時に忘れられた人々【27】読めん!編

【世界一可読性の低い、ROCKHURRAH RECORDS幻の2ndシングル。読めん!】

ROCKHURRAH WROTE:

今では廃れてしまった音楽や文化など、ROCKHURRAHがどこかから拾ってきた「昔のこと」を好き勝手に書いてゆくのがこの企画だ。
たまには少年時代に読んでた小説とかの特集も書くけど、大半は自分が最も好きで追いかけてた70年代のパンクや80年代のニュー・ウェイブという音楽ネタばかりで、イマドキの旬な要素は皆無という内容。
まあ、ここまで過去の事しか書かない人間も珍しいのではないかと自分では思うね。

さて、そういう主旨のシリーズ記事なんだが、最近はネタも少なくなってきて結構バカっぽい方向性になってるのが悩みの種。などと言いながらも、またもや頭悪そうなテーマを考えてみた。
題して「読めん」。

ROCKHURRAHは一応、70〜80年代洋楽ニュー・ウェイブ専門のレコード屋の端くれだし、今はネットが普及してるから検索して、そりゃ読めないバンド名も「こう読むんだ」とわかるよ。
でも当時の音楽雑誌でその綴りのまんま書かれていて、読めなかったバンド名はたくさんあったなあ、と回想したわけだ。全てカタカナ表記してくれてるわけじゃなく、記事を書いたライターによってはそのまんま書いてたりするからね。

昔は友達と音楽についてよく語ってたから、ROCKHURRAHがはじめて読めないバンド名を口に出した時は、たぶん口ごもったりしてたんだろうな。
ん?「今でも滑舌悪くて大抵の言葉は口ごもってるよ」という声がどこかから聞こえてきたが空耳だろう。

パンク世代ではおなじみ、誰でも知ってるSiouxsie And The Bansheesのスージーだって、デビュー当時に誰かがカタカナ読みをし始める前は読めない人が多かったんじゃなかろうか?
え?読めた?

全てのバンドが英語なわけじゃないし、辞書にも載ってなくて、誰も口に出さないバンド名はいつまでもよくわからないまんま。
90年代後半になってようやくネット回線が実用レベルになり、ネットで検索が出来た時は便利になったなあと痛感したもんだよ。それまでは過去の音楽雑誌を延々と読み返して調べたりしてたからね。今では考えられないね。

というわけで妙な雑学には詳しいが、学のないROCKHURRAHが読みにくかったバンドを挙げてゆこう。
ちなみに語学に割と通じてるような人にはバカバカしい内容なので、これ以降は読まないで下さい。

フランス語に堪能だったら即座に読めるんだろうが、英語さえも覚束ないROCKHURRAHはゆっくり読んでもたぶん読めなかったに違いない。
Lizzy Mercier Desclouxの1979年作、デビュー・アルバムだ。
当時、音楽雑誌の裏表紙の広告などでこのジャケットは大々的に出てたから、見覚えのある人(今はすでにおっさんおばさんになってるだろうが)も多かろう。
彼女を知ってる人だったら読めて当然だけど、はじめての人、読めたかな?

ニュー・ウェイブ初期の頃、ZEというレーベルがあって、ROCKHURRAHが注目していたスーサイドやリディア・ランチ、そしてジェームス・チャンスのコントーションズなどなど、ニューヨーク・パンクからノー・ウェイブへと続くバンドのレコードをやたらと出していた。
ノー・ウェイブは一般的には「?」だろうけど、不協和音出しまくりの難解&前衛的な音楽の一派たち。この記事で少しだけ書いたね。
まだまだ身上潰すほどレコードを買ってなかった時代だからそこまで買い集めはしなかったが、リジー・メルシエ・デクルーもこのZEレーベルから日本盤が出ていたので「読めん」などという事がなく、最初から名前は認識出来ていた。もし輸入盤でしか知らなかったら「この曲誰?」と聞かれても誤魔化すしかなかっただろうな。

リジー・メルシエ・デクルーはフランスのアーティストだが、いわゆるフレンチ・ポップとかアイドル的な要素はあまりなくて、やはりパンク、ニュー・ウェイブ以降の女流シンガーだと言える。
ZEレーベルは二人の創始者ジルカ&エステバンの頭文字から取ったレーベル名だけど、エステバン(Eの方)の彼女だったように記憶する。
ノー・ウェイブ系の変わったバンドもリリースするようなレーベルにしては(キッド・クレオールとかも出してたが)割と聴きやすく、ジャケットも清々しいショートカットで「ファンになろうかな」と一瞬は思ったROCKHURRAH少年(当時)だった。
しかし同じ頃はニューヨークの太めの裏女王リディア・ランチがアイドルだったので、ファンになることは断念したけど(大げさ)。
2004年に癌で亡くなったが、自由奔放な活動をした素晴らしい歌姫だったという印象を持つ。

上に挙げた曲も、80年代初期のおしゃれでちょっと先鋭的なカフェバーのBGMとかにはなかなか良かったんじゃなかろうか?
しかしレコード出すたび、姿を見るたびになんか全然印象が違ってて、ファンクだったりアフリカだったり、やってる音楽もその時によって違ったりする。まさに女は気まぐれ。
次に見た時にはもう違った顔になってたから、デビュー・アルバムのジャケット写真が写りの良い奇跡の一枚だったことがわかる。
後期の方が好きって人の方が多いかも知れないが、ROCKHURRAHにとってはやっぱりあの当時のニュー・ウェイブ感漂う1stが一番良い。プラスチックスのチカちゃんみたいな歌い方だね。

フランス語つながりでこれも書いてみるか。
たぶん初等フランス語なので読めなかったのはROCKHURRAHくらいのもんだろうが、Deux Fillesという二人組。
さっきのDesclouxもそうだったが最後に発音しない「x」とかつくとROCKHURRAHはもうダメなんだな。 勉強しろよ、と言われればそれまで。
この名前で調べるとやたらケーキ屋が出てきて太ってしまったが、ドゥ・フィーユと読むらしい。二人の女の子という意味らしいね。ふーん、みんな読めるんだ?

さて、ジャケット写真見て違和感ありありだけど、女の子でも何でもなくて、実は女装の男二人組のユニットなんだよね。
やってる変態は後にキング・オブ・ルクセンブルグとして名を馳せるサイモン・フィッシャー・ターナー、初期のザ・ザのメンバーだったコリン・ロイド・タッカーの二人。
架空の女性二人になりすまし、そのプロフィールまでまことしやかに捏造し、ライブまでやってたらしいよ、この変態。これが82年くらいの話。

80年代後半に大手インディーズ・レーベルだったチェリー・レッドから派生したエル・レーベルというのがあったんだが、その中で最も活躍した貴公子がキング・オブ・ルクセンブルグだった。文字通りルクセンブルグの王様がイギリスの音楽界でデビューした、というよくわからん設定の捏造ミュージシャン。
税金対策のためにバンドを始めたんだと。
ルクセンブルクからよくクレーム来なかったな。(昔はルクセンブルグだったのが最近ではルクセンブルクと表記するようになったらしいので、敢えて表記マチマチにしてる)
というようにサイモン・フィッシャー・ターナーは筋金入りのなりすまし男なんだが、音楽的才能は確かでキング・オブ・ルクセンブルグの時は優雅なポップスターだったり、デレク・ジャーマンの映画サントラとかでもおなじみの音響工作人だったり、幅広い魅力を持つ。

このドゥ・フィーユもアンビエント感漂う作品やこの曲みたいなアヴァンギャルドなコラージュっぽい音楽まで、その多彩ぶりが伝わってくるね。
「女の子二人組」らしさはまるでないジャンルで、このジャケットとかで出すんだったら偽造ヴォーカルくらい入れたら?とも思ったけど、そのギャップも狙ってやってるんだろうかね?
アンビエント風の方はヴィニ・ライリーのドゥルッティ・コラムみたいだったが、上の曲などは実験的で結構好み。
ROCKHURRAHも遥か昔、高校生くらいの時にこういう感じのダビング音楽を作ってたよ。
この手の音楽の中では秀逸なセンスだと思う。さすが王様(←すっかりダマサれてる)。

