SNAKEPIPE SHOWROOM 物件10 孤立物件編

A.Masow ARCHITECTS設計の未来的なエコハウス。素晴らしいね!】

SNAKEPIPE WROTE:

引っ越したいなあ、とネットで様々な情報を見ているとワクワクしてくるSNAKEPIPE。
実際に住んでみると不便なことや不満が出てくるんだろうけど、写真や動画を見ている段階では楽しいことしか頭にない。(笑)
この部屋をこうして、ああしてと想像すると夢が広がるからね。
今回の「SNAKEPIPE SHOWROOM」も、「見てる」のと「実際」が恐らく違うと思われる物件を紹介してみよう。

最初に紹介するのはアメリカ合衆国東海岸首都ワシントンD.C.の東にあるチェサピーク湾に浮かぶ灯台! (写真①)
灯台がマイホームなんて聞いたことないよね!
この外観だけでもグッと来る!(笑)
恐らく廃墟好きにはたまらない建造物だと思うよ。
1894年に建造されたというから、およそ築120年。
恐らく外壁だと思うけど、 「歴史的建造物」と書いたプレートもあるね。(写真③)

あまり内部の写真がないんだけど、かなり傷んだ様子の階段やペンキの剥げた様子を知ることができるね。(写真②、④、⑤)
120年間何の手入れもされてこなかったのかもしれない。

5階建てで広さが1500平方フィート、換算すると約140㎡。
日本人に分かりやすいように言うと約85畳の広さとのこと。
結構な広さはあるけれど、実際に生活できる環境になっているのかな?
建物内の、例えば風呂や台所など日常生活で使用する設備についての説明もなし。(笑)
「ちょっと手を加えれば充分住めます!」
と話している不動産屋の談話が載っているけど、実際にはどの程度の修理が必要なんだろうね?

そして上陸するためには船を使うしかない状況なので、食料や物資の調達についても気になるところ。
そういった数々の難問をクリアできたら、目の前に広がる絶景を独り占めできることになるよ!(笑)(写真⑧)
お値段は$249,500、日本円で約2550万円也!
隣近所が皆無のプライベート空間を満喫できる貴重な物件。
見た瞬間に惹かれてしまったSNAKEPIPEだよ!(笑)

次も似た物件に一目惚れしてしまった。
こちらはイギリスはロンドンのテムズ川に浮かぶ要塞なんだよね。
要塞!
ミリタリー好きにはたまらない「要塞での暮らし」。
英訳すると「life in fort」か?(笑)
売りに出されてる要塞ってあまり聞かないように思うよ。
ここは1855年のナポレオン戦争でフランスからの攻撃に備えて設置されたという、非常に長い歴史のある建物なんだよね。(写真②)
建物に行くための道があるんだけど、かなりぬかるんでいて歩くのが困難な状態だよ。(写真①)
歩いている様子が動画になっているので載せてみようか。

内部はさすがに要塞なだけあって、屈強な造りになってるね。(写真③)
プールにできるような施設も完備。(写真⑤)
本来は水を貯めるためだったのかな?
そして沈みゆく太陽をテラス(?)から眺めることもできるね!(写真④)

ロンドンまでモーターボートで約50分の距離というから、アクセスも抜群!
モーターボートさえあれば、交通渋滞に巻き込まれる心配はないってことだ。
通勤時のストレスもないだろうし。(笑)
前に紹介した灯台と同じように、生活物資の調達の問題があるけれど、その点もモーターボートでクリアかな?

さて、気になるお値段はというと。
£500,000、日本円で約6650万円!
改装費用が倍以上かかるという見込みもあるようなので、簡単ではないけれど、ちょっと憧れる物件だよね!(笑)

なんだか今回の「SNAKEPIPE SHOWROOM」は高い建物に焦点を当ててるみたいなんだけど。
次に紹介するのも19階建ての高い建築だよ!

ボコボコ・ゴツゴツした不気味な形状!
下から見上げるとまるでSF映画に出てくるような建物だよね。(写真①)
ガウディが設計した「カサ・ミラ」の進化系といった感じかな?
岡本太郎じゃないけれど「なんだこれは!」と感嘆の声を上げてしまうような不思議な建造物。
一体なんだろうね?
調べてみると、これはオランダはアムステルダムにある公団住宅だったよ。
「サボテン・ハウス」を意味する「Urban Cactus」 という名前がついている。
日本で言うところの団地とはまるで印象が違うよね。(笑)
Ucx Architectsという設計事務所のデザインとのことだけど、こんなに斬新なデザインを採用するロッテルダムが羨ましいな!

フロアごとに65㎡から110㎡までの部屋があるという。
この面積だけでも充分広いのに、更に庭まであるんだって!(写真②)
各フロアにプールもあるみたいなんだけど?(写真③)
管理や掃除はどうなってるんだろうね。
全世帯で98というから、みんなで交代して掃除するのかな?(笑)

公団住宅のせいか値段や、どうしたら借りる(買う?)ことができるのかという情報を見つけることができなかったのが残念!

