CULT映画ア・ラ・カルト!【13】The Holy Mountain

【フランス版のポスター】

SNAKEPIPE WROTE:

毎年開催されているカンヌ国際映画祭は、多少ニュースで知るくらいでほとんど注目したことはない。
1990年に敬愛するデヴィッド・リンチ監督が「ワイルド・アット・ハート」でパルムドールを受賞した時は、さすがに興奮したっけ。
まさかリンチがカンヌでグランプリとは!ってね。(笑)

あれから22年の時を経て、今年のカンヌにはSNAKEPIEPが興奮するネタがあったのだ!
それは「藁の楯」じゃなくて(笑)、アレハンドロ・ホドロフスキー監督のニュース!
今年の2月に入手したホドロフスキー監督の自伝「リアリティのダンス」が映画化されることは知っていたけれど、実際に映画が完成していてカンヌで上映されたと聞いて小躍りしたのである!
観たい!観たい!絶対観たい!!!うおぉーーーーっ!
そのニュースを知り、トレイラーを発見して鑑賞した夜には、「リアリティのダンス」の夢まで見てしまった!
強い気持ちは夢に現れやすいなあ。
えっ、じゃあこの前夢の中でコバルヒンを一緒に食べた小倉智昭に対しても強い気持ちがあったのか!(笑)

「リアリティのダンス」を読んで、ホドロフスキーに対する興味は益々増すばかり。
ホドロフスキー原作のバンド・デシネまで購入してしまった。(笑)
それについてはまた別の機会にブログでまとめてみたいと思っている。
本日は84歳にしてまだまだ現役バリバリの映画監督、アレハンドロ・ホドロフスキーの「ホーリー・マウンテン」について書いてみよう。

「ホーリー・マウンテン」(原題:The Holy Mountain)は、メキシコとアメリカの合作映画で1973年に製作されている。
日本公開は1988年とのこと。
当然ながら観に行ってるSNAKEPIPEなんだけど、1回目の鑑賞ではストーリーについていくのが精一杯だったように思う。
それから何度繰り返し観たことだろう。
そしてホドロフスキーの自伝である「リアリティのダンス」を読んで、今回再び「ホーリー・マウンテン」を鑑賞したSNAKEPIPE。
「ホーリー・マウンテン」を撮影していた頃の話も所々に登場するし、なんといってもホドロフスキーの生き様や信念を知ることによって、より一層映画の理解が深まるように思う、たぶん。(笑)
では早速「ホーリー・マウンテン」の感想をまとめてみようかな。

※ネタバレを含みますので、映画を観ていない方はご注意下さい。

とても有難いことにトレイラーがあったので、載せておこう。
なんとも摩訶不思議で残酷な美しい映像にウットリしちゃう。
ところが単なる映像の羅列じゃなくて、ちゃんとしたストーリーが展開されてるんだよね。
Wikipediaにはものすごく簡単に

錬金術師は、不老不死の秘法を知る賢者達から秘法を奪う為に、修行の末、賢者達が住む聖なる山(ホーリー・マウンテン)に至るが…。

と一行で書かれているけど、ここではもう少し詳しく書いていこうか。
「ホーリー・マウンテン」は3つのパートに分かれている。
一番初めはキリストに似た風貌の男の話。


何故だか分からないけれど、地べたに寝ていた男、役柄は盗賊とされている。
第1部の主人公はこの盗賊ね。
そして盗賊にいたずらを仕掛けるが、次第に仲良くなる両手両足のないフリークスも登場する。
ホドロフスキー映画には欠かせない(?)タイプの役者さんといえるかな。
盗賊はフリークスを抱きかかえ、町を散策する。
そこで様々な出来事に遭遇するのである。

軍隊による民衆の虐殺。
皮をはいだ動物を十字架に磔にし行進する軍隊。
それらを笑いながらカメラに収める観光客。
「エル・トポ」に出てきた街に近い雰囲気だね。
「ヒキガエルとカメレオンのサーカス団」は動物を使って戦争ごっこを見せる。
爆発で吹き飛ぶカエルやカメレオンの映像は、少しグロい。 


キリスト像を製造し、安売り(!)販売している太っちょ達に酒を飲まされ、呑んだくれた盗賊は眠っている間に型取りをされてしまう。
見た目がキリストを思わせるから、というのが理由だろう。
1000体もの自分と同じ姿をしたハリボテの中で目覚め、気が狂ったように叫ぶ盗賊。
見事としかいいようのない異様な光景だ。
実際に作ったんだろうけど、この一枚写真だけでも迫力あるよね!
盗賊は自分に似たハリボテ一体だけを抱え、再び歩き始める。


次に出会うのが娼婦の集団。
黒いシースルーのトップスに黒い短パンに白いベルト、腿まである白いブーツという全員が同じ服装をしている。
年齢も少女からミドルまで幅広い。
その中でチンパンジーを連れている、目に力がある女性が盗賊に惹かれ、あとを付いて行く。

ハリボテを教会に預けようとすると、本物のキリスト像を抱いて眠っている司祭がいる。
こっちが本物だから偽物のハリボテは持って帰れ!と盗賊を追い返してしまう。
そして何故だか盗賊は、ハリボテの顔を食べ始めるのである。
モリモリ食べてるんだけど、このシーンはかなりウエップな状態。
多分実際には食べられる素材でできてるんだろうけどね。(笑)

次に遭遇するのは上をじっと見上げている人々。
一体何を見つめているのかと思うと、高い塔から金色の錨のような形のオブジェがスルスルと降りてくる。
錨には袋に入ったゴールドが入っていた。
盗賊は目ざとくゴールドに目をやると、その錨に乗って一人だけ塔の中に入ってしまう。
このシーン、まるで「蜘蛛の糸」なんだけど、今回は一人だけが招待されるってことで良いみたい。(笑)
ここで盗賊は錬金術師に出会うのである。


ここからが第2部の始まり。
この錬金術師こそ、我らがアレハンドロ・ホドロフスキーご本人!
「エル・トポ」の時と同じように、監督・脚本と更に俳優までこなしてるスーパーなお方だよね。(笑)
錬金術師だけに、誰もが持っているモノを素材にしてゴールドを創りだしてしまうのだ。
盗賊も「ゴールドが欲しい」と答えたばかりに、かなり苦しみながらも、本来自分が持っているモノを使用してゴールド獲得!
実はこれ、排泄物なんだよね。
まさかと思うけど、本気にして試した人いないよね?(笑)
「己自身もゴールドになれるのだ」
というものすごく説得力のある言葉を受け、盗賊は錬金術師の弟子になる。
「錬金術を学びたいのなら、この連中と組め」と権力のある実業家や政治家達を紹介する錬金術師。
ここで出てくるそれぞれの権力者達の説明が、「ホーリー・マウンテン」の中で、SNAKEPIPEが一番好きな部分なんだよね!(笑)

