CULT映画ア・ラ・カルト!【02】石井輝男

【日本人離れしたルックスに人間離れした動きの土方巽。凄過ぎる!】

SNAKEPIPE WROTE:

先週に引き続き、今週もカルト映画邦画編を書いてみたいと思う。
何本かまとめて作品を観ているため、先週はくくりに入れなかった石井輝男監督を特集したいと思う。

石井輝男氏は1924年生まれ、すでに2005年に亡くなっている監督である。
代表作は高倉健を主役にした「網走番外地シリーズ」だろう。
そのヒットのお陰で好きなことができたのか、、石井氏は「異常性愛路線」にも力を入れている。
日本のカルト映画監督では最も有名であろう。
今回まとめたいのは石井輝男が監督した乱歩作品の映画化2本と、変なヤクザ映画。(笑)
まずはヘンなヤクザ映画から書いてみよう。

怪談昇り竜「怪談昇り竜」は梶芽衣子主演の1970年の作品である。
女囚さそり」よりも前、梶芽衣子の頬がパンパンで若い!(笑)
ヤクザの親分の家に生まれ、出入りの際に敵の親分を斬殺。
その事件のせいで刑務所行きになる。
そこで毎夜黒猫の怨念に悩まされる梶芽衣子。
実はタイトルの「怪談」となっている理由の一つがこの黒猫。
黒猫の怨念には梶芽衣子への恨みの意味が込められていたのだった。

そしてもう一つの怪談は盲目の女剣士、ホキ徳田の手下として登場する土方巽である。
調べてみたら、ホキ徳田ってピアニストでアメリカ人作家ヘンリー・ミラーの妻だったとは!
いやあ、全然知らなかったなあ。
とてもいい味出してました、はい。
映画途中で見世物小屋のシーンが出てくるのだけれど、その中にすんなり溶け込み登場する土方巽。
ホキ徳田への絶対的な献身を示すかと思うと、勝手な行動を起こしたりして、結局のところ何がしたいのかよく分からない役どころ。
猟奇的で予測不可能な行動は怖さ倍増!
訳分からない白いハイソックスも怖いぞ!(笑)
土方巽の圧倒的な存在感と不気味さこそが怪談だったのではないか、と思う。
ヤクザ映画にある緊迫感に怪談のおどろおどろしさをプラスしたところが新しかったんじゃないかな?

5人が背中向きになると彫った龍の刺青が合体し、頭から尻尾までの一匹になるというのも面白かった。
この配置にするためには並ぶ順番を間違えないようにしないとダメで、頭と尻尾の人が隣あわせになったりしたら「おじゃん」である。
頭部分を彫っている梶芽衣子はまだ一人でも絵になるけど、尻尾の人、胴体部分の3人は一人だけだと一体何の彫り物なのか不明でちょっとかわいそう。
本当にあんな彫り方するんだろうか?
(ROCKHURRAH註:本宮ひろ志の「群竜伝」と同じ設定。この映画が元祖だったのかねえ)

ラストは梶芽衣子とホキ徳田の女同士の立ち回り。
ヤクザ映画で女二人の決闘シーンって珍しいような?
SNAKEPIPEはヤクザ映画に詳しくないので、違ってたらごめんなさい。
梶芽衣子の堂々とした立ち回りのカッコ良さ、相手役のホキ徳田の静かな物言いと筋が通った女ぶり。
どちらも凛としていてシビレた~。(笑)

恐怖奇形人間続いては1969年の作品「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間 」。
この作品、上のリンクのWikipediaにも書いてあるけど、どうやら国内では未だにビデオ・DVD化されていないらしい。
まず、タイトルからしてアブナイしね。(笑)
そして乱歩全集とは書いてあっても、「孤島の鬼」と「パノラマ島奇談」が主なストーリーになっている。
いや、それにしても「孤島の鬼」を映画化する、とはすごい!
それだけでも充分興味をそそられてしまう。

いきなり乱歩の原作にはない精神病院から話は始まる。
主人公、人見広介役の俳優、吉田輝雄ヒカシューの巻上公一に似ていておかしい。(笑)
サーカスの少女に出会うところから、広介は運命の糸に操られ故郷に帰ることになる。
そこで待っていたのはまたもや土方巽だった!(笑)

