ふたりのイエスタデイ chapter05 / Orchestre Rouge

【ジャケ買いで中身も良かった、大好きな青春の一枚。】

ROCKHURRAH WROTE:

2014年正月から始めた新企画がこの「ふたりのイエスタデイ」シリーズなんだが、これはROCKHURRAH RECORDSの二人の運営者(大げさ)が思い出深い一枚のレコードや写真などを選んで、それにまつわるエピソードを書いてゆくという内容の記事だ。
いくつか連続でウチのブログを読んでいただければすぐにわかるんだが、とにかく70〜80年代の音楽ネタが満載のブログなので、このシリーズだけが特別にノスタルジックなわけではない。
メニューのところに「シリーズ記事」などと書いてて細かく分かれてる割にはそこまで細分化する必要もないんだが、まあ書いてる方の側の気分ということで使い分けてるだけ。

お盆休み真っ最中でも帰省するわけでもなくて、アクティブに出かけてるわけでもないROCKHURRAHとSNAKEPIPEなんだが、そもそもこのどんより具合の天気は何?というくらいに全然お盆っぽくない湿度満点の空模様。これじゃイヤになってしまうよね。

さて、久々にこの記事を書くに当たって選んだのが上のレコード・ジャケットだ。
ジャケットというのは絵画や写真だけの作品とは違って完全に正方形の中で展開するアートで、ほとんどの場合は絵や写真だけでなくアーティスト名やタイトルまでを含めたトータルなグラフィック・デザインだ。
ROCKHURRAHに限らず、古今東西でこのジャケット・アートワークに魅了された人は数多く存在しているに違いない。
もしかしたら中の音楽そのものには全然興味なくてジャケットの良し悪しだけでレコードを集めてるような人もいるかも知れないね。もし、美麗なレコード・ジャケットを集めた展覧会があったらぜひ行きたいものだが、過去にそういう企画はどこかであったのだろうか?実はそんなのはありきたりで、常に美術関連の事を考えているわけじゃないから知らないだけかも。
もしも世界のどこかレコード・ジャケット美術館みたいなのがあってキュレーター募集してたら立候補したいくらいだよ。
ん?わずか数行の間に3回も「もし」という言葉が入ってるぞ。ひどいもんだな。

話がそれたがそういうアートワークとしてのジャケットの好き嫌いという点では、このジャケットは大好きな類いになる。いかにも80年代のヘタウマみたいなプリミティブな絵柄なのに題材はグロテスクで好みにピッタリ。
描いているのはRicardo Mosnerというアーティストで(この人の事は今回特に書かないが・・・)、この素敵なジャケットのバンドが今回語りたいオルケストル・ルージュなのだ。
本当は個人的にはずっとこのバンドの事をオーケストラ・ルージュと呼んできてそれでも間違いというわけではないんだろうが、フランス読みにするとたいていはオルケストルと読んでる人が多いので仕方なくこう書くよ。うむ、しょっぱなから何か敗北感。屈辱的。

1970年代の最後を飾った音楽の大きな流れはパンク、そしてニュー・ウェイブへと続いていった。初期ニュー・ウェイブの頃は特に細かいジャンル分けもなかったんだが、そのうち登場するバンドたちの数が膨れ上がってさまざまな音楽スタイルが乱立するようになった。
紛らわしいのは当時と今とで同じ音楽を指すのに違うジャンル名があったり、欧米と日本で違うジャンル名になっていたり、この手の話は特に文献もないし、当時を知る人と現在ウィキペディアなどで情報を集めた人の話が食い違うのは当然という気がする。
おや?話が随分脱線してしまったが、こんな面倒な時に有効な便利な言葉があったよ、ポスト・パンク。80年代初期の大半のバンドについて語る時に「これはポスト・パンクのバンドで・・・」と言っておけば大体間違いないはず。このオルケストル・ルージュもおそらくポスト・パンクのバンドと言っておけば間違いないな。