守護星が金星のフォンは肉体にやすらぎと美を与える仕事に就いている。
実際に何をやっているかというと、ベッドやマットレス、織物、洋服や化粧品の製造販売を行なっている。
人間は中身よりも外見を大事にする、ということから人造的な筋肉や面も製造する。
その面は死ぬまで使用可能とのこと!
これがあったら美容整形必要なしだね。(笑)

棺桶に関するビジネスもあり、死体に電子装置の仕掛けをして、死体が動くようにするというかなりブラックな商売まで手がけているようだ。
創業者である父親が会社の中での絶対的存在であり、その父親が会社経営に関する意見をミイラ化した母親の陰部に触れることによって決定するエピソードや、フォンには何十人ものワイフが存在しているところも面白い。

次は守護星が火星のイスラである。
男装の麗人といった感じで、女性2人とベッドを共にしているので、恐らくレズビアンという設定だと思われる。
イスラが行なっているのは、兵器の製造販売である。
爆撃機、水素爆弾、光線銃、細菌兵器、反物質波、発癌性ガスなどのかなり物騒なものだ。
誇大妄想狂にするための薬や、善良な人間を獰猛にする薬なども作り、実験も行なっている。
若者用の武器としてサイケデリックなショットガンや手榴弾でできたサイケなネックレス、ギターの形をしたロックンロール銃、仏教徒用の銃、ユダヤ教徒用、キリスト教徒用など様々なバリエーションの銃を見せてくれるんだよね。
よくもまあ、作ったもんだと感心しちゃうよ。(笑)
イスラが寝ていた部屋にあった絵画も興味深く観ていたSNAKEPIPE。
あれは誰かの作品なのかな?

クレンの守護星は木星、そして現代美術のアーティストである。
立派な屋敷に住み、運転手付の車で愛人を伴ってアトリエに向かう。
専用のアトリエではクレンの奇妙な作品が制作、展示されている。
ボディ・ペインティングした生身の女体をオブジェとして実際に触れる作品や、絵の具を臀部に塗り紙の上に座らせて一点物に仕上げるアクション・ペインティングだったり。
クレンは人体をテーマにしたアートを展開しているようだ。
最後に登場するのは「ラブ・マシーン」という機械式の女体マシーンだ。
男根をイメージした長い棒をうまく操ることで、「ラブ・マシーン」に様々な変化を起こさせるという、なんだか本当にありそうだけどバカバカしい作品である。
触れる作品というとつい思い出してしまうのが、江戸川乱歩の「盲獣」だな。
乱歩だったらクレンの作品を評価するかもしれないね?

セルの守護星は土星だ。
子供相手の商売をしている。
サーカス団を持っており、自らピエロに扮して象に乗り町を練り歩く。
向かった先はセルのおもちゃ工場。
その工場に入る前にピエロから女社長の服装に着替え、まるで別人になってしまうのだ。
そして工場内を視察する。
ここはただのおもちゃ工場ではない。
政府の政策を取り入れ、戦争や革命を想定し子供を軍事教育するためのおもちゃを開発しているのである。
ペルーとの戦争を望んだ場合、敵対心を高めるためにペルー人を悪者に設定した人形や漫画を作ったり、強烈な臭いの下剤を作り商品名をペルーの首都にし、悪=ペルーというイメージを植え付けるのだ。
15年先を見越してというから、なんとも壮大な計画だよね。
実際にこういったことが行われた場合には、まんまと計画通りに喜んで戦争に行く人間に育つだろうね。
なんとも恐ろしいね!

バーグの守護星は天王星だ。
母親なのか妻なのかよく分からない立場の、まるでジョン・ウォーターズ監督の映画でお馴染みのディバインみたいな女性と同居している。
「私達のベイビー」としてベッドに寝かされているのは大蛇!
哺乳瓶でミルクをあげたり、蛇用ロンパースのような編み物までしているほどの可愛がりよう。
バーグは大統領の財政顧問をやっている。
大統領からの呼び出しを受け、財政に関する報告をする。
「赤字対策のため今後5年間に400万人の口減らしが必要です」
というヒドイ内容!
それを聞いていた大統領はすぐに電話をかけ
「ガス室の準備をしろ」
と命じるんだよね。
学校、図書館、博物館、ダンスホール、売春宿で使用せよ、と人が大勢集まりそうな場所をチョイスする大統領!
「ホーリー・マウンテン」には民衆を虐殺するようなシーンがたくさん登場するので、この大統領の発言は「いかにもありそう」と思ってしまうね。

アクソンの守護星は海王星。
モヒカンの警視総監である。
なんとこの警視総監、睾丸コレクションをしていて、今回めでたく1000組を集めたというのだ。
「今日がおまえの最良の日だ。その勇気を讃えよう」
コレクションに寄贈した若者に向けて言葉をかけるアクソン。
このコレクション、一体何の意味があるんだろうね?(笑)
このアクソン役の俳優は、ホドロフスキーに「スタッフになりたい」と電話をしたらしい。
実際に会った時ホドロフスキーから「役者として出演してみないか」と言われ「本当は役者になりたかったけど、勇気がなくてスタッフとして応募した」というやりとりがあった話が「リアリティのダンス」の中にあった。
ホドロフスキーは素人を使うことで知られているので、こんなことは日常茶飯事なのかもしれないね?
でも演技が初めてという感じはなくて、堂々と見事に警視総監を演じていたと思うよ、アクソン!

