SNAKEPIPE MUSEUM #75 Mona Hatoum

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【2012〜2013年に制作された《Cellules(セルール)》】

SNAKEPIPE WROTE:

今回の「SNAKEPIPE MUSEUM」はMona Hatoumを特集しよう。
ネット検索で気になる作品を目にしたんだよね!
今まで知らなかったアーティストのはずなので、最初にモナ・ハトゥムの経歴から調べてみようかな!

1952 レバノンのベイルートに生まれる
1970?〜 レバノンにあるレバノン・アメリカン大学(LAU) で2年間グラフィックデザインを専攻した後、広告代理店で働く
1975 ロンドン滞在中にレバノン内戦が勃発し、事実上の亡命状態となる
1975〜1981 ロンドンのバイアム・ショー美術学校とスレード美術学校で学ぶ
1982~ セントラル・セント・マーチンズ大学で非常勤講師として勤務
1984 作品がポンピドゥー・センターのキュレーターの目に留まり、ポンピドゥーの支援を受ける
1989〜1992 カーディフ高等教育機関に勤務しながら作品制作に取り組む
1995 映像作品《コールプス・エトランジェ》でターナー賞にノミネートされる
第46回ヴェネツィア・ビエンナーレに参加
初の個展《Rites of Passage: Art for the End of the Century》をテート・ギャラリーで開催
1996 エルサレムのアナディエル・ギャラリーから招待され、初めてイスラエル・パレスチナ地域を訪問
2012 ジェリー・コリンズと結婚
2016 テート・モダンで35年間の活動を振り返る大規模な回顧展が開催される

モナ・ハトゥムが23歳の頃、レバノン内戦のためにロンドンに亡命したんだね。
講師として生計を立てながら作品制作していたと聞くと、親近感が湧くよ。(笑)
ポンピドゥー・センターのキュレーターに見出され支援を受けるなんて、シンデレラ・ストーリーだよね!
モナ・ハトゥムは、政治的な背景を持ったアーティストなので、メッセージ性の強い作品が多いだろうな、という勝手な予想をするSNAKEPIPE。
作品を1点1点掘り下げていったら、観念的な解釈があるに違いないけれど、SNAKEPIPE独自の感想をまとめたいと思う。
だって現代アートだもの。(笑)

最初に惹きつけられたのは、この作品。
インダストリアルな建造物、光と影にグッとくるSNAKEPIPE。
こんな写真を撮りたくて、工業地帯を歩き回ったものよ。(遠い目)
モナ・ハトゥムが1992年に制作した「Light Sentence(軽い刑罰)」で、素材はワイヤーメッシュ製ロッカー、ゆっくりと動く電動電球だって。
光が動く仕掛けなんだね?
どんなふうに影が変化するのか観てみたいなあ!
198 × 185 × 490 cmというから、大型のインスタレーションだね。
ポンピドゥー・センター所蔵とのこと。
これはもうパリに行くしかないか。(笑)
他の作品も気になってくるよ。

この作品も非常にシンプル!
長いヒモが等間隔に直立してますがな。
画像では判り辛いけど、ヒモではなくて有刺鉄線だって!
3m四方の立方体になるように、有刺鉄線が吊るされている2009年の作品で、タイトルは「Impenetrable(侵入不可能)」。
実際に作品を眼の前にしたら、痛そうなトゲトゲが迫力満点なんだろうな。
画像では美しく見えてしまうから不思議。
ニュース映像やネット上での画像と、現実は違うよといった、モナ・ハトゥムのメッセージかも。
深読みし過ぎか?(笑)
鑑賞したい時には、ニューヨークのグッゲンハイム美術館に行ってみよう!

鉄製の屏風?
これは巨大化させたチーズおろし器だって。
2002年の「Grater Divide(おろし金の分割)」も、恐らく近寄ると凶器になる作品なんだろうね。
SNAKEPIPEが想像しやすいとしたら、「大根おろし」が1.8mになったような感じ?(笑)
通常なら美味しい食事のために使用される器具を、不気味に思わせるとは。
聖母マリアをかたどった拷問器具「鉄の処女」を連想したSNAKEPIPEだよ!

