映画の殿 第81号 宮廷女官チャングムの誓い編 part30


【チャングムのアニメ版?】

SNAKEPIPE WROTE: 

2025年9月に書いた「映画の殿 第76号 トンイ編」は、話数の長さのため鑑賞するのをためらっていたけれど、観始めると夢中になったドラマだった。
「太陽を抱く月」「秘密の扉」「恋慕」などのドラマと同じく朝鮮王朝が舞台で、きらびやかな衣装だったり身分制度や習慣についても知っている世界観だしね!

「トンイ」の監督イ・ビョンフンが、以前に手がけたドラマがU-NEXTで観られることが分かり嬉しくなる。
宮廷女官チャングムの誓い(原題:대장금 2003年)」は、当時の韓国はもちろんのこと日本を含む各国で大人気だったドラマだという。
2003年って今から20年以上も前だよ!(笑)
新しいドラマが次々と配信されている今、そんなに昔のドラマを鑑賞するのはどうかと思いつつ鑑賞する。
「トンイ」が面白かったので、54話の「チャングム」も、すんなり観てしまうに違いないよ。(笑)
あらすじとトレイラーを紹介しよう。

厳しい身分制度の時代に不幸な家庭環境に生まれた主人公チャングム(長今)が、シリーズ前半は宮廷料理人として、後半は女医として活躍し、「大長今(偉大なるチャングム)」の称号をもらうまでの波乱の半生を娯楽性豊かに描いた作品。(テレビ愛知より)

 

 

長いドラマの割にはあっさりしたあらすじだよね。
「トンイ」の時ろ同じテレビ愛知から引用させてもらったよ。
低い身分から成り上がっていく下剋上ストーリーは「トンイ」と似た感じだね。
※ネタバレしている可能性がありますので未鑑賞の方はご注意ください

主人公チャングムを演じているのは、イ・ヨンエ。
先日「調査官ク・ギョンイ」で観たばかりの女優だね。
「チャングム」の時、32歳くらい?
もっと若い時のドラマだと思っていたので、意外だよ。
チャングムは苦労しながらも、前向きで清廉潔白、努力を惜しまないタイプ。
最初は料理を学び、後には医学を習得する才女なんだよね。
聖人と呼ばれても良いほど、非の打ち所がない。
恨みを晴らすことが目的で始めた勉強も、いつの間にか恨みよりも人助けに重きを置いてしまうほど。
チャングムのイメージを持ったイ・ヨンエが大人気女優になるのも納得。
日本の女優なら吉永小百合の印象が近いかもしれないね。

「トンイ」の時と同じように、「チャングム」も子供時代から話が始まっているんだよね。
画像は少女時代のチャングム。
「チャングム」の子役で驚いたのはセリフの長さ!
暗記した役職名を口頭で答えるテストの時、この子供が本当に覚えて「そらんじて」いたんだよね。
これは大人でも難しかったはずだよ。
そんなに賢い子供なのに、ある一言を発してしまったせいで運命が変わってしまう。
チャングムは一生後悔したに違いないね。

チャングムの母親と父親。
母親は元水刺間の女官、父親は内禁衛の武官だった人物。
宮廷に上がった女性は、全て王様の物となっていることを初めて知ったよ。
そのため宮廷にいる女性は全員未婚者で、王様との間以外に子供を授かることはあり得ないことなんだね。
チャングムの母親と父親は、宮廷を出てから知り合って夫婦になっているため、チャングムが生まれている。
両親が何故宮廷を出ることになったのか、はドラマの肝なので言及しないでおこう。(笑)

「トンイ」の時に王様だったチ・ジニは、「チャングム」では文武両道の内禁衛従事官を演じている。
今でもつい「チョナー」と呼んでしまうね。(笑)
優しさのある正義の人だけれど、堅苦しくなく融通が利くタイプ。
身分の違いなども気にせず、誰とでも親しく接することができる良い人なんだよね。
自らの危険を顧みず、チャングムの応援をする。
「チャングム」は勧善懲悪ドラマなので、良い人はずっと良い人なんだよね。
チ・ジニはこの役も似合っていたよ。
馬に乗って疾走するシーンも、本人が実際に乗馬していたようでびっくり。
韓国人俳優の多芸には、いつも驚かされるよ!

水剌間のハン尚宮は、韓国でドラマが放映された時に大人気だったため、急遽ドラマが延長されたんだとか。
ハン尚宮は凛とした雰囲気を持ち、仕事に厳しいけれど、心の内には優しさがある女性。
芯の通ったブレない態度に憧れる視聴者が多かったんだろうね。
チャングムと縁があったことが分かった時、2人が駆け寄るシーンは感動的だったよ!
水剌間とは「スラッカン」と読み、王族の食事を支度する部署のこと。
実際の水剌間は男性がメインで仕事をしていたらしいので、「チャングム」での水剌間は脚色されていたみたいだよ。
水剌間でのシーンでは様々な料理が登場して、朝鮮王朝がバラエティ豊かで、贅沢な食事をしていたことが分かるよ。
美味しそうな料理がたくさんあって、食べてみたくなるね。(笑)

チャングムの母やハン尚宮と同期のチェ尚宮は、悪役キャラだよ!
先にも書いたように「チャングム」は勧善懲悪なので、悪人は完全に悪人なの。(笑)
憎々しげな表情を浮かべ、悪事に手を染める。
悪人というのは、どうしてこんなに知恵が回るのか不思議なほどだよ。(笑)
水剌間での地位だけではなく、悪知恵と財力で一族を守り抜こうとする態度はあっぱれ!
演じていたキョン・ミリは、この後どんな役をやっても「あの悪い女」と言われてしまうだろうね。
強烈な印象を残す役どころだったよ!

