ふたりのイエスタデイ chapter10 / SETAGAYA 80’s

【今回は珍しくROCKHURRAH自伝でパンクの王道を語ってみる。】

ROCKHURRAH WROTE:

このシリーズ企画「 ふたりのイエスタデイ」もずっと更新してなかったな、とさっき気付いた。
ROCKHURRAHが最後に書いたのも2年以上前の事だったよ。
これに限らずシリーズ記事が多くなりすぎて滅多に更新しない企画ばかり、継続が苦手分野なのかな。

「 ふたりのイエスタデイ」とは1枚のレコード、あるいは本の表紙でも映画チラシでも何でもいいから、とにかくそれにまつわる話でROCKHURRAHとSNAKEPIPEが過ごした80年代を思い出す、というような企画だった。
若い世代がどれだけ1980年代を認識してるのかは全く不明だが
「チャラチャラして明るく軽薄な時代、誰もが浮かれて踊っていた」
「その後バブル経済が崩壊してみんな滅亡」
それが全てだとはいくら何でも思ってないだろう。
しかしNHKのBSで再放送していた「80’s洋楽グラフィティ」で出て来るようなニュー・ウェイブのバンドはみんなその典型的な80年代のイメージで選曲されているね。 これじゃ誤解されても仕方ないよ。
全ての出来事が10年ひと括りなわけでもないし、どの時代にも陰と陽はあるに違いないが、その差が目に見えてハッキリしていてわかりやすかったのが80年代なんだろうかね。

何か文化論みたいな前置きだったが特にそんなつもりは全然ないし、しかも今日のはほとんど自伝風。
いきなり今回の記事だけ読んだ人にはさっぱりわからないに違いないが、大体この記事の後くらいの話だと思っててね。

北九州から東京に出てきた最初は小学校からの友人、U尾のアパートにちょっと居候してた。
仕事も住むところもまだ決まってなくて無計画、何とかなるだろうという甘い考えで出てきてしまったんだよね。
前の「chapter06」で出てきたK野と今回初登場のU尾、そしてROCKHURRAHの三人は同級生で、小学生の時は転入生トリオだった。
一番最初に北九州に越して来たのがROCKHURRAHなんだけど、二人はもっと後で越してきた。
どういった経緯で友達になったのか肝心なところは覚えてないが、中学、高校で離れ離れになった後でも夏休みや正月には集まって遊んだりしていた。
2人は早くから東京に出ていったから、彼らの勧めでROCKHURRAHは上京したのだ。

K野は渋谷パルコのカフェ&雑貨屋で働いててインテリア・デザイナー志望。
U尾はファイヤー通り近くのセレクト・ショップの店員だった。彼は小学生の作文で将来の夢というテーマがあった時に「ファッション・デザイナーになる」と書いて、その通りの生き方をしてきた。
この辺を当時歩いてた人だったら誰でも知ってるセレクト・ショップの先駆け、その支店でオリジナル・ブランドみたいなものを手がけてデザインして、自分で売ってたのだ。
K野も後にインテリア・デザイナーとなって、割と有名な店舗のデザインを手がけていたけど、この二人の行動力と周りの人脈はすごいものがある、と若きROCKHURRAHは感心していた。
と言うのはウソで、内心では「まだまだ自分は途上、そのうちきっと音楽の世界で名を上げてやる」みたいに思ってた。全員ジャンルが違うから対抗心とかは特になかったけど、まだ何者でもない自分に言い聞かせていたよ。
ただしROCKHURRAHの意味不明の自信は全然根拠もないし、名を上げるための何事も努力してない。要するにそんな道に進む準備も何もしてないんだよね。

やりたかったのは別にバンドでも歌手でもなくて、漠然とした考えではレコード屋の店主だった。
たかがレコード屋の店主になったところで店名に自分の名前でもつけない限り(例:山ちゃんレコード)「音楽の世界で名を上げてやる」とはならないと今は思うが(笑)、その時はなぜかカリスマ店主みたいなのに憧れたわけだ。しかもその時点ではまだレコード屋勤務の経験さえなかったのにね。

その頃U尾が住んでたアパートは六畳一間で風呂なし、トイレも流しも共同という絵に描いたような昭和の独身アパートで、新大久保から歌舞伎町に抜けるあたりにあった。しかも彼女と二人で住んでたので、そこに闖入してきたようなROCKHURRAHと三人で六畳、これはいくら何でも居候は大迷惑だろうというシチュエーションだったな。気さくでさっぱりした性格の彼女、Y里ちゃんにも色々迷惑かけたな、と今でも反省する。
結局、そこに居候してたのはごく短期間だったがその間に仕事も部屋も見つかるはずはなかった。
しかし自分のものを何も持ってないにも関わらず、居候のくせにレコードだけは買っていた。歩いて新宿のエジソンやジュクレコまで行けたから魔が差して、なけなしの金で買ってしまったよ。

