がっちりBUYましょう!vol.3 引越し作業中発掘編

【家ごと引越すとはさすがアメリカ!こんなだったら楽でいいなあ。】

SNAKEPIPE WROTE:

先週ROCKHURRAHが「告知」として書いていたように、現在ROCKHURRAHとSNAKEPIPEは引越し作業に追われているところである。
なんでこんなにあるの!って嫌になるくらいの物であふれ返っている状態。
山積みダンボールに囲まれて、毎日のように大量のゴミを出している。
だったら買わなきゃいいのにね?(笑)
それでも好みの物があるとつい購買意欲が掻き立てられてしまう。
買ったら捨てること、なんて整理整頓の達人の言葉があったけど、なかなかうまくいかないのが人情だよね。
今日はそんな引越し作業中に出てきた「とっておきのお宝」についてご紹介しよう。
「なんでそんなのがお宝なの?」と言われてしまうかもしれないけど、本人にとって大事な物ということで許してね!

まずはSNAKEPIPEの自慢の逸品から。
このビデオテープはSNAKEPIPEが尊敬する映画監督、デヴィッド・リンチに手による歌姫ジュリー・クルーズのミュージックビデオである。
ジュリー・クルーズはツインピークスでもロードハウスで歌ってたね。
このビデオは「インダストリアル・シンフォニーNO.1」というタイトルからしてインダストリアル好きのSNAKEPIPEにはグッと来るんだよね。
NO.1だったから続きがあるのかと期待していたけれど、この1作品だけで終わっていた。(笑)
このビデオの発売が1991年とのことで、今からなんと20年前!!!
ぎゃー、また昔の思い出を語ってるわい。
ということで残念ながら内容については、ジュリー・クルーズが天使のような服装で上から吊り下がって歌ってたことくらいしか覚えていない。
また観たいと思ってもビデオデッキがないし。
ビデオはアメリカのamozonでは手に入るみたいで、中古なら400円程度とのこと。(とほほ)
いや、値段じゃなくてやっぱりファンなら例え観られなくても手放せない作品だよね。
DVDはどうやらイタリア版で手に入るみたいだけど、イタリア字幕じゃ余計に分からないよね。(笑)
日本版は出してくれないのかなあ?
SNAKEPIPEのお宝は1点だけなので、これから先はROCKHURRAHに語ってもらいましょ。

ROCKHURRAH WROTE:

というわけで続きを書くハメになってしまった。先週ネタがない&引越し作業で大忙しという状況で無理して書いたばかりなのに、トホホ。

ROCKHURRAHが引越し作業の中で見つけたのはあまり面白い話題ではないかも知れないけど、古本の類い。珍しいかどうかは退役古本屋のROCKHURRAHにはよくわからないが、自分にとっては有意義なもので充分お宝だと思える。では中から変なところで共通点がある三点をピックアップしてみよう。

怪傑蜃気楼+女戦士セアラ/谷弘児
大谷弘行、陰溝蝿児というペンネームでも知られる漫画家&イラストレーター。70年代〜80年代に月刊ガロ誌を中心に活躍していた。 劇画とアメリカン・コミックのダイナミックなペンタッチ、そして江戸川乱歩の通俗スリラー小説(具体的には明智小五郎シリー ズ)と50年代のB級SF、怪獣映画などの世界が全部一緒くたになった独特のナンセンス世界が素晴らしい傑作だと言える。復刻も出て るようだけど、これは桜井昌一(辰巳ヨシヒロの 兄)が出していた桜井文庫というところからのもの。水木しげる作品を主に出版していたマイナー出版社だが、いかにも昔の貸本といった風情の装丁が これまたノスタルジックだな。