チェ尚宮の姪で、子供の頃から料理の天才と言われた水剌間の女官クミョン。
少女時代はチャングムに対して、料理について教えるほど親切だった。
料理を担当する頃になると、あらゆる点でチャングムがライバルになってしまい、少女時代とは違う態度を取るようになる。
女官になりたくなかったクミョンだけれど、チェ一族に生まれてしまった不運により、性格まで変わってしまう。
財力のある家柄に生まれても、幸せとは程遠い人生を歩まざるを得なかったクミョンがかわいそうだったよ。

チャングムの養父母は、夫婦漫才を見ているようで面白かった。
頭の回転が速くお金儲けに目がない養母と、お人好しで宮廷の熟手(料理人)の養父なんだよね。
怒鳴り散らす養母も実は心優しい人物で、孤児になった少女チャングムを哀れに思い育てることにする。
養父母には息子がいたはずだけど、いつの間にか亡くなっていることになっていたよ。
チャングムを実の娘のように大事にする様子は微笑ましかった。
この2人が出てくると場が和むんだよね。
「トンイ」の時には掌楽院のファン・ジュシクとパン・ヨンダルが出てきた時も、笑いがあって楽しかったっけ。
イ・ビョンフン監督は笑いの要素を取り入れるのが上手いね!

上に書いた「トンイ」でファン・ジュシクを演じていイ・ヒドが、「チャングム」では悪役だったのが残念だったよ。
チェ一族の党首チェ・パンスルは宮廷に商品を調達する権利を不正に独占し利益を得ている。
妹であるチェ尚宮と悪事を企み、一族の繁栄と存続を考える。
「トンイ」の時とは大きく役どころが違っていて、笑いの要素は一切なし。
いつも「しかめっ面」だったので、「トンイではいい人なのに」と思いながら見ていたよ。(笑)
イ・ビョンフン監督の作品の常連のようなので、他のドラマではどんな役を演じているのか気になるね。

「チャングム」での王様中宗は、公平でとても良い人だったよ。
史実では「朝鮮王朝で類を見ないほどの優柔不断さ」と言われている王様だったようだけどね。(笑)
ドラマでは決断力があり、無理な命令を指示しない礼儀正しい人物として描かれていた。
味の違いが分かるグルメの一面もあって、素晴らしい王様だったよ。
病弱なところは史実通りだったみたいだね。
チャングムは料理でも医術でも関わることになり、王様の信頼を得ることになる。
宮廷の中とはいえ、ここまで王様に近い存在になることは稀だろうね!

他の人物にもエピソードがあるけれど、ここまでにしておこうかな。
次に書きたかったことは音楽について。
「チャングム」の主題歌「オナラ(来るなら)」がずっと耳に残り、ついには一緒に歌うようになっていたSNAKEPIPE。
一度聴いたら忘れられないはず!

ドラマの中盤あたりで、突然主題歌の別バージョンが流れるようになる。

牧歌的な子供の歌声が、まさかテクノになるとはね。(笑)
テクノ・バージョンがとても気に入ったSNAKEPIPEだよ!

「宮廷女官チャングムの誓い」は「トンイ」と同じようなストーリー展開で、すんなり鑑賞することができた。
良い人悪い人の区別がはっきりしていて、見やすいドラマだったよ。
20年前に大人気だったことはよく分かるね。
イ・ヨンエを主役にした「医女チャングム」制作の報道があったようだけど、まだ撮影も始まっていないようだね。
もしドラマが新作として放映されたら観てみたいと思う。
時代劇の巨匠、イ・ビョンフン監督の他の作品も観てみたいと思ったよ。
これもまた温故知新だね!(笑)

ポーランドの巨匠 ヤン・レニツァ 鑑賞

20260315 top
【いつも通り、gggの入口を撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

ROCKHURRAHに誘われて訪れたのは、ギンザ・グラフィック・ギャラリー
現在開催されているのは「ポーランドの巨匠 ヤン・レニツァ」展で、「斬新な表現で国際的に高い評価を受け、ポーランド派と謳われたポーランドのポスター芸術(展覧会サイトより)」だという。
これはとても楽しみ!(笑)

巨匠と書かれているけれど、恥ずかしながらSNAKEPIPEは初めて耳にしたアーティストだよ。
経歴を調べてみよう。

1928 ポーランド・ポズナンに生まれる
1945〜 風刺漫画・イラストを新聞や雑誌に発表し始める
1947–1952 ワルシャワ工科大学 建築学部で学ぶ
1950 映画・演劇ポスターの制作を開始
週刊風刺誌「Szpilki」のグラフィック編集者となる
1954–1956 ワルシャワ美術アカデミーでポスターの巨匠ヘンリク・トマシェフスキ の助手を務める
1957 映画作家ヴァレリアン・ボロフチクと共同でアニメーション映画制作を開始
1961 ヴェルサイユ国際映画ポスター展でトゥールーズ=ロートレック賞を受賞
1963 パリに移住
1966 第1回ワルシャワ国際ポスタービエンナーレで金メダル受賞
1979–1985 ドイツの University of Kasselアニメーション学科の初代教授・学科長
1986–1994 ベルリンの ベルリン芸術大学(旧Hochschule der Künste)でポスター・グラフィックの教授
1987 ベルリンに移住
1999 カトヴィツェのポーランド・ポスタービエンナーレでグランプリ
2001 死去

17歳の頃から新聞などに作品を投稿していたんだね。
1950年代から「ポーランド派ポスター」の主要人物として認知されていたみたい。
「ポーランド派」とは、イタリアで1940年代から1950年代にかけて盛んだった「ネオレアリズモ」の影響を受けたグループを指すらしい。
それは反ファシズムや社会主義リアリズムへ反抗したムーブメントだったという。
映画監督ではアンジェイ・ワイダが有名なんだって。
同時期の日本では、大阪の具体美術協会がアヴァンギャルドな活動をしている。
戦後、世界中で様々な芸術表現が試されていたんだね!

