俺たちライオット族

【時間がなくてヒネリのないビデオしか作れなかったよ】
ROCKHURRAH WROTE:

前回のROCKHURRAH担当記事の最後、自分のマンネリ化を嘆いてたわけだが、新機軸となるようなものは結局特に見つからなかったよ。
とりあえず従来のシリーズ記事ではないもので書いてみようと思ったが・・・うーん、たぶんまたどうせ同じようなスタイルになるに違いない。

今回見つけてきたテーマはタイトルでわかる通り、暴動に関するもの。
いちいち書くまでもないが英語だとriotになる。フランス語ならémeute、ますます書く意味がなかった。
いや、別に暴動シーンの入ったビデオを見つけてきたとかじゃなくて、単にライオットがバンド名についたもの、または曲名に含まれているものばかりを集めてみた、というだけの安直なB級企画だよ。
ちなみに暴動とか静かな暴動とか、そういう意味のバンドもあってそっちの方が有名だけど、ウチのブログが語るようなのとは違うのでここでは書かないよ。

ROCKHURRAH RECORDSは大半が洋楽だから洋風にライオットなどとタイトルにつけてみたが、日本人が日常的に使う言葉じゃないよな。

まずは誰でも知ってるライオットの元祖にして頂点、クラッシュの1977年デビュー曲より、邦題はそのものズバリ「白い暴動」だ。
セックス・ピストルズの「Anarchy in the U.K.」と共にパンク時代の始まりを告げるアンセムとして知らない人はいない曲だね。

この当時のピストルズやクラッシュのメンバーがロックの世界で革命や暴動を起こしたかった(もしくはたきつけたかった)のかどうかは本人じゃないとわからんだろうが、たぶんそんなに深い意味はなく、その手の言葉を使いたかっただけじゃなかろうか?と思うよ。何事も自分でやれ、いわゆるD.I.Y.の精神ってヤツか。
ただ、結果としてロンドン・パンクは街の若者たちを巻き込んで社会現象にまでなり、古い体制のロックとは違った手法でバンド・ブームを生み出した。おっとまた三流評論調になってしまった。

まあ堅い話は抜きにして、その後のニュー・ウェイブだの他のジャンルの音楽だの、パンクが発生しなければ簡単には音楽界に出て来れなかった音楽が、世の中にうじゃうじゃ出てくる土台を作ったと言えるね。色々面倒な事を言う人が多いから面倒なんだけど、ROCKHURRAHにとってはやっぱりパンクの成し遂げたものこそがあらゆる基本になってるよ。

しかしこのライオットという言葉、この後に出てきた奴らによって濫用される運命にある。

いちいち1つずつ説明するのもむなしいほど、動いてる全盛期の映像がぜーんぜん残ってないのでひとまとめに紹介しよう。

1977年から数年間は単にパンクのみで通ってたこのジャンル、そのうちスキンヘッドの「Oi!」とか、パンクをより高速にデフォルメした「ハードコア」と呼ばれるパンクの二大潮流が訪れる。どちらも戦闘的。

スキンヘッドの若者自体はもっと前の時代からいたわけで格別珍しいものでもなかったけど、これがパンクやネオナチや極右思想と結びついて、簡単に言えばスキンズ / Oi!という集団になったわけだ。
労働者階級の不満やらが根底にあって、何かあったらすぐにデモや暴動になったり、徒党を組みやすいという印象があるね。
ただしバンドとしてやってる分には特に極右とかレイシズムとかとは結びつかないものが多く、聴いてる集団の方には不穏な輩が多い。誤解を招く事が多いジャンルだろうね。

読んだ語感の通り、これは男だったら誰でもする「おい」という掛け声と大体同じようなものだと思う。
Oi!のバンド専門の掛け声なわけでもなく、スージー&ザ・バンシーズの「Make Up To Break Up」やチェルシーの「Right To Work」などでも出て来るが、ブリッツの「Someone’s Gonnna Die」やコックニー・リジェクツの「Oi Oi Oi」にて、観客全員が腕を振り上げて「オイ! オイ! オイ! 」ってスタイルが定着した。日本でもラフィン・ノーズの「Get The Glory」でみんな手を振り上げたよね?
ちなみにOi!からの支持率が高い元祖的なバンド、シャム69には直接的に「オイ! オイ! オイ! 」は皆無だったな。

スタイルついでに言うなら、見事なまでに制服化した服装も特色だね。
スキンヘッドは完全な剃髪でも坊主でもいいようだが、ドクターマーチンやゲッタグリップの長い編み上げブーツ、ピタピタのブルージーンズをなぜかサスペンダーで穿き、それにフレッドペリーのポロシャツやMA1を合わせれば誰でもすぐにOi!になれてしまう。ヴァージョンはいくらかあるようだが、この手の公式化したファッションが大半という世界。
まあこのように音楽も服装も生き方も「こうあるべし」という結構ガチガチな世界なので、ちょっとでも違うと仲間はずれになったりする。 いやあ、音楽的には男っぽいこういうのは好きなタイプだけど、徒党を組んで何かするってのが性質的には合わないね。

上に挙げたバンド達はそういう感じのOi!に支持されたようなのをピックアップしてみたが、もうとにかくライオットの大安売り状態なのは確か。ライオットのひとつでも取り入れないといっぱしのパンクとは言えないぜ、などという風潮でもあったのか?

コックスパラー(左上)はOi!だとか何とか言う前にパンクの最も初期からいたバンド、「Runnin’ Riot」はそのデビュー曲ですな。髪の毛もスキンヘッドじゃない者が混じってて、そういうジャンルが確立される以前のものだね。教祖だからそれでもいいのじゃ。
パンクのくせになぜかデッカという伝統あるレーベルからデビューした変わり種。しかもそのデッカ・レーベル、契約した数年後にはロックのレーベルから撤退してしまってピンチ。と思ったらその後は色々なレーベルを渡り歩いて思ったよりしたたかに生き延びてるね。「England Belongs To Me」が有名な曲だけど今回の括りがライオットなのでこっちの曲を選んだよ。邦題は「走れ暴動(ウソ)」。

インファ・ライオット(右上)は炭鉱系Oi!の大御所エンジェリック・アップスターツの弟分みたいにして80年くらいに出てきたバンド。見た目はコックスパラーなどと比べると随分Oi!の王道に近いが、実は個人的にはこの手のバンドとしてはちょっと変なタイプの冗談っぽい曲の方が好き。「キャッチ22」とかね。
「In For A Riot」は82年の1stアルバムに収録の曲。邦題は「飛び出せ!暴動(ウソ)」。

ビジネス(左下)は1stアルバムがロシア構成主義みたいなジャケットで気に入ってたが、Oi!の中では音楽性の幅が広く好きだったバンド。「バナナ・ボート」をアレンジした「Day O」とか愛聴したもんだ。
しかし曲はいいけど見た目がイマイチ垢抜けない部分もあって、どっかに行った記念写真みたいなのをよりによってジャケット写真にしたり、等身大過ぎてファンの方が情けない思いをするようなバンドだったな。
「Work Or Riot 」は83年の1stアルバムに収録。邦題は「暴動時代(ウソ)」。

ラスト・リゾート(右下)は今回選んだ4つの中では最も本格派のOi!バンドだと思うけど、割と玄人向けというか、言葉のわからない者の感覚で言うとあまりキャッチーな要素がないかな。
このバンドのメンバーだったアーサー・ケイがやってたスカ・バンドは好きだったけど、個人的には本家の方はあまり聴いてないなあ。
知名度の割には音源が少なく、Oi!が一番盛り上がってた時代にはあまりレコードのリリースがなかったのも痛いね。4スキンズ、ビジネスと共にライブが襲撃されて暴動になって、見た目がアレなもんでOi!のバンドは暴動を起こす、みたいに誤解されるような事件があったという話。
ROCKHURRAHも見た目でとても誤解を受けてしまうけど、そりゃないわな。
「Right To Riot 」はずっと後の2005年に出たもの。邦題は「もっとあぶない暴動(ウソ)」。

