時に忘れられた人々【26】同名異曲編3

【もうマンネリとしかいいようのないトップ画像。ネタが尽きた!】

ROCKHURRAH WROTE:

他に書ける題材もあるにはあるんだが、書いていてなぜか筆が重いような企画が多くて中断してるネタが多数。ん?パソコンのキーボードだから筆が重いとは言わないか? キーがヘヴィで・・・ますます変か?
まあ書きやすいかどうかは気分次第なので、いずれスラスラと仕上がる時も来るでしょう。
今日は割と簡単そうだったからこれ。
まさかパート3まであるとは思わなかったが「同じタイトルなのに全く別の曲」というシリーズにしてみよう。

毎度毎度書いてる事だけど、ROCKHURRAH RECORDSではどんな時代でも”気分はいつも80年代ニュー・ウェイブ”なので、その手の選曲しかしないという姿勢を貫いてる。

時代の流れで完全に息絶えたかと思ってたレコードやカセットテープが復活して、これを知らない若い世代に人気だという。
レコードはまあ復活して当然だと常々思っていたが、まさかカセットまでリバイバルとは予想もしなかったよ。 「80年代を現在進行系のまま」などというテーマでずっと取り組んでたウチのサイトだが、思わず「懐かしい」などと現在進行系を無視した言葉が出てきてしまう。
個人的に言えば大昔の小倉(北九州市)、ベスト電器やデオニーという今あるのかどうかわからん家電屋に行くと、毎回バカのように3本セットになったカセットテープを買い漁っていたなあと思い出す。
TDKやソニー、そしてスキッズのリチャード・ジョブソンがイメージ・キャラクターだったBASFのテープなどなど。
自分で聴くのもあったけど、友達に自分が選曲したベスト盤みたいなカセットを贈るのが大好きだったよ。
音量レベル調節とか頭出しとか難しかったけど、時間があればずっと飽きもせずレコードを録音してるような子供だったな。

温故知新と言うべきか、そういうのがまた注目されるなら、ROCKHURRAHが毎回書いてる80年代満載のこのブログもいつの日か大注目される可能性もあるかもね。え?そんなことはあり得ない?

ちょっと書いたら懐かしくなって関係ない事を延々と書いてしまった。 だから今回も70〜80年代のパンクやニュー・ウェイブばかりを当たり前のように選曲するよ、というひとことが言いたかっただけだ。 長々と綴った回想は全然意味なしだったな。

相変わらずよくわからん前置きばかりで前にも読んだ人だったらうんざりだろうけど、そういうわけで今回も始めてみよう。

「バナナスプリット」というのは「トムとジェリー」や「原始家族フリントストーン」「チキチキマシン猛レース」などでおなじみのハンナ・バーベラ・プロダクションによるアメリカのTV番組だとのこと。

子供の頃はTVアニメや漫画が大好きで再放送もしょっちゅうやってたから、知らず知らずのうちにかなり多くのものを観ているな。特にこの頃は外国アニメやTVドラマが大変に多かった時代。
同じ作者なんて認識はこの頃にはまるでなかったけど、同世代の人なら誰でもいくつかの番組がスラスラ思い出せるはず。

試しに調べてみたら「出て来いシャザーン!」で有名な「大魔王シャザーン」や「ドボチョン一家の幽霊旅行」もハンナ&バーベラ作なんだね。二つとも大好きだったのにこいつは知らなかったよ。
ちなみに「幽霊城のドボチョン一家」という別物のアニメも同時代にあったそうで、ROCKHURRAHが観ていたのがどっちだったか実は全然覚えてないよ。何じゃそりゃ紛らわしい。

さらに詳しく調べてみたら好きだったのはハンナ&バーベラ作の方じゃなくて「幽霊城のドボチョン一家」の方だと判明した。 全く別のスタジオが作った作品なのにタイトル(邦題)やテーマソングがほとんど同じってすごくない?
制作した方には(たぶん)全く責任がなく、日本語吹き替え版のテレビアニメ独自のテーマソングらしいが、これは完全にどっちかが盗作したとしか思えないレベル。
しかもちょっと「Munsters」まで入ってるよ。
あまりの事に仰天して腰を抜かしたので今の記事とは関係ないけど特別に両方貼っておくよ。

仰天から立ち直ったので続きを書くが、どっちも作詞作曲が同じ人で同じ局の放映、つまり盗作ではなくて替え歌を流用したらしい。あービックリした。
がしかし、歌くらいもう1曲作り直せよ。
「ドボチョン一家の幽霊旅行」の方はドボチョン伯爵がなぜか「はけしゃけ」に聴こえるのが気になって仕方ない。

で、話は「バナナスプリット」に戻るが、この番組は実は全く観た事がなくて、単に歌を知ってるというだけに過ぎない。日本で放映してたのかな? どうやらアニメではなく着ぐるみ動物たちによるバンドのコメディらしいが、内容を知らなくてもこの歌はとても有名だから知ってるよ。

本来のタイトルは「Banana Split」ではなくて「The Tra La La Song」というらしいが、これを70年代にパンクでカヴァーしたのが米国ロサンゼルスのディッキーズ(The Dickies)によるもの。 関係ないが90年代には助平なオルタナ・クイーンと呼ばれたリズ・フェアもカヴァーしてるな。

ディッキーズと言えばチノパン?と誰もが連想してしまうが、70年代後半から活動してる長寿バンドだ。 アメリカのパンクはロンドン・パンクとはやや違うものも色々あるんだが、このディッキーズとかは普通にロンドン・パンクに近い音楽。
ちょっとコミック系が入ったスタイルのようで、全員がちっちゃくなってしまった(「だからどうしたの?」と言いたくなる)レコードジャケットでも有名だったな。
ブラック・サバスの「パラノイド」をパンク風にアレンジした曲とかが有名だけど、もっとバカっぽくコミカルな曲調のものが個人的にはお気に入りだった。
「プードル・パーティ」なんかは同じコミック・パンク・バンド系のトイ・ドールズの元祖みたいだもんね。

この 「Banana Split」も同じ路線のもの。 誰もが「この曲のパンク風はこんな感じ」と想像した通りの典型的な演奏と歌で軽快、コミカルな内容。
バナナがマイクになってるね。
ヴォーカルの前髪パッツンの髪型もすごい。前にこの記事でも同じような事を書いたな。 コミカルな雰囲気のバンドは多いけど、本当にコミック・バンドを目指してるわけじゃなかろうから、この映像見て実際に笑う人はいないだろうと思えるのが苦しいところだね。

その「Banana Split」と同じタイトルなのがこちら、ポルトガル出身の美少女シンガー(当時)、リオ(Lio)の代表曲。 育ちはベルギーで主にフランスで活躍してたらしいが、1979年にデビューした時にまだ若干16歳。

フレンチ・ロリータという言葉がある通り、フランスでは伝統的な系譜だったのがこういうアイドル系美少女によるフレンチ・ポップスだ。
リオはそういう中で(時代的に)ニュー・ウェイブ世代のフレンチ・ロリータというような路線でデビューした。 邦題もズバリ「美少女リオ」。ここまであけすけだと誰も文句が言えないね。
たぶんそこそこ人気はあったに違いないが、日本ではそこまで知名度はなかったのかな?