最後も高い建物にしてみようか。
アメリカはコネチカット州の川沿いに建つ風車を紹介してみよう。(写真①)
風車を住居に、という発想がすごいよね。
玄関の青いドア。(写真②)
上下階への移動は階段だから、ある程度の年齢までしか住めないかも!(写真③)
いや、もっと改造してエレベーターにするとか?(笑)

内部は驚くほど美しくリノベーションされているんだよね。
こう言っては失礼だけど、外観からは想像出来なかったほどの完成度の高さに驚いたSNAKEPIPE。
ここだったらすぐにでも住めそうだよね!
1967年に建造されたとは思えない程、手入れが行き届いてるもんね。

840平方フィート、78㎡というから決して広くはないけれど、3ベッドルームに1バスルーム。
まあ、一般的な日本の3LDKくらいの感じかな?
デッキ部分は新しく作られたらしい。
眺めも良いし、洗濯物がよく乾きそうだよね!(写真④)

さて、気になるお値段は?
$1,850,000、日本円で約1億9000万円!
えーーーっ?!
かなりリノベーションしたといっても、高くない?
億超えで風車かー。(笑)
どうやら値段の高さの理由は 、ニューヨークのグッゲンハイム美術館のリノベーションを手がけたこともあるFrank J. Sciame, Jrによるリノベーションが施されていたということ。
リノベーション界の有名人みたいだね。(笑)
そんな人の手にかかってるから、素敵に変身してるし、お値段もお高めということなんだろうね。
風車、ちょっと良いなと思ったけど、この値段だったら違う物件を考えたほうが良さそう。
本気で考えてたのになあ。(うそ)

トーマス・ルフ展 鑑賞

【トーマス・ルフ展の看板を撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

情報収集能力に優れた長年来の友人Mからお誘いがあったのは、7月だっただろうか。
東京国立近代美術館で開催される「トーマス・ルフ展」が気になる、というのである。
全く聞いたことがないアーティスト!
ただし東京国立近代美術館に関しては、2011年の「生誕100年 岡本太郎展」や2013年の「フランシス・ベーコン展」、2014年の「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展」で訪れているんだよね。
そのためSNAKEPIPEやROCKHURRAH、長年来の友人Mが「好きそうな企画」を立ててくれる美術館として良い印象を持っている。
今回の「トーマス・ルフ」については謎に包まれたままだったけれど、「あの美術館の企画ならば!」と期待して待っていた。

迷走台風に続き、日本列島を通過するかもしれない大型台風の発生が予想されていた時、SNAKEPIPEとROCKHURRAH、そして友人Mは竹橋駅に集合した。
大雨になるかもしれないけれど、東京国立近代美術館は竹橋駅の目の前。
あまり影響を受けずにたどり着くことができるんだよね!
そして予想通り(?)台風のせいか来場者が非常に少ない。
天候に加えて、SNAKEPIPEと同じようにトーマス・ルフについて知らない人が多かったのも原因かもしれないね?
SNAKEPIPEが命名した「国立系」、アクティブシニア(活発なご老体)連中が皆無!
もちろん子連れのファミリーもいない!
人が少ない、とても良い環境で鑑賞できそう。(笑)

ここでトーマス・ルフについて書いてみよう。
1958年ドイツ生まれ。
1977年〜1985年、デュッセルドルフ美術アカデミーの写真学科にてベルント&ヒラ・ベッヒャーの元で写真を学ぶ。
2000年〜2006年、デュッセルドルフ美術アカデミー写真学科の教授を務める。
ドイツの現代写真芸術において重要なポストに就いている人物、とのこと。
一体どんな作品なんだろうね?

会場に入ってすぐに展示されているのは、「トーマス・ルフ展」の紹介やチケットにもプリントされていた「Porträts(ポートレート)1986-1991,1998」のシリーズ。
美術館にある説明文を抜粋して載せてみようか。

一見ありふれた証明写真は、巨大なサイズ(210×165cm)に引伸ばされると,印象が一変します。
ありふれた人物写真が,どこか不可解で不可思議な存在にすら見えてくるのは、写真というメディア独自のメカニズムのせいではないでしょうか。

そ、そお?(笑)
確かにこれだけ巨大な証明写真が並んでると迫力はあるね。
「全く同じように複数人を撮影するのは相当な技術」と書いている人もいるようだし、巨大写真というのが現代写真のフォーマットの先駆とも説明されている。
説明を聞けば「そうなのか」とも思うけど、SNAKEPIPEにはよく分からなかった、というのが正直なところかな。

「ポートレートだから、茶色のブラウスを着たチケットに載っていた人がトーマス・ルフだと思ってた!」
ROCKHURRAHが真剣な顔で言う。
いや、どう見たって女性の写真だから間違えないと思うけどね。
トーマスって女性、あまり聞かないし。(笑)

「なるほど」と思ったのは、次に展示されていたシリーズ「Häuser(ハウス)1987—1991」。
集合住宅や企業の社屋といった、ごく普通の建物をきっちり水平に固定し、「空、建物、地面」のバランスを考えて撮られている作品群。
建物写真というよりはデザイン性を感じるんだよね。
1枚だけでは分かり辛くても、明確な主題の作品が複数並ぶことで意味を解釈することができる好事例だと思った。

