生誕100年 岡本太郎展

【岡本太郎展のポスター】

SNAKEPIPE WROTE:

5月8日まで東京国立近代美術館岡本太郎展が開催されている。
生誕100年ということで充実したコレクションが観られるようなので足を運んでみた。
岡本太郎については特に詳しく知っているわけではなく、太陽の塔の作者だということ、青山に岡本太郎記念館がありそこのカフェでお茶を飲んだことがある程度である。
まとまった数の作品を観るのは今回が初めて。

以前東京国立近代美術館に行ったのがいつだったのか思い出せない。
カンディンスキーだったかゴーギャンだったかを観に行ったような?
東京メトロ竹橋駅を降りてほんの2、3分で美術館に到着。
美術館の向いには皇居のお堀が広がり、満開の桜がとても美しい。
この日は非常にお日柄が良く、眩しいくらいの陽射しと上着が要らないような気温でお出かけ日和。
岡本太郎展は大盛況だと聞いていたけれど、この日は余計に拍車がかかったようで大混雑の中での鑑賞となってしまった。
六本木にある国立新美術館でも感じたことだけど、どうも「国立系」と命名したくなるお客さんが多いんだよね。
これがちょっと苦手なんだな。(笑)

岡本太郎については、「芸術は爆発だ!」に代表される、あのキテレツな言動からご存じの方が多いアーティストだと思うけれど、ここで簡単に説明をしてみようか。
岡本太郎は1911年に漫画家である父・岡本一平と小説家である母・岡本かの子との間に生まれる。
1930年から1940年までパリに滞在。
この時パリでシュールレアリズムの立役者であるアンドレ・ブルトンジョルジュ・バタイユらと交流。
パリ大学で美学・哲学・心理学・民俗学を学ぶ。
1940年帰国、兵役と抑留を経験。
1946年から1996年に亡くなるまで精力的に作品を発表する。
岡本太郎の経歴の中でSNAKEPIPEが注目したいのは、芸術家の両親から生まれた点。
そしてパリ時代にシュールレアリズムの真っ只中に身を置いていた点かな。
本人の資質はもちろんだけれど、既成概念に囚われず自由奔放な反逆精神を育んだのはやはり家庭の力が大きいと思うからね。
そして18歳という多感な時期でのパリは、非常に刺激的だったはず。
シュールレアリズムの洗礼を直に受けるなんて、羨ましい限り。(笑)

会場に入ってまず最初に目に飛び込んできたのが立体作品。
まるで仏像を展示しているかのように、赤い布の上でライトアップされていて面白い。
岡本太郎と聞けば、恐らくほとんどの人が絵画よりも立体作品を思い浮かべると思うので、この空間に入ると
「ああ、岡本太郎展に来たな」
と思うこと間違いなし。(笑)
10体程の、思い思いの動きをした立体作品はとてもユーモラスだった。
サイズが割と小さめだったので、どれか一体お持ち帰りしたかったくらい。(笑)

立体作品の部屋から後は「~の対決」というタイトルが付けられ、年代順に7つの章に分けられて展示されていた。
前述したように岡本太郎にはパリ時代という10年間がある。
この時期を第1章<ピカソとの対決>としてまとめられていた。
岡本太郎は1932年にピカソの絵を観て感動、そして乗り越えなければいけない目標として定めたらしい。
ピカソに立ち向かうと決意するとはすごいよね!(笑)
ただこの時期の岡本太郎が残しているのはシュールな印象の油絵。
素敵な曲線が描かれていて、とても好きな雰囲気だった。

第2章は<「きれい」な芸術との対決>。
ここでは1946年頃からの作品がまとめられている。
パリ時代のシュールな雰囲気とはガラリと作風が変化し、一言で言うとアヴァンギャルドになるのかな。
黒のバックに赤色が特徴的な絵が多く、強いメッセージ性を感じる。
けれど、どうやらメッセージの伝達を岡本自身は望んでいなかったようだ。
きっと己の思うまま、好きなように描いていたらこうなった、という解釈が一番良いのかもしれないね。
上の写真にある「森の掟」という作品には背中にジッパーを付けた生き物が描かれていて、ジッパー好きのSNAKEPIPEにはたまらない。(笑)
派手な構図とタッチに驚きますな!