初めに登場するところから土方巽、おかしい!
広介の父親役、というのが全く似合ってない(年齢とか原作における風貌とか)のはもちろん、その不気味な動きはなに?という感じでやりたい放題である。
動いている土方巽を観たのはこの映画が初めてで、細江英公写真集「鎌鼬」のモデルとして知っていただけだったため、非常に衝撃的だった。
土方巽を知らない人も多いかもしれないので簡単に説明をすると、1928年秋田生まれ1986年に死去。
60年代に活躍した舞踏家である。
暗黒舞踏だから、ああいう独特の動きになるんだろうね。

そしてこの父親が「パノラマ島奇談」と「孤島の鬼」の合体版で、自身が夢見る王国の建設に加え奇形人間製造も計画する。
奇天烈で「これが王国?」と突っ込みたくなるようなチープさだけれど、ROCKHURRAHとSNAKEPIPEが思う乱歩世界そのもの!
そういう意味ではよく再現、表現されていて、素晴らしい出来だと思う。
原作では「秀ちゃん」「吉ちゃん」だった双生児は、少し名前が違っていたけれどこれもよく出来ていた。
それにしても特殊メイクしてた片割れが近藤正臣だったとはね!(笑)

どうしてもいくつかの乱歩作品をまとめると無理が出てしまい、ラストはかなりムチャクチャな展開に。
だけど確かに「パノラマ島奇談」はこんな最後だった。
だからこれでいいのだ!(笑)

盲獣vs一寸法師 そして最後は石井輝男監督の遺作となった2004年の「盲獣vs一寸法師 」。
これもまた乱歩の「盲獣」と「一寸法師」をミックスさせたストーリー。
話の展開で「踊る一寸法師」も混ざっている。
どうしても先週書いた増村保造監督の「盲獣」と比較してしまうが、どっちと聞かれたら増村監督を選んでしまうな。

乱歩が好き、という共通項から集まった同志による配役、石井輝男に触れたいと望むスタッフ達が奮闘したんだなということはよく解るけれど、全体的にイマイチ。
「遺作」としての重みはなく、映画を学ぶ学生の卒業制作といった感じか。
もしかしたら予算の関係があったのかもしれないけどね。

そして1969年の「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」と比べてみても、力不足を感じる。
あっ、そうか!
この作品にはもう土方巽が出てないんだ!
土方巽とセットになることで、あの雰囲気が出たんだな。
石井輝男監督は亡くなってしまった土方巽の不在を悲しみ、きっと出演を望んでいただろうな。
と言ってもどの役で出てもらおうか?
盲獣役?一寸法師?それとも全く原作にない人物として?
いろいろ想像するのも楽しいかもしれない。

石井輝男の「異常性愛路線」はなかなか手に入り辛く、我が家の近所のレンタル屋などには決して置いていない。
映画5本組になっている2万円以上するBOXセットを買うつもりもないし。(笑)
また運良く別の作品を観られる日を楽しみにしていよう!

CULT映画ア・ラ・カルト!【01】邦画編

【「盲獣」での緑魔子写真展作品より。アングラ最高!(笑)】

SNAKEPIPE WROTE:

以前の記事で、週に2、3本の映画を観ていると書いたことがあるが、それはいつの間にか習慣になってしまった。
「不況の影響のため自宅でDVD鑑賞する家庭が増えている」なんて記事を読んだので、世の中全体の傾向なのかもしれない。
毎週観たことがない好みの映画を見つけるのは意外と大変な作業である。
好みの、という部分がポイントだからだ。
二人が着手してこなかったのが日本映画、その中でもB級モノはほとんど知らない。
面白そうな映画はないかと調べ、入手してくれるROCKHURRAHの苦労のお陰で、なんとかその難題もクリア。(笑)
日本映画にもカルトと呼べるような作品があるのね!
そこで今回はシリーズ1回目として3本の作品について書いてみたい。(シリーズ化するのか?)

