ふたりのイエスタデイ chapter05 / Orchestre Rouge

【ジャケ買いで中身も良かった、大好きな青春の一枚。】

ROCKHURRAH WROTE:

2014年正月から始めた新企画がこの「ふたりのイエスタデイ」シリーズなんだが、これはROCKHURRAH RECORDSの二人の運営者(大げさ)が思い出深い一枚のレコードや写真などを選んで、それにまつわるエピソードを書いてゆくという内容の記事だ。
いくつか連続でウチのブログを読んでいただければすぐにわかるんだが、とにかく70〜80年代の音楽ネタが満載のブログなので、このシリーズだけが特別にノスタルジックなわけではない。
メニューのところに「シリーズ記事」などと書いてて細かく分かれてる割にはそこまで細分化する必要もないんだが、まあ書いてる方の側の気分ということで使い分けてるだけ。

お盆休み真っ最中でも帰省するわけでもなくて、アクティブに出かけてるわけでもないROCKHURRAHとSNAKEPIPEなんだが、そもそもこのどんより具合の天気は何?というくらいに全然お盆っぽくない湿度満点の空模様。これじゃイヤになってしまうよね。

さて、久々にこの記事を書くに当たって選んだのが上のレコード・ジャケットだ。
ジャケットというのは絵画や写真だけの作品とは違って完全に正方形の中で展開するアートで、ほとんどの場合は絵や写真だけでなくアーティスト名やタイトルまでを含めたトータルなグラフィック・デザインだ。
ROCKHURRAHに限らず、古今東西でこのジャケット・アートワークに魅了された人は数多く存在しているに違いない。
もしかしたら中の音楽そのものには全然興味なくてジャケットの良し悪しだけでレコードを集めてるような人もいるかも知れないね。もし、美麗なレコード・ジャケットを集めた展覧会があったらぜひ行きたいものだが、過去にそういう企画はどこかであったのだろうか?実はそんなのはありきたりで、常に美術関連の事を考えているわけじゃないから知らないだけかも。
もしも世界のどこかレコード・ジャケット美術館みたいなのがあってキュレーター募集してたら立候補したいくらいだよ。
ん?わずか数行の間に3回も「もし」という言葉が入ってるぞ。ひどいもんだな。

話がそれたがそういうアートワークとしてのジャケットの好き嫌いという点では、このジャケットは大好きな類いになる。いかにも80年代のヘタウマみたいなプリミティブな絵柄なのに題材はグロテスクで好みにピッタリ。
描いているのはRicardo Mosnerというアーティストで(この人の事は今回特に書かないが・・・)、この素敵なジャケットのバンドが今回語りたいオルケストル・ルージュなのだ。
本当は個人的にはずっとこのバンドの事をオーケストラ・ルージュと呼んできてそれでも間違いというわけではないんだろうが、フランス読みにするとたいていはオルケストルと読んでる人が多いので仕方なくこう書くよ。うむ、しょっぱなから何か敗北感。屈辱的。

1970年代の最後を飾った音楽の大きな流れはパンク、そしてニュー・ウェイブへと続いていった。初期ニュー・ウェイブの頃は特に細かいジャンル分けもなかったんだが、そのうち登場するバンドたちの数が膨れ上がってさまざまな音楽スタイルが乱立するようになった。
紛らわしいのは当時と今とで同じ音楽を指すのに違うジャンル名があったり、欧米と日本で違うジャンル名になっていたり、この手の話は特に文献もないし、当時を知る人と現在ウィキペディアなどで情報を集めた人の話が食い違うのは当然という気がする。
おや?話が随分脱線してしまったが、こんな面倒な時に有効な便利な言葉があったよ、ポスト・パンク。80年代初期の大半のバンドについて語る時に「これはポスト・パンクのバンドで・・・」と言っておけば大体間違いないはず。このオルケストル・ルージュもおそらくポスト・パンクのバンドと言っておけば間違いないな。

80年代初期の表のムーブメントではエレクトロニクス・ポップ(テクノ・ポップ)やニュー・ロマンティック、2トーン・スカやファンカ・ラティーナなどがヒットチャートを賑わせていたが、それと同時期にイギリスではネオ・サイケ、ダーク・サイケ、ポジティブ・パンクと呼ばれる暗くて重苦しいシリアス路線の音楽が裏では着実に若者の心を掴んでいた。まれにヒットチャートの上位になったりもするが、この手のバンドの活動拠点はどちらかというとインディーズの小さな市場向きだったな。万人に受け入れられる音楽じゃなかったのは確かだからね。
そういう新しいバンド達に影響を与えた先駆者として必ず名前が挙がってくるのがスージー&ザ・バンシーズ、バウハウス、キリング・ジョークにエコー&ザ・バニーメン、ジョイ・ディヴィジョンなど。全て70年代後半にデビューしているが、これらの名前がメジャーなところだった。
ROCKHURRAHも御多分にもれずこれらのバンドに傾倒していって、特にジョイ・ディヴィジョンについては熱心に聴きまくったものだ。
イアン・カーティスの押し殺した声と素晴らしい楽曲の数々は今でも毎日のように聴いているほど。
遠く離れたイギリスで活動してるバンドだしイアン・カーティスがどんな人だったかも当時は知らない。だから彼が首吊り自殺をしたという記事を音楽雑誌で読んでも泣いたり悲しんだりは出来なかったが、大きな喪失感があった事だけは確か。

