CULT映画ア・ラ・カルト!【16】「Holy Motors」「TOKYO!」

【ROCKHURRAH制作。「merde!」連発のPere Ubuとのコラボ】

SNAKEPIPE WROTE:

前回「 CULT映画ア・ラ・カルト!」を書いたのが2013年10月だったので、このカテゴリーは約1年半ぶりの記事ということになるんだね。
久しぶりに「これは!」と思える狂気の人物を観ることができたので、まとめておきたいと思う。
何を持ってCULTと断定するのかは個人的な判断で良いよね?(笑)

レオス・カラックス監督についての記憶は曖昧で、確かに1980年代に話題になったし映画も観ていたはず。
当時はレオス・カラックス以外にもリュック・ベッソンアレックス・コックスジム・ジャームッシュなど、インディーズ出身の若手監督が台頭していた時代だったんだよね。
新作は必ずチェックしていたし、新しくてカッコ良い映像を知ることがお洒落だと思っていたし。(笑)
情報を得るのに貪欲だった少女時代のSNAKEPIPEなので、レオス・カラックスも観ているはずなのに全く覚えていないんだよね。
TSUTAYAの良品発掘でレオス・カラックスの3部作が復刻された時にも、それほどの興味を示さなかった。
ROCKHURRAHにとってはかなり懐かしい監督の一人のようで、レオス・カラックスの3部作に加え「ポーラX」も映画館まで観に行ったという。
その「ポーラX」から13年の時を経て、新作が発表された。
それが今回紹介する「ホーリー・モーターズ」(原題:Holy Motors 2012年)である。

ROCKHURRAH RECOREDSでは毎週2本は映画を鑑賞しているので、 近いうちに観ようと軽い気持ちで借りていたそうだ。
「面白いかどうか分からないけど」
何の予備知識もないまま映画が始まった。
リムジンが舞台になっているという設定はデヴィッド・クローネンバーグの「コズモポリス」(原題:Cosmopolis 2012年)に似ているね。
どちらの作品も2012年だったとは!
リムジンに乗る人物が流行だったのかしら?(笑)
更に調べてみると両作品とも「パルム・ドールを競った」なんて書いてあるから、カンヌ映画祭で上映されたことも同じなんだね。
実は「コズモポリス」は映画館で鑑賞したSNAKEPIPEだけど、今から思えば「ホーリー・モーターズ」のほうが映画館向きだったかも?

簡単にあらすじを書いてみようか。

ひとつの人生からもうひとつの人生へ、旅を続けるオスカーの1日。
ある時は富豪の銀行家、またある時は殺人者、物乞いの女、怪物、そして父親へと、次々に姿を変えてゆく。
オスカーはそれぞれの役になりきり、演じることを楽しんでいるように見える。
ブロンドの運転手セリーヌを唯一の供に、オスカーはメイク道具を満載した舞台裏のような白いリムジンで、パリの街中を移動する。

最初は一体何が起こっているのか分からない。

ドニ・ラヴァン演じる主人公のオスカーは手渡されたファイルを元に「誰か」に成り切って演じているからだ。
一つの人格が終わったと思うと、また別の「誰か」になっている。
一体何のために?
誰のために?
などいくつもの「?」が頭をよぎっていく。
そしてその中に登場した強烈なキャラクターが緑色のスーツの男だった。

マンホールのアップ。
場所は墓場のようである。
どんどんマンホールにカメラが近付いていく。
蓋が少しズレると、中から人が出てくる。
緑色のスーツを着た、片目が濁った赤毛の男。
裸足なのに墓石をひょいひょい軽く飛び越え、献花を奪い取っては食べている。
なんだ、この狂人は!(笑)
かなりメチャクチャで、いわゆる一般常識なんてものは通用しない傍若無人タイプ!
意味不明の行動を起こし、 何がなんだか分からないうちに緑色の男のチャプターが終わってしまった。
「ホーリー・モーターズ」では最も印象に残る「人生」だったね!

長い一日が終わって、リムジンが駐車場に戻ってくる。
いくつもの人格を演じ終えたオスカーは自宅(?)で休養するようだ。
そしてリムジン同士が話をするシーンで映画が終わるんだけど。
上に3行書いた部分がなかったほうが良かったのに、と残念に思ってしまうSNAKEPIPE。
何がなんだか分からないうちに映画が終わってしまったら、CULT映画として素晴らしかったのに!(笑)
えっ、ほとんどの人は映画に意味を求めてしまうって?
確かにそうなのかもしれないけどね。
この部分が追加されているために、ちょっと陳腐になってしまう気がする。

それにしても緑色のスーツの男があまりに印象的だったので、鑑賞後に早速調べてみる。
レオス・カラックスの「アレックス3部作」と呼ばれる、熱狂的な支持を集めた作品の主役だったドニ・ラヴァンの怪演ったら!
「すごい!」としか言いようがないほどの奇人・変人ぶりだよ。(笑)
このキャラクターはフランス語で「糞」の意味である「メルド」という名前だという。
ミシェル・ゴンドリー、ポン・ジュノとのオムニバス映画「TOKYO!」(原題:TOKYO! 2008年)に出ているらしい。
これは早速観なければ!(笑)

それぞれの監督が「東京」を舞台に、日本人の俳優を起用して撮影をしている。
ミシェル・ゴンドリーの「インテリア・デザイン」は、自分の存在価値を見出す女性の話。
ポン・ジュノの「シェイキング東京」は引きこもりの男とピザ配達人の話。
そしてレオス・カラックスは「メルド」だった。

怪人「メルド」がマンホールから現れる。
そしてなんと!銀座の中央通りを裸足で闊歩!
あの異様な風体で、通行人にぶつかったり、タバコを乳母車に投げ捨てたり、札束を奪い取り口に入れたり!
大部分は雇われたエキストラだと思うけど、もしかしたら本当の通行人もいたかもしれないよね?
あんな怪人「メルド」に街中で遭遇したら、かなり怖いはず!
更に渋谷の交差点でのテロ行為。
撮影だと知っていても怖いだろうし、知らないで近くを通りかかったとしたら、なんて考えただけでも恐怖だね。

オムニバス映画の「メルド」も「ホーリー・モーターズ」と同じように、裁判のシーンがなくても良かったのでは?と思ってしまうSNAKEPIPE。
この短編も「意味不明だった」という感想で充分印象的だと思うからね。
拘置所の所長役に嶋田久作の姿を発見したのは嬉しかった!


