時に忘れられた人々【19】70’s & 80’s愛護週間編2

【曜日ソングの集大成、ブリリアント・コーナーズの名曲】

ROCKHURRAH WROTE:

前回の最後で「See You Next Week」などと書いたくせにまた一ヶ月以上もサボってしまったよ。愛護週間がずいぶん長いという気がするけど、年末年始にわざわざ書くような内容でもないからちょうど良かった。

何について書いてたかと言うとこの記事を読んでもらえればわかる通り、曜日がタイトルについた70〜80年代パンク/ニュー・ウェイブの曲をピックアップしてどうでもいいコメントをつける、というインスタントな企画をやっていたわけ。今回はその後半について書いてみるよ。

曜日のついたタイトルで探しても圧倒的に多いのが金土日の週末だな。これは外国でも日本でも共通と言える。やってる仕事の業種によっても違うんだろうけど、木曜日などと聞いても個人的にワクワク感は何もなし、いつも何とか乗り切って週末を迎えたいと思うばかりだよ。

そんな何もない木曜日を果敢にデビュー曲としたのがこのジム・ジミニーというバンドだ。人名のように聞こえるがそういう人がやってるわけじゃなくてただのバンド名らしい。
代表曲は1988年の「Town And Country Blues」でこの曲はいわゆるクラブヒッツとして有名なもの。
この曲をかけたらみんながフロアでノリまくるというような定番の曲があって、それは普通のヒットチャートとは全然違うものが大半だ。日本で言えばロンドンナイトとか下北沢のZOOとかがこういう雰囲気だったが、かつては近場に住んでたくせにあまりそういう場所に顔を出さなかったという人間嫌いなので見てきたようには話せないな。
ロンドンナイトはまだやってるし、パンクやサイコビリー系のライブの合間のDJタイムなどでもこういうクラブヒッツはよくかかるけど、当時の熱狂ぶりが今はもう再現出来ないのが悲しい。

話が脱線したが「Town And Country Blues」はウェスタン調の哀愁ある、しかもノリの良い名曲だ。ウェスタン調と言ってもカウパンクやサイコビリーみたいなのとはちょっと違うところが斬新だったな。
ROCKHURRAHもこの曲によって彼らを知ったんだが、他の曲を聴いたらこういう路線じゃなかったので驚いたよ。

ジム・ジミニーは今でこそ映像検索すれば簡単に見る事が出来るが、その当時は知る人ぞ知るようなバンドだったのでPVなんて見たのは随分後になってから。その映像で見るとウッドベースやバンジョー弾いてるような姿もあるので何とかビリー系かカントリー系?とも思うけど、そういう楽器構成でネオ・アコースティックやギター・ポップ系、あと少しモッズとかの雰囲気も感じられるところがちょっと珍しい。
ギター・ポップの名曲をいくつも残したブリリアント・コーナーズや「Maggie Maggie Maggie」で知られるラークス(あの曲以外はそんなにラウドではない)を少し思い出すような雰囲気もあるが、それよりはずっと陽気で軽薄そうなところも似非音楽大好きなROCKHURRAHの好みだ。ジミニーという割には意外と派手だなあ。

おっと、この曲「Do It On Thursday」についてはまるで書いてなかった事に今頃気付いたが、やっぱり楽しげで60年代の学生バンドのような無軌道っぽさがいい感じ。

ハナキン(おそらく死語)の例を出すまでもなく、土日が休みの人にとっては金曜日の夜はやはり特別な開放感があるに違いない。
ウチではどこかに出かけて華やかに過ごすという事が滅多にないけど(人間嫌いなので)、家でDVDを観てくつろぐというのが毎週金曜日の「お疲れ様タイム」になる。
遅ればせながら最近ハマって観ているのが、SNAKEPIPEの友人Mからオススメされた海外TVドラマ「ブレイキング・バッド」 のシリーズ。
1時間ものを平日に観るヒマがないので毎週金曜日に1話ずつ楽しみに観てるが、毎回ハラハラしっ放しで予想外の展開に「続きはどうなるの?」と二人で熱中して観ているのだ。
リアルタイムではないからウチではやっとファイナル・シーズン。
もうすぐ終わりそうなのが残念だ。ここまで熱中出来るドラマは滅多にないだろうなあ。これについては観終わった後でもしかしたら何か書くかも知れないから今はサラッと流しておこう。

そんな個人的金曜日の話は人にとってはどうでもいいと言えるが、数あるフライデーの歌の中でROCKHURRAHが選んだのはアソシエイツのこの曲。
日本では意外と知名度はないけど1980年代初期にはインディーズ・チャートの常連だったバンドで、大ヒット曲もいくつかある。後にはバンド構成になるが最初は男二人でやっていたのでジャケットも二人写真が多くアヤシイ関係に見える。
キュアーで知られる英国フィクション・レーベルよりデビューした事もあって、音楽性もヴォーカル・スタイルも似通ったものがあるとよく言われている。ただしキュアーの暗い曲ほど暗くはなく、ポップな曲ほどはじけてない、全体的に中庸なイメージの曲が多く、日本であまり受けなかった理由がそこにあると個人的には思う。そして人によって好き嫌いが分かれる、オペラを思わせるような高音のヴォーカルが特徴的。
キュアーをより複雑にミステリアスにしたような印象で、当時の音楽雑誌などでは絶賛されていたもんだ。

ROCKHURRAHはいくつかレコードは持っていたけど、そこまでキュアーが好きだったわけではなかった。人気バンドで誰もが語っていたから今さらという気持ちもあったし、もっとマイナーなバンドを発掘する方が性に合っていたというわけ。が、最近またネットのラジオなどでかかっているのを聴くと、声聴いただけですぐにロバスミだと分かってしまう。最近のバンドなんて声で誰か全然わからないのが多いから、やっぱり80年代の音楽はすごい、と改めて思ったよ。