規則的にモノが並んでいるシンメトリーに惹かれるSNAKEPIPE。
これはキッチリした真面目な性格のせいかもしれないね。(笑)
2019年の「Remains to be Seen(まだ見られていない)」も、前に紹介した「侵入不可能」のように、吊るされている作品だよ。
5mほどの高さから等間隔にコンクリートの塊が並ぶ。
この中に入って写真を撮っている人の画像もあって、羨ましい。
このインスタレーションも欲しいよ!
SNAKEPIPE MUSEUMに所蔵したいね。

モノクロームから一転、赤い作品を紹介しよう。
2008年の「Undercurrent (red)(底流(赤))」は、赤い電気コードが血管のようで生命力を感じる。
2019年7月に国立新美術館で開催された「クリスチャン・ボルタンスキー – Lifetime」で鑑賞した「黄昏(2015年)」は、展示室が暗かったせいもあり死を強く感じさせる作品だったことを思い出す。
2つの作品を対比させたら、完全に生と死になりそうじゃない?
モナ・ハトゥムの「底流(赤)」にある赤い布(カーペット?)はなんだろう。
この作品は2021年に広島市現代美術館で開催された「モナ・ハトゥム展」で展示されたみたい。
広島まで行って鑑賞するべきだったね!

最後はこちら。
地球の大陸を繊細な赤いネオンで描き出した、2006年の作品「Hot Spot(ホット・スポット)」。
燃えるような真っ赤な地球というだけで圧倒されてしまうよね。
「ホット・スポット」という言葉には様々な意味があるようだけど、モナ・ハトゥムが意図しているのは「政治的、軍事的、内政的に不安定な地域で、通常は危険とみなされる紛争地域」のことなのかな。
全世界が危険だよ、という警告なのかもしれない。
アーティスト本人が作品解説をしている動画があったので、載せてみよう。

2016年にフィンランドで開催された展覧会用のビデオらしいので、モナ・ハトゥムは英語で話し、字幕はフィンランド語なので、詳細は不明だよ。(笑)
作品の大きさやネオンの動きなどが分かるだけでも嬉しい。

モナ・ハトゥムは2017年に第10回ヒロシマ賞、2019年には高松宮殿下記念世界文化賞を受賞し、日本にも馴染みがあるアーティストのようだね。
SNAKEPIPEはモナ・ハトゥムを知らなかったので、今回特集してみたよ!
国際的に有名なアーティストなので、所蔵作品は世界に散らばっている。
いつの日か、日本で大回顧展が開催されることを望むよ。
一同に会した代表作を観てみたいね!(笑)

ROCKHURRAH紋章学 電気サービス会社 ロゴ編

【ビル・ネルソンズ・レッド・ノイズの「触れないで!僕はエレクトリック」だよ】


SNAKEPIPE WROTE:

桜の開花宣言を聞いた時、入院中だったSNAKEPIPE。
恒例にしているお花見は、今年無理かもしれないと諦めていたんだよね。
昨年は大倉山公園でお花見したことを思い出す。
予定より少し早く退院できたおかげで、咲いている桜を見ることができたよ!
菊名池公園という、少しこじんまりした公園でのお花見。
妙蓮寺駅から徒歩数分の場所なんだよね。
駅のすぐ隣に「妙蓮寺」があり驚いてしまった。
寺がある場所に鉄道が引かれたらしいけれど、こんな風景を見るのは初めてのことだよ。
菊名池公園は工事中で、「公園仮出入り口」から入る。
桜の名所というわけではないので、公園内にはちらほら人がいる程度だった。
池には鯉やカモが泳いでいて、のどかな雰囲気。
満開の桜を鑑賞したわけではないけれど、行ったことがない場所を歩いて楽しかったよ!(笑)

お花見の話から一転して、今回は「ROCKHURRAH紋章学」をお届けしよう。
電気サービス会社のロゴ・デザインを集めてみたよ!
早速紹介しよう。

Coggins Electric(コギンズ・エレクトリック)はノースカロライナ州レキシントンに拠点を置く家族経営の電気工事業者だという。
電気に関する経験豊富なプロフェッショナルたちが在籍しており、丁寧な仕事ぶりに誇りを持っていると説明されているよ。
頭文字をロゴにしたシンプルなデザインだけど、コンセントに見立てたフォントが良いね。
グレーとえんじ色の配色も好みだよ!