「メルド」は何語なのか分からない、不思議な言語を使う。
前歯を指で小突いたり、自分の頬を張ったりしながら、妙な高音のカワイイ声で話す。
同じ言語を使うことができる弁護士というのが、「メルド」と似た濁った片目や特徴的なアゴ髭。
2人の会話しているシーンはまるでギャグ!
「メルド」を擁護する人が出てくるのも面白かったし、「メルド・フィギュア」のシーンはYMOの「増殖」を思い出してしまったよ。(笑)
この「メルド・フィギュア」あったら欲しかったな!

「メルド」は次回ニューヨークに出没、なんて最後に予告されていたけれど、ニューヨークでのテロ行為はいくら撮影でも難しいかな?
SNAKEPIPEが鑑賞した順番が逆だったけれど、「TOKYO!」の次に出没したのが「ホーリー・モーターズ」のパリ、ということになるんだろうね。
また別の土地で「メルド」に再会したいね!(笑)

CULT映画ア・ラ・カルト!【15】「一寸法師」「陰獣」

【タランティーノもびっくり!赤い妖艶な世界】

SNAKEPIPE WROTE:

物心ついた頃から好きだったのは、何故だかエロ・グロ・ナンセンスに分類されてしまうような怪しげな世界である。
日本の小説でお気に入りだったのは、江戸川乱歩と夢野久作。
もしかしたら「好き」と公言するのをためらってしまう人もいるだろうね。
乱暴に言ってしまえば「変態好き」を認めてしまうことになりかねないからだ。
SNAKEPIPEはブログでお気に入りの映画やアーティストを紹介しているけれど、やっぱり「ちょっと変」で「あやしげ」な世界観が多いのは自認しているし、恥ずかしいとは思っていない。
「江戸川乱歩最高!」などと大きな声で言うし、賛同してくれるROCKHURRAHや友人と同じ世界観を分かち合うことを喜びとしている。
ROCKHURRAHは昔の探偵小説の大ファンで、乱歩も当然のごとくほとんどの作品を読破しているからね!

最近はずっとスペイン映画の鑑賞を続けていたけれど、たまには初心に帰って(?)日本のカルト映画を観ることにした。
江戸川乱歩の小説が昭和の時代に映画化されていることを教えてくれたのはROCKHURRAHだった。

江戸川乱歩の一寸法師」というタイトルで、「一寸法師」が原作の映画ね。
原作は大正15年から昭和2年まで朝日新聞に連載された新聞小説だったとのこと。
「パノラマ島奇譚」と同じ頃の作品らしいね。映画版は1955年の作品で、モノクロである。
主人公である小林を演じているのは宇津井健
小林という役名だけど、「少年探偵団」の小林少年とは別物だからね!(笑)
とても役者とは思えないほど地味な風貌に加え、ボソボソした声でセリフは棒読み!
素人の演劇クラブみたいな演技で驚いてしまう。
どうして主役になれたのか不思議に思ってしまうのはSNAKEPIPEだけじゃないと思うよ。(笑)
その小林がたまたま遭遇した交通事故現場で、不思議な子供に遭遇するところから映画は始まるのである。

子供だと思っていたのは実は小人。
その小人を追いかけているところで、学生時代の友人である百合枝とばったり再会し、百合枝から相談を持ちかけられるのである。
百合枝は実業家である山野大五郎の後妻になっていて、先妻の子である三千子の継母という設定。
その三千子が家出をしたという。

百合枝を演じていたのは三浦光子という女優。
SNAKEPIPEは昔の邦画をほとんど知らないので、この女優は全然知らないけれど、 Wikipediaには出演した数多くの映画の情報が載っていて、有名な女優だと知ったよ。
1954年に制作された「悪魔が来たりて笛を吹く」にも出演していたみたいだから、横溝正史とも縁があったのね!
残念ながらこの作品は未鑑賞なんだよね。
いつか観てみたいな!
確かに美人で、苦悩する人妻といういかにも乱歩が好きそうな役どころを見事に演じていたと思う。
「江戸川乱歩の一寸法師」の中で、ちゃんと演技ができていたのはもしかしたらこの女優だけだったかもしれないね。(笑)

そんな百合枝に小人は一目惚れしていたのだった。
長い間思いを寄せながら、心を打ち明けることができなかった小人は奇策を考え、百合枝の前に姿を現し告白する。
「一寸法師」はミステリーのジャンルになる小説なんだろうけど、乱歩が最も表現したかったのはこの告白のシーンじゃないかな、と推測する。
役者ではない本物の小人が出演し、更に変装をして喋っているせいで、セリフが聞き取り辛いんだけど、それだけに何故だか真に迫っているように見えてしまう。
具足を使い平均的な男性の身長に変装したり、軽業でひょいひょい高いところに登ったりするのは、本当に乱歩の世界そのもの!
この時代だからこそできた配役なのかもしれないね。

時代という点では、町並みやエキストラの人々のファッションなどもさすがに現代では再現できない乱歩風の世界が広がっていた。
特に寺と民家がつながっているような、乱歩らしいトリックが見事に映像化されていたのは嬉しかった。
手や足が天井からぶらさがっている人形店の店内も「いかにも」な雰囲気でニヤリとしてしまったよ。

ニヤリといえば、ほんのチョイ役で登場しているのが天知茂
なんと探偵の助手という役どころなんだよね。
明智先生!
先生が事件を解決したほうが良かったんじゃないでしょうか?(笑)
もう一人、丹波哲郎も脇役で出演しているのも見逃せないね。
ほとんどセリフのない役だったけれど、存在感は抜群。
若かった頃の役者の顔を発見するのも、昔の映画を鑑賞する醍醐味の1つだよね!

もう1本鑑賞した作品は「陰獣」。
「江戸川乱歩の一寸法師」より約20年後の1977年制作なので、今回はカラーである。
主役は探偵小説家の寒川光一郎。
演じていたのはあおい輝彦である。
あおい輝彦といえば、一番初めに思いつくのは「犬神家の一族」での犬神佐清!
「犬神家の一族」は1976年で「陰獣」は1977年だから横溝正史作品、江戸川乱歩作品と2年連続出演とは、すごいぞ輝彦!(笑)
寒川役も好演していたよ。
探偵小説家が本当に謎解きに駆り出され、まさかあんなことに巻き込まれるとはね!(笑)

まるで寒川を付け狙っているかのように、寒川と複数回遭遇する小山田静子。
夫は実業家の小山田六郎って「一寸法師」の時の設定と同じじゃない?(笑)
更に寒川に相談を持ちかけるところまで「一寸法師」と同じなんだよね。
ま、苦悩する美人妻っていうが乱歩のお気に入りだから良しとしようよ!