地獄最初は中川信夫監督1960年の作品「地獄」。
主演は我が家のアイドル天知茂
天知茂の学生服姿にびっくり!若いっ!(笑)
知らなかった、天知茂ってSNAKEPIPEと同じ誕生日!
やったー!うれしい!(笑)
調べてみたら当時28歳くらいか。
ちょっと学生役には無理がある?
あの「苦みばしったダンディーさん」とは違う雰囲気の役どころ。
共演者に三ツ矢歌子と来れば、これは「美女シリーズ」の元祖か、と期待してしまう。
がっ!内容は想像していたのとは大きく違っていた。

前半は何故地獄に行くことになってしまったのか、が延々と語られる。
この部分が非常に長い。
交通事故で死んだヤクザの身内の話。
天知茂をしつこく付け狙う死んだ友人の描写。
恋人だった三ツ矢歌子の気が違ってしまった両親のくどくどしさ。
あまり意味がない異常なまでに長い宴会シーン。
関わり合った人々は不慮の事故、他殺もしくは自殺などで全員が亡くなってしまう。
「これでもか」という程嫌な雰囲気が続き、現世こそが地獄のようである。
それにしてもあまりにも単調で二人共映画途中で眠くなってしまった。

そしてついにお待ちかね(?)の地獄行き。
生前に犯した罪によって様々な責め苦を与えられる。
「地獄」という言葉から容易に連想できる三途の川、閻魔大王などが登場。
前半で語られた話に登場した人々全員に地獄で再会。
恋人だった三ツ矢歌子もいる!
ところが後半はもうストーリーがメチャクチャ。
ラストも意味不明で観ているこっちが地獄の責め苦を味わったような気分。(笑)

天使の恍惚続いては若松孝二監督の1972年の作品「天使の恍惚」。
若松孝二というと「ピンク映画の監督」というイメージを持っていたし、タイトルからも「そっち系」かと思いきや内容は全然違っていた。
日本で革命を計画している過激派テロリストの話だったのである。

米軍基地から武器を略奪するところから話は始まる。
ところが米兵に見つかり、仲間が射殺されたり、リーダーが失明したりと大失態。
このあたりから仲間を季節、月、曜日などのコードネームで呼び合ってることに気付く。
「10月はもうダメだ。ここから先は冬が動く」
「水曜日、大丈夫か?」
などと言われても意味不明。(笑)
なーんかこれって「ワンピース」の中に出てきた「バロック・ワークス」みたい。

冒頭や途中で入るのがクラブでの歌。
後から知ったけれど、歌っていたのは「新宿泥棒日記」でヒロインを演じた横山リエ
あるようなないようなよく分からないメロディに字余りの歌詞。
「ここは静かな最前線」
などとこれまた革命に関する内容を無表情で淡々と歌い続けるシーンが長い!
横山リエ演じる「金曜日」は、仲間を裏切らず決して口を割らない強固な信念を持ち、最後には国会議事堂に突っ込む幻想をしながら自爆する。
女だてらにすごいテロリストだ!

調べてみると監督の若松孝二という人は「警官を殺す映画を作ってやる」という動機から映画監督になったという筋金入りの反体制派らしい。
この映画の中でも警察に爆弾を投げ込む、という無差別テロを決行してたな。
映画で復讐、というわけか。(笑)
監督の経歴を読んでいたら「プロデューサーを殴り倒し解雇」なんていうのもあって、かなり過激な人なんだな、とニンマリしてしまった。

映画自体は時代背景を知らないとストーリーが解り辛いし、特別映像美に優れているというわけでもない。
ただその時代を真剣に生きた若者群像、文化、風俗のような雰囲気はよく出ていて興味深い。
カルトな映画というわけではないけれど、横山リエの歌と存在感はなかなかB級度高いね。(笑)

盲獣ラストを飾るのは「盲獣」、増村保造監督1969年の作品である。
原作はご存知我等が江戸川乱歩!(笑)
いつの頃からか乱歩原作の作品を映画化するのがブームになり、一応念のため鑑賞はするものの「やっぱり思った通りイマイチだった」と感想を持つことが多かった。
ところがっ!
増村監督の「盲獣」は違っていた。

盲獣役が若かりし船越英二!
えっ、あの温和な校長先生役などで有名なのに盲獣って。(笑)
そして盲獣に狙われるモデル役に緑魔子
名前だけは知ってても実際に演じてるところを観るのはこの映画が初めて。
そして盲獣の母親役として千石規子
なんとこの映画の中の登場人物は上に書いた3人のみ。
まるで舞台みたいだね!

