ニッチ用美術館 第8回

【タイトルビデオも時間が足りず、シンプルで技がないな】

ROCKHURRAH WROTE:

元旦のブログからその後のブログ記事でもちょこっと書いてるように、SNAKEPIPEの病気が1ヶ月以上経った今でも完治とは程遠い状態。
最初は風邪だと思い、正月期間だったので病院にも行かず様子見をしていたんだが、熱がいつまでも下がらないのでいくつかの病院を受診してみた。
結局のところ何が原因で何の病気なのかもはっきりとわからないというのが現状、良くなってる時もあったからぬか喜びしてたのになあ。
飲んだ薬のおかげで寝不足になってしまい、眠れる時には寝かしつけておこうという判断になった。

というわけで今週はSNAKEPIPEはお休み。
最近滅多にブログを書かないと評判のROCKHURRAHが、急遽代理で書き始めたというわけだ。

心配は色々あるけどそのうち完治して元気になってくれると信じていよう。
読者のみなさんがどれくらいいるのかは全く不明だけど、ウチのブログに少しでもシンパシーを感じて下さる方がいたら、ぜひ温かいコメントなどいただけると嬉しいよ。

さて、代理になったのがだいぶ遅い時間だったからROCKHURRAHにはあまり時間がない。

いつもは関係ない前置きが長くてセンテンスも長いROCKHURRAHだが、今日は気を引き締めて簡潔に進行しよう。

で、今日久しぶりにやるのはROCKHURRAHの担当する名企画(自画自賛)「ニッチ用美術館」にしてみよう、というのが自分の脳内会議の末、さきほどやっと決まった。

いつものROCKHURRAHだと「この企画とは〜」などと言って毎回ダラダラ解説を書くんだが、そんなヒマはないので、わからない人は前の記事でも読んでみて下さい。

2017年に天啓のごとく「ニッチ用美術館」の趣旨が思い浮かび、タイトルバックの映像まで作ったりして、ものすごい情熱をかけてこの企画が始まった。
ウチのブログは大半はSNAKEPIPEが書いてるんだけど、滅多に書かない、書けないROCKHURRAHも一応自分の持ち場(シリーズ記事)は持ってるんだよ。
中でもこの企画はなかなかよそにはない切り口で評判もいい、個人的にも気に入ってるシリーズ記事のひとつなのだ。
がしかし、最後に書いたのが2021年夏。
タイトル映像を毎回変えたりして、とにかく時間と労力がかかる企画なのが難点。
だから滅多に新しい記事を書けなくなってしまった。
これじゃ忘れ去られても仕方ないよな。

今週は著名芸術家の作品を似せた、パクった、あるいは正当な許可を得て引用したオマージュ溢れるレコード・ジャケットに焦点を当ててみよう。
相も変わらずROCKHURRAHの特色である、1970〜1980年代のパンクやニュー・ウェイブと呼ばれた音楽のみで構成されてるので、そういう古い洋楽なんてわかんないような人こそ読むべし(偉そう)。

では始めてみようか。

ROOM 1 馬塞爾の美学

そしてまた相も変わらず「読めん!」というサブタイトルで構成するのが「ニッチ用美術館」のお約束。
今回は中国語による外国人の表記という難しい問題に真っ向から取り組んでみた。
馬塞爾と書いてマルセルと読むそうだ。
馬塞爾・杜象と書くとすなわち、マルセル・デュシャンということになる(らしい)。
言われてみれば何となくそんな気がします、程度だけど、よくぞこんな当て字を考えるよね。
马塞尔・杜尚という書き方もあってどっちが正しいのかもわからないが、中国人は日本人がカタカナ読めるようにみんな読めるんかいな?

