時に忘れられた人々【32】アウトドア編

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【見事に山が全然似合わない野郎ども】

ROCKHURRAH WROTE:

最近、ブログ記事以外の事ばかりやってたので、実に久々の登場となるROCKHURRAHだ。

何をやってたかと言うと、ウチのブログの引っ越しで陰ながら悪戦苦闘していたのだ。
実はここ一ヶ月以上も色々な不具合が起きてて、定期的に当ブログを読んで下さる方々からも、愛想を尽かされかねない状態のままだったのだ。
不具合の原因も特定出来ないし、そこまで試行錯誤の時間もかけていられない。
一番手っ取り早いと思ったのが同じサーバー内で新しいブログを作って、引っ越しするという計画だった。
「その方が面倒」と思われる方も多いだろうが、Wordpress自体はごく簡単にインストール&移植出来るのであまり深く考えず、気軽に作ってしまったよ。

結果として新しい方で問題となった不具合は解消されたけど、あっちをやればこっちが変、というような連鎖で思ったよりは手間取ってしまった。
見た目がほとんど変わってないので実は移転した事に気付かない人も多いだろうけど、もう新しいブログに変わってしまったので、読んで下さる方はブックマークに登録して下さい。
https://rockhurrah.com/blog/
まだ内部リンクの修正とかが全然出来てないので全然違う記事や違う画像にリンクが飛んだり、ブログ運営としては致命的な点も多いのが痛い。しかし、こっそりいつの間にか修正してると思うので、どうか愛想を尽かさないでね。

相変わらず言い訳が長かったけど、今回はこれまた久々「時に忘れられた人々」シリーズを書いてみよう。なんと、このシリーズも2年くらい書いてなかったね。

ちょっと前までは雨が降っても気温がそこまで高くない日が続いて「これくらいの気候が一番いいよね」とSNAKEPIPEと2人で喜んでたのに、当たり前だが季節的にどんどん蒸し暑くなってきて、これからが個人的には最もイヤな夏となる。

先週のSNAKEPIPEの記事でも明らかなようにROCKHURRAHは絵に書いたような雨男だ。
「ハウス・ジャック・ビルト」を観に行った新宿でも、よりによって移動中だけ土砂降りの大雨。
その後のまた別の日、約束してたSCAI THE BATHHOUSEへ横尾忠則を観に行った時の事。
出かけようとドアを開けた途端に雨降り、この日は一日中ムシムシでじっとりしていたなあ。

雨降りが嫌いか?と聞かれると嫌いなのは雨自体じゃなく、傘をさして建物に入る時や乗り物に乗る時にまた畳んで、という煩わしい行為にあるんじゃないかなと思ってるよ。どこかの窓辺で雨を眺めたり雨音を聞いたりするのはむしろ好きだからね。小林麻美みたいだな。

2、3回振っただけで水滴がほとんど落ちるという超撥水の傘を知り、これはいいと買ってみたんだけど、ケチって安物を買ってしまい撥水力は全然なし。メーカーの謳い文句やレビューに完全に騙されてしまった悔しい体験をしたのは去年の事。同時に買ったSNAKEPIPEの有名な傘は文字通りの超撥水だったので一層トホホな思いで雨が降るたびに後悔してるよ。ほんの数千円の違いなのにね。

最近では格別にそういうのに興味なさそうな人でもゴアテックス素材のアウトドア・ウェアーを着てたりして雨なんかへっちゃらな人々が街中に溢れてる状態。街中でこれだからアウトドアのメッカ、山の中はそういうブランドの見本市みたいな状態だろうと想像するよ。

ROCKHURRAHも嫌いではないんだけど、機能性衣類と言えばアウトドアよりもミリタリーの方にどうしても目が行ってしまう。ただし本格的なものはどれも高いのが当たり前の世界だから、そういう熱も最近では少し醒めてきたよ。身につけるにしても、少しでも人とかぶらないマイナーなメーカーをわざわざ探してるもんな。

読んでる人にとっては脈絡のない話かも知れないけど雨→防水→アウトドアという連想が個人的に出来上がってしまっただけ。というわけで今回は夏のレジャー・シーズンに向けてアウトドア特集にしてみよう、というお粗末な前フリだったのだ。

ROCKHURRAHが好きな70年代パンクも80年代ニュー・ウェイブもアウトドアとは無縁のイメージだけど、単に外でビデオ撮影してるだけのものをいくつか挙げて、それでアウトドア特集とはかなり無理があるのは承知で進めてみよう。

不健康そうな見た目とは裏腹にアウトドア度満点?なのがこれ、ジーザス&メリーチェインの1985年の3rdシングル「You Trip Me Up」だ。
いや、単にどこかの砂浜に楽器持ち込んでるだけの映像なんだけど革ジャン、革パンと海辺の陽光、景色との不調和がなかなかだね。VOXのファントム(という五角形っぽいギター)を砂浜に挿したりして本物のヴィンテージだとしたらもったいない。

ROCKHURRAHも大昔に社員旅行でグアムに行った時、ジーザス&メリーチェイン(あるいはシスターズ・オブ・マーシー)とほぼ同じような服装でずっと通して、周りからは違和感を持たれまくったという思い出がある。
当時は自分のスタイルが絶対こうだという事に固執し続けていて、TPOに合わせて服装を変えるなど出来なかった若かりし頃。
今でもスタイルのヴァリエーションが極端に少なくて「今日はこれ風」みたいなのが全然なくて、いつでもどこでも同じような服装をしてるな。いい事なのか悪い事なのかは抜きにしてもあの頃と比べて何も進歩してないよ。

ジーザス&メリーチェインはジム・リードとウィリアム・リードを中心とした兄弟バンドで、スコットランドのグラスゴー近郊、イースト・キルブライドというニュータウンの出身。日本で言えば千葉ニュータウンや越谷レイクタウン出身みたいなもんか?
1980年代半ばにデビューしてまたたく間に人気バンドとなった4人組だが、初期には後にプライマル・スクリームで有名になるボビー・ギレスピーもメンバーだったな。
ストレイ・キャッツのスリム・ジム・ファントムが生み出したスタンディング・ドラム。
要するに立ったまま最小のドラム・セットを叩くだけというスタイルなんだが、ロカビリーでもないボビー・ギレスピーがそれを踏襲してたのが、ニュー・ウェイブのバンドとしては目新しいところ。
そして、生音で聴いたら何でもないような甘い60年代ポップス風の曲に、なぜかギターのフィードバック・ノイズを大々的にかぶせて、ルー・リードっぽく歌うという手法により一躍話題となった。
全く相反する要素(ノイズ+ポップ)によるうまい組み合わせは、デヴィッド・リンチ監督の言う「ハッピー・ヴァイオレンス」みたいなものだろうね。