アソシエイツのビリー・マッケンジーの声もロックの世界ではちょっと似たタイプがいないと思える特色を持っていて、どこかで曲がかかっても即座に判別出来る点がやはり偉大だなと思える。
この曲「Tell Me Easter’s on Friday」はその中でも好きな曲で万華鏡のようにちょっとずつ変化してゆく怪しげな歌声とモノトーンな曲調が一体化した傑作。

残念ながらこの後、アソシエイツの二人は喧嘩別れ(アヤシイ)してしまい、このバンドの陰影のある曲作りがなくなった状態でしばらくヴォーカリストのソロとしてやっていたが鳴かず飛ばず、そしてマッケンジーは鬱病によって自殺という最悪の結果となってしまった。
ヴォーカルさえいれば、とかこの作曲センスさえあれば、とかじゃなくてバンドの魅力はトータルなバランスによって成り立っている。喧嘩別れした時にきっぱり解散してればこうならなかったかも、と思ってしまうよ。

さて、いよいよ最終日。環境にもよるだろうが土曜日が一番嫌いという人はかなり少ないと思える。まあとにかく節目の日なのは確かだから土曜日を歌った曲も数多く存在しているはず。

ウチも翌日から仕事だから日曜夜になるといつも憂鬱になるが、土曜日はちょっと出かけたりゆったりしたり週末ならではの料理を作ったり、最も楽しく過ごせる日なのは間違いない。

そんな楽しい土曜日にこんな曲を選んで申し訳ないが、ウルトラヴォックス!初期の名曲「Sat’day Night In The City Of The Dead」、これをもって一週間の締めくくりとしよう。
ウルトラヴォックス!については当ブログでも何度も書いてるから、何度も読んだ人がいたら辟易するに違いないが、全部の記事を読むほどの人はまずいないはずだからまたまた同じような事を書いておこう。

1980年代にニュー・ロマンティックの人気バンドとしてヒットを飛ばしたウルトラヴォックスだが、パンクより前からいた早すぎたバンドだったというのは一部では有名な話。
ロンドン・パンク発生前の1974〜75年くらいに活動していたグラム・ロック系バンド、タイガー・リリーがキャリアの始まりだった。
グラム・ロックとパンク/ニュー・ウェイブの架け橋的なバンドと言えば個人的にはドクターズ・オブ・マッドネスとかビー・バップ・デラックスとかが思い浮かぶが、もうその頃にはパンク・バンドのウルトラヴォックス!の先進的なスタイルは出来上がっていた模様。
このバンドはそのままウルトラヴォックス!と改名してダムドやセックス・ピストルズなどと同じく1976年にはすでにデビューしている。
典型的なパンクの音が何を標準とするのかは人ぞれぞれの解釈なんだが、ROCKHURRAHはウルトラヴォックス!もまたパンクの先駆者だったと思っている。
釘を打ち付けるようなビートに早口でまくし立てるジョン・フォックスの歌、そして時に無機的、時に破壊的。1stアルバムの1曲目に収録されたこの曲はまさにパンク的な衝動に満ち溢れたものだった。ずっと後のテクノ、エレポップあるいはニュー・ロマンティックの要素はまるでないというシロモノ。初期に最も好きだった名曲「Young Savage」や「ROckwrok」などに通じる大傑作。
しかしこのバンドはやってる事が先進的すぎて同時代には全然売れず注目されず、3rdアルバムの頃にようやく再評価されたという経緯がある。ブライアン・イーノ、スティーブ・リリーホワイト、そしてコニー・プランクという先進的なプロデューサーがついていて音は申し分なかったのに、ピストルズやダムド、クラッシュのようなヴィジュアル的なカッコ良さがなかったから仕方ない。メンバーも全員顔の輪郭が少し変だし、ヴォーカルはこわいおばちゃんみたいな風貌だしね。

以上、日曜から土曜日までの歌をピックアップしてようやくこの企画がひとまず完結したよ。苦労した割にはあまり面白くもないし文字も小さくてビッチリ、読みにくいから誰も読まんのは必至の内容だな。
いっそのこと老人や子供にわかりやすいと話題のデカ字幕仕様にでもするか?

ロックンロール世界紀行 Transit04

【ロックンロールでもないし紀行文でもない独自路線の企画だよ】

ROCKHURRAH WROTE:

世界の国や都市名のついた曲を取り上げて、それについていいかげんなコメントをしてゆくというこの企画、久々にまた書いてみよう。

しばらく書いてないのでネタ切れと思われるかも知れないけど、70〜80年代のパンクやニュー・ウェイブ限定で地名のついた曲名を探しても、まだまだネタ自体はあるのだ。しかしやってるバンドについて特に詳しくなかったり、タイトルの地名について何もコメント出来るような事がなかったりと案外困難で、書き始めるのをためらっていた状態。文字通り「こんなんだったら企画自体やめたら?」と言われてしまうね。
それでも何か書かないと日曜日(当ブログ更新と決めてる曜日)は待ってくれないんだよな。

さて、今日はちゃんと旅情を掻き立てるようなのが書けるのか?
いや、たぶん無理だろうなあ。

Living Through Another Cuba / XTC

キューバについての知識はほとんどないが、そのわずかに知ってる事と言えば大航海時代に発見されて、スペイン人たちの暴虐により先住民族がほとんど絶滅してしまった事や、カストロやゲバラによるキューバ革命など、過去の血なまぐさい事柄ばかり。
今現在のキューバがどうなのかは全然知らないけど、とてもじゃないがエンジョイ出来そうな気はしない、という偏見を持っている。

