
【本編で書かなかった三宅一生×ウルトラヴォックスのサントリーCM。高須院長じゃないよ】
ROCKHURRAH WROTE:
ここ数年間はすっかりご無沙汰となってしまったROCKHURRAHのブログ記事だが、実に久々に書いてみようと思う。
書けなくなった原因のひとつは、日曜日に更新するために記事を書く時間が土曜日の短い時間しかないということに尽きるね。
速く文章を書ける能力がないのは前々からわかってたけど、最近は前のように休み前に夜ふかしして、みたいな習慣がなくなったから、余計に集中する時間がない・・・というのが言い訳なのも自覚してるよ。
さて、実に久々な割には、熟考した末の記事になるとは全く思えないくらいに軽くなると、自分でも予想出来るね。
タイトルにある通り、お題は80年代のニュー・ウェイブ・バンドが使われたTVのコマーシャル特集、という誰もがやりそうな内容。
CMに使われるからには比較的知名度の高い音楽に限られるから、ROCKHURRAHなんかの出る幕じゃないよな。
しかも探してみると昔はあんなにあったと記憶してるのに、今ではちゃんとしたCMの映像なんてかなり少ないのが現状なんだよな。 YouTubeの動画を検索してもネットで検索しても「あんな有名なCMが何ですぐに出てこないの?」というくらいに時代が全然変わってしまってることが悲しくなってしまったよ。
80年代のサントリーやホンダとかのCMソングはニュー・ウェイブを割とたくさん使ってたと記憶してるのに、探しても出てこないのがたくさんあったから当初の予定とは大幅に変わってしまった。
パンクやニュー・ウェイブ真っ只中で育った世代としてはこんな現在や未来のことこそNo Futureと思ってしまうよ(大げさ)。
時間もあまりないので無駄な前置きもこの辺にして先を急ごう。

80年代のTV CMの傾向として・・・などと分析してみたわけじゃないが、今の時代のCMと比べるとシンプルなキャッチコピーと映像のみというパターンが多いという気がするよ。
ネット検索もまだない時代だから「今のCMカッコ良かったけど何?」みたいな漠然と心に引っかかるような類いで、また同じCMが流れると短い秒数で注視する。
そういう印象に残る戦略がうまいCMの方が80年代を経験した人にとっては記憶に残ってるんじゃないだろうか。
誰でもそうとは限らないけど、ROCKHURRAHの周りはパンクやニュー・ウェイブな音楽と洋服のデザインやアパレル関係者の交友がほとんどだったから、そういうところで話題になるのはやっぱりニュー・ウェイブな音楽が使われたCMばかりだった。
まずは80年代初頭に花開いたニュー・ロマンティックという潮流の代名詞とも言えるこれ、ヴィサージのスティーブ・ストレンジ本人が登場して話題となったTDKビデオ・テープのCMから。
15秒で横から正面を向くというだけの割とどうでもいい映像で、本人が出てるという以外には特に凝ったところもない。
CM特集の最初がいきなりこれじゃ「80年代CMはカッコ良かったんだよ」などと言っても信じてはもらえないだろうな。
ただ、時代の寵児とまではいかなくても、最初は先鋭的だった英国ニュー・ウェイブのアーティストが日本のお茶の間で見ることが出来る、という点で意義があったんじゃなかろうか。
70年代ロックの時代にグラム・ロックがあったように、80年代にもニュー・ロマンティックと呼ばれていたムーブメントなのか何なのかよくわからない潮流があり、見た目の派手さが子供やシロウトにもわかりやすかったので大いに流行ったもんだ。
多くの人は知ってると思うが、ニュー・ロマンティックは音楽のジャンルではなくて主に見た目に対しての呼び方みたいなものだった。
やってることはグラムの時代と同じようなもので、化粧して着飾ったバンド達の多くをニュー・ロマンティック扱いにするのがこの時代のメディアでは当たり前に行われていた。
やってる音楽ジャンルを超越してニュー・ロマンティック扱いで一括りにされていたという大雑把なもんだったな。
