっといっぱい聴いていて、歌詞もスラスラ出てくるほど。よほど聴き込んでいたんだろうね(笑)
ではこの曲に限ってはSNAKEPIPEと一緒にバーニング。

今回は珍しくパンクに始まってパンクで終わる事にしよう。
どちらかと言うと変わり種や人があまり言及しないバンドばかり拾い集めて記事を書くのがいつものROCKHURRAH流なんだけど、あまりマイナー過ぎると動いてる映像がなかったりする。それじゃ退屈だろうから、少しは気を遣ってるつもりだよ。

最後のバーニング・メンはラッツの「Babylon’s Burning」にしてみた。
ユダヤ教やキリスト教的な土壌がない日本ではバビロン、バベルなどと言っても大多数の人には意味を持たない単語だろうけどね。由緒正しい(?)レバノン幼稚園出身というROCKHURRAHにしてもさっぱりわからないよ。 関係なかったか?

関係ないついでに語るならば、バベルの塔に住んでいる「バビル2世」という横山光輝の漫画を思い出してしまった。5000年前に地球に落ちてきたバビルという宇宙人の子孫がなぜか日本人で悪の帝王ヨミと戦うというメチャクチャな設定の漫画だったが、巨大ロボットや謎の生命体などの下僕を使いこなすのが目新しく、ヒットしたものだ。
SFなのに主人公バビル2世やヨミの顔が髪型を変えたらそのまま「三国志」に登場してもおかしくないところがいかにも横山光輝。設定を変えても基本キャラクターがどれでも同じというパターン。ある意味、設定を変えてもブログの構成がいつも同じというROCKHURRAHとも通じるものがあるな。
ちなみに横山作品では七節棍(7つに分かれ自在に繰り出す武具)を操る片目の武芸者が活躍する異色時代劇「闇の土鬼」や、中国に渡った日本人が馬賊のリーダーとなる異色冒険漫画「狼の星座」が好きだった事も思い出した。キャラクターはやっぱりどれも「三国志」なんだけどね。
「狼の星座」の影響で南部十四年式という拳銃のモデルガンをぶっ放してた少年時代だったのを思い出す。

かなり横道にそれてしまったが、ラッツは70年代ロンドン・パンクの第二世代くらいに活躍したバンドだ。
ヴォーカリストのマルコム・オーウェンのしゃがれた声と骨太の力強い音楽、そしてレゲエにインスパイアされた曲調もあることから、クラッシュの後継者というような位置付けにあったバンドだったな。
レコード・デビューが出遅れた(1979年)事とマルコムがヘロインにより死亡してしまった(1980年)ために、全盛期の活動期間が非常に短かったバンドだという印象だが、今回選曲した代表曲「Babylon’s Burning」はパンク史に燦然と輝く名曲で人気も高い。
明るい曲があまりなくてダークで荒削りなのが魅力だったね。
さあみんな、バビロン(どこ?)でバーニング。燃やしてしまえ。

新シリーズなどと言って勢いで始めてしまったけど、見事なまでにいつもの他の記事と同じ路線になってしまったな。まあそれでも書いてる本人が飽きないように続けてゆこう。

それでは、またやーさい(沖縄弁で「またね」)。

ふたりのイエスタデイ chapter11 / Depeche Mode

【80年代のデペッシュ・モードが分かる映像だね】

SNAKEPIPE WROTE:

最近はとんとご無沙汰だけれど、以前はライブハウスに行くのが大好きだったSNAKEPIPE。
ファンだったROBINが2011年に解散してしまったのが理由だね。
あれからもう6年経ってるとは…。
観に行く(聴きに行く)だけで、自分で楽器を弾いたことはほとんどない。
ROCKHURRAHは弦楽器が得意で、現在もギター数本が家にあるんだよね。
最近弾く機会はなくなっているけれど。
そのROCKHURRAHから教えを受け、少しだけウクレレに挑戦したことがあったっけ。
練習を重ね、「I Fought The Law」を弾けるまでになったのは嬉しかった。(笑)

もちろんウクレレの定番「あ〜あ〜あ、やんなっちゃった〜」も練習したけどね!(ぷっ)
中学生の頃に一度だけギターを練習したことあったけど、練習本の一番最初が「荒城の月」で、ちっとも楽しくなかったんだよね。
コードが簡単だから、という理由なのかもしれないけど、もう少し「弾ける喜び」が感じられたら続けられたのにね?
そんなSNAKEPIPEなので、楽器に関しては完全に素人!
それなのに、一度だけバンドを組んだことがあるんだよね。(笑)
今回はその経験を元に「ふたりのイエスタデイ」を書いてみよう。