このフィードバックによる甘美なポップというスタイルは当時としては斬新だったけど、それじゃ一発芸みたいなもので飽きられるに違いない。
って事でこの手のノイジーなポップは1stアルバムの数曲しかなく、残りは大体同じパターンのフィードバック・ノイズなしの甘い曲という路線で、なんかコード進行も似たり寄ったりの曲が多いな。
ROCKHURRAHは飽きたけど女性ファンを中心に、数年間は栄光を掴んでたバンドだったという印象だ。
限定盤のシングルや編集盤なども含めてレコードはかなり出してたような記憶があるけど、やっぱり最も初期の「Upside Down」や「In A Hole」「Never Understand」が一番良かったように思えるよ。

肝心のアウトドア要素については全く触れてないけど、太陽の下に出て大丈夫なのか?と思えるようなバンドなので、不問にするか。

次のアウトドア派はこれ、キッシング・ザ・ピンクの1983年の曲「Mr. Blunt 」だ。
ブラントは「鈍い」とか「なまくら」という意味らしいが・・・。
記事の最初の方に超撥水の傘について書いたけど、ケチった方じゃなくてそれより前に使ってたのが「風に強い」というニュージーランドのブラントという傘だった。
これはむしろそれなりに高級品と言えるくらいの値段だったけど、開いた形が気に入って買ってみたもの。
形も開いたり閉じたりも申し分なかったんだけど、折りたたんだ時にやたら大きくて重い、開いた時にはとても小さい(ちょっとした雨でも濡れる)というもの。折り畳み傘の「コンパクトに畳める」という重要な要素を一切無視した、ある意味すごい商品だな。
まさにこれこそブラントの名にふさわしい。

キッシング・ザ・ピンクはロンドンの王立音楽院の学生たち、その友達のホームレスなどが参加した大所帯バンドで、80年代前半に結成。全員で一軒家に共同生活をしながらバンドとしてのキャリアを築いていったという羨ましい境遇だよ。

1stシングルがいきなりジョイ・ディヴィジョンで有名なマーティン・ハネットによるプロデュース。
その後はマガジンやヒューマン・リーグ、デュラン・デュラン、オンリー・ワンズなどの名盤を手がけた事で高名なコリン・サーストン(デヴィッド・ボウイの「Heroes」のエンジニアだった)によるプロデュースという、80年代バンドとしては夢のようにラッキーな出だしを飾った、かなり恵まれたバンドだったと思える。
日本盤も出なかったし当時の日本ではあまり話題にならず、知名度がイマイチな英国バンドだったという気がするが、本国では「The Last Film」のヒットもあり、メジャーでもそこそこいけるニュー・ウェイブ・バンドだったんだろう。

他の曲のプロモーション・ビデオやTV出演の映像を見ると、パッと見は結構モード系のいかにも英国って雰囲気なんだけど、よーく見ると格別ルックスに自信がありそうなメンバーがいなさそう。
この時期のイギリスの準メジャーなバンドは「レコード会社に着させられた」ような衣装のバンドが多くて、そのパターンだったんだろう。
キッシング・ザ・ピンクは曲によって全然違った印象があって「こういうバンド」と一言では言えないところが特色か。ヴォーカルもその時によって違うような気がする。

ROCKHURRAHは当時このバンドの事を全く知らなかったけど、「Maybe This Day 」というシングルをなぜだか買ったのを覚えている。ジャジーな雰囲気の渋い曲でヴォーカルも男だか女だかわからないけど、その当時この系統のものを探してたわけではないから個人的にはイマイチの印象しかなかったよ。
しかしこの曲が一番「らしくない」曲調だったと後になってわかったのを思い出す。懲りずに入手した「The Last Film」は全然違う感じだったからね。

さて、ビデオの曲「Mr. Blunt 」は他のビデオ映像で見る彼らとは全然違っててカジュアルな私服。
どこかの牧場で演奏しながら歩いてゆくだけの映像でこれがアウトドアなのか?と聞かれれば「うーむ」と答えるしかないシロモノ。
このちょっと前に一瞬だけ流行った、キング・トリガーの「River」とかにも通じるドラム連打の曲調と、伸びやかに歌う楽しげな雰囲気が仲良しサークルっぽいね。今どきは誰も言わないと思うが「えんがちょ」なシーンもお約束だね。

お次はこれ、当ブログの「80年代世界一周 西班牙編」でも紹介したスペインの変なデュオ、Azul y Negroだ。
スペインのエレポップ、シンセ・ポップの分野では最も早くから活動してるとの事で1981年から2016年くらいまでコンスタントに作品を発表している大ベテランだ。
しかし、前にも書いた通り、ニュー・ウェイブのバンド(ユニット)とは思えない微妙な服装のヒゲおやじとラメ系が似合う長身の男という、どうにもチグハグなルックスの二人組。

今回のビデオ「Me Estoy Volviendo Loco(自動翻訳による邦題:私は夢中です)」は1982年のヒット曲だそうだが、見ての通りゴルフ場に白塗り女を連れてきて、芝の上で踊らせながら演奏するという、ありえないようなシチュエーション。
女は新体操上がりなのかリボンを使ったようなパフォーマンスしているのだが、この歌と踊りが一体何を表してるかが全く不明。このビデオがアウトドアなのか?と聞かれれば「ファー」と答えるしかないシロモノ。

そして注目なのがやっぱりヒゲおやじの眼力、一体何が嬉しいのかわからんが絶えず表情を変えてノリノリの様子。鍵盤をパシャっと叩いて指先を上げるオーバーアクションなんてピアノならともかく、シンセサイザー演奏の時にはそうそう見られないと思うけど、それを臆面もなくやってニヤニヤしてるよ。
フラメンコに闘牛といった派手なアクションが多いスペインのお国柄だから、これでいいのか。
アウトドアと言うよりは外で出会ったら厄介な怪しいおっさんと言ったところかな。

今回のROCKHURRAHの記事は珍しくメジャーなのが多いけど、そもそもあまりマイナーなバンドにはプロモーション・ビデオもない場合が多いから仕方ないね。
で、アウトドアと言えば思い出すのがこの曲、クラッシュの1982年のヒット曲「Rock The Casbah」だ。
ROCKHURRAHと同じくらいの世代(つまり80年代が青春の人々)にとって、夏に聴いて元気が出る曲の決定版だろう。働いてた喫茶店の有線でしょっちゅうリクエストしてたのが思い出だよ。