ギンザ・グラフィック・ギャラリーは、無料とは思えない展示作品数の多さを誇る太っ腹なギャラリー!
撮影もOKしてくれるんだよね。
今回は、作品が全て額装されていたので反射してしまうのが残念だったよ。
少し画像が見づらいけど、許してね。(笑)
気になった作品を紹介していこう!

赤いバックに所狭しと作品が展示されている。
どれから観ようか迷ってしまうほどだよ。(笑)
ちょっと引いて8枚の作品を撮影したのがこれ。
ドビュッシー、ファウスト、モーツァルトなどの文字を読むことができるね。
どうやらこれはオペラの告知ポスターみたい。
ポーランドで公演されたものなのかな?
ヤン・レニツァの作品は、くっきりした大胆な色使いで目を引くね!

会場の一番目立つ場所に展示されていた作品がこちら。
左は1976年「第6回ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ」、右は「ヴォツェク」(1964年)オペラのポスターだという。
流線型の中に目や口がある、ちょっと不気味だけどポップな作品は強烈だよね!
赤い作品は展覧会フライヤーに採用されているよ。
濃い赤からピンクまでのグラデーションと太くて黒いくっきりした線がドギツイ。(笑)
SNAKEPIPEが勝手に持っているポーランドのイメージが大きく覆ってきたよ!

ギャラリーの地下に移動する。
こちらにもたくさんの作品が展示されているよ。
ヤン・レニツァは、映画のポスターも手掛けていたんだね。
これはルイ・マル監督の「死刑台のエレベーター(1958年)」のポスターだよ。
下から順に増えていく数字や矢印は、エレベーターを表しているんだね。
有名な映画だけど、SNAKEPIPEは未見かも。
黒い人影のバックが、彌生さながらの水玉になっていて、新聞に載った写真みたいなドットを表現しているのかな。
色合いと構図がカッコいい作品だね!

「死刑台のエレベーター」でヒロインを演じたのはジャンヌ・モローだったね。
同じくジャンヌ・モローを主演にした映画を撮っていたのは、ルイス・ブニュエル監督。
「小間使の日記」を観た時に、こんなに美しい小間使がいるものかと思ったっけ。(笑)
載せた作品は、ブニュエルの「熱狂はエル・パオに達す」(1959年)のポスター。
蝶なのかサソリなのか分からないような生き物が描かれている。
バックのボーダーが強いね。
ここまでズバッと一つのオブジェクトだけを描くアーティストは珍しい気がするよ。

こちらはなんとも抽象的なモチーフだよね。
大島渚監督1976年の作品「愛のコリーダ」は、世界的に注目を浴びた作品。
ハード・コア・ポルノとしてはもちろん、阿部定事件をモチーフにしている点も衝撃的だったはず。
現在とは違って、かつて日本女性は従順というイメージがあったはずだから。
貞淑で楚々とした印象があったはずの日本女性が、まさかあんな行動を取るなんて、世界中の人が驚いただろうね。
そんな映画の世界観を「うねうね」した曲線が絡み合った構図で仕上げたヤン・レニツァはさすが!
直接的に猥褻な絵柄を描かなくとも、淫猥な情欲の世界が分かるもんね。
大島渚監督は、このポスターを観たのかな?

年表に記載されている「1957年からアニメーション映画を制作」に関しての展示もあったよ。
1958年の「ハウス」と1962年の「ラビリント」が上映されていた。
ファッションや使われている素材が興味深く、ストーリーも面白い!
載せた画像は「ラビリント」で使用したアートワークの一部で、複写に手彩色だって。
昔のアニメは1秒間に何枚ものセル画を用意していたので、こうした手作業が必須だったはず。
現在では3Dになったため、使用されなくなった手法とのこと。
「ラビリント」がYouTubeにあったので、載せておこう。
14分のアニメーション、是非ともご覧あれ!

他には、絵本や風刺画もあったよ。
ヤン・レニツァの活動が総合的に理解できる展示数の多さに感謝だね。
販売されていたポスターをROCKHURRAHが買ってくれて、ホクホクしながら帰路につく。
ポーランド派のヤン・レニツァの作品をROCKHURRAH RECORDS事務所に飾るのが楽しみだよ!

時に忘れられた人々【34】80年代TV CM編1

【本編で書かなかった三宅一生×ウルトラヴォックスのサントリーCM。高須院長じゃないよ】

ROCKHURRAH WROTE:

ここ数年間はすっかりご無沙汰となってしまったROCKHURRAHのブログ記事だが、実に久々に書いてみようと思う。

書けなくなった原因のひとつは、日曜日に更新するために記事を書く時間が土曜日の短い時間しかないということに尽きるね。

速く文章を書ける能力がないのは前々からわかってたけど、最近は前のように休み前に夜ふかしして、みたいな習慣がなくなったから、余計に集中する時間がない・・・というのが言い訳なのも自覚してるよ。

さて、実に久々な割には、熟考した末の記事になるとは全く思えないくらいに軽くなると、自分でも予想出来るね。

タイトルにある通り、お題は80年代のニュー・ウェイブ・バンドが使われたTVのコマーシャル特集、という誰もがやりそうな内容。
CMに使われるからには比較的知名度の高い音楽に限られるから、ROCKHURRAHなんかの出る幕じゃないよな。