その後もROCKHURRAHはジョイ・ディヴィジョンっぽいという噂の別のバンドをどこからか探してきていくつも買ってみたが、そのほとんどは小粒で「これこそ探し求めていたもの」という域には達してないものばかり。
オルケストル・ルージュを知ったのもそのくらいの時期で、この頃は下北沢の有名なビデオ・レンタル屋のレコード・レンタル部門(支店)で働いていた名物店員だったな。休みや仕事をしてない時はほとんどどこかの輸入レコード屋に入り浸っているくらいのマニアだった時期だ。
このバンドを知った肝心な経緯は覚えてないんだがたぶん「フールズ・メイト」という音楽雑誌で「フランスのジョイ・ディビジョンと名高い」などと書かれていたから探していたんだろう。
当時は色んな方面のレコードを同時に探していたからすぐに出会えたわけではないんだが、全然関係ないような時に下北沢のレコファンで運命の出会いをした(大げさ)。当時住んでた部屋から最も近いレコード屋で見つけるとは。しかも中古で500円くらいで買ったな。

これがオルケストル・ルージュとの最初の出会いだ。一番上の写真にある「More Passion Fodder」というのが1983年に出た彼らの2ndアルバムになる。中古屋で買ったものだからもちろんリアルタイムではないにしろ、嬉しさに違いはない。
ずっと探していたものだったから小躍りして買い求め、大急ぎで家に帰って針を落とした。そして出てきた音はまさにドンピシャの理想のものだった。

このバンドは1981年くらいから84年くらいの短い期間にフランスで活動していたネオ・サイケのバンドでフランスのRCAからわずか2枚のアルバムを残して解散してしまった。もちろん日本盤などもなく、どこでも入手出来るほどの知名度はなかったため、運が悪ければ何年も手に入らなかったろう。もし見つかったら別に高額なわけでもないんだけどね。
日本語に訳せば「赤いオーケストラ」というこのバンド名、インターネット検索すれば今では一発で由来もわかるだろうが、そんなものない時代だから無知なROCKHURRAHは勝手に口紅楽団などと思っていたよ。まあそれでも別におかしくはないんだろうが。

ナチス・ドイツ占領下のヨーロッパに存在した、
ソビエト連邦に情報を流していたコミュニストの
スパイ網に対してゲシュタポが名付けた名称。

というのがオルケストル・ルージュの由来だそうだが、この辺もナチの強制収容所慰安婦施設から名前を取ったというジョイ・ディヴィジョンと似通ってるのかな?

このバンドのリーダーでヴォーカリストのテオ・ハコラはフランス人ではなく、アメリカ出身、しかもフィンランド人とスウェーデン人のハーフらしい。若くしてグアテマラ、スペイン、ロンドンとさまざまな職業をしながら放浪して、1980年にパリでオルケストル・ルージュを結成する。というのが略歴なんだが、一体いくつの国が出てきた?もう生まれついての国際人だね。

かなりのインテリなのは間違いないしその歌の内容も詩と言うよりは政治的なアジテーションとか演説の類いに近いもので過激。教師をしていた経歴もあるそうだから、言ってる内容もたぶんプロっぽいのか?
政治も海外の歴史も疎いROCKHURRAHなどは単に曲の良し悪しだけで音楽を判断するしかないが、意味がわかる人にとっては全然違う見解になるのかもね。

家に帰って針を落としたところから進んでなかったから話を戻すが、この2ndアルバムは数あるネオ・サイケの中でもROCKHURRAHが一番好きな大傑作。
特に1曲目「Seconds Grate」から「Where Family Happens」「Chief Joseph Heinmot Tooyalaket」まで切れ間なく続くこの3曲はいつ聴いても最高。曲の好みは人それぞれだから誰にもオススメはしないが、個人的にはパーフェクトなネオ・サイケが展開する。
ジョイ・ディヴィジョンに似ている部分はあるけど、完全なフォロワーとは全然違っていてオルケストル・ルージュならではの魅力が詰まっている。デビュー当時から現在に至るまでずっとヴァイオリンの音色を愛し続ける姿勢も本家ジョイ・ディヴィジョンにはないからね。

テオ・ハコラの歌い方にはかなり特色があって、カントリー&ウェスタンやロカビリーなどでするしゃっくりのような歌い方、ヒーカップ唱法に近いものがある。声質はイアン・カーティスというよりはバースデイ・パーティのニック・ケイブに近いものがあるな。

このバンドの1stアルバム「Yellow Laughter」はマンチェスターで録音、しかもプロデューサーはジョイ・ディヴィジョンで有名なマーティン・ハネットがやっている。このことからも「フランスのジョイ・ディヴィジョン」云々と言われてきたんだろうけど、こちらの方は端正にまとまった曲が多く、ROCKHURRAHとしてはよりエモーショナルな2nd、つまり今回特集した方が好みだった。
聴いた順番は1stの方が後だったのでややインパクトが薄かったせいもあるんだろうな。
しかしジャケットはこっちの方が有名で、上のYouTube(1stと2ndがカップリングされたCDらしい)でも「Yellow Laughter」のジャケットが使われている。

ある日、このバンドのライブ盤をレコード屋で見つけて買った夢を見たんだが、その日行った新宿のレコード屋で本当にライブ盤を見つけるという、まさに正夢な経験をしたこともある。ちゃんとした3rdアルバムではなくてどうやら自主制作盤のようで、出回ってる数も少ないはずだから本当に縁があったと思いたいよ。テレヴィジョンやジョイ・ディヴィジョンのカヴァーも入った、ファンならば絶対に聴いておきたい一枚だ。