「陰獣」での一番のポイントは変装にあると思っている。
未だに変装と聞けば、頭に浮かぶのは「陰獣」の中での変装のこと。
映画を観る前から
「あの変装シーンは映像化してくれるだろうか」
という変な心配をしていたSNAKEPIPEだったけれど、そんな心配は全く無用だった。
キチンと順序立てて変装シーンを見せてくれたのである。
ではその画像を一挙公開!(笑)

髪を丸髷にした後、前歯に金歯を差す。

メガネをかける。

頬に含み綿を入れる。

膏薬を貼る。

なんと不思議なことに、美人妻の小山田静子がおばちゃんみたいな別人になっちゃったよ!(笑)
「丸髷、金歯、含み綿、膏薬」が女の変装バージョン、「白髪、黒メガネ(もしくは眼帯)、杖」 が男の変装バージョンというのがROCKHURRAH RECORDSでの常識だよ。(笑)
小山田静子を演じた香山美子 は、2面性を持つ静子を非常に良く演じていたと思う。
乱歩が生きていたら喜んだんじゃないかな?(笑)

「陰獣」は他にもチョイ役で大物俳優がたくさん登場しているので、どのシーンで誰が出ているかを探すだけでも面白いんだよね。
原作に忠実で、良い役者が揃っている傑作だと思う。
江戸川乱歩ファンにお勧めだね!

「陰獣」は昭和3年(1928年)に3回に分けて連載された小説で、当時も大人気だったとWikipediaに載っている。
85年を経過した現代でも、全然古さを感じさせない小説だよね。
さすが、乱歩!
やっぱり江戸川乱歩、大好きだ!(笑)

CULT映画ア・ラ・カルト!【14】Santa Sangre

【サンタ・サングレのポスター】

SNAKEPIPE WROTE:

CULT映画ア・ラ・カルト!」で特集してきたアレハンドロ・ホドロフスキー監督の3部作も今回でついに最終回を迎えることになった。
ホドロフスキー監督が「初めて商業映画を意識して制作した」という「サンタ・サングレ」である。
「サンタ・サングレ」(原題:Santa Sangre)は1989年制作のイタリア・メキシコ合作映画で、前作「ホーリー・マウンテン」から16年の時を経て完成した映画である。
その間に「Tusk」という映画を撮っているけれど、ホドロフスキー監督が自らの作品として認めているのは「CULT映画ア・ラ・カルト!」で特集している3本らしいので、この言い方で良いと思っている。
では早速「サンタ・サングレ」についてまとめてみようか。
※鑑賞していない方はネタバレしてますので、ご注意下さい。

物語は主人公フェニックスの少年時代と青年時代の2部構成になっている。
まずは少年時代について記述しよう。

フェニックスはグリンゴ・サーカスという名前のサーカスを率いる両親の元に生まれ育つ。
フェニックス自身も「小さな魔術師」というニックネームを持ち、マジシャンとして活躍している。
感受性豊かな優しい性格のため、泣いているシーンが多い。
そのため父親から「男にしてやる」という名目で、胸にその名の通りのフェニックス(不死鳥)の刺青をされる。
このシーンは父親がナイフの先で傷を付けることで刺青を仕上げていたため、フェニックスの胸は血だらけ!
本当に痛そうに泣き叫んでいたので、SNAKEPIPEも自分の胸をさすってしまったほど!

フェニックスの父親、オルゴはアメリカ人。
前述したようにグリンゴ・サーカスの団長である。
どうしてアメリカに帰らずメキシコにいるのかは「アメリカで女を殺したせい」と噂されるような暴力的な人物である。
酒飲みで女好き、といういわゆるだらしのない男なのに、団長なのが不思議だよね?(笑)
かなりの太っちょだけれど、スパンコールギラギラの衣装を着け、同じくスパンコールのカウボーイハットまでかぶっている。
そしてフェニックスに施したのと全く同じ刺青を胸に入れている。

フェニックスの母親、コンチャ。
「テラノ兄弟に両腕を切断され、強姦された挙句血の海に置き去りにされた少女リリオ」を聖女として祀る宗教団体の熱狂的な信者である。
その狂信ぶりはイカれてる雰囲気さえ漂う。
目がすごいんだよね!
そして聖女として祀られている少女リリオの像もかなり怖い!
何故だか髪をおさげにして、セーラー服着てるの!
メキシコにも似た制服あるのかしら?

コンチャもサーカスの一員として、髪の毛を使った空中吊りで演技をする。
コンチャはヒステリーで非常に嫉妬深い妻だ。
夫であるオルゴが他の女と一緒にいるとナイフをかざして脅しをかける。
演目の途中であっても激しい嫉妬心を抑えることはできず、夫と女を追いかけてしまうほど。

サーカス団に全身刺青の女が新しく加わることになる。
肉体美をアピールするのがこの女の得意な芸当。
その他に玉乗りするとか空中ブランコやるとか、そういう芸は持っていないみたい。
そのためなのか、団長であるオルゴを得意の肉体攻撃で魅了しようとする。
オルゴの芸はナイフ投げ。
全身刺青女を的の前に立たせ、ナイフを投げていく。
まるでそれが性行為の代替であるかのように、刺青女はナイフが1本、また1本と投げられる度に身をよじるのである。

全身刺青女が一緒に連れてきたアルマという少女も、サーカス団で火縄を渡る芸の特訓中である。
アルマは聾唖者で口をきくことができない。
恐らくそのため両親から見捨てられ、全身刺青女の手に渡ったものと思われる。
サーカスと聞くとちょっと物悲しく感傷的な気分になってしまうのは、こういう事情がたまに透けて見えるからだろう。
全身刺青女からイジメられても、アルマは強く清らかな精神のままサーカス団に溶け込んでいる。
そしてそんなアルマに心惹かれているのがフェニックスだ。

ついに団長と全身刺青女は一線を越えようとする。
その2人の後を追ったコンチャは嫉妬と怒りで気も狂わんばかり。
硫酸を手に2人のいる場所に向かうと、夫オルゴの局部に硫酸を降りかけるのである。
怒ったオルゴはコンチャをナイフ投げの的へ連れて行き、その場で両腕を切断する。
あのナイフがそんなに切れ味良かったとは!
その姿はコンチャが狂信していた聖女リリオそのものだ。
そしてオルゴは最後にグリンゴ・サーカスを目に収めた後、首を切って自害するのである。
全裸で局部を抑えながら少し歩いた後自害するシーンは「エル・トポ」の中にも登場したね。
その様子を泣き叫びながら見ていたフェニックス。
フェニックスはコンチャにトレイラーに閉じ込められていたせいで、行動できなかったのだ。
全身刺青女はアルマを連れて車で逃走してしまう。
車の後ろの窓から悲しそうにフェニックスを見つめるアルマ。
ここまでで少年時代のお話終了!
こんな惨劇が目の前で繰り広げられてしまったら、少年はどうなってしまうんだろうね?

