時に忘れられた人々【17】ギター・ポップ編1

【クラスの中でも目立たないような子が今回の主人公】

ROCKHURRAH WROTE:

今年になって新しい企画を始めた関係なのか、過去のシリーズ記事が全然更新されてないという現状になっている。単に飽きっぽいだけなのか、本当に考える力が衰えてしまったのか?自分では後者だと思ってるんだけど、自覚症状まであるとは恐ろしい。

これじゃいかんと思って急遽書く事にしたのが元祖ROCKHURRAHのシリーズ記事「時に忘れられた人々」の新ヴァージョンだ。
うひょー、最後に書いたのが2012の12月だってよ。サボり過ぎ。

この企画は文字通り、時代に埋もれてしまったかに見える人々に焦点を当てた記事。温故知新と勘違いされやすいが本人には全然そんな気なくて、今でも覚えてる昔を昔のまま書いてゆこうという、ただそれだけ。
何度かこのシリーズ読めばわかるだろうが、過去にあった音楽(主に70年代パンクから80年代ニュー・ウェイブ) についていいかげんにコメントするだけという安易なものだ。

さて、その手の記事に出来そうな音楽ジャンルもそろそろ見当たらなくなったから、あまり面白いものじゃないけど今日はギター・ポップについてでも語ってみようか。

そんな音楽ジャンルが正式にあるのかどうかさえ疑わしいが、80年代ニュー・ウェイブの中でギターを主体としたシンプルなポップの事をそういう風に言い表すのだとROCKHURRAHならずとも想像出来るだろう。
そういう音楽はパンクやニュー・ウェイブ登場以前からもずっとあったんだろうが、人々がギター・ポップやネオアコなどと言い出した時代は1980年代初頭の頃。たぶんオレンジ・ジュースやジョセフK、アズテック・カメラなどのスコティッシュ系バンドがデビューしたあたりが起源とされている。何か「そんな」とか「そういう」という表現がやたら多いな。
パンクの時代のバズコックスやサブウェイ・セクトとかもギター・ポップの元祖的な音は出していたな。
実際のジャンルなんてどうだっていいんだが、いつもは脅迫的ノイズを出してるようなバンドがたまたまやったポップな名曲とかも広義のギター・ポップと言えなくはない。しかし今回はなるべく発表した曲の多くがギター・ポップに属すると思われるようなバンドばかりをピックアップしてみたよ。

Espresso / The Monochrome Set

70年代パンク・バンドが続々と2ndアルバムを出してた頃の78年には既に存在していたというモノクローム・セット、この手のギター・ポップの直接の元祖的存在はやはり彼らで決まりだろう。ここのヴォーカルはなぜだかインド系混血のBidという男。確かにエキゾティックな顔立ちだしインド人風にターバンをしている写真も見かけた事あったな。

彼らの1stアルバム「Strange Boutique」は渋い銀色に包まれたジャケットで海に向かってダイブしているモノクロ写真が印象的だった。ROCKHURRAHもどんな音楽か全然知らずにジャケット買いをしたんだが、それまで聴いてきたパンクや初期のニュー・ウェイブとは明らかに違ったキレの良いギター・サウンドが心地良い名盤。
いかにもニュー・ウェイブ初期のアートっぽいジャケットと音楽とのギャップが随分あり、「こんな音楽もニュー・ウェイブの一種なんだ?」と驚いた事を思い出す。どこかラテン風の音楽にあまり抑揚のないBidの声が妙にマッチしていて明るいのか暗いのかよくわからない。
確かにストレンジな音世界だな。

映像もあったんだけどひたすらに動かず表情もほとんど変えない淡々としたライブ、これでいいのか?と思えるほどサービス精神のないステージに唖然としたよ。今回選んだ曲は映像動いてないけど動いてるのと比べても大差ないからこっちにした。1st収録の名曲ですな。後のギター・ポップに影響を与えたかどうかは不明だけど、その先駆けとなった事は確か。

