SNAKEPIPE MUSEUM #79 Herbert Bayer

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【1936年の「メタモルフォーシス(変容)」は印象派の静物を抽象化した実験的な写真作品】

SNAKEPIPE WROTE:

今年最初のブログはSNAKEPIPE MUSEUMをお届けしよう!
SNAKEPIPEの琴線に触れた、様々な時代のアーティストの作品をお届けするカテゴリーだよ。
今回は大好きな1920年代にバウハウスで教鞭をとっていた画家、デザイナーで写真家のヘルベルト・バイヤーを特集しよう。
最初に経歴を調べてみようか。

1900 オーストリアのハーグ・アム・ハウスルックに生まれる
1917–1919 父の死によりウィーン美術アカデミー進学を断念
建築と応用美術を学ぶため、リンツとダルムシュタットで見習いとして修行
1921 ドイツのバウハウス(ワイマール校)に入学
カンディンスキーやモホリ=ナギらに学ぶ
1925–1928 バウハウス・デッサウ校のタイポグラフィ・広告ワークショップで教師に任命される
広告・デザイン・タイポグラフィを教える
1928 バウハウスを退職してベルリンへ移り、商業デザイナーとして活動
1938 アメリカ合衆国へ移住(ニューヨーク)
1944 アメリカ市民権取得
1946 コロラド州アスペンへ移住
アスペン研究所の総合デザイン計画(建築・環境・グラフィック)を担当
1950–1960 Container Corporation of America や Atlantic Richfield Company などのデザイン顧問を務める
1970– アスペン滞在を続けながら、美術とデザインの両面で活躍
1975年頃、健康問題によりカリフォルニア州モンテシートへ移る
1985 モンテシートで死去

バウハウスで4年学んだ後、教師になっているんだね。
25歳で任命されているので、抜きん出た才能を持っていたことが分かるよ。
父親が17歳で亡くなってしまったので、美術の勉強を諦め職業に直結する道を選ばざるを得なかったと書かれているね。
その時は断腸の思いで、涙を拭きながら見習いとして学んでいたかもしれないけれど、長い目で見ると才能が開花するきっかけだったのかもしれない。
写真家・画家・デザイナーという輝かしい経歴を持った人生を送っていたんだね。

実を言うとヘルベルト・バイヤーは、当ブログ内で何度か登場したことがある名前なんだよね。
左のTシャツは、2010年7月に東京ステーションギャラリーで鑑賞した「開校100年 きたれ、バウハウス」のミュージアム・ショップでROCKHURRAHが購入したもの。
タイポグラフィの作品が、今回特集しているヘルベルト・バイヤーとモホリ=ナギの共同制作「Staatliches Bauhaus in Weimar 1919-1923(ワイマール国立バウハウス1919–1923)」。
シンプルなのに印象的でかっこ良い!(笑)
 バウハウスの理念そのものだよね。
ヘルベルト・バイヤーの他の作品を制作年順に観ていこう。

まずはバイヤーがバウハウスで学んでいた1923年の作品から。
バウハウスの開校展覧会を宣伝するためのポストカードとして制作されたものだという。
三角と丸、正方形を3色で塗り分け、直線と文字だけで構成しているシンプルなデザインに惚れ惚れするね!
機能性と合理性を兼ね備えた美意識。
アーティストと職人の区別をなくすことも理念だったというバウハウスの教育は、バイヤーに強く刺さったんだね。
ポスターに選出される優秀な生徒だったことがよく分かるよ!
ちなみにこの作品はイギリスのネットショップで、様々なサイズで販売されているのを発見。
一番大きな61 × 91.4cmサイズで12,000円ほど。
日本へ配送できるのか確認してみようか?