オルケストル・ルージュが解散した後、テオ・ハコラはパッション・フォダーというバンドを結成したが、これは何とも形容がしがたい地味な音楽でサイケデリックとカントリー風味、トーキング・ヘッズっぽさがちょっとだけ見え隠れするけど、イマイチ理解しにくい代物。何曲か好きな曲はあるんだけど、この人の歌い方がどの曲も基本的に同じような字余りで、区別がつきにくい曲を量産していたという印象がある。 たぶんオルケストル・ルージュでいい曲を書いてた人がいなくなったのが原因だろうと推測する。
テオ・ハコラの確立されたスタイルがマンネリ化してしまうという最大の弱点ばかり強調されてしまった感じ。
4作目までは耐えて買ったがその後はあまりロックを聴かなくなった時期にかかってしまったので、ここでリタイアしたよ。

結局パッション・フォダーは長く続けた割には地味で時代に埋もれてしまったが、オルケストル・ルージュの方は今でも風化することなく(あくまで個人的にだが)輝いている。

今回のブログも長く書いた割には特に人々の興味を惹く部分がなくて、いよいよ文章もスランプ気味だなあ。夏だから仕方ない。涼しくなって来たらもう少しはマシになる予定。
ではまたオ・ルヴォワール。

ロックンロール世界紀行 Transit03

【独自の視点で世界を旅する、観光的要素はほとんどないけどね〜】

ROCKHURRAH WROTE:

3回目ともなるとさすがにくどい前置きなど要らないと思えるが、単に国名や地名のついた曲名(バンド名になる予定もあり)を挙げて、それにまつわるちょっとしたコメントをするだけというのがこの企画だ。

こういう趣旨のブログ記事が他にあるのかどうかさえ調べてないが、曲名の条件さえクリアすれば何でもいいというわけではなくて「70〜80年代のパンクやニュー・ウェイブが話題のメインで」というかなり限定的な内容となっている。当然だが、曲名としてよく使われるメジャーな国や都市は何回も紹介するだろうし、逆立ちしても一曲も出てこない不人気国なんてのも数多く存在してるに違いない。
あと、一番上の世界地図にバンド写真を分布させるという手法を取っている関係上、あまり同じ地域に固まるのは避けているのも当たり前。マンチェスターとシェフィールドとリヴァプールがそれぞれ曲名に付いたのを偶然発見したとしても同じ日のブログに載る可能性はないということだね。

やっぱりくどくて言い訳がましい前置きだな。

Mexico / The Waltons

自分でそういうジャンルの服装にトータルで挑戦した事はなかったけどROCKHURRAHの今の風貌で最も似合うのはウェスタンな服装だと言われる。いや、みんなに言われてるわけじゃなくてSNAKEPIPE一人に言われてるだけなんだけどね。
確かに怪しいガンマンのような格好させたら「そのもの」になってしまう。何十年もこういう格好してるに違いない、と思うような爺さんとかたまに見かけたりするけど、たぶんROCKHURRAHも一式揃えたら即日で年季が入ってそうなウェスタン野郎になってしまうに違いない。だから敢えてそういう方向性を避けてるんだけどね。
正統派ではなくてマカロニ・ウェスタンと呼ばれるような映画も色々見てきたし、子供の頃はクリント・イーストウッドではなくてリー・ヴァン・クリーフ(主に悪役)に憧れていた。ああいうオッサンにだったらなってみたい気はするな。
そのマカロニ・ウェスタンに登場するメキシコ人は絵に描いたような卑劣漢で裏切らない筈がない、という印象を叩きこまれて育ったものだ。
でも陽気で死をも笑い飛ばしてしまえるようなタフな国、実は大好きだよ。ロバート・ロドリゲスは大好きだしトルティーヤは好物だし。あまり説得力ないか。
この国も間違いなく危険そうな印象はあるけど、個人的に一度は行ってみたい国の候補だね。

そんなメキシコの魅力を存分に伝えてくれるのがウォルトンズのこの曲、そのものずばり「Mexico」だ。カウパンクやラスティックの年季が入ったファンならばこのバンドの事ももちろん知ってるだろうけど、一般的にはほとんど知名度のないドイツのバンドだ。
本人たちは出てきた当初は自分たちの音楽性をウェスタン・ロカビリーというような言い方していたが、カウパンクとかラスティックという一言でどんな音楽かピンと来ない名称よりも非常にわかりやすくていいな。
ドイツという、どうあがいてもウェスタン気取りにはなれないような環境で1985年にデビューして以来、延々と同じ路線を貫いている筋金入りのカウパンク・トリオがこのウォルトンズだ。ベースはロカビリーのウッドベースではないんだが、キレのあるギターと軟弱そうなヴォーカルが魅力、曲も典型的カウパンクで作曲センスもROCKHURRAHの大好きなパターン。とにかく軽快で時には軽薄、典型的なんだけどインチキ感満載でペラペラなのかそれとも懐が深いのかよくわからない紙一重の世界。
しかし見た目がネルシャツのみでウェスタンを表現するという貧弱さ、ルックス的にはどうでもいいタイプ。この音楽でせめてアラームやイップ・イップ・コヨーテ(どちらもウェスタン系ファッションが似合ってた80年代のバンド)くらいに決めてくれれば良かったのに。人に勧めるのを躊躇してしまうタイプのバンドだよ。
曲はちょっと聴いただけで典型的メキシカンな雰囲気バツグン、哀愁のある名曲だな。今まで3回もこの「ロックンロール世界紀行」をやってきて、これだけ地名と音楽が一致したのもはじめてかも。