しかも探してみると昔はあんなにあったと記憶してるのに、今ではちゃんとしたCMの映像なんてかなり少ないのが現状なんだよな。 YouTubeの動画を検索してもネットで検索しても「あんな有名なCMが何ですぐに出てこないの?」というくらいに時代が全然変わってしまってることが悲しくなってしまったよ。

80年代のサントリーやホンダとかのCMソングはニュー・ウェイブを割とたくさん使ってたと記憶してるのに、探しても出てこないのがたくさんあったから当初の予定とは大幅に変わってしまった。
パンクやニュー・ウェイブ真っ只中で育った世代としてはこんな現在や未来のことこそNo Futureと思ってしまうよ(大げさ)。

時間もあまりないので無駄な前置きもこの辺にして先を急ごう。

80年代のTV CMの傾向として・・・などと分析してみたわけじゃないが、今の時代のCMと比べるとシンプルなキャッチコピーと映像のみというパターンが多いという気がするよ。
ネット検索もまだない時代だから「今のCMカッコ良かったけど何?」みたいな漠然と心に引っかかるような類いで、また同じCMが流れると短い秒数で注視する。
そういう印象に残る戦略がうまいCMの方が80年代を経験した人にとっては記憶に残ってるんじゃないだろうか。

誰でもそうとは限らないけど、ROCKHURRAHの周りはパンクやニュー・ウェイブな音楽と洋服のデザインやアパレル関係者の交友がほとんどだったから、そういうところで話題になるのはやっぱりニュー・ウェイブな音楽が使われたCMばかりだった。

まずは80年代初頭に花開いたニュー・ロマンティックという潮流の代名詞とも言えるこれ、ヴィサージのスティーブ・ストレンジ本人が登場して話題となったTDKビデオ・テープのCMから。
15秒で横から正面を向くというだけの割とどうでもいい映像で、本人が出てるという以外には特に凝ったところもない。

CM特集の最初がいきなりこれじゃ「80年代CMはカッコ良かったんだよ」などと言っても信じてはもらえないだろうな。
ただ、時代の寵児とまではいかなくても、最初は先鋭的だった英国ニュー・ウェイブのアーティストが日本のお茶の間で見ることが出来る、という点で意義があったんじゃなかろうか。

70年代ロックの時代にグラム・ロックがあったように、80年代にもニュー・ロマンティックと呼ばれていたムーブメントなのか何なのかよくわからない潮流があり、見た目の派手さが子供やシロウトにもわかりやすかったので大いに流行ったもんだ。
多くの人は知ってると思うが、ニュー・ロマンティックは音楽のジャンルではなくて主に見た目に対しての呼び方みたいなものだった。
やってることはグラムの時代と同じようなもので、化粧して着飾ったバンド達の多くをニュー・ロマンティック扱いにするのがこの時代のメディアでは当たり前に行われていた。
やってる音楽ジャンルを超越してニュー・ロマンティック扱いで一括りにされていたという大雑把なもんだったな。
だから代表的ないくつかのバンドでも音楽性はマチマチ、その辺が同時代のポジパンよりは自由度が高かったと言えるだろう。
アダム&ジ・アンツとヴィサージじゃ随分印象も違うからね。

スティーブ・ストレンジによるヴィサージがデビューしたのが1979年で、これがニュー・ロマンティックの始まりの年とされる。
ヴィサージを始める前からビリーズ、ブリッツ(赤坂ではない)という有名クラブのイベントで、たくさんのオシャレ人間を集めてきたのがスティーブ・ストレンジとリッチ・キッズやスキッズのドラマーでもあったラスティ・イーガンだった。

日本でもロンドンナイトとか特定の人々を集めるイベントはあったけど、この2人がやってたのはデヴィッド・ボウイやロキシー・ミュージックなどグラムロックの先達をフィーチャーしたような音楽とファッションの宴だったようで、この辺になるとさすがに実際に行って体験したわけでもないから、想像の域を超えないよ。

スティーブ・ストレンジはその頃から仮装パーティそのもののようなキメッキメの衣装を着て、どの芸能人よりも目立ってたのはわかるが、当時のラスティ・イーガンはパーマのかかったリーゼントみたいな髪型。
リッチ・キッズやスキッズの頃からのトレードマークだったようで、どちらかというとヤンキー顔にしか見えなかったが、おしゃれな人気DJだったなどと書かれているのを読むと「?」と思ってしまうよ。
そんな2人が豊富な人脈で集めたのがヴィサージのメンバーというわけなんだろう。

ヴィサージの実体はマガジン(ジョン・マクガフ、デイヴ・フォーミュラ、バリー・アダムソン)やウルトラヴォックス(ミッジ・ユーロ、ビリー・カーリィ、ロビン・サイモン)、リッチ・キッズ(ミッジ・ユーロ、ラスティ・イーガン)という錚々たるミュージシャンが集まって出来たレコード制作、スタジオでの活動しか(おそらく)してない限定的な音楽ユニットだったようだ。
彼らが本拠地としてたブリッツ前での記念写真がこれね。
上記のメンバーほぼ全てがここに集ってるな。

音楽番組などに登場する時は大抵スティーブ・ストレンジと女性ダンサー2人のみしか出演しない、後ろはカラオケというスタイルでやってたような記憶がある。

音楽とファッションやアートなどの融合はパンク以前から一部ではあったにしても、大々的にファッション=ライフスタイルに特化したのはスティーブ・ストレンジが初めてだったんじゃないかな?と思うよ。
アントニー・プライスの衣装がこれほど映えるイメージ戦略は他にないように感じる。
だからこそのニュー・ロマンティックの代表なんだろうな。

