ふたりのイエスタデイ chapter21 /ヒカシュー

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【ヒカシューの1stアルバムは所持していなかったよ】

SNAKEPIPE WROTE:

2020年4月の「ふたりのイエスタデイ chapter18 /JAPAN」の中で「一番初めに行ったライブはJAPAN」と書いていたSNAKEPIPE。
ところが最近になってその記憶が勘違いだったことが分かった。
JAPANよりもはるかに昔、ヒカシューの野外ライブに行ってたんだよね!

ヒカシューとは1977年頃から活動している日本のテクノポップ・バンド。
P-MODEL、プラスチックスとともに「テクノ御三家」と呼ばれた、とwikipediaに書かれているよ。
ヴォーカルの巻上公一(画像中央)のキャラクターがインパクトあるんだよね。(笑)
その昔、インタビューを受けている巻上公一が「日本語をはっきり歌うことを心がけている」と話していたっけ。
SNAKEPIPEもよく覚えてるわ。(笑)
どちらかというとコミック・バンドの雰囲気があるヒカシューだけど、独特の個性を持った文学性の高い歌詞にも惹かれたんだよね!

そんなヒカシューのファンになったSNAKEPIPEの昔話をしよう。

まだ子供だったSNAKEPIPEは、同級生2人と共にライブ会場に向かった。
その2人は、特別ヒカシューのファンではなかったので、単なるお付き合いだったと思う。
電車を乗り継いで行ったはずなので、両親の許しを得て子供だけでよくたどり着けたもんだよ。(笑)
そしてどのようにしてライブの情報を知ったのか。
今となっては全く覚えていないけれど、ヒカシューのライブを観たことだけは確かだよ。
友人2人は、「もっと近くに行かなくて良いの?」と気遣ってくれたけれど、首を横に振る。
現地にいることや動いているヒカシューのメンバーを目の当たりにしていることだけで興奮していたため、遠くから眺めているだけで満足だった。
あの時のことを失念していたとは、SNAKEPIPEも駄目だねえ。(笑)

あの時から何十年経ってるんだろう。
今でも時々頭をよぎるヒカシューの曲。
当ブログにも、SNAKEPIPEだけではなくROCKHURRAHの記事にも登場してるんだよね。
今回は改めて「ふたりのイエスタデイ」としてまとめてみよう!

ヒットした代表曲「20世紀の終わりに」が発売されたのが1979年、今から40年以上前のこと。
元々演劇をやっていたというメンバーが集ってできたバンドだと知らずとも、映像を観ただけで役者っぽい雰囲気を感じるよね。
映像の最初に、司会の近田春夫が写っているのも嬉しいね。(笑)
wikipediaによれば、近田春夫がヒカシューのプロデュースを買って出たという。
そんなつながりがあったんだね!
すでに21世紀になってしまった現在でも、新鮮に響くメロディと詩。
恐らく、この曲でファンになったSNAKEPIPEだけど、レコードを買った記憶がないんだよね。
次に紹介する曲も1stアルバムに入っていたようだけど、誰かに録音してもらってカセットで聴いていたのかも。

インターネットラジオで80年代ニュー・ウェイヴを聴くことが多い。
たまにかかるのがクラフトワークの「モデル」。
ヒカシューは、その曲に日本語の歌詞をつけて1stアルバムに収録しているんだよね。
クラフトワーク版はもちろんのこと、ヒカシューのバージョンも素晴らしくて大好き!
SNAKEPIPEは、クラフトワークの曲にヒカシュー版の歌詞で歌っているよ。(笑)
今から思えば、1984年にザ・スターリン遠藤ミチロウが出したカセットブック「ベトナム伝説」で、ストゥージズの「I Wanna Be Your Dog」に日本語の歌詞をつけていた元ネタかもしれないね?
なんて古い話をしてるんだろうか。(笑)

ヒカシューの出したアルバムを調べてみると、どうやらSNAKEPIPEは1984年に発売された「水に流して」までは聴いていたみたいだよ。
「水に流して」は購入していたし。
夢中になって聴いていたことは間違いないけれど、やっぱり一番気に入っていたのは1stアルバムだったみたい。
「プヨプヨ」や「ドロドロ」は、何かある度に歌詞が頭をよぎるほど!
ここまで強烈なインパクトを持つヒカシューなので、好き嫌いがはっきり分かれるタイプのバンドだろうね。
恐らくSNAKEPIPEのように好きになってしまった人は、その呪縛を解かれることはないであろう。(大げさ)

