空也上人と六波羅蜜寺 鑑賞

20220508 top
【五月晴れのもと、撮影した国立博物館本館】

SNAKEPIPE WROTE:

2022年4月に青山のスパイラルで「OKETA COLLECTION」を鑑賞した時のこと。
「良かったら使って!」
と手渡されたのが東京国立博物館で開催されている「空也上人と六波羅蜜寺」のチケットだった。
友人Mも知人から受け取ったらしく、日付が迫っているため鑑賞する機会がないとのこと。
ありがたく頂戴し、ROCKHURRAHと出かけることにしたのである。

かつて京都在住だったこともあるROCKHURRAHは、すでに六波羅蜜寺を訪問済。
そのため空也上人像も鑑賞しているという。
「六波羅蜜寺って小さい寺だったはずだけど」
遠い記憶を辿り、首をひねりながらROCKHURRAHが言う。
何故この時、 不可思議な表情を浮かべ、意味深な言葉を発したのか。
謎は近いうちに解き明かされるであろう。(大げさ)

せっかくなのでゴールデンウィーク中に出かけることに決め、天気が良い日を選んで上野へ。
かつてはミリタリー・グッズを求めて上野に馳せ参じていたROCKHURRAH RECORDSだったけれど、最近は少々趣向に変化が生じているかも。
前回上野に立ち寄ったのは2021年7月の「イサム・ノグチ 発見の道」なので、およそ1年ぶりのSNAKEPIPE。
ROCKHURRAHに至っては、2019年2月の「日本を変えた千の技術博」以来、約3年ぶりかも? (笑)

今回は招待券を手にしているため、通常行っているweb予約サイトでのチケット購入と時間指定をすることができず。
ひとまず会場に向かうことにしたのである。
国立博物館の前まで来ると、大行列が目に入る。
どうやら当日券を求める人の列のようで。
チケットがあり、入場の予約が必要な場合はどうしたら良いのかをインフォメーションで問い合わせる。
行列近くにいる係員に聞くように指示されたので、聞いてみると明確な答えがない!
大行列のほうにいる係員に再び聞いてみると、最後尾に並んで予約を取るように言われる。
国立博物館なのに、誘導するべき係員が正確な情報伝えられないのってどうなの?
チケット持っていても、結局は当日券組と同じ扱いになるのね。
30分ほど並んだところで10時半に入場できる予約券を入手。
若冲展ほどの混雑じゃなくて良かったよ。(笑)

10時半まで近くのベンチに座って時間を潰す。
5月晴れでも、風が強くて冷たい感じ。
少し体が冷えてきた頃、予約時間が迫ってきたので会場に向かう。
すると今度は会場前で大行列が!
何度も並ばされて、入場前からぐったりしちゃうね。

そしてようやく入場。
撮影は禁止だって。
会場入ってすぐに冒頭で書いたROCKHURRAHの「首をかしげる」意味が分かってしまった。
展示数が圧倒的に少ないのである。
ROCKHURRAHは、六波羅蜜寺は小さい寺なので展覧会を開催するほどの展示物があるんだろうか?と疑問に思ったらしい。
確かに、その予感は的中してるね。

そして展覧会の目玉である空也上人の像には人だかりが。
載せた画像よりも実際は薄暗く、人の頭の隙間から部分的に見えるにすぎない。
少しだけ待って近寄ってみても、一番肝心な口部分もよく分からない。
ROCKHURRAHから聞いていたけれど、空也上人の像は小さめだから尚更。
別の角度から見ると、影絵状態で口から出ている小さい物体が確認できた。
双眼鏡のような物で鑑賞している人がいたけれど、その方法が適してるかもね。

空也上人とは、平安時代中期の僧侶で、首から下げた鉦を叩きながら「南無阿弥陀仏」を唱えたと言われている。
その6文字を視覚化した「木造空也上人立像」が、今回展示されているんだよね。
東大寺金剛力士像などで有名な運慶の四男、康勝(こうしょう)の作。
言葉を立体で表すなんて、よく考えたよね!
想像を形にすることができる腕前もさすが。
こんなに不思議な木彫り彫刻が日本に存在していることに驚くよ。
他に類を観ない発想力に拍手だね!(笑)

他には中央に鎮座する薬師如来坐像、周りには四天王立像が並んでいる。
六波羅蜜寺ではどのように展示されているのか不明だけど、薄暗い空間の遠くに仏像などを見ることが多いように思う。
今回は間近で像を見ることができたので、足元まで詳細に観察することができたよ!
あれだけ並んで待ったのに、鑑賞時間はほんの10分程度。(笑)
ミュージアム・ショップでは「これでもか」というくらい空也をモチーフにしたグッズが並んでいたけれど、無理矢理な雰囲気が濃厚で笑ってしまったSNAKEPIPE。
目玉が空也しかないから仕方ないのかな。