Acme Electric Company(アクメ・エレクトリック・カンパニー)も頭文字をロゴに採用しているね。
1958年にテキサス州で創業し、現在も幅広い電気サービスを提供しているという。
載せたロゴは2017年に60年間使用してきたロゴをリニューアルしたデザインらしい。
以前使用されていたロゴとの違いは確認できなかったよ。
黒バックの時には「A」の部分が白抜きになっていて、そのバージョンもオシャレ!

Hawaiian Electric(ハワイアン・エレクトリック)は1891年の設立以来、オアフ島、マウイ島、ハワイ島、ラナイ島、モロカイ島に暮らす約140万人の95%の人々に電力を供給しているという。
ということは、ハワイの島民のほとんどがハワイアン・エレクトリックのお世話になっているんだね。
ロゴはアロハシャツなどで有名なデザイナー、シグ・ゼーンとその家族によってデザインされたという。
ハワイアン・エレクトリックはのロゴに対して熱い情熱を持っていて、動画作成もしているんだよね。

ロゴに使用されている木彫りが出てきたね。
ハワイが連想できるデザインで、色合いが渋めで目を引いたよ!
地味だから目立つ、という逆説が面白いね。(笑)

Pieper Electric(パイパー・エレクトリック)のロゴは、まるでやり投げみたいだよね。(笑)
電気に関するサービスをしているというよりは、攻撃的に見えてしまうよ。
1947年にウィスコンシン州で創業したパイパー・エレクトリック。
大規模なプロジェクトを完成させているようで、サイトに実績が載っているよ。
このロゴ・デザインは一発で覚えられるだろうから、商売に有利かもね?

個性的なロゴでは、これも負けてないかも。
「どんなもんだい」とばかりに腕組みして、まるでこちらに睨みをきかせているような男がロゴだよ!(笑)
手にしているのはコンセント。
このデザインをロゴに採用しているのは、1994年、カリフォルニア州リムーアに設立されたTrull Electric(トゥルル・エレクトリック)。
トゥルル・ファミリーで、現場や経営を行っていて「家族で働けて嬉しい」と書いてあるよ!
このロゴについては謎だけど、小さな町の電気屋さんみたいな感じで、地元民から愛されているに違いないと想像したよ。(笑)

今回は電気サービス会社のロゴを特集してみたよ!
電気に関係すると、コンセントが主役になるデザインが多い中、素敵なデザインが見つかってワクワクしたよ。
次回をお楽しみに!

SNAKEPIPE SHOWROOM 物件24 独創的な病院編2

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【イタリアのサルデーニャ島にあるヌラーゲみたいな病院!デザインしたのはバルセロナのDNA

SNAKEPIPE WROTE:

2024年2月16日の「好き好きアーツ!#62世界アート(仮)探訪 6」を書いてから、1ヶ月半近くが経過してしまった。
ROCKHURRAHがブログを更新してくれていて、その中にも記載があるように、SNAKEPIPEは入院してたんだよね!
かつて雑誌「ビックリハウス」に「闘病日記」を書いていたのは戸川純だけど(古い!)、SNAKEPIPEも今回の顛末について綴ってみようと思う。

定期検診で訪れた病院で、昨年末から続いている不明熱について主治医に問い合わせた途端、医者の顔色が変わる。
「すぐに入院してください。今日はもう帰れません」
えぇ〜っ!
不明熱と持病に関連があるとは思っていなかったよ。
心の準備も、入院の支度もないまま、まるで拉致されるように緊急入院となってしまったSNAKEPIPE。
今まで一度も経験したことがない入院生活のスタートだよ。
空前絶後、前代未聞の出来事に呆然となりながらも、ROCKHURRAHに差し当たっての着替え等準備のため一度帰宅してもらう。
そこから怒涛のように、MRIやらCT、眼科や歯科、レントゲン等様々な検査を受ける。
点滴はずっと続き、「もう針を刺す血管がない」というほどの点滴女王になってしまう。
点滴の液漏れで手指から腕までパンパンに腫れ上がった時は驚いた!
そしてようやく1ヶ月が過ぎた頃、治療が一段落し、退院できるようになったわけ。

風邪でもコロナでもインフルエンザでもなかった不明熱をあなどってはいけないね。
皆様もお気をつけくださいまし。
入院中に励ましてくださった友人たち、そして一日も欠かさずお見舞いに来てくれたROCKHURRAHに感謝!
本当にどうもありがとう!(涙)

今回はそんな入院生活に関連して、SNAKEPIPE SHOWROOM「独創的な病院」の第2弾にしてみよう。
SNAKEPIPE SHOWROOM 物件17 独創的な病院編」を書いたのが2020年10月だから、およそ4年半ぶりの更新だね!
それでは早速いってみよう!