La Düsseldorf / La Düsseldorf

特にどこの都市が、と指定があるわけではないが、ROCKHURRAHにとってはドイツは行ってみたかった国の上位に必ず入るところだ。ニュー・ウェイブの時代にドイツ音楽に傾倒していた時期があって、DAF、デイ・クルップス、デア・プラン、フェールファーベンなどなど、愛聴していたものだ。これらのノイエ・ドイッチェ・ヴェレ(このブログでは何度も登場しておなじみの言葉。ドイツのニュー・ウェイブの事)のバンドの多くは首都ベルリンではなくデュッセルドルフ出身であり、だから短絡的によく知りもしないデュッセルドルフに憧れていただけの話。
ドイツの都市の中でも特に発達した大都会で音楽や芸術も盛んな場所という印象だけで、ここはどうしても行きたい、見ておきたいというような具体的な願望はないんだよね。
ROCKHURRAHとSNAKEPIPEは元からそういう欲求が薄くて、旅に行ったらぜひここに行かないと、という目的がそもそも通常の観光とはかけ離れていたりもする。ただそこに居て風景が違うだけ。日常と同じ行動してるだけでも満足なんだよね。
まあそんな風に書くと高尚ぶったヤツなどと思われかねないが、欲まみれの旅行だけはしたくないな。
とにかく整然とした街並みや建造物に自然、もし行けたとしたらドイツのどこを見ても感動する事は間違いないだろうね。

そんなデュッセルドルフの魅力を余すところ無く伝えてくるのがラ・デュッセルドルフのこの曲、そのものズバリ「ラ・デュッセルドルフ」だ。さっきからひねりが全然ないぞ。
元々クラフトワークのメンバーだったミヒャエル・ローターとクラウス・ディンガーの二人が1970年代半ばに結成したのがノイ!というジャーマン・ロックの伝説的なバンド。その二人が決別した後にクラウス・ディンガーの方が弟のトマス・ディンガーなどと共に作ったのがこのデュッセルドルフなるバンドだ。
ノイ!はひたすら単調に反復するハンマービートというドラムのスタイルを創りあげて、後の時代のパンクや80年代以降のリズム・マシーン(を使ったテクノやエレクトロニクス・ポップといった音楽そのもの)に多大な影響を与えたバンドとして著名だが、そのハンマービートの創始者がクラウス・ディンガーという事になる。その人がやってるわけだからラ・デュッセルドルフの方もやはりはじめにハンマービートありき、というスタイルを踏襲している。
このバンド自体はパンクでもニュー・ウェイブでもなくジャーマン・ロックやプログレッシブ・ロックの範疇で語られる事が多いが、ほとんどニュー・ウェイブっぽいような曲もあり、ちょうど境界線上にある音楽だと言える。
この曲は1976年の1stアルバムに収録のものだが、反復するハンマービートに投げやりなヴォーカル、途中でちょっと巻き舌。まさにパンクやニュー・ウェイブの登場を予見するような名曲だ。
ちなみにこの1stアルバムは1曲目が「Düsseldorf」2曲目が「La Düsseldorf」という掟破りな曲目となっていて、13分以上ある最初の曲も静と動のメリハリがあって素晴らしい。彼らのアルバムが割とどうでもいいような、アートなのか何なのかよくわからないジャケットなので素通りされがちだが、音楽は本当にいいので聴かず嫌いだった人はぜひ体験してみて欲しい。

Hiroshima Mon Amour / Ultravox!

海外のバンドが日本を曲名にする時、東京以外の場合はかなり少ないがその珍しい例がこれ。とは言ってもこれはマルグリット・デュラスが脚本を手がけたアラン・レネ監督の映画「二十四時間の情事」なる作品の原題らしいので外国人が知ってても全然おかしくはないタイトル。
スキッズのリチャード・ジョブソンもデュラス大好きで詩の朗読をしたソロ・アルバムを二枚も出してるね。
海外における広島のイメージはたぶん=原爆でしかないんだろうな。決して「仁義なき戦い」とか「もみじまんじゅう」とかは連想しないわけだ。
ROCKHURRAHはなぜか大昔に受験でこの地を訪れたのが唯一の広島体験だ。全然旅行気分じゃないシチュエーションだったから普通の観光も皆無だったにも関わらず、どういうわけだか真っ赤なサテンのジャンパー(スカジャンとかではなく本当のサテン・ジャンパー)を買ったのだけは覚えている。受験だからおそらく真冬、その時に何でサテンのジャンパーを買うか?しかも大学が僻地だったから電車やバスではなく、リッチにタクシーで向かい、その車中でなぜか運転手とヒバゴンの話題をしたのを思い出す。広島の比婆山で目撃されたという未確認生物ね。
何だか若い頃のROCKHURRAHは理解に苦しむところの多い人物だな。

そんな広島の魅力を充分にうまく伝えてくれるのがウルトラヴォックスのこの曲「ヒロシマ・モナムール」だ。
1980年代初期、男が化粧してモード系に着飾ったニュー・ロマンティックなる音楽が大流行した。その頃に注目されたバンドのひとつがウルトラヴォックスなんだが、実はロンドン・パンク発生よりさらに前から活動していたベテラン・バンドだった。
初期の3枚のアルバムはジョン・フォックスがヴォーカル、その後は元スリック、PVC2、リッチ・キッズのミッジ・ユーロがヴォーカルとなっていて「ニュー・ロマンティックがなんとかかんとか」などと評されるウルトラヴォックスはミッジ・ユーロ在籍時のもの。
彼が入る前が個人的に最も好きな時代だな。
「Young Savage」や「RockWrok」などの曲は早口でアグレッシブな歌と演奏でパンクの理想型そのもの、今でも色褪せない素晴らしい名曲だ。シンセサイザーなどの電子楽器をいち早く取り入れた曲作りでテクノやエレポップの元祖的存在と言われる先進的なバンドだったが、それは後の時代の評価。やってた当時はパンクっぽい曲しか評価されなかったらしい。あと2年ほど遅ければドンピシャだったのにね。