なんといっても素晴らしいのは美術。
映画冒頭で緑魔子をモデルにしたヌード写真展が開催されている様子が出てくるのだが、この写真がいい!
いかにも60年代後半というアングラでアンニュイなエロティシズムにあふれた作品群。
このポスターがあったら欲しいくらいである。
そして盲獣のアトリエ。
乱歩の原作をそのまま忠実に再現したかのような出来に、ROCKHURRAHと共に「すごい!」と声をあげてしまった。
69年の作品でここまでやってくれるとは!(笑)
触感芸術、なる「触ることで感じる芸術」を提唱する盲獣のアトリエは、今まで触ったことがある女性の様々なパーツから構成されている。
大小の目、耳、手、足、などパーツの群生が所狭しと並ぶ。
いやあ、よく作ったよねえ。(笑)

原作をなぞった部分もあるかと思えば、原作には全くなかった設定が母親の存在である。
上述したように母親役として千石規子がキャスティングされていて、盲目の息子を産んでしまった罪悪感から息子の言うことは何でもきく。
モデル緑魔子誘拐や監禁生活を手伝ったりする。
割烹着姿の千石規子はいかにも「おっかさん」で現実的な感じだ。
この「現実」であった母親が不在になることで、映画は非現実的な方向に向かってしまうのだ。

ネタバレになるから詳細は割愛するけれど、船越英二と緑魔子の「二人だけの世界」には限界が訪れる。
やっぱり人は同じことを続けていると飽きるのね。
進化なのか退化になるのか分からないけれど、二人はエスカレートし過ぎてしまった。
そして衝撃のラストになるのだけれど、SNAKEPIPEは痛いのダメなので途中から映画を放棄!(笑)
ここまでいったらこうなるだろう、という予想通りの結末に落ち着いていた。
うーん、もっと二人でいい道探して欲しかったなあ。

上述したように設定にない母親がいたり、原作とは違った方向に話が飛んでいたりしたけれど、映画としての見ごたえは充分!
そしてとてもチャーミングな緑魔子の魅力がいっぱい。
機会があったら是非どうぞ、とお薦めしたい一本である。

今回紹介した3本のうち本当にカルトといえるのは「盲獣」だけで、残りの2本は「変わった映画」という感じか。(笑)
まだまだこれからもB級映画を探して観ていきたいと思う。
面白そうなのがあったらまた紹介しましょ!

軟弱ロックにも栄光あれ

【わけあってプレイヤーは別窓で開きます。音が鳴るので要注意】

ROCKHURRAH WROTE:

先々週あたりからSNAKEPIPEと二人して風邪をひいてしまい、インフルエンザ騒ぎもあったために珍しくマスク着用で通勤してしまった。こんな時期に紛らわしいというか運が悪いし、人には警戒される始末。SNAKEPIPEはすぐに治まったが、ROCKHURRAHの方は鼻炎も併発したらしく、大変に辛い一週間となった。おかげで自慢の(語尾がはっきりしない)こもった声が鼻声になり情けない。

さて、そんなことも踏まえた上で本日はROCKHURRAHの得意とする分野(?)、パンク&ニュー・ウェイブ時代のヘナチョコ声ヴォーカリスト特集だ。
ヘナチョコ声といっても感じ方は人それぞれだし、定義の難しい分野ではあるが、あくまでも個人的にそう思えるものを選んでみた。

そもそもロックの世界ではこういう声は決して異端でもなく、むしろ力強く堂々とした声の持ち主よりも人口は多いかも知れない。そんなヘナチョコ声ヴォーカルに市民権を持たせた代表はヴェルベット・アンダーグラウンドのルー・リードやデヴィッド・ボウイという事でいいのだろうかね。まあこれらはロックを聴く人なら大体誰でもわかると思える鼻詰まり系元祖の人だから、わざわざ語るまでもないな。

さてパンク、ニュー・ウェイブの世代になるとヘナチョコ人口はグッと増えてくる。ボウイやルー・リードを聴き狂って影響を受けた直接の世代でもあるし、ちょっとした程度の歌と目新しい演奏が出来れば誰でも人気者になれる機会があった時代だからね。

この時代で個人的に好きだったヘナチョコ・ヴォーカリストはハートブレイカーズのジョニー・サンダースがまず挙げられる。彼の場合は声に限らずギターも生き様もヘロヘロだったわけで、破滅型ロックンローラーの代表と言うべきだね。
そのジョニー・サンダースのベスト・オブ・弟分であるシド・ヴィシャスなども舌ったらず系ヴォーカルで数多くの人に愛されたな。この辺はROCKHURRAHのいいかげんな説明よりも伝記などを読んだ方がいいだろう。