ルートの守護星は冥王星だ。
建築家である。
着物のような衣装に身を包み、ミッキーマウスを思わせる衣装の子供達とかくれんぼ。
そういえば「ホーリー・マウンテン」の冒頭で頭を丸刈りにされる女性2人はマリリン・モンローみたいな白いドレスと髪型だったね。
ドレスを剥ぎ、頭を丸める行為はマリリン・モンローを別人にし、そのイコンそのものを剥奪するようなことなんだろうかね?
対アメリカってことなのかしら?
あまり深く考えなくても良いのかもしれないけど?
ルートは棺桶型のシェルターを提案する。
食事や風呂は別の施設で供給し、シェルターはただの寝床として活用するという計画だ。
「家や家庭のない街!人間よ自由であれ!」をスローガンにこの計画のプレゼンテーションするんだけど、まるでそれは以前鑑賞した「メタボリズムの未来都市展」に似ていて興味深かったな。

そして第2部の初めから登場していた錬金術師の一番弟子のような女性も、一行の中に入ってるんだよね。
この女性に関しては名前も出てこないし、エピソードを示すような映像もないので勝手に想像するしかないね。
当然のように守護星がどれ、なんて話もない。
頭にピッタリしたヘルメットのような帽子をかぶっているだけで、他は全裸状態。
首輪やイヤリング、付け爪などのアクセサリーを大量に装着していて、とてもカッコ良い。
体中に梵字のような刺青が入っていて、背中にはケーリュケイオンが彫られている。
どうやらギリシャ神話に出てくる杖のことらしいんだけど、詳しくないので意味を知りたい方はご自分でお願いします!(笑)

最後の全裸・梵字の女性以外の紹介した7人は、それぞれ守護星を持っている。 ホドロフスキーがタロットに造詣が深いということもあって、「ホーリー・マウンテン」のあちらこちらにタロットが散りばめられているのだ。
この守護星に関する部分も恐らくタロットと深い関わりがあるものと思われるけれど、SNAKEPIPEがタロットに詳しくないので意味については割愛。(笑)
一応守護星ということについてだけ調べてみたら、太陽、月、水星、金星、地球、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星が守護星ということになるらしい。
上記の7人以外の星ということになると太陽、月、地球が残るんだけど、錬金術師と盗賊と全裸の女性の守護星はどれなんだろうね?
こうして錬金術師を師として、弟子の9人が錬金術を極め、不老不死の知恵を求め聖なる山に登るのである。

ここからが第3部。
金や権力があっても人は必ず死ぬ、と錬金術師は言う。
インドのメルー山、道教のコンロン山、ヒマラヤのカラコルム、哲学の山、薔薇十字会の山、聖ヨハネのカバラ山などの伝説で語られている不老不死に関する記述は全て同じで

9人の不死の賢者が頂上に住み、そこから現世を支配している
彼らは死を超越する術を持っていて4万年も生き続けている

という内容らしい。
彼らにできたのだから、我々にもできるはずだというのが錬金術師の言い分である。
薔薇十字会の古文書により、9人の賢者の居場所がロータス島の聖なる山であることが判明。
賢者から術を奪うためには、我々も賢者にならなければというもっともな理屈を披露され、弟子達は賢者になり悟りを開くべく修行を開始する。


まずは儲けたそれぞれの金を燃やし、執着を捨てる修行。
権力のある連中は金持ちだから、かなりの大金が燃やされる。
続いては自己の意識を捨てる修行。
弟子達は自分にそっくりの蝋人形を火で燃やす。
今までの自分にさようなら、ということなんだろうね。
こうしてようやく聖なる山に向けて旅立つのである。

旅の途中で何人かの「その道の達人」に出会い、修行を重ねる弟子達。
圧力を利用し体から毒素を排除する、野生の植物からできた青汁を飲み、裸でお花畑を駆け回り、坐禅を組み瞑想する。
このような修行を続けていくうちに、自分自身が自然の一部となり、今まで見過ごしたり聴き過ごしてきた事柄に気付くようになるという、かなり宗教的な内容になっている。
実際にホドロフスキーが禅の修行をしていたことも影響してるんだろうね。
更には自分の葬式の体験。
今まで自分が生きてきたことの全てを捨て去り、無になろうというもの。
これもかなり色濃く東洋思想が反映されているようだね。
そして新しく生まれ変わり、ここでやっと賢者として認められたようだ。

小型の船でロータス島に向かう。
島に上陸した時に全員が頭を丸め、坊主になってしまう。
そして服装も全員同じだから、途中から誰が誰なのか判らなくなっちゃうんだよね。(笑)
悟りや知恵を求めてやってくる人が多いロータス島だけど、皆が途中で挫折して現世での楽しみに心を奪われてしまうようだ。
似非宗教家も台頭し、ロータス島はまるで観光地のようになっている。
それらの誘惑にも負けず、聖なる山を目指し登山する一行。
指が凍傷になったという一人に「肉体への執着が残っているせいで、頂上に辿り着けない」という理由から指を切断し捧げ物にさせる。

そうしてやっと頂上付近に到着。
ここでは高さゆえに死の幻影を見るであろう、と錬金術師が妙な予言をした通りに弟子達を襲う恐怖体験。
これは自分が恐れを感じているものが夢に出るのと同じだね。
埋められて走れない馬、降ってくる金貨で顔中が血だらけになる男、闘犬に興奮する男、顔をゲンコツで殴られ大量の白い液体を浴びせられる女、
老婆に去勢される男、大量の毒グモに全身を這われる男、巨大な乳房のある初老の男性からミルクをかけられる男。
このシュールなシーンも大好きなんだよね!

こうしていくつもの難題に立ち向かい、やっと9人の賢者がいる場所まで辿り着くことができた。
白装束の賢者達はもう目の前に見えている。
あとは賢者から術を奪い、自分達が賢者に成り変われば良い、というところまで到達したわけだ。
ここまで来れば師は必要ないだろう、と錬金術師は盗賊に「私の頭を切り落としなさい」と命じ、盗賊は実行する。
ところが実際に切っていたのは、ヤギの首だった。
「ハハハハ」と笑いながら、錬金術師は「教えることがある」と言う。
旅の途中から一行の後を付いてきたチンパンジーを連れた娼婦を盗賊に引きあわせ、「このまま山を降りて幸せに暮らせ」と言うのである。
修行の段階では様々な執着を捨てることを学ばせた後で、「愛が一番」と説く錬金術師に少し疑問を感じちゃうけどね?(笑)

こうして盗賊は頂上を極め、賢者になることはなく現世へと戻っていくのである。
残りの弟子達は瞑想の後、白装束の賢者達を襲うために近づくが…。
えっ、うそ?という展開が待っているので、ここは書かないでおこう。
このラストについては賛否両論あるみたいだけど、SNAKEPIPEはアリだと思った。
だってラストがどうのという映画じゃないからね、「ホーリー・マウンテン」は!
場面ごとの描写を楽しむことができれば、それだけで充分だと思う。
意味とか解釈は、SNAKEPIPEには必要ないなあ。

たくさんの動物が、実際にはあり得ない場所や状況で登場する。
多用されるシンメトリーの構図。
ちょっと稚拙な感じのする残酷で不思議な絵。
和洋折衷な雰囲気の衣装。
どのシーンを切り取っても写真集が出来上がるほどの完成度の高い美意識には脱帽してしまう。
SNAKEPIPEは前作の「エル・トポ」をまとめたブログでも全く同じことを言ってるんだけど、ホドロフスキーの美学に完全ノックアウトされてるから許してちょ!(笑)