80年代初期の表のムーブメントではエレクトロニクス・ポップ(テクノ・ポップ)やニュー・ロマンティック、2トーン・スカやファンカ・ラティーナなどがヒットチャートを賑わせていたが、それと同時期にイギリスではネオ・サイケ、ダーク・サイケ、ポジティブ・パンクと呼ばれる暗くて重苦しいシリアス路線の音楽が裏では着実に若者の心を掴んでいた。まれにヒットチャートの上位になったりもするが、この手のバンドの活動拠点はどちらかというとインディーズの小さな市場向きだったな。万人に受け入れられる音楽じゃなかったのは確かだからね。
そういう新しいバンド達に影響を与えた先駆者として必ず名前が挙がってくるのがスージー&ザ・バンシーズ、バウハウス、キリング・ジョークにエコー&ザ・バニーメン、ジョイ・ディヴィジョンなど。全て70年代後半にデビューしているが、これらの名前がメジャーなところだった。
ROCKHURRAHも御多分にもれずこれらのバンドに傾倒していって、特にジョイ・ディヴィジョンについては熱心に聴きまくったものだ。
イアン・カーティスの押し殺した声と素晴らしい楽曲の数々は今でも毎日のように聴いているほど。
遠く離れたイギリスで活動してるバンドだしイアン・カーティスがどんな人だったかも当時は知らない。だから彼が首吊り自殺をしたという記事を音楽雑誌で読んでも泣いたり悲しんだりは出来なかったが、大きな喪失感があった事だけは確か。

その後もROCKHURRAHはジョイ・ディヴィジョンっぽいという噂の別のバンドをどこからか探してきていくつも買ってみたが、そのほとんどは小粒で「これこそ探し求めていたもの」という域には達してないものばかり。
オルケストル・ルージュを知ったのもそのくらいの時期で、この頃は下北沢の有名なビデオ・レンタル屋のレコード・レンタル部門(支店)で働いていた名物店員だったな。休みや仕事をしてない時はほとんどどこかの輸入レコード屋に入り浸っているくらいのマニアだった時期だ。
このバンドを知った肝心な経緯は覚えてないんだがたぶん「フールズ・メイト」という音楽雑誌で「フランスのジョイ・ディビジョンと名高い」などと書かれていたから探していたんだろう。
当時は色んな方面のレコードを同時に探していたからすぐに出会えたわけではないんだが、全然関係ないような時に下北沢のレコファンで運命の出会いをした(大げさ)。当時住んでた部屋から最も近いレコード屋で見つけるとは。しかも中古で500円くらいで買ったな。

これがオルケストル・ルージュとの最初の出会いだ。一番上の写真にある「More Passion Fodder」というのが1983年に出た彼らの2ndアルバムになる。中古屋で買ったものだからもちろんリアルタイムではないにしろ、嬉しさに違いはない。
ずっと探していたものだったから小躍りして買い求め、大急ぎで家に帰って針を落とした。そして出てきた音はまさにドンピシャの理想のものだった。

このバンドは1981年くらいから84年くらいの短い期間にフランスで活動していたネオ・サイケのバンドでフランスのRCAからわずか2枚のアルバムを残して解散してしまった。もちろん日本盤などもなく、どこでも入手出来るほどの知名度はなかったため、運が悪ければ何年も手に入らなかったろう。もし見つかったら別に高額なわけでもないんだけどね。
日本語に訳せば「赤いオーケストラ」というこのバンド名、インターネット検索すれば今では一発で由来もわかるだろうが、そんなものない時代だから無知なROCKHURRAHは勝手に口紅楽団などと思っていたよ。まあそれでも別におかしくはないんだろうが。

ナチス・ドイツ占領下のヨーロッパに存在した、
ソビエト連邦に情報を流していたコミュニストの
スパイ網に対してゲシュタポが名付けた名称。

というのがオルケストル・ルージュの由来だそうだが、この辺もナチの強制収容所慰安婦施設から名前を取ったというジョイ・ディヴィジョンと似通ってるのかな?