Never Understand / The Jesus And Mary Chain

80年代半ばのニュー・ウェイブ好き人間に大人気だったバンドがこのジーザス&メリーチェインだ。
全体的に黒っぽいスリムな服装(時々チェック・シャツ)にふわふわの前髪、この時代の少女マンガから出てきたような理想の少年っぽいルックスは特に女の子に大人気だったな。中心の2人はジムとウィリアムのリード兄弟だが、後にプライマル・スクリームで大成するボビー君もここの出身。

そういうチャラチャラした見た目とは裏腹に彼らは音楽界にちょっとした発明をもたらした。
ギターをアンプに近づけた時に発するフィードバック奏法というのがある。70年代のロックではジミ・ヘンドリックスなどによって広く知られていたが、これはあくまでステージ上でノッた時のノイズによるトランスというような意味合いで、このフィードバックが延々と続いた後ではもはやギターを壊すか燃やすというのが黄金パターン。
そうでもしない事にはそのカオスを収束出来ないという状態かも知れない。ロックの世界では効果音の域を出なかったものだ。

しかしこのバンドはそのフィードバックを多用してノイズではなくポップな音楽にこれを応用した。この曲「Never Understand」もギターは延々とフィードバック状態なのに曲は甘くてポップという珍しい世界。
発明というほどの大した事じゃないと考える人も多かろうが、これを聴いて「やられた、この手があったか」と思ったギタリストも数多くいたはず。
客席に背を向けて短時間で終わってしまうというライブ・パフォーマンスもつっけんどんだし、怒った観客の暴動の様子を録音して、レコードにしてしまうというのもちょっと現代アートとかでありそうな行為。

ギター・ポップという言葉から感じる「爽やかで等身大のポップ」というイメージとはちょっと違うが、これ以外の曲はとにかく甘いシンプルな曲が多く、やはりひとつの代表的な存在だとは思う。
その辺を強調し過ぎてどれも似たり寄ったりのワンパターン化して飽きられたが、手法としてはなかなか興味深いバンドだったな。

Crawl Babies / The Pastels

ネオアコ、ギター・ポップの初期はロンドンではなくてスコットランドのポストカード・レコード(レーベル)がシーンを盛り上げたのは誰もが言うところ。御三家は先にも書いたオレンジ・ジュース、ジョセフK、アズテック・カメラなんだが、彼らのヒットによってパンクやニュー・ウェイブの暗くて退廃的なイメージからもっと日の当たる健康志向の音楽にも人々が目を向けるようになったわけだ。

そんなスコットランドのエジンバラやグラスゴーでは80年代半ばからギター・ポップの中心となるようなバンドたちが続々と登場した。
80年代初期のネオ・サイケが流行った頃にマンチェスターやリヴァプールが音楽の産地となった時と似ているね。
どんなバンドたちがグラスゴーから登場したかを書いてると長くなるから省略するが、このパステルズなどはその代表的なもの。とは書いたものの1982年にデビューして以来、通常の音楽ビジネスでは考えられないくらいのスローペースで活動した零細バンド、とても代表的な行動などはしてないはず。1stアルバムを出すまでに何と5年もかかってるよ。それでも見放されない、いいなあ。

実際のところは全然知らないが、レコード屋勤務の若者が多少しっかりしたガールフレンドなどに支えられて何とか音楽を作ってる、というような印象をどうしても持ってしまう。それでもこのバンドのリーダー、スティーブン・パステルはある意味でのカリスマと言える存在らしい。

演奏もヴォーカルもよぼよぼで脱力感満載の代物。パステルズが始めたのかは知らないがこういう音楽を好む者達が着用してたのがアノラックというプルオーバー型のマウンテンパーカーみたいな代物。それでこういう傾向の音楽をアノラック系と言うようになったらしい。
こんなによぼよぼで下手でも音楽を作ってリリース出来るという事実が下手の横好き達に衝撃を与えたのか、その後パステルズに影響を受けたバンドが続々と登場して、そのおかげで「代表的」になってしまったわけだ。