その後、今まで一度も行ったことなかった街、下北沢でなぜか部屋探しをはじめて、すぐに住むところが決まってしまった。
数件の候補も何もあったもんじゃない。
不動産屋がROCKHURRAHの予算では一軒しか探してくれなかったのだ。まあその時点で収入もないわけだから当たり前だね。
しばらく放浪生活が続いて・・・とかあればいかにもROCKHURRAHらしいが、そんなに都合良いエピソードはなかったのだ。交友関係も狭かったからもうどこも泊まり歩けない状況だった。
で、見つかった場所は東北沢の駅から三分くらいの物件で風呂なし共同トイレの四畳半。
駅から近いだけが取り柄なのと二万円以下の安い家賃に惹かれて即決したよ。

昼間でも一切陽が差し込まない一階の日陰物件だったが、外壁一面に蔦が絡まってて敷地内も苔だらけ。パッと見ではかなり風情のある外観。逆にお洒落でさえある。
たった一口だったが一応ガスコンロも付いてて、玄関にはピンク電話があった。
ROCKHURRAHの部屋は玄関の横だから個人で電話契約してなくても、一応連絡はつくという安心があった。 まだ携帯電話がこの世にない時代だったもんね。

最近では滅多にないと思えるが、家賃の支払日になると大家が直接訪ねて来て、手渡しで家賃を払うという昔ながらのスタイルが懐かしい。安アパートなんだが管理人とかはいなくて税理士である大家が週一で掃除とかしに来るのだ。
下北沢まで歩いて行ける距離でこの家賃は当時でも滅多になかったよ。
茶沢通り(三軒茶屋と下北沢をつなぐ通り)沿いのすぐ近くにあった部屋なので、そのまま歩けばどんな方向音痴でも下北に着く。東北沢駅も真正面、ここまで駅チカ物件にはこの後も住んだ事がないので、一番交通の便が良かったのが最初に住んだここなんだよね。

非常にみすぼらしいけど、一応スーパーが歩いてすぐのところにあったし、アパートの目の前がコインランドリーという事で若手の一人暮らしにはかなり便利な場所だと言える。銭湯の場所がイマイチわからなかったが、洗面器を持って歩いてる人を尾行して独自に突き止めた。ライトなストーカーだね。
何だかとてもラッキーな東京生活スタートだったな。

やっと念願の一人暮らしを始めたが、この時のROCKHURRAHは実家から家財道具を全く運ばなくて、普通の意味での引っ越しではなく、本当に我が身ひとつでここにやってきた。
だから最初のうちは部屋にも何もなかったが、ここでまた登場した友人K野。
彼はこの頃、永福町に住んでて、この時すでに中古のポルシェに乗っていた。四畳半からそのポルシェに乗り、横浜まで飛ばしてくれた。
横浜にはずっと疎遠だった叔母が一人で住んでて、その人から要らない家財道具を貰える事になってたんだよね。疎遠なのであまり話す内容もなく、ナベややかん、食器にふとんくらいは貰えた記憶がある。

いわゆる家具もほとんど要らない暮らしだったが、家の近くが金持ち外人のたくさん住んでる代々木上原。真夜中に歩くと大型ゴミが捨ててあって、洋モノの電話台とかテーブルとか「アンティーク」とまではいかないが、日本の安っぽい合板家具などと比べたら断然本格派のを拾ってきたもんだ。
今では考えられないがその当時はこんなもん、結構その辺に落ちてたんだよ。
書けば書くほど情けなくなってしまうな。

それから真っ当な人には到底理解出来ないような超貧乏生活が始まったが、一番最初の仕事はなぜか日本橋で結婚式場のセッティングとかする「イベント設営」のバイト。
まだ東京の右も左もわからないのに、よく乗り継ぎしてこんな遠くに通ったな。
設営とか片付けはいわゆる力仕事なんだが、ROCKHURRAHは運良く、備品のメンテナンスのような仕事に才能を発揮した。ふすまの破れたところを目立たなく修繕するという高度なテクニックを教わったが、さすがに今ではまるっきり覚えてないぞ。

二番目は経堂(小田急線)でダイレクトメール封入作業。
これまた手先の器用さが求められる仕事で、周りがみんな同世代の学生ばかりだったから仲良くなって、仕事帰りに経堂の喫茶店に寄ったり、それなりに楽しかったな。会社の社員も柔らかい感じの人が多く、いい仕事だったんだが、短期のバイトだったのが残念。
年上の大学院生と仲良くなり、この時点でまだステレオを所持してなかったにも関わらず、もののはずみでレコードを借りたというバカな思い出がある。
しかもこっちはフランスのパンク・バンド、スティンキー・トイズのつもりだったのに、貸してくれたのは古いブリティッシュ・ロック・バンドのスプーキー・トゥースだったというすんごい誤解があって(笑)。頭文字だけは合ってるけども・・・。
いや、こっちの方が名盤だったとは思うけどね。
この後に働いた金でテクニクスのステレオを買ったけど、もはやレコードは返した後だったな。