ふう、軽く書くつもりだったのが結構大変だったな。
まだまだ他のライオットも書かないといけないので先を急ごう。

サイコビリー方面からライオットに参加したのはこちら、フレンジーの代表曲のひとつだ。
上のOi!の時みたいにサイコビリーの始まりから話すのはさすがに時間がいくらあっても足りないけど、一般的にはパンクよりもずっと馴染みのない音楽だと思える。そんなジャンル初めて聞いたよって人も多いかもね。
まあ簡単に言うと1950年代のロカビリーを復活させたようなブームが70年代終わり頃からあって、ネオ・ロカビリーというのが流行した。それから派生してエグさ度合い、不良度合いを増したのがサイコビリーというわけ。この記事で書いたのと同じような説明だな。
サイコビリーというジャンルはとにかく何でもくっつけてミクスチャーするのが大得意。
「これでもか?」と言わんばかりの刺青にホラー映画のゾンビ・メイク、音の方もパンク、ガレージ、サーフィン、カントリーなどなど、バンドごとにそれぞれ得意なものを取り込んで活躍したもんだ。
見た目もレコードジャケットもB級極まりない悪趣味なものが多く知的さもなかったから、一部の物好きな人以外には普及しなかった、かなり特殊なジャンルだと言えよう。
フレンジーはそういうサイコビリーの世界では最も有名なバンドのひとつだね。元シャークスにいたスティーブ・ホワイトハウスはウッドベースの奏法であるスラップ奏法(弦を弾きながらネックをカチカチ叩く)の名手として名高く、最も影響力のあるベーシストだった。
しかしベースはすごいがギターは力のない薄っぺらい音でヴォーカルも迫力ない、この辺のアンバランスさを魅力と取るかどうかによってこのバンドの評価は変わってくるだろうな。
この曲はイントロで使われる「シューン」という効果音のみ、たったこれだけでロボット的要素を表現してるつもりが逆にすごい。うん、聴いたら確かにロボットの暴動に聴こえてくるもんな。これこそ先入観というやつか。邦題は・・・え?もうやめてくれ?

次なるライオットは80年代リヴァプールのこのバンド、ハーフ・マン・ハーフ・ビスケットのこの曲。
リヴァプールとは言ってもROCKHURRAHがよく語りたがるリヴァプール・ファミリー(数多くのバンド・メンバーが複雑に絡み合ってシーンを形成していた)の系譜とはちょっと違ってるようで、割とぽっと出の印象があるけど、実際にはどうなんだろう?

メロトーンズとかウォーキング・シーズとか、結構好きなバンドのレコードを出してたリヴァプールのプローブ・プラスというレーベルから80年代半ばに出て、一躍インディーズでヒットしたという記憶がある。
この曲はヘタなOi!バンドとかよりはよほどライオット感&フーリガン色満載の名曲だと思うけど、イントロの「オッオッオー」というガナリ声がイイね。ライブの映像も残ってるバンドなんだけど、このスタジオ盤のような元気がなくてメンバーも想像と違うヴィジュアル。見ないほうがいい系のバンドだと感じたよ。

「トランプトン」というのはイギリスのTV番組で小さい人形のストップモーション・アニメらしい。レゴ・ムービーのイギリス版みたいな感じなのかな。
数枚レコードを持ってたが他の曲はポーグスをシンセでやったようなとか、声までシェインに似ててこれがまた子供っぽい大好きな曲だった。

まだまだライオット族はいたような気がするが、疲れてしまったのでもはやこの一曲で終わりとしよう。ウチのブログの標榜する70〜80年代というのにはちょっと外れるが、時代を超越して充分に過激でパンクだったのがこのドイツのアタリ・ティーンエイジ・ライオットだ。
パンクやハードコアの進化系として90年代に注目されたデジタル・ハードコアの元祖として名高い。

アタリというのは世界初のビデオゲームを出したメーカーで初期にはスティーブ・ジョブスも在籍していた事で知られるけど、これはROCKHURRAHの世代よりももっと前の時代だな。自分の時代で言うとジャガーというTVゲーム・マシンを出して全然売れなかったのが知られてる。すごいスペックだという噂だけで現物は見たことないという、個人的には幻の一品。

さて、その由緒正しい社名を冠したアタリ・ティーンエイジ・ライオットは激しくてうるさいデジタル・ビートに黒人MCと白人ヴォーカル、80年代ルックスっぽい怖そうな美女という三人組によるキャラクターが際立っていたな。
デジタルでハードコアと聞いて誰もが想像するような音そのもの、そして過激さも申し分なし。
同時代のロックが個人的には全然面白くなくてハッキリしないものばかり、ロックよりも盛んだったのがクラブ・ミュージックだけど、これまた面白くなくて違いもわからないようなのばかり。
これが90年代にROCKHURRAHが感じていた「時代の倦怠感」みたいなものだったが、そういう時にまだパンク行き着く先の可能性を感じさせてくれたのがこのバンドだった。楽器は持ってないしバンドとは言わないのかも知れないがやってる事はバンドと同じ。何より派手だったね。
途中からアニメに出てきそうな日系の忍者娘みたいなのもメンバーに加えてさらにヴィジュアル度がアップしたけど、その後もライオット魂を忘れてないのがいいね。
ビデオでは派手な美女ハニン・エライアスが見えない(たぶん欠席)のが残念。

結局はROCKHURRAHが担当する他のシリーズ記事と全然変わらないという結果になってしまったが、長くブログをやってると「ひとまとめには書きづらい」ような余りが生じてしまう。その辺をまとめるような記事という事で書いてみたよ。
それではまた、ナケミーン( フィンランド語で「さようなら」)。

時に忘れられた人々【29】情熱パフォーマンス編4

【今回のテーマを何となく三流映画ポスター風にしてみた】

ROCKHURRAH WROTE:

書いた本人もここまで続くとは夢にも思ってなかった「情熱パフォーマンス」その第四弾を今日は認めてみようか。 認めて、じゃわかりにくいがこれは「したためて」と読む。

タイトルの意味を考えなくてもわかるが、この特集では「何だかよくわからんが情熱的に見えるかも知れない」映像を選んで紹介している。
ただ、ROCKHURRAHが今までにピックアップしたのは大半が70〜80年代のもので、中には誰も知らんようなインディーズのビデオも多数。
みんなが知っている、金をかけて丁寧に作られたプロモーション・ビデオとは随分違ったB級映像が多いので、テレビでやってるような面白映像特集とは違うとあらかじめ断っておくよ。
たぶんもっと探せばエモーショナルなものはたくさんあるだろうけど、たまたま元から知ってたり見つけたりしたものだけしか書いてないというわけね。
個人でやってる事だから調べにも限界があるし、情熱ベストテンみたいな感じにはならないし、オチもないが、そこは許してね。
どんどん言い訳長くなるなあ。

【殴る 蹴る!】
Howard Devoto〜Luxuria

おっと、いきなり威勢のよい情熱パフォーマンスが期待出来そうなテーマだね。
殴るとか蹴るとかは物騒で嫌いな人は多いだろうが、太古の昔から人間が自然にやってきたアクションのひとつだからなあ。そういう原初的アクションで一番多いのはたぶん「逃げる」じゃなかろうかと思うが、専門家でもないからハッキリはわからないよ。

ROCKHURRAHは子供の時に「空手バカ一代」などの格闘漫画が意外と好きで全巻集めてたもんだ。しかもなぜか父親の部屋に大山倍達の自伝のような本があり、それを読んで変な感銘を受けた記憶がある。片方の眉毛を剃って山ごもり修行(生えるまで出てこれない)とかね。

今とは違ってなのか今でもなのかは不明だが、空手と聞くと偏見を示す親が多いし、実際に通った学校でも柔道部はあっても空手部はなかった。やっぱり危険があるからというPTAの圧力なのかね?
そう言えば家の近場に空手道場があって、友達と見に行った事もあったな。
影響は受けたものの別に空手がやりたいと願ったわけでなく、ただ空手家というのを見てみたかっただけ。
想像したのは窓の木枠から覗くと気合の入った掛け声がしてて、活気のある組手とかしてるという典型的な絵柄だったんだけど・・・実際は全く人の気配もなくてがっかりしたもんだ。二度と行かなかったけどちゃんと門下生がいて稽古とかやってたんだろうか?