続いてはオーストラリアのパット見はニュー・ロマンティック系バンド、Pseudo Echo。これのどこが「読めん」なの?と大抵の人に言われてしまうが単にPseudoという単語を知らなかっただけ、辞書持ってくるのも忘れたよ。

オーストラリアと言えば80年代初頭にちょっとしたブームになって、メン・アット・ワークとかINXSとか大人気だったな。
ROCKHURRAH的に言えばもっとアングラなバースデイ・パーティとかサイエンティスツとかSPKとかが即座に出て来るが、どれもコアラやカンガルーが似合わないなあ。
さて、直訳すれば「まがい物の反響(?)」というスード・エコーだが、バンド名の由来は知らない。中古盤屋でよくジャケットは見かけていたけど、注目したこともなかったしね。だがしかしこの曲は知ってる・・・。

この異常なまでにノリノリの「ファンキータウン(リップス・インクのカヴァー)」が有名だとのことだが、いかにもまさしく80年代だねえ。どうやら腕に覚えがあるらしく、ギター・ソロもメチャメチャ楽しげ。この曲を愛してやまないんだろうなあ。
ポップ・ウィル・イート・イットセルフもこのフレーズ使ってたけど、スード・エコー版の方が直球バカっぽくて潔い。

ちなみにROCKHURRAHだけが読めなかったこのPseudo、他にもPseudo Code(疑似コード)というベルギーのバンドがいたな。
確かレコードじゃなくてカセットで持ってたような気がする。
こちらはエレクトロニクスを駆使した実験的なよくあるインダストリアル・ノイズ系。実験的なくせによくあるとはこれいかに?
この手の似たような音楽がたくさん存在してるからあまり目立たないけど、70年代からやってるから割と先駆者なのは確か。

さて、フランス語までは軽く読めてもこれはそうそう読めないと思える。
Wirtschaftswunderというドイツのバンドなんだけど、どう?読めた?
元の意味は「第二次大戦後の(ドイツの)急速な経済復興の奇跡」というような言葉(勝手に意訳)だから、ドイツ史や経済を専攻した人ならば即座にわかる言葉なんだろうけど、そんなことを知る由もなかったROCKHURRAHは何てバンド名かわからずに苦労したよ。

ノイエ・ドイッチェ・ヴェレというドイツ産ニュー・ウェイブの中でも、日本ではあまり知られてない部類のバンドだったのがこのヴィルツシャフツヴンダーだろうか。このバンドをカタカナ読みで書いた雑誌があったのかどうかは覚えてないが、いつの間にかそう呼んでたから、どこかで知ったんだろうね。情報を得たとしたらやっぱりロックマガジンかな?
初期はかなり変わったテイストのバンドで何枚か持ってたシングルのジャケットも不気味、音楽も奇抜なものだった。後年、なぜかメジャー志向になったと思われるアルバムを手に入れたが、変なバンドという先入観が強かったのであまり印象に残ってないよ。やっぱり初期のC級なチープ感が良かったな。

これがその不気味な1stシングルの裏ジャケット。表もほとんど変わらないからひどいとしか言いようがないね。ROCKHURRAHが大昔に書いた「売る気があるのかどうか」で書けばよかったくらい。
このバンドはノイエ・ドイッチェ・ヴェレの高名なインディーズ・レーベル、アタタックとチックツァックという二大レーベルにまたがって活躍したが、これはその伝説的1stシングル。がしかし、ジャケットがトホホだったため、中古盤屋で50円で買った思い出の一枚だ。
掘り出し物がたくさんあったあの時代、良かったなあ。
曲は聴いてわかる通りグニャグニャの不条理系。クラウス・ノミが初期DEVOの演奏で歌ったみたいな感じと言えばわかりやすいか?

結構長く書いてしまったから今回はこの辺で終わりにするが、ROCKHURRAHの「読めん遍歴」はこんなもんじゃない。恥の上塗りとも思えるがまた後日、この続きを書いてやろう。

それではまた、Auf Wiedersehen(ドイツ語でさようなら。読めん・・・)。

誰がCOVERやねん7

【コックニー・レベルのカヴァーをリミックス(?)してみた】
ROCKHURRAH WROTE:

ROCKHURRAHにとって2017年、最初のブログ記事になるので、今年もよろしくお願いします。
毎年のように新年には新しいシリーズ記事を始めるけど、もう増えすぎて書いてる本人にもどれがどの企画だったかわからなくなってしまうから、今年は特になしということで従来通り書き進めてゆくよ。

で、久しぶりの更新となるこのシリーズを書いてみようか。
タイトルの由来がわかりにくいので不評だが、内容は単純、カヴァー曲特集に過ぎないのだ。
企画自体はどこにでもありそうなものだが、ウチのブログの場合、ほとんどが70年代パンクと80年代ニュー・ウェイブに関する曲ばかりを選んで聴かせるという姿勢だけが今の時代には珍しいかも。
いいかげんに書いてはいても、この時代の「ある視点」部門の情報については(たぶん)抜きん出てると自負してるので、それだけでウチのサイトも殿堂入り出来るね。

さて、このシリーズ記事を最後に書いたのが2015年の夏だったな。
あの夏と言えば個人的にはエアコン内部に指を突っ込んでひどい怪我をしたのが思い出される。パックリ割れた爪もいつの間にか完治してどこを怪我したのかわからないほどになったが、ひと夏の思い出が骨折寸前の痛みだけなのが情けない。

2016年の年末から今年の正月にかけては、今度は左手の人差し指だけなぜかものすごい洗剤かぶれ(?)になってしまい、やけどの跡みたいに醜い指先。おそらく主婦湿疹みたいなもんだろうが、たかが洗剤の恐ろしさが身に沁みたよ。しかしなぜか左手指先の災難が多いなあ。
ペル・ゆび」などとつまらんダジャレしか出てこないほど不調。

またしても今回の記事とは全く関係ない話に脱線してしまったのでもうさっさと始めることにしよう。
ちなみに単にカヴァー曲を羅列してダラダラ書いておけばいいものを、例えば「あまり数多くのカヴァー曲が存在しないバンドのカヴァーを敢えて選ぶ」とか「カヴァー曲の方が原曲よりも古かった(ウソ)」とか難題に挑みすぎて自滅するパターンが多かった。だから今回もテーマは特になし、自分にとって書きやすいものだけを選ぶ方針にするよ。

マンチェスターを代表する70年代パンク・バンド、バズコックスのたぶん7枚目のシングルがこの曲「Ever Fallen in Love」だ。
ウチのブログでも何度も登場してるからまたまた書くのも面倒なんだが、バズコックスはハワード・ディヴォートというやや不気味な顔立ちと奇妙な髪型、イヤラシく個性的な声のヴォーカリストと、地味な顔立ちでカリスマ性に乏しいがパンク界屈指のメロディ・メーカーであるピート・シェリーの二人を中心にマンチェスターで結成されたパンク・バンドだった。
パンクの超名盤と名高い4曲入りシングル「Spiral Scratch」でデビューして注目されたが、ハワード・ディヴォートはシングルのみですぐに脱退。残ったメンバーがピート・シェリーを中心に築き上げたのがポップで素晴らしいメロディの作品群というわけだ。

パンク・ロックの発生後、それまでアルバムのセールス主体だった時代からシングル盤主体の時代になっていったという見方がある。
これがその当時の真実だったのかは当事者じゃないからハッキリはわからないが、気になるバンドはまずシングルで買ってみて、気に入ったらアルバムを買うというのはまあ当たり前の心理だ。特にロンドン・パンクの時代の若者はみんな貧乏、なけなしの金でシングル盤を買うというのは確かにリアルなものだったろう。アルバム出るまで待ってたらすでに流行遅れというのもあっただろうな。しかもシングル1枚出したっきり消えてしまったパンク・バンドも結構いたから、パンク=シングルというのは時代の流れだったんだろうね。
ん?また文化論っぽくなってしまったが、確かにROCKHURRAHも7インチ・シングルをイヤになるほど集めていたよ。あの中くらいの大きさがいいんだよね。