ジョン・フォックス在籍時のウルトラヴォックスはバンド名の最後に!がついていて、上に書いたデュッセルドルフの前身バンド、ノイ!の影響が感じられると色々なところで書かれていているがROCKHURRAHはそんなに感じなかった。もしかして鈍感?
シンセサイザーもプログレ風というよりは同じ未来派バンドであるビー・バップ・デラックスあたりとも通じると個人的には思ったよ。

1stアルバムはネオン管の下でメンバー全員がマネキン人形のようにつっ立っているSFっぽいもの。2ndはアンディ・ウォーホルのポップアート風(+イーノの「Taking Tiger Mountain」ぽくもある)。
このようにアルバムアートのデザインもなかなか凝っていたがPV見てわかる通りジョン・フォックスはエラが張った怖い目つき、ややおばちゃん顔の男だし、他のメンバーも見た目がちょっと気色悪かったり、スタイリッシュなアートワークとのギャップが残念なバンドだったな。

脱退後ソロになったジョン・フォックスはこの鋭い目つきでホンダ・タクトというスクーターのCMに出演したりもしたが、ROCKHURRAHはホンダではなくヤマハを愛車としてたので彼とは縁が薄い。
やっぱりソロよりもウルトラヴォックス時代の方が数段いいなあ。

世界紀行などと言っておきながら相変わらずまるっきり旅情をかき立てないこの文章。パンクやニュー・ウェイブの曲の題材がそもそも「こんな感動的な景色の国に行って来ました。ショッピングもグルメも満喫」というような趣旨とは違う場合が多いから仕方ないよね。そんな内容の歌だったらたぶん聴いてないだろうし。
TVと違って誰も読んでくれなくても書き続けるし不人気だから打ち切りにもならないけど、ここまで読んでくれた方には「ありがとう」と言いたい。
まだネタとしては色々あるから次回もよろしくね。

時に忘れられた人々【17】ギター・ポップ編2

【SNAKEPIPE作、ギター・ポップのポップアート。使ったギターは大好きなダンエレ】

ROCKHURRAH WROTE:

最近、週末に色んな予定が立て込んでいる事もあって、ブログを書くのも本当にギリギリの状態。今週もまた土曜日にいやな予定で半日が潰れてしまった。あーあ、やりたい事はちゃんと出来てなおかつ、ゆったりしたいよ。

さて「続きはありそうだね」などと前回の最後に書いたから今回もギター・ポップ編のパート2を書いてみよう。
ちなみにROCKHURRAHの言うギター・ポップと世間一般で言われているこのジャンルがちょっと違うかも知れないが、そもそも定義もないアバウトな音楽の世界、誰が書いても偏るのは当たり前だと思ってね。

Steaming Train / Talulah Gosh

ギター・ポップやネオアコは他のロックと比べると女性の比率が高い音楽だと思うが、そういうキュートなガール・ポップの中でも知名度が高いのが1980年代後半に活躍したタルラー・ゴシュだろう。たったの2、3年くらいしか活動してないにも関わらずインディーズ界での人気も高く、彼女たちから影響を受けたバンドも数多く出現している。
知名度が高いとは書いたものの、これはあくまでギター・ポップなどに興味を持った人の間でのみの知名度。一般的なロックの世界ではほとんど知られてないに違いない。

中心となるのは短髪でボーイッシュな美少女のアメリア・フレッチャー(マリーゴールド)とフランス映画に出てきそうなキューティ美少女のエリザベス・プライス(ペブルス)。この二人の女性ヴォーカルを中心にオタクっぽいメガネ男たちが脇を固めたのがタルラー・ゴシュだ。

見たわけじゃないのではっきりした事は全然わからんが、この2人は前回の記事で登場したパステルズのバッジをお互いつけてたので知り合ったというような結成のなれそめらしい。
うん、よくあるよな。ROCKHURRAHはそんなにライブハウス通いをしてたような人間じゃないけど、富士急ハイランドで大昔に買ったドクロのピンバッジを同じ日につけてたから初対面の人と「あー!同じバッジ」などと盛り上がった経験もある。友達にはならなかったけどね。

パステルズ・バッジはギター・ポップの世界にとって象徴的アイテムらしく、タルラー・ゴシュもフリッパーズ・ギターもこのバッジに関する歌を歌っている。
そのパステルズのステファン・パステルによる53rd&3rdというレーベル(カート・コバーンが大好きだったバンド、ヴァセリンズもこのレーベル)がリリースした事もあって、タルラー・ゴシュはまたたく間にインディー・ポップの注目バンドとなったらしい。

女の子のファッションやスタイルが1980年代後半と今では随分違っているのは当たり前だが、この時代のギター・ポップやアノラックをやってたバンド女子(略してバンジョでいいのか?え、略さなくていい?)の好むスタイルが集約されたバンドがタルラー・ゴシュだった。アメリアやエリザベスのファッションや髪型はこの時代の「Cutie」などに載っててもおかしくないガーリーな(う、書いてて恥ずかしい)ものだった。
ちょっとパンキッシュで勢い余ったポップな名曲や本当にワン・アイデアのみで作ったようなシンプルな曲、演奏はどちらかと言うと下手だと思えるバンドなんだが、どれもこれも魅力的で素晴らしい。メロディ・センスはアノラック界でもトップレベルだと個人的には思うよ。