昔観た映画で「マチネー/土曜の午後はキッスで始まる」というのがある。「グレムリン」などで有名なジョー・ダンテの作品なんだが、この映画の舞台が1962年のフロリダ。その当時はアメリカとキューバが一触即発の状態にまで対立していて、一般市民に見えないところで数々の抗争が激化していたという。ケネディVSカストロという豪華対立ね。

キューバにソ連製の核ミサイルが配備されて海のすぐこっちにあるフロリダを狙っていると市民が恐れおののいていた二週間。最悪の場合はソ連・キューバ対アメリカだけではなく第三次世界大戦にまで発展するのではないかと噂されていたわけだ。
見てきたようには書けないけどこれが俗に言うキューバ危機という出来事だったらしい。

映画はそういう緊迫した情勢を背景に持ちつつも割と明るい雰囲気で始まる。映画について語る記事ではないから端折るが、ペテン師のような映画興行主と少年、そして初恋、不良少年などが入り乱れた青春コメディっぽい内容でいかにも古き良きアメリカ。
これはROCKHURRAHの大好きなテーマが詰まってる作品だった。
中に出てくる映画監督というかプロデューサーが大げさな宣伝文句で観客を集め、チープなこけおどしでB級SFホラー映画にギミックを仕掛けるという点、こういうところにROCKHURRAHは価値を見出すのだ。
大昔のB級映画マニアにはおなじみ、ウィリアム・キャッスル監督がモデルだと思われる。

さて、キューバ方面からは何も語ってないように思えるが、たぶん気のせいだろう。そんなキューバ危機について歌ったのがXTCのこの曲だ。

XTCについては何度も書いてるけど、ロンドン・パンク直後のニュー・ウェイブ黎明期に鮮烈なデビューを果たしたバンドだ。
重厚なベースラインにタイトなリズム、そして引っ掻くようなノイジーなギターと奇妙にアヴァンギャルドなキーボード、野太いエモーショナルなヴォーカル。これらが一体となった大変に勢いのある曲はどれも驚くほどポップで、初期のニュー・ウェイブの代名詞と言えるバンドだった。
残念ながら勢いがあったのは80年代初期までで、この後はライブ活動も行わなくなり、緻密な名人芸のようなポップな曲ばかり作るようになってしまった。
「Living Through Another Cuba」は1980年にリリースされた彼らの4枚目のアルバム「Black Sea」に収録されている。
個人的には初期の素晴らしい勢いの曲こそが最高と思ってるんだが、人によってはこのアルバムがXTCの最高傑作と評価するかも知れないね。

この曲はそういうシリアスな米ソ関係を揶揄するような内容で、延々と同じフレーズの中で早口まくし立ての乱暴なヴォーカルが展開してゆく。日本で言えばナントカ音頭みたいなノリなのかね?XTCのポップな表面とブラックでひねくれた世界が見事に融合された名曲。
この曲で動いてる映像がこれしかなかったのでちょっと長いけど載っけてみるよ。省略したい人は3分10秒くらいから見てね。
アンディ・パートリッジのヴォーカルとギターは圧巻だが残りの二人のコーラスがひどい出来という、まれに見るテンションのライブでこれは貴重。
誰か歌のキー、間違ってないか?
読み返さなくてもわかるが、割と長く書いた割にはキューバについては何も書いてないな。
初めて読んだ人には不明だろうが、こういういいかげんな企画やってます。

The Lebanon / Human League

レバノンについての知識はほとんどないが、ROCKHURRAHは福岡県に実在したレバノン幼稚園出身という過去を持つ。と書きながらチト調べてみたところ、何とこの幼稚園、今でもあるではないか。このことに逆にビックリ。カトリック系で別におかしい名称ではないんだろうが、幼稚園名を言うと誰でも一歩引いてしまう、そういうインパクトのあるところに行かせてくれてありがとうと親には言いたい。
本格的なカトリックとは違う日本の幼稚園で、クリスマスにローソクの火が誰かの服に引火したとか変なエピソードだけは覚えてるよ。
ちょっとだけカトリック・テイストが入ったような行事をやってたような記憶があるが、まあ幼稚園の頃の記憶なんてアテにはならんな。
元々米軍基地のあった街で幼少時代を米軍ハウスで過ごすという、人によっては羨ましい環境で育ったのもその後のROCKHURRAHの人格を形成していった要因なのかもね。え?関係ない?

レバノンについて何も語ってないような気はするが、この国についてひとつだけでも思い出がある日本人は少ないだろうから、これで良しとしよう。過去には内戦も戦争もあったようだが、今はちゃんと観光も出来る模様。遺跡も多いしね。
さて、そんなレバノン情勢について歌ったのがヒューマン・リーグのこの曲。

ヒューマン・リーグは1970年代末にイギリスのシェフィールドからデビュー、エレクトロニクス・ポップスの分野で活躍したバンドだ。
最初の頃はシンセサイザーなどを駆使した音楽で、エレポップ真っ只中という時代もあって結構注目されていたが、ヴォーカルは片側だけ長髪という大変に不気味なオタクっぽい髪型、そしてブライアン・フェリーにも通じる粘着質のいやらしい歌声、という2つの個性を武器にしていたな。