ヒカシューは結成40周年を迎える現在も活動中だという。
最近はどんなことをやっているのか調べてみる。
オフィシャル・サイトもあるし、活動中の映像もYouTubeで観ることができるよ!
40年前とほとんど変わっていない歌声に驚く。
演奏がアヴァンギャルドになっているくらいで、ヒカシュー要素は健在!
ヒカシューの真髄は全くブレていなくて、嬉しくなる。
「水に流して」以降のヒカシューを改めて聴いてみたいと思ったよ。
やっぱりヒカシュー、好きだわ。(笑)

ふたりのイエスタデイ chapter20 /ファンカ・ラティーナ

20210207 top
【Haircut 100のアルバム「ペリカン・ウェスト」のジャケット】

SNAKEPIPE WROTE:

毎週楽しみに観戦しているアメリカPGAツアー。
ほとんどの試合はアメリカ本土で開催されているけれど、選手はアメリカ人ばかりではない。
世界各国から参加していて、最近では南米の活躍が目立つ。
チリやアルゼンチンでゴルフ、というイメージはないけれど、実際に選手が活躍しているから驚いてしまうね。
南米といえば、サッカーにサルサやボサ・ノヴァ、サンバなどのラテン音楽と思ってしまうのはステレオタイプ過ぎるのかな?

80年代に流行ったニュー・ウェイブに、ラテン音楽をミックスするジャンルがあった。
ファンカ・ラティーナと呼ばれ、一世を風靡したんだよね。
ファンクとラテンをミックスさせた造語は、誰が考えたのやら?
この言葉はもしかしたら日本だけで通用している言葉だったのかもしれないけれど、当時はジャンルとして確立されていたように思う。
いくつものバンドが、ラテン要素を含んだ曲を発表していたんだよね。
ノリの良さと一緒に歌えるメロディーラインで、SNAKEPIPEも大好きだったよ!

Haircut 100の「Favorite Shirts」はファンカ・ラティーナを代表する曲と言っても過言ではない。
そしてこの曲の邦題「好き好きシャーツ」が、当ブログのカテゴリー「好き好きアーツ」の元ネタ!(笑)
2020年8月の「ふたりのイエスタデイ chapter19 /Altered Images」で、オルタード・イメージのクレアちゃんの肖像画を描いたことを書いたけれど、実はこのバンドのヴォーカルも描いていたことも思い出した。
ニック・ヘイワード(トップ画像一番左)がアイドル的な風貌で、とても人気があったからね。

軽快なギターのカッティングが印象的で、本格的なファンクでもラテンでもないけれど、ニュー・ウェイブ世代のライト・リスナー向けラテン音楽入門になったバンド、とROCKHURRAHが語っているよ。
そしてHaircut 100の特徴は、トップのレコード・ジャケットでも分かるように、白いセーターをインにして、その上からサスペンダーを使用するスタイルだったり、お坊ちゃま風の服装が多かったこと。
なんとセーターの上からのサスペンダーは、当時はROCKHURRAHも真似ていたらしいよ。(笑)
その頃ROCKHURRAHは、地元の北九州在住だったので、そういう服装を理解してくれるのは、限られた人だけだったみたい。
苦労したんだねえ、ROCKHURRAH!(涙)

良家のご子息がバンドをやってる、みたいな風貌なのにファンクっぽいノリの良い音楽だったというギャップも魅力だったんだよね。
ファンクにラテンというと、みずみずしい印象にはなりづらいのに、Haircut 100には爽やかさがある。
彼らのおかげで(?)ファンカ・ラティーナが幅広い世代に支持されて、一大ムーブメントになったのでは、とROCKHURRAHが推測しているよ。
Haircut 100は他にも「Love Plus One」(邦題:渚のラブ・プラス・ワン)などヒット曲を出している。
この邦題も非常に気になるけれど、レコード会社の人のセンスだろうね。(笑)

続いてはModren Romanceの登場だよ!
「Ay Ay Ay Ay Moosey」(邦題:今夜はアイ・ヤイ・ヤイ!)もノリノリになっちゃうダンス・チューンだよね。(笑)
そしてまた気になるのが邦題なんだけど、SNAKEPIPEとROCKHURRAHはこのタイトルで覚えてるんだよ。
当時は原題を知らなかったしね。
そして今回初めて動いている姿を観たよ。
こんな顔だったとは知らなかったね。