黒をバックに直線で人の横顔(のように見える)が描かれた作品も、上と同様に宣伝用のポストカードとして制作されたらしい。
直線の横顔から「トリスウイスキー」のキャラクター「アンクルトリス」を思い出してしまったよ。(笑)
もしくはジャン・コクトーの作品にも見えるね。
バイヤーによる左の作品を目にした途端、ROCKHURRAHが「バウハウスだ」と声を上げる。
ニュー・ウェイヴ初期のゴシック・バンドであるバウハウスのベスト盤に使用されていたのが、バイヤーの作品だったとは!
右にバウハウスのアルバム・ジャケットを載せてみたよ。
確かにバイヤーの作品だね。(笑)
バウハウスのLPを所持していたROCKHURRAHは、80年代にはすでにバイヤーの作品を見知っていたことになるよ。
2026年になってアーティスト名が分かって良かったね!(笑)

1927年の作品を2つ並べてみたよ!
左のタイポグラフィは「ヨーロッパ工芸美術展」の宣伝ポスターだって。
色4色と文字だけを使用したシンプルなデザインに、グッと来るね!
黄色バックのほうは「シュレージエンの住まい」という雑誌の表紙みたい。
シュレージエンとは、かつて中央ヨーロッパにあった地域の名称らしい。
現在でいうとポーランドやチェコ、ドイツにまたがる地域だったようだね。
遠近法を使い、山型を配置した大胆な構図と色彩に目を奪われるよ。
この2つともTシャツになって欲しいデザインだよね!
ROCKHURRAHが絶対買うはず。(笑)

1932年の写真作品がこちらの2点だよ。
シューーールーーーー!(笑)
左は「The Lonely Metropolitan(孤独な大都市)」。
左右の手のひらにそれぞれ男女の目が映っている単純な仕掛けだけど、インパクトが強い。
タイトルと共に意味を考えたくなる雰囲気だよ。
右は「Humanly Impossible (Self-Portrait)(人間的に不可能(自画像))」で、バイヤー自らモデルになって制作された作品だという。
バイヤーはまず鏡に映った自分の姿を撮影しプリントした上に、水彩絵の具やガッシュをエアブラシで描きこみ、また撮影。
更にプリントし右下に署名した後、更に撮影。
3回目にできたネガからプリントされたものが作品として目にしているものらしい。
いわゆる「切り貼り」でのフォト・モンタージュではなく、アナログでphotoshop加工を行っている感じなんだね。
バイヤーの時代にphotoshopあったら、どんな作品を見せてくれたんだろう?(笑)

バイヤーは、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の創設館長であるアルフレッド・H・バー・ジュニアの招きにより、アメリカに渡る。
無事にドイツを離れることができて良かったよ。
伝わるところによれば、わずか25ドル(約4,000円!)だけ持ってニューヨークに着いたらしい。
25 dollars in my hand(ベルベット・アンダー・グラウンドの歌詞のパクリ)だったんだね。(笑)
1938年の展覧会「バウハウス 1919–1928」の展示設営を手がけるためで、左はその宣伝ポスター。
大胆な構図と抑えた3色のみ使用した色使いなど、いかにもバウハウスらしいデザインだよ!
アメリカでバイヤーは大きな成功をおさめる。
そのキャリアのスタートが25ドルだったとは驚きだよ。(笑)

バイヤーは広告の世界でも活躍したという。
左は1959年の「Olivetti(オリベッティ)」で、オフセット・リトグラフ技法が使用されている。
タイトルの「Olivetti」はイタリアの事務機器メーカー名で、タイプライターの製造・販売で創業した会社とのこと。
恐らくこの作品は「Olivetti」の宣伝ポスターだろうと予想するよ。
数字や四則が描かれ、曲がりくねったインクリボンが配置されているのはタイプライターをイメージしているからなんだね!
タイプライターを知らない人は、インクリボンの存在が分からないかもしれないな。
かつてSNAKEPIPEはタイプライター使っていたし、ワープロ世代の人にはお馴染みなんだけどね。(笑)

1962年にバイヤーが語った言葉がこちら。

私の仕事全体は、現代の芸術家が産業社会と対立する存在ではなく、その内部に組み込まれながら創造性を発揮しうることを示す表明である

これは先に書いた「アーティストと職人の区別をなくすこと」「機能性と合理性を兼ね備えた美意識」だよね。
バウハウスの理念のもと、生涯活動を続けていたというバイヤーを特集できて良かった。
作品観る度、ワクワクしてたもんね!
SNAKEPIPEの温故知新は続くよ!(笑)