バズコックスの場合はアルバムももちろん売れたんだろうが、このシングル主体の波に乗って、素晴らしいシングル曲を連発したという印象がある。実際にどれくらいヒットしたとかそういうデータは抜きにしても、少なくとも10枚目くらいのシングルまではパンク好きなら誰でも知ってるような有名な曲ばかりだ。パンクの荒々しい一面はこのバンドにはあまりなく、とにかくポップで覚えやすく、一緒に歌いやすいメロディと単純明快な演奏が際立っていたからね。

前にも何度も書いたが、セックス・ピストルズやクラッシュ、ダムドのように見た目がカッコイイ、ファッションを真似したいという部分がバズコックスには見事に欠落していて、こういう平凡な見た目でスマッシュ・ヒットを連発していた点がすごい。まさに見た目じゃないよハートだよ、聴衆の耳も肥えてたってことだね。
ROCKHURRAHは80年代に渋谷のクアトロでライブを観たんだけど、その時も観客は観るというより聴きに来てるといった感じだったのを思い出す。もはやメンバー全員おっさんになってしまってたけどね。
ビデオのピート・シェリーもパンク・バンドのTV出演とは思えないオフィス・カジュアルみたいな服装で歯がゆいほどスター性に乏しいなあ。このストライプ・シャツが気に入ってるようで「Promises」のプロモでも同じの着てるよ。

そのバズコックスの名曲をカヴァーしたのがこちら、ファイン・ヤング・カニバルズの1986年の作品。

イギリスで1979年くらいから流行ったのがネオ・スカのムーブメントだった。
オリジナルのスカはジャマイカで発生した音楽だったが、それを取り入れてパンクやニュー・ウェイブのフィルターをかけたような音楽がこの時代に誕生した。白人もジャマイカンも仲良く同じバンドをやっていて、そのネオ・スカはレーベルの名前を取って2トーン・スカと呼ばれた。ROCKHURRAHごときが言わなくても誰でも知ってるよね。
スペシャルズ、マッドネス、セレクターの御三家を中心に、ザ・ビート、バッド・マナーズ、ボディ・スナッチャーズなどなど、とにかくブームと言っていいほど流行ったもんだ。音楽だけでなく2トーン系ファッションなるものも生まれて、細身のスーツにポークパイ・ハット、粋でオシャレなスカのファッションはスカを知らないような人にまで受け入れられた。
メンズ・ビギやムッシュ・ニコル、アーストン・ボラージュなど、当時のデザイナーズ・ブランドでも白黒の市松模様が大流行していたもんな。
ROCKHURRAHも市松模様のシャツを着てなぜか秋吉台(山口にある鍾乳洞&カルスト台地)でバヤリース飲んでるという恥ずかしい写真も残ってるよ(笑)。要はこんな地方都市でも流行ってたと言いたかっただけ。

そのネオ・スカのムーブメントの中で、最初のうちだけ2トーン・レーベルから出して、その後は別のレーベルに行ったのがザ・ビート(イングリッシュ・ビート)だった。まあレーベルが違うだけでやってる事はネオ・スカには違いないけど、ザ・ビートも名曲を数多く残してるグレイトな(ROCKHURRAHに似合わぬ言い回し)バンドだね。「Jeanette」などは個人的に今でも愛聴してるよ。

ザ・ビートの解散後、二人の白人メンバーが結成したのがファイン・ヤング・カニバルズ、この二人につり目のちょっと不気味な黒人ヴォーカリストを加えた三人編成だった。
彼らはこのつり目の男、日本だったら絶対ヤンキーだと思われるローランド・ギフトの見た目からは想像出来ないファルセット(裏声みたいな高音)のヴォーカルを武器に、スカよりももっと万人受けするポップな曲を次々とヒットチャートに送り込んで人気バンドになっていった。1989年には2曲も全米1位に輝いてるからスカ時代よりも遥かにビッグネームになっていたわけだ。

このバズコックスのカヴァーはその大ヒットよりも前の時代、1986年のもの。
パンクやニュー・ウェイブの時代は敢えて異種の音楽を自分なりにカヴァーするという試みが多かったが、これもその一種なんだろうね。
「Great Rock’n’Roll Swindle」の中でピストルズの曲をシャンソン風とかファンク/ディスコ調でカヴァーするとかそういう先駆者がすでにいるから格別に驚きもしないけど、知ってる曲と同じタイトルだとどうしても一度は聴いてみたくなるのがファン心理というもの。
原曲を超えたカヴァーというのは滅多に存在しないから不毛な試みではあるんだろうけど、やってみたくなるミュージシャンの心理もよくわかる。あとは聴いてみて聴衆が決めればいいよ。
何じゃこのいいかげんなくせに偉そうな発言は?

パンクやニュー・ウェイブの発生に直接的な影響を与えたバンドとしてあまり名前が挙がらないが、ROCKHURRAHとしてはこのバンド、スティーブ・ハーリィ&コックニー・レベルの事をとても重要視している。
この記事でもROCKHURRAHのルーツとも言える一人、スティーブ・ハーリィ愛は語られてるが、またまた同じような事を違う記事で書いてしまう。まあ趣味の範囲が非常に狭いんだろうな。
そこでも書いたようにコックニー・レベルはグラム・ロックの時代にデビューして、他のバンドがあまりやらないような路線に活路を見出した一風変わり者のロック・バンドだ。
ボブ・ディランやその時代のフォークソングのような字余りの歌をコックニー訛りの強烈な歌声に乗せて、しかし演奏はクラシカルな要素や大道芸、ジンタのようだったり、ブリティッシュ・ロックの中でも奇妙な部類に入る音楽だった。
3rdアルバムで確執のあったメンバーを一新して演奏は随分健全でポップな感じになったが、ハーリィのヴォーカルは一貫して破壊的で危うい均衡を保ったまま、王道のような曲をやってたのがすごい。彼らのライブを聴けばわかるように歌の崩し方、破綻の仕方が絶妙なんだよね。

そのコックニー・レベル最大のヒット曲がある程度の年代のイギリス人だったら誰でも知ってるこの曲、1975年の全英1位に輝いた「Make Me Smile」だ。邦題は「やさしくスマイル」などとラブソング風なタイトルになっているが、実は解雇した元メンバーを呪った曲というギャップが激しい名曲。
スティーブ・ハーリィのTV出演映像は割と残ってるが、ガム噛んでたりレコードと全然違うアレンジでファンをビックリさせたり、不敵なのかリラックスしすぎなのかよくわからんものが多くて見逃せない。
今回のは裸にファーのジャケットというよく見るヴァージョンだが、この歌声と表情はいつ見ても素晴らしい表現力だと思う。好きなバンドだから何を書いても褒め言葉ばかりになってしまうが、まあそれは誰にでもある事だから許してね。
最近も過去の栄光で老体ライブをやってるようだが、この70年代のコックニー・レベルを生で観たかったなあ。

とにかくコックニー・レベルの代名詞と言える代表曲だから、カヴァーの数もそれなりに存在している。カヴァーしてる方のバンドにどうでもいいようなのも多数だが、同時代にはスージー・クアトロ、80年代にはデュラン・デュランやウェディング・プレゼントがやったものなどは割と有名かな。そんな中で今回選んだのがこのイレイジャーの2003年作のヴァージョンだ。

80年代のエレクトロニクス・ポップやシンセポップ、テクノ・ポップと呼ばれた音楽を聴いた人だったら誰でも知ってるデペッシュ・モード、その初期メンバーで81年に早くも脱退したのがヴィンス・クラークだった。まあデビュー当時は全員かわいい系の好青年揃いだったけど、ヴィンス・クラークだけはやや不気味な見た目だったからな。え?関係ない?