ブルース・リーの影響で誰でもクンフーの真似事をして10人にひとりは通販で買ったヌンチャクやトンファー持ってたような時代もあったな。ROCKHURRAHもその一人でヌンチャク持ってたが、真ん中の鎖が肉に食い込む気がして使いづらかった記憶だけ残ってる。ブルース・リーのマネだから無論上半身ハダカでやってたんだろうが、別にそこまでマネしなくても服着てやれば良かったな。バカな子供時代だったよ。
毎回全然関係ない回想になってしまうのが情けない・・・。

さて、そんなエピソードとはまるで関係なかった殴る蹴るだが、この暴力的表現のプロモに果敢に挑戦したのが、そういうのがとても似合いそうにないこの人、ハワード・ディヴォートだ。

ROCKHURRAHのブログにも何回も登場してるけど、パンク史上に燦然と輝くバズコックスの初代ヴォーカリストだったのがこの人だった。
この頃の「Boredom」や「Breakdown」などは今でも愛聴しているパンクの大傑作。
このシングル一枚だけでバズコックスを早々に脱退してしまったから、1stアルバムから聴いてるよというファンでも、入手困難だった「Spiral Scratch(1stシングル)」を買わない限りハワード・ディヴォートのヴォーカルは知らなかったりする。
今の時代じゃなくてリアルタイムでの話ね。

で、やめた後は(バズコックス全盛期と同じ時代に)マガジンというバンドを始めて、パンクとはまた違うアプローチで独自の音楽世界を作ってゆく。
聴いた人だったらわかる通り、かなり粘着質のいやらしいヴォーカル・スタイルで頭が禿げ上がった顔つきも不気味だし、特に女性受けはしなさそうな雰囲気が満々のバンドだったね。
この怪しい、妖しい屈折した世界こそが最大の魅力で、ROCKHURRAHも大好きだったバンドだ。
パンクではなくてニュー・ウェイブという音楽を最も感じたのがROCKHURRAHにとってはこの時代のマガジンであり、XTCやワイアーなどだった。
そのマガジンも1981年には解散してしまい、ファンは彼がこの後どうなるのか再起を願って待っていた。

そしてやっとこの話に辿り着いたよ。
満を持してソロとして1983年に出たのが上の曲「Rainy Season」というわけだ。マガジンの最後の方も割と明るく健康的なイメージになってしまい、古くからのファンはちょっと物足りなかったと個人的な感想を持ってたが、これまた従来のハワード・ディヴォートの退廃的で気怠いイメージとは違った清々しい曲調。
大半の人がこの人に求めてた音楽とは違うような気がするけど、その辺は関係者じゃないからよくはわからん。83年というとまだまだネオ・サイケとかのダークな音楽がもてはやされた時期なんだけど、敢えてそういう音楽とは一線を画したんだろうかね?

問題のビデオの方は暴力的表現とはまるで無縁だからショッキングな描写苦手な人も安心して下さい。ハッキリは不明だけど、どうやら別れた彼女が出ていこうとしてるところをこっそり覗きに来た男の話なのかな?ストーカー?暴力よりももっと卑劣な気がするが、このストーカー行為が妙に似合ってしまう男、ハワード・ディヴォートもいかがなものか。しかも未練たらたらという設定の相手の女の方も、割とどうでもいいタイプ。
後半に苛立ち、ヤケになって、出た!飛び蹴り!(笑)
マガジンの頃は極めて気怠い歌声で、こういうアクティブな事をしそうにないと勝手に思ってただけにこの情けない飛び蹴りには唖然としたよ。マガジンではステージの映像以外はほとんどなかったけどこのソロへの意欲の表れなのか、ヤブの中を進んだり燃えたり埋まったり、結構体張った演技してるな。

このソロ以降、ハワード・ディヴォートの中で何か吹っ切れたものがあったのか、ただ面白くなさげに歌うだけではなく、パフォーマーとしての素質が開花してゆく。
1986年には元キュアーやピート・シェリー(ディヴォートが脱退した後のバズコックス)のバンドにいたというNokoなる人物とラグジュリアというユニットを結成する。
名前から勝手に判断して女性とのデュエットか何かだと思ってたけど全然違ってた。
うーん、ノコ?知らんなあ。
このユニットやってた当時はMTV系の番組を全然観てなかったしレコード・ジャケットはダンボールみたいだったし、買うまでに至らなかったのだ。
マガジンやソロの時は中途半端に横や後ろの髪を伸ばしてて、余計に禿げた額が強調されて不気味だったけど、こんな風にすっきり刈ってしまえば良かったんだね、デビュー10年目にして今頃やっと気付いたかディヴォート(笑)。うん、この髪型だったらとても似合うよ。

88年くらいに出たのがこの1stシングル「Redneck」だ。
こちらでは緊縛される、その後激しく殴る、回る、などなど意味不明のハンドパワーが炸裂する情熱パフォーマンスを惜しげもなく披露してくれる。マジシャンかよ、と思ってしまうくらい。
マガジンのライブを現地で観たわけじゃないから昔からこういうステージ・アクションのあった人なのかどうかは不明だけど、こんなに動く人だったんだね。
ラグジュリアの曲もノコのギタープレイも明らかにメジャー志向でいつヒットしてもおかしくない音楽性だったのに、たぶんあまり売れなかったんだろうな。
むしろせっかくのキャラクターなんだから、不気味で粘着質を極めた方が良かったんじゃないかと個人的には思ってしまうけどね。

【白ける!】
Sort Sol(with Lydia Lunch) / Boy-Girl

「白ける」という言葉自体が情熱的とは言い難いし「!」マークも似合わない気がするが、気のせいか?あらら、この記事から流用したフレーズだな。セルフ盗作。

近年では日常会話で白けるなんてあまり言わないような気がするが、どんな時代にでも同じような意味の若者言葉は出て来るんだろうね。新しい言葉が出てくるだけ老人よりまだマシか。

1970〜80年代には珍しかったデンマーク出身のバンドがこのソート・ソルだった。僧と剃るではない。
このバンドの前身がパンク時代に活躍したかどうか不明だが、とにかく知名度はおそろしく低かったバンド、Sodsという。後の時代の発掘者によって多少は知られる存在になったと思うけど、これを偶然持ってた奇特な一人がROCKHURRAHだったのだ。
自分で作ったベスト盤のカセット・テープ(時代ですな)に彼らの「Television Sect」とか録音してかけまくってたから、ROCKHURRAHが働いてた店の客は知らず知らず聴いてるはず。え?知らん?
いかにもパンクなジャケットで音も期待通りのラウドなものだったから嬉しくなって吹聴していたけど、覚えてる人も皆無だろうな。

このソッズ、カタカナで書くと情けないが、実はそれを入手するより前に出会ったのが80年代初期に一世を風靡した、ベガーズ・バンケット傘下の4ADというレコード・レーベルにて。
このレーベル所属アーティストたちによるコンピレーション・アルバム「暗闇の舞踏会」というのが出て、ROCKHURRAHも飛びついて買ったんだけど、バウハウスやバースデイ・パーティ、リマ・リマなど伝説のバンドに混じって妙に耳に残る曲が収録されていた。それがソート・ソルの「Marble Station」だったのだ。ソート・ソル=ソッズというわけで探したわけでなくて、後になってソッズが同一のバンドだと気付いたというわけ。

その後、1983年に出た1stアルバムでどういう縁があったのか知らないが、アメリカの裏女王といつもROCKHURRAHが評しているリディア・ランチと共演している。これはその貴重なビデオなのだ。