マルセル・デュシャン(1887-1968)と言えば現代アートの元祖的な存在の一人と言ってもいい偉人なんだが、言ってる事や、やってる事に共感出来てよくわかる部分もあれば、何を表してるのか全く理解不能という作品も残したアーティストだね。
それすらも深く考えて理解している評論家やプロの方々もいるようだが、たぶん本人以外には誰にも「よくわからない」と思うよ。
などと書くと炎上するのが今なのかな?
センセーショナルな反芸術みたいなものを引っ提げて美術界に登場したり、そういうのもアリなんだと周りに思わせてムーブメント、あるいは流行りにしたり。
ちょっと芸術やめてチェスに明け暮れたり、女装してみたり。
まあ逸話には事欠かないナイス・ガイだったのは間違いない。
見た目も良かったからアーティストとして今でも好きな人は多いはず。
そんなに詳しいわけでもない不肖ROCKHURRAHごときでも、レディメイドの影響は強く受けてるのは間違いないよ。

そういう破天荒な生き様や作品は彼が活躍した時代のパンクでありニュー・ウェイブだったはずだ。

時は流れてパンク真っ盛りの70年代の英国、ここにもデュシャンの痕跡を見る事が出来た。
マンチェスター出身のバズコックスはヒット曲も多く、知名度も高い人気パンク・バンドだ。
最も初期には「一度聴いたら忘れられない粘着質の歌声」とROCKHURRAHが評している、ハワード・ディヴォートがヴォーカリストだったが、彼らの4曲入りシングル「Spiral Scratch」を初めて聴いた時の衝撃は今でも忘れることがない。
最もエキサイティングな時代にちょうど音楽を聴く世代に生まれた事はとてもラッキーだったと思うよ。
モロにパンクの洗礼を真っ向から受ける事が出来たわけだからね。
望む音楽は何でも無料で聴く事が出来る今の時代でも、この生体験だけは無理だからな。

そういう事を延々と書いてたら一向にブログが進まないので一気に端折るが、稀代の個性派ヴォーカリストだったハワード・ディヴォートはこの4曲だけであっさりバズコックスを卒業、嫌らしい歌声に磨きをかけてマガジンを始める。
残ったバズコックスはギタリストのピート・シェリーがヴォーカル兼任となって、そのへなちょこな歌声と類い稀なポップ・センスでパンク史に残る名曲を次々とリリース。
パンクはシングルだ、とよく言われるが、彼らのシングル曲はどれも勢いがあって、例えばインターネットのパンク・チャンネルのラジオでも必ず何回もかかるほどキャッチーな音作りが魅力だね。
中でも人気が高く「パンク史とは?(バンクシーとは?みたいだな)」というような趣旨のコンピレーションには欠かせないヒット曲がこちら、1978年発表の「Ever Fallen in Love」だろう。

2トーン・スカで人気あったザ・ビートの元メンバーが作った、ファイン・ヤング・カニバルズが80年代にカヴァーして再び大ヒットさせた事でもさらに知名度の高い曲だね。
虚ろな目つきで熱唱するピート・シェリーのこの映像を見て「パンクとは?」という問いかけに明確に答えられる若年層はいなさそうに感じるが、わしらの世代には頷く人も多かろう。
みんながみんなピストルズやクラッシュのようにカッコ良く決めてたわけじゃないんだよな。

さて、ニッチ用美術館の趣旨としてはこのジャケットを取り上げないと。
馬塞爾・杜象の代表作でもないとは思うが、1930年代に雑誌の表紙として作られたシルクスクリーン印刷が左の「Coeurs Volant(たゆたう心臓)」というもの。
よくわからないタイトルが多いデュシャン作の中でも割と直球、そしてデザインという分野でもとにかく目を引くキャッチーさで、ポスターとしても素晴らしいもの。
1900年代はじめに友禅染をヒントに英国で生まれた技法がシルクスクリーン印刷、それが普及して鮮やかな大量印刷が可能となり、デュシャンも後のウォーホルも一点ものじゃないアートに目をつけたってところがいいよね。
現物ではないがROCKHURRAHとSNAKEPIPEもカスヤの森現代美術館で去年鑑賞してきたのもコピーのひとつだったはず。
うーむ、何だかAI翻訳で書き写した文章みたいだな。