ブログで記事にするためという大義名分を得たおかげで、何日間も繰り返し「ホーリー・マウンテン」を目にすることができた喜びったら!
何度でも何度でも観ていたいと思う、中毒性のある映像世界にどっぷり浸かることができて幸せだった。
「リアリティのダンス」を鑑賞する前までには、もう一つ「サンタ・サングレ」についての記事もまとめておきたいと思っている。
そうして一度キチンと整理した上で「リアリティのダンス」に臨みたいものだ。

果たして日本公開はされるんだろうか?
非常に気になるところだ。

CULT映画ア・ラ・カルト!【12】El Topo

【El Topoのポスター。メキシコでは7歳は大人なのか?】

SNAKEPIPE WROTE:

何年も前から、そう、このブログの「CULT映画ア・ラ・カルト!」というカテゴリーを作るよりもずっと前から「いつか書きたい」と願っていた映画。
熟考して、じっくり時間をかけないと記事にはできないと思い、長い間温存してきた大事な題材。
SNAKEPIPEの人生を確実に変えている脳内永久保存版映画の中の一本!
それがアレハンドロ・ホドロフスキー監督の「エル・トポ」である。
満を持して、記事を書いてみたいと思う。

一番初めに「エル・トポ」を観たのはいつだったか。
恐らく80年代中旬の頃、そう今から25年以上前のこと。
吉祥寺バウスシアターでのオールナイトで鑑賞した記憶がある。
あの時は確か石井聰互監督「爆裂都市」との2本立てだったはず。
映画が終わったら始発電車、って時間だったからね。
うーん、あの頃はそんな無茶をやっても翌日も元気いっぱいだったSNAKEPIPE。
若いってすごいなあ。(笑)

一番最初に観た時にはほとんど内容を理解することができず、ただ圧倒的な映像の虜になった。
意味は解らなくても、まるでミュージックビデオを観ている感覚で、カッコ良いと思ったからね。
何年か経ってまた観たくなった。
特別有名なレンタルビデオ屋に行かなくても、近所でいつでも借りることができたので、それから何度も何度も繰り返し観た。
記憶の中に刻まれていておかしくないのに、いつ観ても新鮮な驚きを感じてしまうのが不思議だった。
また観たいという欲望が枯れることがないのである。
いつでもレンタルできると思っていたのに、いつの間にかビデオはDVDの時代になり、「エル・トポ」をDVDで発見することができなくなっていた。
残念に思いながらも、そのうちSNAKEPIPEは「エル・トポ」を探すことを忘れてしまったのである。

原点回帰とでもいうのだろうか。
前に観たあの映画をもう一度観たい!
前に読んだあの本を読み返したい!
こんな欲求が出てきたのは今から何年前のことだろう。
現在はネットがあるので、情報収集は家にいてもできる。
ここで思い出したのが「エル・トポ」だった。
2011年に割と安価なお値段でDVDボックスが販売されることを知ったのである。

それ以前にアレハンドロ・ホドロフスキー DVD デラックス BOX がものすごく高価な値段で販売されていたのは知っていたけれど、とても手が出せるお値段じゃなかった。
デラックスボックスには3部作と共にタロットカードまで特典として付いていたようだから、仕方ないのかもしれないけどね?

2011年に販売されたDVDボックスには残念ながら「サンタ・サングレ」は入っていないけれど、熱狂的なファンにとっては嬉しい情報だった。
今まで観たことがなかった「FAND Y LIS」「LA CRAVATE」に加え、サントラも入っていてこのお値段!
早速購入を決めたSNAKEPIPEである。

このDVDボックスは「エル・トポ」製作40周年デジタルリマスター版公開を記念しての販売とのこと。


2枚の画像は上が「エル・トポ」、レーザーディスク版。
下がデジタルリマスター版である。
影によって黒くなっていた部分が判りやすく、編集されている。
背景の空や砂漠の色もかなり違うことがわかるね。
フィルムに特有のホコリだったり白抜きのようなキズや黒いプチプチしたシミのような汚れは一掃され、シャープネスとコントラストを効かせた映像に生まれ変わっているのである。

これは個人の好みの問題だと思うけれど、SNAKAPIPEはデジタルリマスター版よりも、修正のない映像のほうがお気に入り。
舞台となっているメキシコの砂漠は、恐らく陽射しが強くて影が濃く出るだろうし、砂漠だったら砂が舞い、白茶けた色になるだろうと思うから。
ホドロフスキーの映像にはお馴染みの血の描写も、修正前のほうがどす黒い赤色になっていて、より生々しく感じられるのだ。
SNAKEPIPEは現在ではデジタルカメラを使用しているけれど、本当はフィルム愛好者。
フィルムとデジタルでは全く趣の違う写真ができるからね。
何度でも撮り直しがきくためバシャバシャ撮影し、その場で完成度合いを確認できるデジタルと、出来上がるまで正体が分からないフィルムとは重みが違う気がして、フィルムに軍配を上げちゃうんだよね。(笑)

そして最大の修正はボカシ。
神経症なんじゃないかと思ってしまうような倫理規定には首をかしげてしまう。
特典映像にあるホドロフスキー本人の言葉に関しても注意書きしてるんだよね。
「私は普通じゃないものを愛した。
想像力のあるものを。
異形は自然の想像力が生んだ遺伝子の想像力だ。」
この発言に関しての注意だと思うけれど、これって差別発言なのかしら?
SNAKEPIPEはホドロフスキーも写真家ダイアン・アーバスと同じような考えで発言しているように思うけれど。
この手の病的な線引き、どうにかならないものかね?