青年になったフェニックスは障害者施設にいた。
言葉を喋らず、胸の刺青のように自分を鳥だと思っているらしい。
人間用の食事には見向きもせず、生の魚を見ると奇声を発し、ガツガツとむさぼるように食べ始める。
このシーン、どうみても本当に生のまま食べてるように見えるんだよね!
役のためとはいえ、大変だっただろうねえ。

ある日フェニックスは障害者達と共に映画「ロビンソン・クルーソー」を観に外出することになる。
そこに客引きの男が現れ、映画より楽しいことをしよう、と障害者達を誘う。
コカインを吸わされ、障害者達が連れて行かれたのは相撲取り並の体格の年配娼婦の前だった。
5人の障害者まとめて全員で20ドルという娼婦に、俺の取り分は15ドルだと主張して交渉成立。
アコギな商売してるよね、客引きの男!
この客引きの男の名前がテオ・ホドロフスキーなんだよね。
監督との血縁関係については不明!(笑)
他の4人は娼婦に連れられて行き、フェニックスは仲間に加わらず町をさまよう。
通りは客を待っている娼婦たちであふれている。
フェニックスがふと目をやった先に、先程の客引きと陽気にサンパを踊る女がいる。
なんとその女はグリンゴ・サーカスにいた全身刺青女だった。

全身刺青女はグリンゴ・サーカスの時もそうだったように、その肉体とお色気だけをウリにしているので、サーカス団から逃げた後は娼婦になっていたようだ。
律儀にも(?)あの聾唖者のアルマの面倒もみているようで、同居している。
2人の軍人を客に取り、そのうちの一人をアルマに相手させようとする。
この軍人、恐らく巨人症だと思われる。
その巨人相手に格闘し、窓から逃げて難を逃れたアルマ。
なんとか夜露がしのげる場所を確保し、朝にようやく家に帰る。
そこで全身刺青女の亡骸を発見するのだった。
全身刺青女の殺害シーンはまるでアルフレッド・ヒッチコック監督の「サイコ」を思わせる演出がされている。
カーテンごしにナイフで上から下へと斬りつけるのである。
殺人者の姿は見えず、ただ赤いマニキュアをした女の手だけがヒントである。
一人ぼっちになってしまったアルマの心の拠り所は、グリンゴ・サーカスで生き別れたフェニックスだった。

映画「ロビンソン・クルーソー」の翌日、フェニックスは両腕のないコンチャの呼びかけに応じて、障害者用施設を抜け出す。
そしてコンチャと一緒に「コンチャと魔法の手」という演目を劇場で披露している。
これはフェニックスがコンチャの手の代わりに、二人羽織状態で後ろから動きを付けている出し物である。
フェニックスの爪には赤いマニキュアが塗られている。
本物の女性の指のようなきめ細やかな動きに感心してしまうね!
二人羽織は演目だけではなく、家の中でもコンチャの手の代わりを務めるのである。

この劇場の他の演目に「制服の処女ルビー」というストリップショーがあるんだけど、このルビーちゃんがすごいインパクト!
メキシコ人は、もしかしたら老けて見えるのかもしれないけど、どうみてもルビーちゃんは40代に思えるよ!
黒板と机を配置した教室を演出したステージに、セーラー服に髪をおさげにして登場!
まずはこのアンバランスさがなんとも言えずシュールな感じがする。
ちょっと昭和レトロな雰囲気もあるよね?(笑)
コンチャが崇拝し、聖女リリオとして祀っていたのもセーラー服とおさげ髪だったので、ホドロフスキー監督は余程気に入っていたに違いない。(笑)
観客のおじさん達もやんややんやの大歓声で、ルビーちゃん大人気だし!
このストリッパー、ルビーちゃんから「あたしと組まない?」と誘いを受けるフェニックス。
いつの間にか父親譲りのナイフ投げの技を身に付けているフェニックスは、ルビーちゃんをナイフ投げの的の前に立たせるのだった。
この時フェニックスの脳裏をよぎるのは、かつて父親の前で身をくねらせて的の前に立っていた全身刺青女。
強烈な記憶は今でも色鮮やかにフェニックスに影響を及ぼしているようだ。
そこにやってきた母親、コンチャ。
父親にしていたのと同じように、フェニックスが自分以外の女と接触していると、強い反発心と嫉妬心で怒りに打ち震えるのだ。
「その女を殺しなさいっ!」
そうコンチャから命令されると、自分の意志とは関係なくコンチャの指示通りに手が動いてしまう。
ルビーちゃんの腹部めがけてナイフを投げてしまうフェニックス。
コンチャの命令は絶対である。
逆らうことなんてできないんだ。

ルビーちゃんの死体を自宅に運び、庭に埋める。

今までにも大勢の女性を手にかけ、同じように庭に埋めてきたんだろう。
大勢の埋められていた女性たちが花嫁のベールをかぶり、ワラワラと土から出てくるシーンがある。
ここだけ見ているとまるでホラー映画のようで、かなり不気味だった。
タイトルつけるなら「brides of the living dead」って感じか?(笑)
不気味といえば、フェニックスが自宅に招いた史上最強の女子プロレスラーは、どこからみても男性にしか見えないんだよね!(笑)
上の写真がその女子プロレスラーなんだけど、身長の高さ、体つきのゴツさ、顎のラインなど全てが男!
コンチャと力の強い彼女(?)を対決させようと企てていたようだ。
それなのに、なんとも残念なことにコンチャの命令のほうが勝っていたんだねえ。
「彼女を殺すのよ!」
コンチャ、本気で女だと思ってたのかなあ?(笑)

「コンチャと魔法の手」を上演している劇場を手掛かりに、アルマはフェニックスの住所を探し出す。
家の中の様子から、恐らく全ての察しがついたんだろう。
フェニックスの目を開かせ、真実と向き合わせようとする。
全ての真実を受け入れたフェニックスは、やっと本来の自分自身と自分の手を取り戻すことができるのだった。

急に最後の部分だけかなりぼやかして書いてみたよ。
そこが核心に触れる部分なので、ネタバレし過ぎはヤボかな、と。(笑)
母親に支配される息子の主題は、前述したヒッチコック監督の「サイコ」でお馴染みだと思う。
ただしホドロフスキー監督はメキシコで実際に起きた連続殺人事件を元にこの映画の構想を練ったらしい。
20人以上の女性を殺し、自宅の庭に埋めていたホルヘ・カルドナという犯人にも直接インタビューまでしていたというから驚きだよね!
そのホルヘ・カルドナが母親からの支配を受けていたのかどうか、その事件そのものについての調べがつかなかったのではっきりしたことは不明。
構想から7年の月日が経ってからの映画化ということだから、どうしても撮りたかった作品なんだね。