ちょっと前にも書いたが、ヒステリックで落ち着きのない、70年代ニューヨークの前衛的音楽として話題になったのがノー・ウェイブと呼ばれるムーブメント(?)。
リディア・ランチはその一派で活躍した、ティーンエイジ・ジーザス&ザ・ジャークスの金切り声ヴォーカルとして伝説的に有名な女性だ。
その後の絶叫金切り声ヴォーカリスト達に多大な影響を与えた偉大なパイオニアですな。
本当にこの当時のリディア・ランチはアングラ・パワー満開のものすごいインパクト。

その後はソロになってアンニュイにジャズっぽくなってみたり、バースデイ・パーティの美形ギタリスト、ローランド・ハワードやニック・ケイヴ、当時の恋人だったジム・フィータスと共演したり、どちらかというと人の作品のゲストとしてよく知られている。
自分自身の作品よりもよそのビデオに出演してる方がよく見かけるもんね。

さて、そのソート・ソル、長く続いてるしデンマークではそこそこの人気はあるんだと推測するが(デンマーク映画のサントラとかも手がけてる)、日本ではほとんど無名に近い存在。
ここのヴォーカリストSteen Jørgensen(読めん)も眉毛がなくて後ろ髪だけ長い、昔の暴走族みたいな凶相だな。
「撮影中にガム噛むのやめなさい」とか言ってもヤンキーだから聞く耳持たないんだろうな、ざけんなよ。
曲はラウドなカウパンク調のリズムで好みな感じなんだが、この男が実につまらなさそうな表情で歌い上げる。TV画面の中のリディアはそれに対して、実に嫌そうにふてくされて白けた顔つきで二番を歌い、最後にキレておしまい。何じゃこりゃ「そのココロは?」と聞きたくなってしまうくらい、愛想も尽きた心の通じ合わない映像だな。
何しろアングラの女王なもんで、知名度の割には動いた鮮明な映像が驚くほど残ってないのがリディア・ランチなのだ。おばちゃんになる前の、全盛期に割と近い(1984年)姿で動いてる貴重な映像だと思う。情熱パフォーマンスとしてはかなり苦しいが、この見事な白けっぷりが見てもらいたかっただけ。

【吹っ飛ぶ!】
Kate Bush / Army Dreamers

「吹っ飛ぶ」は自発的なパフォーマンスとは言い難い気がするが、派手さという点では申し分ないので被害者には申し訳ないがまあいいか。自分が吹っ飛んじまうのはごめんだが。
さて、タイトルがアーミーときて吹っ飛ぶ、とくれば見なくても大体内容はわかるというものだ。予想を覆すようなのは用意出来なかったよ。

ROCKHURRAHはまだ故郷の小倉にいた頃、スクーターの事故で中央分離帯に突っ込んでえらく危ない目に遭った事がある。つつじの枝がちょっと腹に刺さったけど死んだりしなくて良かった。これが唯一の吹っ飛び体験。あん?関係ないよね。

誰もが認めるウィスパー・ヴォイスの第一人者、ケイト・ブッシュはROCKHURRAHが好んで取り上げるニュー・ウェイブ系のアーティストではないけど、時代的にはピッタリ一致しているので珍しくもここで取り上げる事にしよう。何だか偉そうな書き方だな。

ピンク・フロイドのデヴィッド・ギルモアとアラン・パーソンズ・プロジェクトのオーケストラ・アレンジを手がけてたアンドリュー・パウエル(個人的にはコックニー・レベルが印象的)によってプロデュースされた曲が大ヒットしたのが1978年。
デビュー前の諸事情があったのは確かだけどその辺を知らないこちらとしては「彗星のように登場した」美人女性シンガーと言う事で、日本でも大々的に売れたのを覚えてるよ。
まるでアイドルのようなルックスだけど歌は本物だし、流れとしてはアイドルのポップスというよりはプログレの系譜だし、ヴィジュアル的にロクなのがいなかった当時のロックの世界に久々に登場したスター性のある女性シンガーだったわけだな。
ウィスパー・ヴォイスとは書いたものの、いわゆるロリータっぽさはなくてデビュー時から魔女とか妖精とかそんな感じ。
がしかし、残念ながらその活動が認められてコンスタントに売れたのはイギリス本国だけで、他の国ではそこまで人気が浸透しないうちに飽きられてしまったという気がする。

この曲は1980年に出た7枚目のシングル曲。その直前の「バブーシュカ」がヒットしたのでこちらは全然印象にないな。
デビュー曲から全曲ちゃんとしたプロモーション・ビデオを作っていたのはこの時代ではまだ珍しいけど、ケイト・ブッシュは自信のあるパントマイムや露出度の高い(がさほどセクシーではない)、体を張った映像を作り続けていたのが偉いね。こういうのが普及する時代を予見してたわけだからね。いわゆるMTVがまだなかった頃だから、日本では同時代には知られてない映像だったんじゃなかろうか。
戦場でお目々バッチリの化粧などけしからん、などと怒られそうだがそのうち吹っ飛ぶわけだから大目に見てやってよ。

【ぶった斬る!】
The Plasmatics / Butcher Baby

最後はこれ、ぶった斬る。日常生活でこのアクションをしてるのは辻斬りか木こりくらいのものだろうか?まあ表現としてはポピュラーだけど自分自身では滅多にやらない行為だと思うよ。

剣や刀を使ったゲームは多いから、そういうのでぶった斬る疑似体験は出来るだろう。
最近は全然ゲームをしなくなったROCKHURRAHだけど、一時期はかなりの時間をゲームに費やしていた。元々は「ゼルダの伝説」が大好きでゲームキューブ版の「風のタクト」などはSNAKEPIPEと二人で熱狂して攻略していった思い出がある。SNAKEPIPEはあの2頭身の子供リンクがお気に入りだったんだよ。巷で話題のNintendo Switchの新しいゼルダもいつかはやりたいけど、今はまだ予定なしだな。
「モンスターハンター」もネットワークなしで最も長い時間プレイしたゲームかも知れない。武器や防具を作るために死ぬほど駆けずり回ったからね。あれで作った片手剣や大剣などは「ぶった斬る」のニュアンスに最も近いものじゃなかろうか。

さてそのぶった斬るという派手な情熱パフォーマンスに挑戦して、のみならずライブでは日常的に斬りまくってたのがアメリカのパンク・バンド、プラズマティックスだ。
「1977年にニューヨークで結成」などと紹介されているが、いわゆるニューヨーク・パンクとして取り上げられる事はあまりないから、きっと仲間はずれだったんだろう(テキトーに書いただけで詳細は不明)。キワモノだしね。
ウェンディ・O・ウィリアムスという裸にビニールテープ貼っただけの女性ヴォーカルによる過激パフォーマンスで有名で、確か最初の頃はベーシストが日本人だった。メンバー全員「マッドマックス」シリーズのどれかに悪役としてそのまんま登場しても全然違和感ないルックスだね。
大昔、パンクが日本で最初に紹介された頃、NHKでパンクとは?みたいなドキュメンタリーがあって、そこにプラズマティックスが出てるのを見た覚えがある。ROCKHURRAHはこの頃はロンドン・パンクにしか興味なかったのでこれを見てカッコイイとは思わなかったよ。

プラズマティックスは今回の「ぶった斬る」以外にも数々の情熱パフォーマンスをやってるはずだけど。
爆走するトレーラーに乗って何百台も積み上げたTVに衝突、その後走る車の屋根の上に立ち最後は車が爆発、というような引田天功並みのパフォーマンスをスタントなしでやったのが自慢でしょうがなくて、何度も何度もその場面がフラッシュバックするビデオも残っている。うわ、一文のセンテンス長すぎたな。

この「Butcher Baby」は彼らのデビュー曲でこのライブ・ビデオも有名なもの。後の時代のセクシー系女性パフォーマーがやったような全てをすでにこの時代にやり尽くしてるな。
有名なのがこのチェーンソーによるギター解体ショーなんだが、この時はやっぱりギブソンではなくてフェルナンデスとかグレコとかにするのかね?え?そんなセコいこと考えるなって?