その後太めの女性低音ヴォーカリスト、アリソン・モイエ(80年代的にはモエットと読んでたな)と二人でヤズーを結成して、デペッシュ・モードを凌ぐ人気を得たのだが、人気絶頂の頃は前髪だけフサフサの坊主、モヒカンの一種みたいな髪型しててますます奇怪な感じだった。ファンには申し訳ないが表情や顔が不吉に見えて仕方ないんだよね。
そのヤズーも短い期間で解散、今度は元アンダートーンズの高音ヴォーカリストだったフィアガル・シャーキーを仲間にしてアセンブリーを始めるが、これまた短い活動期間でやめてしまう。
飽きっぽいのかな?しかも低音が好きなのか高音が好きなのかよくわからん男だな。

その後やっと、ずっと活動を続けられる相方を見つけ、1985年からアンディ・ベルと共にイレイジャーとして落ち着いている。
男二人の怪しい関係を想像するグループはこの時代から数多く存在していて、ソフト・セル、D.A.F、ペットショップ・ボーイズ、アソシエイツ、ワム!、ティアーズ・フォー・フィアーズ、Jad Wioなどなど・・・。本当は二人組でないけどジャケットなどの写真では二人だけというのも含めてすぐに思い出せないものも多数いるに違いない。中には三人組というツワモノのゲイ・トリオ、ブロンスキー・ビートなんてのもいたなあ。
このイレイジャーもその系譜にある二人組で、ゲイとしては相当に長く続いてる国民的なユニットだが、それだけ支持してるピープルも多いって事だろうね。ヴィンス・クラークの頭もすっかりハゲてしまい時の移り変わりを感じる。

さて、割と絶え間なく作品を出し続けていたイレイジャーのカヴァー曲ばかりを集めたアルバムにこの曲も収録されている。70〜80年代に限定と書いておきながら2003年なんだが、まあ80年代っぽいままずっとやってるからこれでもいいよね。
これまでどうでもいいアレンジのおざなりなカヴァーが多い「Make Me Smile」だったが、これは中でもちゃんと丁寧にカヴァーした感じがしてプロモも陽気でいいね。あぐらで空中散歩、ROCKHURRAHもこんな能力が欲しいよ。

今回はひとつのバンドについて結構長く書いてしまったので少ないけどこれだけで終わる事にしよう。
簡単にひとことコメントとかでやってゆけばいいんだろうが、その辺が不器用というかサービス精神が旺盛というか、常に「はじめて当ブログを読む人に」「音楽があまり詳しくなくても読めるように」という親切な内容を心がけてしまう。優しいんだろうか(←自分で言うか)。

ではまた、アンニョンヒカセヨ(韓国語でさようなら)。

ふたりのイエスタデイ chapter10 / SETAGAYA 80’s

【今回は珍しくROCKHURRAH自伝でパンクの王道を語ってみる。】

ROCKHURRAH WROTE:

このシリーズ企画「 ふたりのイエスタデイ」もずっと更新してなかったな、とさっき気付いた。
ROCKHURRAHが最後に書いたのも2年以上前の事だったよ。
これに限らずシリーズ記事が多くなりすぎて滅多に更新しない企画ばかり、継続が苦手分野なのかな。

「 ふたりのイエスタデイ」とは1枚のレコード、あるいは本の表紙でも映画チラシでも何でもいいから、とにかくそれにまつわる話でROCKHURRAHとSNAKEPIPEが過ごした80年代を思い出す、というような企画だった。
若い世代がどれだけ1980年代を認識してるのかは全く不明だが
「チャラチャラして明るく軽薄な時代、誰もが浮かれて踊っていた」
「その後バブル経済が崩壊してみんな滅亡」
それが全てだとはいくら何でも思ってないだろう。
しかしNHKのBSで再放送していた「80’s洋楽グラフィティ」で出て来るようなニュー・ウェイブのバンドはみんなその典型的な80年代のイメージで選曲されているね。 これじゃ誤解されても仕方ないよ。
全ての出来事が10年ひと括りなわけでもないし、どの時代にも陰と陽はあるに違いないが、その差が目に見えてハッキリしていてわかりやすかったのが80年代なんだろうかね。

何か文化論みたいな前置きだったが特にそんなつもりは全然ないし、しかも今日のはほとんど自伝風。
いきなり今回の記事だけ読んだ人にはさっぱりわからないに違いないが、大体この記事の後くらいの話だと思っててね。

北九州から東京に出てきた最初は小学校からの友人、U尾のアパートにちょっと居候してた。
仕事も住むところもまだ決まってなくて無計画、何とかなるだろうという甘い考えで出てきてしまったんだよね。
前の「chapter06」で出てきたK野と今回初登場のU尾、そしてROCKHURRAHの三人は同級生で、小学生の時は転入生トリオだった。
一番最初に北九州に越して来たのがROCKHURRAHなんだけど、二人はもっと後で越してきた。
どういった経緯で友達になったのか肝心なところは覚えてないが、中学、高校で離れ離れになった後でも夏休みや正月には集まって遊んだりしていた。
2人は早くから東京に出ていったから、彼らの勧めでROCKHURRAHは上京したのだ。

K野は渋谷パルコのカフェ&雑貨屋で働いててインテリア・デザイナー志望。
U尾はファイヤー通り近くのセレクト・ショップの店員だった。彼は小学生の作文で将来の夢というテーマがあった時に「ファッション・デザイナーになる」と書いて、その通りの生き方をしてきた。
この辺を当時歩いてた人だったら誰でも知ってるセレクト・ショップの先駆け、その支店でオリジナル・ブランドみたいなものを手がけてデザインして、自分で売ってたのだ。
K野も後にインテリア・デザイナーとなって、割と有名な店舗のデザインを手がけていたけど、この二人の行動力と周りの人脈はすごいものがある、と若きROCKHURRAHは感心していた。
と言うのはウソで、内心では「まだまだ自分は途上、そのうちきっと音楽の世界で名を上げてやる」みたいに思ってた。全員ジャンルが違うから対抗心とかは特になかったけど、まだ何者でもない自分に言い聞かせていたよ。
ただしROCKHURRAHの意味不明の自信は全然根拠もないし、名を上げるための何事も努力してない。要するにそんな道に進む準備も何もしてないんだよね。

やりたかったのは別にバンドでも歌手でもなくて、漠然とした考えではレコード屋の店主だった。
たかがレコード屋の店主になったところで店名に自分の名前でもつけない限り(例:山ちゃんレコード)「音楽の世界で名を上げてやる」とはならないと今は思うが(笑)、その時はなぜかカリスマ店主みたいなのに憧れたわけだ。しかもその時点ではまだレコード屋勤務の経験さえなかったのにね。

その頃U尾が住んでたアパートは六畳一間で風呂なし、トイレも流しも共同という絵に描いたような昭和の独身アパートで、新大久保から歌舞伎町に抜けるあたりにあった。しかも彼女と二人で住んでたので、そこに闖入してきたようなROCKHURRAHと三人で六畳、これはいくら何でも居候は大迷惑だろうというシチュエーションだったな。気さくでさっぱりした性格の彼女、Y里ちゃんにも色々迷惑かけたな、と今でも反省する。
結局、そこに居候してたのはごく短期間だったがその間に仕事も部屋も見つかるはずはなかった。
しかし自分のものを何も持ってないにも関わらず、居候のくせにレコードだけは買っていた。歩いて新宿のエジソンやジュクレコまで行けたから魔が差して、なけなしの金で買ってしまったよ。

その後、今まで一度も行ったことなかった街、下北沢でなぜか部屋探しをはじめて、すぐに住むところが決まってしまった。
数件の候補も何もあったもんじゃない。
不動産屋がROCKHURRAHの予算では一軒しか探してくれなかったのだ。まあその時点で収入もないわけだから当たり前だね。
しばらく放浪生活が続いて・・・とかあればいかにもROCKHURRAHらしいが、そんなに都合良いエピソードはなかったのだ。交友関係も狭かったからもうどこも泊まり歩けない状況だった。
で、見つかった場所は東北沢の駅から三分くらいの物件で風呂なし共同トイレの四畳半。
駅から近いだけが取り柄なのと二万円以下の安い家賃に惹かれて即決したよ。