ROCKHURRAHから「この作品を撮影しておいて」とリクエストされる。
理由を聞いてみると「レコードジャケットに似ている物があるから」だという。
ドイツのバンド、Fehlfarbenの1stである「Monarchie und Alltag」だという。
並べてみると、どうだろう。
建物の角度、ほぼ同じだよね。
雰囲気も近い!
即座に思い出したROCKHURRAH、さすがだね!(笑)

「Häuser」シリーズからコンピュータを使用して画像の加工を始めたというトーマス・ルフは、合成写真も作成している。
実際にドイツの警察で使われていたモンタージュ写真合成機を使用して制作された「andere Porträts(アザー・ポートレート)1994—1995)」。
実在の人物のパーツを組み合わせて作り上げているから、あり得ない人物に仕上がってるんだよね。
ちょっと笑ってしまう感じ。(笑)

写真と現実の関係についての問いや、
監視社会をめぐる問題意識が浮上します。

説明文に書いてあった文章を転記してみたよ。
こういう解釈も成り立つんだろうけど、観たままで良い気がするなあ。

自ら撮影した写真を解体してパーツにしたトーマス・ルフは、他人が撮影した写真の加工を始める。
「Zeitungsfotos(ニュースペーパー・フォト)1990—1991」は、新聞や週刊誌に掲載された写真のみを抽出し、拡大した作品群。
事件や事故の内容が示されたキャプションを取り除いて、純粋に写真としてだけ提示する、というのが趣旨だという。
これは読み取る側(鑑賞者)に写真の意味を委ねるので、人それぞれ持つ感想が違ってくるだろうね。
自分の写真の解体の後は、メディアの解体を行ったということだろうか。
そして他人の写真を流用する、という手法はマルセル・デュシャンから始まる「レディ・メイド」を継承しているようにも思う。
ちなみに、「レディ・メイド」について説明しているwikipediaに次の文章があるんだけど。

レディ・メイドの根底にあるものは、美術的に無関心な領域において選択される「観念としての芸術」という考え方であり、マルセル・デュシャンによれば芸術作品において本質的なことは、それが美しいかどうかではなく、観る人の思考を促すかどうかということなのである。

非常に長い一文だけど(笑)、トーマス・ルフについての説明文にしても良い感じだよね!

トーマス・ルフの実験はまだまだ続いていく。
「zycles 2008—」は、まるでどこかのデパートの包装紙みたいだね、と3人で言い合う。
えっ、例えがおかしい?(笑)
3人が揃って同じ感想を持つ、ということはきっと70年代か80年代に見たことがある包装紙だと思うよ。(笑)
複数の曲線が自在にキャンバス上を揺らいでいる。
これは一体何を撮影してるんだろう?
美術館にあった説明文を原文のまま載せてみることにしよう。

イギリスの物理学者ジェームズ・クラーク・マクスウェル(1831一1879)の著した電磁気学の研究書に収められていた銅版画による電磁場の図版
<それは本来,美的対象としてつくられたものではなかったが,まるでミニマルアートや抽象的なドローイングのような繊細なカーブが描かれていた>
に触発されたルフは,こうした電磁場の線図が三次元に変換するとどのように見えるのかに関心を抱き,実験的に3Dプログラムを用いて数式をコンピューター上の三次元空間で再構成しはじめた。
こうした実験を経て,ルフはさまざまなサイクロイド曲線(円が同一線上を転がるとき,この円の円周上に固定された一点が描く曲線)を仮想の三次元空間に走らせて複雑な線形構造を描き,さらにこの仮想空間をニ次元に変換した後,色を加えク口ーズアップなどのマニピュレーションを施して力ンヴァス上に出力している。

この説明でスッキリできたよね!(うそ)
読んでいるうちに余計に分からなくなってしまったね。(笑)
3Dプログラムを使用して三次元空間で描いた後、二次元に変換する工程を実際に見てみたいよね。
百聞は一見に如かず。
そうしたら多少は理解できるかも?
それにしてもサイクロイド曲線やらマニピュレーションやら、難しいカタカナ多いなあ。(笑)

SNAKEPIPEとROCKHURRAHが大好きな万・霊じゃなくて(笑)、マン・レイやモホリ=ナギが制作していたフォトグラムを、トーマス・ルフも制作しているんだよね。
「Photogram(フォトグラム)2012—」は非常に美しい作品で、3人共お気に入りになってしまった!
「テキスタイルデザインみたい」
と感想を持ったのは友人M。
「スマホの待ち受け画面にしたい!」
と言ったのはSNAKEPIPE。
ROCKHURRAHは黙々と写真を撮りまくっていた。 (笑)
今回のトーマス・ルフ展は注意事項を守れば、撮影OKだったからね!

フォトグラムとは、印画紙の上に直接物を置いて、感光させる技法のことね。
トーマス・ルフは「コンピューター上のヴァーチャルな”暗室”で物体の配置と彩色を自在に操作し像をつくりあげている」らしい。
ヴァーチャルな暗室って何?(笑)
これもまた実際に制作過程を見てみたいよね!