そして誰が何と言っても軟弱声の極め付けはオンリー・ワンズのピーター・ペレットだろう。堕天使のような風貌(写真によって見た目が随分違うが)と誰もが倦怠感を一緒に感じてしまう中性的なヴォーカル・スタイル。古い順に書いてるから早い段階で登場してしまったが、これはもうヘナチョコ声チャンピオン間違いなしの一級品だ。日本では誰でも知ってるという程の知名度を得なかったし、パンク好きの人でも「Another Girl, Another Planet」くらいしか彼らの曲を知らないって人も多かろうが、他にも素晴らしい曲がたくさんあるので知るべし。

いきなりチャンピオンが出たからこれを破れる人はそうそういないんだが、例えばバズコックスのピート・シェリーなども同じ傾向かな。元々は奇妙な髪形の才人ハワード・デヴォートがヴォーカルだったが、彼が抜けた後にギタリストだったピート・シェリーがヴォーカルも兼任したというパターン。この時代のパンクとしては抜群に優れたポップ・センスとスピード感のあるバンドで、ちょっと素っ頓狂に裏返るシェリーのヴォーカルも魅力に溢れていた。後の時代に多大な影響を与えたで賞。

前々から何回もこのブログで取り上げてるベルギーのプラスティック・ベルトラン。これもまた愛すべきヘナチョコ・ヴォーカリストだ。延々と同じビートが反復するワン・パターンに甘えた声、映像見ても一人で跳ねて踊って歌ってるだけ。それでもパンク。彼らもオンリー・ワンズの「Another Girl〜」同様、一般的に知られている曲は数多くのバンドがカヴァーした名曲「Ça Plane Pour Moi(「恋のウー・イー・ウー」または「恋のパトカー」)」しかないのが悲しい。

忘れちゃならないのはパンクからニュー・ウェイブ転換期に活躍した早過ぎたバンド、ワイアーのコリン・ニューマン。「ロックでなければ何でもいい」などという発想で次々と既成概念を解体するような新しい試みの曲を量産し、あっという間に自らも分裂解体してしまった伝説のバンドだ。パンク・ファン以外でも知ってるような知名度の高い曲はうーん、あまりないなあ。ワイアー時代は「12XU」みたいに絶叫する曲もあったからヘナチョコ声のレッテル貼るのもちょっとおこがましいが、「I Am The Fly」「 15th」あたりからコリン・ニューマンのソロに至るまで、ドリーミーでクリーミーな世界を繰り広げている。

ニューマンで急に思い出したんだがニュー・ウェイブ初期の78年くらいに大ヒットを飛ばしたチューブウェイ・アーミー=ゲイリー・ニューマン、彼もまたヘナチョコ鼻声の持ち主だ。エレクトロニクス・ポップス略してエレポップ、もっとわかりやすく言えばテクノ・ポップと呼ばれた分野で大活躍した幻想アンドロイドこそが彼だ。デヴィッド・ボウイが持っていたイメージの一面を極端にデフォルメした非人間性が目新しかったものよ。しかし人気出たもののヒットは数曲、おまけにアンドロイドのくせに太ってしまうという致命的なミスを犯してしまい、いつの間にか消えてしまったな。

ここまでニュアンスはそれぞれ違うがROCKHURRAHが言わんとするヘナチョコ声質はわかって貰えた事と思う。だがヘナチョコ声はそれだけではない、もっとヴァリエーションのあるものだ。その一例を挙げてみよう。

デヴィッド・ボウイと同時期に活躍したロキシー・ミュージックのブライアン・フェリーが得意としてた、かどうかよくわからんが、いわゆるファルセット、裏声。歌唱法とすればロックの世界でもアリとは思うが、これも一般的にはヘナチョコ度が増す行為だろう。