それでは「エル・トポ」のあらすじを感想を含めながら書いてみようか。

※ネタバレを含みますので、映画を観ていない方はご注意下さい。
1970年のメキシコ映画である「エル・トポ」は4つのチャプターで構成されている。
創世記(GENESIS)
預言者たち(PROFETAS)
詩編(SALMOS)
黙示録(APOCALIPSIS)

創世記~預言者たちまではウエスタン映画、詩編~黙示録は宗教映画とでもいったら良いのだろうか。
2つの別なお話がくっついちゃった感じね。
映画のタイトルであるエル・トポとは映画の主人公の名前。
スペイン語でモグラの意味だそうで、映画の暗喩となっている。
前半でのエル・トポはブラック・レザー上下着用に黒いハットで馬に跨る、ウエスタンスタイル。
この服装は本当にカッコ良いね!
後半では坊主頭に丸首ロングワンピースのような服を着ている。
実際服装だけじゃなくて、人格まで別になってるんだよね。

連れていた息子を置き去りにし、女と砂漠を旅していくうちに女の口車に乗せられて「砂漠にいる4人の銃の達人」を倒すことを決意する。
無の境地に達しているヨガの達人には落とし穴作戦。
自己喪失を極め、母親に全てを捧げた達人には最愛の母を傷つけることで動揺させ、後ろから襲う作戦。
正確な狙いを定めることができる達人には、心臓部分に鉄板を当てることで弾丸弾き飛ばし作戦を決行。
とても達人には敵わないので、姑息な手段を使うことで達人を殺していく。
4人目の達人に「生命を奪うことに何の意味があるか?」と問われ、
「おまえに殺されたんじゃない。おまえの負けだ」
と目の前で自殺されてしまう。
4人の達人を殺し、自分がNo.1になりたかったエル・トポの目標を達成させず、更に自らの命によってエル・トポの目標がいかに無意味であるかを教えたのである。

これらの達人たちの描写がとても興味深い。
欲や自我を捨て去り、死を生前から受け入れているかのような静謐さ。
精神世界関連の本の中に出てくる、悟りや涅槃の域に到達している達人たちだ。 皆一様に穏やかで、殺しにきたエル・トポと自然に話をする。
「私はこんな人間だが、それでも決闘したいかね?」
のように問いかけ、エル・トポのズルによって命を落とす。
その死も無念とか無残という感じがまるでない。
できた人というのはこういうものなのか。
SNAKEPIPEも見習いたい!(←無理?)

女の言いなりに達人を殺してきたけれど、一体殺人に何の意味があったのだろう?
ウエスタン映画での悪いヤツを懲らしめるための決闘とは訳が違う。
本来であれば師と仰ぎ、エル・トポを導いてくれる人達だったのではないか?
取り返しのつかないことをしてしまった、後悔してもしきれないほどの後悔をしてエル・トポは銃を捨てる。
達人を殺すように「たぶらかして」いた女もエル・トポを見捨てる。
エル・トポの内部では記憶も価値観も今まで信じてきたことやら、何もかも全てがガラガラと崩れ落ちてしまう。

「負け犬は嫌いよ」
と言い放つ「たぶらかし」女は、いつでも自分にとって有利な男(もしくは女)に付いて行く。
エル・トポがダメになった、と思うとハイ、サヨナラ。
心変わりの速さや身の軽さが生きていくために必要な力なのかしら。
最近の若いもんのことはよく分からないけど、いわゆる日本女性だったら「あなたをいつまでもお待ちします」みたいな奥ゆかしさを持っていることが多いよね。
そして待ち続けたまま死んでしまっても、美談とされるような風潮あるよね。
騙すような女のほうが世間的には悪女的なイイ女なのかもしれないし、騙されるほうも悪いとも言えるけど?
まんまとエル・トポは女の言いなりになっちゃったわけね。(笑)

映画「エル・トポ」の中でSNAKEPIEPが大好きなのが、途中から一緒に行動することになる女ガンマン。
女性の場合でもガンマンになるのかね?(笑)
この女性もエル・トポ同様、黒ずくめレザーファッション、目の周りの化粧も黒々としていてとてもカッコ良いの!
エル・トポの女に心を奪われてしまう同性愛者という役どころ。
ホドロフスキーは、本業が役者ではない素人を多様しているようなので、きっとこの女性もこの映画以外には出てないんだろうなあ。
そして女を連れ去ったところで前半が終わり。
もうこの女ガンマンの出番もないのよ。

では続きの後半ね。
ズタズタ、ボロボロになったエル・トポは永い眠りについている。
いつの間にかフリークス達が住む洞窟の救世主として崇められ、髪は金色になり、まるで別人の形相。
目覚めたエル・トポは蘇ったキリストさながらの再生を果たすのである。
今までの行いの懺悔の意味もあるのだろう、助けてくれたフリークス達へのお礼のために洞窟に閉じ込められているフリークス達を開放しようとトンネルを掘ることを約束するのである。
トンネルができれば町への行き来ができるようになる。
エル・トポはこれが良い行いだと信じていたんだろうね。

ところが町は奴隷売買が行われ差別や残虐行為が当たり前、インチキ宗教がはびこる、とても良い雰囲気の町とはいえない環境であった。
「洞窟を出て町に来ることに何の価値があるかしら?」
と永い眠りについていた時からエル・トポの世話をしてきた小人の女が言う。
それでもトンネルを掘り進めようというエル・トポ。
この時やめておけば良かったのに、と多くの人が思うよね。
SNAKEPIPEもそう思った。
どう転んでも、この町の人たちが洞窟のフリークス達を快く受け入れるとは考え難いもんね?
大道芸でお金を稼いでいるうちに、秘密のクラブに呼ばれたエル・トポと小人の女は皆に笑いものにされながら結ばれる。
「結婚しよう」
出向いた教会で、7歳の時に置き去りにしたエル・トポの息子と再会する。

ここでやっと前半の話とつながるのである。
エル・トポは再生したけれど、かつての記憶を失っているわけではないので、すぐに息子と気付く。
息子は置き去りにされた時から父親であるエル・トポを憎み、父親を殺すために生きてきた。
ここで会ったが百年目、とエル・トポに襲いかかる息子。
ところが「今トンネル掘ってるから完成まで待って」と常識外れのお願いをするエル・トポ。
「じゃあ、仕方ない」
と簡単に折れてくれる息子も息子だけど!
更に図々しいことに「早く殺したいなら手伝ってくれ」とまで言い出す始末。
この提案にもオッケーを出す息子は、なんて寛大なんだろうね!(笑)

ついにトンネルが完成する。
息子にとっては待ちに待った父親を殺す日だったはずだけれど
「師は殺せない」
と銃を投げ捨ててしまう。
そんなヒューマン・ドラマが行われている側から、開通したトンネルを使ってフリークス達がワラワラと洞窟から町へとなだれ込んで行く。
自分たちは特権階級だと思っている町の傲慢な住人達が異物の侵入を許すはずがない。
銃を構え、やってくるフリークス達を惨殺するのである。
絶望したエル・トポは住人達を虐殺、そして焼身自殺するのである。