とにかく脱力したゆるい音楽によって癒やされたいという人にとってはピッタリの音楽かも知れないね。しかし下手なだけでセンスもなければ良い音楽は作れないという事もわからなかった勘違いアノラック・バンドも多かったに違いない。こういう系列が一同に集まった音楽イベントとかあったら苦痛だろうな。

Every Conversation / The June Brides

あまり知られてないが、こちらもまた脱力系ギター・ポップの重鎮、ジューン・ブライズだ。1983年から86年くらいのごく短い期間に活動してリリースした音源も少ないし、ベスト盤とかも出てなくはないがどこの店でも置いてるという代物ではなさそう。要するに今回紹介した中では最もマイナーなバンドということね。

80年代初期のジョセフKについてはこちらの記事でも書いてるが、ジューン・ブライズほど彼らの影響を受けたバンドは他にいないだろう。
しかもその本家のファンが「ジョセフKにはもっとこうあって欲しい」と願った理想型のような音楽をジューン・ブライズは展開していた。個人的にはこっちの方が完成度は高いよ、と思えるほど。

メンバーもバンドっぽいところがあまり感じられない地味な見た目、ライブも内輪のノリといった学生バンド風の等身大なもの。要するに軽音サークルっぽい感じなんだろうな。
ポーグスのメンバーがいた事で知られる70年代パンク・バンド、ラジエーターズの「Enemies」とかもカヴァーでやってるけど、トランペットの素人っぽい響きが心地良いこの「Every Conversation」が一番名曲だと思う。途中の「ナナナ ナナナ ナ~ナ」という意味不明のコーラスも良いねえ。

このバンド、勘違いじゃなければ確か所属していたレーベルが2度も倒産して次の所属先を見つけられないまま解散したように記憶してる。やってる音楽もそんなにヒットを狙える類いでもないし、かなり不運のバンドだと言えるな。ROCKHURRAHも過去に所属していた店が3度も倒産しているが、それでも身を持ち崩さずに生きているから良かった良かった。

というわけで今回もたった4つしか書けなかったけど、まだ続きはありそうだね?次はいつになるかわからない脱力系のROCKHURRAHだが、またいつか会いましょう。

SNAKEPIPE MUSEUM #26 Carla Trujillo

【Carla Trujilloとは関係ないけどROCKHURRAH編集によるオートマタ動画だよ!】

SNAKEPIPE WROTE:

人形と聞いてまず連想するのは、例えば江戸川乱歩の小説「人でなしの恋」である。
何かの代替品ではなく、完全に愛の対象として存在していた人形だ。
人形を恋愛対象にする小説を大正15年に発表していたなんて、さすが乱歩だよね!(笑)
この作品に近いのは湊かなえの「贖罪」にあったフランス人形かもしれないけど、乱歩ほどの純粋な変態性(?)は感じなかったなあ。
他にも押井守監督作品「イノセンス」で語られていた人間との区別がつかなくなった人形や、2013年3月に「野坂オートマタ美術館」で鑑賞した西洋からくり人形、そしてもちろんハンス・ベルメールの球体関節人形や四谷シモンの人形など、決して子供のままごと用ではない大人向けの人形も即座に脳裏に浮かぶ。
意外と人形を題材としたアートに関心を持っていることに気付くね。

今回のSNAKEPIPE MUSEUMは、コレクションしてみたい人形について書いてみようかな。
調べてみると、世界にはかなり多くの人形作家がいるんだね。
素朴な雰囲気のものから精巧なものまで、様々なタイプの人形が作られていることが判る。
そんな中、SNAKEPIPEの好みを探すのは難しかったな。
ファンタジー寄りだったり、アニメっぽいのは違うし。
秋葉原で見たようなラブドール系も違うし。
見た瞬間に「あ!」と思ったのが、アメリカの作家Carla Trujilloの作品だった。
この作家はいくつかHPを持っているようだけれど、自身についての詳しい説明はされていない。
オハイオ州シンシナティ在住の既婚女性で、ミクストメディア・アーティストというくらいしか判っていないんだよね。
作家のプロフィールはわからなくても、作品が気になったので紹介してみよう!