ファルセットとは言わないのかも知れないがナチュラルに高音だったヴォーカリストと言えばアイルランドのアンダートーンズ(フィアガル・シャーキー)などは特徴的だ。当時、政治的に不安定だった北アイルランド出身のくせに見よ、この陽気なポップ魂、どこから声出してんの?パンク時代のモンキーズのようなバンドだったな。「Teenage Kicks」をはじめ「Here Comes The Summer」「Jimmy Jimmy」などなど、はじける名曲を数々残している。
近いタイプとしては日本での知名度はかなり低いがフィンガープリンツなども同じパターン。こちらはどう考えてもヴォーカリストには向かんでしょうという人がわざわざヴォーカルをとってて反省させられる内容。ただし曲はすごく良くてパンクというよりはパワー・ポップ系なのにパワーないぞ、というところが魅力。これぞヘナチョコ・ロックの面目躍如。

高音と言えばアソシエイツのビリー・マッケンジーも有名だ。80年代前半のイギリスで大人気だったバンドで83年くらいにはインディーズ・チャートの常連だったくらいに次々とヒットを飛ばした。陰と陽がどんどん入れ替わるような奇妙なポップスを得意としていたが、ただ不安定な高音やはっきりしない曲調、とっつきにくい部分もあってこの手のバンドを苦手な人も多数いるはず。同じ傾向であるキュアーのロバート・スミスが人気者になれたのに、やはりもう少しの個性が必要だったのかね。代表曲「Club Country」が知られてる程度で日本ではあまりヒットしなかったなあ。このビリー・マッケンジーは完全に落ち目になった90年代後半に鬱病が悪化し自殺している。そういうシリアスは我等が提唱するヘナチョコ道には反する行為なんだが。

ここまでパンク、ニュー・ウェイブ中心に書いてきたけど出そうと思えばいくらでも出てくるヘナチョコ族ども。ハッキリ言って掃いて捨てるほど存在してるな。書いててキリがないので90年代後半に出てきたアップルズ・イン・ステレオのロバート・シュナイダーをこの系譜の一番最後にしよう。ギター・ポップと言えばROCKHURRAHの世代では断然イギリス、スコットランドあたりなんだが、この90年代後半から21世紀のはじめくらいはアメリカ物の方が旬な時代だった。アップルズ・イン・ステレオもそんな中に登場したバンドで、この上ないほどポップスの王道を行く楽曲と素晴らしいヘナチョコ・ヴォーカルでギター・ポップ好きの心を鷲掴みにしたものだ。しかしこの女性受けする声のロバート・シュナイダーは小太りでメガネの冴えない男で秋葉原あたりにいても何ら違和感なしという風貌。「この声で美形じゃないなんて」と数多くのファンをガッカリさせた経歴を持つ。後年になって「ロード・オブ・ザ・リング」で有名なイライジャ・ウッドからの依頼じゃ、という事で彼のレーベルから出したりもしたが最近の活動には疎いもので、その後はどうなったのか?

というわけで思いつくままヘナチョコ・ロックの歴史を振り返ってみたが、こういうのばっかりあまり続くと食傷気味。ストロングでハードコアなものも続けると疲れてしまう。どちらもほどほどにバランス良く取り入れて健康なのが一番だね。
(何じゃこのしまりのない締めの言葉は?)

好き好きアーツ!#07 横尾忠則

【ROCKHURRAH RECORDSのポスターを横尾忠則風に制作。なんか中途半端。(笑)】

SNAKEPIPE WROTE:

今回は好き好きアーツの7回目として、画家横尾忠則氏について書いてみたいと思う。
画家、と言ってみたけれど元々はグラフィックデザイナーであり俳優業や著作も数多くマルチな活躍をしている横尾氏。
何回か回数に分けて書かないと横尾忠則の全貌については語り尽くせないので、SNAKEPIPEの気になったことを書いていきたいと思う。

恐らくSNAKEPIPEが一番初めに横尾作品を目にしたのはTVドラマ「ムー」のタイトルバックであろう。
子供だったので、当時はそれが横尾作品とは知らずに観てたけど。(笑)
今では「You Tube」でも観られるので、改めて鑑賞してみた。
ものすごく斬新!
続編の「ムー一族」のタイトルも横尾氏によるもので、これも面白い。
70年代は実験的なことをやってたんだなと感心してしまう。
続いては横尾忠則の出発点であるポスターについて書いてみようか。