過激さを極めまくって、世間からはすぐに忘れ去られてしまって、最後(1998年)には自分まで拳銃自殺という幕引きでウェンディはいなくなってしまったが、もういくら過激とか言われる女性シンガーが出てきてもこれほどのセンセーショナルな人を見た後じゃ小粒にしか思わないだろうね。

それにしても毎回毎回飽きもせず、タイトルがちょっと違うだけで同じような内容の記事をよく書けるな、と自分でもマンネリ化を危惧してるよ。
そろそろ何か新しい事を考えないとな。
ROCKHURRAHも眉毛剃って山にこもって企画考えてくるか。

それではまた、خداحافظホダーハーフェズ(ペルシャ語で「さようなら」)。

ロックンロール世界紀行 Transit06

【珍しくタイムリーにちょっとだけ来日記念特集】

ROCKHURRAH WROTE:

ROCKHURRAH RECORDSが使っているサーバーでPHPのヴァージョン7.1が使えるようになったので早速試してみようと思った・・・などと書いてみても興味ない人の方が圧倒的に多いに違いない。
そういうのに興味ある人はウチのブログなんか読まないだろうからね。

PHP: Hypertext Preprocessor(ピー・エイチ・ピー ハイパーテキスト プリプロセッサー)とは、動的にHTMLデータを生成することによって、動的なウェブページを実現することを主な目的としたプログラミング言語、およびその言語処理系である。

うん、ROCKHURRAHも特に興味はないんだけど、これを新しくすることによって処理速度が速くなるなんて言われるとどうしても弱いんだよね。
がしかし、確かな知識を持ってなくて過去に致命的なエラーを起こした事もあり、この手の更新は慎重になってしまう。
手始めに仮想環境で同じことしてみたらやっぱり画面が真っ白けになってしまったので、もう少し調べるまで本番ではやめておこう。
何だ、やってないならこんな事わざわざ書くまでもなかったな。
というわけで今回のテーマは「真っ白」・・・というのは真っ赤なウソ。

さて、全然関係ない前フリだったが、今回は久しぶりの更新となるこのシリーズを書いてみようか。
最後に書いたのが何と2015年8月。書いてる本人にも忘れ去られてるシリーズだな。

世界の国名、都市名がついた歌をどこかから見つけてきて、それについてどうでもいいコメントをしてゆくだけというトホホなこの企画。
語呂がいいからつけただけで、内容は別にロックンロールでも世界紀行でもないよ、という詐欺めいたタイトルなんだけど、ほとんどが70年代パンクと80年代ニュー・ウェイブに関する曲ばかりを選んで聴かせるという姿勢だけが今の時代には珍しいかも。

マリブ・ビーチは米国カリフォルニアにあるビーチでサンタモニカとも割と近場、なんて事をわざわざ海辺が似合わないROCKHURRAHが言わなくても誰でも知ってるに違いない。

確かにもし、有り余るだけの財力があり、近隣のセレブ達と会釈するほどになったとしても、個人的にはこの辺に住みたいとは全然思わないだろうな。

好みと趣味の問題で合わない人とは永遠に合わないのは仕方ないが、旅番組とか見てても海辺のリゾートはイマイチと思ってしまう。
たぶん海が嫌いなワケじゃなくて、こういう番組で「今流行りの」とか言って紹介されるマリンスポーツにあまり興味ないからなんだろう、と自分を分析するよ。
そういう遊びやスポーツが流行る前(つまり子供時代)の海水浴は好きだったから。
その点、SNAKEPIPEとは好き嫌いが(たぶん)合ってて良かったよ。

大昔、社員旅行でマリンリゾートを満喫出来る島に行った時も、場違い甚だしいパンクな服装で通して海辺にも行ってない。傍から見たらおかしい人みたいに思われたかも知れない。日焼けも嫌いだし夏の服、本当に持ってないからなあ。

まあそんな好みは抜きにして、海辺でキャッキャするのが大好きな人にとっては憧れのいい場所なんだろうね。
一番最初の「猿の惑星」のロケで使われたなどと書いてあったが、あれはマリブ自体じゃなくてニューヨークの未来の景色として使われただけじゃないかな。マリブ要素は全然ないぞ。

そんなマリブビーチの魅力(?)をふんだんに伝えるのはこの曲しかない。
ハノイ・ロックスは1981年にデビューした北欧フィンランドのバンドで、ベトナムともカリフォルニアとも関係ないと思われるが、フィンランドっぽさも特にないと思えるので、まあ無国籍なロックンロール・バンドという位置でいいのかな?
ニューヨーク・ドールズやグラム・ロック、ハードロック、パンクを適度にミックスして80年代風にしたようなルックスと音楽で、80年代初期には大人気だったバンドだ。
マイケル・モンローやアンディ・マッコイのキャラクターはジャンルの垣根を超えて幅広く支持されていたな。

モトリー・クルーのメンバーが飲酒運転する車に同乗していたハノイ・ロックスのドラマーが事故死(事故を起こしたヴィンス・ニールは生き残る)という悲惨な出来事により解散してしまう不遇なバンドだったが、この手のバンドをあまり良く言わないROCKHURRAHでさえ知ってる曲を何曲も残している。
中でも一番好きでノリノリになれるのが「Motorvatin’(炎のドライビン)」とこの曲「Malibu Beach Nightmare(マリブ・ビーチの誘惑)」 だ。

まあ誰が聴いても単純明快にポップでキャッチーな曲。若くて突っ走った感じはパンクにも通じるものがあるようにも、決定的に違うようでもある。何じゃそりゃ?説明になってないぞ。
同じ曲をラモーンズやハートブレイカーズがやったとしてもこうはならなかっただろう。何と言うか、小気味いいけど混沌が足りないんだよね。
しかし久々にシリーズのタイトル「 ロックンロール」要素はあるから、まあいいか。
もうとっくの昔に解散してしまったけど、大好きでライブにも通った日本のサイコビリー・バンド、ROBINもこの曲をカヴァーしていたね。このカヴァーの方が原曲よりずっと好きだったよ。
ROBIN、再結成したら真っ先に駆けつけるのになあ。

コンスタンティノープルは今の地図にはない都市名だが、15世紀にオスマン帝国の攻撃によって陥落した東ローマ帝国の首都だったそうな。
うーん、社会と言えば日本史専攻で世界史は苦手だった覚え(地名・人名が覚えられない)があるが、その日本史も別に得意だったわけでもなく漢字が多少読めたから選んだだけ、我が家はSNAKEPIPEと共に歴史オンチだと断言されても仕方ない。
こないだの「読めん!」といい、書けば書くほど頭悪そうになってしまう窮地。
都市名はなくなっても場所としては今のイスタンブールの事だね。

「飛んでイスタンブール(庄野真代、1978年)」や「異邦人(久保田早紀、1979年)」「イスラエル(スージー&ザ・バンシーズ、1980年)」を例に出すまでもなく、1970年代の終わり頃の日本はなぜだか知らないが中東あたりがブームだったような気がする。
その時代の写真雑誌とかではシルクロードや中東、アフリカなど当時の一般的な日本人があまり行けないようなところを見聞してきたような紀行文が多かったもんね。この頃はまだ中近東と言ってたな。イスタンブールは中東なのかヨーロッパなのかイマイチわかってないんだが、まあ雰囲気的にね。

誰が写真撮って書いたのかは全然覚えてないが、ROCKHURRAHもそういう雑誌などで異国への闇雲な憧憬を持っていた。
今みたいにネットのない時代、調べてもよくわからないものは大概、想像で補ってたもんな。何事もロクに調べなかったROCKHURRAHはなおさら断片的で歪んだ海外のイメージ持ってたに違いない。当時は「普段はあまり知らない国の情報」への興味があったというわけだろうね。

ちなみに「異邦人」はタイトルと曲調がそれ風だっただけで、実は国立駅前の風景より作られた曲だったとの事だが(笑)、イメージ戦略により「何か中東っぽい」と思ってしまうね。