SNAKEPIPE MUSEUM #78 Raoul Hausmann

20251102 03
【1920年、第1回国際ダダ見本市のカタログ表紙に使用された作品「Elasticum」】

SNAKEPIPE WROTE:

今週は「SNAKEPIPE MUSEUM」をお届けしよう。
仮想美術館に展示する作品を収集するというのがテーマのカテゴリーなんだよね。
どうしても好みが片寄り気味だけど、SNAKEPIPEが欲しいと感じるアーティストの作品を集めてるから許してチョンマゲ!
えっ、これって死語?(笑)
今回紹介するのはダダのアーティスト、Raoul Hausmann(ラウル・ハウスマン)ね!
作品紹介の前に、経歴を調べてみよう。

1886 オーストリア=ハンガリー帝国ウィーンに生まれる
1901 ベルリンへ移住
1905–1910 絵画と美術理論を学ぶ
1915 詩人・作家のリヒャルト・ヒュルゼンベックと親交を結び、前衛芸術運動への関心を深める
1917 ベルリン・ダダ運動の創設メンバーの一人となる
フォト・モンタージュ技法を確立
1918–1920 「ダダ・アルマナック」「Der Dada」などの出版活動に参加
反芸術・反戦・反ブルジョワ的立場を表明
1921–1923 タイポグラフィと音声詩(phonetic poetry)に注力する
1924–1932 写真家・評論家として活動
アヴァンギャルド写真の実験を行う
1933 プラハに亡命
1936 光と音の視聴覚変換装置オプトフォンを発明し、ロンドンで特許を取得
1938 フランスへ移住
後に南西フランスのリモージュ近郊ロシュシュアールに定住
1950– 哲学的詩やコラージュ作品を発表
1971 84歳で逝去

今年生誕140年なんだね!
ベルリン・ダダの創設メンバーで、ジョン・ハートフィールド、ハンナ・ヘッヒ、ジョージ・グロスらと活動していたんだとか。
2013年8月に「SNAKEPIPE MUSEUM #22 Hannah Höch」で紹介したハンナ・ヘッヒの名前が出てきて嬉しい。
ラウル・ハウスマンとハンナ・ヘッヒは恋人だったんだね。
ただしハウスマンは既婚者だったので、不倫関係だったみたいよ。(ひそひそ)
ハンナ・ヘッヒには「妻と別れるから一緒になろう」と言いながらも離婚しない、卑怯な野郎だったようだけどね。(笑)
2人で旅行した際、泊まった宿に「兵士の肖像画に息子の顔写真を5回貼り付けた」奇妙な作品を目撃し、フォト・コラージュの技法を思いついたらしい。
偶然がもたらした結果だったとは驚きだね!
ハンナ・ヘッヒとのお付き合いは数年で終了したようだけど、フォト・コラージュ(モンタージュ)を発明して楽しい時間を過ごしたんだろう、と想像する。
エキセントリックな関係だっただろうね!
まずはハウスマンのフォト・コラージュ作品から観ていこうか。

1923〜1924年に制作された「ABCD」。
口の中にタイトルの「ABCD」がある中央の顔はハウスマン本人なんだね。
写真や文字を何枚も重ねて貼り付けていく手法は、セックス・ピストルズを代表とするPUNKなスタイルだよね!
「破壊することは創造することだ」
という「ダダ哲学」を提唱したというハウスマンは、やっぱりPUNKの元祖だわ。(笑)
大胆な切り貼りを施しているのに、バランスが取れている作品だよね。
それにしてもここまで自分の顔をアップで使用するなんて、よほど自分に自信があるんだろうな。
顔の下に名前も入れてるし、まるで自己PRのポスターみたいじゃない?