上の画像「Game Boy」が、最初に目に入った作品である。
顔はカワイイというよりは不気味で、どこかあらぬ方向を向いた怪しい目つき。
腕と手はバネでできていて、体も四角い箱でできている。
完全オリジナルのハンドメイドとのことなので、自作したパーツやアイテムを組み合わせて一体ずつ作っているようだ。
昔は大事に可愛がられていたのに、いつの間にか倉庫に置き去りにされた人形をリメイクしたようにも見えるね。
放置されていた時間の長さが、顔の汚れだったり、ちょっと拗ねたような雰囲気を醸しだしているのかもしれないな、と勝手に想像してしまう。
「僕はもう見捨てられた子なんだ」みたいな、ね。
実はCarla Trujilloの作品は販売されていて、この「Game Boy」は$180、日本円で約18,200円。
「GameBoy」は体長約26cmだって。
立たせることができるのかどうかも不明なんだけど、是非ともコレクションしてみたい作品だね!

次も不気味な顔立ちの作品である。
「Original Mixed Media Art Doll Coco」と書いてあったので、この子の名前はcocoちゃんみたいだよ。(笑)
cocoちゃんはとてもお洒落で、素敵なスカート穿いてネックレスして、飾りのついたトンガリ帽子までかぶっている。
それなのに何故か気分はブルーみたいだね?
うつろな目つきをして、頬も少しこけているみたい。
ずっと病院にいた患者が、外出を許可されたからお洒落してみたけど、実際には外に出るのが怖くてためらってるような感じかな?
えっ、SNAKEPIPEの考え過ぎ?(笑)
cocoちゃんのお値段は$240、日本円で約24,300円。
cocoちゃんの体長は43cmでちょっと大きめだね!
上の「GameBoy」と一緒に「あらぬ方向目つきコレクション」として、並べてみたいよね。

最後はこちら。
「MIxed Media Original – Lydia」と買いてあるので、Lydiaちゃんだね!
Lydiaちゃんもかなり個性的な顔立ち、びっくり眼で何かに驚いたまま、ずっと目を閉じないのかな。
Lydiaちゃんもとてもお洒落だけど、やっぱりどこかイっちゃってて、空想の中での食事会に出かけようとしているみたい。
手足が長いので長身に見えるけど、実際は34cmとのこと。
Lydiaちゃんは$160、日本円で16,200円。
3つ合わせて購入したら58,700円、SNAKEPIPEにも買えるかも!(笑)

人間の形を模した人型の人形は、何かしらの目的や意味を持って作られるものや愛玩用、観賞用と実に様々なタイプがある。
今回紹介したCarla Trujilloは、観賞用の人形作家ということで良いのかな。
顔があり、手足に相当するパーツが組み合わされると人形として認知してしまうことも改めて認識させてもらったなあ。
インダストリアルなパーツもどんどん使って、独自のスタイルで不気味な人形を作り続けて欲しいね!
Carla Trujilloは病んだ印象を持つ人形を多く作っている点が魅力的なんだよね。
天真爛漫で愛くるしい人形より惹かれてしまうのは、SNAKEPIPEの好みなんだろうね。
SNAKEPIPE MUSEUMでは人形作家についても調べていくつもり。
次はどんな作家に出会えるのか、今から楽しみだ。

ふたりのイエスタデイ chapter04 / 花見2014

【2014年の桜。SNAKEPIPE撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

毎年の恒例行事の1つがお花見である。
パンクだ、ロックだ、ミリタリーだ、と言いながらもこういう習慣を持つROCKHURRAH RECORDS、意外と風情を大切にしてるんだよね。(笑)
そして毎年どこにお花見に行こうか、弁当は何にしようか、などとルックスには似つかわしくない人並みの悩みを持っている。
ROCKHURRAHとSNAKEPIPEを知る人は、きっと驚くだろうね!