これしか展示がなくて1,600円って高いよね?
ぶつくさ文句を言うSNAKEPIPEに、他の展示が観られることをROCKHURRAHが教えてくれる。
国立博物館には本館以外に平成館、東洋館など合計8つの館があるんだって。
今回のチケットでは「平常展」が観られるらしいけど、どこまでオッケーなのか分からないので本館の「日本美術の流れ」会場に行ってみる。
ここでは大好きな縄文土器などの展示から始まって、江戸時代までの美術・工芸品が鑑賞できるんだよね。
画像は縄文時代後期の「人形装飾付壺形土器」。
土器の色合いも素晴らしいし、人形(ひとがた)が人間っぽくないところに惹かれるよ。
やっぱり宇宙から誰か来てたに違いない、と想像させてくれる逸品だね!(笑)

仏教美術も興味がある分野なんだよね!
大きさのある曼荼羅図が複数展示されていて、熱心に鑑賞する。
十六羅漢の掛け軸などが並ぶ中、SNAKEPIPEがグッときたのは、画像の「阿字曼荼羅図」。
梵字が中央に描かれた斬新な構図で、日本画というよりはポスターっぽいんだよね。
グラフィックデザインというのか。
「密教では梵字の阿字を一切の言説・音声の根本として、更には一切仏法の根源として説きます。その阿字を本尊として向き合い、自分自身が物事の根源と一体化することをイメージする修行である阿字観に使われました。」(国立文化財機構所蔵品統合検索システムより)
全く読めなかったけれど、どうやら「阿吽」でいう「阿」の文字らしいね。
「阿字観」とは密教における瞑想法だとか。
その説明の中で「『蓮華』を描き、次に『月輪』を描き、その中に『阿字』を書いて軸装して目の前に掲げて、瞑想する」と書かれている。
SNAKEPIPEには珍しく見えたけれど、阿字観を実践していた当時の人々にとってはポピュラーな掛け軸だったのかもね?

江戸時代までやってきたよ!
ここで目を引いたのは「色絵桜樹図透鉢」という焼き物。
仁阿弥道八の作品だという。
器の内と外に桜が描かれ、ところどころに透かしが入ってるんだよね!
満開の桜が堪能できる作りになっていて、見事だよ。
素晴らしい出来にため息が出るほど。
こんな陶器を所持していたのは、誰なんだろうね?

江戸時代の着物にも目が釘付けだったよ。
和歌の文字を刺繍している「小袖 紫白染分縮緬地笠扇桜文字模様」。
あまり着物に詳しくないので、小袖というのがどういう時に着用するのか分からないんだよね。
艶やかで豪華な品だということは一目瞭然だよ!
江戸時代というのが、想像しているより遥かに進んだ文化だったことは、NHKの「浮世絵EDO-LIFE」などを通じて知ったけれど、女性が身に着けていた実物を見ると更に理解が深まるね。
男性が印籠を帯に引っ掛けるために使用した根付にも、驚くほどの高い技術力を見ることができたよ!

並び疲れてしまったこともあり、今回は「日本美術の流れ」だけを鑑賞して終了とした。
東洋館や法隆寺宝物館など、他にも面白そうな展示がたくさんあるので、また別の機会に訪れてみたいよ!

SF・冒険・レトロフューチャー 鑑賞

20220501 top
【昭和館の入り口にある看板を撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

2022年のお花見を千鳥ヶ淵公園に行った話は「Holidays In The 散歩 千鳥ヶ淵公園」として記事にしている。
その帰り道で見かけたのが昭和館のポスターだった。 
歩いている途中でROCKHURRAHが急に立ち止まったのだ。
「あれが気になる」
指を指した方向にあったのが「SF・冒険・レトロフューチャー×リメイク ~挿絵画家 椛島勝一と小松崎茂の世界」と書かれたポスターだった。 
5月まで開催していることを確認し、来館を予定する。
ROCKHURRAHから昭和館の話を持ち出されるまで、SNAKEPIPEはすっかり忘れてたんだけどね。(笑)
昭和の日を含む連休に、九段下に出かけることにしたのである。

ゴールデンウィークといえば、春を通り越して夏を感じる陽気が多いのに、今年は一体どうしたものか。
梅雨を思わせる雨の多さと湿度の高さだよね。
晴れた日を選んで出かけたけれど、風が強くて予想以上に寒い。
服装失敗したかも、と言いながら昭和館に向かう。
ここは九段下の駅から徒歩1分という素晴らしい立地なので、少し寒くても大丈夫だね!

昭和館に行くのは初めてのROCKHURRAH RECORDS。
ここは一体どんな場所なんだろう?