昼間でも一切陽が差し込まない一階の日陰物件だったが、外壁一面に蔦が絡まってて敷地内も苔だらけ。パッと見ではかなり風情のある外観。逆にお洒落でさえある。
たった一口だったが一応ガスコンロも付いてて、玄関にはピンク電話があった。
ROCKHURRAHの部屋は玄関の横だから個人で電話契約してなくても、一応連絡はつくという安心があった。 まだ携帯電話がこの世にない時代だったもんね。

最近では滅多にないと思えるが、家賃の支払日になると大家が直接訪ねて来て、手渡しで家賃を払うという昔ながらのスタイルが懐かしい。安アパートなんだが管理人とかはいなくて税理士である大家が週一で掃除とかしに来るのだ。
下北沢まで歩いて行ける距離でこの家賃は当時でも滅多になかったよ。
茶沢通り(三軒茶屋と下北沢をつなぐ通り)沿いのすぐ近くにあった部屋なので、そのまま歩けばどんな方向音痴でも下北に着く。東北沢駅も真正面、ここまで駅チカ物件にはこの後も住んだ事がないので、一番交通の便が良かったのが最初に住んだここなんだよね。

非常にみすぼらしいけど、一応スーパーが歩いてすぐのところにあったし、アパートの目の前がコインランドリーという事で若手の一人暮らしにはかなり便利な場所だと言える。銭湯の場所がイマイチわからなかったが、洗面器を持って歩いてる人を尾行して独自に突き止めた。ライトなストーカーだね。
何だかとてもラッキーな東京生活スタートだったな。

やっと念願の一人暮らしを始めたが、この時のROCKHURRAHは実家から家財道具を全く運ばなくて、普通の意味での引っ越しではなく、本当に我が身ひとつでここにやってきた。
だから最初のうちは部屋にも何もなかったが、ここでまた登場した友人K野。
彼はこの頃、永福町に住んでて、この時すでに中古のポルシェに乗っていた。四畳半からそのポルシェに乗り、横浜まで飛ばしてくれた。
横浜にはずっと疎遠だった叔母が一人で住んでて、その人から要らない家財道具を貰える事になってたんだよね。疎遠なのであまり話す内容もなく、ナベややかん、食器にふとんくらいは貰えた記憶がある。

いわゆる家具もほとんど要らない暮らしだったが、家の近くが金持ち外人のたくさん住んでる代々木上原。真夜中に歩くと大型ゴミが捨ててあって、洋モノの電話台とかテーブルとか「アンティーク」とまではいかないが、日本の安っぽい合板家具などと比べたら断然本格派のを拾ってきたもんだ。
今では考えられないがその当時はこんなもん、結構その辺に落ちてたんだよ。
書けば書くほど情けなくなってしまうな。

それから真っ当な人には到底理解出来ないような超貧乏生活が始まったが、一番最初の仕事はなぜか日本橋で結婚式場のセッティングとかする「イベント設営」のバイト。
まだ東京の右も左もわからないのに、よく乗り継ぎしてこんな遠くに通ったな。
設営とか片付けはいわゆる力仕事なんだが、ROCKHURRAHは運良く、備品のメンテナンスのような仕事に才能を発揮した。ふすまの破れたところを目立たなく修繕するという高度なテクニックを教わったが、さすがに今ではまるっきり覚えてないぞ。

二番目は経堂(小田急線)でダイレクトメール封入作業。
これまた手先の器用さが求められる仕事で、周りがみんな同世代の学生ばかりだったから仲良くなって、仕事帰りに経堂の喫茶店に寄ったり、それなりに楽しかったな。会社の社員も柔らかい感じの人が多く、いい仕事だったんだが、短期のバイトだったのが残念。
年上の大学院生と仲良くなり、この時点でまだステレオを所持してなかったにも関わらず、もののはずみでレコードを借りたというバカな思い出がある。
しかもこっちはフランスのパンク・バンド、スティンキー・トイズのつもりだったのに、貸してくれたのは古いブリティッシュ・ロック・バンドのスプーキー・トゥースだったというすんごい誤解があって(笑)。頭文字だけは合ってるけども・・・。
いや、こっちの方が名盤だったとは思うけどね。
この後に働いた金でテクニクスのステレオを買ったけど、もはやレコードは返した後だったな。

そして三番目にやっと下北沢でレギュラーとなる仕事を見つけた。
街をブラブラしてたら面白そうな看板を見つけたのがきっかけ。手書きの横尾忠則みたいなペンキ塗りの看板がいかにも80年代キッチュ(今ではあまり使わないか)な古本屋だった。向かいには同じ店名の中古レコード屋もあった。
「ああこれはきっと好きな感じの店に違いない」と運命の出会いを感じて(この時点でまだこの店がどんな店かも知らずに)面接の申し込みをしに中に入ったら、運がいいことにちょうど社長が店にいて、その場で即決採用してくれた。
ROCKHURRAHは下北沢周辺に十年くらい住んだが、この店がそのスタート地点だったのだ。
ちなみに周辺というのは下北の隣駅、東北沢と世田谷代田で、憧れの下北沢は家賃が高すぎてどうしても手が出なかったのだ。
東北沢の安アパートは最初の二年で出て、その後は世田谷代田の環七近くに四年、さらに駅前あたりに四年、同じ町で引っ越してまで住んでる。そこまで世田谷代田が良かったかという事はまるでなく、単に下北沢に徒歩で行けるというだけが基準だったのだ。今はどうなってるのか知らないが小田急線の近隣、梅ヶ丘や豪徳寺には一応ある駅前商店街が世田谷代田には皆無だったからなあ。

さて、この古本屋は最初は下北沢に二店舗と笹塚に支店がある一応のチェーン店で、当時の下北沢を歩いてた人だったら誰でも知っている有名店だったが、ROCKHURRAHが在籍しているほんの数年で下北沢に五店舗、三軒茶屋、吉祥寺まで怒涛の開店を続けていた。恐ろしい経営手腕だな。

朝の10時から開店して夜中の1時までの店だったが、ROCKHURRAHは夕方6時からの遅番に配属された。
最初は古本屋の勤務で一緒に入ってたのが広島出身のK藤さんというややどもり気味の猫背の人だった。
割と地味な学生風の外観だったから知らなかったが、実は有頂天のケラが主催してたナゴム・レコードよりレコードも出してたインディーズのミュージシャンだった事がわかった。
欧米のパンクもニュー・ウェイブも大得意なROCKHURRAHだけど、日本のインディーズはそこまで聴かなくて、ナゴムのバンドもほとんど知らなかったんだよ。
このK藤さんはその後に伊丹十三監督の「タンポポ」や黒沢清監督の「ドレミファ娘の血は騒ぐ」など、映画にも出演して強烈なキャラクターを発揮していたが、東京で最初のうちに働いた場所で多少は有名人と関わっていたとはビックリだ。

そのうち古本屋の向かいにある二号店の勤務になったが、こちらは中古レコードとビデオ・レンタル(当時はまだDVDではなかった)の店だった。
こちらでお世話になったのは劇画家、松森正のアシスタントだったというF戸さんという人。
松森正は80年代には知る人ぞ知るような過去の存在だったが、70年代に「木曜日のリカ」という当時では珍しい女性スナイパーが主人公の劇画を描いてたな。子供の時にこのコミックスを所持していたので、その背景に関わっていたかも知れない人と働けるのは光栄な事だった。
F戸さんはその当時は漫画を描いてたのかどうかは不明だが、とても優しい大人の雰囲気の人だった。

やっと目標の一端、中古ではあるがレコード屋の一員になれたのでここの仕事はとても楽しかった。
四年くらい働いていたのでその間に同僚も随分替わったが、みんなとても個性的で何かを目指してる集まり。仲良くて毎日のように下北で飲んでたのが懐かしい。