冒頭に書いた「商業映画を意識した作品」という意味については、
・ストーリー展開がはっきりしていたこと
・他2作に比べるとグロいシーンが少なかったこと
・ラテン音楽の多用とダンスのシーンなどから陽気な雰囲気を感じたこと
という3つがパッと思いついたことかな。
いかにもホドロフスキー監督らしい、と思える演出のほうがはるかに多かったので、「エル・トポ」と「ホーリー・マウンテン」に比べてみれば、という前置きが必要かもしれない。

「サンタ・サングレ」を英語に訳した「ホーリー・ブラッド」と叫んでいたのが少女リリオを祀っていた教会でのコンチャだった。
少女が流した血は聖なる血だ、というのだ。
根拠は不明だけどね!
両腕を切断された、で思い出すのがデビッド・リンチの娘であるジェニファー・リンチの処女作「ボクシング・ヘレナ」(原題:Boxing Helena 1993年)である。
この映画は主演女優の降板騒ぎや、最低映画賞といわれるラジー賞を獲ったという悪評で有名な映画になってしまっている。
最終的に主役に収まったのは、「ツイン・ピークス」でオードリー役を演じていたシェリリン・フェン
少女リリオのように両腕のみならず、両足までも切断され椅子に腰掛けているのが、左の写真。
元々自分勝手で奔放な性格という設定だったせいもあり、とても聖女とは呼べないタカビー(死語)な女性だったよ。
改めて鑑賞しなおしてみたけど、ラジー賞に納得してしまったSNAKEPIPE。
エロと猟奇と狂気が中途半端なんだよね。
どうせやるならどれか一つを突出させても良かった気がする残念な作品だった。
「サンタ・サングレ」と同じジャンルに分類されるオチの付け方なのに、「ボクシング・ヘレナ」には非難の言葉が多いのも中途半端さが原因かな、と思われる。

ホドロフスキー監督についてもう少し調べてみよう。
「サンタ・サングレ」で演じられた少年時代と青年時代のフェニックスは2人共、ホドロフスキーの実の息子!
ん?ここで疑問が。
一体ホドロフスキー監督には何人の息子がいるんだろうね?(笑)

「エル・トポ」に出ていた、あの裸の少年。
ブロンティス・ホドロフスキーは1962年メキシコ生まれの長男。
wikipediaのページがフランス語なので、はっきりしたことは不明だけど、どうやら俳優や演出家をやっている模様。
ホドロフスキー監督の最新作「リアリティのダンス」ではアレハンドロ・ホドロフスキーの父親役、つまりブロンティスからみるとおじいちゃんを演じているらしい。
自伝的小説「リアリティのダンス」に中にブロンティスに関する記述がある。
どうやらブロンティスは6歳まで母親とアフリカにいたらしい。
そしてその後フランスにいるアレハンドロ・ホドロフスキーの元に来たというのだ。
そのため6歳までは父親不在の生活を送っていたとのこと。
「エル・トポ」は1970年の制作なので、ブロンティスは父親の元に行ったばかりで撮影してたんだね!
「ホーリー・マウンテン」にも「サンタ・サングレ」にも出演していたようだけど、どの役だったのかは不明。

アクセル・ホドロフスキーは「サンタ・サングレ」の中でフェニックスの青年時代を演じた。
映画に関する記述ではアクセルだけど、小説「リアリティのダンス」の中にヒントがあった。
アクセル・クリストバル・ホドロフスキー!
クリストバル・ホドロフスキーは1965年生まれの次男坊。
詩人、画家、作家、映画監督の他にサイコ・マジックも手がけているらしい。
サイコ・マジックとはアレハンドロ・ホドロフスキーも行なっていたサイコセラピーの一種で、依頼人の悩みを家系図を元に作成した系統樹や依頼人が見た夢などを利用して、根本となる問題点を導き出し、問題解決にあたるものである。
実際にどのような方法を用いて問題解決をしたのか、という実例については小説「リアリティのダンス」の中に事例があるので参照して下され!
詩人やサイコ・マジックを手がけているということで、もしかしたらクリストバルが一番ホドロフスキー監督の影響を受けているのかもしれないね?
それらは父親であるアレハンドロが行なってきたことを伝承しているみたいだからね。
クリストバルのHPがスペイン語で書かれているので、読解できないのがもどかしいね!
何の役なのかは不明だけど、映画「リアリティのダンス」にも出演している模様。

アダン・ホドロフスキーは「サンタ・サングレ」でフェニックスの少年時代を演じた。
1979年生まれというから、長男と17歳も差がある三男坊!
ホドロフスキーが50歳の時に生まれた、と書いてあったよ。
「サンタ・サングレ」撮影時は9歳くらいだった計算だよね。
このアダンは、現在Adanowskyという名でミュージシャンになっている。
wikipediaによると、どうやら一番初めにアダンにギターを教えてくれたのは、あのジョージ・ハリスンだったらしい!
アレハンドロ・ホドロフスキーが友達だったから、というのが理由らしいけど、ビートルズ・ファンには垂涎の的だろうね。(笑)
アダンもアナーキストの役で「リアリティのダンス」に出演しているみたい。

恐らく息子はこの3人だと思われるんだけどね?
どうやらそれぞれの母親は別らしい。
それなのにホドロフスキー色が濃く出ているところがすごいよね。(笑)
実は他にも映画の中にホドロフスキーって名前があるのを発見したんだけど、それが息子なのか親戚なのかはよく分からなかった。
娘も一人いるらしいんだけど、この方は映画とは無縁だったのかな。

来年日本公開予定の「リアリティのダンス」の前に、ホドロフスキー監督の3部作についてまとめてみたよ。
これで復習は完了だね!
そして小説「リアリティのダンス」も読了し、3人の息子達についても調べたので予習もできたかな。(笑)
来年の公開が本当に待ち遠しい!