フォト・コラージュからは離れてしまうけど、次もハウスマンのPUNKっぽい作品にしてみよう。
画像左は、1919年に発表された「The phoneme kp’ erioUM」は、実験的タイポグラフィの「音声詩」だという。
「既成の意味や構造」だったり「視覚構造の解体」を行った「オプトフォネット詩(optophonetic poem)」の代表作なんだって。
音響とタイポグラフィの印象で構成された、無意味な音の連なりとは、なんてアヴァンギャルドなんでしょ!(笑)
画像右は70年代オリジナルPUNK代表、セックス・ピストルズのLPだよ。
ハウスマンの「音声詩」から58年後に、「破壊と創造」を音楽で表現したバンドだよね。
そんなつながりを、ピストルズ誕生から48年経過した2025年になって記事にしているSNAKEPIPE。
100年以上前のアナーキスト、ハウスマンに脱帽だね!(笑)

1920年の作品「Dada im gewöhnlichen Leben (Dada Cino)」」は、フォト・コラージュの作品だよ。
ブルーを背景に、何枚もの切り抜かれた画像や文字が貼り付けられている。
「Dada Cino」は「Dada Kino」を模した造語らしく、訳すと「ダダ映画」になるらしい。
ところどころに「Dada siegt」とあるのは「ダダ勝利す」という、 ダダ運動のスローガンだという。
タイトルを訳すと「日常生活のダダ」だって。
意味についてハッキリ分からなくても、全体のバランスや色合いが美しい作品だよね!
左下に手書きされているのは、恐らく当時の恋人だったハンナ・ヘッヒに向けてのメッセージではないかと推測されているらしい。
「ダダの心を燃やしながら 永遠に君のもの!ラウル・ハウスマン」
ルイス・オルテガ監督の映画「永遠に僕のもの」みたいだね!(笑)

1920年の作品「Der bürgerliche Präzisionsgehirn erregt eine Weltbewegung (Dada siegt)」は「ブルジョワ的精密脳が世界運動を引き起こす(ダダ勝利す)」という非常に観念的なタイトルがついているよ。
靴やタイプライターが置いてある室内に掲げられた世界地図には「DADA」の文字があるね。
DADAが世界を制服しようとしているのかな?
脳の断面を見せている男性が機械化していき、無表情になっているのかもしれない。
「機械的な理性が支配する社会」を批判していたというハウスマンによる、風刺作品とのこと。
タイトルからも分かるように、かなりメッセージ性が強いもんね。
恐らく後方にいるコートを着た人物はハウスマン本人じゃないかな?
未来派だったり同時代のロシア構成主義やバウハウスは機械礼賛の立場の人が多かったけれど、ダダでは批判的なマシナリズムもあったんだね。
この点がとても興味深いよ!

「ダダ勝利す」をスローガンに掲げていたダダ運動は、1922年頃に衰退したらしい。
丁度その頃、ハウスマンとハンナ・ヘッヒもお別れしているんだよね。
「金の切れ目が縁の切れ目」ならぬ「アートの衰退が縁の切れ目」だったのか?(笑)
年表にあるようにハウスマンは写真家として活動するんだよね。
光と影が印象的なモノクロームの作品は、1931年のもの。
機械が放つ火花のように見えるけれど、ランタンの光などを長時間露光で撮影したのかな?
SNAKEPIPEの予想なので答えは違うかもしれないよ。(笑)
不思議な雰囲気のある作品で気に入ったんだよね!

もう1点、写真作品を載せてみよう。
1931年のベルリンで撮影された作品でタイトルはないみたい。
キレイに配置されたかのような人物のシルエットが面白いね!
2025年9月に書いた「ROCKHURRAH紋章学 Anton Stankowski 編」で、アントン・スタンコフスキーの写真作品を紹介した。
1932年の作品も俯瞰写真で、影が印象的だったことを思い出したよ。
同時代の写真家モホリ=ナギも俯瞰写真を撮影しているんだよね。
普段とは違う視点が新鮮だったのかもしれない。