バズコックスのシングル・ジャケットはどれもアートっぽさとデザインっぽさが入り交じるものが多くて、ROCKHURRAHも好きなんだけど、このジャケットのはよく見るとちょっと違うようにも感じる。
レコード・ジャケットの裏側にちゃんと「Sleeve Front After Marcel Duchamp (Fluttering Hearts 1936)」と書いてあるので紛い物ではないんだろうが、制作してる時に何度も試行錯誤してると思うので、その時のコピーのひとつなんだろうかね。

うひょ〜、時間がないなどと言いながらROOM1だけでこんなに書いてしまった。
簡潔な文章などROCKHURRAHには書けないんだろうな。とっても無口なくせに。

ROOM 2 曼·雷の美学

これはすぐにピンと来るね。
曼·雷と書いてマン・レイ(1890-1976)と読む。
ダダイスムやシュルレアリスムといった20世紀前半の芸術運動の中でも、とりわけ写真の分野で燦然と輝く作品を残した大スターなのだ。
などと見てきたように書いたが、元々ROCKHURRAHはSNAKEPIPEのようにアートの世界を多く知ってるわけでもない門外漢。
そんなROCKHURRAHでもSNAKEPIPEと知り合う前から興味を持っていたのがダダイスムやシュルレアリスムの世界だった。
何で知ったのか、そのキッカケは展覧会でもアート関係の本でもなく、このレコードとかの情報から興味を持ったのが始まりだったかな。

その話はもう少し後にして、まずは曼·雷について。
調べりゃ誰でもわかると思うが、外国版のSF的キラキラネームみたいな名前は改名後のものであり、両親ともユダヤ系のアメリカ移住者だから、子供の時の名前はエマニュエル・ラドニツキーというアメリカ人ではなさそうな名前がついてた。
ユダヤ系と聞くと、どうしても時代的にナチスの迫害を恐れて・・・というような想像をしてしまうが、命がけで亡命したわけでもなくアメリカ生まれなのに、やはりどこの国でも他国から来た家族はあまり不自由なく暮らせないということかね。
エマニュエルの通称マニーをもじってマン、Radnitskyの綴りの最初と最後からRayと名乗るようになって、この芸名のような名前が誕生したらしいよ。

マン・レイは先に書いたマルセル・デュシャンをはじめとした、ダダやシュルレアリスムの有名芸術家の数多くと交友関係を持ち、自身も写真や絵画、立体作品に映像作品など多彩な分野のアーティストとして活躍した。
ただ写真をありのままに撮るのではなく、加工をしたり本物でもいい部分にあえて偽のものを加えたり、技巧を凝らしたところがアナログ時代のPhotoshop的で面白いと感じる人も多いだろうな。

さて、そんなマン・レイ作品をそのまんまストレートに使ったのがスキッズ、1980年作のシングル曲「Circus Games」だ。
歌詞から推測するとどうやらカードゲームなんだろうけど、この当時の英国で流行ってたのかもわからなかったよ。
流行りとかに関係なく、その家庭や特定の友達とだけローカルでやってたような遊びもあるからね。

スキッズはスコットランド出身の4人組で、1978年に地元のダンファームリンのレコード屋が興したノー・バッドというインディーズ・レーベルからデビュー・シングル「Charles」を出した。
それが評判になってパンク第2世代くらいが活躍していた英国でも人気バンドとなり、ヴァージン・レコードから1981年までに4枚のアルバムを出した、というのが略歴だけど、ROCKHURRAHが個人的に最も好きで追い求めてきたバンドのひとつだ。
このバンドを知ったのは音楽雑誌でも地元のレコード屋でもなく、音楽好き少年だったROCKHURRAHが熱心にやっていたカセットテープの編集が発端。
BASFというドイツ製のカセットテープがTDKやソニーよりは何だか通っぽく見える、という理由でこのメーカーのを愛用してた。
たぶんBASFのキャンペーンか何かで「生まれた時からコックニー・サウンド」というようなキャッチフレーズのチラシみたいなのが地元、小倉の電気屋の店先に置いてたのにふと目が留まって持ち帰ったんだが、そのキャンペーン・チラシのモデルがスキッズのリチャード・ジョブソンだったのだ。
今でも持ってりゃすごく珍しいものなんだろうが、さすがにそこまで物持ちが良くはない。