ポスター制作をしていたのは60年代後半から70年代にかけての、いわゆるアングラ文化、今だとカウンターカルチャーというジャンルになるのかな。
映画、写真、演劇の告知ポスターが有名である。
残念ながらリアルタイムで観ていたわけではないため、氏の展覧会で鑑賞しポストカードになった物を入手した次第である。
一目見ただけで氏の作品と判る特徴的な色づかいや構成に影響を受けた人も多いだろう。
題材となっている写真、映画、演劇もかなり特徴があるので、相乗効果で更に迫力がある。
時代、と言ってしまえば簡単だけど、当時を知らないSNAKEPIPEから見ると、まさに激動の時、これから何か始まるぞ、というザワザワしたエネルギーを感じる時代だったのではないかと想像する。
経験していない者にとっては憧れの時代なのである。
その時代に18歳くらいで新宿近辺をうろついてみたかった!
それじゃただのフーテンか。(笑)

その時代、1969年に横尾氏主演の映画、「新宿泥棒日記」が公開されている。
監督は大島渚
唐十朗もゲスト出演していて、まさに横尾氏のポスター通りである。
新宿紀伊國屋で本を万引きして、店員に咎められるところから始まる映画で、横尾が岡ノ上鳥男というふざけた名前で登場。
映画の内容はあまりよく覚えてないけれど、途中から劇中劇のような展開でハチャメチャだったように記憶している。
その辺りも時代っぽい感じなのかな。

横尾氏は著作の中で三島由紀夫氏、ビートルズからの影響について語っているが、その結果がインドへの興味になったようだ。
著作の中で横尾氏は
「君はもうインドに行ってもいいようだ」
と三島由紀夫氏に言われたと書いていたが、それはインドという大きな存在を受け止める精神力に合格点が出た、という解釈でイイのかな。
横尾氏の「なんでも受け入れる」ような姿勢はインドからの影響なのかもしれない。
あっちの世界と交信ができる、UFOを呼ぶことができる、など聞く人によっては笑うか疑うような話をたくさん書いている横尾氏だからね。

夢の中での話も非常に多く、絵画の題材を夢から取ることもあるようだ。
横尾氏は「夢日記」を書いていて、かなり赤裸々に綴られた内容に読み手が赤面してしまうこともある。
以前何かのインタビューで「何故だか何日も連続で夢の中に滝が出てきたから、滝シリーズを描いた」と語っていた横尾氏。
横尾氏にとって夢は啓示や暗示と考え、非常に重要な要素として捉えているようだ。
ん?これって敬愛する映画監督デヴィッド・リンチと一緒じゃん!(笑)
そういえばリンチも横尾氏も少年時代に好きだったものをずっと思い続けてるし。
書いているうちに共通点を発見するとは!
今頃気付くSNAKEPIPEが鈍いのか?(笑)
リンチは還暦過ぎても「気分はまだ19才のまま」と語っているけれど、恐らく横尾氏も同じような心境ではないだろうか。

リンチと横尾氏、ということで大きく違っているのは結婚観か。
横尾氏は仕事の関係で知り合い、会って3日目にはプロポーズ!
仲睦まじい様子はHPで確認することができるように、「一人の女性をずっと愛し続けていく」タイプである。
3日目に結婚を決意できるほど「この女性しかいない」と確信が持てた、直感に優れている、ということになるのか。
一方リンチはと言うと3回の結婚と離婚を経験、お付き合いしていた有名人にイザベラ・ロッセリーニがいたり、現在の恋人と噂されているのはナスターシャ・キンスキーとのことでこの手の話題に尽きないほどのプレイボーイぶり。(笑)
この点に関しては全く二人のタイプは違ってるんだね。
ってまるでワイドショーみたいだからこのくらいでやめるか。(笑)

かつては「横尾」という文字があると書籍でも雑誌でも画集でも、なんでも手に入れないと気が済まないほどに熱中し、展覧会にも足を運んでいたSNAKEPIPEだったけれど、横尾氏の露出度が高過ぎてだんだん追いつかなくなってしまった。
SNAEKPIPEが最後に観たのは2002年の「横尾忠則 森羅万象」展での「Y字路」シリーズまで。
そのため最近の活動については詳しくない。
確か去年だったか手にした雑誌がまたもや「横尾忠則特集」をやっていて、今までの作品の紹介に加えて現在描いているテーマについても載っているのを見かけた。
現在は「温泉」をテーマにしているそうで。
久しぶりにHPを観たら金沢21世紀美術館で公開制作が開催されていた模様。
いや~、金沢じゃ簡単に行かれないよね。(笑)
また近場で展覧会が開催されたら行きたいと思う。