1936年には「Optophon(オプトフォン)」という光と音を双方向に変換する装置を構想し、ロンドンで特許を取得している。
実現はしなかったようだけど、現代のマルチメディア・アートの先駆けだったんだね!
フォト・コラージュも、のちの時代に多大な影響を与えた技法なので、ハウスマンの偉大さが分かるよ。
改めてダダについて勉強できて楽しかった。
温故知新、これからも続けていきたいね!(笑)

SNAKEPIPE MUSEUM #77 Tempest Doll

20250907 03
【ティーソーサーに横たわる球体関節人形】

SNAKEPIPE WROTE:

当ブログのカテゴリー「SNAKEPIPE MUSEUM」では、定期的に人形作家の特集をするんだよね。
前回は2019年1月の「Pasha Setrova」だったようなので、およそ6年半ぶりの更新になるのかな。
定期的とは言い難い年月が経過していたね。(笑)

今回特集するのは、ポーランド、ザモシチ在住の人形作家Tempest Doll、直訳すると「嵐の人形」になるのかな。
ブランド名として確立されているようなので、カタカナでテンペスト・ドールと書いていくことにしよう。
テンペスト・ドールはMarta Żary(マルタ・ジャリ)という個人が手作りしているらしい。
Webページにテンペスト・ドールのページをいくつか発見できたけれど、詳細については不明だよ。
今回は年表などは無しで、作品のみを紹介していくことにしよう。

一番最初にSNAKEPIPEが観たのは動画だった。
その動画を観てコレクションしたい!と思ってしまったんだよね。
動画の共有が許可されていないので、こちらからご覧ください!
この人形は「「Porcelana(ポルセラナ)」で、「磁器」を意味するポーランド語だという。
青色に染付された中国の陶磁器みたい。
どんな動画なのか、文章で簡単に説明しよう。
左のように、箱に入ったバラバラのパーツから始まるんだよね。
体の中央になるバストからスタートし、腰や手足にゴム紐を通しながら、体が作られていく。
関節部分のゴールドがひょうたん型で面白い。
最終的には10頭身くらいのモデル体型人形(身長45cm)が出来上がる。
パーツから、こんな人形ができあがるなんて、素敵だよね!

上のポルセラナに似た中華風の「Epergne(エペルヌ)」。
飾り皿や花器などを意味する言葉らしいので、やっぱりモチーフは陶磁器なんだね。
この人形は、ポルセラナの約半分の大きさで18cmなんだって!
手のひらサイズで、この精巧さにはびっくり。
腕が4本あって、頭に金ピカの装飾が施されているので、仏像っぽくも見えるよ。
テンペスト・ドールが使っている素材はポリウレタン樹脂で、磁器や陶器に似た質感が出て繊細な造形が可能だという。
着色もしやすいらしいので、扱いやすい素材なんだね。

頭の飾りがグレードアップしているよ!
この人形には「The Observer(観察者)」という名前がついているよ。
上の2つとは造形が違い、胴体を細く長くし、腕を短くし、顔やパーツがリニューアルされているという。
ポリマー石膏に変更したことで、磁器のような見た目と質感を持ちながら、レジンよりも割れにくく環境耐性の高い仕上がりを実現することができたんだとか。
ところどころ、まるで青い血管のように走っているように見えるのは、ひび割れを強調し塗装しているんだって。
欠点を受け入れデザインとして取り込むことにした、テンペスト・ドールの新たなアプローチだと説明があったよ。
人形に対してというよりも、テンペスト・ドール自身の生き方を宣言しているようで、応援したくなってしまうね。

テンペスト・ドールの作品は販売されているんだよね。
ここまで観てきて、欲しくなった人も多いはず。
SNAKEPIPEも手に入れたくなってしまったからね!
現在販売されているのは、画像の「Carat(カラット)」で、身長45cmのタイプ。
王冠やウィッグ、衣装などが全てセットになっているという。
名前の「カラット」は、征服に人生を捧げあらゆる物を手にして、今では金そのもののように冷たく生気のない存在になってしまった女王というイメージなんだって。
テンペスト・ドールは、見聞きしたものからインスピレーションを得て、背景と共に制作に取り組んでいるんだね。
「カラット」のお値段は、送料を含めて日本円で約565,000円ほど。
1点物で、自分の好きなポーズを取らせることができる自由度を考えると、お手頃なのかな?
SNAKEPIPEは、ポルセラナで素材がポリマー石膏のタイプがあったら欲しいと思うよ。
テンペスト・ドールにリクエストして特注で作ってもらおうか。(笑)