何人か音楽や服装の好みが合う友人がいて、たまり場にしてた店だったんだけど、ROCKHURRAHはマスターに誘われてバイトを始めたのだ。
マスターが生活破綻してるような人間で朝に来ない日もしょっちゅう、ROCKHURRAHが自分で店を開けてランチタイムまで一人で切り盛りしてたなあ。今、同じ事をやれと言われてもパニックになりそうだけど、若い頃は意外とそういう順応性があったんだな。

店にはもう一人、夕方からのバイト女がいて、結構ツンケンしたタイプのヤンキー上がり、しかもどうやらジューダス・プリーストとかアイアン・メイデンだとかそういうのが好きらしい。
パンクでニュー・ウェイブなROCKHURRAHとは水と油みたいなものだけど、そのうち打ち解けてしまったのも若い頃の順応力だよ。
その人のお姉さんが有線放送で働いてて、リクエスト受付だったから、矢継ぎ早に色々リクエスト電話してたもんだ。こっちは感じの良い人だったな。

友達はそういう店をたまり場にしてて結構長居するタイプだったんだけど、彼らは遊びに来てるだけでこっちは仕事中、そしていつかは友達も帰ってしまう。そういう、一人だけ取り残されたような寂しさも青春の思い出だよ。
うーむ、思い出話ばかりになって、もはや「時に忘れられた人々」もアウトドア要素もなくなってしまった気がするが、きっと気のせいだろう。

クラッシュのこの曲はドラマーのトッパー・ヒードンによるもので、ちょうど流行っていたファンカ・ラティーナとパンクとイスラム調がうまく融合した、ノリノリの名曲だと思う。
油田の中みたいな場所で演奏してるだけなのにとにかく絵になるカッコ良さ。アーミーな出で立ちのポール・シムノンに憧れたものだ。ミック・ジョーンズに至っては虫よけキャップ(顔のあたりがヴェールになってる)みたいなのをかぶったまんまで最後にやっと脱ぐという、ちょっと損な役回り。そして肝心の作曲者、トッパーがドラムじゃないというのが物悲しい。この時は薬物中毒ですでに脱退してるんだよね。

クラッシュはこういう暑そうなビデオもあるけど、「London Calling」のようなすごく寒そうな船の上のビデオもあって、全季節対応のアウトドア野郎だと言えるね(いいかげん)。

最後のアウトドアなビデオはこれ、1981年に出たバースデイ・パーティの「Nick the Stripper」だ。

1970年代後半にボーイズ・ネクスト・ドアという名前でデビューしたオーストラリアのバンドだが、全く同じメンバーでバースデイ・パーティと改名。
オーストラリアでそれなりに成功してた頃は割とポップで普通の印象があったけど、改名後は原始的なビートとヒステリックにかき鳴らした耳障りなギター、それにかぶさるニック・ケイヴの迫力ある歌声というフリー・スタイルな音楽性に開眼した。
メジャーなヒットとは無縁となったが、80年代初頭にオルタナティブな音楽のバンド達が次々に新しいスタイルを確立した時期にもてはやされて、インディーズの世界では確固たる地位を築いた重要なバンドだった。
ROCKHURRAHが書いた記事「俺たちバーニング・メン」でも同じような事書いてるな。

ビデオはサーカスのテントのようなところから外に出たバンドの面々が瓦礫か荒れ地みたいな野外パーティの中を練り歩くというもので夜のアウトドア満喫(?)の映像だ。
この頃のニック・ケイヴはまだ野生少年みたいな若々しいルックスで「10歳までフクロオオカミに育てられた」と言っても信じる人がいそうなくらい。タイトル通りに布をまきつけたパンツ一丁で、不気味な群衆の中で踊る映像は音楽ともピッタリで好みのもの。
ローランド・ハワードはタバコ吸いすぎというくらい、いつも咥えタバコの美形ギタリスト、ベースのトレイシー・ピュウはいつもテンガロン・ハットがトレードマークのナイスガイ。健康的なバンドとはとても言えないけど、この二人ともすでにこの世を去ってしまってるのが残念だよ。

バースデイ・パーティのライブを観る事はかなわなかったけど、その後のニック・ケイヴ&バッド・シーズの来日チケットは取る事が出来て、ど迫力のライブに感動したものだった。この時はブリクサ・バーゲルト(アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン)、バリー・アダムソン(元マガジン)、ミック・ハーヴェイ(元バースデイ・パーティ)、キッド・コンゴ・パワーズ(元ガン・クラブ)といった黄金のメンツで演奏も最高だったよ。

さて、海、牧場、ゴルフ場、油田、荒れ地と巡ってきたアウトドア特集だが、やる前からわかってたように通常の意味でのアウトドアな要素は皆無だったね。選んだバンドも不健康そうなのばかり。
昔は確か夏=アウトドアというイメージが定着してたけど、実際は夏の屋外と言えば熱中症や日焼け、雷雨やデング熱やマダニなどなど、危険がいっぱいという印象があるのは確かだね。
ブームと本気でやってる人との格段の差が現れるジャンルでもあるから、自然を侮らないようにね。

それではまたレヒットラオート(ヘブライ語で「さようなら」)。

ハウス・ジャック・ビルト 鑑賞

【映画ポスターを撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

2016年に鑑賞したヴァニラ画廊での「シリアルキラー展」の時、映画の半券を提示すると割引料金でチケットを購入できます、と告知されていた。

それは「レジェンド 狂気の美学」で、1950年代にロンドンで暗躍したクレイ兄弟の伝記映画だった。
犯罪映画とタイアップして絵画展を企画しているのか、今年2019年にも同じような記事を発見した。
今回の映画はラース・フォン・トリアー監督の「ハウス・ジャック・ビルト」だという。

ラース・フォン・トリアー監督と言えば、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した「ダンサー・イン・ザ・ダーク(原題:Dancer in the Dark 2000年)」が有名だよね。 
ニンフォマニアック(原題:Nymphomaniac 2013年)」など性に関する過激な映画もあり、話題に上りやすい監督と言えるのかな。
公開される映画について調べてみると、カンヌ国際映画祭でプレミア上映され、途中で席を立つ観客が続出したという「いわくつき」の映画とのこと。
そう聞くと俄然興味が湧いてしまうのはSNAKEPIPEだけだろうか。
映画について検索すると、不思議なポーズを決めたポスター画像が何枚も出てきて、猟奇殺人の雰囲気が漂う。
これは是非とも鑑賞しなければ!(笑)