昭和館は、主に戦没者遺族をはじめとする国民が経験した戦中・戦後(昭和10年頃から昭和30年頃までをいいます)の国民生活上の労苦についての歴史的資料・情報を収集、保存、展示し、後世代の人々にその労苦を知る機会を提供する施設です。

靖国神社の遊就館と対を成すような館ということになるのかな。
常設展は有料で企画展は無料という、美術館などとは逆の料金形態も珍しい。
今回の目的であるレトロフューチャーは企画展なので、無料なんだよね!(笑)
早速中に入ってみよう。

入り口で来館者の名前と電話番号を書く。
常設展の鑑賞をする場合には自販機でチケットを購入し、それ以外の場合にはそのままエレベーターで目的のフロアに移動する。
係員の方が親切に案内してくれたので、迷わずに会場へ。
すべての撮影が禁止とは、非常に残念だけど仕方ないね。
中に入ると、予想以上に人が入っていて驚いたよ。
最初に展示されていたのは椛島勝一の作品だった。

1888年(明治21年)長崎県生まれの椛島勝一は、独学で細密画の技法を習得したという。
小さな画像で見ると、まるで写真と見紛うほどのスーパーリアリズムなんだよね!
載せたのは海野十三の小説「浮かぶ飛行島」の挿絵で、1938年の作品。
小説自体も面白そうなんだけど、この挿絵で更に臨場感がアップしただろうね。
船はもちろんのこと、波の表現にも驚いたよ。
「ペン画の神様」と呼ばれるのも納得!

山中峯太郎原作「亜細亜の曙」への挿絵。
1932年の作品で、小説は「少年倶楽部」に掲載されていたという。
大胆な構図で、空を表す空間の使い方が日本画的だなと感じるよ。
当時の少年たちは、小説も挿絵も、ずいぶん大人びた物を好んでいたんだね。
昭和初期に、一般庶民向けの高度な文化が日本にあったとは!
江戸時代にも読本と呼ばれる小説を庶民が読み、人気を博していたことを思い出せば、そこまで驚くことではないのかもしれない。
今の日本人が変わってしまっただけなのかな。

次は小松崎茂の作品が並んでいる。 
椛島勝一にあこがれて挿絵画家に転向したという小松崎茂は、元々日本画家を目指していたらしいよ。
作品を観て、ROCKHURRAHが嬉しそうにしている。
聞いてみると、少年マガジンなどの雑誌で小松崎茂の挿絵を観ていたこと、タミヤのプラモデルのパッケージでも馴染みのある画家だとか。
確かに小松崎茂の絵は、冒険に心をときめかせる少年の心をワクワクさせる要素が散りばめられているもんね!(笑)
載せた画像は、少年少女世界科学冒険全集の「深海冒険号」の表紙。
なんで「S」なんだろう、というSNAKEPIPEの問いに、
「深海のSだよ」
と自信満々で答えるROCKHURRAH。
本当に正解なんだろうか?(笑)

「ロケット競争の謎」の表紙は、1957年の作品。
商品のパッケージデザインでも同じことが言えるだろうけど、表紙を見て本を購入するかどうか判断するのは当たり前だよね。
奇想天外で早く続きが読みたくなるような、思わず本屋で手にとってしまうような表紙。
小松崎茂の作品を見ているだけで、気分が高揚してくる。
当時の少年少女と同じ気持ちになっていたのかも。
もう少女じゃないんだけどね。(笑)

椛島勝一と小松崎茂の作品は、どちらも素晴らしくて鑑賞できて良かったよ!
帰ろうとすると、出口には「アンケートに答えるとプレゼント」という文字が目に入る。
せっかくなので感謝の気持ちなどを書いて提出。
受付ではクリアファイルと缶バッチをプレゼントしてくれたよ!
ここまでしてもらって無料なんて感動的だよ。
昭和館、行かれて良かったなあ
思い出してくれてありがとう、ROCKHURRAH! (笑)
良い「昭和の日」記念になったね。 

OKETA COLLECTION: THE SIRIUS 鑑賞

20220424 top
【会場入り口の看板を撮影】

SNAKEPIPE WROTE:

月に一度は長年来の友人Mと約束をして、何かしらのイベントを計画している。
展覧会や映画の鑑賞など、その時に一番面白そうな企画をチョイスするのは、大抵の場合が友人M。
今回は国立新美術館で開催されている「ダミアン・ハースト 桜」にするか悩んだ末、青山のスパイラルに行くことに決定。
OKETA COLLECTION: THE SIRIUS」という展覧会だって。
OKETAさんって誰だろうね? 

調べてみると、漢字の表記では桶田さんで、ご夫婦で現代アートをコレクションしているんだとか。
旦那さんはアパレル企業のグループ会社社長だったらしいよ。
お金持ちなんだわ。(笑)
10年ほど前から、奥様と一緒にアート作品の収集を始めて、スパイラルでも過去に展覧会を開催してたみたいだね。
どんなコレクションなのか、楽しみ!