まるで近未来都市にあるビルのような建造物じゃない?(左上の画像)
円柱型の塔や球体まで光っていて興味をそそられるよ。
これはフロリダ州オーランドにある「Winnie Palmer Hospital for Women & Babies(ウィニー・パーマー病院)」なんだよね。
パーマーと聞くと、アーノルド・パーマー(ゴルファー)かローラ・パーマー(ツイン・ピークス)を連想するSNAKEPIPE。
今回は傘のトレードマークが正解だったようで、病院名のウィニーとはアーノルド・パーマーの奥さんの名前だって。
この病院の隣には「Arnold Palmer Hospital for Children(アーノルド・パーマー小児病院)」があり、スカイブリッジでつながっているという。
白をバックにした内装はいたってシンプルで、患者が安心して過ごせそうな空間が広がっているね。
世界的に有名なゴルファーであるアーノルド・パーマーが、稼いだ賞金を社会に還元し病院を設立していたんだね。
病気に関する多額の寄付もしていた話も知り、ゴルファーだけではない人格者としてのアーノルド・パーマーを知ることができたよ!

オーストラリア・ビクトリア州ベンディゴにある「Bendigo Base Hospital(ベンディゴ・ベース病院)」は、病院というより商業施設に見えてしまう外観だよね。
オシャレでスタイリッシュ!
ワクワクしながら病院通いできそうじゃない?(笑)
清潔感のある白をバックに、カラフルな壁紙で装飾されていて楽しい。
敷地内に緑が溢れていて、患者を癒やしてくれそうだね!
この病院には、ベンディゴ市内唯一の無料診察を行う一般用クリニックがあるそうで、ボランティア活動にも力を入れているみたい。
患者でなくても、この建築を見るために訪れたくなってしまうね!(笑)

ウルリケン山(Ulriken)ムレンダルセルヴェン川(Møllendalselven)の間にひっそりと佇む病院。(右下の画像)
もう少し近づいてみると、こんな感じ。(左上の画像)
これはノルウェーの「Haraldsplass Diakonale Sykehus(ハラルズプラス・ディアコナーレ病院)」の新病棟なんだね。
1940年に建設された旧病院の正面に、およそ10年かけて建設されたという。
設計を手掛けたのはスカンジナビアを代表するデザイン事務所「C.F. Møller Architects」。
白いファイバーコンクリートとオーク材の外装により、温かみのある親しみやすいデザインを心がけたという。(右上の画像)
そして170床の病室のうち4分の3は個室になっていて、全ての病室に大きな窓があり、患者のベッドから市街地や谷を一望できるよう設計されているというのは素晴らしい!(左下の画像)
SNAKEPIPE自身が患者になって感じたのは、病室内での閉塞感だったので、窓からの景色が眺められるのは気分がよくなるはず。
山や川が見渡せる、こんな病院に入院したかったな。(笑)

最後はこちら!
左上の画像にある白い大きなビルを見て、「普通の病院」と勘違いしてしまったSNAKEPIPE。
病院はその手前にあるんだよね!
なんと川に浮かんでるじゃないの。(笑)
これはフランス、パリのセーヌ川に浮かぶ「Day Center L’adamant(アダマント病院)」という精神科病院なんだよね。
患者の治療と社会復帰を支えるために、自然環境との融合やアーティストのアトリエを思わせる療養・交流スペースなどの開放的で創造的な療養空間を提案しているという。
この病院のドキュメンタリー映画も作成されたようで、ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞したんだとか。
トレイラーを載せておこう。

SNAKEPIPEの入院に絡んで「独創的な病院」を特集してみたよ!
初めて入院して知ったことがたくさんあったので、つい患者目線で病院の建築を見てしまったね。(笑)
あまりお世話になりたくない場所だけど、年に数回は訪れている病院。
皆様も悪くなる前に、専門医に診察してもらって予防を心がけましょ!
ひとまずは自由の身になって嬉しいSNAKEPIPEだよ。
来週からも当ブログをお楽しみに!(笑)