途中でヘヴン17とヒューマン・リーグの2つに分裂するんだが、本家の方は80年代初頭に「愛の残り火」が奇跡の大ヒットをして、誰でも知るような有名バンドに成り上がってしまった。この頃はもう変な髪形はしてなかったが、どう考えても似合わないと思う気色悪い化粧顔で一応、ニュー・ロマンティックの仲間として扱われてるな。
この曲「The Lebanon」はそういう時代も過ぎた1984年の作とのこと。この頃はまだ内戦真っ只中くらいのようで、歌詞も割と直接的という話だが、詳細はよくわからん。

実はヒューマン・リーグを聴いていたのは初期の頃だけで、80年代は「愛の残り火」と「ミラーマン」くらいしか知らないんだよね。国名や地名のついた曲を探してる時にたまたまSNAKEPIPEと話しててこんなタイトルの曲があるのを知ったけど、そういう知らない曲に対してコメントしてるという危機的な今の状態。
この曲はギターやベースなどが入った普通のバンドっぽい構成で逆に驚いたよ。ヒューマン・リーグと言えば机みたいな台にシンセサイザー載っけたようなライブの印象しかないんだけど、初期しか知らないんでお粗末でいいかげんなコメントしか出来ないなあ。ウチのブログで特に話題となっている髪型はそこまで変じゃないけど、いやらしい目つきは健在。

India /The Psychedelic Furs

横尾忠則や藤原新也などの例を出すまでもなく、インドにインスパイアされたアーティストは古くからたくさんいて書ききれないほど。特に何の大志もない一般人でも世界観が変わってしまうという話はよく聞く。
ROCKHURRAHはどうかと言うと、インドに対する断片的な「良い部分」は理解しても正直に言えばたぶん苦手な国だと思う。東南アジア全てについて同じような感想なんだけどね。
人口が多くて人と人が触れ合ってひしめき合ってるような場所はどうしても好きにはなれないのだ。

人にとってはどうでもいいような話だがここでちょっと。
ROCKHURRAH家ではSNAKEPIPEと二人で毎日共同で料理を作っているが、去年くらいからの三大ヒット作のひとつが市販のルーとかを一切使わないインド・カリーだ。ちなみに他のふたつはパエジャとアヒージョという相変わらずのにわかスペインかぶれ。
スパイスの調合が大変かと思いきや、意外と適当にやってても下手なインド料理屋よりはよほどうまいと思えるのが作れてしまう。こういうDIY精神でずっとやってゆきたいものだ。

さて、肝心のインド部分の描写がまるっきり抜けている気がするが、相変わらず気のせいだろう。
そんな(?)インドを歌った曲は数多くあれど、やっぱり80年代らしく選んだのがサイケデリック・ファーズのこの曲。「ガンダーラ」じゃなくて残念だな。

彼らがデビューしたのは1980年。ジョイ・ディヴィジョンやバウハウス、スージー&ザ・バンシーズなどからの影響でダークな色彩を持つバンド達が次々とデビューしていた時期で、そういう音楽を一括りにしてネオ・サイケデリアと呼んでいた。彼らもその中のひとつなんだが、バンド名にすでにサイケデリックとついてるからわかりやすいかもね。
このジャンルではちょうど彗星のごとくデビューして話題になっていたエコー&ザ・バニーメンと人気・実力の上でいいライバルというような位置だったかな?
1stアルバムが確か黄緑とピンクのような色合いで、これがエコー&ザ・バニーメンのコロヴァ・レーベルの色彩と似ているため、こちらが勝手にそう思っただけか。
ヴェルベット・アンダーグラウンドのような音楽の80年代版といった音楽をやっていて確かにこりゃネオなサイケだわ。この手のバンドでは珍しくサックスが入っていたな。そして、ありそうでめったにないこの鼻から脳に抜けるような歌声に痺れてファンになった人も多かったはず。ROCKHURRAHの大好きだったウェステッド・ユースと近い歌い方だな。ファーズには悪いが、あちらの方が数段好きだった。
しかしこのビデオ、演奏や歌はともかく、風呂あがりの外人のおばちゃんみたいな服装は何だ?アンコールで本当に入ってる途中で出てきたのかな?

それぞれの国に対するまともなコメントが全然ないという呆れるばかりの内容だったが、ROCKHURRAHのブログはあまり主義主張を入れず、政治や時事的な問題も扱わない(扱えない)。
大体こういう頭悪そうな独自の路線でやってゆくので、来年も引き続きご愛顧賜りますように。
ん?まだ11月だったか?
締めくくりには気が早すぎか。

ふたりのイエスタデイ chapter06 / Bill Nelson’s Red Noise

【チープな未来主義に満ち溢れた、大好きなジャケット】

ROCKHURRAH WROTE:

誰でも少年少女時代にその後の自分の生き方のルーツとなる事柄を見出すとは限らないが、人はさまざまなものに影響を受けて自分を形成する。
子供の時からそれが首尾一貫する場合もあるし、輝いているものがその時によってコロコロと変わる人もいる。
ROCKHURRAHの場合はそれが良かったのかどうかはわからないが、ずーっといつまでも変わらない部分があって、しかもある程度以上に間口を広げることがなく、進化も発展もないままだ。
少年時代に出会ったパンクやニュー・ウェイブという、これから先にもうリアルタイムでは生産される事がない音楽にずっと入り浸った標本みたいなもんか?