当時のROCKHURRAHは小倉から博多まで高速バスで出かけてレコードを買って帰るという事をしていて、月に2回くらいは買い出しに行ってたんだけど、そこで偶然にスキッズの2ndアルバムを見つけて買ったのがこのバンドとの出会いだったな。
スキッズ以前から大ファンだったビー・バップ・デラックスのビル・ネルソンがプロデュースとくれば好きになるに決まってる。

それからずっとスキッズのレコードを集めてきた・・・というほどにたくさんは出してないけどな。
派生したビッグ・カントリーやアーモリィ・ショウ、リチャード・ジョブソンの詩の朗読(ソロ)までも含めて見つけたら手に入れていたものだ。

「Circus Games」は3rdアルバムからのシングル曲で、パンクとかニュー・ウェイブとかの垣根を超えた80年代的ブリティッシュ・ロックの名曲だと思う。
サビの部分を敢えて子供たちのコーラスにしたのも効果的だね。
2ndアルバムの頃は原色の宇宙服みたいなコスチュームでいかにもニュー・ウェイブのバンドという雰囲気だったが、わずか1年後の3rdアルバムの時はトラッドな服装という変貌を遂げていたのが印象的だったものよ。
「方向転換にも程がある」とツッコまれても仕方ないね。
この時、わずか20歳の若輩者とは思えないリチャード・ジョブソンの老け顔は必見。
おっと、ジャケットにも触れておこうか。
「Dancer accompanies herself with her Shadows(彼女の影とともに踊る綱渡りの踊り子) vers 1919」と題されたマン・レイの作品が使われてるんだけど、同じようなタイトルでもっと有名なカラー作品があるので、この時代の連作のひとつなんだろう。
これは写真作品ではなくAerograph、切り抜いた物体にエアブラシでスプレーして、そのシルエットをキャンバス上に浮かび上がらせるという手法で作られたものらしい。
立体ステンシルというようなもんなのかな?
確かな技術に裏打ちされた、卓越したセンスというものが感じられる作品だな。

前置きで書いた通り、急遽代役で書き始めたROCKHURRAHだったが、さすがに一気にブログを仕上げるだけの時間もなかったし、もう時間切れ。
たった2つだけで申し訳ないが、この続きはまた後日にちゃんと書き上げるつもりだから。

未完だけど今日はここでおしまい。

映画の殿 第70号 韓国ドラマ編 part24

20250202 top
【毎回丁寧に出演者を集めてくれるROCKHURRAH、ありがとう!】

SNAKEPIPE WROTE:

気が付くとすでに時は2月。
2025年も12分の1が終わってしまったんだね。
なんて速いんでしょ!
この1ヶ月の間、何をやっていたか考えてみても大したことしてないよ。
年末から悩まされていた謎の高熱がやっとおさまり、少しずつ快方に向かっているSNAKEPIPEなので、特にお出かけもせず引きこもっていた。
やっていたことといえば、ドラマ鑑賞か。
今回のブログは「映画の殿 韓国ドラマ編」を特集しよう。

照明店の客人たち(原題:조명가게 2024年)」は、ディズニープラスで視聴した。
全8話という少し短めの話数で、「ムービング」の制作陣が再びタッグを組んだ作品だという。
サングラスをかけたあやしげな男は、一体何者なのか。
第1話を鑑賞した後、とても不思議な感覚になった。
言ってみれば不条理小説のドラマ化みたいな感じなんだよね。
あらすじから書いてみよう。

どこかもわからない、暗い街をさまよう人々。
一部の記憶を無くした彼らがいたのは、”生と死の境目”の世界だった。
なぜ彼らはこの場所に辿り着いたのか。そして、元の世界に戻ることはできるのか――。
やがて人々は、彼らの過去、現在、未来の鍵を握る、ある路地裏の照明店へと引き寄せられていく・・・
(ディズニープラスより)

あらすじ読んでも意味不明だよね。
トレイラーを観たらヒントになるかも?