  • 少年誌に漫画を描いてた(ほとんど無名だったが)宮崎出身のS谷さん。ムードメーカーで仲間内のリーダー的存在だったな。
  • 埼玉出身の絵に描いたようなパンク・ロッカーでROCKHURRAHと音楽的に一番近いA島、随分年下だったんだけど、彼とは家も近かったからレコードの貸し借りとか頻繁にしてたな。インディーズのパンク・バンドやノイズのバンドを掛け持ちしてたけど、バンド名は忘れた(薄情)。
  • 弟が川崎ヴェルディの有名なサッカー選手というT田、彼もパンク・バンドでベーシストをやってたので話が合ってたがVAPレコードに就職が決まり、なぜか福岡に転勤になってしまった。
  • 辞めた後で仲良くなって、泊りがけでいつも遊んでたM山。全然パンクでもニュー・ウェイブでもない専修大学の学生だったが、顔がなぜかジョニー・サンダースに激似というギャップが激しい男だった。東京で最も仲良くしてたし、この後のROCKHURRAHの転機となるきっかけが彼だったな。
  • 北海道出身でノイバウテンなどのノイエ・ドイッチェ・ヴェレとおニャン子クラブを偏愛する変わり者、H。同じ二号店の勤務だったので最も長い時間一緒にいたな。

他にも個性的な人間が何人もいて、常に5人以上とかで週に三回は下北沢で飲んでたな。
その後、一人二人と辞めていって離れ離れになってしまい、連絡とかもしてないから、彼らが今どこで何をしているのかも知らないんだけど、同時代の下北沢で素晴らしいメンツに出会った事が後の人生に全く活かされてないのが悔やまれて仕方ない。
薄情な自分だったから自業自得だけどね。

今回、扉絵にした2枚のシングルはどちらもその下北沢で入手したもの。
80年代がなんたらかんたら、などといつも言ってるくせしてどちらも70年代モノ、ただし入手したのは80年代というだけだよ。
しかもいつも敢えてヒネたのを持って来たがるROCKHURRAHには珍しく、王道中の王道アイテム。
パンク好きな人にはわざわざ説明するまでもない宝箱アイテムだな。

「ゼルダの伝説」で言うならばこのBGMが鳴るくらいのシロモノ。

ラモーンズの方は他でもない、この働いてた中古レコード店で手に入れたもの。
Promo Copy盤というものでこの大名曲のステレオとモノラルがA、B面に収録されているヴァージョン。これが珍しいのかそうでもないのかはROCKHURRAHよりも世の中の人の方が詳しいんだろうけど、個人的にはお宝の一枚である事には違いない。
前述のF戸さんに頼み込んで社販で購入したもの。
当時はまだそこまでプレミアはついてなかったように記憶するけど。

ダムドの伝説の一枚は全パンク・ロッカー垂涎のステータス・シンボルだね。
上に書いた店で働いていた時のこと。早番と遅番の間にあまり接点はなかったんだけど、交代時に少し会話を交わす程度。
その店の店舗ではなく事務所で働く女性が何人かいて、これも単なる事務員ではなく音楽や映像に暁通しているタイプが多かった。
その中の一人となぜかいきなり「ドクターズ・オブ・マッドネス持ってない?」などという大変にマニアックな会話になったのを今でも覚えてる。
70年代のイギリス、グラム・ロックやパブ・ロックがあり、それがパンクへと発展するような微妙な時代に活躍したバンドで、リチャード(キッド)・ストレンジというアクの強いヴォーカルがメインだった。デビュー当時のセックス・ピストルズを前座にツアーしてた事もある。
ROCKHURRAHは三枚のアルバムとシングルを所持していたが、メジャー・レーベルから出てた割にはこの時代には既に入手困難なレコードで、日本での知名度も低かった。
ヴァイオリンが活躍するバンドで歌もエモーショナル、大好きだった初期コックニー・レベルとオーバーラップする部分があって、好んで聴いていたのだ。
そんなバンドが気軽に日常会話で出てくるところが素晴らしい、ああ80年代の下北沢は良かったなあ。
同僚の暗黒ネオサイケ男(これまた割と有名なバンドやってた)N田といつの間にかいい仲になり、電撃的に二人で辞めていったと朧げながら記憶する。名前の記憶力が割といいROCKHURRAHなんだが、この人の名前はなぜか思い出せない。

で、ダムドの方はこの人の同僚でまた別の人。上に書いたエピソードは特に関係なかったな。
京都出身で確かROCKHURRAHよりも年上の短髪女性、S見さんと言ったな。
昔、ストラングラーズ来日の時にジャン・ジャック・バーネルのベースギターが頭に当たったというキズと武勇伝を持つ人で、あまり話した覚えはないがその印象が強烈に記憶に残ってるよ。
実家から松茸とか筍とか送られてくるという話を聞いた事があるから、きっといいトコのお嬢さんだったのかな?
この人が所有していたダムドのレコードを頼み込んで譲ってもらったのだ。国内盤シングルはたぶんこの当時でも伝説価格のレコードだったはずだが、破格の値段で譲って貰えた。
この頃はまだ若くて社交知らず、ロクなお礼もしなかったけど、今でも忘れないで感謝し続けています。

邦題「嵐のロックンロール」と名付けられたこの曲をウチのブログで語ったのは何度目だろう?その時代の映像はそんなに残ってないからせめて違うヴァージョンにするよ。
うんうん、このモノクロ・ビデオ、ROCKHURRAHも持ってたな。
ふざけた見た目だが意外と喧嘩っ早いキャプテン・センシブルの怒りシーンね。こういうトラブルにも場馴れしたライブ・バンドだなと思うよ。
映画「地獄に堕ちた野郎ども」は観に行けなかったが来年2月にDVDが出るのでそれで我慢しよう。

この店がどんどんつまらない方向性になってしまい、仲間も散り散りになってしまったから数年でROCKHURRAHも辞めてしまった。
その後は別の中古レコード屋でレコード洗いという珍しいバイトしたり、有名な廃盤屋にも少しだけ在籍(BGMが大音量過ぎて耳が危なくなった)したり、あまり長く続かないような仕事をしたが、それからは突然大きく進路を変えてなぜか全然違う仕事を始めてしまう。
この辺は今回にはあまり関係ないからまた別の機会に書くとしよう。

さて、延々と書いてきたどこにでもある自伝だが、今日は世田谷区編までとしよう。
面白くも興味深くもない記事だったが、まあ出来の良くない日記だとでも思ってね。

勝手に書いてきた元・仲間たちが今でも音楽に関わって生きているのかどうかは知らないけど、今でも若気の至りのまんまで生きてる、名もないパンクロッカー(未満)だったROCKHURRAHはここにいるよ。

ではまた、さらばシモキタ(大げさ)。

時に忘れられた人々【26】同名異曲編3

【もうマンネリとしかいいようのないトップ画像。ネタが尽きた!】

ROCKHURRAH WROTE:

他に書ける題材もあるにはあるんだが、書いていてなぜか筆が重いような企画が多くて中断してるネタが多数。ん?パソコンのキーボードだから筆が重いとは言わないか? キーがヘヴィで・・・ますます変か?
まあ書きやすいかどうかは気分次第なので、いずれスラスラと仕上がる時も来るでしょう。
今日は割と簡単そうだったからこれ。
まさかパート3まであるとは思わなかったが「同じタイトルなのに全く別の曲」というシリーズにしてみよう。

毎度毎度書いてる事だけど、ROCKHURRAH RECORDSではどんな時代でも”気分はいつも80年代ニュー・ウェイブ”なので、その手の選曲しかしないという姿勢を貫いてる。

時代の流れで完全に息絶えたかと思ってたレコードやカセットテープが復活して、これを知らない若い世代に人気だという。
レコードはまあ復活して当然だと常々思っていたが、まさかカセットまでリバイバルとは予想もしなかったよ。 「80年代を現在進行系のまま」などというテーマでずっと取り組んでたウチのサイトだが、思わず「懐かしい」などと現在進行系を無視した言葉が出てきてしまう。
個人的に言えば大昔の小倉(北九州市)、ベスト電器やデオニーという今あるのかどうかわからん家電屋に行くと、毎回バカのように3本セットになったカセットテープを買い漁っていたなあと思い出す。
TDKやソニー、そしてスキッズのリチャード・ジョブソンがイメージ・キャラクターだったBASFのテープなどなど。
自分で聴くのもあったけど、友達に自分が選曲したベスト盤みたいなカセットを贈るのが大好きだったよ。
音量レベル調節とか頭出しとか難しかったけど、時間があればずっと飽きもせずレコードを録音してるような子供だったな。

温故知新と言うべきか、そういうのがまた注目されるなら、ROCKHURRAHが毎回書いてる80年代満載のこのブログもいつの日か大注目される可能性もあるかもね。え?そんなことはあり得ない?