新岩窟王/谷譲次
上の谷弘児と単純に名前が似ているというだけでなく、これまた複数のペンネームを使い分けていたという共通点を持つ器用な人気作家だ。長谷川海太郎という役者のような本名なんだが、牧逸馬の名前で犯罪小説、怪奇実話などを書いていて、林不忘の名前で大ヒット時代劇「丹下左膳」を産み出して、谷譲次名義では「めりけんじゃっぷ」という人気シリーズを持っていた。1920年代の売れっ子作家だったわけだ。「新岩窟王」はデュマの「岩窟王」を下敷きにしながらも、登場人物を日本人にしてよりわかりやすく現代的(あくまでこの当時の現代だが)にした翻案小説だ。何と70年以上昔の小説なんだが、スピーディで言い回しもうまく、今読んでもあまり古臭さは感じない。会話の軽妙さは何となく国枝史郎を思わせるな。この本が現在 珍しいかどうかは不明だが、教養文庫版の初版第1刷で比較的きれいな状態で出てきたのが嬉しい。ヒマが出来たら再読してみるか。

肌色の月/久生十蘭
「新岩窟王」は連載中に谷譲次が亡くなったため、別の作家が引き継いで完結したという作品だが、この「肌色の月」も久生十蘭の遺作であり、結末を(作家ではない)奥さんが代筆した事でファンにとっては有名な作品だ。久生十蘭と言えば昭和初期の大衆文壇きっての名文家であり ROCKHURRAHも大好きな作家(ちなみにフェイバリットは「海豹島」と「魔都」)なんだが、考えた文章を奥さんに清書させるという、いわゆる口述筆記による文体のリズムを重んじた人だ。だから本作は結末になるととたんに十蘭っぽい文章でなくなるとか、色々な評もあるんだが、それでも個人的には心に残る作品で地味だけど好きと言える。涙なくして読めない奥さんのあとがきも必見。これは中公文庫初版のもの。

以上、全然つながってないようで妙な共通項がある作品を偶然選んでしまった。
今回は引越し直前でてんやわんやの時。軽く書きなぐったようなぞんざいな文章で申し訳ない。

SNAKEPIPE WROTE:

ということで今回は二人の共著になってしまったよ。
本当はSNAKEPIPE一人で書く予定だったんだけど、お宝がほとんどなかったので仕方あるまい。(笑)
来週は引越し本番になってしまうためブログはお休み。
また最来週には新居からお届け出来る予定!
無事に引越し完了すればいいな。

SNAKEPIPE MUSEUM #10 Katherine Westerhout

【最近では珍しく一目惚れした写真。よだれダラダラ~!】

SNAKEPIPE WROTE:

自分の記憶を辿って印象に残っている「あの一枚」を紹介してきたSNAKEPIPE MUSEUMだけれど、今回はふと目にした写真をコレクションに加えたい。
観た瞬間に「欲しい!」と思い、「こんな場所に行かれてズルイ!」と歯ぎしりまでする始末。(笑)
それが上の、大好きなジャンルである廃墟写真。
この色合い、光の入り方、崩れ落ちている天井、すべてバッチグー!
自分だけ撮影するなんて悔しいとか、SNAKEPIPEもそこに行きたい、などという感情が伴う写真こそがまさしく琴線に触れた廃墟写真、ということになるんだよね。
さて、こんな素晴らしい一枚を撮影したのはどんなお方なんでしょ?

調べてみるとKatherine Westerhoutという女流写真家のよう。
初めてカメラを手にしたのは6歳か7歳というから早熟なお子様だったようで。
1975年サンフランシスコ州立大学で芸術の学位を取得。
1990年代後半から個展を開催しているらしい。
去年の個展情報も載ってたから、現在も活動中みたい。
キャサリンご本人の情報についてはこれくらいしか得られないんだよねー。
写真で拝見すると初老の女性のように見えるんだけど、おいくつなのかしら?
もしご年配の女性で、こんな写真を撮ってるのだとしたら益々憧れちゃう!
最近気付いたんだけど、SNAKEPIPEって自分より年上の素敵な女性が好きみたいなんだよね。
で、当然ながら自分が年を取ってくると、更にご年配の女性に目が行くみたい。(笑)
日本では残念ながら、目標にしたい年上の女性が少なくてねえ。
こういう外国人女性にめぐり合うと元気になるよね!
いいぞ!キャサリン!GO!GO!キャサリン!(笑)