高校生だった今から数千年前にタイムスリップしてみよう。(おおげさ)
美術部に所属していたSNAKEPIPEだけれど、当時の最先端だったニューウェーブにどっぷり染まっていた「とんがりキッズ」(死語)だった。
髪の毛は刈り上げ、文学と音楽(ニューウェーブ)の話に花を咲かせながら絵を描く女子高生。
美術部の同級生は皆同じ趣味を持った仲間で、放課後が楽しい時間だったなあ。
美術部の活躍する場といえば、文化祭!
どうしてそんな話になったのかは覚えていないけれど、「バンドをやろう」ということになった。
文化祭は美術部としての活動だけでも忙しいはずなのに、加えてバンドでも参加しようと考えるとは出しゃばり過ぎだよね。(笑)

SNAKEPIPE以外に他2人の美術部員に加え、もう1人ニューウェーブ好きの同級生が入って4人で即席のバンドが結成された。
皆すっかりやる気になり、2名がキーボード、ベースが弾ける人が1名、ドラムはリズムボックスという編成になる。
ニューウェーブ好きだった同級生がリズムボックスやキーボード類の機材を持っていたこと、美術部員の1人は元々バンドでベースを担当していたというのが理由なんだけど、即席にしては「ニューウェーブらしい」感じになってるよね?
そしてなんとSNAKEPIPEは楽器全般ができないので、ボーカルとして参加することになったのである。

ここでSNAKEPIPEは演出を考える。
照明を消し、演奏している自分たちに向かって花火の映像を映すことにしたのだ。
市のライブラリで16mmフィルムの花火映像を借り、高校にあった16mm映写機を使用することで実現できるからね。
花火映像は、SNAKEPIPEが16mmフィルムの映写資格を持っていたことで借りることができたはず。
そんな資格持ってたんだよ。(笑)
どうして花火にしたのかというとアンジェイ・ワイダ監督の「灰とダイヤモンド」に印象的なシーンがあったから。
当時は古い映画をよく鑑賞していて、影響受けてたんだよね。

バンド名も考えたっけ。
「Orchestral Manoeuvres in the Dark」の長いバンド名が非常に気に入っていたので、負けないくらい長くて不条理な名前にしようと熟考したなあ。
その結果「Muslim For The Mind Strangeness」という名前にしたんだよね。
女子高生だったSNAKEPIPEの単なる言葉遊びで、宗教的な意味は全くないので4649!

肝心なのは「どの曲にするか」だよね。
これもSNAKEPIPEの独断だった。

The Stranglersの「All Roads Lead to Rome」という曲なんだけど…。
前述したようにギターが不在、そして当時がニューウェーブ全盛だったということを考慮しても、どうしてこの曲にしたのか不明だよね。(笑)
この「ささやき」のようなボーカルをSNAKEPIPEはどのように表現したのか?
しかも歌詞は「聞き取り」だったはずなので、苦労しただろうね。(笑)
唯一分かるのはタイトルにある「すべての道はローマに通ず」だけだからねえ。
他の友人達もよく賛成してくれたよ。

もう1曲はニューウェーブ界のお坊ちゃま集団Depeche Modeの「Meaning Of Love」だったね。

この曲もギターなしで全く問題ないよね?
バンドで演奏するにはボーカルが大人しいから、実際にはパンク風に叫んでいたと思う。
花火映像に染まりながらのデペッシュ・モードのパンク版。(笑)
この時の文化祭はバンド参加希望が多くて、審査を通過した数組だけが演奏できることになっていた。
その審査での一幕での出来事である。
選曲、演出、演奏全てが上手くいったと自画自賛していたけれど、実際には全く理解されなかった。
「照明を消す」という点にも高校側から難色を示されたし、映写機の準備などに時間がかかったのもマイナスだったのかもしれない。
田舎の高校だったから、というのももちろんあるだろうね。(笑)
当然のように審査は通らず、バンドはその時の1回限りで解散となった。(笑)
高校を卒業してかなりの年月が経ってから、同じ高校に通っていた同級生から「何がしたいのか分からない集団に見えた」と言われたことがある。
その人は数年経ってから分かってくれたらしいけど。(笑)