ベルギーからフランスの音楽界で大活躍したという例では、ROCKHURRAHが大好きなプラスティック・ベルトランを想像してしまうが、その手の路線とも違っていた。
ピンク色の服装でただ踊ってるだけという手抜きプロモの作りは一緒だけど。
それにしてもこの衣装は一体?光沢のない竹の子族みたいなもんか。

同じくベルギーのB級テクノで有名なテレックス(マルク・ムーラン)がバックバンドをやっていて、リオの曲もこの当時のテクノ、エレポップと呼ばれた音楽の延長線にある。
まだユーロビートなんてなかった時代だからね。
途中の「う、きゅん、う、きゅん(以下リフレイン)」というような電子音がいかにもで、こんなんでも当時はノリノリだったよ。
リオが自分自身で入れる合いの手みたいな「ぅんー」もピコ太郎の元祖みたいなもんか。

彼女はただの軽薄テクノだけじゃなく、フランスの初期パンク・バンド、スティンキー・トイズのファンだった事でも知られる。
アルバムにも確か彼らのカヴァー曲が収録されて向こうでは大ヒットしたはず。
スティンキー・トイズ、ROCKHURRAHも好きだったんだよね。
このバンドの紅一点、ヴォーカルのエリ・メディロスはきつい目つきで無愛想な雰囲気なんだが、80年代アイドル風の明るいリオとどこで接点があったんだろうか?
睨まれたりしてないだろうか、こっちが心配になるよ。

レコードには「Dedicated To Kevin Ayers (ソフト・マシーンの初期メンバー)」などとも書いてあり、只者じゃないアイドルを目指してたと見える。

このプロモではまだ子供っぽかったリオだが、90年代になってまたしても「Le Banana Split」を新たなミックスで発表して、その時は結構お色気路線になっていた。
コンスタントに活動はしてたようだが、ROCKHURRAHが初期と90年代のリオしか知らないというだけの話。 写真で見るとずっとお色気路線だった事がわかる。
その90年代のは何と同じ曲のヴァージョン違い5曲も入っててげんなりしてしまうが、一過性のアイドルで終わらなかったところが見事だね。

本当はなるべく長いタイトルが見事に一致した曲について書きたかったんだが、ROCKHURRAHの捜索能力がイマイチなので勘弁してやってね。

実にありふれたタイトルだが「Jealousy」。 このタイトルがついた曲もわんさかあるんだが選んだのは井上陽水・・・ではなくて。
今回よりによって選んだのがこちら。
ロンドンの下町、イーストエンド出身のバンド、ウェステッド・ユース(Wasted Youth)だ。
何か同じような名前のバンドが複数存在するのでややこしいが、同名バンド特集ではないので説明は抜きにするよ。

イーストエンドと言えばかつては犯罪の巣窟とか貧民街とか言われていたが、今はおしゃれな街に変身してるとの事。彼らが活動してた70年代後半くらいはまだ治安が悪かったんだろうな。

ウェステッド・ユースは1979年頃からわずか2〜3年しか活動してないバンドで知名度も低いし、ヒット曲もほとんどない。
ネオサイケと呼ばれる音楽にドップリという人は現在ではほとんどいないだろうが、そういうジャンルのファンでも「聴いたことないよ」って人も多かった。
オリジナルで出たアルバムはわずか1枚のみで、解散後に何枚かライブやコンピレーションみたいなのが出てるだけ。
シングルやオリジナル・アルバムはブリッジハウスというパブが作ったインディーズ・レーベルから細々(あくまで想像)と出てただけ。
これじゃカルト的扱いのバンドになるのも仕方ないだろうな。
このパブのハウスバンドみたいなもんだったのか?その辺は見てきたわけじゃないから不明だけど、パブ自体は立派でロリー・ギャラガーなど大物も出演してたらしい。

同郷だったオンリー・ワンズのピーター・ペレットがお気に入りのバンドで確か数曲プロデュースしてるはずだが、そのピーター・ペレット本人が80年代にはもはや「消えたミュージシャン」の筆頭に挙げられていたもんなあ。

ROCKHURRAHはこんな不遇な彼らが好きだったが、曲もその辺の「なんちゃってネオサイケ」とは全然違う本格派。
見た目も声も良かったのに大して話題にならなかったのは何で?と思っていたもんだ。
アルバムのジャケットがカーキ色みたいな薄く目立たない色で何を表現してるかさっぱりわからないとか、よりによってノリの悪い曲(結構サイケ)ばっかり選んでアルバムに収録したんじゃない?とか、ラフ・トレードみたいに大手インディーズに販売を委ねず宣伝活動を全然しなかったんじゃないかとか、売れなかった原因がさっぱりわからないよ。
コンピレーションに収められた未発表曲は名曲揃いなのにね。

この曲「Jealousy」は1980年のデビュー曲なんだけど、そんな彼らの動いてる映像が見れる唯一の曲。 うーん、第一印象が大事なデビュー曲でこんな地味なスローテンポの曲を選ぶか・・・。
しかしシド・バレットとルー・リードが出会ったかのような気怠い鼻声はあらゆるネオサイケの中でもトップクラスの表現力。今見てもカッコイイと思えるよ。
この前髪、これこそ80’sの極みだね。
しかし最後のあたり、みんなで肩を組むシーンがこの手のバンドではありえない展開。ジャニーズか?とツッコミたくなってしまうよ。

このバンドはインディーズ界でもあまり表に出て来なかったけど、ギタリストのロッコー・ベイカーが後にフレッシュ・フォー・ルルでちょいとばかし有名になったな。
キーボードのニック・ニコルはペルシアン・フラワーズというバンドやってたが、これまた幻と言えるほどの地味な活動。偶然シングルを持ってたが、たぶん昔に売ってしまったな。
ヴォーカリストのケン・スコットは後にスタンダード曲「ストーミー・ウェザー」を歌ったり、相変わらず誰にも知られないような活動してたな。
同時期に元スキッズのリチャード・ジョブソンが同じ曲を歌っていたのでジャズに疎いROCKHURRAHでも知ってるよ。なぜか関係ないのに2回もリチャード・ジョブソンが登場してしまった。

今はインターネットで何でも検索出来る、などと思ってる人が多いが、例えばこのバンドについて日本語で語ってるのがROCKHURRAH以外にはほとんどいないと推測される寒い状況。
まあ希少な内容のサイトをやってるという点で、ウチにも存在価値くらいはあるかな。

何か今回は横道にそれた発言ばかり多くて先に進まないな。

さて、その「Jealousy」と同じタイトルの曲をやってて、人があまり語らないバンドがこれ、ブートヒル・フット・タッパーズ(The Boothill Foot-Tappers)だ。

1980年代半ばのイギリスのバンドだが、カントリー&ウェスタンやブルー・グラス、フォークにトラッド、スカなどの音楽性がミックスされたアコースティックな音楽性が特徴。

ちょうど同時期にデビューして大人気となったポーグスあたりとパッと見には似てるが、聴いた感じあまりアイリッシュは感じなかった。
楽器編成もバンジョー、アコーディオンなど共通する部分はあるけど、ポーグスにあるマンドリン、笛がこちらにはなく、ポーグスにないウッドベースとウォッシュボード(洗濯板)がこっちにはある。

この頃はニュー・ウェイブが一段落して、ハードだの暗黒だの暴力だのエレキだの化粧だの、この辺の路線に皆が飽いていた時代。
それでなのか何なのか、大昔からあるような音楽を引っ張り出してきて、それに「ネオなんとか」と付けて新ジャンルにするのが流行っていたよ。
大まかに言えばこのブートヒル・フット・タッパーズもネオ・アコースティックの一種には違いないんだけど、カウパンク以外でイギリス人があまりしないカントリー系統への傾倒は割と斬新だったね。