キャサリンのHPには惜しげもなく、アメリカの廃墟写真がいっぱい載っている。
う~ん、どれも色合い、構図、崩れ具合文句なし!
SNAKEPIPEお気に入りの畠山直哉の雰囲気に似て、静謐で崩壊の美を感じさせてくれる写真群。
「解るっ!解るわよっ!」
と握りこぶし作って独り言を言いながら鑑賞するSNAKEPIPE。
ほとんどの写真が2000年代の物なんだけど、アメリカは広いから廃工場とか廃病院とかいっぱいあるんだろうなー!
羨ましい環境ですな!
まだまだ知らない好きなタイプの写真家がいることも分かって大満足。
写真集あったら絶対買おう!(笑)

CULT映画ア・ラ・カルト!【09】黒蜥蜴

【SNAKEPIPEオリジナル黒蜥蜴ポスターを切り貼りで作ってみたよ!】

SNAKEPIPE WROTE:

ひと月に何本もの新作映画が封切られ、それに合わせてDVD化されているため仕方がないのかもしれないけれど、
「あの映画をもう一度観たい」
と切望しても叶わぬことが多い。
古い映画はどんどん新しい映画に入れ替わってしまうようだ。
DVDが出る前のビデオ時代の作品になると尚更である。
もしかしたらSNAKEPIPEがややマイナー作品を好む傾向があるせいかもしれない。
残念なことにメジャーから外れた作品はDVD化されず、排除されてしまうようである。

今回ご紹介する1968年深作欣二監督の「黒蜥蜴」もそんな映画の中の一本。
随分昔にビデオで観た記憶があり、もう一度鑑賞したかった作品なのである。
ROCKHURRAHが苦労して手に入れてくれたおかげで、再び観ることができた。
ありがとうROCKHURRAH!と涙を流して喜んだSNAKEPIPEである。(←本当?)

「黒蜥蜴」とはご存知の方も多いと思うけれど、我らが江戸川乱歩先生原作の推理小説である。
その小説を元にした戯曲が書かれ、舞台化や映画化が何度もされているらしい。
戯曲で有名なのが三島由紀夫の作品とのこと。(未読)
今回の深作欣二監督版の映画も三島版の戯曲を元に作られているようだ。
「黒蜥蜴」のあらすじは簡単に言うと、宝石泥棒の女と明智小五郎との対決である。
「黒蜥蜴」とは宝石泥棒の女が使っている、怪盗ルパンやキャッツアイなんかと同じような感じのペンネームだね。
見所は好敵手としての明智と黒蜥蜴の駆け引きや、ちょっと恋愛要素が入るあたり?(笑)
明智小五郎シリーズで恋愛問題が語られることは非常に稀だと思うので、この作品は珍しいんじゃないかな。

今回明智小五郎を演じたのは木村功
「美女シリーズ」で天知茂版明智小五郎に見慣れているSNAKEPIPEにはかなり物足りない配役。
印象が薄いし、セリフも聞き取り辛いんだよね。
そして黒蜥蜴役は美輪明宏(当時は丸山明宏)!
美輪明宏は舞台の「黒蜥蜴」も有名だけど、映画版も存在するんだよね。
これが本当にハマリ役。
恐らく美輪明宏版を観てしまったら、他の配役が考えられなくなるように思う。
気高く美しく、欲しい物は絶対に手に入れる強い意志と知恵を持つ。
ヨーロッパのマダムを思わせる、妖艶で少し残酷な黒蜥蜴。
日本人女性ではなかなか難しい役柄だよね。
「貞淑で従順」というのが日本女性の姿だろうから。
えっ、今は違う?(笑)
そんな強さと美貌を兼ね備えた妖しげな黒蜥蜴とぴったりマッチしている美輪明宏。
惚れ惚れしちゃうよ、ほんと!(笑)