CULT映画ア・ラ・カルト!【13】The Holy Mountain

【フランス版のポスター】

SNAKEPIPE WROTE:

毎年開催されているカンヌ国際映画祭は、多少ニュースで知るくらいでほとんど注目したことはない。
1990年に敬愛するデヴィッド・リンチ監督が「ワイルド・アット・ハート」でパルムドールを受賞した時は、さすがに興奮したっけ。
まさかリンチがカンヌでグランプリとは!ってね。(笑)

あれから22年の時を経て、今年のカンヌにはSNAKEPIEPが興奮するネタがあったのだ!
それは「藁の楯」じゃなくて(笑)、アレハンドロ・ホドロフスキー監督のニュース!
今年の2月に入手したホドロフスキー監督の自伝「リアリティのダンス」が映画化されることは知っていたけれど、実際に映画が完成していてカンヌで上映されたと聞いて小躍りしたのである!
観たい!観たい!絶対観たい!!!うおぉーーーーっ!
そのニュースを知り、トレイラーを発見して鑑賞した夜には、「リアリティのダンス」の夢まで見てしまった!
強い気持ちは夢に現れやすいなあ。
えっ、じゃあこの前夢の中でコバルヒンを一緒に食べた小倉智昭に対しても強い気持ちがあったのか!(笑)

「リアリティのダンス」を読んで、ホドロフスキーに対する興味は益々増すばかり。
ホドロフスキー原作のバンド・デシネまで購入してしまった。(笑)
それについてはまた別の機会にブログでまとめてみたいと思っている。
本日は84歳にしてまだまだ現役バリバリの映画監督、アレハンドロ・ホドロフスキーの「ホーリー・マウンテン」について書いてみよう。

「ホーリー・マウンテン」(原題:The Holy Mountain)は、メキシコとアメリカの合作映画で1973年に製作されている。
日本公開は1988年とのこと。
当然ながら観に行ってるSNAKEPIPEなんだけど、1回目の鑑賞ではストーリーについていくのが精一杯だったように思う。
それから何度繰り返し観たことだろう。
そしてホドロフスキーの自伝である「リアリティのダンス」を読んで、今回再び「ホーリー・マウンテン」を鑑賞したSNAKEPIPE。
「ホーリー・マウンテン」を撮影していた頃の話も所々に登場するし、なんといってもホドロフスキーの生き様や信念を知ることによって、より一層映画の理解が深まるように思う、たぶん。(笑)
では早速「ホーリー・マウンテン」の感想をまとめてみようかな。

※ネタバレを含みますので、映画を観ていない方はご注意下さい。

とても有難いことにトレイラーがあったので、載せておこう。
なんとも摩訶不思議で残酷な美しい映像にウットリしちゃう。
ところが単なる映像の羅列じゃなくて、ちゃんとしたストーリーが展開されてるんだよね。
Wikipediaにはものすごく簡単に

錬金術師は、不老不死の秘法を知る賢者達から秘法を奪う為に、修行の末、賢者達が住む聖なる山(ホーリー・マウンテン)に至るが…。

と一行で書かれているけど、ここではもう少し詳しく書いていこうか。
「ホーリー・マウンテン」は3つのパートに分かれている。
一番初めはキリストに似た風貌の男の話。


何故だか分からないけれど、地べたに寝ていた男、役柄は盗賊とされている。
第1部の主人公はこの盗賊ね。
そして盗賊にいたずらを仕掛けるが、次第に仲良くなる両手両足のないフリークスも登場する。
ホドロフスキー映画には欠かせない(?)タイプの役者さんといえるかな。
盗賊はフリークスを抱きかかえ、町を散策する。
そこで様々な出来事に遭遇するのである。

軍隊による民衆の虐殺。
皮をはいだ動物を十字架に磔にし行進する軍隊。
それらを笑いながらカメラに収める観光客。
「エル・トポ」に出てきた街に近い雰囲気だね。
「ヒキガエルとカメレオンのサーカス団」は動物を使って戦争ごっこを見せる。
爆発で吹き飛ぶカエルやカメレオンの映像は、少しグロい。 


キリスト像を製造し、安売り(!)販売している太っちょ達に酒を飲まされ、呑んだくれた盗賊は眠っている間に型取りをされてしまう。
見た目がキリストを思わせるから、というのが理由だろう。
1000体もの自分と同じ姿をしたハリボテの中で目覚め、気が狂ったように叫ぶ盗賊。
見事としかいいようのない異様な光景だ。
実際に作ったんだろうけど、この一枚写真だけでも迫力あるよね!
盗賊は自分に似たハリボテ一体だけを抱え、再び歩き始める。


次に出会うのが娼婦の集団。
黒いシースルーのトップスに黒い短パンに白いベルト、腿まである白いブーツという全員が同じ服装をしている。
年齢も少女からミドルまで幅広い。
その中でチンパンジーを連れている、目に力がある女性が盗賊に惹かれ、あとを付いて行く。

ハリボテを教会に預けようとすると、本物のキリスト像を抱いて眠っている司祭がいる。
こっちが本物だから偽物のハリボテは持って帰れ!と盗賊を追い返してしまう。
そして何故だか盗賊は、ハリボテの顔を食べ始めるのである。
モリモリ食べてるんだけど、このシーンはかなりウエップな状態。
多分実際には食べられる素材でできてるんだろうけどね。(笑)

次に遭遇するのは上をじっと見上げている人々。
一体何を見つめているのかと思うと、高い塔から金色の錨のような形のオブジェがスルスルと降りてくる。
錨には袋に入ったゴールドが入っていた。
盗賊は目ざとくゴールドに目をやると、その錨に乗って一人だけ塔の中に入ってしまう。
このシーン、まるで「蜘蛛の糸」なんだけど、今回は一人だけが招待されるってことで良いみたい。(笑)
ここで盗賊は錬金術師に出会うのである。


ここからが第2部の始まり。
この錬金術師こそ、我らがアレハンドロ・ホドロフスキーご本人!
「エル・トポ」の時と同じように、監督・脚本と更に俳優までこなしてるスーパーなお方だよね。(笑)
錬金術師だけに、誰もが持っているモノを素材にしてゴールドを創りだしてしまうのだ。
盗賊も「ゴールドが欲しい」と答えたばかりに、かなり苦しみながらも、本来自分が持っているモノを使用してゴールド獲得!
実はこれ、排泄物なんだよね。
まさかと思うけど、本気にして試した人いないよね?(笑)
「己自身もゴールドになれるのだ」
というものすごく説得力のある言葉を受け、盗賊は錬金術師の弟子になる。
「錬金術を学びたいのなら、この連中と組め」と権力のある実業家や政治家達を紹介する錬金術師。
ここで出てくるそれぞれの権力者達の説明が、「ホーリー・マウンテン」の中で、SNAKEPIPEが一番好きな部分なんだよね!(笑)

守護星が金星のフォンは肉体にやすらぎと美を与える仕事に就いている。
実際に何をやっているかというと、ベッドやマットレス、織物、洋服や化粧品の製造販売を行なっている。
人間は中身よりも外見を大事にする、ということから人造的な筋肉や面も製造する。
その面は死ぬまで使用可能とのこと!
これがあったら美容整形必要なしだね。(笑)