ニューウェーブの波は高校時代で終わり、SNAKEPIPEはそれ以降はパンクの道に進む。
やっぱりデペッシュ・モードをパンクで歌ったことが原因かな?(笑)
デペッシュ・モードに再会するのはそれから何十年も経った大貫憲章さん主催のロンドンナイトである。

カバー曲だけど、よりポップなダンスチューンに変身してるよね。(笑)
「これは?デペッシュ・モード!」
突然耳に飛び込んできた懐かしいメロディラインに、かつてニューウェーブに熱狂していた青春時代が蘇る。
やっぱり80年代いいわ!と改めて認識した瞬間だったね。

デペッシュ・モードは現在も活動を続けているようだ。
Wikipediaによれば、ここに来るまでには自殺未遂、薬物依存、アルコール中毒など「お坊ちゃま集団」とは無縁のはずの単語が並んだ人生を送っていたようだ。
そういった苦難を乗り越えてきたせいなのか、最近の音は80年代とはまるで別物!
あの頃のデペッシュ・モードを期待して聴くとびっくりしちゃうね。
それでも現役で続けている姿を見ることができたのは良かったよ。

80年代、デペッシュ・モードはヒット曲を連発した大スターだった。
SNAKEPIPEも好きな曲がたくさんあるよ!
最後はその中の1曲を載せて終わりにしようか。

ニューウェーブはやっぱり良いね!(笑)

映画の殿 第24号 ハッスル老人


【今回特集した映画の主役達。平均年齢は一体いくつだろう?】

SNAKEPIPE WROTE:

相変わらず週末には映画鑑賞する習慣が続いているROCKHURRAH RECORDS。
その割に映画のネタをブログにしていなかったなあ。
今回久しぶりに「映画の殿」として特集したいと思う企画を思いついたので、まとめてみよう。
題して「ハッスル老人」特集!(笑)
ハッスルって死語じゃない?とROCKHURRAHから突っ込まれたけど、これでいいのだ!
以前にも「映画の殿 第09号 バッド・アス  ジャスティス・リターンズ」という記事で、若者に負けない老人達を描いた映画について感想をまとめたSNAKEPIPE。
カッコ良く頑張る老人というテーマは好きなんだよね。(笑)
「バッド・アス」のダニー・トレホに負けないくらいハッスルする老人を見つけたので紹介していこう。

まず最初はこちらの作品から!
※ネタバレしている可能性がありますので、未鑑賞の方はご注意下さい。

ドント・ブリーズ(原題:Don’t Breathe)」は2016年公開のアメリカ映画である。
直訳すると「息するな!」か。
ちょっとソフトに意訳すると「息を殺して」とか?
1980年代に「死霊のはらわた」で一躍有名になった監督サム・ライミが製作総指揮に名を連ねている。
ホラー映画ファンのROCKHURRAHに語らせたらサム・ライミについて詳しく説明してくれるけど、今回は上の一行で終わらせてしまおう。(笑)
「ドント・ブリーズ」は昨年末に劇場公開された時から気になっていた映画だったけれど、今回はDVDになってから鑑賞したよ。
怖い老人が出て来る映画、というところまでは情報として知ってたんだよね。

では簡単にあらすじを。

親と決別し、街を出るため逃走資金が必要だったロッキーは、恋人のマネーと友人のアレックスと一緒に大金を隠し持つと噂される盲目の老人宅に強盗に入る。
だが彼は、目は見えないが、どんな『音』も聞き逃さない超人的な聴覚をもつ老人――そして想像を絶する『異常者』だった…

前述の「バッド・アス」でダニー・トレホが演じたベトナム戦争の帰還兵と同じように、「ドント・ブリーズ」の老人も元軍人という設定になっているところがポイントかな。
だから皆が想像する「いかにも老人老人」した老人じゃないんだよね。
戦争の時、手榴弾を目に受けて失明までしている老人と聞けば、金を奪うのは「お茶の子さいさい」と思うだろうね。
ところがそうはイカの塩辛!(笑)
あらすじにもあるように、視覚の代替なのか耳が良い。
更に写真からも分かるように、筋骨隆々なのよ。
しかも動きが素早い!
強盗に入った「自称:俺って腕っ節が強いヤツ」の若造も、ほれ、この通り!
「簡単な仕事」と思い込んでいたからスキもあったとは思うけど。
爺さんだからってナメちゃいけないよね。(笑)

強盗に入ったのは若者3人で、左が爺さんにあっけなくヤラれたチンピラ風の男で名前がマネー。
うーん、名前がマネーってすごいね。(笑)
真ん中がチンピラの彼女で、家を出たいロッキー。
そして右はロッキーに横恋慕しているため、一緒に行動している坊っちゃん系のアレックス。
この手のホラー映画では、「なんでそこで行く?」とか「なんでそこでやめない?」などの疑問を持つことが多いんだけど、「ドント・ブリーズ」でも、何度同じ疑問を持ったことか。
逆に言うとそうじゃないとホラー映画として成り立たないのかな?