第3章は<「わび・さび」との対決>。
縄文土器を観て戦慄し、日本の美を再発見する岡本太郎。
東北や沖縄に出向き、各地の風習や祭りなどを取材し執筆活動を行う。
それらの影響を受けたと思われる立体作品や絵画は更に力強く印象的だ。
赤のバックに黒い線がうねるように描かれている「装える戦士」という作品は、まるで梵字のようで、書とも絵画とも呼べるようで興味深い。
このポストカードがあったら欲しかったのにな。
そうそう、ミュージアムショップで楽しみにしていた海洋堂制作のフィギュアが販売終了していたのも残念だった。
ガチャガチャ、やりたかったのになあ!(笑)

第4章は<「人類の進歩と調和」との対決>。
ついに時代は1970年の大阪万博。
そう、あの有名な太陽の塔である。
SNAKEPIPEは未だに大阪に行ったことがなく、当然ながら太陽の塔の現物も観たことがない。
写真や映画「20世紀少年」の中で観たことがあるくらいか。(笑)
太陽の塔は今観てもその斬新さに驚くし、世界的に経済大国となった日本を象徴するイベントのシンボルとして岡本太郎を起用した、ということに再び驚いてしまう。
どういう経緯があって太陽の塔の建設が決定したのかはよく知らないけれど、1970年に約70mという高さの、顔デザインの塔はかなり衝撃的だったのではないだろうか。
その決定をした当時の役員(委員?)に拍手を贈りたいくらいである。
あの塔を観た世界の人はインパクトの強さはもちろんのこと、日本の奔放さ、自由さにびっくりしたのではないかと思う。
原初的な祭りをイメージして作られた、というこの塔。
いつか現物を観てみたいものである。

第5章は<戦争との対決>。

太陽の塔建設と並行して進められていたという、メキシコオリンピックにあわせて計画されたホテルの壁画。
「明日の神話」というタイトルで、原爆で焼かれても悲劇を乗り越えようとする力を表現した作品らしい。
岡本太郎版のゲルニカ、という感じかな?
今回展示されていたのは下絵だったけれど、それでも幅11mもあり余程遠くから鑑賞しないと全体像を把握できなかった。
作品の力強さは上の小さい画像からでも充分伝わると思う。
ただ立ち尽くし見つめることしかできなかったSNAKEPIPEである。
この壁画のメキシコ版、現在は渋谷に設置されているとのこと。
まだ実物観ていないので、今度渋谷に行った際に鑑賞してこよう!

第6章は<消費社会との対決>。
ここでは展覧会以外で発表された作品群が紹介されていた。
ある年齢以上の方だと懐かしい「グラスの底に顔があったっていいじゃないか」のロバートブラウンのグラスの展示や「宇宙人現わる」という特撮SF映画に関する仕事などを観ることができる。
「芸術活動を広汎な大衆と結ぶことに意欲的だった」と書いてあり、そこが岡本太郎の面白いところだなと思った。
芸術を閉ざされた、ある一部の人にだけ理解されれば良しとするアーティストが多いように思うので、この岡本太郎の姿勢には驚嘆する。
ただし、最近よく見受けられる「アーティストが自分の作品を安易に商品化」している現状には悲しみを覚えるSNAKEPIPEだけどね。

