
【1920年、第1回国際ダダ見本市のカタログ表紙に使用された作品「Elasticum」】
SNAKEPIPE WROTE:
今週は「SNAKEPIPE MUSEUM」をお届けしよう。
仮想美術館に展示する作品を収集するというのがテーマのカテゴリーなんだよね。
どうしても好みが片寄り気味だけど、SNAKEPIPEが欲しいと感じるアーティストの作品を集めてるから許してチョンマゲ!
えっ、これって死語?(笑)
今回紹介するのはダダのアーティスト、Raoul Hausmann(ラウル・ハウスマン)ね!
作品紹介の前に、経歴を調べてみよう。
1886 オーストリア=ハンガリー帝国ウィーンに生まれる 1901 ベルリンへ移住 1905–1910 絵画と美術理論を学ぶ 1915 詩人・作家のリヒャルト・ヒュルゼンベックと親交を結び、前衛芸術運動への関心を深める 1917 ベルリン・ダダ運動の創設メンバーの一人となる
フォト・モンタージュ技法を確立1918–1920 「ダダ・アルマナック」「Der Dada」などの出版活動に参加
反芸術・反戦・反ブルジョワ的立場を表明1921–1923 タイポグラフィと音声詩(phonetic poetry)に注力する 1924–1932 写真家・評論家として活動
アヴァンギャルド写真の実験を行う1933 プラハに亡命 1936 光と音の視聴覚変換装置オプトフォンを発明し、ロンドンで特許を取得 1938 フランスへ移住
後に南西フランスのリモージュ近郊ロシュシュアールに定住1950– 哲学的詩やコラージュ作品を発表 1971 84歳で逝去
今年生誕140年なんだね!
ベルリン・ダダの創設メンバーで、ジョン・ハートフィールド、ハンナ・ヘッヒ、ジョージ・グロスらと活動していたんだとか。
2013年8月に「SNAKEPIPE MUSEUM #22 Hannah Höch」で紹介したハンナ・ヘッヒの名前が出てきて嬉しい。
ラウル・ハウスマンとハンナ・ヘッヒは恋人だったんだね。
ただしハウスマンは既婚者だったので、不倫関係だったみたいよ。(ひそひそ)
ハンナ・ヘッヒには「妻と別れるから一緒になろう」と言いながらも離婚しない、卑怯な野郎だったようだけどね。(笑)
2人で旅行した際、泊まった宿に「兵士の肖像画に息子の顔写真を5回貼り付けた」奇妙な作品を目撃し、フォト・コラージュの技法を思いついたらしい。
偶然がもたらした結果だったとは驚きだね!
ハンナ・ヘッヒとのお付き合いは数年で終了したようだけど、フォト・コラージュ(モンタージュ)を発明して楽しい時間を過ごしたんだろう、と想像する。
エキセントリックな関係だっただろうね!
まずはハウスマンのフォト・コラージュ作品から観ていこうか。
1923〜1924年に制作された「ABCD」。
口の中にタイトルの「ABCD」がある中央の顔はハウスマン本人なんだね。
写真や文字を何枚も重ねて貼り付けていく手法は、セックス・ピストルズを代表とするPUNKなスタイルだよね!
「破壊することは創造することだ」
という「ダダ哲学」を提唱したというハウスマンは、やっぱりPUNKの元祖だわ。(笑)
大胆な切り貼りを施しているのに、バランスが取れている作品だよね。
それにしてもここまで自分の顔をアップで使用するなんて、よほど自分に自信があるんだろうな。
顔の下に名前も入れてるし、まるで自己PRのポスターみたいじゃない?

