【伝説のネオ・サイケ・バンド、幻の1stシングル(ウソ)】
ROCKHURRAH WROTE:
こないだ「【07】グラム・ロック編」をやったのが書いてる本人の記憶にも新しいというのに、またまた懲りずにこの企画をやってしまう。しかも音楽ジャンルが違うだけでパターンはまるで同じだよ。ROCKHURRAHのネタもあらゆる意味で枯渇しまくってるな、大丈夫なのか?
さて、今回取り上げるのは80年代初頭に一部で流行ったジャンル、ネオ・サイケについて。
それより一昔前に流行ったフラワー・ムーブメントやサイケデリックは知っていても、ネオ・サイケについては知らない人も多かろう(特に若い人)。
音楽はファッションの流行と同じで適度な周期で回っているもんだが、この80年代初期のネオ・サイケだけは再び流行ったという記憶がない。
ROCKHURRAHはそういう音楽情勢についてハナから詳しくもないし、もし知らないところで流行った事があったとしてもムーブメントという程の大きさではなかったんだろう、きっと。
というわけで「ウチの親が若い頃聴いてたよ」というような家庭でもない限り、今の若者にはとても馴染みの薄い音楽だろうと推測する。ROCKHURRAH RECORDSでも最も売れないジャンルだし。
ネオ・サイケの定義とかは案外説明するのが難しいんだが、本家アメリカのサイケデリックとは聴いた感じからして違うようなものが多い。ごく簡単に言えばシリアスで内気っぽく、根暗で(完璧な死語)センチメンタルな音楽という雰囲気か?
そういう音楽を志した若者たちだから、見た目も地味なバンドが多く、暗い色合いの服装でうつむき加減に演奏して歌うというスタイルが主流。だからライブとか見てもそんなにテンション上がらないだろうし、80年代以降に再流行しない最大の原因がやっぱり「面白みのない音楽」という事かね。
その辺のニュアンスを伝える能力がないので、下にROCKHURRAHが選んだのを見て、聴いて、あとは若いもん同士で勝手に納得して欲しい。何じゃこの投げやりな前説は?
では映像とコメント入ります。
バズコックスの初代ヴォーカリストだったハワード・デヴォートによるニュー・ウェイブ初期のバンド。
ネオ・サイケが本格的に起こったのは1980年前後だろうが、このマガジンあたりが直接の元祖と言えるのではなかろうか。
粘着質のいやらしい声とちょびファンキー(ROCKHURRAHが今テキトウに命名)なゆったりしたベースライン、そしてキーボードによる妖しい曲調を得意にしていた。
割と大作志向で曲もイントロも長いんだが、その辺の冗長さを我慢出来れば彼らのまとわりつくような曲の虜になる人もいるだろう。
ハワード・デヴォートの気怠い声と大儀そうなヴォーカル・スタイルは「そんなに疲れたんならバンドやらなきゃいいじゃん」とさえ思えるほど。通勤電車の中で聴いたもんならあんた、朝からやる気はなくなって休みたくなる事必至という危険な音楽でもある。ああかったるい。
ネオ・サイケとして紹介されるケースはほとんどないバンドだが、この倦怠感に影響を受けたバンドも多いはず。バウハウスのピーター・マーフィもソロでマガジンの曲をカヴァーしていたな。
初期は誰もが知ってる通り、紅一点ヴォーカリストのいるパンク・バンドの元祖だったわけだが、スージー・スーはポップな曲を歌っていてもいつも直線的でモノトーンな印象がする。
というわけで上のマガジンなどと同じくネオ・サイケの始祖だと言える。
この当時はキュアーのロバート・スミスとつるんでいたようで、映像でも右側にちょこんとギター弾いてる目立たない男がそうだと思うが、まさに借りてきたネコ状態。
後にヒットを連発して人気バンドになるキュアー(註:デビュー時期は70年代後半だが、ワールドワイドな活躍をするより前の時代)だが、この頃はまだ大舞台に慣れてなかったのかな。
いわゆる正統派叙情派ネオ・サイケの代表選手、エコー&ザ・バニーメンの初期の曲。
彼らの出身地リヴァプールの音楽(80年代当時)が叙情派ネオ・サイケの宝庫だったわけで、その数多いバンドたちの頂点にあったのがこのバニーズ(当時風の略称)なわけだ。
こういう髪型で線の細そうなルックス、古着のコートとか合わせれば誰でもバニーズ風になれるという模倣しやすさもあったから、当時の少女漫画とかでも大人気のファッションだったね。
ネオ・サイケは暗くてあまりキャッチーな音楽ではなかったが、彼らは見た目とは大違いの骨太な力強さを持っていたと思う。
ネオ・サイケを志す者たちの目標だったかどうかはわからないが「80年代のドアーズ」という位置に最も近かったのがこのバンドなんじゃなかろうか。