そして三番目にやっと下北沢でレギュラーとなる仕事を見つけた。
街をブラブラしてたら面白そうな看板を見つけたのがきっかけ。手書きの横尾忠則みたいなペンキ塗りの看板がいかにも80年代キッチュ(今ではあまり使わないか)な古本屋だった。向かいには同じ店名の中古レコード屋もあった。
「ああこれはきっと好きな感じの店に違いない」と運命の出会いを感じて(この時点でまだこの店がどんな店かも知らずに)面接の申し込みをしに中に入ったら、運がいいことにちょうど社長が店にいて、その場で即決採用してくれた。
ROCKHURRAHは下北沢周辺に十年くらい住んだが、この店がそのスタート地点だったのだ。
ちなみに周辺というのは下北の隣駅、東北沢と世田谷代田で、憧れの下北沢は家賃が高すぎてどうしても手が出なかったのだ。
東北沢の安アパートは最初の二年で出て、その後は世田谷代田の環七近くに四年、さらに駅前あたりに四年、同じ町で引っ越してまで住んでる。そこまで世田谷代田が良かったかという事はまるでなく、単に下北沢に徒歩で行けるというだけが基準だったのだ。今はどうなってるのか知らないが小田急線の近隣、梅ヶ丘や豪徳寺には一応ある駅前商店街が世田谷代田には皆無だったからなあ。

さて、この古本屋は最初は下北沢に二店舗と笹塚に支店がある一応のチェーン店で、当時の下北沢を歩いてた人だったら誰でも知っている有名店だったが、ROCKHURRAHが在籍しているほんの数年で下北沢に五店舗、三軒茶屋、吉祥寺まで怒涛の開店を続けていた。恐ろしい経営手腕だな。

朝の10時から開店して夜中の1時までの店だったが、ROCKHURRAHは夕方6時からの遅番に配属された。
最初は古本屋の勤務で一緒に入ってたのが広島出身のK藤さんというややどもり気味の猫背の人だった。
割と地味な学生風の外観だったから知らなかったが、実は有頂天のケラが主催してたナゴム・レコードよりレコードも出してたインディーズのミュージシャンだった事がわかった。
欧米のパンクもニュー・ウェイブも大得意なROCKHURRAHだけど、日本のインディーズはそこまで聴かなくて、ナゴムのバンドもほとんど知らなかったんだよ。
このK藤さんはその後に伊丹十三監督の「タンポポ」や黒沢清監督の「ドレミファ娘の血は騒ぐ」など、映画にも出演して強烈なキャラクターを発揮していたが、東京で最初のうちに働いた場所で多少は有名人と関わっていたとはビックリだ。

そのうち古本屋の向かいにある二号店の勤務になったが、こちらは中古レコードとビデオ・レンタル(当時はまだDVDではなかった)の店だった。
こちらでお世話になったのは劇画家、松森正のアシスタントだったというF戸さんという人。
松森正は80年代には知る人ぞ知るような過去の存在だったが、70年代に「木曜日のリカ」という当時では珍しい女性スナイパーが主人公の劇画を描いてたな。子供の時にこのコミックスを所持していたので、その背景に関わっていたかも知れない人と働けるのは光栄な事だった。
F戸さんはその当時は漫画を描いてたのかどうかは不明だが、とても優しい大人の雰囲気の人だった。

やっと目標の一端、中古ではあるがレコード屋の一員になれたのでここの仕事はとても楽しかった。
四年くらい働いていたのでその間に同僚も随分替わったが、みんなとても個性的で何かを目指してる集まり。仲良くて毎日のように下北で飲んでたのが懐かしい。

  • 少年誌に漫画を描いてた(ほとんど無名だったが)宮崎出身のS谷さん。ムードメーカーで仲間内のリーダー的存在だったな。
  • 埼玉出身の絵に描いたようなパンク・ロッカーでROCKHURRAHと音楽的に一番近いA島、随分年下だったんだけど、彼とは家も近かったからレコードの貸し借りとか頻繁にしてたな。インディーズのパンク・バンドやノイズのバンドを掛け持ちしてたけど、バンド名は忘れた(薄情)。
  • 弟が川崎ヴェルディの有名なサッカー選手というT田、彼もパンク・バンドでベーシストをやってたので話が合ってたがVAPレコードに就職が決まり、なぜか福岡に転勤になってしまった。
  • 辞めた後で仲良くなって、泊りがけでいつも遊んでたM山。全然パンクでもニュー・ウェイブでもない専修大学の学生だったが、顔がなぜかジョニー・サンダースに激似というギャップが激しい男だった。東京で最も仲良くしてたし、この後のROCKHURRAHの転機となるきっかけが彼だったな。
  • 北海道出身でノイバウテンなどのノイエ・ドイッチェ・ヴェレとおニャン子クラブを偏愛する変わり者、H。同じ二号店の勤務だったので最も長い時間一緒にいたな。

他にも個性的な人間が何人もいて、常に5人以上とかで週に三回は下北沢で飲んでたな。
その後、一人二人と辞めていって離れ離れになってしまい、連絡とかもしてないから、彼らが今どこで何をしているのかも知らないんだけど、同時代の下北沢で素晴らしいメンツに出会った事が後の人生に全く活かされてないのが悔やまれて仕方ない。
薄情な自分だったから自業自得だけどね。

今回、扉絵にした2枚のシングルはどちらもその下北沢で入手したもの。
80年代がなんたらかんたら、などといつも言ってるくせしてどちらも70年代モノ、ただし入手したのは80年代というだけだよ。
しかもいつも敢えてヒネたのを持って来たがるROCKHURRAHには珍しく、王道中の王道アイテム。
パンク好きな人にはわざわざ説明するまでもない宝箱アイテムだな。