ファンカ・ラティーナについて書くことをROCKHURRAHに話すと、次々とバンド名が出てくるんだよね。
Blue Rondo à la Turkのような長いバンド名もスラスラ口にできる。 
若いうちに覚えたことって忘れないものだね。(笑)
曲は「Me and Mr. Sanchez」。
とても懐かしいよ!
Blue Rondo à la Turk解散後、結成されたMatt Biancoもヒットしたね。

これも長いバンド名のRip, Rig & Panic
そんなに長くないか?(笑)
この映像は、どうやらイギリスのホームドラマの中で「You’re My Kind of Climate」を演奏しているシーンらしい。
それでこんな扮装をしてるんだね。
音楽に合わせているのか、ドラマの展開のせいなのか、かなり民族音楽要素が強い。
ヴォーカルのネナ・チェリーは服装のせいはもちろんだけど、「Buffalo Stance」の頃とはまるで別人だわ!

Pigbagは、上に書いたRip, Rig & Panicと一緒に「The Pop Group」というバンドを組んでいたという。
解散後、メンバーがそれぞれバンドを作ったってことだね。
The Pop Groupは硬派なメッセージ色の強いバンドだったらしいけれど、Pigbagのヒット曲にいたっては歌詞がない!
インストゥルメンタルの「 Papa’s got a brand new pigbag」は、日本ではHONDAのCMでも使われていたっけ。
ああ、懐かしき80年代よ!(涙)

最後はアメリカのバンドにしよう。
Kid Creole & the Coconutsは音楽性はもちろんのこと、そのファッションにも注目が集まったんだよね。 
1940年代頃流行したダブダブのシルエットをした「ズート・スーツ」を身に着け、イカサマ師かチンピラかといったインチキ臭い風貌のキッドがヴォーカルだった。
ここでもまたROCKHURRAHのエピソードがあるんだけど、ズート・パンツも着ていたらしいよ!
音楽とファッションが密接に絡んでいた時代だからね。

思い出しながらツラツラと書き綴ってみたけれど、とても懐かしくなってしまったね!
どうしてファンカ・ラティーナのようなムーブメントが起きたのかは謎だけど、日本でもジュディ・オングの「魅せられて」、久保田早紀の「異邦人」や庄野真代の「飛んでイスタンブール」がヒットしたように、異国情緒ブームが起きたことがあったもんね? (古い!)
仕掛け人がいるのかもしれないけれど、世の中の流れが同じような方角を向くことってあるのかもしれない。

久しぶりにファンカ・ラティーナを聴いたら楽しくなってしまった。
さあ、踊ろう!
みんなでアイ・ヤイ・ヤイ!(笑)

ふたりのイエスタデイ chapter19 /Altered Images

20200830 top
【オルタード・イメージの1st アルバム】

SNAKEPIPE WROTE: 

学生だった頃、SNAKEPIPEが所属していたのは美術部だった。 
当時はシュールレアリスムという言葉すら知らずに、想像画を描いていたっけ。
写真を見ながら似顔絵を描くのも好きで、クラスメイトに頼まれて描いたこともあった。
アントニオ猪木を色紙に描いて欲しいとの注文を受け、そっくりに描けたのは良かったけれど、顔が長過ぎて色紙から顎がはみ出るハプニングがあったことを思い出した。
それでも似ていたので、友人は本当に喜んでくれたっけ。(笑)
忌野清志郎を描いた時は、自分でもびっくりするほど上出来で、友人に絵を渡すのをためらうほどだった。
こうして思い出してみると、SNAKEPIPEは絵の才能があったのかもしれないね?

当時のSNAKEPIPEにとってアイドルだったのは、オルタード・イメージの紅一点、クレア・グローガン!
クレアちゃんは1980年代初頭のイギリスでも大人気で、ファッション・リーダー的な存在でもあったらしい。
クレアちゃんはリチャード・ギアのファンで、もし彼氏だったら閉じ込めて一歩も外に出られなくする、と雑誌で読んだ遠い記憶が。(笑)
なんでこんなどうでもいいこと覚えてるのかね。
SNAKEPIPEが自分のために似顔絵を描いたのは、このクレアちゃん。
使用したのがこの画像なんだよね!
当時見ていた画像があって良かった、と安堵したのも束の間、これは「透かし入」のストック・フォト…。
他にないのかと探したけれど、見つからなかったのが残念。
この画像を見ながら鉛筆で似顔絵を描いたなあ。(笑)
懐かしい!