エリザベスは途中で抜けてしまって、タルラー・ゴシュも短い期間しか活動してないが、その後ヘヴンリー、マリーン・リサーチ、テンダー・トラップとアメリアは違うバンドを続けてゆく。どのバンドも共通してるメンバーは大体一緒だが、もう一人女性ヴォーカルを加えたという男女混成が好きみたいだ。残念ながら個人的にタルラー・ゴシュよりも好みのバンドではなかったからROCKHURRAHは継続してファンではなかったが。

しかし今回のギター・ポップ編を書こうと思って調べていてはじめて知ったのだが、その元タルラー・ゴシュのエリザベス・プライスが近年はアーティストとして活躍していて2012年度、英国の権威あるターナー賞に輝いたとの事。これはすごい。今気づいたみたいに書いてるがファンの間ではすでに去年くらいに盛り上がってた話題なんだろうね。さすが音楽情報に疎いレコード屋、ROCKHURRAHだな。
アメリアの方も負けてなくてオックスフォード大学の経済学博士号まで持っているらしい。経済にも疎いからよくはわからんが公正取引委員会の局長とかやってるそうで、これまたすごい。
日本ではレコードもCDも同時代には出てなかったように感じるし情報も少なかったし、タルラー・ゴシュやってる時はそんな大物になるとは夢にも思ってなかったけど二人の才女を擁するまさにレジェンドなバンドだったんだね。

Our love is heavenly /  Heavenly

ここまで書いたからついでにヘヴンリー。上に書いたようにタルラー・ゴシュ解散後にアメリアがほとんど同じようなメンバー構成でやっていたのがこのバンドだ。心機一転というには程遠いけど、タルラー・ゴシュのようにちょっとパンク風な部分は少なくなって、純粋にギター・ポップの路線を継承してその方面の人には絶大な人気があった。そういう意味でのバンド名変更だったのかね?
音楽的に成長して練れた、という部分よりパンクやアノラックの初期衝動のままDIY精神でやってた方がROCKHURRAHの好みだったので、このヘヴンリーはそんなに熱心には聴かなかったけど、親しみやすく優しいポップスが好きなタイプだったらこれこそ最高という人も多いことだろう。
残念ながらタルラー・ゴシュ時代から一緒にやってた弟、マシュー・フレッチャーの自殺によりヘヴンリーの活動はここまでとなる。
その後、マリーン・リサーチ、テンダー・トラップとコンスタントに活動を続けて基本的な音楽性も前髪パッツンのスタイルもあまり変わってない。同じように短髪美女だったシニード・オコナー(短髪というより坊主頭)のすごいおばちゃんへの変貌と比べても(年齢もほとんど一緒)アメリアの方がずっといい歳の取り方をしているように感じる。ん?顔で判断するなって?

Teenage / The Brilliant Corners

セロニアス・モンクの曲名からつけたバンド名だが特にジャズっぽいわけではない。英国ブリストル出身で1983年から10年間活躍したバンドだ。
どうやら随分音楽が盛んな土地らしく、ブリストル出身の有名バンドも数多い。カオスUKにカオティック・ディスコード、ディスオーダー・・・むむ、ハードコア系ばかり挙げてしまった。80年代的に言うならポップ・グループという偉大なバンドから派生したピッグバッグ、リップ・リグ+パニック、マキシマム・ジョイ、マーク・スチュアート&マフィアなども全部ブリストル出身。同じバンドにいたわけだからそりゃ当然同じ出身地だな(笑)。3行に渡って書くまでもなかった。
他にもものすごくたくさんの著名ミュージシャンの故郷だが、書いてるだけで日が暮れてしまうから先に進む事にする。

さて、ギター・ポップの中でも特にヘタれたアノラック系を前回から延々と書いていたが、このブリリアント・コーナーズはそういう素朴な路線とは違っていて、「パッパラ系」とでも言うような音楽で燦然と輝く活躍をしたバンドだ。メンバーの中にパッパラパーがいたわけではなく、曲の合間に「パッパラ ラ パッパッパラ」みたいな合いの手が入るというオシャレな楽曲を残したから勝手に誰かがそう言ってるだけ。
彼らの代表曲「Delilah Sands」がそのパターンで、ネオアコやギター・ポップの世界では永遠の定番曲だと言える。

これがその名曲なんだがイントロからそのもの。パッパラ系と書いた意味が一目瞭然でわかるな。メンバーの見た目も青春ギター・ポップのような素行良さそうな感じはしないし、ヴォーカルはモロに80年代の青春映画に出てくるワルっぽい感じ。本当のワルから見たら青臭い事間違いなしの半端な雰囲気がたまらないね。見た目と曲のギャップがすごいな。ちょっと強そうな黒人の兄ちゃんも従えて、歩き方までチンピラっぽい。

順番が逆になったが上の方の曲「Teenage」はその「Delilah Sands」の一年後、1988年の作。こちらもまた大好きな曲で今でも聴いている。PVはこちらの方がいかにもカラフルでポップな印象。 同じバンドのプロモとは思えないね。

パッパラ系の代表選手みたいな書き方をしてしまったがデビューした頃はなぜかサイコビリー系のコンピレーションに入ってたりしたし、スミスみたいな曲調の時もあったし、最後の方はちょうどその頃流行っていたマンチェスター勢とも呼応したようなダンサブルな音楽もしていたな。先に書いたヘヴンリーのアメリアが参加した曲などもある。

ブリリアント・コーナーズの解散後、ヴォーカルとベーシストは短い期間エクスペリメンタル・ポップ・バンドというのをやっていたが、これは90年代頃に流行ってた渋谷系の親戚みたいな音楽だった。ここもベーシストが途中で他界してしまい、ヘヴンリーと似たような運命で活動を停止したらしい。