トーマス・ルフは宇宙に対して子供の頃から興味を持っていたようで、宇宙をテーマにしたシリーズもいくつかあるんだよね。
そのうちの一つ「cassini 2008—」は、宇宙探査機cassiniが撮影した土星と衛星の写真を素材にした作品だという。

インターネット上で公開されている画像を加工して作品にしたということは、これもまた「レディ・メイド」なんだよね。
「zycles」シリーズと同じように、本来の目的である研究や探査のための写真や画像が、アートに変身するというのは面白いよね。

今年制作された作品として展示されていたのは、アメリカや日本の報道写真をスキャンして加工した「press++ 2015—」シリーズ。
これもまた「レディ・メイド」であり、更に写真を重ねて加工していく、ということでフォト・モンタージュでもあるわけだね。

読売新聞が保管していた写真を使用しているため、日本語が作品に写り込んでいるんだよね。
よくみると「読売資料館 43.6.22 保存」という日付印も押されているし。(笑)
恐らく昭和43年なんだろうね。
茨城の通信所には今でもこのパラボラアンテナあるんだろうか?
どこまでが読売新聞のリアルな写真なのか、よく分からなくなるね。
これもまた上述した「写真と現実の関係についての問い」なのかもしれないね?

「トーマス・ルフ展」は上で紹介したシリーズ以外にも、代表作とされる「Substrate 2001—」がある。
これは日本の漫画やアニメの画像を原型が分からなくなるまで加工した作品群。
意味を排除する、というのが目的のようだけど、作品はまるで抽象画!
カラフルな色彩が美しい。
説明を知る/知らないで観方が変化するのは面白かった。

他にも「nudes 1999—」「negatives 2014—」など、トーマス・ルフのシリーズが展示されている。
シリーズ毎にテーマが違うので、今回のような全貌を知る個展として鑑賞しなかったら同じアーティストの作品とは思えない程の多様性に富んでいる。
かなり見応えがある企画だったね!

トーマス・ルフを「写真家」、というのはちょっと違う気がした。
写真家であるとしても「ニュー写真家」(笑)とか「メディア・アート・フォトグラファー」(変?)とかね。
今までのいわゆる「写真家」とはまるで種類の異なるタイプだと思うし、写真はあくまでも表現の手段に過ぎないんだよね。
SNAKEPIPEはトーマス・ルフを現代アーティスト、と呼びたいと思う。

「レディ・メイド」「フォトグラム」「フォトモンタージュ」という、今まで使われてきた手法を、今風にナウくした作品群はとても楽しく鑑賞できた。
そしてやっぱりドイツのアートというのはバウハウスに代表されるように、無機的で構造的なんだなと改めて感じることができたよ!
きっとトーマス・ルフはこれからも温故知新、様々な実験を見せてくれるんだろうね!
「トーマス・ルフ展」行って良かったと思う。

時に忘れられた人々【24】小栗虫太郎 第2篇

【こんなシーンはないけどイメージ化してみたよ。陳腐】

ROCKHURRAH WROTE:

この「時に忘れられた人々」というシリーズ企画で小栗虫太郎について書いたのがすでに二年前の事。

「黒死館殺人事件」だけが虫太郎の魅力の全てではないし、他にも個人的に大好きな作品はあるんだが、それはまた別の機会に・・・。

などと書いた「別の機会」が二年後の今日というわけだ。
その間に熟考を重ねたわけではないし、たまたまなんだけど、喜んでスイスイと虫太郎について書けるほどの筆力がないというだけの話だね。
この話題に限らず、思いついてはみたものの、全然完成してないブログの下書きがいくつもあるのがROCKHURRAHの現状だ。
今さら言うのも何だが、遅いし格別気が利いてるわけでもないし、ものを書くのにすごく向いてないんじゃなかろうか? (笑)
書くことが決まりさえすれば結構ハイペースで一気に仕上げるSNAKEPIPEみたいになりたいよ。

小栗虫太郎について知らない人がこのブログの、この記事を読んでるかどうかは不明だけど、よくわからん人は前回の記事を読んでね。
関係ないが、なぜかウチの記事が知らぬ間に「NAVERまとめ」などというサイトに二つも掲載されていた。本人が知らないとは・・・。

まあこのように難解な奇書「黒死館殺人事件」は発表当時(昭和初期)の世間を仰天させた長編小説で、「殺人事件」などとタイトルについてる癖に一向にそれらしくない。
現実の事件や人間の動きはあまり描写される事なく、紙面の大半を探偵の法水麟太郎が衒学的知識のひけらかしで埋め尽くす・・・。
中学生くらいで読んで「何じゃこりゃ?」と唖然としたものだ。ペダントリーという言葉をここで初めて知ったよ。
しかしこのまやかしだらけ、何度読んでもスッキリしない大長編には中毒性が秘められていて、1980年代以降の言葉で言うならサブカルチャーやカルト的な魅力を持った作品ということになるだろうか。大マジメに書かれてはいるがバカミスの一種と言ってもいいくらい。

同時代には夢野久作の「ドグラ・マグラ」もあり、探偵小説の二大奇書と言っても差し支えないだろう。ちなみにWikipediaなどには中井英夫の「虚無への供物」を加えた三大奇書と書かれているが、時代も随分違うし無理やりだな、と個人的には思う。

小栗虫太郎は「黒死館殺人事件」みたいな作風のみの作家ではなく、他にも非常に変わった作品を遺している。今回、特集しようと思っているのがそのうちのひとつのジャンル「人外魔境シリーズ」だ。

これは探偵小説作家を数多く見出した雑誌「新青年」に1939年から1941年まで連載された短編集で、いわゆる秘境冒険小説の一種だ。秘境!魔境!