SNAKEPIPE MUSEUM #76 John Walker

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【作品の前で笑顔を見せるジョン・ウォーカー】

SNAKEPIPE WROTE:

2025年6月に「形象 Keisho」展で鑑賞したドレーヌ・ル・バ(Delaine Le Bas)が、2024年度ターナー賞の最終候補に挙がっていた、と記事の中で書いているよね。
そこでふと「今年のターナー賞は?」と疑問を持ったSNAKEPIPE。
調べてみると、ニーナ・カルー(Nnena Kalu)、レネ・マティッチ(Rene Matić)、モハンマド・サーミ(Mohammed Sami)とゼイディー・チャ(Zadie Xa)がノミネートされているという。
4人の展覧会を2025年9月〜2026年2月で開催し、ターナー賞受賞者は2025年12月9日に発表されるんだとか。
今までブログに何度もターナー賞と書いてきたけれど、こうしたシステムになっていることを知らなかったよ。
勉強になりました!(笑)

1984年から始まっているターナー賞受賞者についても調べてみると、SNAKEPIPEには馴染みがないアーティストがいっぱいなんだよね。
多少はアートについて知っているつもりだったのに、面目ないなあ。
2008年6月に「ターナー賞の歩み展」を鑑賞しているにもかかわらず、である。
受賞者と候補者の一覧を調べても、知らない名前ばかりで悔しい。
それならばリストの中から、今まで知らなかった好みのアーティストを見つけてみよう!と目を輝かせる前向きなSNAKEPIPE。(笑)
1984年から確認していき、1985年の候補者のジョン・ウォーカー(John Walker)という抽象画家に目が留まる。
スコッチ・ウイスキーのジョニー・ウォーカーの創業者と同じ名前だね。(笑)
冗談はさておき、ジョン・ウォーカーの経歴を調べてみよう。

1939 イングランドのバーミンガムに生まれる
1956〜1960 バーミンガム美術学校で学ぶ
1960〜1961 ローマのブリティッシュ・スクールで学ぶ
1961〜1963 パリのアカデミー・ド・ラ・グラン・シャオミエールで学ぶ
1967〜1969 リーズ大学のグレゴリー・フェロー(研究者)を務める
1969〜1970 ハークネス・フェローシップでアメリカに渡る
1972 ヴェネツィア・ビエンナーレにイングランド代表として出展
1977〜1978 オックスフォード大学のアーティスト・イン・レジデンスを務める
1980〜 オーストラリアのメルボルンにあるビクトリア美術大学の学部長を務める
1985 ターナー賞にノミネートされる
1993〜2015 ボストン大学(Boston University)で教鞭をとる

1939年ということは、今年86歳になるんだね。
現在はボストン大学ビジュアルアーツ学部の名誉教授だという。
作品制作だけではなく、教育にも力を入れているアーティストなんだね。
ニューヨークの近代美術館(MOMA)やロンドンのテート他、多くの名だたるギャラリーで個展を開催しているんだとか。
作品が世界中の有名美術館に所蔵されていることも分かったよ。
もしかしたらSNAKEPIPEもどこかで作品を目にしているかもしれないね?
それではジョン・ウォーカーの作品を紹介してみよう!

この作品を目にした時、てっきりデヴィッド・リンチの手による絵画かと勘違いしてしまったSNAKEPIPE。
色使いやらモチーフが似た雰囲気なんだよね!
1991年に今はなき東高美術館で鑑賞したデヴィッド・リンチ展を思い出すよ。
特にどの作品が近いということはないけどね。(笑)
これはジョン・ウォーカー、1980年の「A MOROCCAN」という作品。
直訳すると「モロッコ人」になるけど、人の気配は感じないね?
作品のサイズが「10’ x 8’」なので、約305cm × 約244cmという大きさだって。
こんなに大きな絵を飾れたら素敵だろうね!