そんなROCKHURRAHのルーツを語ってゆくのがこの「ふたりのイエスタデイ」というシリーズ記事だ。
今回はROCKHURRAHの原点とも言えるアーティストについて語ってみよう。

いつも自分の周りに70年代ロックがかかっている、そして部屋の中のすぐ近くにギター2、3本は置いてあるような家庭でROCKHURRAHは育った。だがしかし、悲しいことに古いロックが大好きな二人の兄からの影響はあまり受けてなくて、洋楽に目覚めた最初の頃はプログレッシブ・ロックなどを聴いていた。
少し成長して自分なりの音楽を模索していた頃に見つけたのがスティーブ・ハーリィ&コックニー・レベルとビー・バップ・デラックスの2つのバンドだ。この2つからの影響が今のROCKHURRAHの音楽嗜好のルーツだと言える。コックニー・レベルについてはこの企画「ふたりのイエスタデイ」の第一回で書いたな。だから今度はビー・バップ・デラックス=ビル・ネルソンについて。

最初に知ったのはやはり兄からの勧めだったと思うが、家にはレコードは一枚もなかった。同じ頃にロックに傾倒していった友達、K野とその頃に良く行ってたのが小倉(福岡県北九州市)の東映会館裏にあったダウンビートという小さなレコード屋だった。断っておくが現在の小倉の市街地とたぶん全然配置が違っているはず。この店は今でもあるのかも知れないが、ROCKHURRAHがまだ小倉に住んでいた頃はその場所にあったのだ。
ん?東映会館もうないのか?
今の小倉に住む若手にも話が通じないかもね。

いつものごとく話がそれたがそのダウンビートという店で初めて買ったのがビー・バップ・デラックスの5枚目のアルバム「ライブの美学」という7インチ・シングル付きの国内盤だった。
青年時代以降ならばすぐにわかるフリッツ・ラングの「メトロポリス」に出てきた女性型アンドロイドがジャケットに使われたこのアルバム、当然ながら買った当時はそんなもの知る由もなかったが。
ちなみに2回も店名出した割にはこの店の思い出は特になくて、買ったの覚えてるのはこの一枚のみ。普通の小さなレコード店だったなあ。

ビー・バップ・デラックスは1974年、コックニー・レベルよりもさらに一年遅れでレコード・デビューした英国のバンドだが、初期はコックニー・レベルと同じように遅咲きのグラム・ロック・バンドという扱いだった。
ただ、他の典型的グラム・ロックと少し違う点はビル・ネルソンというギタリスト兼シンガーが目指す世界が彼のSF的嗜好を反映したもので、歌詞もタイトルも音楽もかなりSFっぽいのが特徴。
そのSFも高尚なものではなく、例えて言えば40〜50年代の人が思うレトロなSF漫画的未来だったりする。
彼らの4枚目のアルバム「Modern Music」でビル・ネルソンが腕にはめているのは腕時計型のTV、もしくは受信機のようなものでApple Watchの登場を遠い昔に予見したもの。・・・しかしその大きさが予想外の巨大なものでちょっと笑ってしまう。このアルバムが出た数年後には薄型のデジタル時計を誰でもつけていたし、彼の予見した未来よりも現実のテクノロジーの方がずっと早かった、という図。

そういうイメージもあって特に日本ではこのバンドは割と不遇な評価を同時代には受けていた。ボウイーやマーク・ボランほどのスター性はなく、ブライアン・フェリーやスティーブ・ハーリィほどの異色さがない、器用貧乏のような印象だ。
しかしビル・ネルソンのギターは当時のどのギタリストよりも美しく、無駄がないメロディアスなものだった。
後の時代のニュー・ウェイブにかなりの影響を与えたのは間違いないだろう。

そのビー・バップ・デラックスのライブ盤をいきなり買って聴いたのが全ての始まりだった。曲もビル・ネルソンのギターもポップでカラフルだけどまさにタイトル通り「ライブの美学」にあふれたもの。
当時のロック・ギタリストとは一線を画する流麗な音色に痺れて、たちまちファンになった。そしてROCKHURRAHはビー・バップ・デラックスの他のアルバムを買い漁る・・・というわけにはいかなかった。
彼らは大手レコード会社、東芝EMIから全てのレコードが国内盤で出ていたけどリアルタイムで追いかけてたわけではなく、ファンになったのも解散後の話だ。
しかも地方都市なもんだからロクなレコード屋がなかったので、小倉中を探してもレコードは見つからない。一枚くらいは見つけたけど、それと先のライブ盤を擦り切れるほどに聴き込んだものだ。

かつての記事で書いた福岡の輸入レコード屋行きをする前の時代だったから、そこまで行動範囲も広くなかった。当時東京にいた兄に頼んで買ってもらい、帰省の時に受け取るというような事をして一枚一枚、どうにかして集めたもんだ。この頃のレコードにかけるエネルギーは今考えてもすごかったよ。
やがて全部のレコード、といってもたかが6枚のアルバムなんだけど、その全てを手に入れた。

大筋には関係ない話だけどここでひとつ。
ライブ盤の内袋には化粧したビル・ネルソンの横顔が写っていて非常にカッコイイ人だと思っていたんだが、これはあらゆる写真の中で最も写りが良い奇跡の写真を使っているという事が全部のレコードを手に入れて判明した。本来のビル・ネルソンはあごのしゃくれ方と目つきが特徴的で、心の中では「傷だらけの天使」に出てた頃のショーケンにちょっと似てる(上の写真、一番右)と思っていた。

左の写真がデビュー当時から現在に至るまでのビル・ネルソンの顔の変遷ね。
彼の音楽やギターに関する記事はたくさん出てくるけど、顔やファッション・センスについてあまり書く人がいないから、ウチらしくちょっと書いて見たよ。全盛期の頃はまるで70年代の芸人か明智小五郎をやってた時の天知茂か、という幅広ネクタイのスーツ姿、とてもこれでグラムロック出身者には見えないな。