先日、NHKで放送された 「大アマゾン 最後の秘境」といった番組でも明らかな通り、この21世紀でも一般的に知られてない秘境が地球上にはまだ残されているらしい。
「人外魔境」が出た時代だったらもっと数多くの秘境、謎の場所が世界中にあったのは間違いないだろう。
もしかしたら今では観光地や世界遺産になってるようなところでも小栗虫太郎の時代には魔境だったかも知れないからね。

誰でもみんな、というわけじゃなかろうが、ROCKHURRAHは子供の頃から秘境だの未確認生物だのが大好きだった。文献を読み漁って研究するほどのディープなマニアにはならなかったが、TVのスペシャル番組とかでその手のがあると楽しみにしている(同時に裏切られる)ような少年だった。

そういう嗜好があったからこそ、この「人外魔境」に若年の頃から出会う事が出来た。
確かまだ小栗虫太郎を知る前に「少年キング」で連載されていたのを読んでて、後から虫太郎が原作だったと知ったように記憶する。水木しげるや桑田次郎などが漫画化した作品ね。この時代の少年漫画雑誌は探偵小説を元ネタにしたようなのが多くていい時代だったなあ。
その後も小栗虫太郎だけでなく久生十蘭の「地底獣国」や香山滋の「 オラン・ペンデクの復讐」など、文明世界とは違った場所で繰り広げられる小説は色々と探しまくって次から次へと読んでいた。
ROCKHURRAHの「ヒマがあれば古本屋か中古レコード屋巡り」という後年の趣味が確立したのがこの時代だったのは間違いない。

さて、前置きだの回想だのが長くて飽きてきたが「人外魔境」はそれぞれのタイトルと出てくる魔境のキャッチフレーズを読んでるだけで心が高揚してくるような魅力を持った小説だ。
虫太郎の魅力の多くは「ルビ付き漢字」の多用にあり、これが単にカタカナで書いた単語よりもずっとイマジネーションを刺激するのだ。しかしブログのようなWEBではルビ付けるのが結構面倒くさくなるので、その辺の魅力をうまく伝えられないのが残念。
全部挙げてたらキリがないけど、いくつか書いてみるか。

「有尾人(ホモ・コウダスツ)」
コンゴ北東部にある「悪魔の尿溜(M’lambuwezi)」が舞台。
大絶壁の下に広がる大湿林、上空を真っ黒に埋め尽くす蝿や蚊、毒虫の大群のため、歩きでも飛行機でもたどり着く事が出来ないというド秘境だ。恐ろしい。
ふとした事で人間に捕らえられた尻尾のある猿人ドドが発端となって、主人公たちが悪魔の尿溜を目指す話。誰も辿りつけないと言ってるのに割となりゆきで大掛かりな探検隊が編成されるのがすごい。
通常の冒険物だったらまあその話だけで一編モノに出来るけど、平凡を嫌い奇異を好む作家、虫太郎らしくそこには異常なロマンスもあり、聞いたことないような奇病もあり、よくぞこんな話を考えたな。「マックス、モン・アムール」などと呟きたくなる。

そう、この後に続く作品にも趣向を凝らした美女や変な女たちが次々と登場して、エンタテインメント性も忘れてないのが「人外魔境シリーズ」なのだ。
しかし世紀の発見と思える有尾人そのものについては案外ぞんざいな記述しかないので、うーむ、読者もわかったようなわからんような。

「天母峰(ハーモ・サムバ・チョウ)」
第三話であるこの作品から、シリーズ物の主人公である世界的な鳥獣採集人、折竹孫七が登場する。当時の日本人の誰も見たことないような新種、あるいは貴重な生物を発見して捕獲し、その道では世界的に有名らしい。
そして各国に出入り出来るという立場を利用して、実はアジアの奥地を秘密測量しているという裏の顔を持つ人物。スパイ的な活動もあるわけだ。
まさに第二次世界大戦が始まった頃の小説であるから、大東亜共栄圏の構想に基づいて書かれた日本の英雄が折竹孫七だったのだ。

規制が強かったからこの時代、探偵小説は書く事が難しくて、作家は時代劇に走ったりこのような冒険小説(多くは軍国主義寄り)に走ったり、反戦小説書いて捕まったり、岡山に疎開したり、色々と大変だったわけだな。

この話に出てくるのはチベットの巴顔喀喇(パイアンカラ)山脈にある「天母生上の雲湖(Lha mo Sambha cho)」。
4万フィートにも及ぶ大積乱雲に覆われていてどこにあるやらさっぱりわからんという現世の楽園らしい。毘沙門天の楽土がその頂にあるという。どうしたら行けるのだろう?教えて欲しい。ん、「ガンダーラ」の元祖みたいなもんか?
その謎の楽土を目指す折竹。
同行するのが山に登った事もない男と頭の足りないサーカス娘というすごいメンツだ。 小栗虫太郎は必ず意外性のある人物を無理やり話の中に登場されるという癖があるが、まさにそのアンバランスこそファンにとっての魅力。
乱歩の「鏡地獄」を流用したような描写まであり、両方のファンにとってはたまりませんな。
そこに行く目的も壮絶で「祖国をなくした人間がどこの地図にもない安住の地を求める」という、激動の時代だからこその理由だ。