棺桶に関するビジネスもあり、死体に電子装置の仕掛けをして、死体が動くようにするというかなりブラックな商売まで手がけているようだ。
創業者である父親が会社の中での絶対的存在であり、その父親が会社経営に関する意見をミイラ化した母親の陰部に触れることによって決定するエピソードや、フォンには何十人ものワイフが存在しているところも面白い。

次は守護星が火星のイスラである。
男装の麗人といった感じで、女性2人とベッドを共にしているので、恐らくレズビアンという設定だと思われる。
イスラが行なっているのは、兵器の製造販売である。
爆撃機、水素爆弾、光線銃、細菌兵器、反物質波、発癌性ガスなどのかなり物騒なものだ。
誇大妄想狂にするための薬や、善良な人間を獰猛にする薬なども作り、実験も行なっている。
若者用の武器としてサイケデリックなショットガンや手榴弾でできたサイケなネックレス、ギターの形をしたロックンロール銃、仏教徒用の銃、ユダヤ教徒用、キリスト教徒用など様々なバリエーションの銃を見せてくれるんだよね。
よくもまあ、作ったもんだと感心しちゃうよ。(笑)
イスラが寝ていた部屋にあった絵画も興味深く観ていたSNAKEPIPE。
あれは誰かの作品なのかな?

クレンの守護星は木星、そして現代美術のアーティストである。
立派な屋敷に住み、運転手付の車で愛人を伴ってアトリエに向かう。
専用のアトリエではクレンの奇妙な作品が制作、展示されている。
ボディ・ペインティングした生身の女体をオブジェとして実際に触れる作品や、絵の具を臀部に塗り紙の上に座らせて一点物に仕上げるアクション・ペインティングだったり。
クレンは人体をテーマにしたアートを展開しているようだ。
最後に登場するのは「ラブ・マシーン」という機械式の女体マシーンだ。
男根をイメージした長い棒をうまく操ることで、「ラブ・マシーン」に様々な変化を起こさせるという、なんだか本当にありそうだけどバカバカしい作品である。
触れる作品というとつい思い出してしまうのが、江戸川乱歩の「盲獣」だな。
乱歩だったらクレンの作品を評価するかもしれないね?

セルの守護星は土星だ。
子供相手の商売をしている。
サーカス団を持っており、自らピエロに扮して象に乗り町を練り歩く。
向かった先はセルのおもちゃ工場。
その工場に入る前にピエロから女社長の服装に着替え、まるで別人になってしまうのだ。
そして工場内を視察する。
ここはただのおもちゃ工場ではない。
政府の政策を取り入れ、戦争や革命を想定し子供を軍事教育するためのおもちゃを開発しているのである。
ペルーとの戦争を望んだ場合、敵対心を高めるためにペルー人を悪者に設定した人形や漫画を作ったり、強烈な臭いの下剤を作り商品名をペルーの首都にし、悪=ペルーというイメージを植え付けるのだ。
15年先を見越してというから、なんとも壮大な計画だよね。
実際にこういったことが行われた場合には、まんまと計画通りに喜んで戦争に行く人間に育つだろうね。
なんとも恐ろしいね!

バーグの守護星は天王星だ。
母親なのか妻なのかよく分からない立場の、まるでジョン・ウォーターズ監督の映画でお馴染みのディバインみたいな女性と同居している。
「私達のベイビー」としてベッドに寝かされているのは大蛇!
哺乳瓶でミルクをあげたり、蛇用ロンパースのような編み物までしているほどの可愛がりよう。
バーグは大統領の財政顧問をやっている。
大統領からの呼び出しを受け、財政に関する報告をする。
「赤字対策のため今後5年間に400万人の口減らしが必要です」
というヒドイ内容!
それを聞いていた大統領はすぐに電話をかけ
「ガス室の準備をしろ」
と命じるんだよね。
学校、図書館、博物館、ダンスホール、売春宿で使用せよ、と人が大勢集まりそうな場所をチョイスする大統領!
「ホーリー・マウンテン」には民衆を虐殺するようなシーンがたくさん登場するので、この大統領の発言は「いかにもありそう」と思ってしまうね。

アクソンの守護星は海王星。
モヒカンの警視総監である。
なんとこの警視総監、睾丸コレクションをしていて、今回めでたく1000組を集めたというのだ。
「今日がおまえの最良の日だ。その勇気を讃えよう」
コレクションに寄贈した若者に向けて言葉をかけるアクソン。
このコレクション、一体何の意味があるんだろうね?(笑)
このアクソン役の俳優は、ホドロフスキーに「スタッフになりたい」と電話をしたらしい。
実際に会った時ホドロフスキーから「役者として出演してみないか」と言われ「本当は役者になりたかったけど、勇気がなくてスタッフとして応募した」というやりとりがあった話が「リアリティのダンス」の中にあった。
ホドロフスキーは素人を使うことで知られているので、こんなことは日常茶飯事なのかもしれないね?
でも演技が初めてという感じはなくて、堂々と見事に警視総監を演じていたと思うよ、アクソン!

ルートの守護星は冥王星だ。
建築家である。
着物のような衣装に身を包み、ミッキーマウスを思わせる衣装の子供達とかくれんぼ。
そういえば「ホーリー・マウンテン」の冒頭で頭を丸刈りにされる女性2人はマリリン・モンローみたいな白いドレスと髪型だったね。
ドレスを剥ぎ、頭を丸める行為はマリリン・モンローを別人にし、そのイコンそのものを剥奪するようなことなんだろうかね?
対アメリカってことなのかしら?
あまり深く考えなくても良いのかもしれないけど?
ルートは棺桶型のシェルターを提案する。
食事や風呂は別の施設で供給し、シェルターはただの寝床として活用するという計画だ。
「家や家庭のない街!人間よ自由であれ!」をスローガンにこの計画のプレゼンテーションするんだけど、まるでそれは以前鑑賞した「メタボリズムの未来都市展」に似ていて興味深かったな。

そして第2部の初めから登場していた錬金術師の一番弟子のような女性も、一行の中に入ってるんだよね。
この女性に関しては名前も出てこないし、エピソードを示すような映像もないので勝手に想像するしかないね。
当然のように守護星がどれ、なんて話もない。
頭にピッタリしたヘルメットのような帽子をかぶっているだけで、他は全裸状態。
首輪やイヤリング、付け爪などのアクセサリーを大量に装着していて、とてもカッコ良い。
体中に梵字のような刺青が入っていて、背中にはケーリュケイオンが彫られている。
どうやらギリシャ神話に出てくる杖のことらしいんだけど、詳しくないので意味を知りたい方はご自分でお願いします!(笑)