まだこの時代にはそんな言い方はなかったけど、後に東京スカンクスのダビすけが提唱した「ラスティック」という総称(?)に当てはまるような音楽。
ウェスタン・スウィング、カントリー、ブルーグラス、ケイジャン、テックス・メックス、アイリッシュ・トラッド、ヒルビリー、ロカビリー(サイコビリー)、マカロニ・ウェスタンのテーマソングなどなど、上に挙げた一般的にはあまり馴染みのない音楽をうまい具合にミックスさせたようなバンドが後には続々出て来るが、このバンドとかもその先駆けみたいな感じかな。

女性3人がいて2人がヴォーカル(1人は洗濯板)かと思いきや、実は男ヴォーカルもいて曲によって使い分ける柔軟な構成。
「Jealousy」はスカ要素が強い名曲だが、他の曲ではかなり履いてテンション、じゃなかったハイテンションのバンジョーが炸裂するようなのもあり、この手のジャンルとしては素晴らしい完成度だったよ。
個人的に好きだった「Get Your Feet Out Of My Shoes」などはジョン・デンバーのファンに聴かせても「いい曲だね」と言われるくらいのエバーグリーンな名曲(ウソ)。
そしていい味出してるアコーディオンのキャラクター。
同時代に活躍した百貫デブばかりによるサイコビリー(ネオ・ロカビリーっぽいけど)&ラスティックの伝説的バンド、The Blubbery Hellbelliesのスリムが参加してるのもファンにとっては見逃せない。
大好きだったんだよね。

ブートヒル・フット・タッパーズはいわゆるクラブ・ヒッツなどでは欠かせない名曲を残してるが、レコードの時代は結構入手困難だったし同時代にはたぶん日本でレコードは出てなかった。
こんなに完成度高いのにね。
そういう意味ではちょっとマイナーな存在だけど、後に再評価されてCD化もしたな。

もうひと組、つまりあと2曲書こうと思ってたけど、案外長くなってしまったので今日はここまで。
ということでまだまだパート4までありそうな雰囲気だな。
もう飽きた?うん、ROCKHURRAHも。

それではまたチョムリアップ・リーア(クメール語で「さようなら」)。

時に忘れられた人々【25】ゴージャス音楽の宴編

【ゴージャスさを勘違いして意味不明な画像】

ROCKHURRAH WROTE:

食欲の秋、などと言われていてもこのところ、皆さん知っての通り、野菜がバカ高くて困ってしまう。
見た目や書いてる記事からは想像も出来ないだろうが、毎日SNAKEPIPEと2人で献立に悩んでいるのだった。

自分に当てはめて考えるとバブル景気なんて全く実感した覚えがないけど、それでも80年代は今よりもずっと暮らしやすかったなあと、いい記憶ばかりが思い出される。
消費税なんてまだなかったから少なくとも「ふんだくられてる」感覚は買い物の時になかったからね。
ROCKHURRAHやSNAKEPIPEに限らず、80年代にまた戻りたい病の人はたくさんいるはず。まあ全然反響はないけど。

さて、本日はいかにも80年代的にゴージャスな音楽特集というROCKHURRAHには似合わない企画で書いてみよう。
もちろん、ウチの記事はパンクや80年代ニュー・ウェイブに限ってしか語らないという点で一部有名。
その後の時代の、いわゆる普通のゴージャスな音と誰もが思えるようなのはたぶん全部すっ飛ばすと思うよ。

ROCKHURRAHは今までの人生でゴージャスな体験を全然した事がないというくらい、贅沢も豪華も無縁の生活をしてるけど「どんな服を着てもそれなりのいい品に見えてしまう」と言われる点だけが少しは誇れる部分かな。SNAKEPIPEも300円で買った高価そうな服とか着てるしね。二人揃って只者じゃないオーラがあるってことかな(笑)。
関係ないがゴージャスというと真っ先に思い出すのが泉昌之の「かっこいいスキヤキ」に収録のこれ。いかにも80年代的な笑いのツボに溢れた漫画だったな。

「パンクや80年代ニュー・ウェイブに限って」などと書いてはみたものの、そもそもパンクやニュー・ウェイブにゴージャスなものはあるのか?

上流の家庭に生まれ何不自由なく暮らしていた若者が突然パンクに目覚めて、というシチュエーションも今だったらなくはないだろうけど、オリジナルの70年代ではあまり聞いたことない。
例えそういう経歴だったとしてもたぶん隠すだろうしな。
やっぱりパンクは労働者階級の音楽じゃないと格好がつかない気がする。当時は労働者どころか失業者がメインだもんな。無論ゴージャス要素はそこにはない。

親が汚い仕事で儲けた有力者の御曹司、親の不正、巨悪に気付いてからはアナーキストへの道を進んでパンクの世界に入ってゆく。
これまた三流映画ではありそうだが、そういった人は敢えてゴージャスを引きずらないのが当たり前。たとえ生まれは良くても堕ちたい願望があるだろうからね。
だからパンクとゴージャスを結びつけるのは難しいな。
スキッズのリチャード・ジョブソンなんかは元々の生まれ育ちが悪くて、スキッズで儲かったから徐々に品のあるブリティッシュ・トラッドな紳士に変身していった。これは逆のパターンで珍しい上昇志向だね。

80年代のニュー・ウェイブになると少しは状況が違ってきて、ニュー・ロマンティックのように着飾った華やかなスタイルが流行した時期もあった。がしかし、これもたぶんパッと見だけの華麗な世界。
やってたバンドは金持ちになったろうしゴージャスな生活も可能だとは思うが、その聴衆は大半がただの一般人。着飾った男がクラブから帰った家は安アパートとかそんなもんだろうよ、と想像する。

これからコメントしてゆくのも泉昌之と同じで何となく服装が豪華に見えるとか、曲がゴージャスに聴こえるとか、シャネルの支店前でプロモ撮ったとか、その辺の短絡的なものなので本当の上流階級的なものは想像しないでね。

80年代的にゴージャスを感じる音楽というと真っ先にこのバンドを思い浮かべたのはROCKHURRAHだけではあるまい。
好き嫌いは抜きにして誰もが認めざるをえない「メローな」「ソフィスティケートされた」「ゴージャスな」という三拍子が最も似合うのがこのブロウ・モンキーズだろう。
R&Bやソウル、ブルースなどブラック・ミュージックなら何でもござれというレコード・マニアの真髄で、3万枚ものレコードを所持していたというDr.ロバートによるバンドだ。
マニア過ぎてレコード屋の上に住んでた噂があるが、すぐに買いに行けるという以上のメリットはなさそう。せめてレコード屋ごと買った、くらいの爆買いエピソードが欲しかったよね。

数多く聴けば偉いのか?という事はなかろうけど、より多くを知れば多くのものが見えてくるのは確か。造詣ばかり深くて自分でやってみたらヘッポコ、というパターンは多いけど、彼らはちゃんと見事に消化してるのが偉いな。
ブラック・ミュージックが苦手で個人的にはこの路線にはあまり興味が持てないけど、またしても「好きじゃないならコメントするなよ」と言われてしまいそう。
とても冷酷そうな顔だし、すぐに裏切られそうなところが超ビッグ・ネームにならなかった原因か?

映像の方はサイズ間違ったんでないの?というほど巨大なダブルのスーツに目を奪われるが、これは30年代のギャングが着用してたズートスーツのヴァリエーションのひとつなんだろうな。PACHUCOと呼ばれたメキシコ系のメチャメチャ悪そうな若手ギャング(予備軍)とかでも有名になったスタイルだな。
ギャングが人一倍ラグジュアリーなものを好むのは世界共通だから、このスタイルでゴージャスと感じたのは特に間違いではなさそう。良かった良かった。
ゴージャス要素の定番、黒人コーラス隊とサックス、華麗なダンスまで披露して完成されすぎだな。投げたギターを片手でキャッチしたり、イヤミなまでの二枚目ぶり。特撮なしでそれくらい特訓しろよ。
「どこまでカッコつけとんねん」と関西方面からのツッコミはなかったのか?