映画の中で感心しながらも笑ってしまったのは黒蜥蜴一味の暗号。
通常ならば「山、川」くらいだろうけど、さすがに三島由紀夫の戯曲が元ではそういうわけにいかないんだな。
【暗号1】
女:美しい空は夕焼けで紫色になりました。
  猿達は牛の背中に蝋燭を飾り、朱肉のような吐息を漏らします。
男:山の中で人が燃え、人の中で海が燃える。
【暗号2】
女:黄色い獅子!黄色い獅子!夜の髭と朝の尻尾の…。
男:柘榴の帽子が硝子のように粉々になった。

いやはや、暗号とは言っても非常に詩的でしかも長い!
覚えるのも大変だろうね、これ!(笑)
紫色と黄色、という色が入っているところと動物の組み合わせが特徴か。
こういう点からも女賊・黒蜥蜴がエレガントで美的である、と言いたいんだろうね。
美輪明宏の有名な自叙伝も「紫の履歴書」で、やっぱり紫色だしね。(笑)
ちなみに江戸川乱歩の原作ではどうだったのかを読み返してみたけれど、黒蜥蜴一味が暗号を言い合う場面は登場していなかった。
三島由紀夫の創作なんだね。(笑)


深作欣二版「黒蜥蜴」の目玉は、前述したような美輪明宏の魅力と共に、戯曲を手がけた三島由紀夫本人の出演だろう。
黒蜥蜴の「人間コレクション」の中の一体として登場する三島由紀夫。
この「人間コレクション」は「美しい人間をそのままの状態で保持したい」という黒蜥蜴の願いにより人間剥製が展示されている。
三島由紀夫はケンカで刺され、ナイフが腹に埋まったまま剥製化されている設定。
それで上のような顔になっているんだよね。(笑)
肉体美を褒められ、更に美輪明宏から接吻を受ける役どころ。
自分のためにこのシーンを戯曲に加えるとはね!(笑)

「黒蜥蜴」の他のバージョンでは、黒蜥蜴役を小川眞由美が演じた「美女シリーズ版黒蜥蜴」、サブタイトルは「悪魔のような美女」を観たことがある。
明智小五郎は天知茂なので言うことナスだけど、やっぱり小川眞由美では黒蜥蜴の気高さが表現し切れてないように思った。
本当はできれば明智を天知茂、黒蜥蜴を美輪明宏で映画化して欲しかったなあ!
舞台では共演があったようだけど、残念ながら今となってはもう観ることができないからね。

京マチ子が黒蜥蜴を演じた「ミュージカル版黒蜥蜴(1962年)」が存在するようだけど、こちらは残念ながら未鑑賞。
京マチ子だったらイイ線いってるんじゃないかな?
いつの日か鑑賞したいものである。
岩下志麻が黒蜥蜴を演じたテレビドラマ版もあるらしい。
この時の明智小五郎はなんと伊武雅刀だって!
かなりハチャメチャみたいだから、これも観てみたいね。(笑)

深作欣二監督は翌年の1969年、再び美輪明宏を主演にした「黒薔薇の館」という作品を手がけているようだ。
現在手に入れられるのはVHSビデオのみ。
お値段なんと15000円也!(笑)
こちらもいつの日か鑑賞してみたいね。
またROCKHURRAHにお願いしてみようかな。(笑)

好き好きアーツ!#10 Fernando Meirelles

【3作品のポスター】

SNAKEPIPE WROTE:

今回の好き好きアーツはブラジルの映画監督、フェルナンド・メイレレスについて特集してみたいと思う。
アメリカやヨーロッパの映画には馴染みがあるけれど、南米の映画監督で即答できるのはアレハンドロ・ホドロフスキくらいだろうか。
アジアの監督についても有名人くらいしか知らないし。
意外と範囲が狭いSNAKEPIPEなんだね。(笑)