最後の全裸・梵字の女性以外の紹介した7人は、それぞれ守護星を持っている。 ホドロフスキーがタロットに造詣が深いということもあって、「ホーリー・マウンテン」のあちらこちらにタロットが散りばめられているのだ。
この守護星に関する部分も恐らくタロットと深い関わりがあるものと思われるけれど、SNAKEPIPEがタロットに詳しくないので意味については割愛。(笑)
一応守護星ということについてだけ調べてみたら、太陽、月、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星が守護星ということになるらしい。
上記の7人以外の星ということになると太陽、月、地球が残るんだけど、錬金術師と盗賊と全裸の女性の守護星はどれなんだろうね?
こうして錬金術師を師として、弟子の9人が錬金術を極め、不老不死の知恵を求め聖なる山に登るのである。

ここからが第3部。
金や権力があっても人は必ず死ぬ、と錬金術師は言う。
インドのメルー山、道教のコンロン山、ヒマラヤのカラコルム、哲学の山、薔薇十字会の山、聖ヨハネのカバラ山などの伝説で語られている不老不死に関する記述は全て同じで

9人の不死の賢者が頂上に住み、そこから現世を支配している
彼らは死を超越する術を持っていて4万年も生き続けている

という内容らしい。
彼らにできたのだから、我々にもできるはずだというのが錬金術師の言い分である。
薔薇十字会の古文書により、9人の賢者の居場所がロータス島の聖なる山であることが判明。
賢者から術を奪うためには、我々も賢者にならなければというもっともな理屈を披露され、弟子達は賢者になり悟りを開くべく修行を開始する。


まずは儲けたそれぞれの金を燃やし、執着を捨てる修行。
権力のある連中は金持ちだから、かなりの大金が燃やされる。
続いては自己の意識を捨てる修行。
弟子達は自分にそっくりの蝋人形を火で燃やす。
今までの自分にさようなら、ということなんだろうね。
こうしてようやく聖なる山に向けて旅立つのである。

旅の途中で何人かの「その道の達人」に出会い、修行を重ねる弟子達。
圧力を利用し体から毒素を排除する、野生の植物からできた青汁を飲み、裸でお花畑を駆け回り、坐禅を組み瞑想する。
このような修行を続けていくうちに、自分自身が自然の一部となり、今まで見過ごしたり聴き過ごしてきた事柄に気付くようになるという、かなり宗教的な内容になっている。
実際にホドロフスキーが禅の修行をしていたことも影響してるんだろうね。
更には自分の葬式の体験。
今まで自分が生きてきたことの全てを捨て去り、無になろうというもの。
これもかなり色濃く東洋思想が反映されているようだね。
そして新しく生まれ変わり、ここでやっと賢者として認められたようだ。

小型の船でロータス島に向かう。
島に上陸した時に全員が頭を丸め、坊主になってしまう。
そして服装も全員同じだから、途中から誰が誰なのか判らなくなっちゃうんだよね。(笑)
悟りや知恵を求めてやってくる人が多いロータス島だけど、皆が途中で挫折して現世での楽しみに心を奪われてしまうようだ。
似非宗教家も台頭し、ロータス島はまるで観光地のようになっている。
それらの誘惑にも負けず、聖なる山を目指し登山する一行。
指が凍傷になったという一人に「肉体への執着が残っているせいで、頂上に辿り着けない」という理由から指を切断し捧げ物にさせる。

そうしてやっと頂上付近に到着。
ここでは高さゆえに死の幻影を見るであろう、と錬金術師が妙な予言をした通りに弟子達を襲う恐怖体験。
これは自分が恐れを感じているものが夢に出るのと同じだね。
埋められて走れない馬、降ってくる金貨で顔中が血だらけになる男、闘犬に興奮する男、顔をゲンコツで殴られ大量の白い液体を浴びせられる女、
老婆に去勢される男、大量の毒グモに全身を這われる男、巨大な乳房のある初老の男性からミルクをかけられる男。
このシュールなシーンも大好きなんだよね!

こうしていくつもの難題に立ち向かい、やっと9人の賢者がいる場所まで辿り着くことができた。
白装束の賢者達はもう目の前に見えている。
あとは賢者から術を奪い、自分達が賢者に成り変われば良い、というところまで到達したわけだ。
ここまで来れば師は必要ないだろう、と錬金術師は盗賊に「私の頭を切り落としなさい」と命じ、盗賊は実行する。
ところが実際に切っていたのは、ヤギの首だった。
「ハハハハ」と笑いながら、錬金術師は「教えることがある」と言う。
旅の途中から一行の後を付いてきたチンパンジーを連れた娼婦を盗賊に引きあわせ、「このまま山を降りて幸せに暮らせ」と言うのである。
修行の段階では様々な執着を捨てることを学ばせた後で、「愛が一番」と説く錬金術師に少し疑問を感じちゃうけどね?(笑)

こうして盗賊は頂上を極め、賢者になることはなく現世へと戻っていくのである。
残りの弟子達は瞑想の後、白装束の賢者達を襲うために近づくが…。
えっ、うそ?という展開が待っているので、ここは書かないでおこう。
このラストについては賛否両論あるみたいだけど、SNAKEPIPEはアリだと思った。
だってラストがどうのという映画じゃないからね、「ホーリー・マウンテン」は!
場面ごとの描写を楽しむことができれば、それだけで充分だと思う。
意味とか解釈は、SNAKEPIPEには必要ないなあ。

たくさんの動物が、実際にはあり得ない場所や状況で登場する。
多用されるシンメトリーの構図。
ちょっと稚拙な感じのする残酷で不思議な絵。
和洋折衷な雰囲気の衣装。
どのシーンを切り取っても写真集が出来上がるほどの完成度の高い美意識には脱帽してしまう。
SNAKEPIPEは前作の「エル・トポ」をまとめたブログでも全く同じことを言ってるんだけど、ホドロフスキーの美学に完全ノックアウトされてるから許してちょ!(笑)

ブログで記事にするためという大義名分を得たおかげで、何日間も繰り返し「ホーリー・マウンテン」を目にすることができた喜びったら!
何度でも何度でも観ていたいと思う、中毒性のある映像世界にどっぷり浸かることができて幸せだった。
「リアリティのダンス」を鑑賞する前までには、もう一つ「サンタ・サングレ」についての記事もまとめておきたいと思っている。
そうして一度キチンと整理した上で「リアリティのダンス」に臨みたいものだ。

果たして日本公開はされるんだろうか?
非常に気になるところだ。