公開は6月14日とのこと。
翌日を鑑賞日に決め、新宿のバルト9に向かうROCKHURRAHとSNAKEPIPE。
なんと、この日は土砂降りの雨!
さすが自他共に認める雨男のROCKHURRAHだよね。
統計は取ってないけど、かなりの確率で雨模様の外出になっているような?
SNAKEPIPEは長靴を履いて正解だったよ。

劇場に入る際、チケットもぎりの女性から手渡された物がある。
これは映画用ポスターのポストカード。
嬉しいプレゼントだけど、何故か2枚ともトリアー監督がポーズを決めたバージョン。
体が捻じ曲げられたポーズを取るポスターは全部で7種類はあったようだけど、なんで2枚ともトリアー監督なの?
よりによって一番人気がなさそうな(失礼!)カードを手にするとは、アンラッキーだなあ。(笑)
公開2日目で、観客の入りは約8割かな。
映画館でイヤな気分になることは避けたいので、大抵の場合は2人席を予約することにしている。
今回は前も後ろも静かな方で良かった!
それでは映画の感想をまとめていこうかな。
※ネタバレしていますので、未鑑賞の方はご注意ください。

まずは映画のトレイラーを載せておこうか。

主演がマット・ディロンなんだよね。
マット・ディロンと聞いて、少し懐かしい感じがするよ。
1980年代には「アウトサイダー(原題:The Outsiders 1983年)」や「ランブルフィッシュ(原題:Rumble Fish 1983年)」で一躍脚光を浴びた俳優だよね。
SNAKEPIPEはサントラを所持している「ドラッグストア・カウボーイ(原題:Drugstore Cowboy 1989年)」の印象が強いな。
ROCKHURRAH RECORDSでは相変わらず週に1、2本の映画を鑑賞する習慣が続いているけれど、ここ最近マット・ディロンの映画を観た記憶がないんだよ。
たまたま好みの映画に出演していないだけかもしれないんだけど。
そのためSNAKEPIPEは、2000年以前のマット・ディロンの顔しか知らないんだよね。

そんなマット・ディロンが主演のジャックを演じている。 
えっ、本当にマット・ディロンなの、と思ってしまう。
確かに今年で55歳だから顔に変化があるのも当然ね。
血飛沫を顔に浴びながら、満足気に微笑む顔は、まさにシリアルキラーそのもの!
ちょっと反抗的な悪ガキのイメージから、本物の悪党になるとはさすがだよ。(笑)

ここで「ハウス・ジャック・ビルト」のあらすじを書こうかな。 

1970年代の米ワシントン州。
建築家になる夢を持つハンサムな独身の技師ジャックはあるきっかけからアートを創作するかのように殺人に没頭する・・・。
彼の5つのエピソードを通じて明かされる、 “ジャックの家”を建てるまでのシリアルキラー12年間の軌跡。(公式HPより)

最初から殺人鬼だったわけではなく、あらすじにあるように「きっかけ」があったんだよね。 
それが「1st INCIDENT」として語られる。
親切心から車の同乗を許したのに、高飛車な態度を取られたら、頭に来るのは当たり前じゃないかな。
裕福な家柄のマダムといった装いのユマ・サーマン、「キル・ビル(原題:Kill Bill 2003年)」の頃とはイメージが全く違うね。 
高圧的で、まるでジャックの殺人欲(変な言葉だけど)を煽るような発言を繰り返す。
ここで踏みとどまるのが通常の心理状態だけど、ジャックは一線を越えてしまうんだよね。
「キル・ビル」の時に習得した必殺技を駆使すれば、最悪の事態は避けられたはずだけど、そううまくいくはずはないか。(笑)

これが最初の殺人のようだけど、ジャックには元々「人を殺したい」という欲望があったんだろうね。
真っ赤なワンボックスカーは、荷物(死体)を運ぶのに適している。
冷凍ピザ用の倉庫を買い取っている。
最初の殺人まで使用された形跡がないので、「その日が来る」のを待ち望み準備していたのでは、と想像する。

車の前で画用紙を次々をめくり、投げ捨てるシーンがはさまれる。
これってボブ・ディランのパロディだよね。

以前にも別のミュージシャンが、このパターンでビデオを撮っているのを観たことあったよ。
1965年にリリースされたという、50年以上も前のアイディアが未だに影響力を持っているとは驚き!

「ハウス・ジャック・ビルト」のあらすじにも書いてあったけれど、ジャックはアートに興味があるんだよね。
劇中にゴーギャンやバウハウスの建築など何枚もの絵画や、カナダのピアニストであるグレン・グールドの演奏シーンがはさまれる。
ジャックは建築家に憧れている建築技師、という設定なんだよね。
日本とアメリカでは基準が違うのかもしれないけど、Wikipediaによる違いはこんな感じ。
・建築士は、建築物の設計および工事監理を行う職業の資格、あるいはその資格を持った者
・建築家は、一般に建築における建物の設計や工事の監理などを職業とする専門家
似ているようだけど、建築家は建物のデザインや芸術性にこだわりを持っている、ということになるのかな。
ジャックは技師として、それなりの収入を得ているようで、前述したように車を所持し、冷凍倉庫を購入している。
更に自ら家を設計し建築するために土地まで購入するんだよね。

自分のための設計をしながらも、殺人は続いていく。
映画はジャックが誰かに己の犯罪について告白する体裁を取って進行していく。
「こんなことがあった」と語り、その時の再現が映像として流れるのである。
2番目に語った殺人事件も被害者は女性だったんだけど、この時のジャックは見るからに挙動不審者なんだよね。
突然ピンポンして訪ねた男が、最初は警察官と名乗り、会話の最中で「実は保険屋なんです」と態度を変える。
こんなジャックを信用して家に招き入れた女性にも非があるとは思うけど、後から来た本物の警察官もかなりずさんな対応だったよね。
あの時に勾留していたら、ジャック逮捕につながったのにね?