主人公エル・トポは、本来宗教的な人だったんだろうと想像する。
だから写真やおもちゃの埋葬にも笛を吹き弔う。
苦い水を甘くもできるし、砂漠で水を出すことなどの神秘現象を引き起こすことができる。
ところがグル(導師)達を罠にかけて殺害することで、卑怯な殺し屋に成り下がる。
虚栄を張り、女にねだられた虚像を演じてしまったエル・トポには虚無感しか残らなかった。
虚は「うつろ」で「からっぽ」で「むなしい」。
再生してからは心機一転、フリークス達の開放により今までの自分の過ちを清算できると信じていたように思う。
ホドロフスキー得意のパントマイムを混ぜながらの大道芸は、本当に楽しそうだった。
お金を稼いでトンネルを掘る、額に汗し地道な毎日を送る、なんて前半のウエスタンスタイルのエル・トポには全くなかった発想だろうね。
小人の女との愛に生き、フリークス達の開放が皆の幸せと信じて疑わない。
ところが開放は、異形からの、生命からの開放となってしまった…。
虚像からは見放され、信念からも裏切られたエル・トポは絶望し、自害する。
もしかしたら焼身自殺の意味は灰身滅智(けしんめっち)を体現したかったからかもしれないね。
灰身滅智とは身を灰にし、智を滅すること。
煩悩を断ち、身も心も無にして執着を捨てるという意味の仏教用語らしいんだけど、エル・トポの心情に近い感じがするね。

結局人間なんてこんなもんだよ、というような虚しさを感じてしまう。
メキシコは銃社会のためか、人の命が驚くほど軽い。
気に入らない、パンッ!暇つぶし、パンッ!で終わり。
「人の命は地球より重い」なんて言葉は存在しないんだよね。
この命の軽さに、強いショックを受けたSNAKEPIPE。
同時に、前半に出てきた達人たちの超然とした生き様にも衝撃を受けた。
ホドロフスキーは心理学の勉強や禅の修行をしていたことを知ったので、精神的な師匠と弟子という関係を描きたかったことが解る。
キリスト教だけじゃなくて、東洋思想や神秘主義などのミクスチャーが、より映画に深みを与え、荘厳で怪しげな雰囲気を醸しだしているんだよね。
映画後半の町の住人たちは達人たちとは正反対、キリスト教における7つの大罪を犯しているならず者ども。
両極端なタイプの人間を出演させたのは、「これがALL人間なんだ」と言いたかったのかもしれないね。

今まで何度も鑑賞しているし、改めてあらすじを書きながらストーリーを追っているけれど、何度も「なんで?」と感じてしまうことが多いのも事実。
子供と旅をしていたのは何故か、とか何故20年ちかくも目覚めなかったのかみたいなクエスチョンね。
突っ込んで考えてしまうと色々変な部分はあるんだけど、そういうことを気にするのはナンセンスざんす!(笑)
「エル・トポ」はホドロフスキー監督の美学の結晶。
どのシーンをストップさせても、それだけで写真集ができあがるほどの完成度の高い映像!
隙のないバッチリの構図は本当に見事なんだよね!

「暴力抜きに神秘は語れない。恐怖と美が一体になるのだ。」

ホドロフスキー監督が語っているように、残酷で美しく絵になる場面がたくさん登場する。
動物も人間もたくさん殺され、大量の血が流れるからね。
例えば動物愛護団体や人権保護団体の人からはクレームされまくりだろうと予想できるけれど、これがホドロフスキーの映像美なんだよね。
写真家ジョエル=ピーター・ウィトキンも同じタイプのアーティスト。
美学が挑発的で、一般的ではない点が酷似しているように思う。
ウィトキンも前述した団体関係者からは訴えられるタイプだろうなあ。
「おぞましさ」や「残酷さ」しか感じられない人も多いだろうからね。
ホドロフスキーもウィトキンも、自分のイマジネーションを追求するために作品を制作していると思うし、恐らく周りの反応を気にするアーティストじゃないだろうから、批判されてもお構いなしだろうけど?

Sons Of El Topo」が制作されている、というニュースを何年か前に知った。
監督はホドロフスキー、そしてプロデューサーにデヴィッド・リンチの名前があるのを見た時には小躍りしたSNAKEPIPE!(笑)
これが本当ならば、ものすごくHappy、Happier、Happiest! (意味不明)
最上級のHAPPYなんだけどなあ!
続報に期待したいね。

CULT映画ア・ラ・カルト!【11】哀しみのベラドンナ

【哀しい運命に翻弄されるジャンヌ】

SNAKEPIPE WROTE:

SNAKEPIPEが小学生だった頃、子供の寝る時間として決められていたのは確か夜の20時だったと思う。
最近の子供には信じられないかもしれないけれど、昔はそれが当たり前の習慣だったんだよね。
そしてSNAKEPIPEもその教え通りに、毎日20時には眠ってしまう良い子だった。(笑)
ところがある日のこと、テレビの音で起こされてしまう。
どうやら父親が深夜番組を鑑賞していたらしく、その物音で目覚めたようだ。
寝ぼけ眼に飛び込んできたのは極彩色のアニメーション。
その映像の面白さに引きこまれてしまい、ついには父親と最後まで鑑賞してしまった。
「夜中に起きてテレビを観たことは母親には内緒」
ということにしてね。(笑)
その時の衝撃的な映像というのが手塚治虫が原案・構成・監督を務めた「クレオパトラ」であった。

1970年代、「千夜一夜物語」「クレオパトラ」「哀しみのベラドンナ」の3部作が制作された大人向けアニメーション「アニメラマ」。
その洗礼を恐らく10歳くらいで受けてしまったSNAKEPIPE。
はっ、この文章だけ読むと1970年に10歳だった子供=現在52歳という年齢だと思われてしまうよっ!
違うからねっ!観たのはきっと再々々々々放送くらいだと思うよ。
決してリアルタイムではないので、勘違いしないでね!(笑)
確かに子供が観るには早すぎる内容が含まれていたと思うけれど、あの時の衝撃は今でも忘れられない。
そして「クレオパトラ」がDVDになっているのを知ったのは、今から5年程前のことである。