ヴィサージはデビューした時から聴いていて「Fade To Grey」や「Tar」などは好きだったが、このCMに使われている「Night Train」はみんなが大好きで聴いてた1stアルバムではなく1982年の2ndアルバムからの曲。
前にこの記事でも書いてたな。
その時も書いてたがこのCMの部分があんなダンス・ナンバーのサビ(間奏?)の部分だけだったとはレコードで聴くまで知らなかったよ。
通販でもう売ってしまったが、ちゃんと日本盤シングル持ってて「TDKビデオテープCF使用曲」と明記してある。
下のビデオがフル・ヴァージョンね。

前にも色々書いたがROCKHURRAHの青春時代はカセットテープ全盛時代で、レコードをそのまま全部聴くよりも、好きなバンドの好きな曲をコンピレーションしてレコードから録音するという行為が何よりも好きだった。
録音には何よりもこだわってて、ライン録りする時の音量レベルが同じくらいにならないと気がすまない。
音量を均一化するノーマライズなんてアナログ録音にはなかったから、リアルタイムな手作業で気を使っていたものよ。
別に機材や音質にこだわってたわけじゃなくて、曲順や曲のつなぎ、音量が一定でありさえすれば良かったので、いわゆるオーディオ・マニアとは程遠いね。

カセットテープにもこだわっていて、ソニーやTDK、マクセルにBASFとか様々なものを試していたな。
ちょっと高価なクローム・テープとかも含めて部屋の中に山ほどカセットテープの在庫があったもんだ。
これまた音質にこだわって、じゃなくて何となくのデザインとか曲目を書くところがいっぱいあるかどうか、とか変な部分のこだわりね。
この時代は手書きで曲目やアーティスト名を書き込んでたんだけど「最後の数曲、書き込むスペースがない!」なんてことになったら今までやってきた録音の苦労まで台無しになるような失望感(大げさ)を味わっていたよ。
もしかしてちょっとバカなんじゃない?と思えるほど。

時代がもう少し後になって、パソコンとか買うよりもずっと前にワープロ買ったのも、自慢のコンピレーション・カセットテープのレーベルを作ったり、解説まで書いた小冊子を作って友達にプレゼントしたり、そういうのが一番の目的だったな。

そこまで妙なこだわりを持ってたくせにビデオテープには特に何のこだわりもなかったのが不思議。
ヴィサージがCMやってたからTDKの良いグレードのテープを買ったりはしてなかったなあ。
映像と言うよりは音楽が主な趣味だったんだろうな。

こっちは同じ2ndアルバムに収録の「Whispers」、この曲もCMに使われててどうやら日本盤だけのリリースしかされてないようだ。
たかが少しの期間だけ流すようなCMで2曲もシングル化するとはポリドールも太っ腹。
日本で売りたくて仕方なかったほどヴィサージ推しだったのかね?
映画「去年マリエンバートで」と全く同じロケ地を使っての撮影で力が入ってるね。
ミュンヘンにある宮殿だそうだから、行って撮りさえすりゃ絵にはなるだろうけど、企画が通って実際に手配したりの数々の面倒なことを考えると、作った人々の熱意に頭が下がるよ。。
このCMが日本のみなのか海外でもTDKのビデオテープのCMやってたのかは不明だが、この時代のCMは本当に「たかがCM」じゃないんだよな。

次はとっても有名なCMソングとして君臨するカルチャー・クラブの「Mystery Boy(1982)」だ。

カルチャー・クラブもニュー・ロマンティックとされるムーブメントの中で出てきたバンドだったが、ブリッツというクラブ出身としては最も大成したバンドのひとつだったな。
別にブリッツに出入りしてたわけじゃないから他に誰がいたかハッキリわからんが。
ボーイ・ジョージがカルチャー・クラブでデビューする前、1979年当時の写真がこれだけど、こういうパンクな見た目だった時もあったんだね。

ニュー・ロマンティックの括りに入るバンドの多くが、エレポップ、シンセポップというシンセサイザーを多めに使った無機的な音楽を取り入れていたが、カルチャー・クラブはレゲエやブラック・ミュージックのテイストも取り入れてて、そこがボーイ・ジョージの優しい歌声とマッチしてて個性を出していた。
ファッション的にもこの時代を象徴する存在だったもんね。
スティーブ・ストレンジと比べて派手さでは負けてなかったけど、ボーイ・ジョージ風の方が髪型とメイクで何とかなるし、服装もそこまで高価そうではない、ということで庶民でも真似がしやすいという点も人気の秘訣だったかも。

イギリスは世界の他の国よりは開けていたとは言っても、人種的な差別や性的マイノリティなどの問題をまだ大っぴらに唱える事が出来ないような微妙な時代。
そういうところに真っ向から戦うというよりはこういう切り口で異を唱えるという姿勢なども評価されてるけど、ROCKHURRAHは音楽にあまりその手の語り方をしたくない姿勢なので、この辺の事は誰か他の語り手に任せるよ。

ただ軽薄で薄っぺらいみたいに一律に語られてるような80年代ニュー・ウェイブでも、社会を微動させるくらいの何らかの気概は持っていたということだね(いいかげん)。

ROCKHURRAHはカルチャー・クラブのアルバムは一度も買ったことないけど、この「ミステリー・ボーイ」の日本盤シングルだけは小倉(北九州)の松田楽器(80年代当時)で買ったのを覚えてる。
この頃は好き嫌いとか抜きにして、ニュー・ウェイブっぽいシングルだったらかなり何でも買ってたもんな。
この当時の福岡、天神に行けば輸入盤レコードが手に入ったけど、小倉は駅前にプレハブ小屋みたいな輸入盤屋しかなかったから、文化面でかなりの差があった。
それでもROCKHURRAHは無理して福岡までレコード買いに行ってたけど、地元じゃ大したのは手に入らなかったから、屈辱的ではあるが日本盤でリリースされたレコードで情報収集をしてたというわけだ。
このすぐ後くらいにはやっと上京して東北沢や世田谷代田に住んで、好きな輸入盤屋巡りも出来たんだけど、今度はレコード買う金もないくらいにしばらくは極貧暮らしをしてたもんだ。