簡単にフェルナンド・メイレレスについてご紹介。
フェルナンド・メイレレスは1955年サンパウロ生まれ。
消化器病学者の父と一緒にアジアや北アメリカなどに赴き、様々な文化や土地に触れる。
12歳の時にプレゼントされたムービー・カメラで映画を撮り始める。
サンパウロ大学で建築を学んだ後、テレビ局で働き、CMディレクターになる。
1997年にパウロ・リンスの本を読み、映画化する。

ということで、メイレレスはずっとテレビの広告業界にいたみたい。
映画監督としては2002年がデビューだけど、ずっと映像の仕事をしてたんだね。
これを知ってなるほど、と納得。
その頃の経験がメイレレスの映画の特徴になっているように思えるからね。
メイレレスは今まで3本の映画を監督している。
順番にまとめてみようか。
※ネタバレの部分があるかもしれないので、未見の方は気を付けて下さい。


メイレレス監督の処女作は「シティ・オブ・ゴッド」(原題:Cidade de Deus 2002年)。
前述したパウロ・リンス原作の同名小説の映画化で、リオ・デ・ジャネイロのストリートチルドレン達の実話を基に描いた作品である。
映画の印象としてはデニス・ホッパーが監督した「カラーズ」(1988年)や2pacが出演していた「ジュース」(1992年)の雰囲気に近いかな。
スラム街で生まれた子供が成功するためには悪事に手を染めるしか方法がない、という物語。
盗む、騙す、脅す、殺しても奪う。
しくじったら自分が殺されるだけの短い人生。
本当だったら小学校に通うような年齢の子供が銃を手にする。
麻薬に手を出し荒稼ぎをする。
縄張り争い、仲間割れ、殺し合い、と権力を手中に収めた後も抗争は続く。
また新たな子供達が同じことを繰り返し、その歴史は絶えることがない。

「シティ・オブ・ゴッド」が単なるギャング系の映画ではないユニークな点は、そうしたギャング達だけに目を向けたのではなく、フォトジャーナリストを目指していた子供(ブスカペ)が主役になっているところである。
子供の頃に殺された少年を撮影している場面に出会い、それ以来カメラの虜になってしまうブスカペ。
新聞社に入り下働きをするブスカペにチャンスが訪れる。
ブスカペが撮影したギャング達の集合写真が新聞の一面に採用されるのだ。
観ていてとても誇らしい気分になり、嬉しくなってしまった。(笑)
自分の撮影した写真が認められたような感じがしたからね!
最後にブスカペは感情を殺し冷酷な目で、殺害現場の撮影を続ける。
ブスカペもプロのフォトジャーナリストになったのかな、と考えさせられるシーンだった。

この映画がメイレレス監督の処女作だけれど、元CMディレクターという経歴の持ち主だけあって、スピード感のあるカットやストップモーションが新鮮だった。
CM制作って短い時間の中で鑑賞者に商品の説明をして購買意欲を高める、という職業だもんね。
その技術が生かされていたせいか、映像がとても解り易くて観客に親切な映画なんだよね。(笑)
悲惨な話の中にもユーモアを感じることができたのも、もしかしたらこのカメラワークのおかげかもしれない。
制作費が少なくても、出演者に大物俳優が起用されていなくても、こんなにパワーのある映画ができると証明してくれる監督って素晴らしい!
ロバート・ロドリゲス監督の処女作を観た時と同じくらいの衝撃を受けてしまった。
メイレレス監督に興味が湧いたので、2作目も鑑賞することにする。