昨年のお花見は本当に寒かった、という印象しか残っていない。
ROCKHURRAHとSNAKEPIPEは、完全防備の冬支度で臨んだことを思い出す。
確か2人共、N3Bを着用し革パンを穿いていたっけ。
とてもゆっくりと桜を愛でる余裕はなくて、弁当を食べた後そそくさと逃げるように帰宅してしまった。
本当はその後に予定を立てていたけれど、あまりの寒さにギブアップしたんだよね。(笑)
とても辛い花見だったなあ。

その記憶が残っていたため、今年は近場の晴れたできるだけ気温の高い日が希望だったけれど、休みの関係で昨日になってしまった。
春は天気が不安定でやっぱりまだ寒いんだよね。
あんまり大げさにみえないようにしながらも実はたくさん着込んだので、寒さ対策は万全!
手軽に食べられる弁当を用意して、いざ出発だ。(笑)

SNAKEPIPEは、まるで山ガールのようなアウトドア系のファッション。
えっ?もうガールって年齢じゃない?(笑)
じゃあ最近は流行りものに「女」と付けるようなので、「山女」でどう?
ちなみに読み方は「やまおんな」じゃなくて「やまじょ」だよ! (笑)
そしてROCKHURRAHは、というと…。
今からライブ行くの?というほど、キメキメのファッション!(笑)
カッコ良いのは嬉しいけど、もしかしたらその服装で靴脱いで、青いビニールシートに座るんだよねー。
ビニールシートには似合わないだろう?(笑)
SNAKEPIPEは個人の意思を尊重するので、ビニールシートのビの字も言わなかった。
ところがROCKHURRAHからは
「その格好にしたんだ?もっとお洒落すれば良いのに」
と言われたSNAKEPIPE。
ガーン!ビニールシートには「山女」が妥当だよー!
そんなライブ系と山女が桜の咲く公園へと向かったのである。

今年は先週の月曜、火曜あたりの気温や天気が最も花見に適していたようだったね。
SNAKEPIPEは火曜日、勤務先近くの公園で昼休み中に桜を鑑賞。
この日は上着が要らないほどのポカポカ陽気、花見客も大勢いた。
その後週末にかけて強風が吹いたり、雨が降ったりと悪天候が続いたため、やっぱり行かれるのは昨日くらいのものか。
多少風があって寒くても、この日を逃したらもうチャンスはないという最後の日だね。
同じように思う人が多かったのか、目指した公園にも場所取りのシートが並んでいた。
少し早い時間に着いたためか、花見客はそこまで多くなかったのは良かったね。

公園内を散歩しながら今年の桜を撮影。
見上げて撮ることが多いので、どの年の桜も似た写真になってしまう。
少しでも違いを感じようとして、加工してみたのが上の画像。
今回この写真を使ったブログにしたのは、「一枚のレコード、または一枚の写真とかを選び、それについての思い出を語ってゆく」趣旨の「ふたりのイエスタデイ」にピッタリだから。
しかも写真撮ったの昨日だし!(笑)

空の青と桜のピンクの鮮やかなコントラストを区切るように桜の枝がにゅっと伸びている構図で、畠山直哉の「渋谷川」を彷彿とさせる出来栄えだね!(笑)
そして「ふたりのイエスタデイ」らしく、少し過去っぽくするため縁をぼかしてみた。
時間をおいて観たらきっと感慨深くなること間違いなし。
季節の風物詩シリーズも続けていくつもりだよ!