ゴージャスの重要な要素である「金ピカ」。金ピカと来れば即座に思い浮かべるのがこのバンド、ABCだ。
別にマツケンサンバでも(うーん、微妙に古い)いいじゃないか?と言われそうだが、あくまでも80年代で語りたいのでこれに決めた。
80年代前半に大流行したニュー・ロマンティックとファンカ・ラティーナという二大潮流の狭間で見事に大ヒットしたバンドだ。

元々は地元シェフィールドで活動してたヴァイス・ヴァーサというバンドを母体としてるんだけど、これがABCとは似ても似つかぬ音楽のもの。ダークでポップ性があまりないエレクトロニクス主体の音楽だけど、ソフトセルから売れ線の要素を取り除いたかのような方向性だった。
そこに後のABCのヴォーカルとなるマーティン・フライが加わってどういった経緯でかはわからんが、1982年くらいには華麗な転身を遂げて、ABCとしてたちまちヒットチャートを賑わすバンドとなった。

マーティン・フライは音楽ジャーナリストだったという話だが、パンク初期にサブタレニアンズをやってた音楽ライター、ニック・ケントとか「Sniffin’ Glue」というファンジン(パンク初期にあった私設音楽雑誌)を出してたオルタナティブTVのマーク・ペリーとか、評論→バンドへの転身はそれほど珍しくない経歴なのかも。
上記の二人ほど骨はないに違いないが、音楽情勢に詳しいという強みを生かしてヒットを連発したところだけは見事?

彼らの代表曲「ルック・オブ・ラブ」 などはいまだにGoogleの予測変換で「るっくお」と入力した時点で候補にあがるくらいに大ヒットしたし、プロモで使われていたからカンカン帽も流行したな。

この時代はカルチャー・クラブやウルトラヴォックス、ピッグバッグにジョン・フォックス、エレクトリック・ギターズ、シンプル・マインズなどなど、日本のCMにもニュー・ウェイブ系の音楽が続々と使われて、使われたバンドは間違いなく有名になるという傾向があったが(ん?エレクトリック・ギターズだけが例外的に完璧な一発屋だったな)ABCもそのパターンだったね。
ロキシー・ミュージックをもう少し若い世代で80年代風にしたらこういう感じ、というコンセプトなんだろうけど、ブライアン・フェリーよりは役者向け、映画のワンシーンみたいなジャケットも有名だね。

上の映像も大ヒットした数曲のうちのひとつだけど、いや、お恥ずかしい。単に金ラメのスーツ(金の推定含有率0%)を着てるというだけで短絡的にゴージャス部門にしてしまったよ。確かにこの服装で成金っぽく見えないのはワンランク上の着こなしだね。ストーカーっぽく女優につきまとってるのに最後になぜか成就してるっぽいのも謎の展開。

関係ないがROCKHURRAHの出身地、福岡には成金饅頭という巨大などら焼きみたいなおみやげがあるのをふと思い出した。
やたら重いからおみやげとして買ったことはないけど、一人分に個装されてないから割と不親切な部類のおみやげだったなあ。

ゴージャス特集、自分にその要素とブラック・ミュージックに対する造詣が全くないもんだから既に企画失敗の自覚があるが、何とか先に進めてみよう、トホホ。何でこんな特集考えてしまったんだろう?

マリー・アントワネットを例に挙げるまでもなく、女性の盛り上がった髪型は古今東西、ゴージャスの重大な要素だったのは間違いない。80年代ニュー・ウェイブの世界で最も盛り上がった女性と言えば必ず思い浮かぶのがこのビーハイブ(蜂の巣)・ヘアをトレードマークにしたマリ・ウィルソンだろう。
それより前の70年代にアメリカではB-52’sがこの髪型で鮮烈なデビューをしていたから目新しいものではなかったが、今回の括りが髪型自慢ではなくゴージャスなので、マリ・ウィルソンの方に焦点を当ててみよう。

思いっきり60’sのガールズ・スタイルとこの髪型でショーダンサーやコーラス隊を引き連れた「大物風」ステージだから、いかにもアメリカンな感じがするが、れっきとしたイギリス人によるフェイクなもの。

70年代パンクの時代にAdvertisingというパワーポップのバンドがあったんだが、そのメンバーだったトット・テイラー。彼が80年代になって作ったインディーズ・レーベルがコンパクト・オーガニゼーションというもの。ちなみにこのAdvertisingにいたサイモン・ボズウェルは後に映画音楽の作曲者として有名になり、ホドロフスキーの「サンタ・サングレ」なども手がけているな。

コンパクト・オーガニゼーションからデビューした中で注目された歌姫の筆頭がこのマリ・ウィルソンとスウェーデンのヴァーナ・リントだが、このどちらもトット・テイラーの60年代好きが反映されている。
ヴァーナ・リントの方は架空のクールな北欧女スパイというイメージ(諜報機関で通訳してたという噂もあり)で音楽もそれ風。後のエル・レーベル、そして”渋谷系”と呼ばれたクルーエル・レコードやトラットリア・レコードなどに影響を与えた(たぶん)ような感じかな。何と世界的に有名なリンツ・チョコレートの令嬢、との事だがスイス生まれのメーカーなのになぜスウェーデン?なところが詳細不明で、またミステリアス。
対するマリ・ウィルソンの方はモータウンとかの歌姫の再来を目指した音楽と見た目でかなりヒットした記憶がある。ん?マリ・ウィルソンについて書こうとしてるのにマリ・ウィルソン部分が異常に少ないな。まあいいか。
そしてこのどちらの歌姫も本格派ではなく、エレクトロニクスをうまく使って「それ風」に仕上げたイミテーションなもの、というのがポイントだった。

「Just What I Always Wanted(マリのピンクのラブソング)」という情けない邦題で世間を湧かせた曲が最大のヒットなんだが、プロモの方はROCKHURRAHが個人的に唯一シングルを持ってた懐かしさで「(Beware) Boyfriend」にしてみた。
どっちもトット・テイラーの作詞作曲なんだが、何かのカヴァーなのかと思うくらいに60年代満載の出来。元New Musikのトニー・マンスフィールドがプロデュースで、この手のフェイクとしては抜群の完成度だな。
日本ではフィリピンのジャズ・シンガー、マリーンが歌った「ボーイフレンド」のカヴァーの方が有名だったけど、ゴージャスさではこの巨大な髪型には到底太刀打ち出来ないね。

ゴージャスとかリッチとかに無理やり当てはめて今回は書いてるが、ニュー・ウェイブの音楽は大まかに言えばロックの範疇にあるもの。しかし生粋にロックだけのものではなく、やっぱりR&Bとかソウルとかモータウンとか、ブラック・ミュージックを取り入れた音楽の方がよりゴージャスに見えてしまうという結果になってしまった。単にROCKHURRAHがあまり考えもせずにセレクトしただけかも知れないけど。