だから代表的ないくつかのバンドでも音楽性はマチマチ、その辺が同時代のポジパンよりは自由度が高かったと言えるだろう。
アダム&ジ・アンツとヴィサージじゃ随分印象も違うからね。
スティーブ・ストレンジによるヴィサージがデビューしたのが1979年で、これがニュー・ロマンティックの始まりの年とされる。
ヴィサージを始める前からビリーズ、ブリッツ(赤坂ではない)という有名クラブのイベントで、たくさんのオシャレ人間を集めてきたのがスティーブ・ストレンジとリッチ・キッズやスキッズのドラマーでもあったラスティ・イーガンだった。
日本でもロンドンナイトとか特定の人々を集めるイベントはあったけど、この2人がやってたのはデヴィッド・ボウイやロキシー・ミュージックなどグラムロックの先達をフィーチャーしたような音楽とファッションの宴だったようで、この辺になるとさすがに実際に行って体験したわけでもないから、想像の域を超えないよ。
スティーブ・ストレンジはその頃から仮装パーティそのもののようなキメッキメの衣装を着て、どの芸能人よりも目立ってたのはわかるが、当時のラスティ・イーガンはパーマのかかったリーゼントみたいな髪型。
リッチ・キッズやスキッズの頃からのトレードマークだったようで、どちらかというとヤンキー顔にしか見えなかったが、おしゃれな人気DJだったなどと書かれているのを読むと「?」と思ってしまうよ。
そんな2人が豊富な人脈で集めたのがヴィサージのメンバーというわけなんだろう。
ヴィサージの実体はマガジン(ジョン・マクガフ、デイヴ・フォーミュラ、バリー・アダムソン)やウルトラヴォックス(ミッジ・ユーロ、ビリー・カーリィ、ロビン・サイモン)、リッチ・キッズ(ミッジ・ユーロ、ラスティ・イーガン)という錚々たるミュージシャンが集まって出来たレコード制作、スタジオでの活動しか(おそらく)してない限定的な音楽ユニットだったようだ。
彼らが本拠地としてたブリッツ前での記念写真がこれね。
上記のメンバーほぼ全てがここに集ってるな。
音楽番組などに登場する時は大抵スティーブ・ストレンジと女性ダンサー2人のみしか出演しない、後ろはカラオケというスタイルでやってたような記憶がある。
音楽とファッションやアートなどの融合はパンク以前から一部ではあったにしても、大々的にファッション=ライフスタイルに特化したのはスティーブ・ストレンジが初めてだったんじゃないかな?と思うよ。
アントニー・プライスの衣装がこれほど映えるイメージ戦略は他にないように感じる。
だからこそのニュー・ロマンティックの代表なんだろうな。
ヴィサージはデビューした時から聴いていて「Fade To Grey」や「Tar」などは好きだったが、このCMに使われている「Night Train」はみんなが大好きで聴いてた1stアルバムではなく1982年の2ndアルバムからの曲。
前にこの記事でも書いてたな。
その時も書いてたがこのCMの部分があんなダンス・ナンバーのサビ(間奏?)の部分だけだったとはレコードで聴くまで知らなかったよ。
通販でもう売ってしまったが、ちゃんと日本盤シングル持ってて「TDKビデオテープCF使用曲」と明記してある。
下のビデオがフル・ヴァージョンね。

前にも色々書いたがROCKHURRAHの青春時代はカセットテープ全盛時代で、レコードをそのまま全部聴くよりも、好きなバンドの好きな曲をコンピレーションしてレコードから録音するという行為が何よりも好きだった。
録音には何よりもこだわってて、ライン録りする時の音量レベルが同じくらいにならないと気がすまない。
音量を均一化するノーマライズなんてアナログ録音にはなかったから、リアルタイムな手作業で気を使っていたものよ。
別に機材や音質にこだわってたわけじゃなくて、曲順や曲のつなぎ、音量が一定でありさえすれば良かったので、いわゆるオーディオ・マニアとは程遠いね。