ビー・バップ・デラックスの最後のアルバム「プラスティック幻想」はもうとっくにパンクもニュー・ウェイブも始まっていた1978年の作品だが、彼らのこれまでの音楽とはちょっと違っていて、ほとんどニュー・ウェイブと言ってもよい音楽が展開してゆく。冒頭の「電気じかけの言葉」はまるでラ・デュッセルドルフのようだし「新たな精密度」のギター・ソロはかつての美しいメロディよりも実験的でアヴァンギャルドなもの。トータルな完成度が非常に高いアルバム作りをするバンドと定評はあるが、中でもこのアルバムが彼らの最高傑作だと思っている。

さて、ようやくここで扉の写真にたどり着く。
ここまでの話が長かったにゃー。
ビー・バップ・デラックスを解散させた後のビル・ネルソンが次に始めたのがこのレッド・ノイズなるバンドだ。後期ビー・バップ・デラックスのキーボード奏者アンディ・クラーク、そしてビルの実弟でサックス奏者のイアン・ネルソンなどが参加してアルバム「Sound On Sound」(トップ画像)を1979年に発表した。
このバンドはビー・バップ・デラックスのラスト・アルバム「プラスティック幻想」の構想をさらに高密度で凝縮させたSFデジタル・パンクといった音楽で、これまでにないアグレッシブなものだった。

髪型も思い切ってバッサリ短くして楯の会みたいな軍服(というより学ランみたいなものか?)を全員で着用、その辺のイメージ戦略も今までとは違うからビックリした。
そこにはかつてのビル・ネルソンが得意としていた調和の取れたギター・ソロもなく、断片的な素材がそのまま短い楽曲に詰め込まれた印象があり、初めて聴いた時はその勢いに衝撃を受けたものだ。

専門のミュージシャンのサポートを受けずに彼自身がほとんどの楽器を担当した曲もあり、そのDIY精神が後の宅録ソロへ続く過程となっている。

「Sound On Sound」を一体どこで手に入れたのか、肝心なところを覚えてないが、このジャケットを見た瞬間に全身に電撃が走った。ラジカセとタイプライターと辞書でロボットを表現するとは一本取られたよ。
「まんが道」で藤子不二雄が水のグラスを通して見た机の上の文房具で未来都市の風景を描いた、というエピソードを思い出してしまった。
この写真は70年代の広告写真などで知られる十文字美信の撮影ということだが、松下電器によるもの。
実際に松下電器のナショナルだったかテクニクスだったかパナソニックだったかのポスターで使われていて、先に書いた友人K野の家に行く途中の電気屋の表に貼られていた。これを見て二人で「おぉ、ビル・ネルソン」と狂喜したものだ。

このジャケットが使われたのは確か輸入盤だけで、国内盤は真ん中にRED NOISEの文字だけが拡大されたシンプルなジャケットだった気がする。たぶん国内盤の発売元が東芝EMIなのでライバル松下のポスターなんか使っちゃいかんぜよ、というような事情だったのかね?違ってたらごめん。
この国内盤は一曲目「Don’t Touch Me!I’m Electric」にちなんで「触れないで!僕はエレクトリック」という恥ずかしい邦題だったなあ。ヘアカット100の「好き好きシャーツ」もひどいが、この時代の邦題やレコードの帯の謳い文句はかなりヘナチョコなので本当はそういう特集もしてみたいな。

書きたいことの数10%は削って高密度で凝縮させた文章にしたつもりだったが、さすがに付き合いの長いアーティストを書くと長くなってしまうな。前置きが長すぎて肝心のレッドノイズ部分がアッサリし過ぎ?
でも疲れたのでまた今度ね。

誰がCOVERやねん4

【今回はひねりのない直球。扉絵もシンプルに手抜き】

ROCKHURRAH WROTE:

ROCKHURRAHが勝手に「過去の企画、再発掘」というような感じで、ピッタリと途絶えてしまったシリーズ記事を再び書こうとしているのは本人以外誰も気にも留めてない事と思う。

この「誰がCOVERやねん」のシリーズも1年くらいは書いてないなあ。
ブログ自体をそんなに書いてないから時の経つのもあっという間だよ。
最近はなぜかとても忙しくて、週末に頭を使う気力さえ出てこない始末。
もっとゆったり出来る時間があれば少しは何か出てくるのかも知れないが、本人の気質とは裏腹にあくせく毎日駆けずり回ってる。

さて、今回のテーマは特に決めてないけど、それでよろしいか?
この企画の当初は単に目に止まったカヴァー・ヴァージョンの曲を羅列して簡単なコメントを書くだけというシンプルなものだった。
しかし3回目くらいから飽きてきて少し趣向を凝らすようになったのが敗因。
色んな括りに自分でがんじがらめになってしまい、書くのが非常に難しくなってしまったのだ。
週末に頭を使う気力さえ出てこないのに難しいのは困る。
元来、ひねりすぎの傾向にあるROCKHURRAH、今日は久々に直球で行かせてもらおう。
曲も割とシンプルなのを選んだよ。
ちなみに今はじめて当ブログを読み始めた人にはわからないだろうが、ずっといつまでも70〜80年代のパンク、ニュー・ウェイブがメインの記事を書いてるから選曲見て「いつの時代?」とか思わないように。

Ca Plane Pour Moi / Sonic Youth

この曲は色んなところで使われているから知ってる人も多かろうが、ベルギーの70年代パンク・バンド、プラスティック・ベルトランがオリジナルだ。
元々はハブル・バブルというポップなパンク・バンドだったがプラスティック・ベルトラン名義のこの曲が奇跡の大ヒット。
ROCKHURRAHのブログでも何回も書き続けているね。