映画の中で老人と共に恐ろしかったのは、老人が飼っている犬。
若者3人が老人宅の偵察に行った時から、よだれ垂らしながら吠えて威嚇しまくり!
老人から躾されていて、老人を守る目的は果たしているから良い犬なんだろうね?
侵入者にとっては厄介な相手。
これはロットワイラーというドイツ原産の犬種みたいね。
軍用犬や警察犬としても活躍しているというから、頭が良くて攻撃力がある犬ということなんだろうね。
よだれ垂らして吠えている姿からは凶暴性しか感じられなかったけど。(笑)
Wikipediaによればロットワイラーに噛まれる事故で死亡している人がかなりの数いるらしい。
用心棒にはもってこいだけど、SNAKEPIPEはあまり「かわいい」と思えなかったなあ。

ナメてかかったら逆襲されたという話はありがちだけど、鑑賞しているうちに自分も追われる立場を体感してしまうのが面白い。
老人から逃げようとする若者達のほうが悪いことしてるのにね?(笑)
老人の動きが素早過ぎて、段々超能力者みたいになってくると恐怖が一段落してしまった。
あり得ない設定だと怖くないんだね。(笑)
途中までの「息が詰まる」ような緊張感は良かったね!

続いても暴力的な老人に登場してもらいましょう。

「皆殺しの流儀(原題:We Still Kill the Old Way)」は2014年のイギリス映画。
タイトルからして「皆殺し」だから!
どれだけ残酷なんだろうと震えてしまうよね。

かつてロンドンの暗黒街を仕切っていた兄弟チャーリーとリッチーは、引退後はそれぞれロンドンとスペインで穏やかな生活を送っていた。
そんなある日、ロンドンで若者ギャングに襲われていた女性を助けようとしたチャーリーが、返り討ちにあって殺されてしまう。
復讐を誓ったリッチーはスペインからロンドンに舞い戻り、昔の仲間たちと共にチャーリーを殺したギャングたちを1人ずつ追いつめていく。

あらすじにあるようにきっかけはロンドン在住のチャーリーが、女性を助けようとしたことから始まる。
チャーリーの時代と現在の若者ギャングの考え方はまるで違う。
男らしさの定義なんて、現在の若者には一切ないからね!
いわゆる日本の任侠道みたいな感じで、チャーリーの時代は素人さんには手出し無用。
その世界の中だけで通用する切った張ったがあったはずなんだよね。
その価値観のまま現代の若者ギャング集団を諭そうとしてしまった点に間違いがあったね。

いかにも強そうで悪そうなアメリカ映画に出てくるギャング集団とは違って、イギリスのギャング集団はこんな感じ。
ひょろっとしているし、服装が変われば普通の子になれそうな雰囲気。
束になってかからないとダメで、一人になってしまえばまるで無力なタイプなんだよね。
「男らしくサシで勝負だ」とチャーリーが言っても、元々束で行動している若者達はチャーリーを無視し、集団で襲いかかる。
ああ、嫌だ!
SNAKEPIPEは、こういう卑怯な奴らが大嫌いだ。
チャーリーも無謀だったけど、集団で行動し、しかもその様子をスマホで撮影しているような奴らは最低だよね。
確か日本でも未成年が似たような事件起こしてたっけ。

集団のギャングに惨殺されたチャーリーの復讐を誓う男4人が結集した。
写真で分かる通り、みんな初老のおっさん達なんだよね。
若い頃はブイブイ言わせてたマフィアなので、久しぶりに集まってもあっという間に役割分担ができている。
拷問専門の人もいるしね。(笑)
復讐するための心意気もバッチリ、老人達には裏切り者もいないし、結束が固い。