カセットテープにもこだわっていて、ソニーやTDK、マクセルにBASFとか様々なものを試していたな。
ちょっと高価なクローム・テープとかも含めて部屋の中に山ほどカセットテープの在庫があったもんだ。
これまた音質にこだわって、じゃなくて何となくのデザインとか曲目を書くところがいっぱいあるかどうか、とか変な部分のこだわりね。
この時代は手書きで曲目やアーティスト名を書き込んでたんだけど「最後の数曲、書き込むスペースがない!」なんてことになったら今までやってきた録音の苦労まで台無しになるような失望感(大げさ)を味わっていたよ。
もしかしてちょっとバカなんじゃない?と思えるほど。
時代がもう少し後になって、パソコンとか買うよりもずっと前にワープロ買ったのも、自慢のコンピレーション・カセットテープのレーベルを作ったり、解説まで書いた小冊子を作って友達にプレゼントしたり、そういうのが一番の目的だったな。
そこまで妙なこだわりを持ってたくせにビデオテープには特に何のこだわりもなかったのが不思議。
ヴィサージがCMやってたからTDKの良いグレードのテープを買ったりはしてなかったなあ。
映像と言うよりは音楽が主な趣味だったんだろうな。

こっちは同じ2ndアルバムに収録の「Whispers」、この曲もCMに使われててどうやら日本盤だけのリリースしかされてないようだ。
たかが少しの期間だけ流すようなCMで2曲もシングル化するとはポリドールも太っ腹。
日本で売りたくて仕方なかったほどヴィサージ推しだったのかね?
映画「去年マリエンバートで」と全く同じロケ地を使っての撮影で力が入ってるね。
ミュンヘンにある宮殿だそうだから、行って撮りさえすりゃ絵にはなるだろうけど、企画が通って実際に手配したりの数々の面倒なことを考えると、作った人々の熱意に頭が下がるよ。。
このCMが日本のみなのか海外でもTDKのビデオテープのCMやってたのかは不明だが、この時代のCMは本当に「たかがCM」じゃないんだよな。

次はとっても有名なCMソングとして君臨するカルチャー・クラブの「Mystery Boy(1982)」だ。
カルチャー・クラブもニュー・ロマンティックとされるムーブメントの中で出てきたバンドだったが、ブリッツというクラブ出身としては最も大成したバンドのひとつだったな。
別にブリッツに出入りしてたわけじゃないから他に誰がいたかハッキリわからんが。
ボーイ・ジョージがカルチャー・クラブでデビューする前、1979年当時の写真がこれだけど、こういうパンクな見た目だった時もあったんだね。
ニュー・ロマンティックの括りに入るバンドの多くが、エレポップ、シンセポップというシンセサイザーを多めに使った無機的な音楽を取り入れていたが、カルチャー・クラブはレゲエやブラック・ミュージックのテイストも取り入れてて、そこがボーイ・ジョージの優しい歌声とマッチしてて個性を出していた。
ファッション的にもこの時代を象徴する存在だったもんね。
スティーブ・ストレンジと比べて派手さでは負けてなかったけど、ボーイ・ジョージ風の方が髪型とメイクで何とかなるし、服装もそこまで高価そうではない、ということで庶民でも真似がしやすいという点も人気の秘訣だったかも。
イギリスは世界の他の国よりは開けていたとは言っても、人種的な差別や性的マイノリティなどの問題をまだ大っぴらに唱える事が出来ないような微妙な時代。
そういうところに真っ向から戦うというよりはこういう切り口で異を唱えるという姿勢なども評価されてるけど、ROCKHURRAHは音楽にあまりその手の語り方をしたくない姿勢なので、この辺の事は誰か他の語り手に任せるよ。
ただ軽薄で薄っぺらいみたいに一律に語られてるような80年代ニュー・ウェイブでも、社会を微動させるくらいの何らかの気概は持っていたということだね(いいかげん)。
ROCKHURRAHはカルチャー・クラブのアルバムは一度も買ったことないけど、この「ミステリー・ボーイ」の日本盤シングルだけは小倉(北九州)の松田楽器(80年代当時)で買ったのを覚えてる。