ジャックは「強迫性障害」という病気なんだよね。
潔癖症のため、掃除が行き届いていないと苦しくなるらしい。
2番目の殺人の後、この病気が起こり、何度も殺人現場に戻り、血の跡が残っていないかを確認する作業を繰り返す。
松尾スズキが出演していることから鑑賞した映画「イン・ザ・プール(2003年)」でも、強迫神経症の話があったことを思い出す。
2017年9月の「映画の殿 第26号 松尾スズキ part2」で、感想を書いているね。
何度も鍵をかけたか確認するため家に戻るような症状なんだけど、犯人が何度も現場に戻り、掃除をするというのはブラック・ジョークだよ。
思わず笑っちゃったもんね。(笑)

強迫性障害だったり、感情を表情に表すことが難しいジャックだけれど、心を奪われた女性がいるんだよね。
恐らくニックネームだと思うけど、「シンプル」と呼ばれていたよ。
「殺しよりも好き」とまで語っていたジャックだけれど、シンプルに対する態度は、とても愛する女性への接し方とは思えないほど横暴だったね。
シリアルキラーが「記念品」を欲しがる、という話を何かで読んだことあったけど、この時のジャックがまさにこの状態だったよ。
ジャックに愛されてしまったシンプルを演じたのはライリー・キーオ
なんとエルビス・プレスリーの孫娘だったよ。
ランナウェイズ(原題: The Runaways2010年)」や「マッドマックス 怒りのデス・ロード(原題:Mad Max: Fury Road 2015年)」にも出演していたようだけど、あまり覚えがないなあ。

ジャックにとって人を殺すことには、どんな意味があったんだろう?
殺害後、ジャックは死体をモデルにした写真撮影を行っているんだよね。
まるで写真用のモデルが欲しくて、犯行に及んでいるかのよう。
デヴィッド・フィンチャー監督の「セブン(原題:Seven 1995年)」やテレビ・ドラマ版「ハンニバル」では、まるで殺人アートと呼びたくなるような「絵になる殺人現場」が特徴的だったよね。
ジャックもそんな「作品」を手がけたかったのかもしれない。
額に見立てた地面の枠の中に、カラスの死骸と人間の死体を並べた様子は、 アーティストを気取っているようじゃない?
恐らくこの殺人のシーンが、アメリカではカットされたのではないかと推測するよ。
どのシーンがカットされていたのか、調べたけどよく分からなかったんだよね。

ついにジャックは家を創る。
ジャックにしか手にすることがでない素材を使い、自分のためだけの家が完成する。
これがジャックが建築家として建てた作品なんだよね。
素材集めのためにシリアルキラーになっていたのかなあ。
「ハンニバル」っぽい感じだよ。
家の床にはぽっかりと穴が空いていて、声に誘われるまま穴に落ちていくジャック。

声の主はブルーノ・ガンツ演じるウェルギなる謎の人物。
映画の冒頭から、このウェルギとジャックの会話形式により展開していたんだね。
後半になってやっとウェルギが登場し、ジャックの案内人であることが分かる。
ブルーノ・ガンツはヴィム・ヴェンダース監督の「ベルリン・天使の詩(原題:Der Himmel über Berlin 1987 年)」で天使役だったんだよね。
天使から、地獄の案内人まで演じるとは!
どうやら2019年に亡くなっているようで、本作が遺作になったのかもしれないね?

非常に印象的な船のシーン。
元ネタはドラクロワの「ダンテの小船 (地獄の町を囲む湖を横切るダンテとウェルギリウス)」のようだね。
ダンテの「神曲 地獄篇第8歌」のシーンを描いているという。 
赤い頭巾のダンテと案内人であるウェルギリウスが小舟に乗り、地獄の川を下っていく。
小舟にしがみつき、這い上がろうとする死者達の姿が生々しく、恐ろしい表情を見せているところが印象的な作品だよね。
「神曲」は読んだことがないんだけど、様々な分野に影響を与えた作品のようで、永井豪の作品もあるらしいよ。
ダンテも永井豪も、どちらも読んでみたいね!(笑)

「神曲」同様、ジャックもウェルギに先導され、地獄めぐりをしていく。
60人くらい殺したかな、などと淡々と語りながら歩くジャック。
あらすじに「シリアルキラー歴12年間の軌跡」と書かれているので、割り算だと1年間に5人を殺害した計算だね。
殺しを重ねていくうちに強迫性障害が良くなっていった、というのもブラック・ジョークか?
自分にはツキがある、と信じていたジャック。
Wikipediaによると「神曲」では、ダンテが永遠の淑女ベアトリーチェに導かれ、天界へ昇天するらしい。
ジャックはどうだろう?
運をつかむことができるのだろうか。
と、未鑑賞の方のためにボカしておこう。(笑)

劇中に何度も流れたのが、デヴィッド・ボウイの「FAME」なんだよね。 
どうしてこの曲だったのかは不明だけど、強く印象に残ったよ。

「ハウス・ジャック・ビルト」という題名は、一節ごとに歌詞が長くふくらんでいくマザーグースの積み上げ歌『This is The House That Jack Built』から付けられている

この文章を読んだ時にピンと来たSNAKEPIPE。
デヴィッド・リンチの「ワイルド・アット・ハート(原題:Wild at Heart 1990年)」では、「オズの魔法使い」のオマージュが登場していたんだよね。 
「マザーグース」も「オズの魔法使い」も児童向けの書物であり、「オズの魔法使い」の作者であるライマン・フランク・ボームは、マザー・グースの韻文を散文の小説に直した短編集を刊行しているという。
そしてリンチの「ロスト・ハイウェイ(原題:Lost Highway 1997年)」 のオープニング・テーマはデヴィッド・ボウイの「I’m Deranged」だったよね!
前述したように殺人をアート作品にしてしまう先駆的作品を監督したのがデヴィッド・フィンチャー!
おお!見事に3人のデヴィッドが揃い踏み!(笑)
もしかしたらラース・フォン・トリアーは、3人のデヴィッドからインスパイアされて、「ハウス・ジャック・ビルト」を制作したのかもしれないね?