原宿や表参道近辺は、お店の開店時間が遅いんだよね。
大抵が11時オープンなので、その時間に合わせて友人Mと待ち合わせる。
スパイラルに行くのは、久しぶりのSNAKEPIPE。
数年ぶりのはずだけど、80年代に通った記憶が強いからね。(笑)
開店待ちの人が多いので不思議に思っていたら、「岡田准一 写真展『Guys 俺たち』」という看板を見つけて納得する。
皆様、こちらが目当てだったようで。
私達は違いますからっ、と友人Mと口走りながら館内に入る。
誰も聞いてないけど、なんとなくね。(笑)

桶田コレクション会場に入り、一番最初に目にしたのが井田幸昌の「Gang Star / Al Capone」だった。
タイトルを見なくても、作品だけで「1920年代のアメリカ」って分かるよ!
雰囲気がある作品で、とてもカッコ良い。
どうして2017年にアル・カポネなのかは謎だけど、他の作品も観たくなるアーティストだよ。

大山エンリコイサムの作品「FFIGURATI #240」。 
1983年、イタリア人の父と日本人の母との間に東京で生まれたというエンリコイサム。
名前は芸名じゃないみたいだね?
「エアロゾル・ライティングのヴィジュアルを再解釈したモティーフ『クイックターン・ストラクチャー』を起点にメディアを横断する表現を展開し、現代美術の領域で注目される」という説明が美術手帖にあったよ。 
この手の作品は難しいけれど、ひとまずアーティスト名だけは覚えておこうかな!(笑)

「この作品大好き!」と友人Mが声を上げる。
仲衿香の作品6点は、「landscape of the web #17」や「35.670008,139.706425」のようなタイトルがついている。
心情を表したり、意味を含ませていないんだね。
仲衿香が所属しているSH GALLERYの説明によると「断片的なロゴや自然風景、身近な日常生活の事物などを視覚的な要素として絵画空間に落とし込み、抽象的な意味を可視化させた図形を再構築している」んだとか。
一瞬だけふっと心によぎった何かしらの感覚を描いているようで、興味深いね。
地図を描いている作品では2019年2月に鑑賞した「ポーラ・シェア:Serious Play」を思い出したよ! 

インパクト抜群だったのが山口歴の作品群!
立体作品4点が広い空間に鎮座している。
近寄って観たいのに、ロープが張られていて、叶わないのが残念。
複雑なフォルムは、まるで衝動を形にしたような迫力で目が釘付け!
「これ、いいわあ!」
デヴィ夫人のマネをしてみるSNAKEPIPE。
両親共にファッション・デザイナーという家庭環境で育ったという山口歴。
アーティストになるのが当たり前という血筋とは羨ましいね。(笑)
今回の展示の中で、一番気に入ったよ!

川内理香子の「Make yourself at home」は2021年の作品。 
コロナの影響で家にいることが増えたことを意味しているようなタイトルだよね。
厚めに塗られた絵の具の上から、線で切り取るように描かれている手法が面白い。
絵の中に文字がないほうが良かったのでは?と思うのはSNAKEPIPEの好みかな。
繊細なように見えながら、ちょっと不気味なモチーフが隠れていたりして、じっくり観ていると印象が変わるところもポイントだね!

最後に紹介するのは、小畑多丘の「Untitled」。
下地に明るい色を塗り、その上から黒と白を塗り重ねたように見える。
色彩のバランスが美しいと思った作品だよ。
どうやら小畑多丘はブレイクダンサーであり、その経験を生かして躍動感などを表現に取り入れた作品作りをしているんだとか。
彫刻からキャリアをスタートさせているので、多彩なアーティストなんだね。

桶田コレクションは、日本人の若手アーティストの作品を鑑賞することができて楽しかった。
恐らく、どのアーティストも既に有名なんだろうけれど、SNAKEPIPEは初見だったからね。(笑)
良い刺激をもらい大満足の展覧会だったよ!

俺たちワイルド班

【ワイルドさを意識しすぎてもはや何者だかわからんリンク】

ROCKHURRAH WROTE:

前に遅ればせながら任天堂SWITCHを買った話はちょっとだけしたが、「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」を早解きではなくゆったりと楽しんでるROCKHURRAHなのだった。

ウチの生活パターンとして毎日は難しいので、週末にだけ数時間プレイするのが習慣になってるけど、自分で操作しないSNAKEPIPEも一緒にこの冒険を楽しんでくれているのが一番嬉しい。
かつては中古ゲーム屋の取締役にまでなったという経験を持つROCKHURRAHなのだが、ここ数年はゲームをやる時間さえなくて、最後にやってたゲーム機が任天堂のWiiまで。
完全に現役からは遠ざかっていたのだ。