 「皆殺しの流儀」の最大の魅力は、老人達のカッコ良さかな。
主人公リッチーを演じたのはイアン・オギルビーというイギリス人俳優だけど、他の映画を観たことがないみたい。
かなり渋めで、元マフィアという役がとても似合っていたね。
他の3人も良い味出していたよ。
心はまだ現役でも体がついていかない、という老人ネタもお約束!
こんな気骨がある老人が多かったら世の中変わるだろうな、と思ってしまった。

もしかしたらSNAKEPIPEと同じように、老人4人組のファンが多かったのか?
なんと次回作を発見してしまったよ!
前作より1ヶ月後、という設定になっているようだね。
2017年公開なので、日本ではいつDVDになるのかな?
今からとても楽しみだ!(笑)

最後の作品はこちら。

100歳の華麗なる冒険(原題:Hundraåringen som klev ut genom fönstret och försvann)」は2013年のスウェーデン映画である。
タイトルに100歳とあるので、老人が主人公ということは最初から分かるよね。(笑)
この100歳の老人、一体何をやらかしたんだろうね?

100歳の誕生日を祝われるはずだったアランは老人ホームから逃げ出し、バスに乗ってあてのない旅に出発。
偶然降りた駅の近くに住むユリウスと酒を酌み交わし意気投合。
しかしその道中、ギャングの闇資金入りのスーツケースをひょんなことから入手したため、警察とギャングに追われる身になってしまう。
アランはいかなるトラブルに見舞われようとも、超人的なマイペースぶりを発揮。
はたして彼は何者なのか?

ヨロヨロした足取りで、何の気無しに窓から外に出てしまうところから話が始まる。
ここでも若者ギャングが登場するけれど、またもや老人だと思って見くびっていたのが運の尽き。
もしかしたら杖代わりにしようと思っていたのかもしれない老人アランは、まんまとスーツケースをせしめてしまう。
中には満杯の札束が!(笑)

たまたま知り合ったユリウスと札束を持って、当てのない旅に出るのである。
トロッコに乗せられているのは、若者ギャング!
なんとも間抜けな事故でこんな目に遭ってしまうとはね。
本当は残酷なシーンだったのに、老人達の手にかかると笑いに変わってしまうから不思議だ。
ここらへんのブラックな笑いは「映画の殿 第21号 さよなら、人類」で特集した感想にも近いんだよね。
あの映画もスウェーデン映画だったから、もしかしたらスウェーデンの特色なのかな?
ブラック・ジョークと間の取り方が独特なんだよね。
「100歳の華麗なる冒険」も同じように、かなり残酷な笑いのシーンがあって面白かった。
いや、本当は笑うところじゃないはずなんだけど。(笑)

老人アランの威風堂々とした態度には秘密があったんだよね。
このおじいさん、なんと爆弾のエキスパートだったの!
「ちっちゃな頃から悪ガキで、15で爆弾魔と呼ばれたよ〜」
とチェッカーズの替え歌を書いてみたけど、実際にはもっと小さい頃から爆弾に興味を持っていたアラン。
その技術を買われ、世界的に有名な人物達と知り合うことになるんだよね。

スペインのフランコ将軍、アメリカ第33代大統領ハリー・S・トルーマン、ソ連のヨシフ・スターリンなどなど、歴史上に名を残している錚々たる人物達との交流があったんだよね。
もちろんアランの専門は爆弾なので軍事的な理由でお近付きになっているし、当然ながら機密情報を知っていることになる。
そんなスパイ映画みたいな人生を送っていたアランにとっては、100歳の誕生日を老人ホームで祝ってもらうなんて、ちっとも願っていなかっただろうね。
アランの辿ってきた人生を再現したシーンが非常に面白かった!

ユリウスと旅を続けている道中、もう一人仲間が加わる。
気が弱そうなベニーを誘って大丈夫なのかしら、と心配してしまったけれど、車の運転ができる優しい人で良かったよ。
通常なら弱者とされてしまうような3人組が、とても仲良く旅をしている様子は、観ている側もほのぼのした気分にさせてくれる。
こんな100年を生きる人はそうそういないと思うけど、自由気ままな人生を生きていかれるなんて幸せだろうね!
この作品でまたスウェーデン映画に興味が湧いてきたよ!
原作も読んでみたいな。

今回は「ハッスル老人」として元気いっぱいの老人が主人公の映画を特集してみたよ。
そういえば他にも大友克洋原作のアニメ「老人Z」(1991年) もあったなあ。
年齢的には高齢者でも、今まで思っていた老人像とは全く違うタイプが出演する映画は、まだありそうだよね。
カッコ良い老人に出会えることを期待しよう!