作者(小栗虫太郎)の元を訪れた友達の折竹が冒険譚を語るという構成が多いが・・・しかしいきなり出てきた最初から折竹の秘密(スパイ的活動)を読者にばらしてしまうとは。とんでもなく口が軽いぞ、虫太郎。

「太平洋漏水孔(ダブツクウ)漂流記」
ニューギニア付近(?)の海にある「海の水の漏れる穴(Dabkku)」。
巨大な渦巻きの中心が陥没していて穴が開いてるように見える。
中にいくつか島があるが渦巻きのせいで行っても絶対に帰って来れない場所らしい。しかも温度が45℃もあるという。
うーん、暑さにとても弱いROCKHURRAHならずとも大抵の人間は行けるはずない。
この話は折竹が若い頃に出会った世にも奇妙な物語、という形式で語られる。

主人公は独逸ニューギニア拓殖会社(ドイッチェ・ノイ・ギネア・ゲゼルシャフト)というまるでDAF(Deutsch Amerikanische Freundschaft)のような名称の会社に勤めるドイツ人幹部、若くてお洒落との事だ。
趣味が高じてカヌーの長い旅から帰ってみると、何とニューギニアがドイツの占領下からオーストラリアの支配下に変わったという。
海の上にいる間に戦争が始まったというわけね。
周りみんな殺されてしまい、復讐のために敵国司令官の子供を誘拐。んがしかし、勘違いで司令官の子供の友達である日本人の子供を誘拐してしまう。あーあ。
そしてこれまた成り行きで、子供連れで日本を目指す大冒険の旅をする。
そしてまたありえないような身の上の少女まで登場し、三人で日本を目指すのだが。
「オジチャン、オチッコが出たいよ」
「黒死館殺人事件」で初めて知って、難解な小説を書くという先入観で読むと同じ作者とは思えない表現にビックリするね。そして想像するだけで怖い「島」。

この時代の話だから今では問題となるような差別描写も出てくるけど、大海原の小さな舟という密室で違った目的の人間が一緒にいる。この閉塞的なシチュエーションを考えだした虫太郎は素晴らしい、と初めて読んだ時は快哉を叫んだものだ。後のどんなパニック映画もこの域を超えてないと思えるからね。

「幽魂境(セル・ミク・シュア)」
グリーンランド中部高原の北緯75度あたりにある「冥路の国(Ser-mik-suah)」。
1万フィートの大氷河の中にあり、生身の人間が踏破出来る場所ではないと記述されている。死んだエスキモーが橇を駆って氷の涯に向かってゆくという神秘譚が語られる。
「死骸になってから行かされるなんて、おいらの種族はなんて手間がかかるだべえ(エスキモー、アル・ニン・ワの談話)」
そして先占問題(その土地を一番最初に見つけた国の所有権になる)までも絡めた壮大な話だ。その場所が何とグリーンランド(デンマーク領)の内部にあり、発見したのが折竹孫七だと言う。 つまりグリーンランドの内部に日本が先占宣言出来る土地があるというのが今回の話のポイントとなる。
で、今回もまた意外性ありすぎのメンツで冥路の国を目指す。
出てくるのは無疵のルチアーノ(ラッキー・ルチアーノ)、その情婦で魔窟組合の女王、牝鶏フロー(ニッキー・フロー)というニューヨークのギャングスター一味。
ヒロインはサーカスの怪力女、おのぶさんという大姉御だ。
第一話は猿人ドドだったが、ここでは鯨狼(アー・ペラー)という奇獣が出てくる。
何でこんな組み合わせでグリーンランド奥地?などと思ってては虫太郎ワールドにはついてゆけない。これを必然に変える強引な展開こそ虫太郎の素晴らしいところだね。

以上、4つだけピックアップしてみたが、未読の人にこのわけのわからない魅力が伝わっただろうか?

魔境冒険物とは言ってもハリウッド映画並みの大アクション・シーンや恐怖のクリーチャーを期待されても困るし、短編集なので部分的にはあらすじのようなサラッとした描写しかなかったりするのが物足りない感じはする。
これが「黒死館殺人事件」のように延々と描写されてたらそれも困るが、程よいヴォリュームだったらな、と残念に思うよ。
しかしこの小説が太平洋戦争突入直前に書かれた日本人のイマジネーションによる産物だと考えれば、その凄さが多少は理解出来るというものだ。
まさに珍しい漢字とルビの大伽藍。