この頃は好き嫌いとか抜きにして、ニュー・ウェイブっぽいシングルだったらかなり何でも買ってたもんな。
この当時の福岡、天神に行けば輸入盤レコードが手に入ったけど、小倉は駅前にプレハブ小屋みたいな輸入盤屋しかなかったから、文化面でかなりの差があった。
それでもROCKHURRAHは無理して福岡までレコード買いに行ってたけど、地元じゃ大したのは手に入らなかったから、屈辱的ではあるが日本盤でリリースされたレコードで情報収集をしてたというわけだ。
このすぐ後くらいにはやっと上京して東北沢や世田谷代田に住んで、好きな輸入盤屋巡りも出来たんだけど、今度はレコード買う金もないくらいにしばらくは極貧暮らしをしてたもんだ。
この曲が日本でだけリリースなのかはハッキリ知らないが、彼らのデビュー・アルバムの日本盤にはこの曲が収録されていて、英国盤には収録されていない。
たぶんイギリスではあまり知られてなかった曲なのかもね、名曲だけど。
このCMはカルチャー・クラブの曲が使われただけで、ヴィサージのように出演してたわけではない。
タカラCANチューハイなら本人が出演するCMがあったんだけど、そんなにファンでもなくて書ける逸話もないからこっちの方にしたよ。
「火がある、人がいる。」というキャッチコピーで、ダブルサイズ5340円で売られてたらしいサントリー・オールドのウィスキー。
そんな高かったっけ?と思ってしまうよ。
個人的には金を出して買ったのは1回くらいで、実家にいる時は親が御歳暮で貰ったのを勝手に飲んでたもんだ。
この時代の居酒屋、パブなどと言われてた店に行くとボトルキープとかでオールドやホワイトは定番だったけど、カッコつけて当時ではあまり知られてない酒やカクテルを頼んだり、愚かな若者だったなあ。
ちなみに今回のと同じ時代くらいのサントリーのCMで「水がある、氷がある」という夏ヴァージョンのキャッチコピーがあり、そのCM音楽をやったエレクトリック・ギターズの「Beat Me Hollow(アイスでビートタイム)」というのを特集しようと思ってたんだが、このCMがどうしても見つからず、仕方なくメジャーなカルチャー・クラブの方にしたという知られざる経緯があったのだ。

お次もサントリーのCMなんだが、実はROCKHURRAHはその商品もCMも見たことがないという代物。
1983年に発売されたQという名前のウィスキーで、曲はデュラン・デュランの大ヒット曲「Is There Something I Should Know?」。
日本では1行目の歌詞を取って「プリーズ・テル・ミー・ナウ」という邦題がついてるが原題はスラッと言えないもんな。
ROCKHURRAHもこのタイトルでしか知らなかったよ。
上に書いたニュー・ロマンティックの最大のスターであるデュラン・デュラン本人たちが出演してるというのが驚き。
しかも首だけ大きな操り人形風の演出で人形たち相手にライブを行なっているという映像。
途中で「Q」という合いの手みたいなのが入るがもちろん原曲にはないCMだけのアレンジ。
デヴィッド・リンチが監督したデュラン・デュランの「アンステージド」というライブ映画をだいぶ昔にSNAKEPIPEと観に行って、そこでバンドのイメージとは大きく離れた、ぬいぐるみが歌の間に突然出てくるという変な演出を見て笑ってしまったけど、本人たちは案外カッコつけてるよりはこういうお茶目なのが好きなのかもね。
1978年に結成して81年にデビューしたデュラン・デュランはアーティフィシャルなヴィサージのイメージとは違った、ちゃんとした演奏力を持ったバンドとしての形態でニュー・ロマンティックの中心的な存在、大スターとなった印象があるな。
彼らはロンドンとリヴァプールのちょうど中間地点になるバーミンガム出身で、結成からレコード・デビューするまでに時間がかかった事から、勝手に割と苦労人の集まりじゃなかろうかと推測するけど、実際はどうなんだろうか?