我らが鳥飼否宇先生の「痙攣的」に、伴鰤人がサインを書いたことで「殺人アート」が成立したミステリーがあったよね。
他にも「爆発的」や「逆説的」など、鳥飼先生は現代アートや音楽をミステリーと結びつけた作品を発表されているのである。
本物の死骸や死体を素材にした写真を制作していたのは、ジョエル=ピーター・ウィトキン
こちらもジャックの先駆者ということになるのかな。
「ハウス・ジャック・ビルト」は、こういう傾向の作品が好みの方に、お勧めの映画ってことだね!(笑)

横尾忠則「B29と原郷-幼年期からウォーホールまで」鑑賞

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【ギャラリーの入り口を撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

先週書いた「トム・サックス ティーセレモニー 鑑賞」 の続きである、もう一つの展覧会についてまとめていこう。
東京オペラシティのある初台より新宿に出た長年来の友人MとSNAKEPIPEは、池袋方面を目指す。
山手線の内回り・外回りって未だに分かってないんだよね。
特に池袋方面に行ったことがほとんどないので、降りたことがない駅ばかり。
目的地は「日暮里」!
以前「日暮里繊維街」を歩いたことがあるけれど、ほとんど知らない場所と言って良いね。
友人Mも全く土地勘がないらしいけど、地図が読めるため不安はないらしい。
そのため一緒にいるSNAKEPIPEも安心なんだよね。(笑)

日暮里駅から目指していたのは「SCAI THE BATH HOUSE」。
元は銭湯だった建物を改装したギャラリーで、1993年の開設だという。
銭湯を改装して店舗にしたというと、「まい泉」青山本店などを思い出すよね。
それにしても25年もの歴史があるギャラリーなのに、SNAKEPIPEは名前も知らなかったよ。
今までの開催された展覧会について調べていると、面白そうな企画がたくさんあるんだよね。
気付いていなかったとは、残念なことをしたなあ。

そのSCAI THE BATH HOUSEでは、「B29と原郷 -幼年期からウォーホールまで」というタイトルで横尾忠則の展覧会が開催されている。
この展覧会については、以前よりROCKHURRAHから誘いを受けていたSNAKEPIPE。
友人Mからも誘われるとは、びっくり!
ROCKHURRAHから先に誘われていたのに、友人Mと鑑賞してしまい申し訳ない。
今度また一緒に行こうね!

横尾忠則についてSNAKEPIPEが書いた記事はいくつもあるんだけど、横尾愛を熱く語っているのは、2009年5月の「好き好きアーツ!#07 横尾忠則」だね。
昨年までの事務所には横尾忠則のポスターを壁に飾っていたので、いつでも身近に作品があったっけ。
個展の鑑賞は、2002年に東京都現代美術館で開催された「横尾忠則 森羅万象」まで。
それ以降グループ展での展示は観ているけれど、個展には行っていないみたいだよ。
久しぶりの横尾忠則、どんな作品が並んでいるんだろうね?

日暮里駅南口を降りて、谷中墓地を抜けていく。
名前は聞いたことあるけど、これがその墓地なんだね、と喋りながら歩く。
SCAI THE BATH HOUSEは墓地を抜けた先にあるようだ。
どんどん道幅が狭くなって、自転車用道路と歩行者用通路が重なるくらいの狭い道に出た時、「元銭湯」だったギャラリーが見えてきた。
ギャラリー前で写真を撮っている人、屋根を見上げている人などがいる。
SNSなどにアップするためなのかな?
SNAKEPIPEも、最近Instagramを始めた友人Mも負けじと撮影。
引き戸をガラガラと開け、中に入る。
ここって無料なの?
受付には女性が座っていて、特にチケット販売をしていない。
おー!無料とは嬉しいね!
小さな声で撮影について尋ねると、オッケーとの返事が。
やったー!これでまた写真が撮れるよ!(笑)
バシバシ撮影させていただこう。
気になった作品について感想をまとめていこうか。

作品は全部で16点展示されていた。
全体的に、かなり大きさがある作品が多い。
「エジソンと点滴」は2018年の作品で、大きさは60号。
女性の顔に巻かれたリボンの中央にエジソンがいるのが分かるね。
点滴されている黄色い腕が、女学生(?)に迫っている。
指の色が黄色、オレンジ、白、黒という4色に染まっているのは、人種を表しているのかな?
左上の文字が「45」となっているので、1945年を意味しているのかなと想像する。
今回の展覧会は、横尾忠則の個人的な思い出を表現しているようなので、解釈は人それぞれで良いのかな、と思ったよ。

「戦争の涙」は2009年の作品ね。
右にはマッカーサー元帥、左は渡辺はま子だね。
マッカーサー元帥を知らない人は少ないんじゃないかな。
そのマッカーサーが大粒の涙を流し、「Ah,SO」と文字があるのは謎だよ。
そして1/4アメリカの血が入っている渡辺はま子の存在は、更に分からないね。(笑)
渡辺はま子といえば「蘇州夜曲」!
横尾忠則は、憧れの存在や夢に出てきた人物を作品に登場させることがあるので、意味を考えるのをやめようか。
この2枚セットの配置も謎だけど、強く印象に残る作品だよ! 

「 T+Y自画像」は2018年の作品とのこと。
口元に手を置いた、あまり横尾忠則らしくない作風に驚く。
まるで岸田劉生の有名な自画像みたいじゃない?
横尾忠則の、ここまでストレートな「自画像」を観たのは初めてかも。 
SNAKEPIPEの勉強不足かもしれないので、断言はできないけどね。
何か心境の変化があったのかな。
左上に描かれている「首をくくるための縄」が、横尾らしいアイテムだよね。 
この縄は1965年に制作された横尾忠則自身を宣伝したポスターに描かれている、横尾忠則本人が首を吊っている、あの縄から来てるんじゃないかな。
SNAKEPIPEの記憶によれば、横尾忠則は自分が短命で30歳まで生きられないだろうと思い込み、29歳の自分の姿を登場させたポスターだったはず。
現在、横尾忠則82歳!
「死なないつもり」なんて著作もあるほど、現役で活躍してるよね!(笑)

「3つの叫び」は2019年の作品。
横尾忠則はモチーフを反復させることが多く、今回もターザンが登場しているよね。
ターザンの絵を初めて観たのは「ムー」のタイトルバックだったかな。(古い!)
真ん中はターザンの連れ、ジェーン?
そして右の子供は、幼少期の横尾忠則だろうね。
またもや右上に首縊り用の縄が描かれているよ。
様々な禁止マークも謎だけど、もっと不思議なのは、左下の3人の足。
まるでターザン達の幕の後ろに隠れているような感じ。
横尾忠則の作品は、個人的な要素が含まれているので、謎解きしても意味がなさそうだよね。

展示されている作品にタイトルが付いていなかったので、これが「原郷」なのか自信がないんだけど。 
もし間違っていたらごめんなさい!
また同じ服装の横尾少年が描かれている。
椅子の背を持ち、ポーズを決めているので、写真館で撮影された記念写真を元にした自画像なのかもしれないね?
そして中央には女性を描いている現在の自画像。 
戦闘機とパイロット、空虚な目で空を見上げる群衆、 意味不明の道路標識。
黒っぽいバックが、より一層混濁した印象を残している。
夢うつつの状態を描いたら、こんな感じになるんじゃないかな。