ちょっと書いたら懐かしくなって関係ない事を延々と書いてしまった。 だから今回も70〜80年代のパンクやニュー・ウェイブばかりを当たり前のように選曲するよ、というひとことが言いたかっただけだ。 長々と綴った回想は全然意味なしだったな。

相変わらずよくわからん前置きばかりで前にも読んだ人だったらうんざりだろうけど、そういうわけで今回も始めてみよう。

「バナナスプリット」というのは「トムとジェリー」や「原始家族フリントストーン」「チキチキマシン猛レース」などでおなじみのハンナ・バーベラ・プロダクションによるアメリカのTV番組だとのこと。

子供の頃はTVアニメや漫画が大好きで再放送もしょっちゅうやってたから、知らず知らずのうちにかなり多くのものを観ているな。特にこの頃は外国アニメやTVドラマが大変に多かった時代。
同じ作者なんて認識はこの頃にはまるでなかったけど、同世代の人なら誰でもいくつかの番組がスラスラ思い出せるはず。

試しに調べてみたら「出て来いシャザーン!」で有名な「大魔王シャザーン」や「ドボチョン一家の幽霊旅行」もハンナ&バーベラ作なんだね。二つとも大好きだったのにこいつは知らなかったよ。
ちなみに「幽霊城のドボチョン一家」という別物のアニメも同時代にあったそうで、ROCKHURRAHが観ていたのがどっちだったか実は全然覚えてないよ。何じゃそりゃ紛らわしい。

さらに詳しく調べてみたら好きだったのはハンナ&バーベラ作の方じゃなくて「幽霊城のドボチョン一家」の方だと判明した。 全く別のスタジオが作った作品なのにタイトル(邦題)やテーマソングがほとんど同じってすごくない?
制作した方には(たぶん)全く責任がなく、日本語吹き替え版のテレビアニメ独自のテーマソングらしいが、これは完全にどっちかが盗作したとしか思えないレベル。
しかもちょっと「Munsters」まで入ってるよ。
あまりの事に仰天して腰を抜かしたので今の記事とは関係ないけど特別に両方貼っておくよ。

仰天から立ち直ったので続きを書くが、どっちも作詞作曲が同じ人で同じ局の放映、つまり盗作ではなくて替え歌を流用したらしい。あービックリした。
がしかし、歌くらいもう1曲作り直せよ。
「ドボチョン一家の幽霊旅行」の方はドボチョン伯爵がなぜか「はけしゃけ」に聴こえるのが気になって仕方ない。

で、話は「バナナスプリット」に戻るが、この番組は実は全く観た事がなくて、単に歌を知ってるというだけに過ぎない。日本で放映してたのかな? どうやらアニメではなく着ぐるみ動物たちによるバンドのコメディらしいが、内容を知らなくてもこの歌はとても有名だから知ってるよ。

本来のタイトルは「Banana Split」ではなくて「The Tra La La Song」というらしいが、これを70年代にパンクでカヴァーしたのが米国ロサンゼルスのディッキーズ(The Dickies)によるもの。 関係ないが90年代には助平なオルタナ・クイーンと呼ばれたリズ・フェアもカヴァーしてるな。

ディッキーズと言えばチノパン?と誰もが連想してしまうが、70年代後半から活動してる長寿バンドだ。 アメリカのパンクはロンドン・パンクとはやや違うものも色々あるんだが、このディッキーズとかは普通にロンドン・パンクに近い音楽。
ちょっとコミック系が入ったスタイルのようで、全員がちっちゃくなってしまった(「だからどうしたの?」と言いたくなる)レコードジャケットでも有名だったな。
ブラック・サバスの「パラノイド」をパンク風にアレンジした曲とかが有名だけど、もっとバカっぽくコミカルな曲調のものが個人的にはお気に入りだった。
「プードル・パーティ」なんかは同じコミック・パンク・バンド系のトイ・ドールズの元祖みたいだもんね。

この 「Banana Split」も同じ路線のもの。 誰もが「この曲のパンク風はこんな感じ」と想像した通りの典型的な演奏と歌で軽快、コミカルな内容。
バナナがマイクになってるね。
ヴォーカルの前髪パッツンの髪型もすごい。前にこの記事でも同じような事を書いたな。 コミカルな雰囲気のバンドは多いけど、本当にコミック・バンドを目指してるわけじゃなかろうから、この映像見て実際に笑う人はいないだろうと思えるのが苦しいところだね。

その「Banana Split」と同じタイトルなのがこちら、ポルトガル出身の美少女シンガー(当時)、リオ(Lio)の代表曲。 育ちはベルギーで主にフランスで活躍してたらしいが、1979年にデビューした時にまだ若干16歳。

フレンチ・ロリータという言葉がある通り、フランスでは伝統的な系譜だったのがこういうアイドル系美少女によるフレンチ・ポップスだ。
リオはそういう中で(時代的に)ニュー・ウェイブ世代のフレンチ・ロリータというような路線でデビューした。 邦題もズバリ「美少女リオ」。ここまであけすけだと誰も文句が言えないね。
たぶんそこそこ人気はあったに違いないが、日本ではそこまで知名度はなかったのかな?

ベルギーからフランスの音楽界で大活躍したという例では、ROCKHURRAHが大好きなプラスティック・ベルトランを想像してしまうが、その手の路線とも違っていた。
ピンク色の服装でただ踊ってるだけという手抜きプロモの作りは一緒だけど。
それにしてもこの衣装は一体?光沢のない竹の子族みたいなもんか。

同じくベルギーのB級テクノで有名なテレックス(マルク・ムーラン)がバックバンドをやっていて、リオの曲もこの当時のテクノ、エレポップと呼ばれた音楽の延長線にある。
まだユーロビートなんてなかった時代だからね。
途中の「う、きゅん、う、きゅん(以下リフレイン)」というような電子音がいかにもで、こんなんでも当時はノリノリだったよ。
リオが自分自身で入れる合いの手みたいな「ぅんー」もピコ太郎の元祖みたいなもんか。

彼女はただの軽薄テクノだけじゃなく、フランスの初期パンク・バンド、スティンキー・トイズのファンだった事でも知られる。
アルバムにも確か彼らのカヴァー曲が収録されて向こうでは大ヒットしたはず。
スティンキー・トイズ、ROCKHURRAHも好きだったんだよね。
このバンドの紅一点、ヴォーカルのエリ・メディロスはきつい目つきで無愛想な雰囲気なんだが、80年代アイドル風の明るいリオとどこで接点があったんだろうか?
睨まれたりしてないだろうか、こっちが心配になるよ。

レコードには「Dedicated To Kevin Ayers (ソフト・マシーンの初期メンバー)」などとも書いてあり、只者じゃないアイドルを目指してたと見える。

このプロモではまだ子供っぽかったリオだが、90年代になってまたしても「Le Banana Split」を新たなミックスで発表して、その時は結構お色気路線になっていた。
コンスタントに活動はしてたようだが、ROCKHURRAHが初期と90年代のリオしか知らないというだけの話。 写真で見るとずっとお色気路線だった事がわかる。
その90年代のは何と同じ曲のヴァージョン違い5曲も入っててげんなりしてしまうが、一過性のアイドルで終わらなかったところが見事だね。