映画の殿 第07号 スペイン語トホホ映画

【「俺たちサボテンアミーゴ」の仲良し3人組!】

SNAKEPIPE WROTE:

昨年の夏よりずっと書き続けているスペイン映画への情熱は未だに冷めやらず、更に鑑賞できるだけの映画を探している状態である。
スペイン映画のみならず、スペイン語圏の映画を鑑賞することもある。
スペインをキーワードにすると、たまにそんなこともあるんだよね。
そして当然のように、完成度が高い映画ばかりではなく、「トホホ」と感じる映画に当たることもある。(笑)
今回はそんな「トホホ」映画を紹介してみたいと思う。

1本目はアメリカ映画でありながら、全編スペイン語で撮影された「俺たちサボテンアミーゴ」(原題:CASA DE MI PADRE 2012年)だ!
簡単にあらすじを書いてみようか。(webから引用)
メキシコの片田舎で父の牧場を手伝い、お気楽な人生を送っていたアルマンド。
しかし牧場の実態は火の車。
そんな一家の一大事に、ビジネスマンとして成功した弟ラウルが美しい婚約者ソニアを連れて帰ってきた。
しかし、ラウルは牧場の借金問題を解決するどころか麻薬ビジネスに手を出して窮地に追い込まれ、一方のアルマンドはあろうことかソニアと禁断の恋に落ちてしまう。

主人公アルマンドを演じるのが、ウィル・フェレル
日本での知名度は低いけれど、アメリカでは大人気のコメディアンとのこと。
なんと「アンチェインド・メロディ」などで有名なライチャス・ブラザースのキーボードだったリー・フェレルの息子だという。
正直言って、どうしてこの人が主役なんだろう?と疑問に感じながら鑑賞していたんだけど、有名人だと知って納得。
どうりで歌もうまかったはずだよね!

「俺たちサボテンアミーゴ」はスペイン語圏映画ではお馴染みのガエル・ガルシア・ベルナルが麻薬王として出演していて、それも鑑賞するきっかけの1つだった。
だけど、この映画での役どころはあまりガエル・ガルシア・ベルナルには似合っていなかったように思った。
白いスーツに白いウエスタンブーツを履いてキメてるファッションも似合ってなかったし、そもそも残忍な大物って雰囲気じゃないもんね?

どうして「俺たちサボテンアミーゴ」を鑑賞して「トホホ」と感じてしまったのか。
1:映画最初の頃と途中での2回、主人公アルマンドと牧場で働いている2人と共に軽口を叩くシーンがある。
大して面白くない会話なのに、3人は笑い合い、やめたかと思うとまた誰かが笑い出し、つられて他もまた笑いだす。
このシーンがかなり長い時間使用されてるんだよね!
なんだろう、この無駄に感じる時間は。
どんな意味があったのか聞いてみたいね。(笑)

2:2012年の映画にもかかわらず、作り物であるのがバレバレなセットのオンパレード。
引いたカメラで撮影された街の風景は、カクカクに動くオモチャの車が走るジオラマのセットが使用されていた。
「母との思い出が残る神聖な場所」とされていた池なども完全なセット。
アルマンドを導く聖なる存在である白い豹は、ぬいぐるみ!(笑)
どうやら70年代メキシコでのソープオペラを意識して作られた映画のようなので、「わざと」だと思うけど、そのあまりのチャチさに笑ってしまう。
「わざと」やるほうが逆に難しいように思うけどね?
もし本当に狙ってやっていたなら、拍手だよ!(笑)

「俺たちサボテンアミーゴ」での救いは、ヒロインであるソニアを演じたジェネシス・ロドリゲスがキレイだったことかな。
母親はモデルで父親は俳優兼歌手だというから、美貌や才能を受け継いだんだね!
エキゾチックな美女がお好みの方にはお勧めだよ!(笑)

「俺たちサボテンアミーゴ」はコメディ映画だと思っていたのに、後半になってくるとハードなアクションが増えてくる。
それまでは「うすのろ」扱いをされていた主人公アルマンドが、好きな女のため、母の復讐のために目の覚めるような活躍をするのだ。
急に変貌するアルマンドには驚かされるし、意外性もあるので注目する点かな!(笑)