80年代的に言えばこれだね。
元ゲルニカのメンバーだった大田螢一による「人外大魔境」というアルバムより。
と言ってもゲルニカのフロントは戸川純と上野耕路の二人だったんだけど。太田螢一はグニャグニャした不気味な絵柄のイラストでも有名だね。実写版「ドグラ・マグラ(松本俊夫監督)」のポスターとか描いてたな。そしてこちらは虫太郎。
ヒカシューの巻上公一や細野晴臣、鈴木慶一などと共に作ったグロテスクでイビツなニュー・ウェイブ歌謡がこれだ。
関係ないけど「フールズメイト(音楽雑誌)」の編集長だった故・北村昌士がやってたバンド、YBO²は「ドグラ・マグラ」という大傑作を出してたな。
二大異端作家、音楽で蘇る。
関係あるかどうか不明だが東京ロッカーズのS-KENも「魔都」などという久生十蘭みたいなタイトルの曲をやってて、異端探偵小説の大御所三人がこんな時代に出揃ったわけだ。

小栗虫太郎は「黒死館殺人事件」で得た「異常でとにかく変な、難しい小説を書く人」という固定観念を覆すべく、様々な作風の(これまたイビツではあるんだが)ものを書いてきた。
新伝奇小説と銘打った「二十世紀鉄仮面」や「青い鷺」などは江戸川乱歩における通俗物のように、探偵役が推理するだけでなく、実際に事件に巻き込まれてピンチになったり冒険したりする境地にも挑戦した。
「白蟻」や「潜航艇『鷹の城』」などは異常な舞台設定で起こるかなり奇妙なテイストを持った作品で虫太郎以外には書けないだろうというシロモノ。
そして秘境冒険小説の体裁を取ってはいるが何でもありの異常な世界「人外魔境」。

小栗虫太郎は三軒茶屋近くの太子堂をホームグラウンドにしてあまり出歩かなかったというような話を読んだ事があるが、この小説も何らかの文献で得た知識と自分の想像のみで書き進めたのだろうか。
実際にそんな場所(「人外魔境」の舞台になった土地)にそんな魔境があったのか?
これを今の情報量で考証するほどのヒマがROCKHURRAHにないからわからないが、かなりの大ぼらが混じった幻想の中の魔境なんだろうと想像する。
それは現実よりもずっと魅惑的な世界なので、このままでいいんだと思うよ。
魔境も神秘もずっといつまでもこの世にあり続けて欲しいからね。

さて、第3篇があるのかどうか?それは何年後なのか?
それではまた、Kwa heri.(スワヒリ語でさようなら)。

映画の殿 第22号 ハッピーボイス・キラー

【本物の首はどれだ?】

SNAKEPIPE WROTE:

通勤時間に読書をするのが習慣である。
活字中毒とまではいかないけれど、「ここ」ではない別の世界に身を置くことで不快な時間をやり過ごしたいから、かもしれない。
最近は「どうしても」の場合を除いて、ほとんどはスマートフォンに入れた電子書籍を読んでいる。
どうしてもの場合というのは、書籍でしか手に入らない本ってことね。
近年出版された本は電子書籍化されているようだけど、過去の作品に関しては本の形でしか読めないからね。
もちろん過去の作品でも電子書籍化されているものもある。
例えば敬愛する江戸川乱歩の作品とか、ね。(笑)

代表作はほとんど読んでいるはずだけれど、短編小説の中には忘れている作品もあり、再読して益々ファンになっているSNAKEPIPE。
先日読んだ「白昼夢」(1925年)は、乱歩の初期の作品である。
浮気癖のある妻を殺し屍蝋にして、「これでもう妻は私だけのものだ」と満足気な様子で語る男。
そしてその屍蝋にした妻をショーウィンドウに飾っている、と告白するのである。
その後の乱歩の作品に度々登場する、死体をマネキンのように展示する手法の始まりが「白昼夢」だったのかもしれないね?
1925年にこんな作品を完成させているとは!
さすが、乱歩だよね!(笑)

「白昼夢」を連想した映画が「ハッピーボイス・キラー」(原題:The Voices 2014年)である。
イラン出身のマルジャン・サトラピという女流監督の作品である。
フランスで活動しているバンド・デシネ(漫画)の作家でもあり、自身の作品をアニメ化した作品も監督しているようだね。

ジェリー・ヒックファンはバスタブ工場に勤める、風変わりな青年。
しゃべるペットの犬と猫に唆されながら、裁判所が任命した精神科医ウォーレン博士の助けを借り、真っ当な道を歩もうとしている。
彼は職場で気になっている女性フィオナに接近する。
だがその関係は、彼女がデートをすっぽかしたことをきっかけに、突如殺人事件へと発展してしまう。

オフィシャルサイトからあらすじを転用させてもらったよ。
シリアルキラーになってしまう、主人公の頭の中を映像化しているところがポイントなんだよね。
映画のキャッチコピーが「キュートでポップで首チョンパ!」なのは、その映像部分を表現しているからだろうね。

主人公・ジェリーを演じたのはライアン・レイノルズ。
精神科医の治療を受けているシーンで、ジェリーには何か問題があることが分かる。
映画の途中でトラウマになる幼少期の出来事が出てくるまでは、何が原因で「声」が聞こえてしまうのか不明なんだよね。
そう、ジェリーには他人には聞こえない「声」が聞こえてしまうのである。