髪型とか金ピカとか、雰囲気だけでゴージャスをいいかげんに書いてきたが、最後のこれは見た目じゃなくて本物のゴージャスな音楽だ。
何度も当ブログで書いてきた80年代リヴァプールだが、エコー&ザ・バニーメンのイアン・マカラック(今は違う発音するみたいだが、80年代的に書けばマカラック)、ティアドロップ・エクスプローズのジュリアン・コープと共にバンドを始めたのがピート・ワイリーだった。
そのバンド、クルーシャル・スリーは世に出ることなく、3人ともメンバーを取っ替え引っ替えした結果、上記のバンドが生まれるが、ピート・ワイリーは70年代末にワー!ヒートを結成して本格デビューする。

3つのバンドともにネオ・サイケと呼ばれた分野で活躍するけど、本格派正統派のエコー&ザ・バニーメン、色んなものを盛り込み過ぎて何がやりたいのかよくわからんティアドロップ・エクスプローズ、そしてハードだが抽象的なギター・サウンドとメッセージ性が強い(推測)ヴォーカルのワー!ヒート、という具合にそれぞれ特徴あるアプローチで支持されていった。

ピート・ワイリーの場合はその情熱が一般的には理解されにくいタイプだったからか、日本では特に知名度は低いが、レコード出すたびにちょっとだけバンド名を変えるという変なこだわりもマイナス・ポイントだったかな。Wah!Heat、Wah!、Shambeko Say Wah!、J.F.Wah!、Mighty Wah!、Wah! The Mongrelなどなど、列記したどこからどこまでがひとつのバンド名なのかわからん。他の人にとってはどうでもいい部分だね。

初期は甲高い声でエモーショナルな歌唱と暗めの曲調を得意としてた(シアター・オブ・ヘイトあたりと似た感じ)バンドで「Seven Minutes To Midnight」などは個人的にとっても思い出に残る曲なんだが、82年あたりから音楽性をガラッと変える。
「Remember」や「Story Of The Blues」「Hope」、この三部作がゴスペルとかR&B要素をロックにうまく取り入れた大傑作となっている。
元々黒人ベーシスト、ワシントン(プロモのバーテン役)が初期からの重要なメンバーだったのでブラック・ミュージックへの傾倒は当然と言えるが、ここまで珠玉の名曲をモノに出来るほど大成するとはデビュー当時思ってもいなかったのでビックリしたもんだ。

ビデオではゴージャス要素が全然見えないが、車に水しぶきかけられてもハートは錦だよ、というような意気込みが精神的なゴージャス。むむ、苦しいか?

「Story Of The Blues」は本来はパート2まである超大作なんだけど、ビデオは前半部分のみ。サビの壮大な盛り上がりはニュー・ウェイブの歴史に残る名曲だな。

この後、マイティ・ワー!になってやっと日本で本格的にリリースされたけど、84年のシングル「Come Back」も壮大路線を受け継ぐ力強い傑作。まあこの時期の彼らの全てがこういう傾向ではなく、ちゃんとロックな曲も多いしアフロ要素まで見え隠れする。シングルとアルバムできっちり両方とも披露してるのが「かぶれ」じゃないところか。

この前後にワイリーのパートナーとして大活躍した美女、ジョシー・ジョーンズは残念ながら2015年に亡くなったが、日本ではその情報さえ皆無に等しいのが悲しい。いかにも80年代ニュー・ウェイブを象徴する服装とルックスで気に入ってたのを思い出す。まさにファビュラスだったよ。
リヴァプール御三家の中でROCKHURRAHが最も熱心に集めていたのがピート・ワイリー関連だったが、ウチのブログでは何かの記事のおまけでチョロチョロ書いてるだけだったので、珍しく熱弁をふるってみたよ。

うん、苦手と言いながらも何とかここまで書けて良かった。やっぱりROCKHURRAHにはゴージャスな音楽は向いてないね。次回はルンペンプロレタリアートからロックスターに上り詰めた人物特集にしてみるか(ウソ)。

ではまた、До свидания(ロシア語でさようなら)。

時に忘れられた人々【24】小栗虫太郎 第2篇

【こんなシーンはないけどイメージ化してみたよ。陳腐】

ROCKHURRAH WROTE:

この「時に忘れられた人々」というシリーズ企画で小栗虫太郎について書いたのがすでに二年前の事。

「黒死館殺人事件」だけが虫太郎の魅力の全てではないし、他にも個人的に大好きな作品はあるんだが、それはまた別の機会に・・・。

などと書いた「別の機会」が二年後の今日というわけだ。
その間に熟考を重ねたわけではないし、たまたまなんだけど、喜んでスイスイと虫太郎について書けるほどの筆力がないというだけの話だね。
この話題に限らず、思いついてはみたものの、全然完成してないブログの下書きがいくつもあるのがROCKHURRAHの現状だ。
今さら言うのも何だが、遅いし格別気が利いてるわけでもないし、ものを書くのにすごく向いてないんじゃなかろうか? (笑)
書くことが決まりさえすれば結構ハイペースで一気に仕上げるSNAKEPIPEみたいになりたいよ。

小栗虫太郎について知らない人がこのブログの、この記事を読んでるかどうかは不明だけど、よくわからん人は前回の記事を読んでね。
関係ないが、なぜかウチの記事が知らぬ間に「NAVERまとめ」などというサイトに二つも掲載されていた。本人が知らないとは・・・。

まあこのように難解な奇書「黒死館殺人事件」は発表当時(昭和初期)の世間を仰天させた長編小説で、「殺人事件」などとタイトルについてる癖に一向にそれらしくない。
現実の事件や人間の動きはあまり描写される事なく、紙面の大半を探偵の法水麟太郎が衒学的知識のひけらかしで埋め尽くす・・・。
中学生くらいで読んで「何じゃこりゃ?」と唖然としたものだ。ペダントリーという言葉をここで初めて知ったよ。
しかしこのまやかしだらけ、何度読んでもスッキリしない大長編には中毒性が秘められていて、1980年代以降の言葉で言うならサブカルチャーやカルト的な魅力を持った作品ということになるだろうか。大マジメに書かれてはいるがバカミスの一種と言ってもいいくらい。

同時代には夢野久作の「ドグラ・マグラ」もあり、探偵小説の二大奇書と言っても差し支えないだろう。ちなみにWikipediaなどには中井英夫の「虚無への供物」を加えた三大奇書と書かれているが、時代も随分違うし無理やりだな、と個人的には思う。

小栗虫太郎は「黒死館殺人事件」みたいな作風のみの作家ではなく、他にも非常に変わった作品を遺している。今回、特集しようと思っているのがそのうちのひとつのジャンル「人外魔境シリーズ」だ。

これは探偵小説作家を数多く見出した雑誌「新青年」に1939年から1941年まで連載された短編集で、いわゆる秘境冒険小説の一種だ。秘境!魔境!