続いては1984年の作品「Untitled #11 (Alba Series),」だよ。
構図は「A MOROCCAN」とほとんど同じだね。
赤色が強くて、右側に頭蓋骨らしき白が見えるところが不気味だよ。
この作品を制作した年にターナー賞候補になっているんだね。
大きさは91.4 x 71.8 cmとのこと。
「A MOROCCAN」に比べると、小さめの作品だよ。
お値段$3,000 ( 約43万円)〜$5,000(約72万円)で取引されたらしい。
似た構図の作品を並べて鑑賞したいよ。

1996年にバーミンガム大学・アーツビル玄関ホールに設置された壁画 「The Blue Cloud」(部分)を載せてみたよ。
1994年、ジョン・ウォーカーにバーミンガム大学名誉文学博士号が授与された縁もあって、大学から依頼されたらしい。
絵の中に文字が書かれているところもリンチっぽい、と「にんまり」してしまう。(笑)
ジョン・ウォーカーが書いたのは、ウィルフレッド・オーエンとバイロン卿の詩からの一節なんだとか。
生と死、出会いと別れといったテーマが盛り込まれているという。
毎日この壁画と対面する大学生は、どんな気持ちで鑑賞するんだろう。
実物を観てみたいよ!

「The Blue Cloud」の翌年に制作された「Anger Anguish」。
ジョン・ウォーカーには抽象的なモチーフが多い中、はっきりと人物が描かれているのが珍しい。
タイトルを直訳すると「怒り・苦悩」になるので、登場している人物の心情なのかも。
画像からは読み取れないけれど、何やら文字が書かれているよね。
2分割された画面の下段に「FOR YOU」と書いてあるのだけは読めたよ。
一体何を意味しているのか不明だけど、強い感情を表現したことは分かるね。
この時ウォーカーは58歳くらいかな。
丸くなろうなんて、これっぽっちも思ってないように見えるよ。
パンクっぽくて、いいね!(笑)

ジョン・ウォーカーはずっと活動を継続していて、「Clammer’s Marks North Branch」は2003年の作品だって。
直訳すると「貝採り漁師の痕跡:ノースブランチ」とのこと。
白髪一雄を思わせる大胆な筆使いだよね。
描いた上から何度も色を重ねていくうちに、最初に描いた部分を打ち消したみたいに見えてくる。
文字もところどころ消されていて、何だか分からないよね。
山口百恵の「美・サイレント」での口パクみたいに、受け取り側が想像するしかないかも。(例えが古過ぎ)
縦約244cm × 横約213cmの大型作品は、頭じゃなくて心で感じたら良いんだろうな。

2016年の作品「Caitlin Lee」はモノクロームで、抽象化が進んでいるね。
レストランや豪邸に、展示したらオシャレだろうな。
北欧のテキスタイルにも見えてくるよ。
批評家の一人がジョン・ウォーカーを「過去50年間で際立った抽象画家のひとり」と評したというのも納得!
不思議な形で構成された作品だけど、構図と色のバランスが抜群だよね。
SNAKEPIPE MUSEUMに所蔵したくなるよ。

ジョン・ウォーカーのサイトでは、2023年に制作された作品も鑑賞することができる。
2年前なので84歳かな。
約183cm × 約168cmほどの大型作品を精力的に手掛けているみたい。
「絵を描くことに退屈を感じたら、制作をやめる」とインタビューで答えているので、いまもなお作品制作が面白く感じているんだね!
2024年12月に鑑賞した「松谷武判展」の松谷武判は1937年生まれで88歳、我らが横尾先生も1936年生まれの88歳!
現役で活動を続けている80代のアーティストがいっぱいいて嬉しいね。
今まで知らなかったジョン・ウォーカーを知ることができて良かった。
これからも温故知新で知識を広げていきたいと思ったSNAKEPIPEだよ!(笑)