そんなコンスタンティノープルの魅力を余すところなく伝えてくれるのが今年、何と32年ぶりの来日をするレジデンツだ。しかも何でブルーノート?
特集企画でもないこんな場(今回の記事)で語るのも難しいくらいのキャリアを持つアメリカのバンドだが、60年代後半には既に実験音楽を作り始めてて、1972年にレコード・デビュー。以後、実験的でヘンテコ(たまにはちょっとポップ)な音楽を作り続けている謎の音楽集団なのだ。
目玉おやじがタキシード着たようなヴィジュアルだったり素顔を晒さない、メンバーも不明という匿名方針を長らく貫いてて、見てきた人でも「よくわからん」存在なのは間違いない。
現在までにどれだけ謎と呼ばれたバンドがいたのかは知らないが、音楽性のルーツも含めて謎が多い、その草分け的な存在がレジデンツなのだ。

ROCKHURRAHは昔々、雑誌「ロックマガジン」の記事でペル・ユビュとレジデンツを知り、その後着々とレコードを集めてきた。
どちらもジャケットから音楽性が想像出来ない雰囲気のバンドだったので、出会う前は色々な想像をしていた事を思い出す。
レジデンツの場合はジャケットが割と不気味カラフルだったからジャケ買いだったね。出してるRalph Recordsのイラストを多用したアートワークやレーベル・マークもハイセンスでそそられたもんだ。
「The Third Reich ‘n Roll 」や「Duck Stab! / Buster & Glen」などなど、まだ少年だった頃に聴いてた音楽は今でも鮮明に覚えてるよ。
前衛的で不安感に満ち溢れてて不協和音だらけではあるが、全編ノイズだらけのバンドや静けさが大半のレコードよりは個人的には聴きやすくて好きなバンドだったよ。

既存のパンクやニュー・ウェイブに飽き足らなくなって、オルタナティブとかアヴァンギャルドとかの方面を模索していた時期にちょうど重なったわけだから、この手の音楽は個人的な需要にぴったんこだったんだろうな。

引っ越しが多かったROCKHURRAHだが、レジデンツのレコードの中に入ってたファンクラブの入会申込書をどの家でもずっとピンナップのように壁に貼っていた。今は見つからないが、たぶん今住んでる家にも捨てずに持ち込んでるはず。
「Join or Die」というベンジャミン・フランクリンの有名な言葉が引用されてて、クー・クラックス・クラン(白人至上主義の秘密結社)の頭巾を被った四人が並ぶという不吉なシロモノ。
アメリカの私書箱に送金してファンクラブ会員になる、などという事はなかったけど、もし会員になってたら一体どのようなものが送られてきたんだろうか?それが知りたい・・・。

ん?曲について何も書いてなかったな。この曲はレジデンツの中で最も好きだった78年のアルバム「Duck Stab / Buster & Glen」に収録。
この時期までのレジデンツの中では最もニュー・ウェイブっぽい曲調でヴォーカルもノイズなバンドに通じるような歪み具合でカッコイイね。
コンスタンティノープル要素はたぶん特になし・・・。

ROCKHURRAHには珍しい来日記念特集第二弾でこれも書いてみるか。

京都は日本に来るような外国人だったら誰でも知ってる土地なのは間違いない。同じ古都でも奈良よりはメジャーな名前なんだろうか?統計取ったわけじゃないからその辺は不明だが、古くは「京都の恋(ベンチャーズ&渚ゆう子)」など京都にちなんだ曲もパッと思い出すもんね。

ROCKHURRAHはSNAKEPIPEと知り合う前に四年間くらいだが京都市民だった事があって、その時は右京区あたりを住処としていた。
特に何もないところだったけど、自然も近くにあって京都を満喫するにはいい場所だったかな。

坂がなくて道もわかりやすかったから自転車で割と広い行動範囲だったのを思い出す。
同僚が住んでた遥か北の船岡山(大徳寺近く)まで夜に自転車で出かけたり、今だったら絶対に出来ないくらいの行動量だったよな。調べてみたら7キロもあったよ。
太秦くらいは近場、軽く自転車で出かけてたからね。

京都時代は街が、と言うより個人的な趣味で仏像に興味あって、そのために色々出かけてたのだ。見た目や雰囲気からは全然そんな趣味は垣間見えて来ないけどね。
太秦は弥勒菩薩で有名な広隆寺があったので、そこを目指して出かけてたわけだ。
SNAKEPIPEと知り合った頃、禁じられてる自転車二人乗りで東寺まで行ったのもいい思い出。
ものすごく暑い時で大変だったし、途中でパンクしてしまったっけ?

旅行に行くたびに、とてもいいところだけど実際に住んでみたらどうなんだろう?といつも思ってしまう。
世間で観光地と呼ばれるところ(の近場)に初めて住んだのがこの京都時代だったけど、文化も歴史も自然もちゃんとあって生活にも不便はない。それがただの観光地と観光都市の違いってヤツかな。これから先、観光地に引っ越す予定はないが、住む基準はやっぱり生活と文化のバランスだろうな。当たり前の事言ってるなあ。

人にとってはどうでもいい回想になってしまったが、そんな京都の魅力を隅から隅まで伝える曲がこれ(?)、スラップ・ハッピーの「Heading For Kyoto」だ。
京都に向かう食堂車の中でどうのこうの・・・というような歌詞はたぶん何てことなさそうだが、1972年の1stアルバムに収録の曲。
上のレジデンツは32年ぶりって事だが、このスラップ・ハッピーも16年ぶりの来日だという。
このブログを投稿した日にはすでに過去の出来事になってるんだけど、書いてる時はまさに来日真っ盛り。日本では特に盛り上がりそうだね。

英国ケント州カンタベリー周辺で起こったカンタベリー・ミュージックと呼ばれる音楽の一派がかつてあった。後に名を成すプログレッシブ・ロックの数多くのバンドがこの地の出身で、メンバー間の交流が盛んだったので何となく(たぶん)ひと括りにしたもの。
ここの出身者ではないけどスラップ・ハッピーはヘンリー・カウ(靴下ジャケットで有名)と一時期一緒にやってた事によって、カンタベリー・ミュージックの一派として取り上げられる事が多いかな。

ピーター・ブレグヴァド、アンソニー・ムーアというボヘミアンな男二人とダグマー・クラウゼという歌姫がドイツで結成したのがこのトリオだ。米英独の友好同盟ね。
クラウト・ロックの先鋭的音楽集団ファウストやRock in Oppositionという主義の反体制バンド、ヘンリー・カウとの共作で知られるが、スラップ・ハッピー自体は聴きやすくて好きなバンドだった。その後、ヘンリー・カウに吸収合併されてしまうのが残念。最終的にダグマー・クラウゼを略奪されたような感じがしてイヤん(イオンとマイカルの関係みたいなものか?)なんだよね。
その後のアート・ベアーズやソロ作品で歌唱スタイルを確立(?)したという点では評価する人も多いだろうけど心情的にね。

まあ説明下手のROCKHURRAHなんかがいちいち言わなくても、熱烈なファンが多いバンドなのであまり書くような事がないんだけど、時代を先取りした音楽だったのは確か。
アヴァンギャルドな部分とか見え隠れはしても、時にノスタルジックでポップ、和める曲も残したバンドだったな。
今回の主旨とは違うから語らないけどROCKHURRAHは「I Got Evil 」や「The Drum」「Everybody’s Slimmin’ 」などが好き。

で、この曲のビデオは2016年にケルンで行われたライブより。
「うーん、当然ながら老けたなあ」と思って見たが、デビュー時から親交のあったファウストのメンバーと一緒にやってて、ファンならば感涙間違いなし。ダンボールとボンベみたいなのを叩いてパーカッションにするというのは「これぞ即興」という感じで昔からある手法だが、地面にそのまま置いててひざまずいて叩く姿勢が辛そう。もう少し叩きやすい、いい場所なかったのかな?