実績のあるミュージシャンのサポートを得て、すぐにニュー・ロマンティック界のスターとなったヴィサージに比べると紆余曲折があったわけだが、初期の頃はメンバーの入れ替わりが激しく、みんなが知ってるメンバーになるまでに2年を要しているんだね。
公式デビュー前には後にTin Tin、ライラック・タイムで知名度を得るスティーブン・ダフィもヴォーカリストとして在籍していたらしいが、当たり前だがその後のデュラン・デュランとは違ったもの。
個人的には後のヴォーカリスト、サイモン・ル・ボンと比べると見た目はスティーブン・ダフィの方が良かったとは思うけど、デュラン・デュランの曲をもし歌ってたら?と思うとやっぱりしっくりはこないという気がする。
結果としてサイモン・ル・ボンに決めて良かったね。
デビュー後の快進撃は誰もが知る通り。
ROCKHURRAHはデュラン・デュランを自分で買ったことはないが、彼らの1stアルバムは兄が友達から借りたのを返さないままずっと実家にあったので、我が物のように扱っていた事を思い出す。
だから「Girls On Film」や「Planet Earth」などの初期の曲だけがROCKHURRAHにおけるデュラン・デュランの印象であり、後の時代にヒットしたからもちろん知ってる曲もあるが、確かにニュー・ウェイブを感じたのはこの1stのみだった。
だからデュラン・デュランに対しての思い出とかも特にはないんだけど、またまた北九州の小倉での事を思い出してしまった。
パンクやニュー・ウェイブに目覚めてしまったROCKHURRAHは、勉強しなかったからなのか素養がなかったからなのかわからないが、大学受験に落ちて予備校通いをしていた。
とは言っても勉強してたわけではなく、この記事「昔の名前で出ています、か?(其の四)」にも書いたような生活をしてただけ。
スクーターに乗ってたから、機動力は今この歳になるまでを含めてこの頃が最大だったという気がする。
予備校の近くに定食屋があって、そこで3人と意気投合して、ROCKHURRAHを加えた4人組でよく行動を共にしていたもんだ。
ROCKHURRAHがPILのTシャツを着てたのに声をかけてきた隣の席の男とその仲間たち、という感じがきっかけで音楽の話をするようになったのだ。
共通点は服装の好みが似ていた事とみんなニュー・ウェイブが好きだったという点だった。
上のリンク先の記事にある通り、魚町の中にあったコーヒー・オオニシも4人のたまり場にしてて、ROCKHURRAHはそこでバイトをして店の終焉にも立ち会った当事者でもある。
ROCKHURRAHの青春(小倉編)のピークがこの頃だったな。
4人組の一番年下だったW井とは特に2人だけでつるんでたし、ニュー・ウェイブのレコードを貸し借りしたり、この子の家に泊まって大学受験も行ったもんだ。
彼はベースを弾いてるらしかったので、ベースのカッコいいニュー・ウェイブとしてウルトラヴォックス(「Slow Motion」の頃)やデュラン・デュランがお気に入りで、ROCKHURRAHはストラングラーズやマガジンを教えたりしていたな。
あまりマイナーなものは受け付けてくれなかったから弟子にはならなかったけど。
オオニシで働いてた全く笑わない愛想のないウェイトレスがいたんだけど、その人のお姉さんが有線のリクエスト受け付けをやってたからしょっちゅう上記のバンドなどをリクエストしてたのも思い出す。
お姉さんはとても愛想良かったけど、店には一度も来なかったから声だけの人。
ROCKHURRAHは高校からの友達も何人か同じ予備校に通っていたし、予備校で知り合った田川や行橋の不良どもともつるんでたんだが、趣味が近い3人の方とより親しくなってしまったから、その辺の友達変遷はデュラン・デュランの初期メンバー並みにかなり激しかったな。
結局はみんなその場限りの友達で、その後ずっと付き合いをしてるような友達もいないし、ROCKHURRAHは人との付き合いがいつも希薄だから、友達と言える友達もいない人生なんだろうな。
関係ないが上の一文の中に友達という言葉を4回も使ってしまった。
実に久しぶりのブログだが文章が破綻してるところだけは健在だな。
というわけでデュラン・デュランについて特に語ることもなかったので、字数だけは稼げたが、どうでもいい個人的な話ばかりになってしまったよ。
長くなってしまったので今日のCM編は一旦ここで終わりにしよう。
続きは当然やらないといけないけど、果たして書けるんだろうか?
自分で不安になってしまうよ。
それではこれにて罷り申します(古文で別れの謙譲語)

