第7章は<岡本太郎との対決>。
タイトルに行き詰まったのか?(笑)
最後の部屋に展示してあったのは全て「眼」の絵!
壁一面にある複数の眼にさらされていると、落ち着かない気分になる。
イメージ的には「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくる目目連っていう妖怪みたいな感じね。
よくもこれだけ繰り返し同じテーマに取り組んだな、と感心してしまうほど大量の眼。
「執拗に目玉を描き込んでいるのは、新しい世界に呪術的にはたらきかける戦慄的な現代のマスクを創造しようとしているため」
とは岡本語録である。
呪術とか戦慄なんて言葉が並んでいるので非常に禍々しく聞こえてしまうけれど、作品の一つ一つに恐ろしさは感じない。
心の赴くまま描き殴ったような荒々しさとユーモラスが同居しているように思う。

岡本太郎は1930年代よりパリで「ピカソを超える」という目標を持ち、活動を続けてきた。
昔テレビで岡本太郎がピカソについて語っているのを観たことがある。
「ゲルニカを観た瞬間、涙がワーッと出てきて止まらなかった」
と興奮気味にジェスチャーまじりで喋っていた。
ゲルニカを一目観て泣けるとはすごい人だ、と思った記憶がある。
今回100年祭ということで年代順にテーマに沿って鑑賞して感じたのは、ピカソと岡本太郎は良く似てるな、ということだ。
ピカソはアフリカ彫刻に感銘を受け、インスピレーションを得て作品に活かしていた。
岡本太郎は縄文土器に感銘を受け、ピカソと同じようにインスピレーションを得て作品に活かしている。
二人ともどんどん「子供のような絵」になっている点も似ていると思った。
芸術を突き詰めていくと、観念とか理屈とか全く抜きにして、本当に素直な子供の目になっていくものなのか。
天才のことはよく分からないけどね。(笑)

人からの評価などは全く気にせず、本当に自分のやりたいことをやり、描きたい絵を描いた自由人。
長いものに巻かれない、反逆精神を残した日本人離れした感覚の持ち主だった岡本太郎。
生誕100年展を観終わって、圧倒的なエネルギーとパワーを感じた。
こんなに元気を与えてくれる芸術家はもう現れないかもしれないね?

SNAKEPIPE MUSEUM #09 Edward Hopper

【1930年代のニューヨーク。とても素敵な映画館ね!】

SNAKEPIPE WROTE:

現代アートでは観た瞬間に「面白い!」と感じる3次元モノが好きだけれど、アート全般として考えると主流はやはり2次元モノ。
SNAKEPIPE自身も、今まで経験したことがあるのは絵や写真という紙媒体だけだし。
そして平面モノの場合は瞬間的な面白さ、というよりもじっくり鑑賞するのが好み。
シリアスでちょっと物悲しい雰囲気の作風に共感を覚える傾向が強い。
今まで紹介してきたSNAKEPIPE MUSEUMのほとんどが当てはまるかな?

今回特集するエドワード・ホッパーも同じ種類の画家になりそうね。
たまに鑑賞したくなるのがホッパーの画集なのである。
ホッパーの特徴は、スナップショットのようにアメリカの風景や人物を切り取って描いている点にある。
まるで映画のスチール写真のようにも見える作品なんだよね。
ホッパーは1882年生まれのアメリカの画家。
1925年くらいから1940年代あたりがホッパーの活躍していた時代のようで、丁度ハリウッドの黄金時代に重なる年代になりそうね。
そう言われてみると、ホッパーの絵に登場している人物の服装というのが
男性:三つ揃いのスーツ。ネクタイ。中折れ帽
女性:ブラウスにスカート。もしくはワンピース。
といった「紳士・淑女」の服装。
この時代のファッションって憧れるんだよね。(笑)

ホッパーの展覧会に行ったのは何年前だったんだろう。
調べてみると2000年夏のBunkamuraだった。
ぎょっ!すでに11年も前のことになるとは…。(とほほ)
確か行ったのが夜で、あまりに人が多くて鑑賞どころじゃなかった記憶がある。
前述したように「じっくり鑑賞するのが好み」なのに、叶わず憤慨。(笑)
仕方なく図録とポストカードだけ購入して帰ったんだっけな。
ホッパー人気にちょっとびっくりしたSNAKEPIPEだった。