「白浜-喜びも悲しみも幾歳月」は2006年の作品。
左は横尾忠則の結婚写真を、右側にはY字路が描かれている。
この順番でいくと、左が「白浜」で右が「喜びも〜」かな。
タイトルの白浜は和歌山県白浜町で、灯台は「潮岬灯台」?
左の奥に親族の方々のモノクロームが写真が貼り付けられているように見えたよ。
横尾忠則らしい、複数の要素が散りばめられている作品だよね。
どうして右側に夜のY字路が配置されているんだろう。
横尾忠則は一目惚れした女性と21歳という若さで結婚している。
その時点では、ここまでのアーティストになるとは思ってなかったんだろうね。
家庭を持つことに少し不安があった、ということかもしれない。

最後は60点の作品群「A.W.MANDARA」、2019年の作品である。
A.W.とは、展覧会のタイトルにもあるアンディ・ウォーホルのこと。
商業デザイナーとしてスタートしたキャリアを持つウォーホルと、グラフィック・デザイナーから画家に転向した横尾忠則は経歴が似ているよね。
そんなウォーホルに対して、横尾忠則はどんな思いで曼荼羅を作成したんだろう。
尊敬の念なのか、ある種の仲間意識なのか。
それにしてもウォーホル曼荼羅とタイトルには書いてあるけど、1996年の映画「バスキア(原題:Basquiat)」で、ウォーホルを演じたデヴィッド・ボウイに似た肖像画もあったような?
SNAKEPIPEの勘違いかもしれないけどね!

横尾忠則の新作を鑑賞できて良かった!
前述したように個展の鑑賞は2002年までだったため、17年のブランクがあるSNAKEPIPE。
それでもあまり変わっていない横尾忠則を確認できたかな。
子供っぽさが健在だな、という意味なんだけど、褒め言葉だから!(笑)
思い出や、好きだったこと(物や人も)を 、いつまでも同じ気持ちで大切にしているってことなんだよね。
そして年齢を重ねて、更に作品の自由度が高まったように感じたよ。
もっと新作を観たいね!

元銭湯だったという面白いエピソードを持つ、SCAI THE BATHHOUSEを初めて訪れた。
すっきりとした会場には、とても無料とは思えないほど充実した数の作品が展示されていて驚く。
お気に入りの場所が増えるのは嬉しいね。
また企画をチェックして、足を運んでみよう!
次回は是非、ROCKHURRAHと一緒にね。(笑) 

トム・サックス ティーセレモニー 鑑賞

20190609 01
【会場入り口を撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

長年来の友人Mから展覧会ハシゴの誘いを受けた。
2つ共、面白そうな企画である。
移動距離はあるけれど、時間配分して回ってみよう!
ROCKHURRAHとウォーキングをしているSNAKEPIPEなので、足腰も強くなっているはずだし。(笑)
梅雨入り前の、割と涼しい日に友人Mを待ち合わせたのである。
冷房に弱いSNAKEPIPEは、脱ぎ着できるようにジャケットを着用。
なんと友人Mはノースリーブ一枚とは!
しかも背中部分はレースで、インナーが透けて見える状態。
「ストール持ってくれば良かった」
って、ちょっと服装が先取りし過ぎでしょ!(笑)

まず向かった場所は初台の東京オペラシティ アートギャラリーである。
このギャラリーに何度も足を運んでいる友人Mとは違って、今回が初めてのSNAKEPIPE。
オペラシティアートギャラリーではトム・サックスの展覧会が開催されている。
恥ずかしながらトム・サックスの名前を聞くのも、作品を鑑賞するのも初めてのSNAKEPIPE。
まずはプロフィールを調べてみようか。

1966年ニューヨーク生まれの52歳。
彫刻家、という括りで良いのかな。
バーモント州のベニントン大学卒業後、ロンドンの建築協会建築学部で建築を学んだ後、フランク・ゲーリーの家具店で2年間働く。
1990年頃ニューヨークでスタジオを設立。
その後、数年間は百貨店バーニーズ・ニューヨークの照明ディスプレイなどをしていたらしい。
1994年にクリスマス・ディスプレイを任され、「Hello Kitty Nativity(ハローキティ・キリスト降誕)」というタイトルで発表されたのが左の作品だという。
賛否両論のため注目を集めたというのは、納得だよね。
1995年にニューヨークのモリス・ヒーリーギャラリーで開催された個展「Cultural Prosthetics」では、ファッションと暴力の融合をテーマにしたという。
この発想は「収集狂時代 第6巻 Louis Vuitton編」で記事にしたモノグラムのチェーンソーやガスマスクを思い出すね。
トム・サックスのHPで確認すると、シャネルのロゴが入ったチェーンソーやギロチンを発見!
この手の作品を誰が一番先に発表したのか不明だけど?
経歴からは、例えば美大を卒業した、というような記述は見当たらない。
ディスプレイを任されたことからアーティストになったとは、異例かもしれないね。
トム・サックスの作品はニューヨークのメトロポリタン美術館、ソロモンR.グッゲンハイム美術館、ホイットニー美術館、パリのポンピドゥー・センターなど世界の主要美術館に所蔵されているという。
かなりの有名人であるトム・サックス、今回の展覧会は「ティーセレモニー」だって。
ギャラリーの受付で、撮影オッケーの確認を取る。
こういう美術館、大好きだよ!(笑)

「現代」と「茶の湯」が出会う「トム・サックス ティーセレモニー」は、アメリカ国内を巡回し、今回、日本で初めて開催する待望の展覧会です。
トム・サックスは茶の湯の精神や価値観を、21世紀の宇宙開拓時代に必須の人間活動の一つとして考え、ティーセレモニー(茶会、茶道)に真摯に向き合っています。
彼のユニークな発想や視点を通じて映る日本の姿は、新しい価値観や世界観を気づかせてくれる貴重な機会となるでしょう。

展覧会のイントロ部分を引用させて頂いたよ。 
キティちゃんをキリストになぞらえてしまうような、レディ・メイド(既成品)作品を発表しているトム・サックスは、どんな「茶の湯」を展開するんだろうね?
展覧会でも流れていた動画があったので、まずはこちらから。
13分以上あるので、時間に余裕がある時にゆっくり観ようね! 