「ああっ、あの時のっ!」
と喜び勇んで早速注文し、再び鑑賞することができた時の喜び!
ただし、幼少時代に最も強く印象を残していたクレオパトラ整形部分の映像が見当たらなかったのが残念だった。(SNAKEPIPEの記憶違い?)
何かの薬を飲まされたクレオパトラの原型となる不美人女は、全身がくねくねの軟体動物にようになって眠らされている。
そこに整形師とでもいうのか、美容整形専門のジイさんがやってきて、「顔はこんな感じにして」とまるで印鑑を押すようにペッタンと顔型を押し付け美人にしてしまう。
「体はこんな感じが魅力的」と手で粘土をこねるようにグラマラスボディを作り上げていく様子がたまらなく面白かったのに。(笑)
これもまた手塚治虫の漫画・アニメ「ふしぎなメルモ」に出てくる、青いキャンディーと赤いキャンディーのどちらかを食べることで年齢を変化させることができるミラクルキャンディーと同じくらい魅力的な題材である。
あのクレオパトラのクネクネになる薬と、ミラクルキャンディーがあったらアンチエイジングなんて関係ないもんね。(笑)

「クレオパトラ」に関しては前述したように「もう一度鑑賞」する夢が叶ったけれど、「アニメラマ」の他2作品は鑑賞することができなかった。
と、ここでまた「探しモノなら俺に任せろ!」とROCKHURRAHが見つけてくれたのが、「哀しみのベラドンナ」である。
この作品は「アニメラマ」の最後の作品として制作され、手塚治虫自身は全くノータッチとのこと。
そのため手塚治虫が描くようなキャラクターではなく、イラストレーター・深井国による作画である。
ROCKHURRAHは昔から深井国のファンだったようで
「あの絵が動くと聞いただけでファンとして嬉しい」
と鑑賞前から目を輝かせワクワクしている様子。(笑)
どうやらROCKHURRAHの自宅に、SF好きのお兄さんが購入していた本があり、その挿絵を深井国が担当していたらしい。
SNAKEPIPEは深井国については全く知らなかったんだよね。
こんな対照的な二人であるが、「哀しみのベラドンナ」の鑑賞を始めたのである。


観てまず驚いたのはその色彩である。
アニメーションということで、ポスターカラーのような極彩色を想像していたけれど「哀しみのベラドンナ」は淡い色調や中間色を多用している作品であった。
長い巻物のような一枚の紙に右から左へと物語に沿って絵が描かれ、順に絵を追ってカメラを移動させるような手法も採用されており、いわゆる通常観慣れたアニメの作りとは大きく異なっているのも特徴的だ。
そしてまるで最盛期の浅丘ルリ子や加賀まりこのようなお目目パッチリ、まつげビンビンロングヘアーの女性キャラクターが登場する。
そう、この女性が主人公ジャンヌなのである。

簡単に「哀しみのベラドンナ」のあらすじを書いてみようか。
19世紀フランスの歴史家ジュール・ミシュレが書いた「魔女」が原作になっている。
時代は中世のフランス。
ジャンとジャンヌが結婚式を挙げる。
当時のフランスでは、領主に貢物をし結婚の許しを得る慣例があったようだ。
ところが貧乏なジャンは充分な貢物を贈ることができず、罰として新妻ジャンヌの貞操を領主に奪われてしまう。
結婚当初から不幸な目に遭ってしまうジャンとジャンヌ。
生活は苦しく、不幸はずっと続いたまま。
そんなジャンヌの前に悪魔が現れる。
悪魔に願い事を聞いてもらう代わりに、ジャンヌは身を捧げ続け、ついには魔女になってしまうのである。

中世のフランスの領主と教会、民衆の関係が良く解っていないSNAKEPIPEなので、「どうして結婚するために領主に貢物を捧げるのか」を理解するところから始めないとね。
Wikipediaで見つけた「初夜権」に答がありそうなので、ご参照下され。
実はこのアニメ映画を観始めてすぐにこのシーンが始まるんだけど
「貢物が充分じゃないと判っていながら、何故結婚するのか」
と思ってしまったSNAKEPIPE。
そもそも最初から間違ってなあい?(笑)
その間違った考えのせいで、新妻ジャンヌは領主やその家来達から陵辱を受け、心身共にボロボロになってしまうのだから。
うーん、もうこの時点で普通なら即離婚だよね?
ジャンヌの稼ぎに頼り切り、自分は酒浸りのジャンの情けない男ぶり。
ヒモで酒飲みとは。うーん、絶対離婚だよね?
そして追われる身になったジャンヌのことを助けることもできない不甲斐なさ。
ここまで来ると、ジャンに対して怒りを覚えるほどだよね。
なんだかひどい話だなあ。
ネタバレになるから最後までは語らないけど、ひどい話ですっかり呆れてしまったSNAKEPIPE。
「哀しみのベラドンナ」は物語についてではなく、その作画や色彩などのアート作品として鑑賞するのがベターだと思う。

深井国の絵は不協和音な色を組み合わせたサイケデリック調で、とても60年代的だった。
あの色合わせ感覚、是非とも見習いたい分野だなあ。
描いている絵の途中途中でフィルムを回していたようなコマ撮り、前述したようなカメラのパンによる撮影など、かなり実験的な手法が採り入れられていて面白かった。
現代のようにCG技術などなかった1970年代に、手間暇かけてここまでの実験性と耽美的な世界を実現したこと、そしてそれが日本人の作品だということに驚き!

「アニメラマ」の最初の作品「千夜一夜物語」を未だに鑑賞していないSNAKEPIPEなので、またROCKHURRAHにお願いして探してもらおーっと!(笑)

CULT映画ア・ラ・カルト!【10】少女椿

【ワンダー正光とみどりちゃん。お願い!みどりちゃん、幸せになって!】

SNAKEPIPE WROTE:

選択を間違えて手放してしまった本やレコードを思い返し、何度後悔したことだろう。
懐具合の問題で、欲しくても買えなかったこともあるしね。
若かりし頃の、最も多感だったSNAKEPIPEを熱狂させた数々の本や映画は、たまに復刻版で入手可能なこともある。
残念ながら、全く復刻されていないことも多いけどね。
運良く入手することができた映画をもう一度観たり、大好きだった音楽を改めて鑑賞したりする今日この頃。
「懐古趣味」「今更?」と言われようが、復刻でも再び手に入れることができた時の喜びったら!
青春時代にこんな傑作に出会えて幸せだったなあ、と感慨深い気持ちになる。
大人になってからはそれほど衝撃的なアートに出会っていないということなのか。
それともSNAKEPIPEの感受性が弱まったせいなのかもしれないね?(笑)