例えばパンクの代名詞、セックス・ピストルズやクラッシュやダムドなんかが、遊んでても超自然的な力で勝手にメジャーになったとは誰も思わない。目に見えないところで作曲者も演奏者も歌い手も何らかの努力はしてるのが当たり前だろう。
このプラスティック・ベルトランももちろん、どこか陰で努力してるのには違いなかろうが、そんな片鱗もぜーんぜん見せないところが素晴らしい。
ソロ・アーティストなのかバンドなのかもよくわからないが、全盛期にはバンド・メンバーもいないステージに一人で、軽薄そうな男が口パクのような歌を歌い飛び跳ねて踊ってるだけの能天気さ。
もちろん歌ってる姿を見たのはネット映像が普及したここ10年くらいの話で、それ以前の時代にはプラスティック・ベルトランがどういうライブを行うのか、そういう情報はなかった。
だから動いてる姿は近年になって知ったんだが、昔の映像とかいくつ見てもちゃんとしたライブっぽい姿は皆無なんだよね。 他に何か芸があるわけでもないだろうに、軽薄なぴょんぴょんダンスだけでメガヒットとは恐れいった。

曲調も簡単な3コードのロックンロールをひたすら単調なビートに乗せて歌うだけ、ただこの当時はロック的な歌には向かないと思われていたフランス語で見事にパンクをやっていたのが革新的と言えるのかな?
フランスではパンク初期の時代にメタル・アーバンやスティンキー・トイズなどのパンク・バンドがいたが、これらはいわゆるフレンチ風味はあまり感じられないものだった。
しかしベルギー=同じフランス語圏で生まれたこの曲はミッシェル・ポルナレフのようなフレンチ・ポップをパンクで再現したような軽薄・・じゃなかった軽快なエスプリの効いたもの。

日本盤が出た時は「恋のウー・イー・ウー」または「恋のパトカー」などという邦題がつけられていたな。
誰でもノリノリになれるハッピーさを持っていて、時代を超えて愛され続けるのもわかるよ。
有名無名に関わらずカヴァー曲の多さでもトップクラスだな。

その数あるカヴァーの中からROCKHURRAHがチョイスしたのがソニック・ユースによるもの。
プラスティック・ベルトランよりは遥かに知名度も高いと思われるが、1980年代初期から活動を続けているアメリカのバンドだ。
アメリカン・ロックなどと書くとROCKHURRAH世代ではどうでもいいバンドばかり思い浮かべてしまうが、実はノイズやアヴァンギャルド、オルタナティブなどのバンドの発生率も高い国なんだよね。
個人的にも大昔にはリディア・ランチやコントーションズ、ペル・ユビュとか聴き狂っていたもんな。
そういうノイジーなアプローチをしたロックの中で最も大成したのがソニック・ユースかも知れない。
個人的にはそこまでノイズという気はしないが。

ROCKHURRAHは彼らの全てを語れるほどにファンであった事はないけど、暴力的な混沌(ああ陳腐な言い方)を表現させたらピカイチのバンドだったね。
特にどんな曲をやっても見事にソニック・ユースっぽくなってしまう独特のギター奏法は数多くのギタリストに影響を与えたはず。
この「 Ca Plane Pour Moi」もまさにソニック・ユース調そのもので逆に何の飛躍もないけど、飛躍し過ぎて、このポップな原曲が途中で2回ほど眠くなってしまう16分もの壮大なノイズ組曲とかにならなくて良かった。

Teenage Kicks / Thee Headcoatees  

2曲目も軽快なので行ってみよう。元歌はアイルランドの70年代パンク・バンドだったアンダートーンズのヒット曲だ。
ウチのブログでもちょくちょく名前が出てくるけど、大体いつも同じような事書いてるな。
反体制とかアナーキーとか過激とかのいわゆるパンクのステレオタイプなイメージとはかけ離れた、7:3分け長髪の70年代予備校生みたいなルックスの好青年がこのバンドの主役、フィアガル・シャーキーだ。
何だこの長いセンテンスとひどい文章?大丈夫か?ROCKHURRAH。
メンバーも普通にセーターとか着てて、ステージ映えがしないことこの上ないというバンドなんだが、一応ロールアップしたジーンズからDr.マーチンのチラ見せ、ダブルのライダースがパンク要素というわけか?

初期パンクの中にはこういう風采の上がらないタイプのバンドも多く含まれていて、バズコックスとかサブウェイ・セクトとか。
あまり「華」がなくても、ちゃんと名曲を仕上げれば世界的に著名になれるというところがパンクの魅力でもあったな。

アンダートーンズもモロにそのパターンで、50〜60年代ポップスなどの要素をうまく取り入れた軽快な曲を数多く残したバンドだった。
「Teenage Kicks」はその中でも最大のヒット曲で、多くの人に愛され続けた時代を超えた名曲のひとつだと言える。
初めて聴いた人は必ずその甲高い歌声にビックリするけど、このファルセット・ヴォイスも彼らの魅力。

この曲も色んなバンドがカヴァーしているけどグリーンデイだのアッシュだの、ワン・ダイレクションまでやってるのか?
どちらかと言うとヤンチャな若造バンド(最後のはバンドとは言えないな)がそれぞれの世代で何となくカヴァーしたものばかり。いくつ聴いても全然面白くもない駄作カヴァーだと思える。全く意外性がないんだよね。
しかも全然ウチのブログ向けじゃない。
上に書いたバンド達も本家アンダートーンズよりもずっと世界的にヒットした奴らなのに、この安易さ、このリスペクト感のなさは一体何?と嘆かわしくなってしまうよ。