当ブログ「リヴァプール御三家編」でも取り上げたティアドロップ・エクスプローズや上のエコー&ザ・バニーメンだが、シリアスな印象のバニーズに対して、ジュリアン・コープ率いるこのバンドは正体の掴めない変化球が多いという印象がある。
正統派のネオ・サイケ、アラブ風の曲調、ファンク風、テクノ風まであって良く言えばヴァラエティ豊かなんだが、散漫な印象を受ける人の方が多いだろうね。
何回も同じような事書いたが、天真爛漫でワガママな個性をそのまんま発散させたのがジュリアン・コープの魅力だと言える。
そんなティアドロップ・エクスプローズの中で最も好きな曲がこれ。明るくてポップで子供っぽい、まさにドリーミーな曲調。こちらは80年代のシド・バレットという位置に最も近かったのではなかろうか。
初期はエコー&ザ・バニーメンと同じ牛乳石鹸、じゃなかったコロヴァ・レーベル(牛のマークでリヴァプール・マニアにはお馴染み)よりレコードを出していたサウンド。
ヴォーカルのエイドリアン・ボーランドはその前にアウトサイダーズというバンドもやっていたな。
この曲を聴いてわかるように文学青年ネオ・サイケのようなひ弱さはなく、日本ではほとんど無名ながらも、割とエモーショナルな名曲を残したいいバンドだった。
残念な事にこのエイドリアン・ボーランド、99年に自殺しているが、大メジャーなネオ・サイケだけを聴いてるような人(現代では稀だとは思うが)も是非この機会に再評価して欲しいバンドだ。
デビュー当時はバウハウスの後継者というような扱いで、確かにピーター・マーフィの歌い方を彷彿とさせる点はあったけど、見た目も曲もよくある感じで期待の程には活躍しなかったバンドだと思える。
ヒットした「Away」とか聴く限りでは確実にアメリカ寄りの音で失望したものだ。
ただしなかなか良いメロディのセンスもあって、この曲や初期の「Boxes」などは正統派ネオ・サイケを目指す者たち(しつこいが今の時代にいるのか?)にも響く何かがある。大好きなバンドじゃない時は紋切り型のコメントだな。
さて、この辺で比較的名の通ったバンドはおしまいにして、私的マイナー80年代タイムといきましょうか。ではミュージック、スタート。
ネオ・サイケにどっぷりというマニアでも意外と知らないこのバンド。
デビューした時は「フランスのジョイ・ディヴィジョン」などと一部で熱狂的に騒がれたものだ。
アメリカ生まれのテオ・ハコラは世界各地を放浪して、たどり着いたパリでバンドをはじめた。それがこのオルケストル・ルージュ(ROCKHURRAHは80年代風にオーケストラ・ルージュと呼びたい)だ。
1stアルバムはジョイ・ディヴィジョンと同じくファクトリー・レーベルのマーティン・ハネットがプロデュースした事、そしてライブ・アルバムではジョイ・ディヴィジョンのカヴァー曲を演奏した事から「フランスのジョイ・ディヴィジョン」と称されるようになったというわけ。
がしかし、直接的にそっくりな部分はそんなにない。
このバンドの特徴としては哀愁のあるヴァイオリン、そしてロカビリーやカントリーの世界でお馴染みのヒーカップ唱法(しゃっくりのような歌い方)、この2つが最大の個性となっている。
マイナーなバンドゆえにYouTubeがほとんどなかったのでこのビデオとなった(VHSから変換した動画らしく、音がトラッキングで乱れてる)が、本当は2ndアルバムの最初の3曲、これがROCKHURRAHのフェイバリット・ソング(ネオ・サイケ部門)だ。
特にハコラの同郷の大偉人、ジョセフ酋長を歌った「Chief Joseph」は今でも愛聴しているスーパー名曲なので、まだ聴いた事ないネオ・サイケ野郎は草の根を分けてでも探し出し、入手するべし。ROCKHURRAH、全部持ってる、ウソつかない、売る気ない。あ、CD出てたのか?
ちなみにこの曲はデビュー・シングルで1stアルバムにも収録されているが、全裸でヴァイオリンというインパクトある内容。
うーむ、ここまで書いたところでもはやかなりの長さになってしまったし、疲労困憊という状態。2回に分ける予定はなかったし、いくら書いても喜んで読んでくれる人もほとんどいなさそう。がしかし、どうしても続きが書きたいので、また後日に仕上げるとしよう。
景気よく「ミュージック、スタート」などと書いた後で情けないが、この続きを書き終えるまでに、地に潜む現代のネオ・サイケ諸君(そんなのいないか?)は仲間を集めてROCKHURRAHの元へ急ぐのじゃ。何だかわからんが「三国志」みたいでちょっと君主っぽいぞ。今の時代に大真面目で絶滅音楽とも言えるネオ・サイケについて熱く語るのも楽しくなって来た。この高揚感が次まで続けば良いけどなあ。
またまた続く