今回のCULT映画ア・ラ・カルト!は学生時代のSNAKEPIPEが大ファンだった漫画家・丸尾末広原作の「少女椿」のアニメ映画版について書いてみようと思う。
「少女椿」がアニメ映画になっていることを全く知らなかったSNAKEPIPE。
だって、そもそも「少女椿」を読んだのって…学生の時だから…ま、いっか!(笑)
それほど昔の、遠い遠い記憶のかなたのことなのである。
丸尾末広の絵のキレイさに圧倒され、ストーリーの奇抜さ、残酷さなど、その全てに強く惹かれたのである。
夢野久作や江戸川乱歩を読み、その毒に魅了されていたのも要因の一つだろう。
時代的には戸川純がいたバンド「ゲルニカ」が流行り、昭和初期の雰囲気に新鮮さを感じていたせいもあっただろう。
雑誌「ビックリハウス」や毎週のように通っていた「文化屋雑貨店」なども、レトロな感じだったしね。
80年代初頭は、もしかしたら昭和初期への憧れのような文化だったのかもしれないね?
などと、同じく80年代の申し子であるROCKHURRAHと懐かしい話で盛り上がってしまった。(笑)
ROCKHURRAHはその時代に現役古本屋だったため、80年代サブカル系(本当はサブカルって言い方嫌いなんだけど)漫画も当然ながら大得意なんだよね。
今回「少女椿」アニメ映画版を見つけてくれたのも、いつものようにROCKHURRAHだしね!(笑)

SNAKEPIPEの持つ丸尾末広に関するエピソードといえば、やっぱり「東京グランギニョル」かな。
「マーキュロ」のチラシを丸尾末広が描いていて、それをずっと自宅の部屋に飾っていたっけ。
Wikipediaで調べてみると、「東京グランギニョル」が上演したのは4作品らしい。
「らしい」というのは、恐らく全てを鑑賞しているSNAKEPIPEだけれど、各々については朧げにしか覚えていないからね。
どの作品だったか覚えていないけれど、丸尾末広が出演したことがあったな。
「マルキ・ド・丸尾です!」
と言いながら、シルクハットに素敵なステッキを手にした丸尾末広が登場。(ぷっ)
その時に初めてお顔を拝見したSNAKEPIPEだったなあ。
「この人があの漫画を描いてるんだ!」
と感激したのを覚えている。
「東京グランギニョル」の芝居も、丸尾末広の漫画さながらの雰囲気だった。
詰襟学生服に白塗りの役者、立花ハジメ「太陽さん」などを使用した耳をつんざくような大音響、そして暗転。
暗転の後に何が起こるんだろう?という期待と不安。
ひゃー!書いてるうちのあの時の気分になってしまったSNAKEPIPE。
これ、もしかしたら若返り効果アリかも?(笑)

などと80年代の思い出について書いていたらすっかり長くなってしまったね。
では本題の「少女椿」アニメ映画版について。
この作品は1992年に公開されたみたいなんだけど、当時は劇場ではなく神社の境内で上映されたらしい。
今から20年も前に制作され、限定上映されていたとは全く知らなかったなあ。
そして映像は日本国内でほとんど流通されなかったようで、現在鑑賞することができるのはフランス版でタイトルは「MIDORI」。
日本では様々な理由から上映が禁止されているみたい。
このブログでは映倫の基準や差別用語の問題などについて語るつもりはない。
ただ「表現の自由」という点から考えると、上映禁止の処分は悲しいなと思うのである。
この作品に限らず、他にも上映禁止処分を受けた名作がたくさんあって、恐らくSNAKEPIPEと同じように鑑賞する機会を待ってる人が大勢いるだろうと思うからである。

アニメ映画版「少女椿」は、SNAKEPIPEの薄くなった記憶と照らし合わせながらの鑑賞となったけれど、漫画にかなり忠実に映像化されていたと思う。
映像化、とは言っても動いている部分のほうが少ない、紙芝居風の仕上がりになっているのも効果的で丸尾末広の雰囲気を損ねていない。
簡単にあらすじを書いてみようかな。

扉絵:みどりちゃん 見世物小屋へゆく
寝たきりの母親の代わりに花を売って生計を立てている少女みどりちゃん。
なかなか売れない花を全部買ってくれた親切なおじさんに出会う。
お金が手に入り、喜びながら帰宅するみどりちゃんが目にしたのは無残にも骸となってしまった母親だった。
天涯孤独の身となってしまったみどりちゃんは、
「いつでも頼っておいで」
と言ってくれた花を買ってくれたおじさんの元に行くしかなかった。
ところが親切なおじさんの正体は見世物小屋の親方だったのだ。
みどりちゃんは見世物小屋で下働きをすることになる。

第一歌:忍耐と服従
特別な芸があるわけではなく、特異な体で生まれたわけではないみどりちゃんは、芸人達の召使的存在になる。
皆からいじめられ、こき使われる毎日。
それでも他に行くところないみどりちゃんは、耐え忍ぶしかなかった。

第二歌:侏儒が夜来る
そんな時、新しい芸人が入ることになった。
ワンダー正光という名で、小さな瓶に全身すっぽり入ることができる芸を披露する。
この芸が受け、傾きかけていた小屋の経営も順調になる。
ワンダー正光はみどりちゃんを非常にかわいがり、二人はいつしか恋仲になっていく。
観客の発したある一言がワンダー正光を激怒させ、観客に向かい暴言を放ち、幻術で観客に復讐する。
この騒動がきっかけで親方は金を持ち逃げ、小屋は運営できなくなってしまう。
芸人たちはそれぞれの道を行くことになる。

終幕歌:桜の花の満開の下
「一緒に来てくれるね」
というワンダー正光の言葉に、コクンとうなずくみどりちゃん。
これは夢じゃない、これからやっと幸せになれるんだ!と頬をピンク色に染めるみどりちゃんの運命は…?

と、あらすじを書いてみたけれど、これだけ読むと「なんで上映禁止なの?」って感じだよね。
SNAKEPIPEが言葉を選んで書いたせいもあるけれど、読むのと観るのでは大違いかも。
現代におけるタブーの要素は全編に繰り広げられてるからね。
ただ、これは「現代におけるタブー」であって、時代が違うと何の問題もないとも言えるんだよね。
江戸川乱歩の作品や、寺山修司の演劇や映画などに触れたことがある人にとっては、倫理を問う行為自体がナンセンスだと思うし、疑問を感じるはずだけど?

大好きだった作品をもう一度目にすることができて、本当に嬉しかった。
背中がゾクゾクするいかがわしい魅力。
怖いもの見たさとでも言うのだろうか。
この快感を再び味わうことができるなんて夢のよう!(大げさかな)
丸尾末広はまた活動を始め、江戸川乱歩の「パノラマ島奇譚」や「芋虫」をコミック化している。
「パノラマ島奇譚」しか読んでいないので、「芋虫」も入手して読まないとね!(笑)