最初の「ゼルダの伝説(ディスクシステム)」をプレイして以来このゲームの虜になったROCKHURRAH。
筋金入りのマニアとまではいかないが、初期からのファンだというのは間違いないよ。
64の時もゲームキューブの時もWiiの時もゼルダが出るたびにハードを買い替えてたが、SWITICHは最初の頃入手困難でやる時間もないから、と自分に言い聞かせて諦めてたんだよ。
そしてやっと普通に買えるようになったのは「ブレス オブ ザ ワイルド」が出てからすでに数年も経った頃。
どうせならのんびりゆったりこの世界を楽しんでゆこうと思い、何ヶ月もやってるわけだ。

このゲームは自由度が高いのがウリのひとつだけど、次にどこに行って何をやるかはプレイヤー次第。
そこが難しくもあるけど、寄り道がまた楽しい仕掛けになっていて、飽きさせない作りはさすがだと思う。

SNAKEPIPEはゲームをやってる時は視界が狭くなる(それ以外の時も視界は狭い)ROCKHURRAHのサポート役として優秀で、横から敵が来てるとか体力回復とか、ROCKHURRAHが気づかない部分で助言をしてくれるので、非常に助かっているよ。
このコンビで幾多の試練を乗り越えてきたもんだ。

敵が近づいてるのも気づかなかったり戦闘に夢中になり体力回復を疎かにする、などアクション系ゲームをやる者としてはいかがなものか?というボンクラぶりだが、それでもROCKHURRAHはなぜか難易度の高いゲームを好んでやって、ちゃんとクリアしてるという猪突猛進タイプなんだよね。

相当に難易度高いと思われた「モンスター・ハンターG」も小技をほとんど使わずに全クリアしたのも懐かしい思い出。

二人が一番熱意を持ってやっているのが世界各地にある祠(ダンジョン)を見つけて開放してゆくというもので、全部で120あまりもある祠のうち、かなりの数を踏破している。残りがだんだん少なくなって寂しくなるけどね。

このゲームの中で大半を占めるのがフィールドの中をあちこち駆け巡って、何かないかと探す行為。

高い山の上まで登る事もあればパラセールで向こう側まで滑空して行ったりもあるけど、基本的にはとにかく大陸の隅々まで走り回ってる画面が最も多いと思うよ。

タイトルにもある「Breath Of The Wild」は訳せば野生の息吹ってとこか。 確かに動物や鳥や魚、野菜や果物などを獲って野山を駆け巡るサバイバル生活はこのタイトルそのものだね。

さて、この前置きでわかる通り、今回はワイルドがタイトルに入った1970〜80年代の曲を選んでみようか。

まずはパンクの時代。
夜な夜な酒を飲みドラッグをキメて道端で眠るようなヤツらが多数いたような時代だから、ワイルドな出来事はたぶん結構あったような印象がするが、手っ取り早く思い出したこの曲からにしてみよう。
ジェネレーションXの2ndシングル「Wild Youth」だ。

ビリー・アイドルはゴリラ顔のジーン・オクトーバーが率いるパンク・バンド、チェルシーの初期メンバーだったが、早々に脱けて正解だったと、心から思えるほど成功したパンク・バンドがこのジェネレーションXだったね。
ピストルズ、ダムド、クラッシュなどに続くパンク第2世代の中でも見た目が良くて曲や演奏も良い、このバンドは自分の名前通りにアイドル的な人気があったな。
ロンドン・パンクの最も初期にロンドンSSという伝説のバンド(クラッシュのミック・ジョーンズやダムドのブライアン・ジェイムスもメンバーだったが大分裂してそれぞれのバンドが生まれた)をやっていたトニー・ジェイムスもジェネレーションXの創立メンバーだった。
後にジグ・ジグ・スパトニックというキワモノで一世を風靡したが、あのインチキっぽいところも好みだったよ。

個人的には北九州市小倉の図書館に視聴覚室があって、ソファに座ってヘッドフォンでリクエストしたレコードが聴けるというサービスが大のお気に入りだったROCKHURRAH少年。どこの図書館でもああいうサービスはあったのかな?
ここで隣のヤンキー友達は永ちゃんとかクールスとか(なぜか比較的真面目に)聴いてたが、自分だけはパンクの世界に浸って東京に行きたいと念じてたのを思い出す。
で、その時のBGMがジェネレーションXの2nd「人形の谷」だったりワイヤーの「消えた椅子」だったりで、とにかくパンク、ニュー・ウェイブ浸りの毎日だったよ。
聴いてたROCKHURRAHも素晴らしいが、それを図書館の限られた予算で仕入れてくれたのが誰なのかは知らないが素晴らしい。
視聴覚室のお姉さんがなぜかパンク好きでリクエストから話が弾むこともあって、そういう何気ない共感が嬉しかったものよ。
ここまで書いて前にもブログでほぼ同じようなこと書いてたなと思い出した。
うーむ、書くのも久しぶりだから仕方なかろう(偉そう)。