京都と言えばこちらも忘れちゃならない、キュアーのそのものズバリ「Kyoto Song」。
その後もやってはいるものの、やっぱり80年代のイメージが一番強く、ある種の人によっては80年代を象徴するバンドかも知れないね。

キュアーは元々オリジナル・パンクの時代に出てきたバンド。
1977年にデビューしたイージー・キュアは80年代初頭の暗くて内向的なイメージはなくてパンクっぽい、かなりの個性とクオリティを持っていた。などと見てきたように書いたけど、もちろんこの頃は無名でレコード契約もまだしてないようなバンドだったと思う。イージー・キュア名義の音源がレコードになったのはずっと後になってからだろう。
キュアー博士じゃないからハッキリは知らないが。

で、キュアーとバンド名を短縮した後の79年に本格デビューするんだけど、個人的にROCKHURRAHにとっては第一印象があまり良くなくて82年くらいまで敬遠していたバンドなんだよね。
ファンならば知ってるだろうが1stの一曲目が時計の針カチカチでなかなか演奏に入らない。たかが20秒程度なんだけど気が短い若者だったのでそれがかったるかったんだろう←バカ。
ロバート・スミスの特徴的な歌い方もこの時代にはまだ理解出来なかった。
まだまだROCKHURRAHも青かったんじゃろうて。
まあ誰にでもある完全な「聴かず嫌い」だと言えるが、タダでどんな曲でも試聴出来る時代とは違ったから、好みのバンド以外を買ってまで聴かなかったというだけ。
この頃の明るい名曲「Boys Don’t Cry」などは今聴いてもノリノリになれるんだけどね。

その後、キュアーは暗黒度合いを増していって「首吊りの庭」「血塗られた百年」「幻影地獄(乱歩かよ)」などと不吉なタイトルの曲(邦題が勝手放題なだけだが)や白塗り顔にドギツイ化粧、髪はボサボサというロバート・スミスの方向性によって、その手のバンドのイメージを決定付ける。暗黒仲間のスージー&ザ・バンシーズのギタリストとしても活躍したね。
同時代のネオ・サイケ、ダークサイケ、ポジパンと呼ばれる音楽はキャッチーな要素があまりないにも関わらず、英国では結構もてはやされたブームだったからね。

しかしロバート・スミスの不気味な見た目、ちょっとぽっちゃりした体型などからシリアスというよりは逆に笑える存在としても名高く、漫画にも登場するくらい。 どこが発信源なのかは知らないが日本ではロバオなどとあだ名が付けられていたなあ。
ショーン・ペン主演の「きっと ここが帰る場所」もロバスミをイメージしたんじゃないかな?

80年代初頭はそんなだったキュアーも80年代半ばくらいからは何かの呪縛から脱出したようで、明るくポップな曲調や奇妙なテイストを持った曲をモノにして、メジャーなヒットを連発してゆく。
確かにいつどこで聴いても即座にわかる声の持ち主で、好きとか嫌いとか抜きにして言えば、曲も演奏もビデオも他にはない個性を持ってたバンドだと思えるよ。

おっとまた曲について何も書いてなかったな。「Kyoto Song」は彼らの6枚目のアルバム「The Head on the Door 」に収録されていた。 琴の音みたいなのがそれっぽくはあるけど歌詞はやはりとっても暗く死に彩られたようなもので、京都要素は特になし。
どこで思いついた曲か知らないが、旅行中にこんな事考えてたら(歌詞もよくわかってはいないんだが)救いようがないぞよ。

あーあ、今回もまた世界紀行とは程遠い内容になってしまったな。ROCKHURRAHが好きで聴いてるような音楽と旅情が全然一致してないって事なんだな。
それでもやめずに続けてゆこう。

ではまた、ホシュ チャカルン(トルコ語で「さようなら」)。

時に忘れられた人々【28】読めん!編 dos

【忘れちゃならないこのバンド。え?読めん?】

ROCKHURRAH WROTE:

前回、中途半端で終わってしまった頭悪そうな企画、その第二弾を書いてみよう。
読めないバンド名特集、とかいうのがネットに色々出てたりもするんだけど、当て字を使いまくった最近の日本のバンドとか字体そのものが読みにくいバンドとか、ウチがやるものとは主旨が違う。こちらは何と発音するのかROCKHURRAHの学力でわからなかったようなのを挙げてるだけなんで、読める人には一目瞭然、トンチも要らないものばかりなのだ。

何の勉強もせずに言語が最初から読める人はいないわけで、今のROCKHURRAHがその状態なのに読めんと言ってるのはバカバカしい話だとは思うよ。しかしそんな生真面目な事を言ってたらこの企画が成立しないので、そういう事はある程度無視して進めてみよう。ゆるいなー。

前回のWirtschaftswunderもそうだったが、ドイツやロシアなどのバンドをここに持ってくるのはある意味、反則という気がする。予備知識なしで読めるはずがないからね。
だがROCKHURRAHは古くから、ほとんどリアルタイムでドイツのニュー・ウェイブを追っかけてきたので、「読めん!」というバンドがこの国に数多く存在していたのは確かな記憶だ。がしかし、追っかけてきたんなら読めるようになっとけよ、という気もするけどね。
読めないバンドを必死でどこかから探して来たわけじゃなく、この記事を最初に書き始めた時からドイツ物が多くなるのは予想していたこと。
うーむ、言い訳で数行も使ってしまったよ。

さて、そんなROCKHURRAHがデビュー当時から読み方に頭を悩ませていたのがPalais Schaumburgだった。一般的にはどうか知らないが個人的ノイエ・ドイッチェ・ヴェレの知名度ランキングではDAF、デイ・クルップス、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン、デア・プランに続くくらいの位置付け、まあベスト5に入るって事か。
Einstürzende Neubautenなんてのも普通のレベルじゃ「読めん!」になってしまうけど、まあこの手のバンドの中では知名度高いと思ったので今回の特集では見送ったよ。
このバンドが出た当時は周りのみんながノイバウンテンと言ってたのを思い出す。「ン」は一体どこから読み取ったのか、永遠の謎だなあ。

話がそれてしまったが、実はPalais Schaumburgの読み方は今でも人によってマチマチだと思える。
多くの人がこう呼んでて記事にも書かれてるのがパレ・シャンブルグ、これが正解でいいのかね?

当時のロックマガジンという雑誌でドイツまでノイエ・ドイッチェ・ヴェレを取材に行った(と記憶してるが詳細不明)阿木譲が、この雑誌で書いてたのはパライス・シャウンブルグという読み方。
他に参考にする記事がこの当時にはなかったから、ROCKHURRAHも最初の頃はずっとそう呼んでた。
ノイエ・ドイッチェ・ヴェレなんてマイナーなものを特集するのは80年代初頭にはこの雑誌かフールズ・メイトくらいしかなかったもんね。

しかし、シャウムブルクという同じ綴りの地名がドイツにあるから、ますます惑わされてしまうよ。そこには本当にシャウムブルク城があるらしいから、特に何のヒネリもないバンド名だと思える。
アメリカ読みすればシャンバーグ(イリノイ州にある村)だと。和風シャンバーグとかありそうだね。
うーむ、こんなにありふれたバンド名についてここまで悩んでるのはROCKHURRAHくらいのもんか?

で、まだ認めたわけじゃないが(笑)一般的に言うパレ・シャンブルグ、これは後にソロで有名になるホルガー・ヒラー、後のThe Orbに参加するトーマス・フェルマンなどによるハンブルグのバンドで1980年にデビューした。
後にメンバーが有名になったからちょっと神格化されたりもしてるらしいが、ノイエ・ドイッチェ・ヴェレという括りの中では割とオーソドックスな編成のバンドだった。
これでロックと言えるの?と思えるバンドが他にウヨウヨいた中で、ちゃんとギター、ベース、ドラムという基本的なロック・バンドの構成だったからね。ラッパ系も入ってて他のドイツのバンドと比べると電子楽器度合いが低いね。この記事でも書いてたか。

これは1981年に出た1stアルバムに収録の曲で、おそらくTV出演のパフォーマンスだと思うけど、パレ・シャンブルグというバンドの個性が最もよくわかる映像だと思う。
この当時のホルガー・ヒラーはパッと見には頭の良さそうな美少年という感じ。曲はアヴァンギャルドでフリーキーなのに見た目や踊りがアイドル風というギャップがすごいね。