2作目の「ナイロビの蜂」(原題:The Constant Gardener 2005年)はイギリス人作家ジョン・ル・カレの同名小説の映画化である。
黒人男性と白人女性が恐らく夫と思われる白人男性に見送られ、湖で車が横転するシーンから始まるこの映画。
誰がどういう状況で事故に遭遇したのかも分からない。
冒頭に映画途中の映像を持ってくるところは前述の「シティ・オブ・ゴッド」と同じ手法である。
一体あのシーンは何だろう、と考えながら鑑賞を進める。

どんな時でも自分が納得するまで物事を徹底的に追求する意志の強い女性、テッサ。
いくら個人主義が徹底している欧米諸国でも、テッサくらい正義漢丸出しで、はっきりさせないと気が済まない女性は珍しいのでは?
そのテッサに議論をふっかけられたことが元で知り合いになる主人公ジャスティン。
外交官であるジャスティンがナイロビに転勤になる時、まだ知り合って間もないテッサが「私も一緒に連れて行って欲しい」と頼む。
困惑するジャスティン。

場面はいきなり原色が鮮やかなケニアのナイロビになる。
妊娠中のテッサが映り、やっぱり一緒にナイロビに行ったんだなということが判る。
ジャスティンとテッサは結婚し、幸せな家庭を築いているように見える。
が、テッサ宛のメールを偶然見てしまったジャスティンは、テッサが自分の知らない何事かに関わっていることを知ってしまう。
スラムの医療施設を改善する救援活動を行っていたテッサは、2日の日程でナイロビからロキへ旅立つ。
ここでやっと冒頭のシーンになる。
一緒に活動をしている黒人医師アーノルドとテッサを、夫であるジャスティンが見送っていたことがようやく判る。
そして次に車が横転するシーン。
テッサは殺されていたのである。
一体テッサに何が起こったのか?
何故殺されなければいけなかったのか?
妻の死に疑惑を感じたジャスティンは、真相を究明するために調べ始める。
タイトルの「ナイロビの蜂」の意味もここで解るのである。
そこにはある巨大な陰謀が隠されていた…。

「知ったら殺される」という本当にありそうな話でとても怖かった。
どうして夫にだけでも真相を告げなかったのか、と何度も思ってしまったSNAKEPIPE。
夫にも危険が及ぶかもしれない、と考え何も言わなかったのかもしれないけれど、妻が殺害された理由に全く心当たりがない残された夫にとってはたまらないよね。
真相究明に奔走しているジャスティンが、亡き妻との楽しかった思い出を脳裏に蘇らせたり、妻の幻影と会話するシーンはせつなかった。
そしてあのラスト。
他に選択肢はなかったのだろうか?

「シティ・オブ・ゴッド」にもスラムが出てきたけれど、今回の「ナイロビの蜂」にも同じようにスラムの描写がある。
貧困で不衛生な環境なのにもかかわらず、子供たちは元気いっぱいに笑っている。
キラキラした子供たちのキレイな目。
メイレレス監督はスラムの描写が得意ね。
スラムの中で逞しく生きる人間を描きたいんだろうな。

アフリカの現状、夫婦の愛、製薬会社の陰謀などの要素が混ざり合い、「ナイロビの蜂」の映画ジャンルを特定することは難しい。
サスペンスでも、恋愛モノとして観てもいいと思うけれど、どの角度から鑑賞しても考えさせられる重厚な映画だと思う。


メイレレス監督の3作目は「ブラインドネス」(原題:Blindness 2008年)。
ポルトガルの作家ジョゼ・サラマーゴの小説「白の闇」を映画化した作品である。
こうしてみると、メイレレス監督は3作共小説を元に映画を作っているんだね。
どれも原作を読んでいないSNAKEPIPEなので、映画との相違やら表現についての言及ができないのが残念!