ホッパーの絵の魅力はやっぱり物語性だろうか。
上の絵も鑑賞者が様々なドラマを創作して、自分なりの解釈を持つと思う。
映画館の通路脇で頬杖をつき、ややうつむき加減に何か考え事をしている女性。
映画は上映中なのにも関わらず、物思いに耽けるとは余程彼女にとっての重要事項なんだろう。
髪もキレイにセットして、恐らくデート用におめかし?
観客がまばらなところから、どうやらそれほど人気がある映画じゃないのか、もしくは封切りから時間が経っている映画、と推測。
観客が少ないため、誰も彼女に注意を払う人はいないようだ。
おかげで彼女は思考を邪魔されないで済んでいる。
一体何を思っているんだろう?

ホッパーのどの絵にも共通して感じるのは強烈な孤独だ。
夜にひょっこり顔を出す、誰もが持っているやりきれない諦念感。
ホッパーの絵を差し出されると
「自分だけが疎外感を持っているんじゃないんだ」
と鑑賞者は安心するのかもしれない。
そしてそれが人気の秘密なのかもしれないね?

ロック少女のバイブル?The Runaways鑑賞

【左側が映画版ランナウェイズ。右側が本物だけど区別つかないね!】

SNAKEPIPE WROTE:

美容院に行ってきた。
腰に届くくらいのストレートロングヘアを保持してきたSNAKEPIPEだけれど、ここらで思い切りイメージチェンジをしてみようと思ったのである。
いきなりイメチェンといってもどんな髪型が良いのか分からない。
参考にしてみよう、と画像検索したのがジョーン・ジェット
1982年に「アイ・ラブ・ロックンロール」をヒットさせたジョーンは、女性とは思えないほどパワフルなギタープレイに凛とした雰囲気を持つ中性的な魅力の持ち主。
「カッコ良い姐御!」
と一目見たときからファンになってしまったSNAKEPIPEなのである。

イメチェンはジョーン・ジェットみたいな狼カットにしてみてはどうか?
ん?今は狼カットって言わないの?古い?(笑)
今はウルフカットって言うのか。
なんだい、英語にしただけじゃん!(怒)
そこで久しぶりにジョーン・ジェットの画像を検索すると、なにやら若い頃の写真がいっぱい載ってる。
と、思ったらそれがジョーンに成り切って写っているクリステン・スチュワートだったのである。
なんだこれは?と調べて、ランナウェイズの映画化を知った次第。
結局髪型はやっぱり狼カットにする勇気がなくて、ただ切っただけ。
30cmくらいバッサリ切ったからイメチェンにはなったかな?(笑)

ランナウェイズとは1975年から1979年に活動していたアメリカのガールズ・ロックグループである。
ヴォーカル・シェリー・カーリー
リズムギター・ジョーン・ジェット
リードギター・リタ・フォード
ベース・ジャッキー・フォックス
ドラム・サンディ・ウエスト
5人の平均年齢16歳、というティーンエージャーばかり。
ヴォーカルのシェリーがコルセットにガーターベルトというセクシーコスチューム、大股開きで歌う大胆さが話題だったようである。
どうやら日本でも大人気だったみたい。
ランナウェイズ最大のヒット曲「チェリー・ボンブ」のシングルレコードを所持していたSNAKEPIPEだけれど、残念ながら当時の人気はほとんど知らないんだよね。

ランナウェイズの映画化を知ってから数週間経過。
なんとなく毎日落ち着かない日々が続いているため、予定を立てる余裕がなかったんだね。
計画停電で昼間の時間に電気が使えなくなった3月のある日のこと。
急遽外出を決め、ROCKHURRAHと渋谷に向かった。
映画「ザ・ランナウェイズ」は東京では渋谷PARCOにあるシネクイントだけの単館上映。
先日観た「マチェーテ」も新宿での単館上映だったけど、最近は日本映画ばかりで外国映画はあんまり上映してないのかな?
実際映画館の中に入ってびっくり。
観客が10人くらいしかいなかったんだよね。(笑)
座席を指定するタイプの映画館だったけど、これじゃ指定の意味ないよー!
それなのに前方真ん中付近は人気があったようで、10人しかいない観客の中の4人くらいが固まって座ってるのがおかしかった。
周りはガラーンとしてるのにね!
空いてる映画館は好きなので、この日に行って良かったな。(笑)