ここでオルタード・イメージについて少々説明を。
2018年1月にROCKHURRAHが書いた「俺たちハッピー隊」の内容と重複するけどね!
スコットランドのグラスゴーで1979年に結成されたポスト・パンク/ニューウェーブ・バンド。
メンバーは5人で、全員がスージー・アンド・ザ・バンシーズの公式ファンクラブのメンバーだったという。
そのため結成当時は、バンシーズみたいなダークな音楽だったというけど、クレアちゃんの声とはアンマッチだよね。(笑)
バンシーズがスコットランドでギグを行った時デモテープを渡し、その結果1980年の「カレイドスコープ・ツアー」の前座として同行したという。
オルタード・イメージの名前を有名にしたエピソードなんだね。
そして1981年、イギリスのヒットチャート2位を記録する大ヒットが「Happy Birthday」だよ! 

本当は公式プロモーション・ビデオが良かったんだけど、なぜだか「お住いの国では再生できません」って出てきちゃうんだよね。
当時のSNAKEPIPEも好んで聴いていた曲だよ。
飛び跳ねて歌うクレアちゃんもかわいいね!
この曲は2005年に発売されたロンドンナイト25周年記念特集のCDにも入っていて、とても懐かしかったなあ。

オルタード・イメージは、ヴォーカルのクレアちゃんだけがクローズアップされていたため、他のメンバーについては良く知らないんだよね。(笑)
どうやら画像の右から2番目の男性(Steve Lironi)と結婚したみたいだけど、それは調べて知ったこと。
オルタード・イメージは1983年に解散したけれど、ヒットしたのは1曲だけじゃないんだよね。
今でも80年代を特集するインターネット・ラジオを聴いていると、何曲もかかるし。

解散後、クレアちゃんはソロになったけれどパッとせず、女優業に専念したらしい。
今でも活動してるようで、17歳からのキャリア40年とは驚きだよ。
クレアちゃんと「ちゃん付け」で書いているけど、もう58歳だからね。

最後にもう1曲、「I Could Be Happy」を載せようか。
当時を思い出しながら、気持ちを少女に戻してみよう。
これもSNAKEPIPEにとっての若返り療法だよ!(笑) 

ふたりのイエスタデイ chapter18 /JAPAN

20200412 02
【JAPANのアルバム 「Tin Drum」】

SNAKEPIPE WROTE:

2020年2月に「ふたりのイエスタデイ chapter17 /Sigue Sigue Sputnik&RUN DMC」 を書いてから、
「一番最初に行ったライブはなんだろう」
と思ったSNAKEPIPE。
先週書いた「ROCKHURRAH紋章学 アルコール・ボトル アーティスト編」でも、POGUESのライブに行ったことを思い出したり、過去には意外と「来日公演」に行っていたからね。
じっくり考え、遠い記憶をたどってみる。
「そうだ!JAPANだ!」

動画を載せたのは、恐らくSNAKEPIPEが一番最初にJAPANを見たであろうプロモーション・ビデオ。
「Life In Tokyo」は1979年の曲だって?
今から何年前かと考えると恐ろしい。(笑)
2015年2月に書いた「ふたりのイエスタデイ chapter07 / Duran Duran」でも登場した「火曜日だったか水曜日の夜7時から始まるローカル番組」で、見たんだよね!
この番組は司会者が進行役となり、独自のセレクションでプロモーション・ビデオを流していた。
リクエストにも応じていて、JAPANはよく流れていたっけ。
このちょっとモヤがかかったような白っぽいバックに、ハレーションが起きているような強いスポットライトに浮かび上がる前髪長めのヴォーカリストの映像は、何度も見たよ。
いつもリクエストが一番最後だったので
「それでは皆さん、また来週!」
と司会者が言った後、ほんの何十秒かだけ映像が続き、CMで終わってしまう。
そのため、今回初めて全編を視聴したよ。(笑)