先ほど書いた5大バンドの中でもDAFのガビは極太眉毛の脂ぎった顔つき、クルップスのユーゲンは不気味で冷酷そうな顔つき、デア・プランのピロレーターはますます不気味で危ない目つき、ブリクサは美形だが人間離れした顔つき。
こんな中ではホルガー・ヒラーのルックスが一番まともに見えてしまうね。

上の曲「Deutschland kommt gebräunt zurück」などはどこかの部族の音楽みたいだが、ここに奇妙で調子っぱずれの効果音や歌が入るところがこのバンドの真骨頂。調和してないけど絶妙にポップな部分があるんだよね。
ポップなものとイビツなものが同居するというと美術におけるダダイスムを思い浮かべてしまうが、パレ・シャンブルグの音楽はROCKHURRAHにとってはそういう感じ。
まあこれに限らず、ドイツの音楽にはやっぱりアートの影響を感じるものが多いね。

お次はこれ、まるでポジパンか?というようなジャケットで有名なフランスのJacques Higelin。読めん、ではないけど・・・。

これ以上バカな逸話を書きたくはないんだが、パンクやニュー・ウェイブばかりを追い求めていた若き日のROCKHURRAH。
このジャケットを見て実際にフランスのポジティブ・パンクのレコードだと勝手に思い込み、買って帰ったという思い出がある。
しかもROCKHURRAHの知る参考文献なども当時はなかったので、これをずっとヒゲリンだと思いこんでたもんだ。当時周りにいた友達の中ではROCKHURRAHが一番音楽に詳しかったから、周りの人間もずっとヒゲリンだと思ってたに違いない。ゴブリンがあるならヒゲリンもありだよね。

フレンチ・ミュージックを聴いてるような人には説明不要の大物だけど、ジャック・イジュランという異端シンガーがこの人。なーんだイジュランかよ、どう見てもヒゲリンだよね(笑)。
そういう関係の音楽をあまり知らなかったし、ROCKHURRAHが読んでるような音楽雑誌にも出てくるはずがない人だから、これは間違えても仕方あるまい(←偉そう)。

若い頃はフランス映画にいくつか出演していてそれから音楽家、というキャリアは去年亡くなったピエール・バルーとも通じるが、実際そのバルーのレーベルからもレコードを出していたようだ。
ブリジット・フォンテーヌやイザベル・アジャーニとのデュエットでも有名。

そのイジュランの1979年作「悪魔のシャンパーニュ」が間違って買ったレコードだったんだが、これは従来のフレンチ・ミュージックにあまり馴染まなかったROCKHURRAHにでもわかりやすい、ロックっぽい要素がある音楽だった。
退廃的で背徳的、演劇とシャンソン、そしてロックとのハイブリッド。
当時好きで聴いてたコックニー・レベルのスティーブ・ハーリィが好きだったらこの曲も好きでしょう、というような曲もあったし、いくつかの曲はニュー・ウェイブっぽくも感じた。ポジパンではなかったけどね。
上の曲もフランス語だからわからないけど邦題は「強姦罪」。さすがフランス(←意味不明)。

さて、これは冷静に読めば軽く読めてしまうんだが、馴染みのない言語ということで挙げてみた。Brygada Kryzysというポーランドのバンドだ。
これがポーランド語なのかどうかも知らないし、ポーランドのロック事情もよくわからん。まあ本当はそんな状況で書くべきではなかったんだろうね、と数行で後悔してるよ。

ポーランドと言えば世界的に見ても他所の国に侵害された、とか分割されまくった、とか苦渋の歴史ばかり目につくような国だと勝手に思っていた。そういうところをあまり語れないのでROCKHURRAHには深みがないんだろうが、どんな国であっても若者は勝手に育って、そしてロックを知る。うん、強引だな。

実はこのバンドもカタカナ読みで書いたサイトがほとんどないんだが、レコード盤にちゃんとバンドの英語読みが書いてるという親切さ。それによるとBrygada Kryzys=Crisis Brigadeという意味らしい。エキサイト翻訳してみると危機旅団、まあ意味はわかるかな。
ポーランド音楽を日本に紹介しているサイトによるとブリガダ・クリジスと読むんだな。

このバンドが結成されたのは1981年、まだポーランドが共産主義で戒厳令が敷かれていた頃だった。
バンドがどういう主義を持ってやってたのかは知らないが、戒厳令下でちゃんと活動出来たのか謎だ。
何時どこにでも地下世界があるという事でいいのかな?
上の映像で出てるジャケットのレコードはROCKHURRAHも見かけた事あったけど、これはジョニー・サンダースを出してた事で知られるイギリスのジャングル・レコード傘下のフレッシュ・レコードからリリースされていた。
フレッシュの方もUKディケイやファミリー・フォッダーなど、クセのあるバンドをリリースしていたな。
ジャケットからすれば共産党のポスターっぽいし「ワルシャワは燃えているか」などと勝手な邦題をつけたくなるような雰囲気だが、音楽は意外な事に割とキャッチーで、スカやレゲエの要素があるパンクでビックリ。 軽いとか言われそうだけど、この時代の英米のパンクにも決してひけを取ってないと思ったよ。

この曲「Telewizja」はテレビジョンの事でこれまた盤面に英語読みが書かれていた。バンドかレコード会社か知らないがとっても親切だね。ここまでわからせたいんだったらバンド名も曲名も英語にすれば?という声が聞こえてきたが、きっとどこかの米国かぶれだろう。

最後もまた読めん大国、ドイツに戻ってきてしまったが、これはどうかな?
ジャケット見れば書いてあるからわざわざ書くまでもないがDie Zimmermännerという、これまたノイエ・ドイッチェ・ヴェレのバンド。
実はこれもまたPalais Schaumburgと同じで、決定的な正解の読み方がないと思えるバンド名なんだよね。単に単語が長いから読めないと錯覚してるだけで、よく見れば読めそうなもんだ。

ディスク・ユニオンではディー・ツィマーメナーと書いてあってこれが多くのサイトでも使われてるけど、個人的には何かしっくり来ないんだよなあ・・・。
ROCKHURRAHは根拠は不明だがデイ・ツィマーマンナーと呼んでたよ。

Zimmerは単体では「ゴムのキャスターまたは車輪とハンドルの付いた軽い枠組みの器具(商標名ジマー)」などと書かれていたが一体何の事か?台車みたいなもんか?
同じ綴りで映画音楽の有名な作曲家ハンス・ジマーというのもいたな。がしかし本名にはツィマーと書かれていて不可解。どっちなんだよ?
Zimmermannになるとドイツ人の名字になり、これまたジンマーマン、シメルマン、ツィンマーマン、ツィンメルマン、チンメルマンなどと訳者によって解釈は色々。もうどうでもいいとさえ思える。
宇宙からやって来た正義の使者チンメルマン。悪党をシメるために地獄の底から蘇ったシメルマン・・・。
絶対にスーパーヒーローにはなれない名前だな。

このDie ZimmermännerはTimo Blunckという、これまた読めん人のやってたスカファイターというバンドが改名してこんな読めんバンドになったとの事。確かに初期の曲はスカっぽかったな。
Timoはパレ・シャンブルグのメンバーでもあったから、今回のブログの主旨「読めん」においては最重要人物と言える。

で、やってるのがこの当時のドイツでは滅多にないお洒落で涼しげ、ネオ・アコースティックな音楽。
ネオアコの本場、チェリーレッド・レコードでも出してたからお墨付きのもんだったんだろう。
当時はどんな音楽やっててもドイツ産であればノイエ・ドイッチェ・ヴェレという風潮があったけど、このバンドはそういう枠を超えて洗練されたものだったな。
その後大ヒットした話も聞かないから、英国に進出してもやっぱりバンド名が悪かったんだろうと推測するよ。いくらお洒落っぽくしててもチンメルマンじゃなあ・・・え?違う?

というわけで読めんバンド特集の二回目も無事に終わってメデタシ。
次もあるかどうかを一句詠んでみたがひどい出来。

三回目、ないとは言い切れないトレス(Tres)。

それではまた、Que te vaya bien.(スペイン語で「元気でね」)