映画が始まってすぐにびっくりする。
ジョーン・ジェット役のクリステン・スチュワート、似過ぎ!
かなり意識して真似たのかもしれないけど、顔からスタイルまで全部似てるからね。
これはかなり驚きだよ!
シェリーに扮するのはダコタ・ファニング
現在17歳ってことは撮影してる時は15歳とか16歳だったんだね。
丁度ぴったりシェリーと同じ年齢で演じるとは。
それにしてもアメリカの女の子はオトナっぽいね。(笑)

映画は1975年、ジョーン・ジェットとシェリー・カーリーが15歳というところから始まる。
75年というとロンドン・パンクより1年早く、音楽シーンはまだグラム・ロックの時代ね。
グラムについて知りたい方はROCKHURRAHの記事「時に忘れられた人々【07】グラム・ロック編 side A」と「時に忘れられた人々【07】グラム・ロック編 side B」を読んで頂くと有効ですな!(笑)
シェリーはデヴィッド・リンチじゃなかった、デヴィッド・ボウイに夢中。
ジョーンはスージー・クアトロを手本にしていたらしい。
思春期だから現状に不満を感じるお年頃よね。
解るわぁ~!(笑)
自分にとってのアイドルをマネて、大人のフリを始める時期。
ジョーンはロックがやりたい!と一生懸命ギターを練習する。
ある程度弾けるようになったところで、プロデューサーのキム・フォウリーに自分の売り込み!
ここらへんが若さって素晴らしい、と思えるところ。(おばさんっぽい?)
怖い物知らずの当たって砕けろ状態なんだけど、なんとこれがすんなり受け入れられる。
更にドラムのサンディ・ウェストを紹介されて「二人でやってみろ」とのこと。
二人で練習してるところにベースが入り、ギターがもう一人参加し、とだんだんバンドっぽくなってきた。
最後にフォウリーがシェリー・カーリーのルックスを見定め、ヴォーカルに勧誘。
ランナウェイズ結成である。

それにしてもこのキム・フォウリーというプロデューサー、かなり気色悪いタイプ。
いかつい顔・体型なのにグラムっぽくしっかり化粧してるんだよね。(笑)
パンクっぽいアクセサリーも付けてたし。
本人はどんなだったんだろう、と検索して出てきたのが左の写真。
ご本人登場なんだけど、どお?
本人も音楽活動をしていて、どうやら現在も活動している模様。
こうして見るとあの映画の中でフォウリーを演じていた人はかなり忠実だったことが判明。(笑)
少女達を操って、どんどんフォウリーが思う通りの理想にバンドを近づけて行く課程はとても面白かったけど、タイプはまるでマルコム・マクラーレン
なんとなく胡散臭い、でも商才には長けてる仕掛け人的な雰囲気がそっくりだった。
「チェリー・ボンブ」を即興で作るシーンはかなりウソっぽかったな。
あんなに簡単にできた曲なんだろうか?(笑)

バンドはフォウリーの売り込みにより、メジャーデビューが決定。
どんどん上り調子になるところは観てみてワクワクした。
日本公演のシーンでは、
「よくもここまでやったもんだ」
と驚いてしまうほど、当時の日本人を再現。
ファッションや髪型をじっくり研究したんだろうね。
本当に1976年って感じだったよ。(笑)
恐らく日本公演の頃がピークだったのかもしれないね。
良い時は長く続かず、バンドはバラバラになってしまう。
シェリーだけに人気が集中することに嫉妬し、不満の声をあげるメンバー。
当のシェリーもロックスターが背負う犠牲に苦痛を感じるようになってくる。
みんなでロックをやろうよ、と最後まで言っていたのはジョーンだけだった…。

話自体は割とありきたりで、特別な展開もなく終わった。
当時の雰囲気はよく伝わってきたし、なんといってもシェリーとジョーンがよく頑張って演じてたね!