なるべくネタバレしないように感想を書いてみよう。
ドラマの画面がずっと暗くて、夜の描写が続く。
サングラスをかけた店主がいる照明店だけが、ひときわ明るく異彩を放っている。
誘蛾灯のように、光に吸い寄せられ照明店を訪れる人々の様子がおかしい。
店主との会話も、成り立っているようないないような、あやうい雰囲気なんだよね。
韓国ドラマで、こんなに不条理を感じたのは初めてかもしれない。
とても不思議なドラマなので、回を追うごとに謎解きが進み、人によっては「すっきり」するかもしれない。
ただSNAKEPIPEは、あの「なんだか分からない世界」の話が好きだったよ。(笑)
人それぞれ「幸せ」の形があるんだな、と考えさせられたドラマだった。

応答せよ1994(原題:응답하라1994 2013年)」は、「応答せよシリーズ」の2作目。
ROCKHURRAH RECORDSでは、制作順を無視して「1988」から「1994」を鑑賞してしまった。
本来は「1997」「1994」「1988」が制作順のようなので、まるっきり逆だよね。(笑)
一番最初に「1988」を観てしまったので、仕方ないか。
「1994」には3食ごはんでお馴染みの「ソン・ホジュン」や「花郎」でヒロインを演じたAra、「離婚弁護士シン・ソンハン」や「ムービング」で印象的な役を演じていたキム・ソンギュンなど、馴染のある俳優が出演していて楽しみ!
あらすじから書いてみようか。

1994年、ナジョンの両親が経営する「新村下宿」に6人の若者が集まってくる。
彼女にとって実の兄のような幼馴染のオッパ、スレギ。
大学進学を機に地方からやって来たお調子者のヘテ、レスリー・チャンに似ているというサムチョンポ、寡黙な青年ピングレ、アイドルの熱狂的なおっかけユンジン。
そしてピングレのいとこでソウルに暮らす大学野球界期待の星チルボン。 彼らがともに過ごした8年間の日々。
そして2013年、ナジョンの新居に再びあの6人が集まってくる。
その中には、現在ナジョンの夫となった男性も―。
果たして、彼女のハートを射止めたのは!? (公式サイトより)

トレイラーを観てみよう。

大学生の男女が繰り広げるドタバタ恋愛劇といってしまえば簡単だけど、ヒロインであるナジョンがあまりにも女性らしさからかけ離れていて驚く。
言葉遣いは悪い、ガツガツ食べる、負けん気が強い。
「1988」のヒロインだったドクソンも、かなり男っぽい雰囲気だったけれど、ナジョンには負けるよ。
「ぶりっ子しない」「飾らないタイプ」なので正直ではあるけどね。(笑)
田舎生まれなのに、精一杯都会に馴染もうとするヘテやサムチョンポには、たくさん笑わせてもらった。
そしてナジョンの両親が、「1988」の時と同じことに気付いたよ。
どうやら「1997」から、このキャストは変わってないみたいだね。
制作順とは逆になってしまったけれど、いつか「1997」も観てみたいよ!

2022年1月の「映画の殿 第49号 Netflixドラマ編 part5」で感想を書いた「地獄が呼んでいる」のシーズン2が配信された。
当時の記事に「シーズン2がありそうなエンディングだったので、続きが非常に気になるよ。あまり間を空けずに配信して欲しいね!」と書いていたSNAKEPIPEだったけれど、シーズン2は3年の時を経て配信されることになった。
シーズン1で新興宗教の教祖を演じたユ・アインが、麻薬騒動により降板したことも、シーズン2までの制作に時間がかかった要因なのかも。
なんだか分からないけど、突然異形の存在に「おまえは3日後に死ぬ」と宣告され、実際に指定の日付に焼き殺されてしまう。
そんな理不尽な世界を描いた「地獄が呼んでいる」シーズン1のラストは、焼き殺された人が蘇ったところで終わったっけ。
細かいところはあまり覚えていないまま、鑑賞してみたのである。