先日、NHKで放送された 「大アマゾン 最後の秘境」といった番組でも明らかな通り、この21世紀でも一般的に知られてない秘境が地球上にはまだ残されているらしい。
「人外魔境」が出た時代だったらもっと数多くの秘境、謎の場所が世界中にあったのは間違いないだろう。
もしかしたら今では観光地や世界遺産になってるようなところでも小栗虫太郎の時代には魔境だったかも知れないからね。

誰でもみんな、というわけじゃなかろうが、ROCKHURRAHは子供の頃から秘境だの未確認生物だのが大好きだった。文献を読み漁って研究するほどのディープなマニアにはならなかったが、TVのスペシャル番組とかでその手のがあると楽しみにしている(同時に裏切られる)ような少年だった。

そういう嗜好があったからこそ、この「人外魔境」に若年の頃から出会う事が出来た。
確かまだ小栗虫太郎を知る前に「少年キング」で連載されていたのを読んでて、後から虫太郎が原作だったと知ったように記憶する。水木しげるや桑田次郎などが漫画化した作品ね。この時代の少年漫画雑誌は探偵小説を元ネタにしたようなのが多くていい時代だったなあ。
その後も小栗虫太郎だけでなく久生十蘭の「地底獣国」や香山滋の「 オラン・ペンデクの復讐」など、文明世界とは違った場所で繰り広げられる小説は色々と探しまくって次から次へと読んでいた。
ROCKHURRAHの「ヒマがあれば古本屋か中古レコード屋巡り」という後年の趣味が確立したのがこの時代だったのは間違いない。

さて、前置きだの回想だのが長くて飽きてきたが「人外魔境」はそれぞれのタイトルと出てくる魔境のキャッチフレーズを読んでるだけで心が高揚してくるような魅力を持った小説だ。
虫太郎の魅力の多くは「ルビ付き漢字」の多用にあり、これが単にカタカナで書いた単語よりもずっとイマジネーションを刺激するのだ。しかしブログのようなWEBではルビ付けるのが結構面倒くさくなるので、その辺の魅力をうまく伝えられないのが残念。
全部挙げてたらキリがないけど、いくつか書いてみるか。

「有尾人(ホモ・コウダスツ)」
コンゴ北東部にある「悪魔の尿溜(M’lambuwezi)」が舞台。
大絶壁の下に広がる大湿林、上空を真っ黒に埋め尽くす蝿や蚊、毒虫の大群のため、歩きでも飛行機でもたどり着く事が出来ないというド秘境だ。恐ろしい。
ふとした事で人間に捕らえられた尻尾のある猿人ドドが発端となって、主人公たちが悪魔の尿溜を目指す話。誰も辿りつけないと言ってるのに割となりゆきで大掛かりな探検隊が編成されるのがすごい。
通常の冒険物だったらまあその話だけで一編モノに出来るけど、平凡を嫌い奇異を好む作家、虫太郎らしくそこには異常なロマンスもあり、聞いたことないような奇病もあり、よくぞこんな話を考えたな。「マックス、モン・アムール」などと呟きたくなる。

そう、この後に続く作品にも趣向を凝らした美女や変な女たちが次々と登場して、エンタテインメント性も忘れてないのが「人外魔境シリーズ」なのだ。
しかし世紀の発見と思える有尾人そのものについては案外ぞんざいな記述しかないので、うーむ、読者もわかったようなわからんような。

「天母峰(ハーモ・サムバ・チョウ)」
第三話であるこの作品から、シリーズ物の主人公である世界的な鳥獣採集人、折竹孫七が登場する。当時の日本人の誰も見たことないような新種、あるいは貴重な生物を発見して捕獲し、その道では世界的に有名らしい。
そして各国に出入り出来るという立場を利用して、実はアジアの奥地を秘密測量しているという裏の顔を持つ人物。スパイ的な活動もあるわけだ。
まさに第二次世界大戦が始まった頃の小説であるから、大東亜共栄圏の構想に基づいて書かれた日本の英雄が折竹孫七だったのだ。

規制が強かったからこの時代、探偵小説は書く事が難しくて、作家は時代劇に走ったりこのような冒険小説(多くは軍国主義寄り)に走ったり、反戦小説書いて捕まったり、岡山に疎開したり、色々と大変だったわけだな。

この話に出てくるのはチベットの巴顔喀喇(パイアンカラ)山脈にある「天母生上の雲湖(Lha mo Sambha cho)」。
4万フィートにも及ぶ大積乱雲に覆われていてどこにあるやらさっぱりわからんという現世の楽園らしい。毘沙門天の楽土がその頂にあるという。どうしたら行けるのだろう?教えて欲しい。ん、「ガンダーラ」の元祖みたいなもんか?
その謎の楽土を目指す折竹。
同行するのが山に登った事もない男と頭の足りないサーカス娘というすごいメンツだ。 小栗虫太郎は必ず意外性のある人物を無理やり話の中に登場されるという癖があるが、まさにそのアンバランスこそファンにとっての魅力。
乱歩の「鏡地獄」を流用したような描写まであり、両方のファンにとってはたまりませんな。
そこに行く目的も壮絶で「祖国をなくした人間がどこの地図にもない安住の地を求める」という、激動の時代だからこその理由だ。

作者(小栗虫太郎)の元を訪れた友達の折竹が冒険譚を語るという構成が多いが・・・しかしいきなり出てきた最初から折竹の秘密(スパイ的活動)を読者にばらしてしまうとは。とんでもなく口が軽いぞ、虫太郎。

「太平洋漏水孔(ダブツクウ)漂流記」
ニューギニア付近(?)の海にある「海の水の漏れる穴(Dabkku)」。
巨大な渦巻きの中心が陥没していて穴が開いてるように見える。
中にいくつか島があるが渦巻きのせいで行っても絶対に帰って来れない場所らしい。しかも温度が45℃もあるという。
うーん、暑さにとても弱いROCKHURRAHならずとも大抵の人間は行けるはずない。
この話は折竹が若い頃に出会った世にも奇妙な物語、という形式で語られる。

主人公は独逸ニューギニア拓殖会社(ドイッチェ・ノイ・ギネア・ゲゼルシャフト)というまるでDAF(Deutsch Amerikanische Freundschaft)のような名称の会社に勤めるドイツ人幹部、若くてお洒落との事だ。
趣味が高じてカヌーの長い旅から帰ってみると、何とニューギニアがドイツの占領下からオーストラリアの支配下に変わったという。
海の上にいる間に戦争が始まったというわけね。
周りみんな殺されてしまい、復讐のために敵国司令官の子供を誘拐。んがしかし、勘違いで司令官の子供の友達である日本人の子供を誘拐してしまう。あーあ。
そしてこれまた成り行きで、子供連れで日本を目指す大冒険の旅をする。
そしてまたありえないような身の上の少女まで登場し、三人で日本を目指すのだが。
「オジチャン、オチッコが出たいよ」
「黒死館殺人事件」で初めて知って、難解な小説を書くという先入観で読むと同じ作者とは思えない表現にビックリするね。そして想像するだけで怖い「島」。

この時代の話だから今では問題となるような差別描写も出てくるけど、大海原の小さな舟という密室で違った目的の人間が一緒にいる。この閉塞的なシチュエーションを考えだした虫太郎は素晴らしい、と初めて読んだ時は快哉を叫んだものだ。後のどんなパニック映画もこの域を超えてないと思えるからね。

「幽魂境(セル・ミク・シュア)」
グリーンランド中部高原の北緯75度あたりにある「冥路の国(Ser-mik-suah)」。
1万フィートの大氷河の中にあり、生身の人間が踏破出来る場所ではないと記述されている。死んだエスキモーが橇を駆って氷の涯に向かってゆくという神秘譚が語られる。
「死骸になってから行かされるなんて、おいらの種族はなんて手間がかかるだべえ(エスキモー、アル・ニン・ワの談話)」
そして先占問題(その土地を一番最初に見つけた国の所有権になる)までも絡めた壮大な話だ。その場所が何とグリーンランド(デンマーク領)の内部にあり、発見したのが折竹孫七だと言う。 つまりグリーンランドの内部に日本が先占宣言出来る土地があるというのが今回の話のポイントとなる。
で、今回もまた意外性ありすぎのメンツで冥路の国を目指す。
出てくるのは無疵のルチアーノ(ラッキー・ルチアーノ)、その情婦で魔窟組合の女王、牝鶏フロー(ニッキー・フロー)というニューヨークのギャングスター一味。
ヒロインはサーカスの怪力女、おのぶさんという大姉御だ。
第一話は猿人ドドだったが、ここでは鯨狼(アー・ペラー)という奇獣が出てくる。
何でこんな組み合わせでグリーンランド奥地?などと思ってては虫太郎ワールドにはついてゆけない。これを必然に変える強引な展開こそ虫太郎の素晴らしいところだね。

以上、4つだけピックアップしてみたが、未読の人にこのわけのわからない魅力が伝わっただろうか?