そんな中でROCKHURRAHが許せる数少ないものがこのヘッドコーティスによるもの。
1970年代から90年代にミルクシェイクス、マイティ・シーザーズ、ヘッドコーツなどなど数多くのガレージ系、ブリティッシュ・ビート系のバンドで活躍したビリー・チャイルディッシュが仕掛け人となって手がけたガールズ・グループがヘッドコーティスだ。
彼女たちは演奏が出来るわけではなくて音楽の方はビリー・チャイルディッシュ達が担当、この4人は歌って踊るだけの添え物みたいなもんだが、ジャケット写真とかではちゃんと楽器持ってていかにもバンド風。
この辺の捏造もまた60年代っぽいのかもな。
とにかく「Teenage」というには無理がありそうな迫力のアネゴが投げやりに歌い、そして演奏はラウドなガレージ・ロックンロール。
好きな人にはたまりませんな、の世界だな。
ん、何とここまで長文書いて気付いたがこのヘッドコーティスは同じシリーズ「誰がCOVERやねん3+」でも書いてて、しかも前回もほとんど同じようなコメント書いてるな(笑)。
しかも元歌のアンダートーンズもこっちの記事で同じような書き方してるよ。アメージング。
自分の過去に書いた記事さえ覚えてないとは呆れるばかりだが、自分の書いた事が一応いつでも主義一貫しててメデタシ。

Isolation / Die Krupps

80年代初期のニュー・ウェイブが好きな人ならば誰でも、とは言わないがかなりの人が知ってるに違いない伝説的なバンドがジョイ・ディヴィジョンだろう。
ロンドン・パンクが誕生して間もない頃のマンチェスターでセックス・ピストルズが観客わずか数十人というライブを行った際に居合わせて、衝撃を受けた人物が何人もいたらしい。
後のバズコックス、マガジンのハワード・ディヴォートや後のスミスのモリッシー、そして後のジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスなどがこの聴衆だったわけだが、彼らを中心にマンチェスターのニュー・ウェイブは花を開いてゆく。
パンクやニュー・ウェイブ初期の最重要レーベルのひとつ、ファクトリー・レーベルもここから生まれ、そしてジョイ・ディヴィジョンはそこの看板アーティストだった。
見たように書けばこういう感じでマンチェスター・ムーブメントは始まったんだろうけど、見てないROCKHURRAHはそこまで書けないのが悔しい。
とにかくジョイ・ディヴィジョンは音楽の流れがパンクからニュー・ウェイブに変換していった頃にファクトリー・レーベルから2枚の傑作アルバムを出し、インディーズ界のスーパースターとなってゆく。
が、度重なる癲癇の発作、鬱病、妻と愛人との三角関係などからイアン・カーティスは1980年に首吊り自殺をしてしまう。
自殺→レジェンドというのは個人的に好きじゃないからROCKHURRAHは今まであまりジョイ・ディヴィジョンの事を書いて来なかったが、彼らの作った音楽を愛しているのは今も変わらない。

彼らの最大のヒット曲は数多くのバンドがカヴァーしている「Love Will Tear Us Apart」だが、個人的に一番好きな彼らの曲は1stの1曲目「Disorder」、2番目に好きな曲が2ndの2曲目「Isolation」だ。
どちらもジョイ・ディヴィジョンの音楽を表すのにぴったりな単語をタイトルに用いているな。

その名曲「 Isolation」をカヴァーしたバンドは意外と少ないので少しビックリんこ。
有名どころではスマッシング・パンプキンズとこのデイ・クルップスくらいなのか?
スマパン、名前は知ってるけど特に興味ないからやはりROCKHURRAH的にはクルップスをチョイスするのが妥当だろう。
もう10年以上も延々とROCKHURRAH RECORDSでは語り続けていて、書いてる本人までもが「またか!」と思ってしまうが、ノイエ・ドイッチェ・ヴェレ(ドイツのニュー・ウェイブ)の中心バンドのひとつがデュッセルドルフ出身のデイ・クルップスなのだ。

D.A.F.によってノイエ・ドイッチェ・ヴェレの洗礼を受けた者が次に辿り着くのがデア・プランかこのバンド、というくらいに大御所なんだが、シュタロフォンという鉄パイプで自作した鉄琴のようなパーカッションを叩きまくって演奏するインダストリアル系バンドの真骨頂のようなのがクルップスだ。
エレクトロニクスを多用した音作りなんだが繊細でもクールでもなくて肉体派、工場労働系なのがまず良い。
自分が育った北九州も西の方は製鉄工場が盛んだったし、環境的には似てるからよりシンパシーを感じてるのかも知れないね。
ROCKHURRAHは福岡の80’sファクトリーというライブハウスで彼らの演奏している映像を見て以来、感銘を受けた人間なのだが、途中からなぜかメタル系の要素が見え隠れするようなバンドに変貌してしまい、ずっとファンで追い続けたというには程遠い関係。
最初の頃はとても良かったけどなあ。

最大のヒット曲「Wahre Arbeit Wahrer Lohn」を何度も何度もしつこいくらいに手直した音源を発表し続けたユーゲン・エングラーの愛すべき偏執狂ぶり、そういう愚かな部分を含めての魅力がこのバンドにはあった。

彼の押し殺したヴォーカルのスタイルとイアン・カーティスの歌声には一見共通するものがあるけど、エネルギーを放出し続けるようなクルップスと心の暗黒を内側に貯めこんでしまったイアン・カーティスは正反対、という気もするな。

もっと書くつもりでいたけど、意外と長くなってしまったので今日はこの辺でやめておこう。
まずは週末に頭を使う気力が起きるくらいまでは回復したいもんだ。
ではまた来週。Hasta luego(スペイン語で「またね」).