ジョーン・ジェットは15歳から現在の50代に至るまで、首尾一貫してロックをやり続けている。
雰囲気はほとんど変わっていないし、やっぱり今でもカッコいい!
画像検索している時に気になったのが上の写真。
どうやらUS Navyのヘリコプターに乗る時に撮られた写真みたい。
ジョーンは米軍支持者で軍のための演奏を行っていると書いてあった。
上のスタイルも決まってるし!
ピシッと筋を通す意志の強さに勇気と元気をもらったよ。
これからもずっと付いていくぜ、ジョーン姐さん!(笑)

シュルレアリスム展~ポンピドゥセンター所蔵作品

【マン・レイ展の時も似た写真だったね。マン・ネリ!】

SNAKEPIPE WROTE:

まず初めに。
本日3月6日は我らが鳥飼否宇先生の誕生日!
鳥飼先生、おめでとうございます!!!
SNAKEPIPEも2日前に誕生日を迎えました。(笑)

2010年8月に「マン・レイ展~知られざる創作の秘密」を鑑賞しブログに書いたSNAKEPIPEだけれど、実はその時に2011年2月より同じ国立新美術館で「シュルレアリスム展」を開催することを知ったのである。
シュルレアリスム!(笑)
ROCKHURRAHもSNAKEPIPEも大好きなジャンルである。
2008年に「不条理でシュールな夏」というタイトルでシュールについて書いたっけ。
人の想像力の頂点に立つ運動、とも言えるであろうシュルレアリスム。
今回国立新美術館で展示されるのはパリのポンピドゥセンター所蔵作品とのこと。
パリだもんねー!シュールの本場だもんねー!(笑)

今回展示される作家もルネ・マグリット、サルバドール・ダリ、ジョルジョ・デ・キリコを含む総勢47名!
それぞれ単独で展覧会やって欲しいような著名な方々ばかり。
作品数約170点に加え当時の雑誌やポスターなど120点も展示、というかなり大がかかりな展覧会のよう。
これは期待できそうだよね!

SNAKEPIPEお気に入りのジョルジョ・デ・キリコから始まった展覧会は、1924年にシュルレアリスム宣言をしたアンドレ・ブルトンの著作の中の言葉からほとんどのテーマが選ばれ、年代順に展示されていた。
アンドレ・ブルトンはシュルレアリスムの父であり立役者というべき人物だけど、ご本人が残してるのは著作だからねえ。
言葉と、本人の写真だけが展示されてたね。

170点もの展示作品の中から特に気に入った作品についてまとめてみようかな。

「三本の糸杉」は遠くからでもその発色の良さに目を奪われる作品だった。
糸杉って植物だよね?
描かれているのは、どちらかというと鍾乳洞の中にあるオブジェ化した石灰岩のようにみえるね。
不思議な物体だけど、なんだかとても素敵。
家に飾りたくなる逸品だね!
エルンストは今回展示数が多くて、版画作品や写真作品などもあった。
本当はそれぞれ感想を書きたいくらいなんだけど、エルンスト特集じゃないからね。(笑)
エルンスト展があったら観に行きたいな。

ヴィクトル・ブローネル「光る地虫」はいかにもシュルレアリスムらしい作品で、謎の生物がいるんだよね。(笑)
ブローネルについての情報が少なくて、ルーマニアの画家ということくらいしか分からないんだけど、とても面白い作品がたくさんあった。
まるで漫画のキャラクター設定をしているかのような作品やイタズラ書きみたいなデッサン風のものまで展示されていて楽しめた。
今まで知らなかった名前なので要チェックですな!(笑)