ジェネレーションXは日本でも1stと2ndの2枚のアルバムが出てて、この当時のパンク・バンドとしては一般的にも知名度は高かったんじゃないかな。
この曲「Wild Youth」も1stシングルの「Your Generation」もアルバム未収録だから当時は英国盤のシングル買わないと聴けない曲ではあったが、YouTubeが普及して以来はどこの地方にいてもタダで聴ける観れるいい時代になったもんだな。
インターネットでこういう動画観れるのが当たり前の世の中になる前は、ビデオやDVDでも買わない限り観れない動画も多かった。

普段はTシャツ一丁という安上がりな格好が多いジェネレーションXだが、このビデオの時は珍しく全員革ジャンで決めてるのが気に入ったので、オフィシャルのビデオではないこっちを選んでみたよ。
いつもパンクのライブとか見て思ってたけど一曲やって汗だくになった革ジャンはどうするのか?
鋲ジャンだったら錆びそうだな。

80年代ニュー・ウェイブと言えば長らく主流だったのがエレポップ、シンセ・ポップ、日本ではテクノポップと呼ばれたような音楽。
モロにこのジャンルではなくてもシンセサイザーのような電子楽器がどんな音楽にも侵入していって、その手の楽器を全く使わないバンドの方が少ないとさえ思えるような時代だったね。

その手の音楽は当然ながら都会的でスマートだったわけで、無人島テクノとか原生林エレクトロなんてものは(たぶん)なかったと思う。だって電気ないもんね。

そういう音楽へのアンチテーゼという程の気構えはなかったろうけど、部族的なビートに色々な民族の音楽や唱法、そしてファッションを掛け合わせ、ワイルド全部盛りのような世界観で80年代初頭に大ヒットしたのがこのアダム&ジ・アンツだった。

元々は一風変わったパンク・バンドとして登場して、1stシングル「Young Parisians」などはシド・バレットのソロかと間違えるようなパンクとは思えない曲で、「これをデビュー曲にするか?」と仰天してしまう。
このままではコアなファンやアダム・アントのルックス目当てのファンはついても、パンクの世界で大成はしないと思ってたもんだ。しかしメンバーを総入れ替えして(経緯は省略)、当時のニュー・ウェイブ好きだったら誰でも知ってるド派手な海賊ルックで起死回生の大ヒットを飛ばしたのが1980年のこと。

ちょうどその頃に人気だったのがグラム・ロックのニュー・ウェイブ版とも言えるニュー・ロマンティックと呼ばれるバンド達。
化粧したり派手な髪型や衣装はグラムを踏襲してるものの、グラム特有の下品さや毒気はそんなになくて、音楽性もそれぞれのバンドでマチマチだったが、クラブで踊るような曲が多かったのが時代背景にピッタリだったんだろう。
アダム&ジ・アンツはそういうのとは一線を画した路線ではあったけど、古い時代のカッコいい男たちになりたいというコスプレ願望を満たすという意味では、ニュー・ロマンティックの一方の代表格だったと思うよ。

ちょうど同時代にマルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッドがロンドンでやっていたブティック、ワールズ・エンドが展開していたのが海賊をモチーフとしたコレクションだった。
そしてこの店の2人とは色々な深い関わりがあるのがアダム・アント。
パンクの時代にはセディショナリーズでセックス・ピストルズ。
その後の時代はワールズ・エンドでアダム&ジ・アンツ。
ファッションと音楽が密接に結びついて、時代の寵児となったのにはちゃんとワケがあって仕掛け人もいたというわけだ。

海賊のような衣装に金モール、インディアンのようなメイクで多国籍、時代考証もメチャクチャ。
見た目のインパクトはすごかったけど、同時代ではそういうのに憧れるガキの音楽、みたいに蔑まれるような評価もあった。
ちびっ子ファンも多かったからね。
しかし個性という点では際立っていて、他に類を見ないユニークな音楽性で個人的にはとても高く評価しているバンドだ。
今でも「Stand And Deliver」がかかるとノリノリになるROCKHURRAH家なのだった。

アフリカのブルンジという国のあたり、ルンディ族のドラミングに発想を得たという(Wikipediaによると)2人のドラマーによる連打がこのバンドの独特のリズムを作っていた。
さらに普通のパンクやニュー・ウェイブとは違ったコード進行だったり奇声のようなコーラスや掛け合い、その辺のミクスチャー具合が大変にうまく、当時としては唯一無二とも言える音楽性を誇っていたと思うよ。

「Kings Of The Wild Frontier」は1980年に出た彼らの2ndアルバムのタイトル曲でアルバム自体も全英1位になった。
シングルにもなっていて、その翌年の全英1位となった大ヒット曲「Stand And Deliver」や「Prince Charming」ほどの熱狂ぶりはなかったけど、「何かすごいバンドが最近流行ってるぞ」という注目度のきっかけにはなったんじゃなかろうか。