新興宗教団体“新真理会”のチョン・ジンス議長の試演から8年後、地獄行きの告知と試演が当たり前になり、法や秩序が崩壊した世界で、地獄行きを宣告されたパク・ジョンジャとチョン・ジンスが、それぞれ復活を果たす。
これを受け、地獄の秘密を追う組織<ソド>、地獄の使者の行いを“神の意志”として狂ったように祀り立てる過激な信者集団<矢じり>、さらに制御不能となった世界を再び抑制するため地獄の存在を利用する<政府>も介入し、国を巻き込んだ巨大な衝突へと発展していく。
(シネマトゥデイより)

トレイラーはこちら。

告知と試演は不思議なものではなくなっていて、皆が当たり前の事象として受け入れているんだよね。
燃え尽きて亡くなったはずの2人が、復活するところから話が始まる。
「新真理会」という新興宗教団体、人道支援活動を行う「ソド」という組織に加え、インターネット配信で民衆を煽る「矢じり」という狂信者集団の三つ巴の構造が主体になっていて、政治的な話が中心になってしまった。
シーズン1を観直してからシーズン2に入ったわけではないので、「この人誰だっけ」と頭をひねりながら鑑賞していたSNAKEPIPE。
「地獄が呼んでいる」の面白さは「なんだか分からない」ところだと思っていたので、理路整然と対立構造が示されることで興醒め。
謎のラストは良かったかも。(笑)

ストーブリーグ(原題:스토브리그 2019年)」は、「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」や「無人島のディーバ」でお馴染みのパク・ウンビンが出演しているのが目当てで観始める。
主演のナムグン・ミンは、有名な俳優のようだけどROCKHURRAH RECORDSでは初お目見えだね。
他に「悪霊狩猟団: カウンターズ」のチョ・ビョンギュ、「サイコだけど大丈夫」のオ・ジョンセが脇を固めている。
野球について全く知識がないSNAKEPIPEは「ストーブリーグ」の意味すら知らなかった。
野球のオフシーズンに選手や監督の契約更改や移籍、加入などのグラウンド外の話題を指す言葉がストーブリーグなんだって?

万年最下位のプロ野球チーム“ドリームズ”は、またしても最下位でシーズンを終える。
そんな中、責任を取って辞任したゼネラルマネージャーの代わりに新たに就任したのは、野球未経験で知識もない異色の経歴を持つペク・スンスだった。
早速チームの改革に乗り出したスンスはスター選手をトレードに出すと言いだす。
それを聞いた運営チーム長のイ・セヨンをはじめフロントスタッフは猛反発するが、チームの強化に成果を見せるスンスを次第に信頼しはじめる。
しかし、新たなる問題が発生。親会社の常務クォン・ギョンミンは、赤字続きのチームを解散させようと企んでいて…。
(公式サイトより)

トレイラーも載せてみよう。

ダメダメなチームを盛り上げていくという構図は、ROCKHURRAH RECORDSが大好きなウィル・フェレルの「俺達シリーズ」みたいなんだよね。(笑)
次から次に問題が発生し、1つずつゼネラルマネージャーが解決していく。
あまりにも冷徹に仕事をこなしていく様は、観ていて心地良い。
自分とは関わりたくないけどね!

Netflixでは、1話を約30分単位で区切って配信していたので、時間に余裕がある時は2つ、3つまとめて鑑賞していた。
32話はあっという間だったね。(笑)
ありがちな恋愛話に発展することなく、純粋に野球だけに情熱を傾けているスタッフの姿は好感が持てた。
野球を知らなくても充分楽しめたよ!

今回は4つのドラマを紹介してみたよ。
3年の月日を経て、鳴り物入りで配信された「地獄が呼んでいる」は、SNAKEPIPEにはイマイチだった。
「イカゲーム」の続編が配信されていることも知っているけれど、どうも食指が動かない。
シーズン2って難しいよね。(笑)

また別のドラマを鑑賞していこう。
次回をお楽しみに!