ニッチ用美術館 第8回・・・の続き

【こないだよりはマシだけど代わり映えしないタイトルバックだな】

ROCKHURRAH WROTE:

この前はSNAKEPIPEが体調不良で休みになってしまったが、その翌週には何とか熱も下がりブログも書けるようになった。
・・・などと書いてたら、木曜日に予想もしてなかった大変不慮の事態が起きて、SNAKEPIPEはしばらくの間、お休みとさせていただくことになった。

高熱とは別件でSNAKEPIPEは医療機関の検査を受けてたんだが、実はその両方に関係があって、年末からの不明熱の原因が様々な検査の末、何とか特定出来た。
そこで突然に緊急入院という事になり、当日のうちに病床の人となった、というのが大変不慮の事態というわけだ。
悪いところはあったけどまさか入院する気など全くなかったので、これには2人ともビックリ。
全ての予定とかもキャンセルして病気の治療に専念する事になったのだ。
ただ、入院すると思ってなかったくらいだから、SNAKEPIPEは寝たきりというわけではなく、その前と比べて特に変わった様子もないのがまだ良かったところ。
早く元気になって欲しいと願いながらROCKHURRAHもSNAKEPIPEも頑張るよ。

こないだは時間切れで、たった2つしか書けなかった「ニッチ用美術館」だが、その続きが気になる人はいないとは思うけど、残りを書いてゆこう。
自分でも気づいてるけどROCKHURRAHの文章はやたら「だが」「けど」が多いな。
「たらればならぬだがけど」、全部ひらがなで書くと復活の呪文(大昔のゲームはセーブ機能がなかったので、長いパスワードを紙に書いて記録してた)みたいだな。
こういう悪文を特徴や個性とする気も全く無いけど(ほらまた「けど」)、センテンスが長すぎるのがROCKHURRAHの難点だと思うよ。

今回のテーマはバンドのメンバーが影響を受けたのか、レコード・ジャケットのアートワークを作る人が好きなのかは不明だけど、絵画作品をそのままジャケットにしてしまったものをROCKHURRAHの目線で探してみたよ。
2週間ほど前の続きね。

ROOM3 谷克多の美学

「読めん!」じゃなくて読める漢字ばかりだけど、これは一体?
中国語では让•谷克多と書いてジャン・コクトーと読むらしい。
言われてみればなるほど、という感じがまるでしないし、人名中の「谷」部分がどこにも当てはまる気がしないのはROCKHURRAHだけ?
克多は「こくた→コクト」みたいなニュアンスなのかね。
让に至ってはROCKHURRAHには想像もつかない漢字だよ。
こんなのがスラスラと読める人、いるんだろうか?

ジャン・コクトー(1889-1963)は言うまでもなくフランスの著名な芸術家。
詩人として特に有名だが、他にも小説、評論、脚本、絵画、デザイン、映画、音楽など様々な分野で活躍し「芸術のデパート」とまで言われる才能に溢れた人物だ。
数多くの人が好きな「美女と野獣」でも知られてるが、コクトーが原作なわけではなく、最初に実写映画にした事で有名。

このように芸術愛好家だけに支持されたわけでなく、大衆的な分野でも成功を収めたアーティストがそれ以前の時代にはあまりいないように感じるので、後の時代のマルチメディアみたいな元祖でもあったのかな、と素人のROCKHURRAHは思うよ。
活躍の幅が大きすぎて、全ての芸術分野に1人でリスペクト出来る人材はなかなかいないのが現状だと思うが、なぜかコクトー信者は彼の全てを理解してみせようという壮大な気宇(気構え、心の広さ)に満ちた人ばかり。

そんな熱烈なコクトー愛に満ち溢れたのがこの人、ビル・ネルソンだ。
中国語では昼寝損と書く(大ウソ、しかも程度が低い)。

70年代ブリティッシュ・ロックの中堅バンドとして、知らない人も多かったバンドにビー・バップ・デラックスがあった。
1974年に鮮烈なドクロギターのジャケット「Axe Victim(美しき生贄)」でメジャーデビューした時はグラムロック寄りのハードロック、あるいはプログレッシブ・ロックとのミクスチャーみたいな位置にあったが、このバンドのギタリストでヴォーカリストだったのがビル・ネルソンなのだ。