ビデオを観てこの時代のカッコ良さは感じるものの、曲の方は決してノリノリでもなくポップでもない。
むしろ聴きにくいと思う人がいるかも知れない。
オルタナティブなバンドが同じような事をやっても大して話題にならなかったろうに、この曲や「Prince Charming」のようにポップ・チャートでヒットする要素があまりないような曲さえも力技で無理やりヒットさせてしまう、これがアダム・アントの持つ特異な魅力なんだろうな。
話題のツイン・ドラムもブルンジというよりは和太鼓っぽくもあり、どこの夏祭りに出しても違和感なし。

上のアダム&ジ・アンツの初期メンバーをマネージャーのマルコム・マクラーレンが全部引き抜いて新たに作ったのがこのバウ・ワウ・ワウだった。
初期メンバーと言えばまだアダム・アントが海賊になる前で、あまりキャッチーではないパンクをやってたという印象だが、これが新バンドのバウ・ワウ・ワウになった途端に強烈なジャングル・ビートを前面に出すようになったように思ったものだ。
元々はこういう感じの音楽をしようという腹案があって、それがアダム・アント側と辞めたバンド側のどっちも実現させたというだけに過ぎないのか、どっちかがアイデアをパクったのか、その辺は遠く離れた日本人が推理してもわかるはずのない真相があるんだろうね。

まあとにかく両者は別の道を歩んで、大体同じくらいの時代に部族ミクスチャーな音楽とヴィジュアルで大成功を収めた、似たような傾向のバンドとして語られる事が多い。

このバンドのヴォーカル、アナベラは当時まだ14歳というビルマ系の少女。
レコードはもう古い、これからはどこでも持ち運べるカセットテープの時代が来る、というようなコンセプトの「C-30 C-60 C-90 Go」でデビューしたのが1980年。
ちなみにタイトルの意味が不明の若人も多かろうが、C-30とかはカセットテープの規格みたいなもんで、要はA面B面合わせて30分の録音が出来るというもの。
ROCKHURRAHはこの時代はウォークマンではなくアイワのカセットボーイという録音も出来る携帯型カセット・プレイヤーを持ち歩いていて、確かにどこでも音楽に浸っていたもんだ。
買ったレコードの好きな曲を集めて自家製コンピレーション・テープを山のように作っていたなあ。
長く聴けるからTDKやソニーのC-90を使用する事が多かったけど、最後にちょっとだけ余るのがイヤで短い曲を間にチョイスして時間調整するのが得意技だったな。
この熱意がMD、CD-R、そしてiPodのようなさらに小型化したプレイヤーの時代にはあまりなくなっていたから、便利さではなく、やっぱりレコードをモニターしながら音量レベルの調整してリアルタイムで録音、という行為が好きだったんだろうな。

そういう小型プレイヤーの思い出とは関係なしに、バウ・ワウ・ワウが推奨していたのは大型のラジカセで、こいつを持ち運びながら街なかのどこででもミュージック・スタート、周りはみんな踊るぜという迷惑行為だったな。
ビデオもそういう感じだったし。
それと同時代くらいか、アメリカでもラップやヒップホップの流行で大型ラジカセがもてはやされたから、世界的な流行だったんだろうね。
ROCKHURRAHの実家でもマランツの超大型ラジカセがあって・・・ん?この話はもういい?

バウ・ワウ・ワウはその後もマネの「草上の昼食」を真似した全裸ジャケットの「ジャングルでファン・ファン・ファン」という1stアルバムで物議を醸して、問題になればなるほど知名度も上がっていった。
マネが問題じゃなく未成年のアナベラが全裸という方ね。
ジャケットの差し替えを求めて親が訴訟問題を起こしたんだったな。
しかし本人の方は本当にメンバーや撮影スタッフ全員の前で平気で晒す(メイキング映像がある)というのもさすが、これこそワイルドな女王と言うべきかな。

このバンドの核となるのは原始的なズンドコのドラムだが、派手なモヒカンのくせにやたらとうまいマシュー・アッシュマンのギターにも注目だよ。
確かポールキャッツのボズと幼馴染だったか同じ学校だったか昔一緒にバンドやってたかで(ものすごく記憶があいまいですまない)、要するにネオ・ロカビリー系ギタリストとしてもやってゆけるだけのテクニック持ってたと言いたかっただけ。
ギターもグレッチだしね。90年代に亡くなっているが、いいギタリストだったよ。

ビデオの「Go Wild In The Country」は1981年の1stアルバム「ジャングルでファン・ファン・ファン/See Jungle! See Jungle! Go Join Your Gang Yeah, City All Over! Go Ape Crazy!(タイトル長すぎ!)」に収録でシングルにもなった大ヒット曲。
歌いだしはちょっと元気ないように見えてあまりワイルド感がないんだけど、辛抱して観てるとそのうちこなれてきたのか、かなりアグレッシブにワイルドを連呼する。
しかしライバルなのかはさておいて、アダム・アントの見事な着こなし術の前ではアナベラ、インパクトだけじゃ太刀打ち出来ないなと、逆に差を見せつけられる結果となり残念。
まあ本来ならば中高生だもんな。