今回はたった3つのバンドのみだったが、意外と長く書いてしまったのでここらで一旦終わる事にしよう。
ROCKHURRAHがギター・ポップばかりをメインで聴いてた時期はなく、自分の音楽履歴の中でも例えばパンクや初期ニュー・ウェイブ、ポジパンなどを熱心に聴いてたのに比べれば随分扱いも軽い。80年代にはもっとエキサイティングな事がたくさんあったしね。
一言コメントみたいな感じで本当はもっと多くのバンドを紹介してゆくつもりだったけど、なぜか意図してた構成と違うものになってしまったよ。

最後に、ROCKHURRAH RECORDSはゴールデンウィークを利用してサーバーの移転という面倒な事をしてしまって、意外と色々な問題が起きて解決出来てないままという状態。ブログだけは何とか続けているけど、オンライン・ショップやオフィシャル・サイト(大げさ)の方はまだまだ実用に耐えうるまで復活してないんだよね。これから少し時間をかけて、工事中の閉店をしないまま改造してゆくので「何じゃこのサイト?」などと思わないでね。

時に忘れられた人々【17】ギター・ポップ編1

【クラスの中でも目立たないような子が今回の主人公】

ROCKHURRAH WROTE:

今年になって新しい企画を始めた関係なのか、過去のシリーズ記事が全然更新されてないという現状になっている。単に飽きっぽいだけなのか、本当に考える力が衰えてしまったのか?自分では後者だと思ってるんだけど、自覚症状まであるとは恐ろしい。

これじゃいかんと思って急遽書く事にしたのが元祖ROCKHURRAHのシリーズ記事「時に忘れられた人々」の新ヴァージョンだ。
うひょー、最後に書いたのが2012の12月だってよ。サボり過ぎ。

この企画は文字通り、時代に埋もれてしまったかに見える人々に焦点を当てた記事。温故知新と勘違いされやすいが本人には全然そんな気なくて、今でも覚えてる昔を昔のまま書いてゆこうという、ただそれだけ。
何度かこのシリーズ読めばわかるだろうが、過去にあった音楽(主に70年代パンクから80年代ニュー・ウェイブ) についていいかげんにコメントするだけという安易なものだ。

さて、その手の記事に出来そうな音楽ジャンルもそろそろ見当たらなくなったから、あまり面白いものじゃないけど今日はギター・ポップについてでも語ってみようか。

そんな音楽ジャンルが正式にあるのかどうかさえ疑わしいが、80年代ニュー・ウェイブの中でギターを主体としたシンプルなポップの事をそういう風に言い表すのだとROCKHURRAHならずとも想像出来るだろう。
そういう音楽はパンクやニュー・ウェイブ登場以前からもずっとあったんだろうが、人々がギター・ポップやネオアコなどと言い出した時代は1980年代初頭の頃。たぶんオレンジ・ジュースやジョセフK、アズテック・カメラなどのスコティッシュ系バンドがデビューしたあたりが起源とされている。何か「そんな」とか「そういう」という表現がやたら多いな。
パンクの時代のバズコックスやサブウェイ・セクトとかもギター・ポップの元祖的な音は出していたな。
実際のジャンルなんてどうだっていいんだが、いつもは脅迫的ノイズを出してるようなバンドがたまたまやったポップな名曲とかも広義のギター・ポップと言えなくはない。しかし今回はなるべく発表した曲の多くがギター・ポップに属すると思われるようなバンドばかりをピックアップしてみたよ。

Espresso / The Monochrome Set

70年代パンク・バンドが続々と2ndアルバムを出してた頃の78年には既に存在していたというモノクローム・セット、この手のギター・ポップの直接の元祖的存在はやはり彼らで決まりだろう。ここのヴォーカルはなぜだかインド系混血のBidという男。確かにエキゾティックな顔立ちだしインド人風にターバンをしている写真も見かけた事あったな。

彼らの1stアルバム「Strange Boutique」は渋い銀色に包まれたジャケットで海に向かってダイブしているモノクロ写真が印象的だった。ROCKHURRAHもどんな音楽か全然知らずにジャケット買いをしたんだが、それまで聴いてきたパンクや初期のニュー・ウェイブとは明らかに違ったキレの良いギター・サウンドが心地良い名盤。
いかにもニュー・ウェイブ初期のアートっぽいジャケットと音楽とのギャップが随分あり、「こんな音楽もニュー・ウェイブの一種なんだ?」と驚いた事を思い出す。どこかラテン風の音楽にあまり抑揚のないBidの声が妙にマッチしていて明るいのか暗いのかよくわからない。
確かにストレンジな音世界だな。

映像もあったんだけどひたすらに動かず表情もほとんど変えない淡々としたライブ、これでいいのか?と思えるほどサービス精神のないステージに唖然としたよ。今回選んだ曲は映像動いてないけど動いてるのと比べても大差ないからこっちにした。1st収録の名曲ですな。後のギター・ポップに影響を与えたかどうかは不明だけど、その先駆けとなった事は確か。

Never Understand / The Jesus And Mary Chain

80年代半ばのニュー・ウェイブ好き人間に大人気だったバンドがこのジーザス&メリーチェインだ。
全体的に黒っぽいスリムな服装(時々チェック・シャツ)にふわふわの前髪、この時代の少女マンガから出てきたような理想の少年っぽいルックスは特に女の子に大人気だったな。中心の2人はジムとウィリアムのリード兄弟だが、後にプライマル・スクリームで大成するボビー君もここの出身。