ビー・バップ・デラックスはデヴィッド・ボウイのような音楽とクイーンのような美しい旋律のロック、それにSF的な未来観を重ねたような音楽で、その時代のロックの中では少し異質なものだった。
ギターを弾きまくってたのは3rdアルバムくらいまでで、その後はキーボードやシンセサイザーとのアンサンブルを重視した独自の未来派ロックを展開していて、後のニュー・ウェイブの先駆け的なバンドとして知られている。
EMIハーヴェスト・レーベルからレコードを出してて、日本でも確か全作品がリリースされてたはず。
がしかし、デビュー当時の日本における洋楽の流行はハードロックとかプログレとか、割と典型的なものばかりがもてはやされるような時代。
グラムロックにしては化粧っ気や毒々しさがないしハードロックと言うにはそんなに荒々しくもない、かなりポップな部類のロックだったにも関わらず、そのどっちつかずの音楽性ゆえに日本ではあまり知られてないバンドのひとつだったかも。
EMIハーヴェストのWikipediaでも「主なバンド」の項目に名前が載らないくらいの知名度だったのが悲しい。

スティーブ・ハーリィーのコックニー・レベルもブライアン・フェリーのロキシー・ミュージックも、その時代のちょっと異端派に挙げられるが、その辺の音楽を聴いて影響を受けた世代が少し後のパンクやニュー・ウェイブへと繋がってゆく、というのが英国音楽の流れのひとつだと言えるよ。

ビー・バップ・デラックスの最後のアルバムはすでにニュー・ウェイブ時代の1978年だから、直接的にニュー・ウェイブに影響を与えたわけではないが、ビル・ネルソンの曲作りは早くから昔のロックというよりはニュー・ウェイブっぽい部分もあったと思う。
ビル・ネルソンのギター・プレイの影響を受けてると思われるのがスキッズ、ビッグ・カントリーのスチュアート・アダムソンや限りなく誰も知らないバンドに近いスコットランドのゾーンズ(スキッズのラッセル・ウェッブも在籍してた)とかオンリー・ワンズとか、有名無名に関わらず彼のようなギターを弾きたいと思うギター小僧は結構いたと思うよ。
ジミヘンやクラプトンみたいなギターじゃニュー・ウェイブにはならないからね。

1978年にビー・バップ・デラックスを解散させたビル・ネルソンが向かったのは、かつて自分が影響を与えたニュー・ウェイブ市場だった。
パンク、ニュー・ウェイブの誕生はこの時代の既存のミュージシャンにとっては新しい刺激でもあったに違いなく、後の世代から逆に影響を受けて方向転換したバンドやミュージシャンも数多くいたというわけだ。
ビル・ネルソンもその1人で、ビー・バップ・デラックスとは違う激しい方向性で初期ウルトラヴォックスやXTCのような勢いのあるエレクトリック・パンクとでも言うべきバンドを新しく始めた。
ビル・ネルソンズ・レッド・ノイズという素晴らしいバンドを1979年に始めたが、これに狂喜乱舞して心底からのめり込んだのが当時のROCKHURRAH(少年)だった。
この辺のことについては当ブログでも記事を書いてるので参照してね。

その後、バンドよりも宅録みたいな、よりプライベートな音楽制作にシフトしてゆき、1981年からはソロ名義に変わって、EMIからマーキュリーに移籍したりして、いわゆるエレポップ、テクノポップという分野で業績を残しているのが80年代のビル・ネルソンだった。

さて、ようやく本題だがビル・ネルソンとジャン・コクトーの関係について。
ビー・バップ・デラックスの2nd「Futurama(1975)」でも「Jean Cocteau」という美しいギターの名曲を書いていて、コクトー好きなのはわかってたが、自身の持つインディーズ・レーベルもコクトー・レコードにするほどの傾倒ぶり。
ほぼ自分のレコード出すためにあったようなレーベルだが、後に「I Ran」で一世を風靡したア・フロック・オブ・シーガルズもこのレーベルの出身だ。
冒頭のカモメのさえずりのようなキュンキュンという音は、ビー・バップ・デラックスの「Sister Seagull」でもファンにはおなじみの効果音ギター。
ビル・ネルソンが伝授したのか技を盗んだのかは知らないが、フロック・オブ・シーガルズもこの音を効果的に使いこなしているな。
あとはビル・ネルソンの実弟でレッドノイズでも重要なサックス・プレイヤー、イアン・ネルソン(中国語では慰安寝損、またまた大ウソ)の在籍したフィアット・ルクスとか、33回転なのか45回転なのか不明の変な曲をリリースしてたラスト・マン・イン・ヨーロッパとか、スキッズのリチャード・ジョブソンによる詩の朗読とか、高橋幸宏のソロとか、彼と親交のあったミュージシャンという内輪ばかりで固めたレーベルがコクトー・レコードだったと言える。