聞こえるだけではなく、会話も成立しているんだよね。
一緒に暮らしている猫のMr.ウィスカーズと犬のボスコが人間の言葉を喋るのである。
邪悪な道へ導こうとするMr.ウィスカーズに対して、人道的な道を説くボスコ。
その2人(2匹?)と会話しながら、次々と殺人に手を染めてしまうジェリー。
精神科医から処方された薬を服用した途端、Mr.ウィスカーズとボスコと会話ができなくなってしまう。
つまり、薬が効くと妄想の世界から追い出されてしまうってことなんだよね。
精神科医からは絶対服用を言いつけられているけれど、妄想世界のほうが楽しい!と服用を拒否するジェリー。
ボスコとMr.ウィスカーズの声が聞こえなくなると、SNAKEPIPEも寂しくなってしまった。
いつも「動物と会話できたらどんなに楽しいだろう」と考えているので、その夢が映画の中で叶っているからね。(笑)
SNAKEPIPEも妄想の世界に浸りたいタイプなのかも?

あらすじに出てきた気になる同僚・フィオナを演じたのがジェマ・アータートン。
イギリスから来た美人という設定で、社内では憧れの的といったところ。
ジェリーがアタックして来るのを、かなりバカにした様子で無視している。
はずみで殺人事件に発展したけれど、恐らくジェリーの内心では怒り心頭だったはずだよ。
ジェリーの味方をするわけじゃないけど、フィオナの態度にも問題あるな、と感じたからね。

現実のフィオナとはうまくいかなかったけれど、フィオナの同僚・リサとはかなり良い感じになっていたジェリー。
リサを演じていたのはアナ・ケンドリック。
そのままジェリーにも幸福が訪れてくれたら、と願っていたけれど…。
なかなかうまくはいかないものだね。
親切心が徒となってしまった。
リサもフィオナと同じ運命に。ゴーン。(合掌)

そして「キュートでポップで首チョンパ!」な場面がこれ!
自分が殺して冷蔵庫に保管(?)している首が生き生きと、笑いながら喋るところなんだよね。
前述したように、映画の大半はジェリーが見えた状態、妄想の世界を映像化しているからね。
猟奇殺人なのにポップ、というアンビバレントが発生する仕組みなのよね。
はっ、またアンビバレントなんて使ってるよ。(笑)

正気を失った人の頭の中を覗く映画で思い出すのは、ターセム・シン監督の「ザ・セル」(原題:The Cell 2000年)かな。
あの映画も映像美が素晴らしかったなあ!
また鑑賞してみよう。(笑)
「ハッピーボイス・キラー」は主人公の脳内映像の映像化に加えて、どうしてシリアルキラーになってしまったのか、というプロセスも描いているのが興味深い。
映画の殿 第2号」で特集したシンディ・シャーマン監督作品「オフィスキラー」も、死体を集めて自分だけの世界を作る話だったね。
主題は似ているけれど、「ハッピーボイス・キラー 」の残忍なのに明るい映像、というのは新しい感じがする。

先日鑑賞した「シリアルキラー展」以来、なるべくシリアルキラー関連の映画を観るようにしているROCKHURRAH RECORDS。(←変?)
そんな映画の中でも、邪悪というよりは明るい「ハッピーボイス・キラー」は異色作だろうね。
机に乗せた首に食べさせているのはシリアル。
シリアルキラーにかけてるんだね!
喋る首に向かって「殺してごめんね!」だし。(笑)

マルジャン・サトラピ監督は、もしかしたらSNAKEPIPEと同じようにデヴィッド・リンチ監督やジョン・ウォーターズ監督のファンなのかな?
リンチの作品にも登場するようなダンスシーン(例えばインランド・エンパイア)が、「ハッピーボイス・キラー」にもあるんだよね。
被害者と加害者が楽しそうに歌い踊るなんて驚きだし、しかも唐突に始まるのには腰を抜かすほど。(大袈裟)

リンチやジョン・ウォーターズが愛する時代、50’s(フィフティーズ)要素満載なのもこの映画の特徴なので、余計に2人の監督の影響を感じてしまうね。
ジェリーが住んでいるのはボーリング場の2階。
50年代にはボーリングが盛んだったらしいからね。
一緒に観ていたROCKHURRAHが「羨ましい」と言う。
ガランとした広い場所で、隣近所に誰もいない環境は確かに憧れちゃうね!(笑)
車じゃないと行かれないような場所、というのも犯行に適していたんだろうね。
ジェリーが会社で着ていた「つなぎ」のピンク色も、いかにも50’sのカラーだし。
劇中で流れる音楽も50年代っぽかったしね。
マルジャン・サトラピ監督はイラン出身でフランスで活動しているのに、アメリカの50’sっぽい、というのが不思議。(笑)

愛する人を殺して、ずっと自分だけの物にしておくという点が乱歩の「白昼夢」と「ハッピーボイス・キラー」の共通項かな。
そしてどちらの殺人者も、事件後とても幸せそうだったのが印象的なんだよね。
きっと「ハッピーボイス・キラー」の映像のように、妄想世界に生きているからだろうね。
もし乱歩が「ハッピーボイス・キラー」を鑑賞したら、どんな感想を持つだろう、と想像すると楽しくなる。
もしや、これも妄想世界か?(笑)