「ゼルダの伝説」で言うならばこのBGMが鳴るくらいのシロモノ。

ラモーンズの方は他でもない、この働いてた中古レコード店で手に入れたもの。
Promo Copy盤というものでこの大名曲のステレオとモノラルがA、B面に収録されているヴァージョン。これが珍しいのかそうでもないのかはROCKHURRAHよりも世の中の人の方が詳しいんだろうけど、個人的にはお宝の一枚である事には違いない。
前述のF戸さんに頼み込んで社販で購入したもの。
当時はまだそこまでプレミアはついてなかったように記憶するけど。

ダムドの伝説の一枚は全パンク・ロッカー垂涎のステータス・シンボルだね。
上に書いた店で働いていた時のこと。早番と遅番の間にあまり接点はなかったんだけど、交代時に少し会話を交わす程度。
その店の店舗ではなく事務所で働く女性が何人かいて、これも単なる事務員ではなく音楽や映像に暁通しているタイプが多かった。
その中の一人となぜかいきなり「ドクターズ・オブ・マッドネス持ってない?」などという大変にマニアックな会話になったのを今でも覚えてる。
70年代のイギリス、グラム・ロックやパブ・ロックがあり、それがパンクへと発展するような微妙な時代に活躍したバンドで、リチャード(キッド)・ストレンジというアクの強いヴォーカルがメインだった。デビュー当時のセックス・ピストルズを前座にツアーしてた事もある。
ROCKHURRAHは三枚のアルバムとシングルを所持していたが、メジャー・レーベルから出てた割にはこの時代には既に入手困難なレコードで、日本での知名度も低かった。
ヴァイオリンが活躍するバンドで歌もエモーショナル、大好きだった初期コックニー・レベルとオーバーラップする部分があって、好んで聴いていたのだ。
そんなバンドが気軽に日常会話で出てくるところが素晴らしい、ああ80年代の下北沢は良かったなあ。
同僚の暗黒ネオサイケ男(これまた割と有名なバンドやってた)N田といつの間にかいい仲になり、電撃的に二人で辞めていったと朧げながら記憶する。名前の記憶力が割といいROCKHURRAHなんだが、この人の名前はなぜか思い出せない。

で、ダムドの方はこの人の同僚でまた別の人。上に書いたエピソードは特に関係なかったな。
京都出身で確かROCKHURRAHよりも年上の短髪女性、S見さんと言ったな。
昔、ストラングラーズ来日の時にジャン・ジャック・バーネルのベースギターが頭に当たったというキズと武勇伝を持つ人で、あまり話した覚えはないがその印象が強烈に記憶に残ってるよ。
実家から松茸とか筍とか送られてくるという話を聞いた事があるから、きっといいトコのお嬢さんだったのかな?
この人が所有していたダムドのレコードを頼み込んで譲ってもらったのだ。国内盤シングルはたぶんこの当時でも伝説価格のレコードだったはずだが、破格の値段で譲って貰えた。
この頃はまだ若くて社交知らず、ロクなお礼もしなかったけど、今でも忘れないで感謝し続けています。

邦題「嵐のロックンロール」と名付けられたこの曲をウチのブログで語ったのは何度目だろう?その時代の映像はそんなに残ってないからせめて違うヴァージョンにするよ。
うんうん、このモノクロ・ビデオ、ROCKHURRAHも持ってたな。
ふざけた見た目だが意外と喧嘩っ早いキャプテン・センシブルの怒りシーンね。こういうトラブルにも場馴れしたライブ・バンドだなと思うよ。
映画「地獄に堕ちた野郎ども」は観に行けなかったが来年2月にDVDが出るのでそれで我慢しよう。

この店がどんどんつまらない方向性になってしまい、仲間も散り散りになってしまったから数年でROCKHURRAHも辞めてしまった。
その後は別の中古レコード屋でレコード洗いという珍しいバイトしたり、有名な廃盤屋にも少しだけ在籍(BGMが大音量過ぎて耳が危なくなった)したり、あまり長く続かないような仕事をしたが、それからは突然大きく進路を変えてなぜか全然違う仕事を始めてしまう。
この辺は今回にはあまり関係ないからまた別の機会に書くとしよう。

さて、延々と書いてきたどこにでもある自伝だが、今日は世田谷区編までとしよう。
面白くも興味深くもない記事だったが、まあ出来の良くない日記だとでも思ってね。

勝手に書いてきた元・仲間たちが今でも音楽に関わって生きているのかどうかは知らないけど、今でも若気の至りのまんまで生きてる、名もないパンクロッカー(未満)だったROCKHURRAHはここにいるよ。

ではまた、さらばシモキタ(大げさ)。

ビザール・チェア選手権!24回戦

【2001年の映画「セッション9」で登場したシーン。この一枚だけで恐怖を感じるね】

SNAKEPIPE WROTE:

ビザールな逸品を紹介するビザール・グッズ選手権
今まで様々なジャンルをまとめてきたけれど、何度も特集を組んでしまうグッズがあるんだよね。
その一つが椅子!
ビザール・グッズ選手権を始めたきっかけになったのが椅子だったからなのか、SNAKEPIPEの潜在意識と深い関わりがあるのかどうかは不明だけど。(笑)
久しぶりにビザールな椅子を検索してみると、新たな驚きに包まれて嬉しくなってしまった。
SNAKEPIPEの琴線に触れた逸品を紹介してみよう!