ジャン・コクトーは先にも書いた通り、芸術的なあらゆる分野で才能を見せたすごい才人なんだが、この人の書く絵やデッサン、ドローイングも独特の個性で素晴らしいもの。
サラサラっと描いた落書きのようなものがとてもうまくて、ちゃんとした素晴らしいアートなデザインになってるところがすごい。
彼の影響を受けたイラストレーターも数多くいたに違いない。
80年代のパンクでニュー・ウェイブな漫画家、奥平イラも一時期コクトーみたいなキャラクターで描いてたな。
コクトー・レーベルのロゴマークやビル・ネルソンのレコード・ジャケットもコクトー本人なのか似せて描いたのかは不明だけど(そこまで詳細に調べる余裕がなかった)、コクトーっぽいものが多数。
ROOM3の冒頭を飾ったレコード・ジャケットもまさにコクトー的な一枚だね。
コクトー・ツインズとかコクトーの名を冠したバンドもあったけど、ビル・ネルソンほどコクトーに心酔して徹底したアーティストは他にないと思えるよ。

ビル・ネルソン自身も、レッドノイズの時代から多くの曲で自分の専門であるギターと歌以外のパート、ベースにドラムにシンセサイザーなどもこなし、プロデュースも出来る、自分のスタジオもレーベルも持ってる。
まさに1人で何でも出来るマルチな才能を発揮していて、その辺が自分と多才なコクトーを重ねてたんじゃなかろうかね?
悲しいかな、誰も彼の事を「音楽のデパート」とは評してくれなかったが。

「Flaming Desire」はマーキュリー移籍後のアルバム「The Love That Whirls(1982)」に収録、シングルにもなった代表曲と言っても良い。
ドイツ表現主義の映画やジャン・コクトーの「詩人の血」あたりを思わせる雰囲気のモノクロ映像、彼の美学が集約された素晴らしい作品だと思うよ。
レーベルもメジャーだし音楽の質もヴィジュアルも、もっと売れてもいい活躍をしてもおかしくないアーティストなのに、意外なほどビデオは少なく、この曲とEMI時代の「Do You Dream In Colour?」くらいしか見たことないので動いてるこの時期の彼を見れる貴重な映像だな。

ちなみにこの「The Love That Whirls」には地元ヨークシャーの劇団による公演「美女と野獣」にビル・ネルソンが音楽をつけたという全曲インストのサントラ・アルバムまでおまけに付いててお値段そのまま。
1981年くらいから「カリガリ博士」のサントラ作ったり、ポピュラーな音楽から離れた現代音楽やアンビエントっぽいインスト作品もつくるようになって、むしろコクトー・レコードはそっちの膨大なリリースの方が多いんじゃなかろうか。
下世話な話だが、あまり儲かるとは思えないような活動を熱心にやったり、他のニュー・ウェイブのアーティストがマネージメントに縛られて好きな事が出来ないのを尻目に、悠々自適な暮らしぶりが羨ましくも思う。そこまで過去の印税があるんだろうかね?
ROCKHURRAHも80年代に戻れるならビル・ネルソンの門下生となり、彼のプロデュースでコクトー・レコードから1枚でも出したかったものだよ。
え?無理?

やっぱり今回も時間切れ、こないだよりも少ないROOM3の一部屋だけで終わることになってしまったが、続きはまた書くよ。
最初に書いた通り、SNAKEPIPEのブログは彼女が退院して元気になるまで、当分の間お休みとさせて頂く。
その間に時間があればROCKHURRAHも何か書いてゆきたいが、難しい時はきっぱり休むね。

ではまた、
これから
SNAKEPIPEが待つ
病院に向かうのだ。(詩的表現を狙ったが意味なしの改行)