映画はある日本人男性が運転中に突然目が見えなくなるところから始まる。
視界に映るのは白一色だけの世界。
そしてその症状は診察をした眼科医、日本人男性の妻、運転席から男性を助けた通りすがりの人など日本人男性と関わった人々に次々と感染していく。
急激に増える感染者は施設に収容され隔離されてしまう。
感染者が増加しているのも関わらず、施設内にはビデオメッセージが流れるのみで介護の支援もなく、更に人数分の食料すら配給されなくなっている。
そんな時、感染者の中から施設内を支配しようとする男が現れる。
「王」を名乗る人物は食料を管理し、引換えに金品や女性を要求する。
服従するしかない他の感染者達。
しかしその独裁社会は長く続かず、反乱が起きる。
火が回った隔離病棟から逃げ出した感染者達は外の世界に向かうが…。

映画は3部構成になっている。
1:謎の失明疾患の感染が広がる様子
2:隔離病棟内部について
3:隔離病棟外の状況
それぞれのパートごとに恐怖が描かれているのだ。

第1部では、原因不明の失明に恐怖を感じた。
五感のどれを失っても困るけれど、SNAKEPIPEにとってはやっぱり視覚を失うことが一番怖いと思うからね。
急に見えなくなる、と想像しただけで心臓がバクバクするほど。
シャマラン監督の「ハプニング」やダニー・ボイル監督の「28日後」も同じように感染が広がっていく映画だったけれど、「ブラインドネス」は意識や感覚はそのまま残っているところが余計に性質が悪い。
失明を自覚し、受け入れて生きなくてはいけないからね。

第2部、隔離病棟のシーンで怖かったのは人間の欲。
独裁を始める「王」は支配欲、物欲、食欲、性欲とすべて「欲」が付く物を求める。
無法状態になった施設内で欲望の赴くまま行動する「王」とその仲間。
ルールのない世界ではこんな風になっちゃうんだ、と人間の卑しさを目の当たりにすることになる。
秩序や社会性を失い、本能を剥き出しにした悪知恵の働く動物になってるから手に負えないよね。
人が人として生きるとは、と考えさせられる。
隔離病棟内部の話は非常に不快だった。

第3部は隔離病棟から出た外の世界で遭遇する恐怖。
ネタがバレバレになるからここからはあまり書けないんだけどね。(笑)
スーパーマーケットの描写はまるでゾンビ映画!
ワラワラ、ヨタヨタと近寄ってくる人の群れ。
ここでも怖いのはやっぱり人間だった。
自分の生存のことしか考えない、エゴイズムしかない人間達。
ここも隔離病棟と同じ本能の世界になってたんだね。

メイレレス監督は、隔離病棟場面と最後の外の世界を得意のスラム的描写で見せた。
元々はスラムじゃないのに、スラム化しちゃった映像は非常にリアルだった。
人目を気にしなくなると、本当にあんな状態になりそうだもんね。
人から見られることを意識するのは大事なことなんだね。(笑)

「ブラインドネス」には配役の名前がなく、「最初に失明した男性」のような呼称しかないのがユニークだった。
メイレレス監督は「それまでの過去は重要ではなく、目が見えなくなるという状況下で、人物たちが現在進行形で体験することが重要」だったために役名を排除したとインタビューで答えている。
役名を指定しないことで匿名性が生まれ「誰にでも起こることですよ」と言われているような気もする。
この映画に日本人俳優が出演していて、時々日本語が使われていたので余計にそう思ったのかもしれない。
それにしてももう少し演技力のある俳優はいなかったのかな?
日本人俳優のキャスティングに少し不満を感じたSNAKEPIPEだった。

映画は何が原因で失明したのか、どうして眼科医の妻だけが感染しなかったのかなど不明のまま終わってしまう。
この映画にはいくつもの「何故?」「どうして?」が存在しているけれど、そういった謎を解明することが目的の映画ではない。
メイレレス監督は「何かしらの物事が引き金となって、人間が獣のような原始的な本性を露わにする」ことを描きたかったようだからね。

メイレレス監督の次回作は性道徳を問う問題作らしい。
きっとまた「人間の本性」について語られるんだろうな。
新作が待ち遠しいね!