この曲が日本でだけリリースなのかはハッキリ知らないが、彼らのデビュー・アルバムの日本盤にはこの曲が収録されていて、英国盤には収録されていない。
たぶんイギリスではあまり知られてなかった曲なのかもね、名曲だけど。

このCMはカルチャー・クラブの曲が使われただけで、ヴィサージのように出演してたわけではない。
タカラCANチューハイなら本人が出演するCMがあったんだけど、そんなにファンでもなくて書ける逸話もないからこっちの方にしたよ。

「火がある、人がいる。」というキャッチコピーで、ダブルサイズ5340円で売られてたらしいサントリー・オールドのウィスキー。
そんな高かったっけ?と思ってしまうよ。
個人的には金を出して買ったのは1回くらいで、実家にいる時は親が御歳暮で貰ったのを勝手に飲んでたもんだ。
この時代の居酒屋、パブなどと言われてた店に行くとボトルキープとかでオールドやホワイトは定番だったけど、カッコつけて当時ではあまり知られてない酒やカクテルを頼んだり、愚かな若者だったなあ。

ちなみに今回のと同じ時代くらいのサントリーのCMで「水がある、氷がある」という夏ヴァージョンのキャッチコピーがあり、そのCM音楽をやったエレクトリック・ギターズの「Beat Me Hollow(アイスでビートタイム)」というのを特集しようと思ってたんだが、このCMがどうしても見つからず、仕方なくメジャーなカルチャー・クラブの方にしたという知られざる経緯があったのだ。

お次もサントリーのCMなんだが、実はROCKHURRAHはその商品もCMも見たことがないという代物。
1983年に発売されたQという名前のウィスキーで、曲はデュラン・デュランの大ヒット曲「Is There Something I Should Know?」。
日本では1行目の歌詞を取って「プリーズ・テル・ミー・ナウ」という邦題がついてるが原題はスラッと言えないもんな。
ROCKHURRAHもこのタイトルでしか知らなかったよ。

上に書いたニュー・ロマンティックの最大のスターであるデュラン・デュラン本人たちが出演してるというのが驚き。
しかも首だけ大きな操り人形風の演出で人形たち相手にライブを行なっているという映像。
途中で「Q」という合いの手みたいなのが入るがもちろん原曲にはないCMだけのアレンジ。

デヴィッド・リンチが監督したデュラン・デュランの「アンステージド」というライブ映画をだいぶ昔にSNAKEPIPEと観に行って、そこでバンドのイメージとは大きく離れた、ぬいぐるみが歌の間に突然出てくるという変な演出を見て笑ってしまったけど、本人たちは案外カッコつけてるよりはこういうお茶目なのが好きなのかもね。

1978年に結成して81年にデビューしたデュラン・デュランはアーティフィシャルなヴィサージのイメージとは違った、ちゃんとした演奏力を持ったバンドとしての形態でニュー・ロマンティックの中心的な存在、大スターとなった印象があるな。
彼らはロンドンとリヴァプールのちょうど中間地点になるバーミンガム出身で、結成からレコード・デビューするまでに時間がかかった事から、勝手に割と苦労人の集まりじゃなかろうかと推測するけど、実際はどうなんだろうか?
実績のあるミュージシャンのサポートを得て、すぐにニュー・ロマンティック界のスターとなったヴィサージに比べると紆余曲折があったわけだが、初期の頃はメンバーの入れ替わりが激しく、みんなが知ってるメンバーになるまでに2年を要しているんだね。

公式デビュー前には後にTin Tin、ライラック・タイムで知名度を得るスティーブン・ダフィもヴォーカリストとして在籍していたらしいが、当たり前だがその後のデュラン・デュランとは違ったもの。
個人的には後のヴォーカリスト、サイモン・ル・ボンと比べると見た目はスティーブン・ダフィの方が良かったとは思うけど、デュラン・デュランの曲をもし歌ってたら?と思うとやっぱりしっくりはこないという気がする。
結果としてサイモン・ル・ボンに決めて良かったね。
デビュー後の快進撃は誰もが知る通り。

ROCKHURRAHはデュラン・デュランを自分で買ったことはないが、彼らの1stアルバムは兄が友達から借りたのを返さないままずっと実家にあったので、我が物のように扱っていた事を思い出す。
だから「Girls On Film」や「Planet Earth」などの初期の曲だけがROCKHURRAHにおけるデュラン・デュランの印象であり、後の時代にヒットしたからもちろん知ってる曲もあるが、確かにニュー・ウェイブを感じたのはこの1stのみだった。

だからデュラン・デュランに対しての思い出とかも特にはないんだけど、またまた北九州の小倉での事を思い出してしまった。

パンクやニュー・ウェイブに目覚めてしまったROCKHURRAHは、勉強しなかったからなのか素養がなかったからなのかわからないが、大学受験に落ちて予備校通いをしていた。
とは言っても勉強してたわけではなく、この記事「昔の名前で出ています、か?(其の四)」にも書いたような生活をしてただけ。
スクーターに乗ってたから、機動力は今この歳になるまでを含めてこの頃が最大だったという気がする。

予備校の近くに定食屋があって、そこで3人と意気投合して、ROCKHURRAHを加えた4人組でよく行動を共にしていたもんだ。
ROCKHURRAHがPILのTシャツを着てたのに声をかけてきた隣の席の男とその仲間たち、という感じがきっかけで音楽の話をするようになったのだ。
共通点は服装の好みが似ていた事とみんなニュー・ウェイブが好きだったという点だった。