ここまで「JAPAN」と何度も書いているけれど、「日本がどうしたって?」と思う人も多いかもね?(笑)
「JAPAN」というのは、1974年にヴォーカルのデヴィッド・シルヴィアンを中心にイギリスで結成されたバンドなんだよね。
「なんとなくJAPANという響きが浮かんだだけ」(Wikipediaより)という、あまり意味のない理由により、バンド名を決めたというデヴィッド・シルヴィアン。
イギリスではパッとしなかったのに、日本では大人気!
バンド名も親近感を増す要因だったのかもしれないけど、なんといっても女子が好んだのはそのルックス。
まるで少女漫画に出てきそうだもんね!
JAPANの曲はほとんどデヴィッド・シルヴィアンが作詞・作曲していたことも、今回初めて知ったよ。
ギターもピアノもこなすし、天は二物も三物も与えてるじゃないの!
何故か写真家・作家の藤原新也と親交があり、以前藤原新也のHPで一緒にモーターボートに乗っている画像を見たことがあるよ。
アルバムのジャケットに藤原新也の写真が使用されているんだって。
バンド名だけじゃなくて、実際に日本との関わりも深いみたいだね。

JAPANのベースはミック・カーン。
ミック・カーンのベースは、一度聴いただけで特徴をつかむことができるほど。
うねるような音なんだよね。
何か奏法名があるのかもしれないけど、ミック・カーン以外でこんなベースは知らないよ。
ジャズとかフュージョンで使われることが多いフレットレス・ベースをロックの世界で個性的に使ったのがミック・カーン、ということになるみたいだね。
真っ赤な髪で真っ赤なスーツ、ギロギロした目!
一見強面に思えるのに、実は猫好きだって。(笑)
さすが猫がいっぱいいるキプロス出身だけあるよね。

上に載せた「Visions Of China」が発表されたのが1981年。
同じ年に日本で出版された「MUSIC LIFE」新年号の表紙を飾るJAPANのメンバーだよ。
メンバーについて、ヴォーカルとベースしか書いていなかったけれど、この画像をもとに少し説明してみよう。
上の左がドラムのスティーブ・ジャンセン。
中央にいる金髪のデヴィッド・シルヴィアンの実弟なんだよね。
並んで写っている画像によっては、似て見えることもあるよ。
言われないと分からないことが多いかも?(笑)
上の右はミック・カーンでしょ。
下の左がキーボードのリチャード・バルビエリ。
モノトーンの服装が多い印象があるよ。
口紅も黒かったしね?
下の右がギターのロブ・ディーン。
2015年8月にROCKHURRAHが書いた「ロックンロール世界紀行 Transit05」によれば、この頃の「MUSIC LIFE」にJAPANが登場することが多かったという。
表紙だったりグラビアで特集される、とかね。
そうしたことも日本での人気につながったんだろうね。

JAPANの初来日は1979年で、最初から日本武道館で公演を行っている。
恐らく当時の最大収容人数を誇る会場が日本武道館だったんじゃないかな?
チケットが完売できるほどの人気だったってことだもんね。
SNAKEPIPEは、その時代より少し後輩にあたるので(笑)、ライブを観たのは1982年の武道館だよ。
チケットが余ったから誰か行かない?と学校の先輩から誘われ、実はあまりJAPANを知らないのに思わず手を上げてしまったんだよね。
そのチケットはとても良い席で、1階席の前から数えたほうが早いようなステージに近い席だった。
曲を聴くというよりも、 メンバーの顔を見に行った、という感じかな。(笑)
一番人気はヴォーカルのデヴィッド・シルヴィアンだけれど、実際にステージを観たSNAKEPIPEに強いインパクトを与えたのはミック・カーンだった。
笑いながら瞬きをしない鋭い目つきで軽いステップを踏み、ベースを弾く。
ステージを右に左へとカニ歩きする様は、今でもはっきり覚えているよ。
そのミック・カーンは2011年にガンのため亡くなっている。
52歳じゃ若過ぎるよね。

今回JAPANについて調べていたら、思っていたよりも多くの曲を知っていたことが分かったよ。
そのうちの1曲がこの「Adolescent Sex」(1978年)だった。
曲は聴いたことがあったのに、JAPANだとは知らなかった。
初期の頃はロック色が強かったんだね。

JAPANは1982年に解散している。
SNAKEPIPEが武道館に行った翌年ということになるね。
一度でも実物を観られて良かったよ!

JAPANは、遅過ぎたグラム・ロック、早過ぎたニュー・ロマンティックという微妙な立ち位置のバンドだったのかな。
デヴィッド・シルヴィアンの知的さと美意識のためなのか、ヒット・チャートを独占するようなキャッチーな代表曲には恵まれなかったのかもね。
ただし、それは音楽性の高低についての話ではない。
恐らくJAPANは様々なミュージシャンに影響を与えているバンドには違いないし、いわゆる美形ビジュアル系バンドの元祖だろうね。
今回改めて振り返り、そんなことを思ったSNAKEPIPEだったよ!