魔境冒険物とは言ってもハリウッド映画並みの大アクション・シーンや恐怖のクリーチャーを期待されても困るし、短編集なので部分的にはあらすじのようなサラッとした描写しかなかったりするのが物足りない感じはする。
これが「黒死館殺人事件」のように延々と描写されてたらそれも困るが、程よいヴォリュームだったらな、と残念に思うよ。
しかしこの小説が太平洋戦争突入直前に書かれた日本人のイマジネーションによる産物だと考えれば、その凄さが多少は理解出来るというものだ。
まさに珍しい漢字とルビの大伽藍。

80年代的に言えばこれだね。
元ゲルニカのメンバーだった大田螢一による「人外大魔境」というアルバムより。
と言ってもゲルニカのフロントは戸川純と上野耕路の二人だったんだけど。太田螢一はグニャグニャした不気味な絵柄のイラストでも有名だね。実写版「ドグラ・マグラ(松本俊夫監督)」のポスターとか描いてたな。そしてこちらは虫太郎。
ヒカシューの巻上公一や細野晴臣、鈴木慶一などと共に作ったグロテスクでイビツなニュー・ウェイブ歌謡がこれだ。
関係ないけど「フールズメイト(音楽雑誌)」の編集長だった故・北村昌士がやってたバンド、YBO²は「ドグラ・マグラ」という大傑作を出してたな。
二大異端作家、音楽で蘇る。
関係あるかどうか不明だが東京ロッカーズのS-KENも「魔都」などという久生十蘭みたいなタイトルの曲をやってて、異端探偵小説の大御所三人がこんな時代に出揃ったわけだ。

小栗虫太郎は「黒死館殺人事件」で得た「異常でとにかく変な、難しい小説を書く人」という固定観念を覆すべく、様々な作風の(これまたイビツではあるんだが)ものを書いてきた。
新伝奇小説と銘打った「二十世紀鉄仮面」や「青い鷺」などは江戸川乱歩における通俗物のように、探偵役が推理するだけでなく、実際に事件に巻き込まれてピンチになったり冒険したりする境地にも挑戦した。
「白蟻」や「潜航艇『鷹の城』」などは異常な舞台設定で起こるかなり奇妙なテイストを持った作品で虫太郎以外には書けないだろうというシロモノ。
そして秘境冒険小説の体裁を取ってはいるが何でもありの異常な世界「人外魔境」。

小栗虫太郎は三軒茶屋近くの太子堂をホームグラウンドにしてあまり出歩かなかったというような話を読んだ事があるが、この小説も何らかの文献で得た知識と自分の想像のみで書き進めたのだろうか。
実際にそんな場所(「人外魔境」の舞台になった土地)にそんな魔境があったのか?
これを今の情報量で考証するほどのヒマがROCKHURRAHにないからわからないが、かなりの大ぼらが混じった幻想の中の魔境なんだろうと想像する。
それは現実よりもずっと魅惑的な世界なので、このままでいいんだと思うよ。
魔境も神秘もずっといつまでもこの世にあり続けて欲しいからね。

さて、第3篇があるのかどうか?それは何年後なのか?
それではまた、Kwa heri.(スワヒリ語でさようなら)。

時に忘れられた人々【23】同名異曲編2

【今回はナチュラル志向と着飾ったのが競演】

ROCKHURRAH WROTE:

どこの天気予報でも「今年は記録的な猛暑になる」というような予報が出ていて、真夏の暑さが大嫌いなROCKHURRAHは気が滅入っている。
今のところ猛暑というよりはおそろしい湿度で、部屋の中にいても蒸し蒸しという日々が続いてるけど、そんな中、やって来ました。去年に引き続きまたまたエアコンの不具合。
去年の夏のブログ記事で書いた通り、真夏の最も暑い時期に我が家のエアコンから恐怖の水漏れが起きてしまい、応急で下に貼ったゴミ袋に毎日のように大量の水が滴り落ちるという事件が発生した。
水を慌てて拭き取ろうとした際にぐるぐる回っている部分に指を突っ込んでしまい、あわや骨折か?と思うくらいの怪我をした悪夢の思い出。あれで数ヶ月は指の感覚がおかしくなってしまったからね。
去年はメーカーに来てもらったのに結局、原因は不明だがなぜか改善されてしまった。自分でドレンホースやドレンパンのつまりも解決したから、改善されなきゃウソなんだけどね。
今年もとりあえずは大丈夫なはずなんだけど、またもやすごく暑い日から突然大量の水が垂れてきて大パニック。応急の対処法はすでに会得していたけど、個人的にイヤな出来事ばかり続いてたし、よりによって自分の誕生日にこんな問題まで抱え込んで頭が痛いよ。
結局、一週間水漏れのまま耐えて週末に業者に来てもらい、やっと(たぶん)解決したという始末だ。
おそらくの原因は本体内部のドレンホースより排水の穴の方が位置が高かったため、水が逆流してたんじゃないか?というお粗末なもの。つまりは最初の設置ミスだとの事。確かに最初の時はよくわからんバイトの小僧みたいなのが取り付けに来たもんな。
貴重な時間をこれで何時間も無駄にしたけど、とりあえずは真夏の水漏れの心配がなくなったようで良かったよ。

人にとってはどうでもいいような前置きだったな。しかも今日の記事とは何も関係ない。
さて、今回も引き続き「同名異曲」について書いてみよう。
最近はどうだかわからないけど、90年代くらいはバンド名もタイトルもひとつの単語のみというようなシンプル過ぎなのが流行ってた時期があったな。それだったら同名のタイトルというのも結構あったんだろうな。
ウチのブログでは70年代や80年代の音楽についてばかり書いてるから、そこまでいくらでも同じタイトルの曲が転がってるわけじゃないけど、何とか探してみたよ。

Son Of A Gunというのは英語でよく使われる言い回しのようで「船の大砲の下で生まれた子供」というような意味らしい。ん?何じゃそりゃ。
日本で言うなら「橋の下で生まれた子供」とかと同じような使い方なんだろうが、そもそも今の時代にそんな会話あるのかね?
そのままの意味では使いドコロがわからんけど「ロクデナシ」とか「ちくしょうめ、この野郎」というようなニュアンスらしい。サノバビッチにサノバガン、どちらにしても慣用句が嫌いでスラングっぽい言葉を全然使わないROCKHURRAHには理解しがたい言葉だなあ。

そんなタイトルを代表曲につけたのが越路吹雪、ではなくて1980年代後半にスコットランドで活動していたヴァセリンズだ。
ユージンとフランシスの男女ペアが中心のアノラック系ギター・ポップのバンドでジャケットも二人の世界だが、デュオではなくユージンの友人や兄弟なども含めた編成だった。日本で言えばチェリッシュみたいなもんか?