そういうチャラチャラした見た目とは裏腹に彼らは音楽界にちょっとした発明をもたらした。
ギターをアンプに近づけた時に発するフィードバック奏法というのがある。70年代のロックではジミ・ヘンドリックスなどによって広く知られていたが、これはあくまでステージ上でノッた時のノイズによるトランスというような意味合いで、このフィードバックが延々と続いた後ではもはやギターを壊すか燃やすというのが黄金パターン。
そうでもしない事にはそのカオスを収束出来ないという状態かも知れない。ロックの世界では効果音の域を出なかったものだ。

しかしこのバンドはそのフィードバックを多用してノイズではなくポップな音楽にこれを応用した。この曲「Never Understand」もギターは延々とフィードバック状態なのに曲は甘くてポップという珍しい世界。
発明というほどの大した事じゃないと考える人も多かろうが、これを聴いて「やられた、この手があったか」と思ったギタリストも数多くいたはず。
客席に背を向けて短時間で終わってしまうというライブ・パフォーマンスもつっけんどんだし、怒った観客の暴動の様子を録音して、レコードにしてしまうというのもちょっと現代アートとかでありそうな行為。

ギター・ポップという言葉から感じる「爽やかで等身大のポップ」というイメージとはちょっと違うが、これ以外の曲はとにかく甘いシンプルな曲が多く、やはりひとつの代表的な存在だとは思う。
その辺を強調し過ぎてどれも似たり寄ったりのワンパターン化して飽きられたが、手法としてはなかなか興味深いバンドだったな。

Crawl Babies / The Pastels

ネオアコ、ギター・ポップの初期はロンドンではなくてスコットランドのポストカード・レコード(レーベル)がシーンを盛り上げたのは誰もが言うところ。御三家は先にも書いたオレンジ・ジュース、ジョセフK、アズテック・カメラなんだが、彼らのヒットによってパンクやニュー・ウェイブの暗くて退廃的なイメージからもっと日の当たる健康志向の音楽にも人々が目を向けるようになったわけだ。

そんなスコットランドのエジンバラやグラスゴーでは80年代半ばからギター・ポップの中心となるようなバンドたちが続々と登場した。
80年代初期のネオ・サイケが流行った頃にマンチェスターやリヴァプールが音楽の産地となった時と似ているね。
どんなバンドたちがグラスゴーから登場したかを書いてると長くなるから省略するが、このパステルズなどはその代表的なもの。とは書いたものの1982年にデビューして以来、通常の音楽ビジネスでは考えられないくらいのスローペースで活動した零細バンド、とても代表的な行動などはしてないはず。1stアルバムを出すまでに何と5年もかかってるよ。それでも見放されない、いいなあ。

実際のところは全然知らないが、レコード屋勤務の若者が多少しっかりしたガールフレンドなどに支えられて何とか音楽を作ってる、というような印象をどうしても持ってしまう。それでもこのバンドのリーダー、スティーブン・パステルはある意味でのカリスマと言える存在らしい。

演奏もヴォーカルもよぼよぼで脱力感満載の代物。パステルズが始めたのかは知らないがこういう音楽を好む者達が着用してたのがアノラックというプルオーバー型のマウンテンパーカーみたいな代物。それでこういう傾向の音楽をアノラック系と言うようになったらしい。
こんなによぼよぼで下手でも音楽を作ってリリース出来るという事実が下手の横好き達に衝撃を与えたのか、その後パステルズに影響を受けたバンドが続々と登場して、そのおかげで「代表的」になってしまったわけだ。

とにかく脱力したゆるい音楽によって癒やされたいという人にとってはピッタリの音楽かも知れないね。しかし下手なだけでセンスもなければ良い音楽は作れないという事もわからなかった勘違いアノラック・バンドも多かったに違いない。こういう系列が一同に集まった音楽イベントとかあったら苦痛だろうな。

Every Conversation / The June Brides

あまり知られてないが、こちらもまた脱力系ギター・ポップの重鎮、ジューン・ブライズだ。1983年から86年くらいのごく短い期間に活動してリリースした音源も少ないし、ベスト盤とかも出てなくはないがどこの店でも置いてるという代物ではなさそう。要するに今回紹介した中では最もマイナーなバンドということね。

80年代初期のジョセフKについてはこちらの記事でも書いてるが、ジューン・ブライズほど彼らの影響を受けたバンドは他にいないだろう。
しかもその本家のファンが「ジョセフKにはもっとこうあって欲しい」と願った理想型のような音楽をジューン・ブライズは展開していた。個人的にはこっちの方が完成度は高いよ、と思えるほど。

メンバーもバンドっぽいところがあまり感じられない地味な見た目、ライブも内輪のノリといった学生バンド風の等身大なもの。要するに軽音サークルっぽい感じなんだろうな。
ポーグスのメンバーがいた事で知られる70年代パンク・バンド、ラジエーターズの「Enemies」とかもカヴァーでやってるけど、トランペットの素人っぽい響きが心地良いこの「Every Conversation」が一番名曲だと思う。途中の「ナナナ ナナナ ナ~ナ」という意味不明のコーラスも良いねえ。

このバンド、勘違いじゃなければ確か所属していたレーベルが2度も倒産して次の所属先を見つけられないまま解散したように記憶してる。やってる音楽もそんなにヒットを狙える類いでもないし、かなり不運のバンドだと言えるな。ROCKHURRAHも過去に所属していた店が3度も倒産しているが、それでも身を持ち崩さずに生きているから良かった良かった。

というわけで今回もたった4つしか書けなかったけど、まだ続きはありそうだね?次はいつになるかわからない脱力系のROCKHURRAHだが、またいつか会いましょう。