実際にやったことはなくても、名前は知っているパックマン
元ゲーム屋で昔のゲームに詳しいROCKHURRAHに聞いてみると、
「俺はディグダグ派だったから、パックマンはほとんどやらなかったよ」
との返答が。
ますます分からないじゃないの。(笑)
1980年に発売され、世界的に大ヒットした日本のゲームであるパックマンを椅子にしちゃった人がいるんだね。
ポルトガルのデザイナー、Bruno Marquesは子供用の椅子としてデザインしたらしい。
ところが反応を示したのは80年代を経験した大人だったというのは、よくある誤算じゃないかな?(笑)
販売しているのかどうかは調べてみたけど不明だった。
欲しいと思う大人が多そうな逸品だね!

次も丸いシリーズでつなげてみようか。
今度は卵だよ!
Giant Birdnestと名前がついているので、怪鳥の巣といったところか。
本当は椅子じゃなくて、ベッドになるのかもしれないね?
自分が親鳥なのか、卵の一つなのかは本人次第で良いことにしよう。(笑)
このGiant Birdnest、販売もされているんだよね。
巣の大きさが直径200cm、250cm、350cmと3種類用意されている。
お値段はそれぞれ€3,600、€4,800、€6,400ということなので、最も高くて58万円くらいか。
こんなインパクトのある家具をドーンと部屋に置ける広さがあったら良いよね!
でも寝ている間に怪鳥が卵を温めに来たらどうしようか?(笑)

インパクトではこちらも負けてないかも!
ニューヨークのデザイナーDror Benshetritがウォルト・ディズニーとイタリアの家具メーカーであるカッペリーニとのコラボ企画としてデザインしたらしい。
インスパイアされたのは1982年の映画「トロン(原題:Tron)の続編である「トロン:レガシー(原題:Tron: Legacy 2010年)だという。
この映画の製作会社がディズニーだったからコラボということになってるのかもしれないね?
「トロン・アームチェア」と呼ばれるこの椅子は、100%リサイクルのプラスチック製だというのも、未来的な感じ。
環境問題にも向き合い、尚且つスタイリッシュだからね。
ペイントしてある椅子はデザイナー自らが描いた限定品らしい。
そうなるとまるで現代アートみたいだよね。
プラスチック製なので座り心地だけが心配だけど、SNAKEPIPEは大好きな逸品!
欲しいなあ、おいくらなのかしら?
お値段に関しては、どのサイトを見ても「お問い合わせください」としか書いてない。
思い切って問い合わせてみるか!(笑)

最後もまるで現代アートか?という逸品にしてみよう。
右の画像を見ただけでは、一体何なのかすら分からないよね?
光沢のある素材で人の顔を形どったオブジェのよう。
これのどこが椅子なんだろうね?

正解がこちら!
後頭部が椅子になっているんだね。
それにしてもこの画像、素人の作品じゃないよね。(笑)
椅子の顔に似せた化粧を施したヌード女性を座らせるなんて、憎い演出だよね!
こんなにステキな趣向を凝らしたのは、一体誰?
デザインしたのはイタリアの建築家でデザイナーでもあるFabio Novembre
人間の形をデザインに取り入れることが多いようで、自身のHPに載っている作品にも数多く見ることができる。
NEMO Chairと名付けられたこの椅子はポリエチレンだというので、ペットボトルと同じような素材ということになるのかな。
取扱いは簡単そうだし、インパクトはあるし!
これは良いかも!
一体おいくらなんだろうね?

仕上げにラッカーを使用しているかどうかでお値段に違いがあるようだけど、例えば上の画像の白タイプなら€ 1.160,00、日本円で約14万円也!
最も高くて€ 3.248,00、日本円で約40万円くらいか。
強度や耐用年数の違いということなのかもしれないけど、この椅子の値段としてはお手頃に感じてしまうね?
まるでシュルレアリスムの作品のような写真まで撮れちゃう逸品!
非常に気に入ってしまったよ。
真剣に購入を考えてみよう!(笑)

宇宙と芸術展 鑑賞

【宇宙と芸術展のトレイラー】

SNAKEPIPE WROTE:

以前より長年来の友人Mから誘われていた企画が、森美術館で開催されている「宇宙と芸術展」であった。
7月の下旬から始まり、来年まで続いている展示のため「まだ大丈夫」と思っているうちに、いつの間にか2016年も終わりに近づいていたんだよね。(笑)
通常は午前中に展覧会を観た後でランチを楽しむスタイルだったけれど、今回は珍しくディナーの後で鑑賞することになった。
友人Mに会うのは夏以来なので、随分と久しぶりである。
話が弾み、食事の時間が長くなったよ。(笑)

夜には星空のイルミネーションを見る企画があるせいなのか、美術館のチケット売り場は長蛇の列!
まさかここにいる全員が「宇宙と芸術展」を鑑賞するわけじゃないよね?
15分も並んだだろうか、やっとチケットを手にして会場へ。
予想通り、チケット売り場の大群は「宇宙と芸術展」ではない別の何かが目的だったようで。
「宇宙と芸術展」は、そこまでの混雑はなく、ゆっくり鑑賞することができた。
海外からの人も多かったように感じたよ。