キング・オブ・アノラックってほどにキングな活動はしてないが、パステルズのスティーヴン・パステルに見出され、彼の53rd&3rdというレーベルから出したのがこの「Son Of A Gun」というデビュー曲。

ニルヴァーナのカート・コバーンが彼らの曲を大々的にカヴァーして、90年代にはにわかに再評価されまくった(レコードもプレミアついて高騰)が、80年代後半のリアルタイムでは割と細々と活動していたという印象がある。活動期間も短かったから知る人ぞ知るようなバンドだったな。
まあ音楽性もヴォーカルも80年代的に言えば「ヘタウマ」。
初々しい感じのバンドだからインディーズでこじんまりとマイペースにやってゆくのが本来の姿だね。後にすっかり老けてしまってから奇跡の再結成を果たした。
少しはしたたかになった模様だが、基本的には相変わらずの路線でファンをなごませた。
彼氏は少しギターとかやってるけどギンギンのバンド野郎じゃなくて、彼女は彼氏の影響で歌とか歌い始める。音楽業界の事とかよくわからないけど好きな音楽と彼氏とでささやかに宅録とかしたい。ヴァセリンズはそういったカップルとか内輪で音楽をやっている者にとっては光明と言える存在だったんだろうな、と勝手に推測してみたよ。

こちらもまた同じタイトルを持つ曲、リヴァプール出身のラーズによるもの。
「There She Goes」という不朽のヒット曲によって知られるが、曲は知ってるけどどんなバンドがやってるのかよく知らないという人も多かったんじゃなかろうか?
80年代後半にデビューして人気、知名度も上がってきた頃、曲やレコーディングの出来に不満を持ったバンド側が発売をキャンセル。しかしレーベルはバンドの意向を無視して勝手に作りかけだったアルバムをリリース。楽曲は全てバンド側の意図してない出来のまま世界に出回ってしまったわけだ。
そういう激しい諍いがあって、大人気バンドになる可能性があったラーズは活動停止してしまったという経緯がある。
彼らの有名なアルバムはヴォーカリストのリー・メイヴァースが「買うな!」と言った作品だとの事だが、その1曲目に「Son Of A Gun」は入っている。

親しみやすく素朴なメロディにやや乱暴な歌い方が絡むというスタイルは少し後で出てきたオアシスなどの原型だと言える。かなり60年代な雰囲気なのでその辺が好きな人に熱烈支持されていたね。
しかしこの映像はまだいい方なんだけど服装とかに全く無頓着なタイプ。基本的にジャージとかネルシャツとか楽なのが一番、という姿勢で貫いているな。
大人気バンドになる可能性があった、と書いたものの、絵にならないなあ。

では絵になるこちらで仕切り直しといこうか。

Spellboundは日常生活ではあまり使われない単語だとは思うが、呪文で縛られたとか魅せられたとかそういう意味だそうだ。
ロンドン・パンク初の女性ヴォーカリストとして出発して、後にはゴシック、ポジティブ・パンクの元祖的存在だったスージー&ザ・バンシーズの1981年、4thアルバムに収録されてシングルにもなったのがこの曲だ。
Banshee(アイルランドの死の妖精)をバンド名につけ、初期の頃から割とダークな曲調を好んでたスージー・スーが歌うにはピッタリのタイトルだと言えるね。
あまりにも有名なバンドだから今さら書くような事もないけど、この後の女性ヴォーカル・バンドのひとつの路線を作った偉大なバンドだったと思う。

映像は森のなかをスージーやバンド・メンバーが走り回る割とアクティブなもの。白塗り化粧で退廃的、運動や汗とは無縁の印象があったけどライブでは動くだろうしそんなでもないのか?ドイツのベルフェゴーレにも海辺を全力疾走しまくるというミュージック・ヴィデオがあったが、バンシーズはやっぱり森の中の方が似合うね。森の奥にいるシャーマンという感じがするから。

ROCKHURRAHは昔から海よりは山、森や渓流の風景に惹かれるが、実際はそんな山の中に滅多に行かないしアウトドアな人間ではない。憧れは人一倍強いんだけど、気軽に行けないようなところにばかり暮らしているからなあ。
冬場は寒いからちょっと、だけど、こんなに蒸し暑い夏は深山の奥で暮らしたいという願望が沸き起こる。
高校生の頃、住んでた家の近場に小倉(福岡県)の足立山という小さな山があった。秘境でも森でもないが、雑木林くらいはあるだろうという程度の山だ。
ある日の朝、なぜか学校に行かずその山を目指してひたすらに歩いて歩いて登ったという変な出来事を思い出す。
通学のバスを降りて山へ入る道を歩いて行ったのだが、その後の一日をどうやって過ごしたのか、どうやって帰ったのかをまるっきり覚えてないのだ。
学校サボってまで山に入る動機もひとつも思い出せない。
運悪く体育教師に目撃されたらしく、後に学校に来てない事が発覚すると予想した以上の大問題に発展した。当たり前だが家に連絡されて翌日も呼び出されて大目玉をくらった事だけは覚えてる。自分の行動は全く覚えてないくせにね。
その時の心境はまるっきりわからないが、今にして思えば何かに導かれてどこかを目指した、これも神秘体験の一種だったんだろうかね?
おっと、今回の記事には全く関係ない思い出話だったよ。

そんなバンシーズの名曲と同名タイトルなのがこれ、ピンク・ミリタリーの1979年に発表した12インチ・シングルに収録(1stアルバムには未収録)。
ん?紹介する順番が逆だった事に今気付いたよ。「Spellbound」というタイトルではこちらの方が早かったんだね。
「同名異曲編」の1の方でも書いたが、デヴィッド・バルフが関わっていたビッグ・イン・ジャパンというリヴァプールのパンク・バンドがあって、そこの歌姫だったのがジェーン・ケーシーだった。
このバンドからは

  • 後にフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドで大ヒットするホリー・ジョンソン
  • ライトニング・シーズで大ヒットするイアン・ブロウディ(キングバード名義でプロデューサーとしても有名)
  • KLFでチルアウトというハウス・ミュージックの元祖となったビル・ドラモンド
  • 上に書いたスージー&ザ・バンシーズに参加するバッジー(後にスージーと結婚して離婚)

などなど、有名ミュージシャンが最初に始めたバンドとして伝説となっているが、ジェーン・ケーシーがビッグ・イン・ジャパンの後に始めたのがピンク・ミリタリーだった。
ジェーン・ケーシーと言えば70年代後半のパンク・ガールの中でも最も退廃的な美しさを誇り、異様なメイクや奇抜な服装でも有名。リヴァプールの中では一歩抜きん出たファッショナブルな存在だったと個人的には思う。
しかしピンク・ミリタリーの音楽はそういう派手な見た目とは裏腹に案外地味な感じだった。
他のメンバーがビッグ・イン・ジャパンとは違う方向性で有名になったのとは対照的だけど、ある意味、ビッグ・イン・ジャパンを最も継承していたのは彼女だったんだろうね。
スージー&バンシーズあたりとも通じるダークな曲調にジェーンの気怠い感じの歌声が響く地味な楽曲。時代的にネオ・サイケに属するような音楽だがポジティブ・パンクとかゴシック的要素はあまり感じない。むしろそっち方面に行ってたら大成したかも知れない、という風貌だが、音楽の方はそんなにドギツくない。

映像の方はレコードではなくリハーサル・トラックの音源との事だが、ビッグ・イン・ジャパンやリヴァプールの大半のバンドがライブをやったであろう、エリックスというライブハウスでの珍しい写真がスライドで出てきて、マニアにとってはかなり価値が高いもの。当時はものすごく盛り上がってたんだろうな。行きたかったなあ。
ピンク・ミリタリーや後のピンク・インダストリーはヒットしなかったらしく、プロモもTV出演の映像とかもほとんどないのでこれで許して。

まだまだ探せば同じタイトルの違った曲は出てきそうだけど今回はここまで。
ではまた、Até mais tarde(ポルトガル語で「またね」)!