アンドレ・マッソン「迷宮」。
ギリシャ神話の中に出てくるミノタウロスをモチーフして、その内部(内臓)を迷宮として捉えている作品らしい。
どうやら解説を読むとニーチェが、バタイユが、と神話と哲学などが混ざった観点から描かれた作品のようなので詳細はその道の専門家の方にお願いして。(笑)
そういった思想的な部分を抜きにしても「どうだ!」といわんばかりの迫力のある作品だった。
好みは分かれるかもしれないけどね。
マッソンのことはよく知りマッソン!(プッ)
調べてみたらマッソンってジョルジュ・バタイユの「眼球譚」に挿絵描いてたんだって?
あらま、じゃ観て知ってるはずだよね?
そういえば昨日SNAKEPIPEが見たのが、手の上に自分の眼球乗せてる夢だったなあ。
思いっきりシュールだわ!
眼球は思ったよりも大きくて、プニョプニョしてたよ。
なんて恐ろしい夢なんでしょ。
それにしても眼球ないのに見てたってところが破綻してるよね。(笑)

マッソン作品は非常に多く展示されていて
「またマッソン!」
「またまたマッソン!」
などと言いながら鑑賞。(笑)
「夏の愉しみ」という作品はまるで鳥飼否宇先生の「昆虫探偵」の挿絵に丁度良さそうでニヤリとしてしまった。

フランシス・ピカビア「ブルドックと女たち」はシュールという括りに入るのかちょっと疑問だけど、とても好きな作品である。
さすがに横尾忠則先生が傾倒し、師と仰いでいたのが良く解るね。
女性は雑誌に掲載された写真から描いてるらしいし、ブルドックもやはりまた違う写真から採用されたとのこと。
作風はもちろんのこと「あれ」と「これ」を混ぜて一つの作品にしちゃうところも横尾先生に影響を与えてるのかもね?
今回ピカビアの作品は3点展示されていて、どの作品も恐らく「具象の時代」と呼ばれる時代の作品だったみたい。
年代によって作風がガラリと変わる画家だったらしいので、また違う時代の作品も観てみたいな!

最後に立体作品、アルベルト・ジャコメッティ「喉を切られた女」のご紹介。
ジャコメッティといえば針金みたいに細い人物の彫刻作品が有名なスイスの彫刻家。
そのイメージがあったので、今回のシュルレアリスム展の中に入っているのが意外だったSNAKEPIPE。
ところがどうやら時代的にもばっちり1920年代にパリにいたらしいし、ブルトンをはじめシュルレアリスト達との交流もあったとか。
今回展示されていた左の作品は、まずタイトルからしてシュール。
どれどれ、解説を読んでみようか。
どうやらフランス語でカマキリと恋人(女)が「ラマント」と同じ音になることからカマキリを女に見立てて制作された彫刻らしい。
うーん、フランス語知らないから教えてもらわないと言葉遊びを知らないままになっちゃうね。
でも今回の彫刻は意味が解らなくても充分面白かった。(笑)

非常に期待して出かけたシュルレアリスム展だったけれど、簡単に言ってしまうと可もなく不可もなくという感じかな。
粒揃いだけれど、突出してもいない平均的な展示だったように思う。
SNAKEPIPEが観たかったハンス・ベルメールは写真作品1点のみだったり、マルセル・デュシャンの作品もちゃんとした形のものは1点だけ。
「大ガラス」などはデッサンだけ、だったしね。(笑)

当時の雑誌やポスターなども含めて展示されていたり、今までSNAKEPIPEが全く名前を知らなかった作家の作品を鑑賞することができたのはとても良かった。
シュルレアリスムをいろんな角度から眺めて、運動そのものに焦点を当てた企画自体も興味深かったけどね。

とどのつまりは自分が好きな作家の展覧会が観たいんだろうね。(笑)
シュルレアリスムはまだこれからも勉強していきたいジャンルだね!