フォト・コラージュからは離れてしまうけど、次もハウスマンのPUNKっぽい作品にしてみよう。
画像左は、1919年に発表された「The phoneme kp’ erioUM」は、実験的タイポグラフィの「音声詩」だという。
「既成の意味や構造」だったり「視覚構造の解体」を行った「オプトフォネット詩(optophonetic poem)」の代表作なんだって。
音響とタイポグラフィの印象で構成された、無意味な音の連なりとは、なんてアヴァンギャルドなんでしょ!(笑)
画像右は70年代オリジナルPUNK代表、セックス・ピストルズのLPだよ。
ハウスマンの「音声詩」から58年後に、「破壊と創造」を音楽で表現したバンドだよね。
そんなつながりを、ピストルズ誕生から48年経過した2025年になって記事にしているSNAKEPIPE。
100年以上前のアナーキスト、ハウスマンに脱帽だね!(笑)
1920年の作品「Dada im gewöhnlichen Leben (Dada Cino)」」は、フォト・コラージュの作品だよ。
ブルーを背景に、何枚もの切り抜かれた画像や文字が貼り付けられている。
「Dada Cino」は「Dada Kino」を模した造語らしく、訳すと「ダダ映画」になるらしい。
ところどころに「Dada siegt」とあるのは「ダダ勝利す」という、 ダダ運動のスローガンだという。
タイトルを訳すと「日常生活のダダ」だって。
意味についてハッキリ分からなくても、全体のバランスや色合いが美しい作品だよね!
左下に手書きされているのは、恐らく当時の恋人だったハンナ・ヘッヒに向けてのメッセージではないかと推測されているらしい。
「ダダの心を燃やしながら 永遠に君のもの!ラウル・ハウスマン」
ルイス・オルテガ監督の映画「永遠に僕のもの」みたいだね!(笑)
1920年の作品「Der bürgerliche Präzisionsgehirn erregt eine Weltbewegung (Dada siegt)」は「ブルジョワ的精密脳が世界運動を引き起こす(ダダ勝利す)」という非常に観念的なタイトルがついているよ。
靴やタイプライターが置いてある室内に掲げられた世界地図には「DADA」の文字があるね。
DADAが世界を制服しようとしているのかな?
脳の断面を見せている男性が機械化していき、無表情になっているのかもしれない。
「機械的な理性が支配する社会」を批判していたというハウスマンによる、風刺作品とのこと。
タイトルからも分かるように、かなりメッセージ性が強いもんね。
恐らく後方にいるコートを着た人物はハウスマン本人じゃないかな?
未来派だったり同時代のロシア構成主義やバウハウスは機械礼賛の立場の人が多かったけれど、ダダでは批判的なマシナリズムもあったんだね。
この点がとても興味深いよ!
「ダダ勝利す」をスローガンに掲げていたダダ運動は、1922年頃に衰退したらしい。
丁度その頃、ハウスマンとハンナ・ヘッヒもお別れしているんだよね。
「金の切れ目が縁の切れ目」ならぬ「アートの衰退が縁の切れ目」だったのか?(笑)
年表にあるようにハウスマンは写真家として活動するんだよね。
光と影が印象的なモノクロームの作品は、1931年のもの。
機械が放つ火花のように見えるけれど、ランタンの光などを長時間露光で撮影したのかな?
SNAKEPIPEの予想なので答えは違うかもしれないよ。(笑)
不思議な雰囲気のある作品で気に入ったんだよね!
もう1点、写真作品を載せてみよう。
1931年のベルリンで撮影された作品でタイトルはないみたい。
キレイに配置されたかのような人物のシルエットが面白いね!
2025年9月に書いた「ROCKHURRAH紋章学 Anton Stankowski 編」で、アントン・スタンコフスキーの写真作品を紹介した。
1932年の作品も俯瞰写真で、影が印象的だったことを思い出したよ。
同時代の写真家モホリ=ナギも俯瞰写真を撮影しているんだよね。
普段とは違う視点が新鮮だったのかもしれない。
1936年には「Optophon(オプトフォン)」という光と音を双方向に変換する装置を構想し、ロンドンで特許を取得している。
実現はしなかったようだけど、現代のマルチメディア・アートの先駆けだったんだね!
フォト・コラージュも、のちの時代に多大な影響を与えた技法なので、ハウスマンの偉大さが分かるよ。
改めてダダについて勉強できて楽しかった。
温故知新、これからも続けていきたいね!(笑)