このバンドのリーダーでヴォーカリストのテオ・ハコラはフランス人ではなく、アメリカ出身、しかもフィンランド人とスウェーデン人のハーフらしい。若くしてグアテマラ、スペイン、ロンドンとさまざまな職業をしながら放浪して、1980年にパリでオルケストル・ルージュを結成する。というのが略歴なんだが、一体いくつの国が出てきた?もう生まれついての国際人だね。

かなりのインテリなのは間違いないしその歌の内容も詩と言うよりは政治的なアジテーションとか演説の類いに近いもので過激。教師をしていた経歴もあるそうだから、言ってる内容もたぶんプロっぽいのか?
政治も海外の歴史も疎いROCKHURRAHなどは単に曲の良し悪しだけで音楽を判断するしかないが、意味がわかる人にとっては全然違う見解になるのかもね。

家に帰って針を落としたところから進んでなかったから話を戻すが、この2ndアルバムは数あるネオ・サイケの中でもROCKHURRAHが一番好きな大傑作。
特に1曲目「Seconds Grate」から「Where Family Happens」「Chief Joseph Heinmot Tooyalaket」まで切れ間なく続くこの3曲はいつ聴いても最高。曲の好みは人それぞれだから誰にもオススメはしないが、個人的にはパーフェクトなネオ・サイケが展開する。
ジョイ・ディヴィジョンに似ている部分はあるけど、完全なフォロワーとは全然違っていてオルケストル・ルージュならではの魅力が詰まっている。デビュー当時から現在に至るまでずっとヴァイオリンの音色を愛し続ける姿勢も本家ジョイ・ディヴィジョンにはないからね。

テオ・ハコラの歌い方にはかなり特色があって、カントリー&ウェスタンやロカビリーなどでするしゃっくりのような歌い方、ヒーカップ唱法に近いものがある。声質はイアン・カーティスというよりはバースデイ・パーティのニック・ケイブに近いものがあるな。

このバンドの1stアルバム「Yellow Laughter」はマンチェスターで録音、しかもプロデューサーはジョイ・ディヴィジョンで有名なマーティン・ハネットがやっている。このことからも「フランスのジョイ・ディヴィジョン」云々と言われてきたんだろうけど、こちらの方は端正にまとまった曲が多く、ROCKHURRAHとしてはよりエモーショナルな2nd、つまり今回特集した方が好みだった。
聴いた順番は1stの方が後だったのでややインパクトが薄かったせいもあるんだろうな。
しかしジャケットはこっちの方が有名で、上のYouTube(1stと2ndがカップリングされたCDらしい)でも「Yellow Laughter」のジャケットが使われている。

ある日、このバンドのライブ盤をレコード屋で見つけて買った夢を見たんだが、その日行った新宿のレコード屋で本当にライブ盤を見つけるという、まさに正夢な経験をしたこともある。ちゃんとした3rdアルバムではなくてどうやら自主制作盤のようで、出回ってる数も少ないはずだから本当に縁があったと思いたいよ。テレヴィジョンやジョイ・ディヴィジョンのカヴァーも入った、ファンならば絶対に聴いておきたい一枚だ。

オルケストル・ルージュが解散した後、テオ・ハコラはパッション・フォダーというバンドを結成したが、これは何とも形容がしがたい地味な音楽でサイケデリックとカントリー風味、トーキング・ヘッズっぽさがちょっとだけ見え隠れするけど、イマイチ理解しにくい代物。何曲か好きな曲はあるんだけど、この人の歌い方がどの曲も基本的に同じような字余りで、区別がつきにくい曲を量産していたという印象がある。 たぶんオルケストル・ルージュでいい曲を書いてた人がいなくなったのが原因だろうと推測する。
テオ・ハコラの確立されたスタイルがマンネリ化してしまうという最大の弱点ばかり強調されてしまった感じ。
4作目までは耐えて買ったがその後はあまりロックを聴かなくなった時期にかかってしまったので、ここでリタイアしたよ。

結局パッション・フォダーは長く続けた割には地味で時代に埋もれてしまったが、オルケストル・ルージュの方は今でも風化することなく(あくまで個人的にだが)輝いている。

今回のブログも長く書いた割には特に人々の興味を惹く部分がなくて、いよいよ文章もスランプ気味だなあ。夏だから仕方ない。涼しくなって来たらもう少しはマシになる予定。
ではまたオ・ルヴォワール。

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