2012年から本格的に茶道を学んだというトム・サックス。
動画は、まず掃除をするところから始まっているよね。
お客様を迎える準備に余念がないけれど、道具や様式が日本人から見るとやっぱり変!
展覧会では動画で使用された様々な機械(?)や仕掛け、小道具などが展示されていた。
右は動画の中で木を切るために使われた機械じゃないかな。
切った木を花入れのような器にしていたように見えたけど。
この作業を行うために、わざわざ兜を模したヘルメットをかぶっていたのはギャグなのか?
日本人でも完全な茶室に入ったことがないSNAKEPIPEは、こんな儀式が茶道で行われているのかは不明だよ。
茶器を清めるために布で拭く動作を、トイレでも行うのはやり過ぎだと思ったけどね!
実は、動画を観たのは立体作品を観た後だったので、立体だけを観ている時には何のための道具なのか分からないまま鑑賞していたんだよね。
あの順番が逆だったら、もっと興味深かったのかもしれないな。

動画を鑑賞している時に、思わず吹き出してしまったのが鯉のシーン。
会場には、本物の鯉が泳いでいたよ。
動画では、この鯉を乱暴に網ですくい、刺し身にしていたよね。
あのー、日本人は茶道の席で、刺し身は食べませんから!
何か色んな日本的な習慣がごちゃまぜになっていて、その「ちぐはぐさ」がおかしい。(笑)

枯山水に見立てた日本庭園を表現している空間。
中央にあるのは盆栽で、左には五重塔が見える。
この位置から見ると、日本のイメージをうまく捉えているようだけど、、、。
盆栽に近寄ってみると、綿棒や歯ブラシが枝や葉の代わりになっていることが分かる。
更に枝部分はネジ止めされているし、植木鉢代わりになっているのは、アルファベットが印字された木箱。
既成品を流用して制作するというトム・サックスらしい作品なんだろうね。
松のようにも、桜にようにも見えて、日本っぽい仕上がりになっていたよ。

「おもてなし」をするための茶室。
茶室も掃除していたけれど、畳の縁を踏んでいたのは仕方ないだろうね。
恐らく多くの日本人は「畳の縁を踏んではいけない」と教育されてきたはず。
SNAKEPIPEは、この理由を知らなかったので、早速調べてみることに。
かつてはこの縁に、家紋が使用されていたという。
縁を踏むことは、家紋を踏みつけることになるため「踏んではいけない」になったらしい。
現代でも家紋を使用した畳の縁はあるのかもしれないけど、一般家庭ではお目にかからないよね。
マナーの部分だけが残ったということかな。
トム・サックスの茶室は、何故か3つのカメラでコンクリートブロックを縦にしたような木枠(?)を写し続けていた。
鯉の後ろにもその映像が見えるよね?
これは意味が分からなかったなあ。

茶室に向かう前に、ゲストが立ち寄るポイント。
火鉢にある焼けた炭をキセルに入れて、一服していたよね。
キセルについてもよく知らないんだけど、炭を持ちながら吸ってるシーンは見たことないよ。
茶室に入る前に手を清めていたけれど、あれも神社や寺にある手水舎だよね?
これもまたミックスされちゃったのかな。
一連の作法になっていたのが、観ていておかしかった。

アメリカ人であるトム・サックスが掛け軸を作ると、こうなるんだね。(笑)
これも観た瞬間に笑ってしまった作品だよ。
誰でも知っているマクドナルドのマークに、落款印代わりのアメリカ国旗。
ハンドメイドだから仕方ないかもしれないけれど、欲を言えばもっと掛け軸の土台をきっちり作ってもらって、表装部分に例えばハンバーガーの包み紙などを使用してもらったら、もっと良かったと思ってしまったよ。(笑)
他にもロケットの絵や、禅画の円相を描いたのか、日の丸を描いたのか不明の掛け軸などが並んでいた。

トム・サックスの動画は、特別に制作されたジオデシック・ドーム状のシアターで上映された。
このドームも作品だったんだね。
鑑賞するための椅子本体はサムソナイトで、これもトム・サックスの作品。
表側には「NASA」の文字があり、背面にはロットナンバーと人の名前がマジックで記載されていた。
人の名前にも意味があったのかもしれないけど、よく分からなかったよ。
30分おきに上映時間が設定され、SNAKEPIPEと友人Mは12時40分の回を鑑賞。
なんとも不思議な茶会風景を観たよ。

茶道はもてなしの心を慈しみ、儀礼を通じて地域の発展やコミュニティの強化を促し、「地」「空」「火」「水」といった基本的な要素を取り入れながら、心身の世界との一体感や親密なつながりを見出し、自身を静かに見つめ直す機会を与えるものです。
トム・サックスによる茶道はその無限の空間を探求することによって、新たな世代や観客層がこれらの価値観やそれを支える文化を体感できる、豊かで心動かされるプロジェクトなのです。

2016年に「ティーセレモニー」が開催されたニューヨークにあるイサム・ノグチ美術館のキュレーターの方が話した内容を転記させてもらったよ。
なんか拡大解釈してるような?(笑)
外国人からは、「日本の文化を再現」しているように思って「これぞJAPAN」と感じてしまうのかもしれないよね。
SNAKEPIPEは「豊かで心動かされるプロジェクト」というよりは、トム・サックスの「ブラック・ジョーク」と感じたよ。
トム・サックスがちゃんと正座ができていたところはすごいと思ったけど!

和菓子の代わりにOREOクッキーを出したり、映画「スター・ウォーズ」の登場人物であるヨーダのディスペンサーから出たPEZをふるまう。
抹茶を点てる時に使用する茶筅(ちゃせん)はモーター付き。
既成概念をおちょくったアートというと、会田誠を思い出してしまう。
会田誠の作品は、かなりブラック・ジョークに満ちているからね!(笑)
トム・サックスの「ティーセレモニー」では、会田誠のような禁忌に触れる作品は見当たらなかった。
レディ・メイド作品を初めて発表したマルセル・デュシャンを継承している、ということなのかな。

今回作品を鑑賞し、感想をまとめていて、非常に調べ物が多いことに気付く。
例えば道具の名前など知らないことだらけなんだよね。
茶会の席には掛け軸と花入、更にお香を炊くなんて知識もなかったし。
外国人の作品を鑑賞することで、日本の文化を勉強することになった、というのが驚きと収穫かな。
ただし、本気で茶道やってる人からは不評だろうけどね。(笑)

ハシゴしたもう1つの展覧会は、次回まとめることにしよう。
SNAKEPIPEは一体何を鑑賞してきたのだろう?
正解は次週を待て!(笑)