ワイルドが少ないわけじゃないけど、今回はひとつのバンドにつき長すぎたので、ちょっと少ないけどこれで終わりにしよう。

ワイルドと言えばイギリスでは1950年代から60年代に起きた若者文化、テディボーイ通称テッズとそこから発展した、カフェレーサーと呼ばれたロッカーズがパンクより前の反逆のルーツ的存在だった。
ノートンやトライアンフのような英国バイクを改造して、カフェでジュークボックスの曲が終わるまでにバイクをかっ飛ばすというのが流行ってたようで、キメキメなライダースに憧れた若者も多かったろう。

そういうテッズやロッカーズが何を聴いてたかと言うと、そこんとこだけアメリカのロカビリーと一緒なのが唯一の弱点。
イギリスにもバンドはいたけど世界を牽引するような魅力を持った大スターが現れてないんだよな。
後の時代のパンクやスキンヘッズのように、自分たちのアンセムとなるものがないとムーブメントとしては弱く、ファッションとしてたまに復活はしてもライフスタイルにするにはちょっと足りない、とROCKHURRAHは思うよ。

アダム・アントのところで少し書いたが、マルコム・マクラーレンとヴィヴィアン・ウエストウッドがパンク以前にやってたのがレット・イット・ロックというテディボーイ・スタイルの店だった。
そこに集っていたのかは不明だが、同じくテッズやロッカーズというスタイルを取り入れたのがエディ・テューダーポールを中心としたテンポール・テューダーだった。

ロンドン・パンク初期の1977年に結成された彼らはセックス・ピストルズの映画「グレイト・ロックンロール・スウィンドル」で数曲歌い、テューダーポールは俳優としても出演して注目された。
映画館のモギリ役だったけど・・・。
この時、ピストルズは大スター、ジョニー・ロットンが抜けてシド・ヴィシャスが死んで、主役不在の状態だったが、テューダーポールをヴォーカルとして新生ピストルズの話もあったとかなかったとか。
結局は両者が結びつく事はなかったけど、スタイルが違いすぎるから当たり前という気がするよ。

テンポール・テューダーは結局パンクの時代にはリアルタイムでレコードを出さず、1stシングルは1980年代になってから。
エコー&ザ・バニーメンで有名なコロヴァ・レーベルからなぜかポツンと1枚だけ出したが、このレーベルはベット・ブライト(元デフ・スクール)やロリ&カメレオンズなどリヴァプール勢が多いという印象があり、テンポール・テューダーのようなバンドがここから出す自体、違和感があったよ。
ベット・ブライトも「グレイト・ロックンロール・スウィンドル」に出演していたので、もしかしたらその縁でこのレーベルを紹介してもらったとか、そういう話もあったのかな?

それ以降はスティッフ・レーベルからリリースを続けたテンポール・テューダーだが、1980年から81年くらいの短い期間に2枚のアルバムと6枚くらいのシングルを出してて、これはかなりの勢いだと思うよ。
彼らの特徴としては中世の騎士団とか、そういうコスプレを好んでやっててレコード・ジャケットも鎧甲冑に大剣と盾、まさになりきり度合いとしては海賊アダム&ジ・アンツと双璧のバンドだったと思う。

音楽の方はパンクとロカビリー、ロックンロールをうまくミックスさせ、そこにスキッズやビッグ・カントリーのようなスコティッシュのトラッド要素も盛り込んだ雄大な曲調が得意技。

「Go Wilder」は1980年の1stアルバムに収録の曲だがシングルにはなってない曲。
映像もプロモーションではなくライブのものだと思われるが、とにかく暴れまくりの大げさなアクションが大好きなエディ・テューダーポールの激しい動き。
演奏も良くてライブでこのクオリティはなかなかだと思える。
全盛期に観たかったよな。

プロモ・ビデオでも毎回いい味出してるのがワイルド丸出しのロッカーズ、ギタリストのボブ・キングストンだが髪型と濃い顔立ち、ファッションが魅力的。
テンポール・テューダー以外の活動をしてない(パール・ハーバーのアルバムにちょっとだけ参加)のが惜しい人材だったよ。

本当はもう少しワイルドについて書きたかったけど、今回も時間切れとなってしまった。
ROCKHURRAHのブログはあまりサラサラと書けないのが難点だが、時間がある時やじっくり書けそうな時にはまた登場したいと思ってるよ。

「ブレス オブ ザ ワイルド」も佳境に入り、あとはボス戦のみなんだけど、この世界でもう少し楽しんでいたいから、色々な事をやり込んでいきたいと思ってるよ。
続編が今年だと思ってたのに延期になってしまったからなあ。

ではまた、Muraho(キニヤルワンダ語で「さようなら」)!