会場は4つのセクションで構成されていた。

1 : 人は宇宙をどう見てきたか?
2 : 宇宙という時空間
3 : 新しい生命観-宇宙人はいるのか?
4 : 宇宙旅行と人間の未来

といった具合に進んで行く。
全く違うジャンルを関連付けた展覧会としては、2010年に同じ森美術館で鑑賞した「医学と芸術展 MEDICINE AND ART」があったね。
この展覧会は非常に興味深い展示が多かったことを思い出す。

恐らくこの展覧会のために作ったのかなと思うような現代アート作品よりも、学術書や実用のために作られた作品のほうに興味を持ったSNAKEPIPE。
実用品のほうがより芸術的で、アートに勝ってると思った。

と感想を書いている。
なかなか気の利いたこと言ってるじゃない?(笑)
ところが今回の宇宙に関しては上記のコメントと同じようには言えなかったな。
正直なところ「宇宙」と「芸術」を同じ土俵に乗せるのには無理があると思ったんだよね。(笑)
そもそも宇宙の捉え方にも個人差があるような気がするし。
更に撮影OKの展示物が非常に少なかったことも「物足りなさ」につながっている。
そうは言っても、展覧会の撮影がオッケーになったのはつい最近のこと。
前述の「医学と芸術点」の時には撮影していないし、当然ながら1枚の写真も載せていないブログなんだよね。
それにも関わらず、未だに「面白かった」と覚えているわけだからね。(笑)

物足りない、と言いながら数点は気に入った作品があったので、紹介してみよう。
当然ながら撮影オッケーの作品でね!

ドイツ人アーティスト、ビョーン・ダーレムの作品は、夜に鑑賞して良かったみたいだね。
光が後ろのガラスに反射して、光の渦が奥行きを増して連続しているように見える。
どこまでも繋がっていく光の輪。
それはまるで永遠を表現しているかのよう。(陳腐!)
作品のタイトルはブラックホールなんだけど、 SNAKEPIPEのイメージとは違うかな。
ブラックホールは漆黒の闇だと思っていたからね。
大型の作品で、光がとても美しかった。

中国人アーティスト、ジア・アイリの作品に目を奪われる。
荒廃した風景に雷が落ちている、という非常にシンプルなモチーフなんだけど。
色合いのせいか、全く暖かみを感じない。
これが非常に好みなんだよね!(笑)
かなり大型の油絵だけど、我が家に飾りたいと思ったよ。
今まで知らなかったアーティストなので、 違う作品も鑑賞してみたいね。

この不気味な物体は一体何?
作者はパトリシア・ピッチニーニ
前述した「医学と芸術展」にも彼女の作品は出品されていたっけ。
ゲームをしている少年2人が、まるで本物の人間のように見える作品だったね。
今回鑑賞したのは、人間とアルマジロ(?)のハイブリッドのような謎の生物。
お世辞にも「かわいい」とは言えない。(笑)
2011年の東京都現代美術館で開催された「Transformation鑑賞」ではカモノハシと人間のミクスチャーを鑑賞したことも思い出した!
あの展覧会は「変身」や「変容」がテーマだったのでピッチニーニの作品が展示されているのは納得だけど、今回の宇宙ではどうだろう?
解釈でいかようにもなるってことかな?(笑)

空山基の展覧会が今年の1月から3月まで渋谷で開催されている情報は、いつも通り友人Mから知らされていた。
「ちょっと気になる」と言われていたけれど、 結局出かけなかった。
どうやらこのセクシーロボット、等身大の6分の1サイズが100体限定で2015年に販売されたらしい。
お値段は16万2千円!
今回鑑賞したのは等身大サイズ、更にお立ち台に乗っていたのでかなり背が高かったんだよね。
身長が200cmだとしても6分の1なら33cm。
自宅にミニチュア・セクシーロボットがいたら嬉しいかも!(笑)

撮影不可の作品で興味深かったのは曼荼羅。
曼荼羅の実物を間近で観たのは今回が初めてだからね!
細部まで精密に描かれているのには驚いた。
米粒くらいの大きさの人の顔がちゃんと分かる筆使いなんだよね。
「グヒヤサマージャ立体マンダラ」は、125cm四方の大きさの作品で、タイトルにあるように立体的な曼荼羅だった。
宗教的な作品というよりは、子供のおもちゃ感覚といった雰囲気で気に入ってしまった。(笑)
作品リストにも「製作:ギュメ密教大学ゲルク派学僧」と書かれているから、おもちゃじゃないんだけどね!
とてもかわいかったから、SNAKEPIPEも欲しくなってしまった作品だよ。(笑)