上のリンク先の記事にある通り、魚町の中にあったコーヒー・オオニシも4人のたまり場にしてて、ROCKHURRAHはそこでバイトをして店の終焉にも立ち会った当事者でもある。
ROCKHURRAHの青春(小倉編)のピークがこの頃だったな。

4人組の一番年下だったW井とは特に2人だけでつるんでたし、ニュー・ウェイブのレコードを貸し借りしたり、この子の家に泊まって大学受験も行ったもんだ。
彼はベースを弾いてるらしかったので、ベースのカッコいいニュー・ウェイブとしてウルトラヴォックス(「Slow Motion」の頃)やデュラン・デュランがお気に入りで、ROCKHURRAHはストラングラーズやマガジンを教えたりしていたな。
あまりマイナーなものは受け付けてくれなかったから弟子にはならなかったけど。

オオニシで働いてた全く笑わない愛想のないウェイトレスがいたんだけど、その人のお姉さんが有線のリクエスト受け付けをやってたからしょっちゅう上記のバンドなどをリクエストしてたのも思い出す。
お姉さんはとても愛想良かったけど、店には一度も来なかったから声だけの人。

ROCKHURRAHは高校からの友達も何人か同じ予備校に通っていたし、予備校で知り合った田川や行橋の不良どもともつるんでたんだが、趣味が近い3人の方とより親しくなってしまったから、その辺の友達変遷はデュラン・デュランの初期メンバー並みにかなり激しかったな。
結局はみんなその場限りの友達で、その後ずっと付き合いをしてるような友達もいないし、ROCKHURRAHは人との付き合いがいつも希薄だから、友達と言える友達もいない人生なんだろうな。
関係ないが上の一文の中に友達という言葉を4回も使ってしまった。
実に久しぶりのブログだが文章が破綻してるところだけは健在だな。

というわけでデュラン・デュランについて特に語ることもなかったので、字数だけは稼げたが、どうでもいい個人的な話ばかりになってしまったよ。
長くなってしまったので今日のCM編は一旦ここで終わりにしよう。
続きは当然やらないといけないけど、果たして書けるんだろうか?
自分で不安になってしまうよ。

それではこれにて罷り申します(古文で別れの謙譲語)

テート美術館 - YBA&BEYOND 鑑賞

20260301 top
【毎度お馴染み! 美術館前の看板を撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

2026年2月11日から国立新美術館で開催されている「テート美術館 - YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」を鑑賞してきたよ!
今年、話題の展覧会第一弾だよね。
今まで何度も「早く行っておけば良かった」と後悔することが多かったので、今回は早い段階で訪問を計画したよ。
憧れのテート美術館だもの、善は急げ!(笑)
展覧会のタイトルになっている「YBA」とは、「Young British Artist」の略で、1980年代後半から2000年代初頭にかけて実験的な試みをしたアーティストを指す言葉だという。
90年代のイギリスから、新たなムーブメントが誕生したんだね。

国立新美術館では「東京五美術大学 連合卒業・修了制作展」が開催されていて、いつもより多くのお客さんがいたよ。
1階と2階の会場を広く使用して展示されていて、お目当ての「YBA&BEYOND」会場が分からないほどだった。
「YBA&BEYOND」もお客さんが多く、少し時間をズラして作品鑑賞するようなシーンが何度もあったよ。
それぞれの作品に説明が掲示されていたので、じっくり読んでから鑑賞する順番待ちになってたからね。
説明されないと理解しがたい作品が多かったということになるよ。
撮影は映像作品を除いてOKだったので、良かった!
気になった作品を紹介していこう。

会場入ってすぐにバーンと展示されていたのが、ベーコンさん!(笑)
いきなりフランシス・ベーコンで驚いてしまう。
1988年制作の「1944年のトリプティク(三幅対)の第2ヴァージョン」は、198cm×147.5cmという大きさの作品が3つ並んでいる。
83歳で亡くなったベーコンが79歳頃に制作しているので、晩年の作品なんだね。
引いて遠くから鑑賞しないと全体を確認することが難しいほどの大きさ。
最初にこんな大物が登場するなんて、この先どんな作品と出会えるのか期待しちゃうよ!(笑)

写真の撮り方が難しくて、なんだかよく分からない1枚になってるね。(笑)
これは1991年に発表されたダミアン・ハーストの「後天的な回避不能」だよ!
ガラスケースの中にテーブルと灰皿が置かれている作品なんだよね。
「煙草の吸殻と灰皿を置いたオフィス空間をガラスケースで密閉し、現代において避けられない死とは何かを問う」
ということらしいけど、観ただけでは分からないよ。(笑)
ダミアン・ハーストといえば、2008年6月に観た「ターナー賞の歩み展」でのホルマリン漬けを思い出す。
あの時のインパクトに比べると、かなり地味で観念的だなと感じたよ。

横幅6mを超える大型の作品はギルバート&ジョージが1994年に制作した「裸の目」。
シンメトリーの構図で、何枚ものパネルを組み合わせて1枚の作品として完成させている。
作品のモデルはギルバート&ジョージご本人達で、全裸を披露しているよ。
アップの顔と顔を覆った全裸との対比は、何かお話を考えたくなるね。(笑)
展覧会の入口に「性的な表現があります」みたいな注書きがあったのは、このためか!
第4章のセクションでスティーヴ・マックイーンの映像作品「熊」にも、同様の露出があったんだよね。
ミケランジェロのダビデ像にも、注意書きあるのかなあ?