後で調べてみるとウィル・フェレルは「俺たち〜」というタイトルの映画にたくさん出演しているみたいで、他の作品も気になるところだ。
きっとまた「トホホ」に出会えるに違いない。(笑)

続いての作品は我らがカルロス・アレセス目当てで鑑賞した「人狼村 史上最悪の田舎」(原題:LOBOS DE ARGA 2011年)である。
こちらは「『パンズ・ラビリンス』のスタッフが集結!」なんて宣伝文句が踊るスペイン映画である。
文章にはB級ホラーとも書いてあったので、最初から「トホホ」だと知っていて鑑賞していたんだけどね。
それにしてもここまでとは…。(笑)
また簡単なあらすじを書いてみようね。(webから引用)

青年作家のトーマスは、新作小説を執筆するために長年戻らなかった故郷を訪れる。
旧友との再会に喜び、懐かしい思い出にひたるトーマスだが、幼いころの恐怖であった呪いが未だに村内のタブーとなっていることを知る。
それは、生け贄を献じることで村人全員が狼人間になることを逃れられるという、恐ろしい伝説 だった。
呪いを解くために生け贄にされたトーマスは、村人により穴に落とされてしまうのだった…。

恐怖、呪い、タブー、生贄、狼人間と「いかにも」な単語が並んでるよね!
そう、設定やら物語の進行は「いかにも」だから、度肝を抜かれるとか斬新ということはない。
珍しかったことといえば、ゴルカ・オチョア演じる主人公トーマスが生贄にされるくらいなら、と指を切断されるところ。
そしてその指をにんにくとパセリで炒める幼なじみであるカリスト役のカルロス・アレセス!
更にその指炒め(?)を飼い犬がくわえて走ってしまうシーンは、まるでデヴィッド・リンチ監督の「ワイルド・アット・ハート」のパクリみたいだよ。(笑)

主人公トーマスが指を提供したのにもかかわらず、呪いは解けなかった。
村人たちはウウウッと唸ったり叫んだりしながら、次々に狼人間に変身してしまう。
そして変身後の姿が左の写真!
どお、これ?
狼人間というよりは、 「スター・ウォーズ」のチューバッカか、もしくは東宝の特撮映画「サンダ対ガイラ」(古い!)みたいなんだよね。(笑)
実はSNAKEPIPE、チューバッカは大好きなので、似た雰囲気の狼人間が怖くなかったし、実際狼人間弱かったし!

噛まれることで感染して、狼人間になってしまうのはゾンビやら最近流行りのウイルス系パニック映画に共通している設定だよね。
この設定を最初に採用したジョージ・A・ロメロはやっぱりすごいな!
ゾンビ」(原題:Dawn of the Dead  1978年)は36年前、「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」(原題:Night of the Living Dead 1968年)に至っては46年前だからね!
そんなに昔からの伝統(?)が現在まで生き残っていて、それが恐怖とされていることを知ると、原型を作ったロメロの偉大さが良く解るよね。

「人狼村 史上最悪の田舎」鑑賞目的だったカルロス・アレセスは、今回主役ではなく、主人公の幼なじみという役どころ。
着ていたセーターも含めて田舎っぺ役はピッタリだったね。
カルロス・アレセスらしい特徴はあまり見受けられなかったし、自慢のヌードも披露されなかった。(笑)
それでも、もちろんファンだったら鑑賞しないとね!

「人狼村 史上最悪の田舎」で印象に残っているのは冒頭、村の呪いについて解説するシーン。
この劇画調の紙芝居形式が大人向けのエロチックなもので、なかなか面白かったな!
ラストシーンは思わせぶりだったけど、「人狼村2」はないよね?
もし製作されたら一応観てみようかな。(笑)

今回は「トホホ」な映画について書いたつもりが、結局「着ぐるみ」系映画紹介になってしまった!
こんな書き方をしているから誤解されてしまうかもしれないけど、「トホホ」な映画もSNAKEPIPEは大好きなんだよね!
また「トホホ」映画特集もしていきたいな!(笑)