写真は「クリエイティブ・コモンズ表示-非営利-改変禁止2.1日本」ライセンスでライセンスされています。

圧巻だったのは最後に鑑賞したチームラボの作品「追われるカラス、追うカラスも追われるカラス、そして衝突して咲いていく – Light in Space」。
タイトルはまるでマルセル・デュシャンの「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも」みたいに長いなあ。(笑)
完全入れ替え制で、一回の上映時間が4分未満という映像作品である。
真っ暗な部屋の中、床に直接座って鑑賞する。
ここだけは動画撮影OKだったので、肘で固定して頑張って撮影したSNAKEPIPE。
飲み込まれてしまうかと思ったほどの光の洪水。
飛び立つカラスの尾から流れ落ちるような光の帯は、速度を伴って上昇していく。
鑑賞しているうちに「これは『チベット死者の書』だな」と思う。
人が死んでから再び生まれ落ちる、輪廻転生を教えてくれる「チベット死者の書」をテーマに作品化したのではないか、と感じたのである。
そう思った途端、まるで死んでからの予行練習をしている気分になっている。
圧倒的な光に包まれて死んだ後のことを想像して思わず涙が出てきてしまった。
アート作品を観て、涙を流したのは今回が初めての経験だね。(笑)
この作品を鑑賞できただけでも、来て良かった展覧会だった。

SNAKEPIPE MUSEUM #40 Mariel Clayton

20161127 top【アルモドバル監督の「神経衰弱ぎりぎりの女たち」に出てくるCMみたい!】

SNAKEPIPE WROTE:

2010年に書いた「SNAKEPIPE MUSEUM #02 Bernard Faucon」では少年のマネキン人形を使って作品を制作していたベルナール・フォーコンについて特集した。
SNAKEPIPE MUSEUM #04 Cindy Sherman」で特集したシンディ・シャーマンも女優シリーズの後の展開は、死体から更に発展(?)し、解体された人形の撮影になっていったことを思い出す。

人形についての考察は「SNAKEPIPE MUSEUM #26 Carla Trujillo」の中で書いていたっけ。
江戸川乱歩の「人でなしの恋」、港かなえの「贖罪」、押井守の「イノセンス」、四谷シモン、ハンス・ベルメール。
人形と聞いただけでスラスラと作品や作家名が出てくるんだよね。
SNAKEPIPEは人形がアート作品として成立していることに興味があるみたい。
今回の「SNAKEPIPE MUSEUM」は、少女のおままごと用に存在していたはずの人形を使って制作しているアーティストに焦点を当ててみよう!

Mariel Claytonは1980年、南アフリカのダーバン生まれ。
マリエル・クレイトンの作品の主人公はバービー人形なんだよね。
「破壊しているユーモアの感覚を持つ人形写真家」と自らを称しているマリエル。
彼女の作品は単なる「少女たちの憧れ」であるバービー人形ではないところがポイント!
清く正しく美しく、の正反対を目指しているようなモチーフで作品の制作をしているからね。
販売元であるアメリカのマテル社からクレームが来ないか、と心配してしまうほどだよ。(笑)
小道具には日本製が混ざっているようで、たまに見える日本語に親近感を覚えてしまうんだよね。
そんなところにも注目してマリエル・クレイトンの作品を観ていこうか!

マリエル・クレイトンの日本趣味(?)がよく出ている作品。
いわゆる「女体盛り」だよね。(笑)
女性の体を皿代わりにして、寿司を並べるなんてなかなかやるなあ!
エロスというよりは猟奇なのは、やっぱり首チョンパだからだろうね。
こんなにたくさんの寿司ネタがミニチュアとしてあることにも驚くけれど、丁寧に並べていくのも根気がいるだろうなあ。
女の子だったら、「おままごと」の延長で楽しむのかもしれないね?
この作品を観て、まっさきに思い浮かべたのが、タイトルもずばり「スシガール」(原題:SUSHI GIRL 2012年)だね。
このまんまのポスターだから、それも載せておこうか。
「スシガール」で最も印象に残っているのは、「スター・ウォーズ」でルーク・スカイウォーカーを演じたマーク・ハミルの体重増加!
あの体型じゃパイロットは無理でしょう。(笑)
非常に残酷な拷問シーンが続いていたように記憶しているので、痛いのが苦手な人にはお勧めしない映画だね!

食べ物つながりで選んだのがこちら!
ぎゃっ!今度は「うどん」の具にされてるよ。
これも日本だよね。
マリエル、日本大好きなのかなあ?
バービーの大きさから考えて、この「うどんセット」はそこまでのミニチュアじゃないのかもしれない。
それにしても箸まで添えちゃって、日本を良く研究してるよね!(笑)
この作品を観て思い出したのが会田誠の「食用人造少女・美味ちゃん」。
食用に造られたという設定の美少女たちが、食材として皿にもられている様子を描いた作品ね。
右の画像はまさに「うどん」の具材になっているので、マリエルの世界と同じだよね。
会田誠も美少女を題材にした残虐なシーンを題材にすることが多いので、マリエルと雰囲気が近いのも納得しちゃうね。