本当はなるべく長いタイトルが見事に一致した曲について書きたかったんだが、ROCKHURRAHの捜索能力がイマイチなので勘弁してやってね。

実にありふれたタイトルだが「Jealousy」。 このタイトルがついた曲もわんさかあるんだが選んだのは井上陽水・・・ではなくて。
今回よりによって選んだのがこちら。
ロンドンの下町、イーストエンド出身のバンド、ウェステッド・ユース(Wasted Youth)だ。
何か同じような名前のバンドが複数存在するのでややこしいが、同名バンド特集ではないので説明は抜きにするよ。

イーストエンドと言えばかつては犯罪の巣窟とか貧民街とか言われていたが、今はおしゃれな街に変身してるとの事。彼らが活動してた70年代後半くらいはまだ治安が悪かったんだろうな。

ウェステッド・ユースは1979年頃からわずか2〜3年しか活動してないバンドで知名度も低いし、ヒット曲もほとんどない。
ネオサイケと呼ばれる音楽にドップリという人は現在ではほとんどいないだろうが、そういうジャンルのファンでも「聴いたことないよ」って人も多かった。
オリジナルで出たアルバムはわずか1枚のみで、解散後に何枚かライブやコンピレーションみたいなのが出てるだけ。
シングルやオリジナル・アルバムはブリッジハウスというパブが作ったインディーズ・レーベルから細々(あくまで想像)と出てただけ。
これじゃカルト的扱いのバンドになるのも仕方ないだろうな。
このパブのハウスバンドみたいなもんだったのか?その辺は見てきたわけじゃないから不明だけど、パブ自体は立派でロリー・ギャラガーなど大物も出演してたらしい。

同郷だったオンリー・ワンズのピーター・ペレットがお気に入りのバンドで確か数曲プロデュースしてるはずだが、そのピーター・ペレット本人が80年代にはもはや「消えたミュージシャン」の筆頭に挙げられていたもんなあ。

ROCKHURRAHはこんな不遇な彼らが好きだったが、曲もその辺の「なんちゃってネオサイケ」とは全然違う本格派。
見た目も声も良かったのに大して話題にならなかったのは何で?と思っていたもんだ。
アルバムのジャケットがカーキ色みたいな薄く目立たない色で何を表現してるかさっぱりわからないとか、よりによってノリの悪い曲(結構サイケ)ばっかり選んでアルバムに収録したんじゃない?とか、ラフ・トレードみたいに大手インディーズに販売を委ねず宣伝活動を全然しなかったんじゃないかとか、売れなかった原因がさっぱりわからないよ。
コンピレーションに収められた未発表曲は名曲揃いなのにね。

この曲「Jealousy」は1980年のデビュー曲なんだけど、そんな彼らの動いてる映像が見れる唯一の曲。 うーん、第一印象が大事なデビュー曲でこんな地味なスローテンポの曲を選ぶか・・・。
しかしシド・バレットとルー・リードが出会ったかのような気怠い鼻声はあらゆるネオサイケの中でもトップクラスの表現力。今見てもカッコイイと思えるよ。
この前髪、これこそ80’sの極みだね。
しかし最後のあたり、みんなで肩を組むシーンがこの手のバンドではありえない展開。ジャニーズか?とツッコミたくなってしまうよ。

このバンドはインディーズ界でもあまり表に出て来なかったけど、ギタリストのロッコー・ベイカーが後にフレッシュ・フォー・ルルでちょいとばかし有名になったな。
キーボードのニック・ニコルはペルシアン・フラワーズというバンドやってたが、これまた幻と言えるほどの地味な活動。偶然シングルを持ってたが、たぶん昔に売ってしまったな。
ヴォーカリストのケン・スコットは後にスタンダード曲「ストーミー・ウェザー」を歌ったり、相変わらず誰にも知られないような活動してたな。
同時期に元スキッズのリチャード・ジョブソンが同じ曲を歌っていたのでジャズに疎いROCKHURRAHでも知ってるよ。なぜか関係ないのに2回もリチャード・ジョブソンが登場してしまった。

今はインターネットで何でも検索出来る、などと思ってる人が多いが、例えばこのバンドについて日本語で語ってるのがROCKHURRAH以外にはほとんどいないと推測される寒い状況。
まあ希少な内容のサイトをやってるという点で、ウチにも存在価値くらいはあるかな。

何か今回は横道にそれた発言ばかり多くて先に進まないな。

さて、その「Jealousy」と同じタイトルの曲をやってて、人があまり語らないバンドがこれ、ブートヒル・フット・タッパーズ(The Boothill Foot-Tappers)だ。

1980年代半ばのイギリスのバンドだが、カントリー&ウェスタンやブルー・グラス、フォークにトラッド、スカなどの音楽性がミックスされたアコースティックな音楽性が特徴。

ちょうど同時期にデビューして大人気となったポーグスあたりとパッと見には似てるが、聴いた感じあまりアイリッシュは感じなかった。
楽器編成もバンジョー、アコーディオンなど共通する部分はあるけど、ポーグスにあるマンドリン、笛がこちらにはなく、ポーグスにないウッドベースとウォッシュボード(洗濯板)がこっちにはある。

この頃はニュー・ウェイブが一段落して、ハードだの暗黒だの暴力だのエレキだの化粧だの、この辺の路線に皆が飽いていた時代。
それでなのか何なのか、大昔からあるような音楽を引っ張り出してきて、それに「ネオなんとか」と付けて新ジャンルにするのが流行っていたよ。
大まかに言えばこのブートヒル・フット・タッパーズもネオ・アコースティックの一種には違いないんだけど、カウパンク以外でイギリス人があまりしないカントリー系統への傾倒は割と斬新だったね。

まだこの時代にはそんな言い方はなかったけど、後に東京スカンクスのダビすけが提唱した「ラスティック」という総称(?)に当てはまるような音楽。
ウェスタン・スウィング、カントリー、ブルーグラス、ケイジャン、テックス・メックス、アイリッシュ・トラッド、ヒルビリー、ロカビリー(サイコビリー)、マカロニ・ウェスタンのテーマソングなどなど、上に挙げた一般的にはあまり馴染みのない音楽をうまい具合にミックスさせたようなバンドが後には続々出て来るが、このバンドとかもその先駆けみたいな感じかな。

女性3人がいて2人がヴォーカル(1人は洗濯板)かと思いきや、実は男ヴォーカルもいて曲によって使い分ける柔軟な構成。
「Jealousy」はスカ要素が強い名曲だが、他の曲ではかなり履いてテンション、じゃなかったハイテンションのバンジョーが炸裂するようなのもあり、この手のジャンルとしては素晴らしい完成度だったよ。
個人的に好きだった「Get Your Feet Out Of My Shoes」などはジョン・デンバーのファンに聴かせても「いい曲だね」と言われるくらいのエバーグリーンな名曲(ウソ)。
そしていい味出してるアコーディオンのキャラクター。
同時代に活躍した百貫デブばかりによるサイコビリー(ネオ・ロカビリーっぽいけど)&ラスティックの伝説的バンド、The Blubbery Hellbelliesのスリムが参加してるのもファンにとっては見逃せない。
大好きだったんだよね。

ブートヒル・フット・タッパーズはいわゆるクラブ・ヒッツなどでは欠かせない名曲を残してるが、レコードの時代は結構入手困難だったし同時代にはたぶん日本でレコードは出てなかった。
こんなに完成度高いのにね。
そういう意味ではちょっとマイナーな存在だけど、後に再評価されてCD化もしたな。

もうひと組、つまりあと2曲書こうと思ってたけど、案外長くなってしまったので今日はここまで。
ということでまだまだパート4までありそうな雰囲気だな。
もう飽きた?うん、ROCKHURRAHも。

それではまたチョムリアップ・リーア(クメール語で「さようなら」)。