天井から下がっていたのはクリス・オフィリの「ユニオン・ブラック」で2003年の作品。
ユニオン・ジャックがアフリカン・カラーで構成されているね。
クリス・オフィリは黒人のアイデンティティや歴史などをモチーフに作品制作をしているアーティスト。
2015年5月に「SNAKEPIPE MUSEUM #32 Chris Ofili」で紹介していて、極彩色の鮮やかさに目を奪われたんだよね。
約10年前に自分で書いた記事のことを忘れていたけれど、クリス・オフィリの名前は頭の片隅に残っていた。
そこまでボケてないことが分かりホッしたよ。(笑)

ヴォルフガング・ティルマンスの小型の作品が11点展示されていた。
画像一番左は展覧会フライヤーに採用されている「ザ・コック(キス)」で2002年の作品。
中央の作品は「みなとみらい21」だって。
横浜で撮影したのかもしれないね?
ここらへんまで観てきて、ヴォルフガング・ティルマンス、ギルバート&ジョージ、スティーヴ・マックイーン、マーク・レッキーと表参道のエスパスルイヴィトンで作品を鑑賞しているアーティストだと気付く。
エスパスルイヴィトンの展覧会情報もチェックしておかないと、と改めて思ったよ!

マーク・クインが1991年に自分の血液10パイント(5.5リットル!)を凍らせて作成した肖像作品について書かれた雑誌「フェイス」(画像左)を読んで、恐ろしくなる。
アート作品制作のために命がけじゃないの!(笑)
画像右は、今回展示されていた1996年の「逃げる方法が見当たらないIV」で、こちらもモデルはマーク・クイン本人なんだよね。
自分の裸体をポリウレタン・ラバーで型取り、真っ二つにして、裏側を宙吊りにしている。
「変容の究極の瞬間、暴力的な脱皮」とマーク・クインが説明しているようだけど、怖い作品だったよ。
2014年8月に鑑賞した「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展」で観たケイト・モスの彫刻作品「スフィンクス」とは印象が違ったね!

アニッシュ・カプーアが1998年に制作した「傷と不在のオブジェクト」は横幅56.5cmの9枚組写真作品。
展示されていた時は横並びだったけれど、9枚をまとめてみたよ!
色彩がとても美しい。
この作品はイギリスのテレビ局で1997年に放映された映像を切り取り、静止画として版画にしているという。
カプーアは子宮と洞窟をイメージして制作したみたい。
意味を考えなくても、抽象的なイメージと色使いだけで充分な気がするよ。
カプーアのアートを鑑賞していると空間や距離の知覚が曖昧になることがあり、その感覚が楽しいんだよね。
「傷と不在のオブジェクト」も、じっと観ていたらトリップしそうだよ!(笑)

グレイソン・ペリーの壺も「ターナー賞の歩み展」で観ていて、欲しくなった作品だよ。
なにやら残酷そうな絵柄で、宮川香山みたいに立体物が貼り付けてあるところも面白い。
ROCKHURRAHもとても気に入ったようで、「欲しい」と言っていたよ。(笑)
ミュージアム・ショップにグレイソン・ペリー「私の神々」をモチーフにした巾着があることに気付いたのは、ROCKHURRAHだった。
壷型になっていて、上部を紐で閉じられる造りになっている。
観た瞬間に興奮したSNAKEPIPEにプレゼントしてくれた!(笑)
2023年9月の「テート美術館展」でも、ウィリアム・ブレイクの「善の天使と悪の天使」をモチーフにした「キモカワ」系のポーチをプレゼントしてもらったっけ。
いつもありがとう、ROCKHURRAH!(笑)

2025年4月に「SNAKEPIPE MUSEUM #75 Mona Hatoum」で特集したモナ・ハトゥムの作品が展示されていた。
1999年制作「家」は、木製のテーブルの上に15個のスチール製キッチン用品と電球がセットされている。
どのタイミングになるのかハッキリ分からなかったけれど、たまに電球が明るく光るんだよね。
1個だけのこともあれば、3つ同時に点灯することもある。
じっくり待って、3つが光ったところを撮影してみたよ!(笑)
「骨の折れる家事労働の苦痛と性別役割分業が生む閉塞感を暗示」していると説明されていた。
文章読まないと意味が分からないかも。(笑)
SNAKEPIPE MUSEUMで紹介した時もインダストリアルな素材と光を組み合わせた作品が多かったな。
作品の解釈を調べずに感想を書いていたけれど、きっと難解な表現だったんだろうね。
ブログで紹介したアーティストの作品を実際に目にすることができたことが嬉しいよ!

最後はこちら。
コーネリア・パーカーの「コールド・ダーク・マター:爆発の分解イメージ」、1991年の作品だよ。
展示室を目一杯使ったインスタレーションで、部屋に入る時「作品に触れないようにご注意ください」と係の方からお声がけされた。
木材や金属、プラスチックといった破片が、天井からワイヤーで吊るされている。
イギリス陸軍によって爆破された物置小屋の破片を拾い集めた作品らしいよ。
「破壊と創造」「重力からの解放」などを意味しているんだとか。
一番上に載せた看板にも使用されている、今回の展覧会を象徴する大型作品だね。
コーネリア・パーカーの名前は初めて知ったので、今回作品を鑑賞できて良かったよ!

「テート美術館 - YBA&BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」を鑑賞した感想をまとめてみたよ。
今回の展覧会は映像作品が多かったんだよね。
そしてそのほとんどが意味不明で、SNAKEPIPEには響かなかったのが残念。
ベーコンから始まったので期待が大きかったせいもあるけれど、そこまでグッと来る展覧会ではなかったのが正直なところ。
実際に観たから言える感想なので、行って良かった展覧会だよ!(笑)