これもバービー人形のイメージとはかけ離れた怖い作品だよね。
どういう経緯で蜘蛛の巣やホコリまみれになってしまったのか?
巨大蜘蛛が出て来るようなホラー映画というよりは、拉致監禁され犯罪の被害者になってしまうようなサスペンス映画のように感じるね。
マリエルはどんなシーンを想像して作品を制作したんだろうか?
背景がシンプルだとお話を想像し易いね。(笑)
この作品を観て、ROCKHURRAHが似た画像を探してくれた。
ケン・ラッセル監督の「マーラー」(原題:Mahler 1974年)に出てくるシーンだという。
女性が拘束されている様子は、確かに似てるかも。
実はSNAKEPIPE、ケン・ラッセルの映画って一本も観てないみたいで!(笑)
「トミーも観てないの?」
とROCKHURRAHに驚かれてしまった。
どうやらケン・ラッセルはハチャメチャで変態的な作品で有名なイギリスの監督のようで、いかにもSNAKEPIPEが好きそうなタイプだという。
ただし面白そうな作品が現在入手困難になっているので、ROCKHURRAHも未鑑賞の作品が多いとのこと。
イエスのリック・ウェイクマンによる「リストマニア」(原題:Lisztomania 1975年)のサントラを持っていたんだって。
この映画も面白そうなのに、DVD化されていないなんて!
過去の作品で観たいものが観られないことが多くて、悔しい思いをするんだよね。

この作品も犯罪の臭いがプンプンするよね。
乱暴されて殺害された後、ゴミとして捨てられたといったところか。
「もえるゴミ」「ビン・カン」と書いてあるのが見えるよね。
マリエルはこの手のミニチュアをネット通販で買ってるのかな?
調べてみると確かにある、ある!
ドールハウス、とかミニチュア家具で検索するといっぱい出てくるんだよね。
どうやら100均にも取扱いがあるみたい。
SNAKEPIPEが子供だったら楽しく遊んだかも。(笑)
マリエルの作品に話を戻すと、女性をゴミみたいに捨てるという映画をいつか観た記憶があって。
恐らく三池崇史監督の「DEAD OR ALIVE 犯罪者」(1999年)だったみたいなんだけど、はっきり覚えてない。
これもまた確認のために観ないとね!

そしてこのマリエルの写真から思い出したのが、今から9年前にSNAKEPIPEが撮影した右の画像。
あれはクリスマスが終わり、年末が近い底冷えのする晴れた日じゃった。
買い物に出かけた道端に、女性の首がゴミとして捨てられているではないか!
ギョッとして思わず立ちすくむSNAKEPIPEとROCKHURRAH!
「ぎゃ〜〜〜〜〜っ!猟奇!」
「乱歩だったら本物を一つ混ぜるかも!」
もちろん良くみればなんのことはない、美容院で使用するマネキンなんだけどね。
ここまで重なるように首が大量に廃棄されているのは、恐怖を感じてしまうよ。
当時はまだスマートフォンじゃないからね。
慌てて自宅に走り、カメラを手に現場に舞い戻り、無事に撮影したというエピソードがある秘蔵の1枚である。
「いつでもカメラは携帯していないと」
とROCKHURRAHから注意を受けたなあ。(笑)
今はスマートフォンに当時のデジタルカメラよりはずっと高感度のカメラ付いてるからね。
取り逃しがなくて良いよね。(笑)

 この作品もまるで映画の中のワンシーンだよね。
どうしてバービーが後手にタバスコ持ってるのか謎なんだけど。
相手の男性にふりかけるため?
自分が使用するため?
意味不明なので想像するしかないね。(笑)
こんな18禁系のバービー画像、撮影しているマリエルに興味が湧いてくるよ。
どんなイメージで毎回テーマを決めているのか。
SNAKEPIPEはこの作品を観て思い出したのが、敬愛する映画監督デヴィッド・リンチの「ロスト・ハイウェイ」の中のワンシーン。
なんかよく分からないけど、絶対に悪いことやってるボスの前に突き出され、銃で脅され服を脱いでいくアリス役のパトリシア・アークエット。
びくびく怯えながら脱いでいき、ヒモパン一丁になった途端に態度が一変!
「私キレイでしょ」とばかりに堂々とボスに歩み寄り、椅子に座っているボスの前にひざまずくのである。
そのシーンを思い出したんだよね。
もちろん、「ロスト・ハイウェイ」にタバスコはなかったけど!(笑)

最後はモノクロームの作品で締めようか。
これもまるでスチール写真だよね。
「よくも裏切ってくれたわね」
違うかな。
「愛してるのよ。私だけのものになって!」
うーん、これも陳腐か。(笑)
人によって作るお話は違ってくるだろうから、それがマリエル・クレイトンの作品の面白さかもしれないね。
このモノクロームのシリーズと似た雰囲気の「ザ・日本」みたいなシリーズもあるんだよね。
和装のバービーが鍋の支度をした「こたつ」を背景に窓から雪景色を眺めているような写真ね。
なんで南アフリカのマリエルがここまで日本にこだわるのか聞いてみたいよね。(笑)

例えば江戸川乱歩だったりアレックス・デ・ラ・イグレシア監督の「気狂いピエロの決闘」にもあったように、人を笑わせるはずのピエロが殺人鬼、というような相反するイメージで恐怖心を煽る手法(?)。
マリエルの場合には、それが美少女と猟奇なんだろうね。

「こんなことをするはずがない」
という固定観念を打ち砕くからこそ、余計に鑑賞者が驚愕する。
バービー人形がいつでも笑っているところも含めて怖いんだよね。(笑)
マリエル・クレイトンの情報があまりないのが残念だけど、こんなに日本贔屓のマリエルの展覧会、日本で開催して欲しいよ。
ずっとバービー人形にこだわって創作を続けているマリエルの全貌を鑑賞したいね!